形式:新書
出版社:中央公論新社
身内や部下を情け容赦なく粛清する冷酷さを持つ一方、政治家としての才覚に優れ強固な政権を残すことができた。と雑なまとめ方をしてしまうと、頼朝も朱元璋もスターリンもほとんど見分けがつかなくなる。頼朝が20世紀に生きていたら、周囲に及ぼす害悪は大変なものになっていたかもしれない。逆に、12世紀の統治手法を20世紀に持ち込んだのがスターリンという言い方もできそうだ。義経はトロツキーの役どころか。
本書の中では、『平家物語』や『吾妻鏡』を普通に情報源として使う箇所もあれば、「とうてい信じ難い」と切り捨てる箇所もある。この手の記述史料の難しいところだろう(系列としては『甲陽軍鑑』『三河物語』などが近そうだ)。怪しいものは最初から使いません、と禁欲的な態度を貫くのも一つの手だろうが、それだと内容が貧しくなってしまう問題もあるわけで。ただ、各々の部分がなぜ信用できる(できない)のか、ちょっと説明が足りないように感じた。これらの作品に基づく「通説」を批判するのであれば尚更。
→3)依存したのは当然だとする。あの義経を滅亡に追い込んだのは、源平合戦で頼朝の言うことを聞かなかったからでも、安徳を見殺しにしたからでも、後白河による任官を勝手に受けたからでも(以上は通説)ない。頼朝が源氏の家長として亡父の供養式を開催したのに義経が出席しなかったことが契機となった、という。これって全くの新説なんだろうか、驚きである。ひいては義経が後白河と組んで、頼朝軍とは別の軍を組織するのを防ぐためということが、根底にはあるのだろうが、要するに、親族ネットワーク=家の論理というわけだ。なかなか↓
→4)面白かった。しかし、、■本書を読んでいて、マヤ文明のあの驚異の魅惑的な文明の神秘が、発掘調査によってベールが脱がされ、都市国家の王家の戦争の歴史であったことを知った時の幻滅を思い出してしまった。本書の描く歴史は、細部を積み重ねることで、説得力がある。しかしロマンがないなあ。理想をもって歴史を動かすというロマンが歴史を誤らせる、ということはわかっているつもりなのではあるが、寂しい感じも拭えない。
頼朝の下に集まった武士は、重代相伝の主従関係のある武士では無い。本領安堵(味方と認定して攻撃対象外とする)新恩給与(敵から没収した所領を恩賞として戦功者に与える)の関係だ。平清盛が亡くなり、後白河院政が復活した。頼朝は後白河に和平提案をした。木曾義仲が挙兵し、甲斐源氏と入京する。頼朝との連携はない。平家は太宰府を目指し都落ちした。後白河が逃げたので平家は朝敵になった。後鳥羽が安徳に代わり天皇になる。だが京都は大飢饉で戦は進まない。院との関係が悪くなった義仲は西海の平氏追討、法王拉致に失敗して討ち死にした。
範頼・義経が頼朝軍を入京させた。頼朝は東北の押さえで鎌倉に残った。頼朝軍は一ノ谷の戦で勝つ。だが兵糧問題で進めない。範頼は山陽道を進撃する。義経は京で待機。1185年2月になり義経は阿波に渡り屋島を襲撃し、3月に平家を壇ノ浦で滅ぼした。吾妻鏡によると義経は鎌倉に入れなかったが、事実は頼朝と会っている。後白河が義経を京に置きたく検非違使留任させたことで兄弟が決裂となる。唯一の官軍を目指した頼朝にとり、第2の官軍は入らない。同じ理由で奥羽藤原を滅ぼし、1190年に上洛した。平時は官位を使い主従関係を維持した。
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身内や部下を情け容赦なく粛清する冷酷さを持つ一方、政治家としての才覚に優れ強固な政権を残すことができた。と雑なまとめ方をしてしまうと、頼朝も朱元璋もスターリンもほとんど見分けがつかなくなる。頼朝が20世紀に生きていたら、周囲に及ぼす害悪は大変なものになっていたかもしれない。逆に、12世紀の統治手法を20世紀に持ち込んだのがスターリンという言い方もできそうだ。義経はトロツキーの役どころか。
本書の中では、『平家物語』や『吾妻鏡』を普通に情報源として使う箇所もあれば、「とうてい信じ難い」と切り捨てる箇所もある。この手の記述史料の難しいところだろう(系列としては『甲陽軍鑑』『三河物語』などが近そうだ)。怪しいものは最初から使いません、と禁欲的な態度を貫くのも一つの手だろうが、それだと内容が貧しくなってしまう問題もあるわけで。ただ、各々の部分がなぜ信用できる(できない)のか、ちょっと説明が足りないように感じた。これらの作品に基づく「通説」を批判するのであれば尚更。