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せっかく「水平思考」というアイテムがあるのだから、森博嗣の文庫本みたいな表紙でも良かったはず。強引に遠田志帆を起用したのはなぜだろう。別に遠田志帆だから売れているなんてことはないのに。
新潮新人賞をとった作品(つまらなかったので名前は忘れたが)にも書いたけど、最近の若い人が書く小説は「らしさ」を追求するゲームのようになってしまっていると思う。「こういう物語が書きたい」ではなく「あの物語っぽいものが書きたい」で、しかしあしざまな言い方をすればそれは二番煎じであり、それゆえ結果的に作品の出来として不十分なものが生まれてしまうのでは。そう言った点が、同じく若い世代の書いた傑作「月ぬ走いや、馬ぬ走い」あたりとの差異なのではないかと考察。
こうやって人々の記憶から「戦争」は単純な「悲劇」という記号に収束し、どうでもよくなっていくんだなと感じた。「戦争=悪」「戦争=悲劇」と単純な等式で片付けてしまうこの作品は、戦争文学とはとてもではないが言えないし、作者としても「かなしいお話(笑)」が書きたかっただけだろうから、まあ端的に言えば安易で軽薄な作品としか言いようがない。やっていることは感動ポルノこと24時間テレビと同じである。過去に虐げられてきた人々を「可哀想な存在」と卑下することで得られる感動。しかしそんなものになんの価値があるというのだろう?
登場人物も物語も舞台設定も、すべてお涙頂戴のためのお膳立てに過ぎない。もの知らずで軽薄で無知な主人公が都合のいい思想の登場人物に囲まれ……平和記念公園にやってきた小学生が、その場で得た情報のみを頼りに戦争への安易で容易い怒りからしたためたような描写が続く。戦争を描くのなら、もっと先祖に敬意をもって欲しいところである。特攻兵たちはこんなケータイ小説のために死んでいったのではないのだ。そういうわけで駄作である。まったく楽しめなかったし、なんならちょっとイライラした。以上。
超濫読人間
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