2023年9月の読書メーター 読んだ本の数:10冊 読んだページ数:3385ページ ナイス数:192ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/703986/summary/monthly/2023/9
追記P173「ここは自分たちの街です」P229「顔も名前も知らなくても同じ消防士の危機を黙って見ているはずがない」P337「お前たちだけが戦っているんじゃない。俺たちのために無事に戻れ」P359「小隊を守れ。消防士は全員がバディだ。バディを救えない奴に消防士の資格はない」P383「消防士は消火と人命救助のため現場に突入するが、そのために自らの命を犠牲にすることは許されない」P402「助け合うんです。自分が助かるために誰かを助けてください」P424「消防士は感謝を求めない。それが彼ら、彼女たちのプライドだ」
追記>「マンボウと同じレベルだと思う。/P22」「水の加減間違えた薄いカルピスみたいな人間/P184」などなど、目を引くのは心理状態などのたとえ方。生活目線というか人目線というか、身近なモノ/コトを上手に使う。レトリックの引き出しの多い作家はホントすごいと思う。
追記2>169ページ。「~役者が見得をきった瞬間に、ずらっと並んだ大入りの客が目を見開いて口をあんぐり開くだろう。それがまるで花が咲いたみてえなのさ。それを見たくて俺は芝居小屋なんて悪所に居座っているんだろうねぇ」。ここの表現、むちゃくちゃ好き。永井氏の取材力か、想像力か、観察眼か。
追記3>83ぺージ。「忠っていう字は心の中って書くでしょう。心の真ん中に溢れるもんを、人に捧げるってことだと思うんで。それは何も阿国領主だけじゃねぇ。手前の目の前にいる数多の目に、芸を通してしっかり捧げる」。なら、「志」はなんだろうか。士(武士)が逃げることなく自分の心を真っすぐに貫いていくことなのかな。そんなことも考えた。
追記2 >「政府は70歳になっても働かせる気か」とかいうのを時々聞くんだけどね。働くだけでなく、歳をとっても社会もしくは誰かに必要とされることが生きるための“しるべ”になる(≒それがないと残りの人生がツライ)ということをここ数年で意識し始めた。自分はどうするかな。というか、どうできるのかな。
追記3>スウェーデンは社会福祉が充実した国というのが一般常識。しかし、この小説で描かれるのは「不要なお世話」を焼き、「個人の自由」ではなく「社会の理想」を目的とした国。その見立てが正しいかどうかは分からないけど、オーヴェはそんな役所に抗い、勝つまで戦った。
追記2>人のアイデンティティっていったい何だろうと思いながら読んでた。同時に頭にあったのはブルハの「青空」。「生まれた所や皮膚は目の色で、いったいこの僕の何がわかるというのだろう」ということ。ユダヤ人である、ただそれだけで罪となった時代、「違う。おれはルーマニア人です」と言い続けても「いやお前はユダヤ人だ」と烙印を押されて、運命が決まる時代ってなんだろね。
追記3>一晩寝かすと新たな感想が浮かんでくるな。文中「技術奴隷」という言葉が出てくる。現代に照らし自分なりに訳すとルール奴隷かな。社会が変化すると単純な取り決めで良かったのに済まなくなる。例えば黙っていても分かり合えていた田舎の共同体に、都会人が移住すると暗黙のルールを万人が分かり合えるようにするために明確にする必要に迫られる。それまであった余白や遊びの部分も埋めないといけない。何事もルールが優先され決定される。そこに個人の都合や気持ちは関係ない。それがルール奴隷。多様性を認め合う社会とはそんな社会かも。
2020.06.20.更新 2020.12.08.追記 2021.01.04.改訂
2022.11.05.更新 2023.08.23.更新 2024.01.15.更新
子育て&会社の経営責任から離れて5年目に入った。
嘱託社員で気楽な身分だったが、そろそろその先のことも考えねば・・・
という時期になってしまった(年金制度ってホント、ややこしいぞ)。
趣味はあいも変わらず、「読書」「山」「セレッソ大阪」。
【読書】
幼いころから本好きで。童話「泣いた赤鬼」はその頃の愛読書。
中学2年の時に友人より大量に譲り受けた星新一で読む楽しさを覚え、
大学に入って生協で本が10%割引で買えることから、さらにどっぷり。
以来、本とともに生きてきた。
読後は次の本に移る前に読書メーターに必ず感想を。
制限文字数255字できっちりと収めることをおのれに科す。
「東京會舘とわたし」部門で
第4回 レビュアー大賞 優秀レビュアー賞をいただきました。
次の機会には最優秀をと思うが、いまだ夢は叶わず。
・・・というか、この催しは終わったのかな。
今年も年間最低100冊をめざす。
【山】
脊柱管狭窄症と椎間板ヘルニアの術後後遺症(左足裏と臀部にシビレ)に
悩まされながらも、山歩きは続行。
2023年の夏に「息子の嫁と一緒に家族4人で北アを登る」夢を
息子がかなえてくれて、燕岳・大天井岳縦走。
また、秋には手術や台風などで4度予定をキャンセルした
折立から黒部五郎岳→双六岳→新穂高温泉を実現。
ただ足が辛かった。いつまで登れるか・・・と思いつつ、
今年も北アルプス、苗場山、八幡平を構想中。
【セレッソ大阪】
始まりは、2002年のW杯。
ダフ屋から10万円で買ったチケットを手にスタジアムで見た
チュニジア戦でのモリシのゴール。
そこからが自分のセレッソサポーター史スタート。
居場所はメインスタンド中央より北。
2023年は優勝できる戦力だったのに、失速。
3つ目の星は生きている間に拝めるか。
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追記2>169ページ。「~役者が見得をきった瞬間に、ずらっと並んだ大入りの客が目を見開いて口をあんぐり開くだろう。それがまるで花が咲いたみてえなのさ。それを見たくて俺は芝居小屋なんて悪所に居座っているんだろうねぇ」。ここの表現、むちゃくちゃ好き。永井氏の取材力か、想像力か、観察眼か。
追記3>83ぺージ。「忠っていう字は心の中って書くでしょう。心の真ん中に溢れるもんを、人に捧げるってことだと思うんで。それは何も阿国領主だけじゃねぇ。手前の目の前にいる数多の目に、芸を通してしっかり捧げる」。なら、「志」はなんだろうか。士(武士)が逃げることなく自分の心を真っすぐに貫いていくことなのかな。そんなことも考えた。