・・・共有可能な働き方となる共通言語としてのCFではないのだろうか。上記の林直樹の論文には、精神療法の現場でCFと比較される「見立て」について、「『見立て』は説明として患者に伝えられる。それが受け入れられないときは、それが抵抗とみなされて対応される(土居, 1977)」とある。同じく本書の終章にも、チーム医療の中で心理職の介入や支援は記載されていても、介入や支援の根拠は多職種に伝わっていない、と記載がある。精神療法・心理療法の一部には「正義は我にあり」のように捉えられかねないだろう。・・・・
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・・・共有可能な働き方となる共通言語としてのCFではないのだろうか。上記の林直樹の論文には、精神療法の現場でCFと比較される「見立て」について、「『見立て』は説明として患者に伝えられる。それが受け入れられないときは、それが抵抗とみなされて対応される(土居, 1977)」とある。同じく本書の終章にも、チーム医療の中で心理職の介入や支援は記載されていても、介入や支援の根拠は多職種に伝わっていない、と記載がある。精神療法・心理療法の一部には「正義は我にあり」のように捉えられかねないだろう。・・・・