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本気の帝国主義批判なのか疑われる、レーニンが触れる例。「日本人がアメリカのフィリピン併合を非難するとしよう。果たして多くの人は「日本人は併合一般を憎悪しているのであって、みずからフィリピンを併合したいという欲求に駆られているわけではない」などと考えるだろうか。まさか、フィリピン併合に対する日本人の「反対」が、真心と政治的な誠意に発するものとは考えられまい。ただし、日本人が韓国併合に反対して立ち上がり、韓国に日本から離脱する自由を認めるべきだと主張するなら、話は別であるが」。
角田先生が解説に書かれている通り、レーニンの論敵に対する論難はその舌鋒鋭いことこの上なく、「『マルクス主義者』カウツキーの通俗的な小市民的幻想」(p. 235)とかは読んでて思わず笑ってしまった。本当にレーニンって口汚いよな。ともかく「資本主義は悪」という前提に立って彼は動いていた訳だが、現状「市場」に基づいて経済が動いているとはいえ、「平等」を欠く資本主義が、それこそこの本で書かれているような集中や独占(GAFAのプラットフォーム「独占」も入るだろう)、ブラック企業みたいな問題を持つのもまた事実である。
「『社会主義陣営』と『自由な西側』に分割された一つの世界は、誰にとっても都合のいいもので、一方の体制がもう一方の存在を支えていました。……世界の半分は『社会正義』のゲームに参加し、その名において楽しそうに殺人を犯し、もう半分の方は『個人の自由』につけ込んで、広告のトリックを利用し、自分の意志を持たず、古い浮きかすを楽しそうに舐める画一化した消費者を作り出しました。……資本主義は、間もなく『社会主義』という片割れの消滅を悩んで死んでしまうように思えます」(『シュヴァンクマイエルの世界』p. 98)
帝国主義とは共産主義の独占段階である。
戦争におけるロシア帝政府の敗北が必要だが、その敗北の前提には、そもそも帝国主義戦争が行なわれていなければならないという倒錯した理屈が底流にあります。つまり、自分が勝てる敵を都合よく作り出そうというというのが、唯物的なことが書かれた本にある思想的な背景です。あとがきによると、本書で邦訳は46点目だとのことです。そんなに多くの訳が出ていることが書いてあるとは思えない、現在読むにはあまりにも退屈な内容ですが、共産主義革命を信じた昔の読者は、表面上に書かれた向こう側にあるものを読み取ろうとしたに違いありません。
カウツキーは日和見主義に陥ったと評価されていますよね。帝国主義論は学生時代にわからないながら読んだのですが、最近もう一度読まないとなぁと思っているところです。資本主義が独占資本主義から国家独占資本主義へと発展する時期に分析されたのが帝国主義論だと思いますが、現代では国家独占資本主義からグローバル資本主義へと発展したという主張もあります。そういうところを学びなおしたいです。
ニキータ・フルシチョフの時代からソ連が官僚独占資本主義に突入しまった。プロレタリアート独裁はもはや殻しかありません、今の中国もそっくりですよ。これが中国マルクス主義者の常識です。
ついてに、8000万党員を誇るの中国共産党も真のマルクス=レーニン毛沢東主義者の敵になった。
訳文それ自体は読みやすかったです。ただ、当時の世界情勢について不勉強だったり、そもそもマルクスの本を1冊も読んだことがない(精々、本屋で岩波文庫版『資本論』を手に取って3ページくらい読んでそっと書棚に戻して無かったことにしたぐらい)なので内容についてはよくは分かりませんでした。資本主義が発達して生産の集中化が起こると独占が発生し、そこから金融機関が力を持つ金融寡占制に至りその資金を使って資本輸出がなされて世界中に資本がばらまかれたあとに市場の確保のための植民地化が行われるということなのでしょうか。
読んでいて、そんなものなのかなといった感じでした。1回読んだ限りではレーニン自体がどうしたらよいと考えているのかがよく分かりませんでした。彼の他の著作やマルクス主義の本を読めば分かるのかもしれませんがどうなのでしょうか。あと、「レーニンってどんだけカウツキーのこと嫌いなんだよ」と思いながら読んでたら、解説のところにそれついての言及があり思わず苦笑してしまいました。
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