形式:新書
出版社:岩波書店
形式:Kindle版
第Ⅱ章での固定的な〈コード〉と創造的〈コンテクスト〉の対立や、基底部規則と変形規則の対立は、《創造性》に対する本著の興味を示しているだろう。また意味論について本書では、記号内容は「指示対象」と「意味」に二分されており、「意味」は普遍の束として、「指示対象」はその記号表示をクワインの固定指示子のごとくして与えられている。スキーマ理論(スロット・フィラー)、イーミック/エティックの対立など、文化的創造性に関する記号論的アプローチの呈示が本著の眼目である。
◆「中心=完全なコード支配による自動化(新しいことは起らず沈滞へ傾く)↔周縁=コードの逸脱による異化(新しいことが起り活況となる):中心は自らの秩序を拡げて周縁を排除しようとするし、周縁は秩序の隙をついて中心を脅かすという形での緊張が生じる。242」
⚫比喩は、原義と転義の二つが重なり併存する両義的な表現。このことは、両義的な存在のもちうる役割として、創造の側面を示唆する⚫祭りは、遊びとも結びつけられる。実用的な利益と関係がないもの、そういう『遊び』が人間には必要。そこには一種の美的な、つまりそれをすること自体が目的となる。言語で祭りに相当する機能が、詩。
⚫「同じでありながら違っている」共通性を踏まえた上での差異という『対立』の構造が意味作用を生みだす。・・詩の比喩において、まったく有契性のない比喩は、主体(読者)を惹き付ける力が無くて独りよがり。逆に、類型の記号(イコン)や、インデックスが、流布しすぎた陳腐化したものだと、均質なイメージしか読者に与えず、既成のコードとの『対立』が起こらないので、読者の中になにも起こらない、ということかな?示唆も学びもたっぷりな読書でした!
語用論においては、意味と統辞の理論的構築物としての言語を、柔軟に利用しつつ創造的に改革していく使用者の主体的働きが考慮される。ここにおいてはじめて人間-社会-世界からなる三項関係を言語という地平で適切に扱えるようになる。そして文化の営みというものが畢竟この三項関係によって規定されるものであるとすれば、言語の営みを文化の営みと同一視する発想もまた語用論において見出されることになる。本書の叙述は、言語学や言語哲学の代表的な話題を系統だてて平易に解説しながら、読者をこうした発想へと自然に導いていく。
ただし、言語が人間の文化全体のモデルとしてどの程度まで包括的に機能するかについてはまだまだ議論の余地があるはずで、例えばコンテクストなどは依然として曖昧さに包まれた怪しい概念として残っている。意味やコード、テクストやコミュニケーションの所在についても実は同様で、言語的な認識と前言語的な認識との関係についてはそもそも問いとして閑却されているようさえ見える。この辺りの話題に関して発展的な議論を追っていきたいと思う。総合的にみて、記号論の可能性をまざまざと感じさせてくれる良書である。
※この感想はいいことを言おうと思ってひねり出した感想です
これら、二重音節、統辞規則、テクスト統辞規則などをあわせて言語のコードになるわけだが、人間は能動的にこのコードから逸脱することができる。その結果の産物が創作や詩などであり、これは人間の言語のようなコードを持たない他の動物にはできない行為。逸脱するコードがないから。そう考えると、言語って本当によくできている。
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