2024年12月の読書メーター 読んだ本:37冊 読んだページ数:8220ページ ナイス数:1405ナイス ★先月に読んだ本一覧→ https://bookmeter.com/users/142256/summary/monthly/2024/12 うちAidibleで10冊。歩きながら本を読めるところがグッジョブ!読メの芥川賞と直木賞の予想に応募したら、両賞的中(実は7月も両賞的中)、しかも『DTOPIA』(安堂ホセ)の【投票予想した方からのコメント】に採用されてた。1000円分のコイン貰えるのが嬉しい
1990年発行の単行本(文藝春秋)では短編4編だったが、映画化に合せた文庫本は全3編。いずれも多摩地域の昭和末の立川市周辺の光景や出来事が書かれていて、その時代を知る者には懐かしさを覚える本だった。著者の河林さんは福島県いわき市生れ、昭島市、立川市で育ち、本書を書いた当時は立川市役所職員だった。芥川賞候補に2度なったが、2008年没。『渇水』でS市の水源は地下150mの地下水で、水道水が美味しいと書かれているが、これは昭島市の水道水のことだろう。昭島市は美味しい水を使った町おこしに取り組んでいる
他の人の目がない一人生活なんだから、鼻歌を歌う、猫語で喋ってみる、カバーのように大の字になってみるなど、猫の気持ちは分からないけれども、いわゆる猫のように気ままに暮らしていくこうという呼びかけは楽になる気がした
便利な電気製品はかえって不必要な家事を増やし複雑にしてしまうという指摘は、目から鱗。冷蔵庫や電子レンジがないから作り置きや保存が出来ないので、あり合わせのもので必要なだけ作って食べる。味噌汁と漬物だけなので「ご飯」が美味しく感じる。日常の食卓が「ケ」なので、たまの「ハレ」の外食がより嬉しくなる。「ワンランク上の暮らし」など目指さず、「修道女」のように変化の少ない暮らしで、自分のことは自分で面倒をみて「自分を使い果たして死んでいく」のが目標という。私も万一妻に先立たれても、家事で困らないというのを心がけたい
ヒト特有の悩みの原因は「自分は必ず死ぬということと、その死までの大体の期間を把握している」こと。「国家とか貨幣とか神様とか人権とか、ヒトが大切にしているもの(中略)って、自然界にもともと存在しないものばっかり」。「きっと皆、実は気づいてもいるんですよね。企業も国家も個人も、永遠に”今よりももっと”を達成し続けるなんて、不可能だってこと。そのうえで”今よりももっと”をやめるわけにはいかないということ」。「次世代個体育成のために必要なものはヒトのオス個体そのものではなく精子だけ」という時代が来るかも知れない
本書は尚成とその生殖器のひとり語りで進行していく部分がかなり多いので、朝井さんのエッセイを読んでいるような感覚になることがあるが、その分とても読みやすい。そして尚成がランチにブリテリ定食を食べた後「食後はいつも胃腸の動きが気になっちゃいます」と朝井さんのお得意のネタをきっちり入れ込んである。「どんな方向でも踏み込んだことを他人に訊いたり言ったりしないーーそれが”令和”であり、今のヒトにとっての”多様性”なんですよね」というのは、私も最近よく感じることで、特に注意していることでもある
「けっこん」ぼくはけっこんしたら2かいめをしません したらまたダイヤモンドをあげないといけないから ぼくは一かいめのおよめさんをだいじにします。「でんでんむし」でんでんむしが あめにむかってのぼっていきました。「おとうさん」おとうさんは こめややのに あさパンをたべる。「つり」おとうさんいっつもつりにいっとうのに おかあさんはいちばでさかなこうてくる。「おつきさま」おつきさまはあんなにちいさいのに せかいじゅうにみえる。 ◆子どもたちは本当によく親や大人を観察していることがわかる
読書会で紹介された本。1981年出版。2023年にヨシタケシンスケさんのイラストを入れた本が新刊として出ているようだが、本書の後半では約70ページ程の灰谷健次郎さんとの対談が掲載され、この詩を書いた子どもたちの境遇が赤裸々に語られていて、その生活環境や家族環境を知るとますますこの詩が心に沁みた。なお、鹿島さんが大学を卒業して最初に赴任したのが神戸市の山奥の小学校で、その時同じく山の小学校に灰谷健次郎さんが勤務していて、灰谷さんの家に泊まりに行ったりといった交流があったとのこと
耳で聞くと、医学専門用語で理解不能なものが多く、神の手ぶりが見えてこなかった。テツロウはスピノザの汎神論、決定論的な考え方を持っているようで、「人間に出来ることはほとんどないが、それでも努力をして、どんな時でも希望を忘れないこと」、「人々の意志や祈りや願いでは世界は変えられない。そのことは絶望ではない、希望なのだ」のようなことを甥に語る。テツロウが研修に来ているミナミ先生に医者としての気構えのようなことを語るシーンが最後の方にあるが、医療関係に従事する読者の方がどう感じるか聞いてみたいような気がした
マカロニ マカロンさん、ナイスありがとうございました。小林書店は惜しまれながらの閉店でしたね。新聞のコラムで紹介された小林由美子さんが紹介する本は幾冊か読みましたが、どれも心に残るものばかりでしたよ。
Audibleで聴いた。「相手の同意のない凹凸は絶対ダメ」を強調したかったのか?とは思ったのだが、もちろんそれは当然のことだが、私が小川さんの小説に期待する方向ではなかったな?と思った。中学生の時に仲良くなる「ミフネ」(美船?)と交わされる「そうか自分はつらかったのか?」、「なかったことにはしたくないよ」や、リムジンの「料理って、自分の身体の一部を相手に食べさせるようなもんだから」というのは心に残る言葉だった。リムジンの作る料理はどれも美味しそうだった
この本をAudibleで聴くのと並行して『犬のかたちをしているもの』(高瀬隼子)を読んでいたら、同書の「間橋」と本作の「小鳥」がセックス恐怖症でキャラが被って、話が混線しそうになった。最近の小説はこういう展開をするケースが多くなってきているが、そうなってくると、アメリカのトランプ政権で「DEI」を見直す(廃止、縮小)といった風潮(多数派への逆差別だという主張)に繋がりやすいのだろうか?
この本を読んでいるときに、並行でAudibleで『小鳥とリムジン』(小川糸)を聴いていた。「小鳥」は子どもの頃、母親がセックス依存症で相手の男に性的暴行をされそうになって、性行為に恐怖症があるという設定で、本作の間橋に重なる部分が多くて、ストーリーが混線しそうになった。本作の出だしの1ページはかなりのインパクトだった。恋人とかつて飼っていた犬を同列に思うというのは男からするとショック。先輩の赤ん坊を「かわいいけど、子どもより犬の方がかわいい」とメールを送ったら関係は崩壊するだろうが、間橋は結構好きなキャラ
本作はチヤの語りで進行するが、チヤが家庭を守り、棟方はマッチ作りの内職は止め板画一本で稼ぐという分業体制になって、1936年(33歳)で『大和し美し』(やまとしうるわし)を民藝運動の柳宗悦先生に認められる。その後はトントン拍子に出世していくが、戦争で代々木の自宅の板木が全て焼けてしまう。また目も失明の危機にあり「手を目にする」と決意、棟方が太陽なら、チヤが「向日葵」とナイスな夫婦だった。棟方作品をほとんど見たことがなく、良い入門書になった。図書館で棟方画集を借りて見たら、すごく魅力的な作品に感嘆した
原田さんの作風は虚実をかなり大胆に織り交ぜる方なので、戦前に『向日葵』が日本にあって、それを棟方が見に行こうとした日に、チヤが「コドモビョウキスグカエレ」の電報を送ったのもフィクションかと思ったら、本当に「芦屋のひまわり」と呼ばれる絵があったとのこと。広島に原爆が投下された日に神戸空襲で「芦屋のひまわり」も焼失してしまった。現在は徳島県の「大塚国際美術館」に「芦屋のひまわり」が原寸大の陶板画で再現されて展示されているとのこと。見に行きたい!
図書館分館司書の若い女性が本を貸し出すときにノートに書名などを記入しているところを読むと、この作品は日本の多くの図書館が「ニューアーク式」を採用していた昭和40年代の話だろうと推定することができる。また、青空薬局に「虫下し」を買いに来るお客がいたが、その点からいってもおそらく昭和40年代の前半ぐらいではないかと思う(回虫を腸内で飼っている人がかなり多くいた昭和30年代はまだ図書館が身近にある時代ではなかった)
哲学者の中島義道さんが「望んでもいないのに勝手にこの世に生れさせられて、しかもすぐに死んでしまう」ということを書いていたが、自分で望んで生まれてきた子どもはいないわけで、不妊治療をしてでも産むのなら、責任をもって愛情を注ぎ育てるべきだと思う。また、この本の中に書かれていた混雑した駅や電車内での「抱っこひものバックル外し」という事件は全く聞いたことがなかったが、自分より弱そうな女性を選んで行うとても卑劣な犯罪だと思う
本選で弾かれるプロコのPf協奏曲が、本ではマサルが「3番」、亜夜が「2番」だが、映画では逆になっていた。亜夜がフィナーレを飾る曲にはやはり華やかで力強い「3番」の方がふさわしいと入れ替えたのだろうか
ヤマビルを専門に研究する人は日本にはいないため、俗説が多いが、子どもたちは日夜熱心に研究し、山でヤマビルの数を数え、ときに自らの血を吸わせて育て、産卵孵化させ、メスで解剖し吸った血の流れを調べるなど…ヤマビルの能力や定説を覆すような発見を次々と発表してきた。ヤマビルは二酸化炭素濃度と温度に反応し、皮膚の血を吸いやすいスポットを念入りに探してから吸血するが、ヒルジンという血を固めない成分を出す。蚊などとは異なり、かゆみや病原菌やウイルスを媒介することはない。鹿と雨水の流れに乗ってヤマビルは生息域を広げている
この本は写真満載だが、白黒のためヤマビルが認識しにくい。尤もカラーで見せられても気持ち悪いかもしれないが。また各ページ下にヒルのパラパラ漫画が印刷されており、キモカワなヒルが動き回るというあまり嬉しくないサービスもついている。なお、川釣りの餌にヒルを使うと良く魚が釣れ、しかもヒルは傷まないので餌を付け替えずに長く釣れるという。また、山歩きの時はパンティストッキングを穿いていくと、細かい網目があるためヒルが吸い付くことが出来ないので、効果がある。但し腰のゴムのところから入り込んでくるのでそこは注意
小泉さんが声色を使い分けて、穏やかに進行していく。楽譜捜しのミステリと言っても大きな事件が起きるわけでもなく、ヴィヴァルディ死後、彼の音楽が流行遅れになり、演奏機会が減り、ヴィヴァルディの妹たちや教え子たちがそれを惜しむと言うのが主題。「先生の音楽はたとえいっときそのような扱い(演奏されなくなる)を受けたとしても、必ず蘇ってきますから」と言うパオリーナさんに、「その通りです、230年後に東洋の片隅の島国でヴィヴァルディ先生の音楽は大ブームになりますよ」と教えてあげたい。楽器の演奏も聞こえ心地よい時間だった
UNICEF親善大使としてリベリア、アフガニスタンを訪れたことが掲載されている。リベリア内戦の少年兵を見た時、戦争中自由が丘駅に出征する兵隊さんを見送りに行くとスルメが一本もらえるので、黒柳さんはスルメほしさに「何も考えずに旗を振って見送った私を、私は許せないでいる(何人が生きて帰ってこられたのか?中略)どんなことがあっても、子どもを戦争にまきこんではいけない」と書いている。2001年のアフガニスタンもタリバンによる女子教育への抑圧が書かれているが、いまは更に厳しい状況になっているようで、心が痛む
テレビ放送開始当時はビデオテープなどない時代なので、全て生放送。今となっては笑い話のような、信じられない放送事故なども発生している。また、画像も粗くて、黒柳さんが初めてテレビ画面に映った番組をご両親が「テレビジョンあり」という喫茶店で見ていたら、徹子さんが「どうして、あなた、狐のお面、かぶって出たの?」と聞かれたとのこと。黒柳さんは本書によれば、3回のお見合いをしているそうで、3人目とは結婚を承諾したのに、一度も恋愛をせずに結婚するのは止めようと断った。既にコートを3枚買ってくれていた母は結婚詐欺と呼んだ
この本の前に『チョッちゃんが行くわよ』(1984)を書いて、『トットちゃん』人気もあり、87年にNHK朝ドラ可されたらしい。本書は『トットちゃん』に書かれている時期は外して、その前後と、1983年に夫が亡くなった後の「未望人」生活を書いたエッセイ集。『トットちゃん』との差異が幾つか見られる。母娘でチンドン屋さんファンだったが尋常小学校は退学させられたわけではなさそう、縁日の露店で黄色いひよこは買わず、家の裏のおばあさんに健康なひよこをもらい、3、4ヶ月育てたら、可愛いという大きさでなくなって返したという
トットちゃんのパパの黒柳守綱さんは新交響楽団(現NHK交響楽団)のコンサートマスター、ママの朝(チョウ)さんも音大声楽科中退らしいが、その後のエッセイが、NHKの朝ドラになっているらしい。黒柳さんのクラスメイトも裕福な家庭が多いので、学校自体も庶民的な感覚ではなかったのだろう。洗足池と九品仏は行ったことがないので、歩いてみたいし、東急大井町線の自由が丘駅から緑が丘駅につく前にある電車がキキィーと傾く大きいカーブも体験してみたい
漱石先生の『行人』に「厭に拗ねた花の様や葉の形」と書かれた「朝貌(朝顔)」は大正期には流行したが栽培の難しさから現在では廃れてしまった品種とのこと。塚谷さんは志賀直哉先生など近代の作家は植物に詳しい人が多いが、現代の作家の小説には「植物相の豊かなものは見当たらないようだ」、村上春樹作品には「植物はめったに出てこない」し、植物描写が「不正確あるいは間違っている」作品も多い。古井由吉、梨木香歩さんは数少ない例外だという。つい最近まで腸チフスは結核と並んで多くの作家の脳裏を離れない恐ろしい病気だったとのこと
読書会で前述の『愛なき世界』(三浦しをん)が紹介された。この本について三浦さんのインタビュー記事を調べていたら、塚谷裕一教授に行き着き、タイトルに惹かれて読んでみたら、とても興味深い一冊だった。これがあるから読書会は楽しいと感じた本だった
本書では勝間和代さん、堀江貴文さん、橋下徹さん、中田敦彦さんらを例に挙げて、ファスト教養の流れと受け入れられ方、その功罪についての評価を述べている。そのために著者のレジーさんは本、雑誌、SNSなどから相当数の記事をこの本に引用している。広い知識を身につけて、人と話を合わせるために古典から現代物まで、好き嫌いを言わずあらゆる本(ビジネス本だけではなく小説なども)を読むというのは、良いことのようにも聞こえるが、そこには読書の楽しみと感動はないのではないか?と言いつつ、1.2倍速のAudibleで本書を読んだ
映画『花束みたいな恋をした』(土井裕泰監督2021年)の中で、本や映画、お笑いなど趣味がぴったり一致した麦(菅田将暉)と絹(有村架純)が同棲するうちに、親からの援助が打ち切られ、イラスト下請けでは暮らせなくなり麦が営業社員に就職してビジネス書ばかり読んでいるところに、絹が「これ良かったから(出張に)一緒に持ってったら」と手渡したのがこの本。麦は読むことなく車のトランクに放り込まれたまま。離婚が市瀬にとって大きな陰を落としているところが、暗示的なのだろうか?この時期の麦が読みたくなる本でないことは確かだ
読書のジャンルは文芸小説からライトノベル、実用書、歴史経済、明治大正期の小説(特に樋口一葉、森鷗外)など読み散らしています
基本は、「人が3人以上死ぬ(殺される)小説は読まない」ことにしていますが、知らずに読み始めると、時として‥…(/ω\)
よって、ダークヒーローもの、クライムノベル、ハードボイルド、一部のミステリー小説、戦争小説などのジャンルはあまり読んでいません
読んだ本が映画化されることも多く、映画も良く見ています
本は基本的には、図書館で借りて読みます
地元(多摩地区)で3つの読書会を開催しています
(テーマ本形式が一つ、自由持ち込み紹介形式が二つ)
その他の読書会も含めて、月平均7つ~8つの読書会に参加しています
思いもよらぬ本が紹介され、図書館予約してと、読書会関連の本が半分以上を占めるようになっています
また、最近Audibleで散歩途中に読書する楽しみも増えました
※雑誌、読み聞かせの選定用に読んだ絵本で不採用の本、コミック本は原則的には登録していませんが、読書会やその他の参考資料として使えそうな本は、記録のために読んだ本に登録しています
「個人の感想」の分類
※あくまでも個人の感想であり、多くの方が(世間的に、一般的に)評価されている作品でも、自分に合わないという場合も多々あります。そしてその原因は私自身の読解力が不足しているために、著者の意図をくみ取れてないことに起因すると思っています。A~Cの評価は、自分がその本を読み解けたかどうかの自己評価でもあります。本の価値を採点して、他の方の参考に供しようとなどという大それた意味ではありません※
😍Aランク:自分の中では感銘を受けた。個人的にとても好き
😊B+:読んで良かったと、読書体験の喜びを感じた本
😃B:なるほどと思う部分があった
😢B-:読む価値が少なかった。興味や共感が自分には限定的だった。(あくまでも「個人の感想」です)
😒Cランク:共感できなかった(読んでも害はないけど、得もしないので、どうせなら他の本を読んだほうが良かったかな?というレベル・・・あくまでも「個人の感想」です)
😜Zランク:焚書レベル(時間の無駄、百害あって一利なし・・・同上)
---------------------
『散歩と喫茶店が好き』コミュニティの中で、『聖地巡礼』のトピックを作って、歩く会の企画をしております
春~初夏、秋~初冬(猛暑、厳冬の時期は避けて)の年6回程度、土曜日に、歩数1万歩以内で、本や映画にゆかりのある場所を散歩いたします
参加費無料ですので、上記コミュニティの『聖地巡礼』トピックをご覧ください
https://bookmeter.com/communities/334038/topics/20958
---------------------
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます
哲学者の中島義道さんが「望んでもいないのに勝手にこの世に生れさせられて、しかもすぐに死んでしまう」ということを書いていたが、自分で望んで生まれてきた子どもはいないわけで、不妊治療をしてでも産むのなら、責任をもって愛情を注ぎ育てるべきだと思う。また、この本の中に書かれていた混雑した駅や電車内での「抱っこひものバックル外し」という事件は全く聞いたことがなかったが、自分より弱そうな女性を選んで行うとても卑劣な犯罪だと思う