ケンイチミズバ様、コメントありがとうございます。お陰様で本書と私のレビューについて改めて考えるよい機会になりました。折角ですので今思っていることを記したいと思います。本書で著者が再三言われていることに、当時戦争の帰趨は誰にも判らなかった。その中で若者に託された任務と状況を考えたとき、特攻隊というのは、唯一の選択肢ではなかったか。その上で、自分は何のために死ぬのかと考えたとき、家族、故郷、国…を守るというのは自然の発露ではなかったか。遺書が私の心を打つのはその一点にあります。事後になり、状況を云々するのは、
ましてや戦後になり、本書中にある出某のように、遺書を自分たちの政治的利権のために編輯・改竄するなど、それこそ狂気の沙汰ではないかと思ったりもします。すみません、言葉がきつくなってしまいました。なお、「後に続くを信ず」という言葉について、著者は「自分たちのそういった悲しい思いの上に平和な日本をつくり上げて後に続いてほしい、という解釈もできるのではないでしょうか。」と記し、昭和20年4月13日散華した安達海軍少尉の「特攻隊の犠牲において、祖国のよりよき前進を希求するものにほかならない。」との言葉を引いている。
ないか、著者は言う。本書の第1章以下は、ここ十数年来の著者のブログに連載されたもので、法と政治制度、戦争と環境問題、家族と経済etc.具体的な論考が積み重ねられている。初読の折には、著者の政治的立場と私のそれがは随分異なる感があり、ざっと読みで収めようと思ったけれど、改めて著者の「哲学する」ことの意味を考え再読した次第。著者は大学で哲学を専攻し、現在は宮城県で高校の国語の先生をされている由。政治や教育の問題状況について詳細且つ的確に語り、立場は違えどもなるほどと思うことも多々あり、収穫の多い読書となった。
違っている場合が少なくないという。著者たちは、子ども達のスキーマの誤りを見取るための「たつじんテスト」を開発し、誤りの根っこを探っていく。その結果、「子どもたちは分数という概念について「記号接地」ができていない」ことが示された。2分の1の意味がわかっていない、分数の意味がわかっていない・・・。本書後半では、学校の教師や家庭の親たちが、子どもたちに接するに当たって心がけるべき役割について様々な例を挙げて示している。詳しくは是非本書に当たっていただきたい。子どもが「わかる」ことの意味、大人が「教える」方法の大
切さが納得されるのではないか。著者の今井むつみさんは、中公新書『言語の本質』で一世を風靡!された方。本書にも「記号接地」「アブダクション推論」等々の専門用語?が多く出てきますが、幼児の母語獲得体験等々、大変深い考察がなされていて挑戦する価値はあるのではないかと思います。最後に私見を一つ。幼児がアブダクション推論他を使って母語を自ら獲得していくのは感動的でさえあるけれども、当然周りの大人(父・母)の果たす役割が大きい。乳幼児期にどれだけ母語のシャワーを浴びるかが決定的に重要といわれるが、現代の子どもは如何?
九十九首目には、自主独立を問うとして、三島由紀夫の「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」を挙げるなど、平和日本の現状にはややそぐわない歌も多く取り上げられているが、著者渡部先生の思いは奈辺にあったろうか。先生が以前から言われていた「和歌の前の万人の平等」が、和歌を軸にして古代から現代までの歴史という形で示されたことは、文化の持つ力を感じさせる。最後の「磯城島(しきしま)の 大倭の国は 言霊の 助くる国ぞ まさきくありこそ」という人麻呂の言霊に寄せる思いを未来に繋げていきたい。
半世紀にわたって買いためた積ん読本に囲まれる日々。少しずつ減らそうとするものの、新刊・古本が同じくらい入ってくる。
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