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2024年4月の読書メーターまとめ

Humbaba
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感想・レビュー
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ナイス
142ナイス

2024年4月に読んだ本
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2024年4月にナイスが最も多かった感想・レビュー

Humbaba
相手から嫌われることを必要以上に恐れない。そのためには、まず嫌われたときに具体的にどのようなデメリットがあるかを明確にすることが重要である。自分自身に対する目線や経済的な損失、周囲の人間へのイメージダウンなど様々にあるが、それに対して自分は許容できるか、代替手段があるかを考えてみる。そのうえで、自分を抑えることとどちらを優先したいかを判断する。その結果がでれば、自分の判断を疑う必要もないし、自信をもって満足できる行動ができる。
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2024年4月の感想・レビュー一覧
56

Humbaba
傲慢なよりは謙虚な方が感じがよいが、謙虚にしても度が過ぎれば付き合いにくさを感じさせてしまう。たとえ本人に悪気がなかったとしても、毎回毎回同じようなやり取りを必要とするような相手は辟易するものであり、関わりたくないと感じさせてしまう。そのような人とはかかわらないようにするとともに、自分自身がそのような行動をしていないかを振り返って見直してみることも重要なことと言える。
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Humbaba
自分が何を失っているのかというのは、自分自身でもよくわからない。失ったものがわかればはっきりと認識できることも、その渦中ではそもそも失っていることすら判断できない。リハビリにおいてはどこがつながるかわからないくじを引き続けるのと同様であり、一度つながったらそれを繰り返していく。最初のうちは正常にいかないことも、人は続けているうちに最適化がなされる。それにより、だんだんと意識しなくても意図通りの動作を取り戻せることもある。
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Humbaba
健康は誰にとっても重要な問題だが、それを維持できるかどうかは社会的な地位に影響される部分も多い。社会的な地位が鷹kれ場自然と健康に対する情報も集まる上に健康維持に必要なものも得やすい。一方でもともと貧困な場合にはそのような情報は得られないし、どうすればよくなるのかもわからない。その溶暗状況が続けば、健康に対する格差はさらに広がっていってしまう。
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Humbaba
仕事をする一番の目的は金銭を得ることである。それに付随して技術を習得することももちろん重要だし、技術を得ることで達成感も得られる。しかし、そちらをメインだと考えてしまうのは危険であり、達成感がないと仕事をやる意味がないという気持ちになりかねない。達成感が得られれば金銭はいらないのか、それを考えてみればどちらがメイン化は見えてくるし、そのうえで自分がどうしたいかを判断することが必要になる。
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Humbaba
伝統農法と密接に関わって保全されてきた環境は、周囲の環境が変化すれば自然と淘汰されてしまう。キャンパスを新しく開くためには広大な土地が必要であり、それを開拓すればその環境変化の影響は計り知れない。自分の属する大学がそれを進めようとするならば、どうにかして影響を減じる必要がある。そのために必要な労力は膨大だったとしても、それをやらずにいたら自分たちのやってきたことが無意味になってしまいかねない。
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Humbaba
どのように生きるのかは人によって異なるし、それが正解か不正解かを決めるのもその人自身である。だからこそ、生き方について人と比較してもあまり意味はない。すごいと思うような生き方でも、それが自分に向いていないということがわかればそこに嫉妬する必要もない。すごいと思って敬しつつ自分自身は遠ざかる。それもまた賢い生き方であり、自分が幸せになるために必要な方法となる。
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Humbaba
何をもって良い大学とするかは、その人の欲するところによって変わってくる。多くの大学があるが、全てにおいて勝っている大学というのは基本的になく、それぞれに特徴がある。その特徴が自分にとって必要なものであれば、他の部分は目をつぶって入れるところに入るというのも適切な戦略となり得る。自分が兄を求めており、その評価はどのように行われるか。それがわかれば自分の目指すべき大学を判定するのはとても容易になる。
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Humbaba
単調な作業を延々と繰り返す。それに対して退屈を覚えるのは自然なことであり、退屈にならないようにするためには他のことを考えるしかない。しかし、他のことに注意を向けていれば本来やらなければいけない監視はうまくできなくなり、結果的にミスを犯してしまう。それを避けるためには自動化する以外に方法はないため、現在のラインの多くは自動化するという方法でこの退屈に打ち勝とうとしている。
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Humbaba
リスクについて、それが本当に自分にとって問題となるかをよく検討する必要がある。勿論ノーリスクにできるならそれに越したことはないが、そのためには多くのコストがかかる。特に一斉に検査をしようとすれば、それだけの検査機やそのための人員はないし、検査を行うためのコストも必要となる。全てが全てリスクを調べればそれは必要なコストだが、実際にはそのリスクを覆っても実害がないというケースもある。それを考えて、必要に応じた判断をすべきである。
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Humbaba
人生において、睡眠は非常に重要な要素である。睡眠している時間は自分のために使えないという意味ではマイナスな印象を持つこともあるかもしれないが、しっかりと睡眠をとればその後のパフォーマンスは向上するし、とらなければ低下する。それは短期的に見ても間違いなしい、長期的に見ればアルツハイマー型認知症のリスクにも絵狂してくる。大変な状況だからこそしっかりと睡眠をとり、良いパフォーマンスを発揮できるようにする必要がある。
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Humbaba
同じ意味を伝える言葉でも、言葉の選び方次第で相手に与える印象は大きく変わってくる。ちょっとした違いかもしれないが、意識するのとしないのとでは評価が変わることを考えれば、正しく自分の意図が伝えられるように勉強することは意味がある。仲の良い相手であれば指摘してくれることもあるだろうが、そこまで深い仲ではない場合気になったとしてもそれを指摘せずに流してしまい、ただ衣装が悪いという状況が続くことになりかねない。
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Humbaba
自然界にいる生物を相手に調査を行う場合、予定を組むのは難しい。このくらいまでに調べたい、という希望や予定はあったとしても、それが本当に実現できるかは相手の生物次第であり、必ずしも予定通りには進められない。予定通りにいかないことは必ずしも悪いことではなく、それによって新たな発見ができることもある。それが面白いともいえるが、予定を管理しなければいけない側からするととても厳しいものでもある。
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Humbaba
商売において何を重視するか。それを明確にできなければ、人によって判断基準がずれてしまい、訪れたお客様に期待外れという気持ちを抱かせてしまう可能性が高まる。本音と建前があり、どうしてもうまくいかないというケースもあるが、それを理由に行動しないというのは間違っている。すぐに答えが出ない問題だからこそ集団で話し合って合意を形成する。それは大変な道のりだが、その分それができたときの効果は大きい。
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Humbaba
自分の望む方向に進むとしても、それに他の人がついて来られるか、来てくれるかは様々なものが絡むため期待通りに進まないことの方が多い。たとえ自分は全てをさらけ出していると考えていたとしても、それを相手がどう受け取るのかまではコントロールできない。うまくいっているときには問題にならなかったとしても、何かのきっかけで問題は露呈するし、それに対してうまく対処できるとは限らない。
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Humbaba
どのような気持ちでその場に臨むのかというのは、結果に対して大きく影響してくる。ただし、その影響は心持次第で良い方向に動くこともあれば、反対にさらに悪い方向へと変えてしまうこともある。自分一人の気持ちであれば、まだ整えようもあるが集団競技の場合には周囲の人間の影響もうけるため一層難しいところがある。だからこそ正しいマインドセットを持ったベテランの重要性がある。
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Humbaba
アメリカという一つの国であっても、時代によって他国との付き合い方は変わってくる。アメリカは強大な国であるからこそ、その影響は非常に強い。アメリカの判断が常に正しいという保証はどこにもないし、誤りを犯すこともある。その際にどのような判断プロセスを踏んだために誤ったのかをよく検証しておくことで、次に類似した状態になったときにどのようにふるまうべきかが見えてくる。
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Humbaba
日本人にとって、温泉は大切なものである。だからこそ、その情報を提供する時には正しく提供しなければいけない。評価を正しく行い、努力している人が正しく報われるようにしなければ、どんどん適当になってしまう。それは文化の破綻であり、それを必要とする人が欲しいサービスを享受できなくなるということでもある。それを避けるためには利用者が判断できるような情報を提供し、利用者もそれを学んで自分の欲するものを円卓できるようにすることが大切である。
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Humbaba
自分にとって大切なものは何か。それをまず重視して判断を下す。場合によっては他の人とは相容れない結論だったとしても、自分が本当に求めるのであれば他社に迎合する必要はない。人の手はそれほど広くはなく、すべてを抱え込むことはできない。本当に必要なもののためであれば他のものはあきらめる。そうしなければ、本当に大事なものですら守れなくなってしまう。
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Humbaba
人は皆間違いを犯す。その間違いが軽微なものであれば、その場で謝って解決するのが一番良い。しかし、それが取り返しのつかない誤りの場合、謝っても解決はしてくれない。そのようなときに、その誤りをなかったことにできるという誘惑があれば、手を出してしまうのは仕方ない面もある。それが心の弱さと言われたとしても、大切なものがかかっていればいるほどどうしても手を伸ばしてしまいたくなる。
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Humbaba
金銭的なメリットで考えれば、演劇を志すということはマイナスでしかない。人生における幸福の基準は金銭ではないとしても、金銭がないということは不幸であるのは間違いない。だからこそそれで怖気づくのであれば演劇は趣味にとどめるべきだし、その方が幸福になれる可能性は高い。ただし、そのような合理的な判断は気にせず、どうしてもその道を行くと考えられるのであれば、力尽きるまでやってみるのも人生の彩となり得る。
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Humbaba
医学はものすごい速さで進歩を繰り返している。特に心の病はまだ研究が進んでいない分野であるため、その速度がとても速い。これまではわかっていなかったことや効果が薄かったものも、しっかりと判明したり、効果が十分に出る薬が発明されることもあるため、一昔前の情報で判断してしまうと本来はしなくてもよい苦労や時間を要してしまう可能性もある。適切に情報に当たれば、それだけ快癒するまでの期間も短くできる。
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Humbaba
相手から嫌われることを必要以上に恐れない。そのためには、まず嫌われたときに具体的にどのようなデメリットがあるかを明確にすることが重要である。自分自身に対する目線や経済的な損失、周囲の人間へのイメージダウンなど様々にあるが、それに対して自分は許容できるか、代替手段があるかを考えてみる。そのうえで、自分を抑えることとどちらを優先したいかを判断する。その結果がでれば、自分の判断を疑う必要もないし、自信をもって満足できる行動ができる。
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Humbaba
物事を実現するうえで、それに対するモチベーションというのは非常に大きな意味がある。いくら潜在能力があったとしても、それを十分に発揮するためには本人の心持がとても重要になってくる。モチベーションは鍛えようと思ってもなかなか鍛えられるようなものでもないが、放置しておけるものでもない。同じ競技に参加する人は他にもいる以上、自分のモチベーションが低い状況では他の人にいずれはいていかれてしまう。
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Humbaba
生物は非常によく考えて設計されている。勿論生物が自分自身で具体的にこうありたい、と判断して今のかたちをとったわけではないが、そのデザインはどれもみな秀逸であり、うまく生きていくために最適化がなされている。一見するとなぜそのような形をしているのか、と首をかしげたくなるような生物も多数いるが、詳細に調べていくとそれぞれに意味がある。
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Humbaba
良いものを作るためにはコストがかかるし、それを次代へとつないでいく必要がある。そして、次代につなぐためには余裕が必要になるが、現在の状況ではそれは望めない。折角これまで連綿と引き継がれてきたものが途中で失われてしまうというのは残念なことではあるが、今の時代劇の質を見ればなくなってしまうことは避けられそうにない。そうならないのが最善ではあるが、期待できないものを無理に期待し続けても悲しい結果に終わる。
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Humbaba
年を重ねれば、老化によりできないことも増えていく。今までできたことができなくなるというのは悲しいことだし、それを実感するおt生きるのが幸福なことばかりではないという風に感じられてしまう。刺激があればそれでも楽しみを感じられるが、いつも様々な刺激に囲まれていられるほどに恵まれた環境にある人はそうそういない。しかし、与えていただいた命である以上、それを途中で無為にするのも避けたいところである。
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Humbaba
どのような人にとっても、トイレは必要な施設である。だからこそそれを充実し、良いものに変えていくということは生活の質を高めることにもつながる。トイレをよくすることは安全にもつながることであり、決して無視してよい問題ではない。見たくないと思っているとどうしても議論されずそのまま放置されてしまいがちだが、それは危険なことであり勿体ないことでもある。
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Humbaba
古きよきもの。それ自体は正しいが、いつまでもそれに固執しているだけでもいられない。新しいものをつくるのであれば、古いものを取り入れつつも発展のためにも新しい部分も持たせる。何を継承して何を変えるのかという判断は難しく、下手に選択すると魅力を喪失させてしまいかねない。ただ箱を残したとしてもそれだけでは意味がなく、わざわざ泊りに来ようという気にはさせられない。
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Humbaba
誰もが自由にアクセスし、さらには発信できる。それは今までの社会では成しえなかったことであり、その効果は非常に高い。誰が発信したものかわからない状況では信用してよいかも不安であり、また、利害関係者の発言ではないかと疑うようなことも、知り合いの発言であればそこに裏の意味はないと判断できる。勿論その分情報の正確性という意味ではかける可能性があるため別の注意は必要であり、使い方次第なところはある。
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必要が出てくる。いずれにせよ、どのような物事にも100%信用できる相手などいないということを念頭に置くことが大切である。
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Humbaba
ただ物事を記録するだけならば写真を取ればよい。そうではなくて自分の手で描くことで得らえれるものがあるからこそ人はスケッチをしようとする。スケッチではすべてのものを欠く必要はなく、何を対象とすれば伝わるかを考えることにも意味がある。そうすることで見てほしい対象を限定しつつ、しっかりとその情景を想起させることが可能となり、伝わるスケッチになる。
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Humbaba
コロナによってこれまでとは別のやり方をしなければならなくなった業界は多い。山小屋もまたその一つである。水が貴重な山小屋において、毎回消毒をするというのは負担は大きい。そうして経費は増える一方で、客足は遠のく。そのため利益は減少してしまい、どうすれば続けられるのかについてもよくよく考える必要が出てきてしまう。予約制により必要数を把握数rというのはメリットがある一方でユーザの不便を強いることにもなる。
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Humbaba
それが描かれた当時ではリアルさがあるものだったとしても、時代を経ると通用しなくなることもある。その時代を感じる古典としての価値はあっても、素直に理解できるはまた別の問題である。わかりやすければそれでよいのかは別問題であり、また、そもそもそれが書かれた当初にはわかりやすいものだったことを考えれば間違いという訳ではないため難しいところではある。
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Humbaba
同じアリでもその生態は様々で、一方を理解したからと言ってその内容が他にも援用できるとは限らない。適切な生存戦略は環境によっても変わり、血縁度を高めることで結束を強めるのは確かに有効である一方、厳しい環境ではそれではやっていけなくなる。その場合にはむしろほかの集団と積極的に協力しあうことの方が生存に適した戦略になる。まず観察により事実を確認し、そのうえでなぜそうなったのかを推測する。それがうまくはまったときの喜びは他の何物にも代えがたい。
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Humbaba
車は非常にプライベートな空間であり、自分の好きなようにカスタマイズが可能である。そのため、自分の車を動く家として活用することもできる。ただし、空間をカスタマイズするためにはコストがかかるし、使用回数によってはそのコストは無駄コストにもなりかねない。自分の生活をよく考えて、本当にその価値があるかを見極める。場合によっては周辺の良いホテルを探して訪問したほうがお金も休みもどちらもよい方向に行く可能性もある。
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Humbaba
上に政策あれば下に対策あり。緊急事態であれば朝令暮改も仕方ないことであり、動きながら考えるという方法を取らざるを得ない。それがどのような意思から出た指令であれ、撤回させることが難しいのならばそれに合わせた行動をとる。本当に効果があるかが疑わしいこともあるが、それをとがめようとすれば大きなリスクを負うことになる。その割に得られるものがない状況では、行動に移せる人はそう相違ない。
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Humbaba
しっかりと材料を選定し、それを適切なタイミングに食べる。それができればそばの味はずっと深いものになる。勿論その時の調理者のスキルも重要ではあるが、タイミングさえ間違わなければその影響は材料ほどには効いてこない。どのレベルを求めるのかによっても変わってくるので絶対ではないが、いくつかの必要な条件がわかっていればそれを守っているかどうかを店を選ぶ際の基準とすれば大外れはしない。
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Humbaba
ごみは減らした方がよい。それは誰もが納得してくれることであり、わざわざ反対する人はいない。ただし、そのためにどれだけ力を避けるかは個人差もあるし、ただ掛け声だけではあまり力を発揮してくれない。努力をすれば利益を得て、手を抜けば不利益を被る。そのバランスを上手にとることで、誰もが自然と、嫌な気持ちになることなく取り組める。ただし、やりすぎるとお金を払っているから何をしてもよい、という誤ったメッセージになりかねないので注意が必要ではある。
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Humbaba
言葉の響き、元の意味はきれいであっても、それが正しく使われているかはよく調べる必要がある。一見素晴らしいことを言っているように見えても、その実態は曖昧模糊としていたり、その場しのぎであったりすることも多い。すべての内容を理路整然と語ることは難しいし、現実的ではない。しかし、自分の守備範囲については正しく語れるようでなければ信じるには足りない。
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Humbaba
何に対してどれだけの価値を認めるか。それは、時代によっても変わってくる。今の価値観では絶対的な正解でも、時代が変わればそれはお菓子な考え方であると判断されるようになるかもしれない、そのためあまりにも一つの考え方に固執するのはよくないが、だからと言って何もかもを疑っているのでは生活しにくい。そのあたりを上手に受け入れていくことができれば、生きることがやりやすくなる。
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Humbaba
コロナによって社会は大きく変化した。それに対する評価は人によっても異なるだろうが、いずれにせよ変わってしまったものは止めようがない。勿論ある程度落ち着いてくれば元に戻る部分もあるだろうが、全てが全て元通りになるということもないだろう。変化の方向をよく認識し、その上でどう対応していくかを検討することも大事であり、間違ったと思ったら元に戻る方向でもためらってはいけない。
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Humbaba
物事を二元論で判断する。確かにそうやって分類すればわかりやすいし、どちらが自分の味方なのかも一目で判断できる。ただし、世の中の物事は二元論で判断できるほどにわかりやすいものばかりではない。入ってくる情報量が昔と比べてとてつもなく多くなった一方で、それを処理する人間の能力はそこまで変化がない。だからこそそうやって判断することはある意味で妥当ではあるのだが、使い方には気を付けておく必要がある。
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Humbaba
他人のやることには基本的に口を出さない。自分としては違和感のある行動だったとしても、それを直接口にするのはは余り褒められたマナーではない。勿論関係性やその場の意義によりどうするべきかが変わってくるので絶対的な正解など見つからないというのも間違っていない。考え方はあくまでも一般的な状況におけるものであり、状況等により変わりうるものであることも頭に入れておくとよい。
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Humbaba
相手を一人の人間として尊重して、見つめたり、話しかけたり、触れたりする。たとえ認知症になっていたとしても、感情や記憶が消えてなくなるわけではない。そのためこちらの対応の仕方次第で相手の反応も変わってくる。全てのケースで必ずうまくいくわけではないし、効果の現れ方も一様ではないだろうが、基本となることは変わらないし、それがマイナスになることもない。
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Humbaba
大きく方針を変換する。それは組織が大きくなればなるほど困難になる。しかし、難しいからと言ってやらずに手をこまねいていては緩やかに衰退していくだけということもある。それよりは大変でも合意を形成してあるべき方向に進める。時代に合わせて変化をつけることは悪ではなく、寧ろ現状を認めずに変えないことに固執することこそ問題である。国の規模は違えど他国にできるのだから、自国でもそれを取り入れることはできるだろう。
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Humbaba
問題に対して正面からあたるのだけが正解ではない。内容や状況次第では一旦引いて態勢を立て直すのも有効な手段となり得る。特に負けが込んでいる状況では被害は通常よりも大きくなる。そこで無理をすれば立ち直ることができなかったり、とても時間がかかってしまったりする。逃げることは決して悪いことではない。非難されることもあるかもしれないが、最後に笑えるのはどちらかこそが重要になる。
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Humbaba
それぞれの地域によって特徴があり、その地域で親しまれている店がある。そのような店を訪れれば、地域の特徴が感じられるし、そこでしか味わえないような味覚がある。折角一つの国の中で様々な違いを楽しめるのだから、積極的に楽しんでいかなければ勿体ないだろう。その際には県民性を理解しておくと、場に混ざるのがよりやりやすくなってくれる。
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Humbaba
研究者の本職は研究を進めることであり、法的な部分については疎いところがある。しかし、企業と連携して研究を進める際にはそれがネックになってしまうこともある。全てがそうなのではなく、あくまでもそのようなケースがあるということであり、それによって産学連携をやめるというのは暴論であるのは間違いない。しかし、折角の優秀な知識を研究とは無関係なことに割かれるのは勿体ないことであり、変えていくべきことである。
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技術によってさまざまなものが便利になった。それは間違いないし、多くの情報にアクセスして比較検討もよいいに行える。効率を考えれば現地であたふたする前にあらかじめホテルや電車は予約しておいた方がよいし、そのために経路なども調べればよい。それは正確な情報で効率的なのだろうが、それにより現地の人とのコミュニケーションの機会は減ってしまう。現地での話によりすることで得られるものはあるはずだが、それがなくなるのは本当に豊かなのかは疑わしい。
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実空間に比べてネット上の行動というのはトラッキングが容易である。ある一人のデータを見ていてもわからないことも、多くの人間のデータを統計的に処理することで見えてくるものはある。それらを活用してさらに売り上げを伸ばしたいというのは自然な考えであり、そのためにトラッキングを増やす、商売としては正しい方向なのだろうが、自分のデータを様々に活用されるというのはあまり気持ちの良いものではない。
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Humbaba
自分の時代はこうだった。その言葉自体は正しかったとしても、現代と当時では様々なものが異なっている。生活に必要な費用も、そもそもの学費も現剤と比べれば昔は比較にならないほどに安価であった。勿論現代の方が勝っている部分もあるため一概に現代が不幸であるというわけでもないものの、それらの違いを認識しないで自分の時代は、と言ったところで何の生産性のない議論にしかならない
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Humbaba
いくら家族であっても、元は他人であり分かり合えるとは限らない。縁があって一緒になれた二人でも、状況が変われば関係性も変わってくる。その変化はよい方向にも悪い方向にも起こり得る。一緒にいる相手だからこそ、ちょっとしたことが気になることもある。このくらいなら、ということで受け入れようとしても、それが積もり積もることでやがては取り戻せないほどに関係が崩れてしまう。
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Humbaba
新しいことに挑戦することは面白いが、ずっとそうし続けていると疲れてしまう。食事においても新しいものにチャレンジしつつ、慣れた味を楽しむことで元に戻る効果がある。チェーン店は格別に美味しいという訳ではないが、どのような場所でも自分にとって慣れた味を提供してくれる。その価値は計り知れないほど大きなものであり、だからこそ多くの地域でチェーン店がもてはやされている。
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Humbaba
接客時の姿とそれが終わった後の姿は必ずしも一致しない。それどころか、大きくかけ離れていることの方が多い。それを騙しているととらえるのかそれともプロ根性ととらえるかは人によっても変わってくるだろうが、多かれ少なかれ仕事と私生活では違いが出るのは当然の話と言える。そのことを無視して無理やり迫ろうとしてもうまくいくはずはないし、それどころか双方ともに不幸になる。
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Humbaba
かつては許容されていたことも、現代では到底許されなくなってきている。上の立場で許容されていた側からすると息苦しく生きにくいと感じるだろうが、許容することを強制されてきた側からすれば非常にありがたいことである。許容されるラインというのはそれぞれの関係によっても違ってくるため、どこまで許されるかは判断が難しい。その場合には、少なくともこれは問題にならないという部分以上には踏み込まないというのも一つの方法となる。
が「ナイス!」と言っています。
Humbaba
ラーメンは非常に自由な食事であり、それぞれの地域や店ごとに全く違った顔を持っている。それらの違いを楽しむことができれば、旅行などで訪れたときの楽しみがさらに増してくれる。それぞれの店が工夫を凝らして人を集めているが、どのような人を集めているかも店によって違っている。地域の人を集めているところもあれば観光客を集めるような店もある。それぞれに違いがあるので味わってみれば見えてくるものがある。
が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2009/01/04(5597日経過)
記録初日
2006/05/18(6559日経過)
読んだ本
17558冊(1日平均2.68冊)
読んだページ
4230209ページ(1日平均644ページ)
感想・レビュー
12830件(投稿率73.1%)
本棚
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