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2024年11月の読書メーターまとめ

袖崎いたる
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感想・レビュー
25
ナイス
151ナイス

2024年11月に読んだ本
25

2024年11月にナイスが最も多かった感想・レビュー

袖崎いたる
岡田斗司夫のYoutube動画で取り上げられているのを見た。その前には書店で平積まれているのを見た。スマホが人生にとってヤバいってのは、まぁ、実感的にわかっていたことではあるが、こうして研究結果まとめられた上で示されてみると、エグいものがある。…が、それは置いといて興味深いのは、私たち人間の幸福を語る文の主語が「脳」として表されているのは不思議だ。たしかに脳は私たちの福祉生活のメタな次元に君臨するものとして構想されてはいるものの、ここには躓いておきたい。そうしてみると本書は人語ならぬ「脳語」文体イデオロギ
が「ナイス!」と言っています。

2024年11月の感想・レビュー一覧
25

袖崎いたる
ニカクってやつに焦点の当たった話づくりが展開している。田口からバトン交代した形である。諸方で因縁渦巻いており、カイという知将もテッポー持ってFPSが得意だと息巻いているので、おそらく次の巻では活躍するのだろう。なお、近々人が死ぬことはほぼ確実となっている。斬人5代目総長のことは死んでとーぜんみたいなノリもあるのだが、現総長はそのことに対してよく思っていないことは見え見えなので、6代目との諍いは激戦必至。おもしろいのは心情的に6代目に寄って行ってしまってること。ただし、カイはキャラとしては信用おけない。
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袖崎いたる
特攻隊長が跋扈している。それと過去の因縁が明らかになってきおる
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袖崎いたる
戦いは過酷さを増してゆく
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袖崎いたる
田口ってやつがいる。自称他称とも悪党。そいつがおもろいこと言ってる。「不良オレラァ相手ェビビらせてナンボだ‼︎二度とコイツに関わりたくねェって思わせたモン勝ちだ‼︎格好付けててもロクデナシのクソなんだよ‼︎実社会じゃ底辺過ぎて評価されねェゴミクズがそれでも威張って生きてェから虚勢張ってんだろがよ‼︎他人を苦しめる罪悪感も自己嫌悪も不良オレラの世界じゃ基本オプションなんだよ‼︎」p116─これを、後輩の生半可な喧嘩しかできねェやつに対して言ってる。このセリフを言わしめる不良の立ち位置たるや胸に来るものがある
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袖崎いたる
岡田斗司夫の動画でたしか紹介されていたんだっけな。読んだ。考古学の成果や前世紀の新興宗教界隈の出来事も紹介されていておもしろい。ドラッグやカルトのくだり良かったねぇ。心理学を足場にして宗教を眺めている著者の視点から照明されて興味深かったのは儀式の重要さ。エンドルフィンといった脳内物質への着目は説得力としては科学的だったがそこはふーんって感じ。でもそれが分泌される技法として儀式をまなざすと、孔子的な〈礼〉の概念もバカにならんなぁと感心したね。現代日本人の宗教観についての記述は知識に偏りがあると感じる。
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袖崎いたる
今は亡き5代目総長のことが徐々に明かされていくの巻。現総長・丹沢は愛嬌あるものの不気味で、6代目は頼もしくあるもののやはり不気味。我らが主人公の更生は危ぶまれるばかりのなか、筋トレは欠かさない。この巻でおもろかったのは5代目が7代目に対して話してたっちゅー、人間哲学。人間の自然は当人でも他人でもどうしようもない部分のことだ、って話。アリストテレスやパスカルやの「習慣は第二の自然である」を思い出しつつ、その習慣を決定させる力としての第1.5の自然のようなものを想像した。じっさいそういうのに納得する向きはある
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袖崎いたる
計画する、予測すること。ジャック・アタリはそれをやれと言い、自分はそれをしてきたのだと説く。その成果は彼自身の成功によって保証されている。自分自身になれというのは計画で、自己を予測するのは物語だというアイデアがこの本のテーマである。著者の人類の文明の発展つまりはテクノロジーへのまなざしは悲観的で、その悲観論に抗うために彼の予測論というか計画論は意味を持つ。彼の悲観はそこに自由はあるのかと問うものであり、東浩紀が『訂正可能性の哲学』で警鐘していたのと重なる。自由の実現のために計画せよ。これを腑に落とすこと。
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袖崎いたる
井口達也のオラつきが弱まっている。理由は何百人単位での族の抗争のなかなか際どい位置に置かれたため。ちゅーても当人はビビってんの?と問われりゃナメられたら終わり原理により、ビビってねーよ!とブン殴っていくのだろうが。1巻の冒頭で見せた喧嘩するのに妙に冷静でそれでいて昂揚してるなんていうファイティングスピリットはなりを顰めているのは、確か。この巻での彼の微妙な立ち位置ってやつはキリキリと胃を締めつけることそーゆープレイの如しってレベルである。読者としても井口達也のクールなところを見たい反面、いや〜ムリやろと。
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袖崎いたる
突然ヤンキーや不良なる存在について気に掛かり始めたわたくし。っつーのも不良漫画を読んだのがキッカケなんだが。そんな俺が本書を書店でみっけたっつーのはもはや運命なわけで。おもしろかったのはここらへん。「作業工程の流れを見ながら、黙々と作業する者は尊敬された」(p105)「時計みずに働け。時間の話はするな」 「作業時間を気にしなくなるには、延々とつらい作業が続く状況を徹底的に経験するしかない。」(p106)ここいらを大切視しているのは不良というより建設現場作業員の周辺ではあるが、感覚的には不良のそれと通じてる
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袖崎いたる
松戸駅…だよな? まあええや、斬人のなかでの内紛が起こったり、外からは少年院から先代総長組が出てきたりしておる。んで幹部の一人がお別れの運び。現総長のあっちゃんの強さやヤバさも垣間見えみえするような形やった。井口も巻き込まれてあわや敗北の大喧嘩を立ち回ることとなったもののかろうじて勝つ。そのうち井口の故郷から仲間でもやって来るんちゃうかなぁという展開も、それが安易なだけに期待してるんだけど、今のところその気配はない。井口が弦巻って斬人の6代目総長と出くわしたところで終わってるが、、部外者の立ち位置うまいね
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袖崎いたる
珍しく哲学者が人生論をやってる本。こんな本があったとは知らなんだ。いや、知っていたとしても手に取らなかったやろうな。今なら読むけど、ってところを思うに、歳をとったねぇ、俺も。とはいえ哲学的である。キェルケゴールリスペクトな論調にはウィトゲンシュタインやニーチェなどの顔が浮かび、そこで説かれるのは自分時間を生きること。あるいはそれってのは理性的客観的に把握するそのやりかたは成功しないのだよって話とか。レイモンド・チャンドラーを引いての人生への態度についての教えとかクール。これ3.11の翌月に出たのすごいよね
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袖崎いたる
まー、一難去って何とやら。アウトローの漫画、不良漫画を読んでいて気になるのは、法を破るその意識にその法はどう映っているのかってこと。それはこの漫画にもあって、不良はそれができなくて、だからこそ不器用で、んで、だからこそ世の中のルールではない形での自分なりのルールを設けてそれにいかに誠実であるのかを大切視する。世の中から守られない自分を自覚するにつけ、ナメられることに警戒心を強める。それが下らないプライドだと知りながら。しかし下らないことであるからこそ、自分の底打ちそのものであり、だからこそ譲れないのだろう
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袖崎いたる
殴り合いの喧嘩は小学生の頃までだったっけな。中学でも闘いはあったし、高校でもあったけど、それでもそんなんじゃない。殴り合いのってほどじゃない。この巻は全体的に殴り合いをやって抗争篇に終止符が打たれるんだけど、喧嘩も気をつけるべきことがあったんだなぁって、当事者として現役張ってる人からすりゃあ当たり前なのかもしれないけど、思ったな。そんで、不良ってのは遵法意識を守らない能力の高さが高いのかもなぁってことも思ったな。それは現代人がショート動画に慣れて集中力がないのが、集中力がない能力の高さと見れるみたいな話。
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袖崎いたる
この巻のハイライトはねぇ、友達とは何かってのを自問するくだりやな。いろいろうだうだ考えちゃってるんだけど、それをキレイ事だっつって吹っ切るところ、これがピカイチ。そこで出された結論はダチがやられたら俺がやられたも同然、だから喧嘩するしかない、これは俺自身の喧嘩だ。──おもろいのはその直後に悪玉がこんなこと言ってる。「クソ頭の悪りィ不良漫画みてェな台詞だよなァ‼︎?」。でもこのアンチは負ける。なぜなら先の思想を護らないといけないから。この護教精神がカレラ=OUT自身を規定する、〈自由〉の正体なのだから。
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袖崎いたる
このあたりからOUTの業界(?)の物の感じかたが出てきていて読み応えがある。井口達也が「ナメられたまま生きていくのは…無理だ…」と言う、その直後のコマでそれぞれのヤンキーたちの顔が描かれるのが、そのセリフが彼らにとって真に迫ったセンスであることの証拠なんやろうなと読んでいる俺としては思った。プライド、メンツ、誠意。俺が働いている業界にもあるよ、そういうの。つまりこれは半グレとかヤンキーとか、そういう界隈でだけの原理なわけじゃないんだろうな。でもとりわけ暴力の語法が行き渡るカレラにあってこそ強調されている。
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袖崎いたる
巻末でこの作品の主人公のモデルとなっている井口氏が自分自身を振り返っているくだりがある。それを読むと、ガチでケンカ好きな人間、たとえばオラついたヤンキーが「テメェなにガン飛ばしてんだコラ」と凄んでバチバチと火花を散らしケンカに発展させる類いのやりとりをおのずと始めちまう、そんな人間が、とりわけ少年院から出た直後にケンカふっかけられたときに感じるその感覚のことが語られていて、それがなんとも好戦的だもんだから、えらく感心した。ケンカに発展しそうなのが嬉しくなって、そんで冷静になってもいく。その感覚オモレェな。
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袖崎いたる
檜垣氏の鬱々とした大学院時代の気配が、賭博と偶然を哲学するための材料として挙げられた競馬の話題のなかに、かもされている。競馬の予想にタカモト式なる流派があるようで、それは陰謀論的に全てのゲームの結果はJRAが知っているという想定のもとに予想していくらしく、それはライプニッツ的な神の意思を見定める視線と重ねられており、ウケる。とうぜん九鬼周造が出てきて、最後はドストエフスキー。今を生きることのうちにある賭博性と偶然性とを照明しつつ、賭けごととしての今生きへと視線誘導する。序論の、賭博と決断の話が刺さったな。
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袖崎いたる
プンプンという鳥みたいなカーテンかぶったおばけみたいなイメージで描かれる主人公がまず変だし、その周りでんちゃんちゃやってる人々もみんな、なーんか、変。教頭先生とか担任の先生とか、どんな人間や!って感じ。主人公のビジュアルで思い出すのは吾妻ひでおの漫画。あれはあれで漫画風なビジュアルなんだけど、起こる出来事はコミカルじゃないシビアな事柄でさ、エゲツないんだけど、この漫画もあんがいエゲツない。それめちゃくちゃツラいやろってことがポンポン出てくる。それに関してはなんならむっちゃ怖いくらいなんだが、プンプンなのだ
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袖崎いたる
なんとなく読み始めてみたところ、ページを進める手が止まらなくなった類いのヤンキー漫画。狛江の狂犬が年少に入って出てきて千葉県に島流れの刑。そこで出逢うヤンキーども。すっかり忘れていたけど、ヤンキーや暴走族もその生きかたたるや相当に興味深い。法外な生きかたを選んでこそ味わいうる安堵があるとすれば、それはどのようなものなのか。そこに興味があるよ。しかしその法外には弱肉強食の強烈なタテ社会意識が貫通しているわけで、『闇金ウシジマくん』を見ていても思ったけどそれって生きづらいんじゃねーのかと思ったが、どうなんやろ
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袖崎いたる
相変わらず情報量の多い。登場人物とシチュエーション、エピソードが多いため、場面は転々と変わるがどれも面白いので気がとられる。その〈気のとられ〉に時を委ねているとあっという間に終わる。続きが気になる。ヒソカが出てきた!カッコよすぎて鼻血噴くわ。旅団の過去が語られていて、クロロの仲間がバラされたくだりがあるんだけど、そこの描写が印象的やった。瓦礫の街で夢見る頃。クラピカは出番少なかったな。旅団の戦闘センスはエゲツないね。どんな巧妙な戦略張られててもどーにかなると思ってる大胆不敵な感じ。みんなカッコよすぎる。
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袖崎いたる
岡田斗司夫のYoutube動画で取り上げられているのを見た。その前には書店で平積まれているのを見た。スマホが人生にとってヤバいってのは、まぁ、実感的にわかっていたことではあるが、こうして研究結果まとめられた上で示されてみると、エグいものがある。…が、それは置いといて興味深いのは、私たち人間の幸福を語る文の主語が「脳」として表されているのは不思議だ。たしかに脳は私たちの福祉生活のメタな次元に君臨するものとして構想されてはいるものの、ここには躓いておきたい。そうしてみると本書は人語ならぬ「脳語」文体イデオロギ
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袖崎いたる
なんとなーく敬遠していたのはなんでだろう。おもしろかった。触発してくれるところのよき文章である。今回の腹話術人形は猫のペネトレ。こやつは永井均の講ずる猫ちゃんのなかでは愛嬌のあるやつ。言っていることは真真真で、善善善に生きるにゃどんなふうに?な問いかけを投げかけてくれる。冒頭からぶん投げてくれる教えというか誘惑がまたよくて、人生は遊びやで?ってメッセージをくれるのよな。全体で言ったら前に永井がどっかの本で書いてたみたいな、俗物的に生きるための啓発本のような感じなのかねぇ。洗練された趣味を持てとかそんな感じ
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袖崎いたる
哲学史に関する本をよっしゃーインストールしたるどーって勢いで読み始めてガス欠して本を閉じるのを何冊かやると、だいたいその打ち止め箇所は古代ギリシアでございますなのだが、つまりこれまでそんなにノれる感じしないまま古代ギリシア哲学を眺めていたのだが、最近は心変わりしてる。この本もそうだが、かなり楽しく読めた。この著者、淡野さんの文章がいいんだと思う。問題視の順序を丁寧に追いかけてってくれるので、入門としてかなり味が良いし、その味も深い。佐藤優の推しというところで耳にしたが、かなり良かった。語り方って大事やな。
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袖崎いたる
所収の一つ、タイムループの話、これ確か2011年だか2012年だかに出た浅羽通明の『時間ループ物語論』って本で取り上げられていた気がするんだけど、どうだろ? 恒川さんの小説は相変わらず余韻が良い。読んでいるときは読んでいるときで、いわゆるカフカ的と呼びたくなるような、散文的魔力に満ちている。マジックリアリズム的と言っても良いかも。そうした魔術空調が良く効いた小説空間は居心地たるや素晴らしいものがある一方、それを牢獄と呼んでも差し支えのない、そんな時間芸術作品としても数え上げられるんじゃないだろうか。
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袖崎いたる
ベルクソン関連の本は初めて読む。そして驚かされた。すっごくおもしろかった。あとがきを抜きにしたとても研究者としたの著者の姿が感じられる、そんな躍動感のあるスタイルで、学問書でありながらちょっとしたエンタメ感さえある。千葉雅也がたしかこの本からリズムのアイデアをもらって『センスの哲学』で使っていたっけ。そこもおもしろかったがそれにも増してベルクソンの哲学が楽しい。記憶の、過去の、多元的な時間スケールの潰れとして人格は成立していること、空間化された時間イメージの批判、そして実現される自由=創造性の姿。傑作だ。
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ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2015/02/23(3587日経過)
記録初日
2015/02/23(3587日経過)
読んだ本
3632冊(1日平均1.01冊)
読んだページ
789512ページ(1日平均220ページ)
感想・レビュー
3632件(投稿率100.0%)
本棚
109棚
職業
サービス業
URL/ブログ
https://scape-from-library.com/
自己紹介

包容力のある異世界人です。
実年齢は読んでる本の通りです。

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