
戦争やってる場合じゃない…まったく同感です。これは一部の先進国だけの問題ではありませんね。日本は高齢者にとって住みにくい国に坂道を転がるようになっていっていると思います。
今夜6月20日ですが、ノマドランドも紹介される番組放映されます。https://www.nhk.jp/p/butterfly/ts/9N81M92LXV/episode/te/Y34MR4RZQ9
⇒時代は変われど、ここ釜ヶ崎は「人が最後に流れ着く街」として不変だということを改めて再認識した。私は新世界や飛田新地などこの町が放つ雰囲気が好きで、20年ほど前から関西方面に旅行すると、わざわざ釜ヶ崎のドヤを選んでよく泊まった。一泊800円くらいから2500円程度の驚くほどの安さ。しかし数年前に南京虫の被害に遭ってから、さすがに懲りたのか今は釜ヶ崎からは遠のいている。当時、釜ヶ崎で目にしたのは本書でも取り上げられた教会の炊き出しに並ぶ労働者や、三角公園に続く路上での泥棒市、⇒
⇒白昼堂々と新今宮駅近くの高架下で布団にくるまって眠る人。少なからずカルチャーショックを受けたが、何度も目にするとマヒするのか、当たり前の風景として受け止めてしまう自分がいた。これから釜ヶ崎はどう変わっていくのだろうか。釜ヶ崎を追い続ける著者の次作が楽しみだ。※(注)「あいりん」「西成」ではなく、「釜ヶ崎」の呼称を使いました。
⇒先進的な思想をもった資本家の存在もあったが、それはほんの一握りであり、多くが食事も満足に取れない劣悪な環境下にあったという。100年前と現代を比較して女性の地位が進化したのだろうか。ウーマンリブの時代に盛んに使われたシスターフッドは死語ではない。他国に比べてもフェミニズムへの抵抗が大きく、ジェンダーギャップが露骨に存在する日本にとって、シスターフッドの認識と実践はますます必要になってくると思う。時間のズレはあるにしろ、日米が辿っている女性解放への道は同じものであると改めて考えさせられた内容であった。
⇒だったかもしれない。本書を読むと野口はクライマーとして実力の無さを早い段階で気づき、方向転換したことが伺える。国内において清掃登山は盛んに行われているが、ことエベレストのような地球規模での実施は野口ならではの発想であり、それを強引に実現していくスピードもまた天性のものであるようだ。著者の小林が精神を病んでまでも、アクの強い野口に磁石に引き寄せられる砂鉄のように捕らわれてしまうのは、二人が惹かれあう似た者同士だからなのか、それとも悪縁であろうか。本書は野口を隠れ蓑にした、著者の成長物語のようでもあった。
⇒違うんじゃないかと。しかし、最後まで読むと「頑張らないで生きる」という個人の価値観を大切にする著者の一本気な生き方に気づき、フェードアウトやひきこもりとも違う、何だか楽し気な隠居生活が見えてきたので、爽快な読後感を得ることができた。
⇒ヨーカン型の公営団地は貧困家庭の象徴のようにも揶揄された。本書にあるように団地生活は盆踊りや映画会などのイベントも多くあり、子供たちにとっては楽しい日々だったが、私たち一家の願いはなんとしてもここから出たい、そればかりだった。今、昭和30年代にできた団地暮らしがにわかに脚光を浴びているが、その不便さは本書に書かれている通り。主人公の若者のような興味本位や憧れだけでは、到底太刀打ちできないだろう。
⇒魅力である。スタート時の著者の旅は列島縦断をすることが目的ではなく、ゴールへの貪欲さは薄いが、歩数を延ばし続けるうちに列島縦断を達成したという印象だ。GPSを駆使した歩行記録を数値として巻末にまとめているのは元理科教師らしさが出ており、1ミリたりとも空白区間を作らずに、歩いた線をつなげることの強いこだわりが見てとれた。
旅に生き、好きな本を、好きなときに、好きなだけ読む暮らしをさせてもらっています。
飛ばし読み、流し読み、斜め読みは性に合わないので、本は一字一句最後まで読み切るタイプです。
なので、駄本に気づいて後悔することしきり。
近年はノンフィクションが多くなっています。
博覧強記を目指しているわけではありませんが、未知のジャンルの作品に出会うことが無上の喜びです。
読書以外の趣味は登山、歩き旅、四国遍路、昭和レトロを探す町歩き、B級グルメ食べ歩きです(歩くことが好きなんですよ)。
消え去りゆくホーロー看板がある風景を訪ねて、全国を旅した記録を発信するサイトを作っています。
◆ホーロー看板探検隊が行く
https://horotankentai.sakura.ne.jp/
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⇒だったかもしれない。本書を読むと野口はクライマーとして実力の無さを早い段階で気づき、方向転換したことが伺える。国内において清掃登山は盛んに行われているが、ことエベレストのような地球規模での実施は野口ならではの発想であり、それを強引に実現していくスピードもまた天性のものであるようだ。著者の小林が精神を病んでまでも、アクの強い野口に磁石に引き寄せられる砂鉄のように捕らわれてしまうのは、二人が惹かれあう似た者同士だからなのか、それとも悪縁であろうか。本書は野口を隠れ蓑にした、著者の成長物語のようでもあった。