形式:文庫
出版社:光文社
形式:Kindle版
「正義とは、誰にでもその人に市民としての権利上認められていることを保障しようという、ゆるぎない心構えのことである。」(P169)
「広い社会の一員としての節度はきちんと守れ」。聖書自体はこうした道徳(「隣人愛」と「正義」)の根拠を理性的に解き明かしていない。むしろ聖書は神の権威により、または神からの啓示を受けた預言者の権威により、こうした道徳を一切疑うことなく守り続けるように人々に命令する。聖書の道徳はその形式上、理性による理詰めの道徳でなく、権威による命令の道徳なのだ。聖書の権威のおよぶ領域とおよばない領域を仕分けしようとするスピノズの試みは、皮肉なことに、聖書の権威に過剰な思い入れのある社会であるほど感情的な反発を受けやすい。
聖書の至る所で説かれる(スピノザによる)愛と正義の道徳は、世の中の人間関係を下支えして社会そのものを安定させる社会的な役割を担っている。だとすると、社会の中に対立や迫害を生み出すために聖書の文言を政治利用することは、聖書本来の存在意義に真っ向から反する行いである。この本の後半から、スピノザの考察は神学(宗教)から政治に移る。彼はまず人間社会とそれを支える政治権力、つまり国家の成り立ちや性質を、特定宗教の教義に頼らない純世俗的な見地から説明しようとする。その説明図式で用いられるのはある種の社会契約説である。
おたまさん、相変わらず勉強してますね。「暴力で支配する国・権力は内部から腐敗し、抵抗を呼び起こし瓦解するだろう。。。哲学する自由(思想・信条・言論・表現の自由)は断固守られなければならない。」スピノザの政治思想の現代的な意義を示唆し、おっしゃるとおりだと思います。
hartさん、コメントありがとうございます。私はこれまで、政治思想や国家、権力等について、手頃な解説書を読んできました。がしかし、できれば近代思想を形成してきた人々の著作を直接読むことで、その言わんとすることが知りたいと思えてきました。基礎的な思想基盤が欠落しているように思うからです。読む時間もできましたし、今のうちに読んでおかないといつ読めなくなるかという思いもあり、少しずつでも気になったものは読んでいきたいと思っています。(ついついエンタメ系に手を出してしまいますけれど)
スピノザのように自然権を把握するなら、思想・言論・表現の自由は論理的な帰結となる。わざわざ仮構された権利ではなく、人間の本性の発露とも言うことができよう。自然権ひいては人権をこのように理解するのは解りやすく合理的であるし、非常に説得力に富むと思われる。
その自然権の保障という点に国家の存在意義はあるというのがこの書の結論なのだが、先述のとおりスピノザの自然権の把握と社会契約説はうまく整合しているとは言い難く、読んでいてぎこちなさを感じたのも事実である。やはり晩年の『政治論(国家論)』も読まねばならない。
ローマ帝国?
このため、裏切らない約束を結び、信頼を裏切らないよう契約しても、別の何かが加わらないと、ひとは安心して他人を信頼することができない(160頁)。かなり慎重な態度が伺える。権力に服する人たちが求められることは、至高の権力の指図を実行するよう、至高の権力がお墨付きを与えた権利関係以外を認めないよう求める(164頁)。共同体や国家の場合、民衆全体の福祉こそが最高の法(165頁)。
権利の侵害とは、市民つまり臣民が他人から何らかの損害を被ることを余儀なくされ、市民としての権利に、至高の権力が出す布告に反している場合に起きる(168頁)。正義とは、誰にでもその人に市民としての権利上認められていることを保障しようという、ゆるぎない心構え(169頁)。自分で判断する自由、考えたいことを考える自由は、誰も放棄できない。民衆は自分の口を閉ざすことはできない(303頁)。
たぶんこの本が刊行時危険思想扱いされたことを踏まえてるのだろう。なるほど。
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます