形式:単行本
出版社:講談社
形式:Kindle版
『演義』と対比しながら述べるスタイルについて。演義が好きな人は楽しめるのだろうが、「三国無双」程度の知識しかない自分としては正直微妙、『演義』の内容を知りたいわけではないし…と初めのうちは思っていた。が、読み進めるうちにこれは『三国志』の受容史であり、終盤に至り『三国志平話』との対比から現代の情勢へと論を繋げる手法に唸ってしまった。なるほど。
卑弥呼の朝貢年について。本書は通説と異なり、正史のいうとおり「景初2年」説を採っており、挙げられた論拠も納得できるものだったと思う。歴史は別に高尚なものではなく、現代の我々が考えるよりもっと即物的で実際的で、生々しいものなんだろうなと感じた。
197頁。三国形成後、魏は中央集権の原則のもと、武将の私兵集団を極力解散させ、中央の軍隊に再編成する一方、軍屯制度の実施によって国家自前の軍隊を持とうとした。これに対して呉は国内の豪族が北方よりも強大で、かつ山越討伐という難問を抱えていたこともあって、配下の各武将の部曲をそのまま追認した。そのため呉の軍隊は私兵集団的な性格が強く、各武将の私兵は父から子へ、また兄から弟へと世襲される傾向があった。呉の政体は表面上は中央集権の官僚制をとりながらも、実態は豪族の連合政権だったのである。
一方、蜀の軍隊は、劉備自身がもともと豪族出身ではなかったうえ、各地を転々と流浪したため、豪族部曲的な性格は薄く、むしろ流民による寄り合い部隊であったといってよい。蜀の現地人の目からみれば、その軍隊はほとんど外人部隊であったろう。蜀の軍隊、ひいてはその政権自体が魏や呉にくらべて脆弱であった理由のひとつはそこにある。
k5さん、上海には三国志の香りは少しでもありましたかな?('ω')ノ
なかったですねー。。。
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『演義』と対比しながら述べるスタイルについて。演義が好きな人は楽しめるのだろうが、「三国無双」程度の知識しかない自分としては正直微妙、『演義』の内容を知りたいわけではないし…と初めのうちは思っていた。が、読み進めるうちにこれは『三国志』の受容史であり、終盤に至り『三国志平話』との対比から現代の情勢へと論を繋げる手法に唸ってしまった。なるほど。
卑弥呼の朝貢年について。本書は通説と異なり、正史のいうとおり「景初2年」説を採っており、挙げられた論拠も納得できるものだったと思う。歴史は別に高尚なものではなく、現代の我々が考えるよりもっと即物的で実際的で、生々しいものなんだろうなと感じた。