
じ、今のままで生きていていいんだよ、と話す声をきいたような気がしている。あるいは無意識のうちに今自分が求めている思いが、言葉となって聞こえてきたのかもしれない。これらの言葉は、著者が本書で訴えたかった、いわばキーセンテンスであり、これらに続く章や節は、そこに至る医療従事者としての著者の半生を賭けた記録としても読めるかもしれない。著者は第3章「ひとことの力」の中で、「体と言葉には密接な関係がある。」と言い、その探求を続けたいと記す。言葉と心身の関りを実感することが少なくない今、更に深めていってほしいと思う。
んの被災者への支援と、自身の人生を見つめる心、弟の「死後生」を自身の人生指針にする姉の思い、そして著者柳田さんの息子、洋二郎への断ち切ることのできない思い。記される事例はどれも深く重いものばかりであるが、そんな中で置かれた状況に立ち向かう人々の言葉も拾われる。・妻を亡くした六十歳代の男性「妻がいなくなってからしみじみ思うのは、わたしのことを本当によく考えて、何くれとよくやってくれたなということです。妻を亡くして、今は体の半分を失くしたような気持ちです。後悔と感謝しかありません」・夫を亡くした七十歳代の女性
「外出するときには、仏壇の夫の写真に『出かけてくるね』とあいさつすると、『おうおう、行っておいで』と言ってくれるんです。帰ってきたときにも、『ただいま』とあいさつします」etc.(「亡き人との十五人の日常会話)様々な機会に、様々な人から声をかけられるが、以前より言葉の重みというか、その人が発する言葉の深さをより感じられるようになった。本書に記された数々の「死後生」と向き合うことで、自分の心が確かに変わってきたことを感じるとともに、死を間近にした人へどう接するべきなのか、自分には重い宿題として残されている。
半世紀にわたって買いためた積ん読本に囲まれる日々。少しずつ減らそうとするものの、新刊・古本が同じくらい入ってくる。
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