わたしと区別した思考法(罪と放埒への鍵)、仕事や学問であれ、そうだ。
Aを思考する、ただしわたしは透明だ
透明だから、内奥が痛まない、これほどの無関心と罪があるだろうか
真理とは、わが願いとはさかさまに私が飲み干すべき、生の苦々しさなくば、だから、先程の透明にする鍵は、あらゆる悪への、扉の鍵なのだ。だから堕するのである、あらゆることを、自らの中に見出さなければならない。
ことごとく、あらゆる事は、私と関係のある愛の方程式なのだ
苦々しさがあるから、崇高と清らかさに嗚咽する、哭くから、有限が削られてゆくに違いない。
私など、真っ二つになってしまえよ!
痛み、悼み、歌となる‥
わが、うちなる神の詩の情が、現存を欲する。
慰めなく、
神が、私をしりえに遠ざけよ、
私なく神が、(Marcelino, Pan y Vino‥)に語りかけたように、宇宙の外の、私の全く想像できない、謎を呼び覚まし、涙を、歓びに変容し、
輝く、歌へ、連れ去りなさい
その誕生日に、広がれよ、
奇跡と奇譚。光の花冠。
神は、この宇宙から限りなく遠ざかってる。
神は、私利私欲なくば、幽体として浮き出てくる、
神とは、名指すことのない宇宙であり、
宇宙と、一つの身体になり給ふ、直系先祖であり、尊敬する人であり、愛する人であり、人類の夢であり、そは命の大本に繋がりたまふ
まさにこの宇宙の只中にいるからこそ、(ホスティアは真理だ、なぜなら、低劣な、肉体は、何一つ真理を感じ取れないにもかかわらず、神がおわすからからだ)
靄の中だ。だが有史以来のフランスも、桜が咲く無頼の、人斬りの世も、見方が違えば、靄の奥にある、だが、私たちの世を靄が、遍満している。
生ことが、あらゆる重力の中心として蟻聚せよ、重力は紅蓮にならば。
しからば宇宙は、わが悲嘆を無限に超越するから、ならば死とは、厳密に、あらゆる重力の、対となる、あらゆる上昇の、軽やかな、煌めく、光であろう、
おお、重力が、紅蓮を‥
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