形式:新書
出版社:集英社
形式:Kindle版
また、デジタル全体主義についての言及がある。私たちは全体主義というのは私的領域に公的なものが侵入するものとしてそれを把握せねばならないということであり、私的な領域にあるはずのものをどんどん進んでネットにアップしていくとしたらそれはデジタル全体主義による私的領域の公的領域化の力に抗えていないと見て良いのだと思う。
ナイスありがとうございます。『失われた時を求めて』がお好きなのですね。私も大好きです。
追加メモ/意識はニューロンの構造だがニューロンの発火ではない。脳の一部である格子状構造から意識は生じるが意識は脳の活動とはなんの関係もない。 ジュリオ・トノーニの書籍も読んでみたい。
クリストフ・コッホの書籍も。
(2)今の日本が安心とはとても言えそうには無い気がする。ドイツと日本という、共にかつて全体主義という失敗を経験した両国の哲学者が、過去の分析だけでなく、現在及び未来への提言として、アクチュアルな哲学を掲げたことに、大いなる意義を感じた。
普遍を見出すのではなく、普遍化する。そこに知の行為が貢献していく。
human co-becoming
科学に対して哲学の優位を堂々唱えるガブリエルは芸術にも一家言アリ。「哲学だけが変容をもたらす唯一の場所なのです。…アートが一九九〇年代にそれをやろうとしたときには…あらゆるところに小さな民主主義があり、残りの歴史は、ポストモダンでカラフルな、巨大パーティになるだろうと考えていた。でも、そうはなりませんでした。ですので、わたしは、アートは解放的な力にはなれないと思っています」。各方面おこ不可避の容赦無さ。
逃れて富を得ることが出来る。お金を自由の行使権だと考えれば人種、国家、性別からも差別されない。アクチュアルな問題を議論するならば、もっと細かく要素に分けて、良い面も確認して認めつつ批判しなければ、全否定を喜ぶ人はルサンチマンで、そこに関わっている大半の読者からすれば全否定では立つ瀬がない。世界は一括りで全体主義と言えるほど単純ではありません。とにかく日本の知識人が戦後ドイツ的なMGを好きなのは分かりました。でもこの道徳臭さは何とかならないのかと思います。対談本とはもっと大らかであるべきではないでしょうか。
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