数か月休みますと宣言して、まだ1か月くらいしか経っておらず、少し早いですが、ゆっくりと復帰しようかと思います。粗忽者ゆえ、意図せずご不快な思いをさせてしまうこともあるかと思いますが、またどうぞよろしくお願いします。
小林秀雄は著作を読んだことがないのでよくわからず、福沢諭吉も重要だが思想家である前に西洋を日本に持ち込んだ翻訳者であるようなイメージがあり、またその視点も哲学的というより実利的であるように感じた。自分の特に注目している大森壮蔵は、西洋近代哲学特有の独我論に陥っている欠陥があると書かれている。著者の考えでは、独我論は西欧哲学の欠陥であり、和辻哲郎のように間柄に着目した人間の在り方が日本的だと言っているように見えた。自分はかなりの(文学・世界観・価値観的に)国粋主義のつもりでいたが、
無自覚のうちに西欧思想の影響を相当受けているのかもしれない。こういう本を読んで自分の思想を見直すことが必要だと思った。自分には大森壮蔵が大きな欠陥なく論理的・合理的に見える(偏見だとは思うが仏教や科学の延長にあるように見える)。日本的だといわれている思想には、利害や体制の問題がまぎれこんでいるように見える(それはそれで重要な問題なのかもしれないが)。
違和感を感じたこと:言語はその場その場で意味をもつもので(ソシュール、チョムスキーよりも時枝誠記やヴィトゲンシュタイン?)、イデアは不要だとしていて、それはそれで納得感もあるが、構造主義のようなものを完全に否定すべきかは分からないと思った。人間の意識の中に「正しさ」という言葉に対応する共通のイデアのようなものはあるのではないか。そしてイデアは不要だとしている一方で、西欧の論理学は肯定されているように思えた(誤読の可能性あり)。自分には西欧の論理学もある種の慣習のように思える。
自分の感覚が世間とずれているのか、「一般に出回っている通説の中には参考になることも多いが、虚像も多い」、と感じる中で、本書は他我問題を(他人とは分かり合えないと)割り切りつつも、主観的な認識、物事の立ち現れを、かなり分析的に論じていて、自分の世界観の成り立ちの仕組み(しかけ)を意識することで、観念的な煮詰まりや、ある種の孤独から逃れて、現実的な妥協方法を考えられるようになると思った。(感想・コメントが長くなり、自分でも何を言っているかわからないようになりすみません。)
自分は庶民なので、できるだけ仏教に深入りしたくないのだが、日常的な悩み(文化的混濁、社会不適応ゆえの生活上の困窮)に対応するために、いろいろな本を読んで、日本文化・歴史を考えていたら、般若心経をことあるごとに見直すことになった。失業時にはDAISOの般若心経本(文字の)を有難いものだと思って本棚にならべていた。
庶民である自分にとって、般若心経は本当に長い間、何を言っているのかよくわからないものだった。(自分のいまの理解が正しいかどうかわからないが)何となくでも理解するためにはインド哲学を少し知る必要があると思う。そこまで知ると、身近にある寺院が文化的・歴史的にとてもすごいものに思えてくる。ただし、自分のような庶民がそのようなものまで見ることが、日本の体制として問題がないかというと、問題があるような気がしてしまう。この問題について、自分はどうすればよいのかよくわからない。
このもやもや感をうまく言葉にできないが、敗戦によって失ってはならないものは、個々人の日本的精神・文化なのか、それとも全体の体制なのか曖昧になっていると思った。経済によって、伝統的共同体が再編成される中、極端な混乱をさけるために、その両方を純粋に保持しようとする言論があってもよいとは思うが、日本は歴史のどの時代を基準とするかに体制的に恣意性があるので、現実的には柔軟な対応・妥協も必要になると思う。
読書メーターで他の方が書かれていたように、やはり現代日本を捉える上では、新京都学派の、他にないほどの広い射程(日本文明、哲学、思想)はとても重要だと感じた。調べることができてよかった。
自分は都会よりも農村が好きで、西洋(都会)を上に、農村を下に見る意識がないので作者とは根本的に違う。しかし農村から都会へ向かう人(狡猾で悪徳を持つ農民)の一人として、「技術とか科学的専門知識とか教養とか」から成り立つ「近代社会」「人工的社会」での「所有関係の緊張」という表現にはかなり共感をした。
いまは「科学的専門的知識」による「所有関係の緊張」から距離をおいている(ある見方では競争から脱落した)ので、ほとんど緊張は感じていない。当時の自分に足りなかったのは、社会的認識と、社会に貢献することで居場所と報酬をえるという考え方だったと思う (卓越や熟練で評価されると思っていた)。この本は、社会的認識を多少与えてくれるという意味で、当時の自分には目新しかったが、今思い返すと、「行先の見えない日本の西欧化」という世界観、都会の人ごみの中で我に返って人間不信になっているような感じだと思う。
貧しい(というか資本主義的にお金が流れる経路にいない)人々が、どういう生活や人生を好むのかについては気になった。社会としてすべての人を資本主義経済に巻き込むのであれば、どの程度の生活が妥当なのだろうか。なし崩し的に巻き込まれた結果、当人が望まなくても科学技術(テクノロジー)に埋没して生きていく努力が必要になるような気がする。
数年前に失業していたときに経済の本を読みたくなり、図書館で読んでメモを取っていた。当時のメモによると、自分の(その当時から見た過去の)労働は、給与に見合う価値を生んでいないという意識(社会の仕組みに関する疑問)があったようだ。
書店などで長い間平積みにされているので気になって読んだ。それなりに参考になり、読んだ後は前向きになれた。ただし子供向けの本のためか、「社会」が理想化されていて、日本社会の歴史や「世間」の存在についてはあまり触れられていない。 また他の初心者向け経済本でよく取り上げられている「国債=日銀買いオペで実質なくせる」説については、そこまで極端なことは書かれていないが、「国債が発行されている分、国民の誰かの預金も増えているから実質ない」というロジック。経済をまわせばよいではなく、消費は投票行動との考え方。
(くどくてすみません)しかし、「日銀買いオペで国の借金がなくなる」は、アバウトに捉えると、「市中に出回るお金の総量が増えるので、結果としてお金の価値が下がり、借金が目減りする」というような意味、もしくは「国民や国民の預金も国(政府)のもの」というような見方だと、正しいようにも思える。無知なので解釈が難しい。
現在は物価が上昇しているので森永卓郎は金融緩和はすすめていないで、9%程度の物価上昇だから、消費税をなくせば相殺できると著書 書いてはいけない で提唱しています。その著書と投資依存症も併せておすすめです。ただ、庶民の生活には違和感があり、著者は住んでいるのは埼玉県南部で都心に近いところです。農業をやるなら機械が必要だし、生活するのも郊外は車が必要になります。月10万円では生活できないのは確かです。ソーラーパネルを張れと言いますが、地方でソーラーパネルは深刻な環境破壊を生み出しています。
めんちかつ様 都会も生活費・物価が高いですが、郊外も車などの出費が大きそうですね。自分は生活費目線で自給自足に戻る方向(昔に戻る、貨幣経済に乗らない)が良いかなと思ったのですが、経済を考えるとソーラーパネルなど新しい技術の導入をすすめる動きもあり、環境保護などともバランスをとって調整されるのでしょうね。
西欧由来の(?)社会が発展して改善していくというモデルでは、技術や制度の革新によって、古い価値基準が絶えず打ち壊されて(ある意味、価値が踏み倒されて)いくという構造を持っていると思う。その中で、お金はどうあるべきなのか。この本によると、お金で社会を統治するという側面も重要だが、やはり人脈や歴史に重点が置かれていると思う。日本の軍事的な歴史をどう考えるのかについても、犠牲を伴いつつ国の発展をけん引した偉大なものと考えるのか、完全にばからしい間違いだったかと考えるのか二極化した見方が現代に残っていると思う。
石破茂氏はかなり人脈重視、官僚重視、歴史重視の人だと感じる。しかし一方で、保守とリベラルには寛容性という共通するものがあると書かれている(自分の理解ではそれは歴史重視のリベラルであって真正保守とは違うイメージがある。しかし保守リベラルという名前はぎりぎり理解できる)。日本は明治以来、西欧をとりいれつつ、保守を重視するという対応をとっていて、それらをどう取捨選択するのか判然としないところがある。次の首相が誰になるか分からないが、石破茂氏は日本の世界観を理解するために興味深い政治家だと感じた。
自分は大衆文化の中で生まれ育っていて、学校の先生に表立って反抗したことはないが、少なくとも学生の間は、先生と自分の間に大きな身分差や教養差があることは認識しておらず、納得できないことがあると内心「なんだ」と思っていた。それは本書に出てくる大学紛争の感覚に少し近いものがあるようにも感じた。若い頃は訳も分からず理系の勉強を少しだけしたが、最近になって歴史/社会系の本を読み、やっと自分の社会的な客観的立ち位置が自覚でき始めてきたようにも思う。
日本の学校に、本書のような多少複雑な歴史や事情があることはあまり認識できていなかった。(現在調査中の)政治的なものと絡めて、自分の勉強の位置づけを整理するための参考にしたい。
単体で読み解くことが難しいとはいえ、約千円で(自分はセールで半額で)この内容の本が購入できるのは驚異的な状況だと感じた。と同時に、戦後、民主化によって学問が大衆化されたとはいえ、出版を通して、日本の学問の水脈は、明治(やそれ以前)のまでかなり整然と遡ることができるのだと思った。(自分は政治・経済的には、リベラルの恩恵を多大に受けているが、心情として政治的に保守よりに傾いてしまう。)この本が約千円で入手できる、現代の環境、政治的状況というのを理解できるようになりたいと思う。
copilotに上記の疑問をぶつけてみたところ、0.999は、収束した極限の値が1になるという意味だといわれた。それなら1=lim0.9999とすべきではというと、同意してもらえた。もしくは=という記号の使い方が厳密でないというと、同意してもらえた。copilotと同意できた感じになったが、copilotは人でないので、こちらにあわせているだけなのか、本当にそう思っていいのかが分からない。大人向けの数学の教室にいけばいいのかな。数学の記号の厳密化については何人もの数学者が取り組んでいるのに、なぜこんなに
娯楽と知識のアップデートのために日々本を読んでいます。基本的にリアル書店、古書店が好きなのでお世話になっていますが、費用と時間と収納スペースの制約があるので図書館、電子書籍も利用します。
★★★
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★★★
よく読むジャンル:
【哲学、仏教、宗教、心理学】
効率的な情報整理の参考にするために読んでいます。
【数学、物理、コンピュータ】
高校以降の数学、物理は難しくてきちんと理解できていないので、基礎から学びなおす予定です。
またChagGPTで話題の自然言語処理に興味あり。
【経済、社会学、歴史、政治】
職を転々としているので、自分を客観的に捉える目的で読みます。
【小説】
純文は夏目漱石、芥川龍之介、太宰治くらいしか読んできませんでしたが、文学に興味があり今後幅を広げたいです。
【マンガ、ラノベ】
子供時代から息抜きのために沢山のマンガやラノベを読んできました。いまでもたまに昔読んだマンガを読み返します。また数は多くはありませんが最近の作品で、時代の変化や表現の進化を感じたりもします。
今後は活字の割合を増やしていきたいですが、マンガはマンガで芸術作品としてとらえたいです。
【ジュニア向けの本】
自分の過去を振り返って、読書を通じた心理的成長に興味を持っており、いまでもジュニア向けの本を読みます。
大人(40代)ですが、大人向けの本は難しいことが多く、飛ばし読みが多いです。難しかった本の感想は、えいやで適当に書いています。少しずつ難しい本も読めるようになりたいです。
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現在は物価が上昇しているので森永卓郎は金融緩和はすすめていないで、9%程度の物価上昇だから、消費税をなくせば相殺できると著書 書いてはいけない で提唱しています。その著書と投資依存症も併せておすすめです。ただ、庶民の生活には違和感があり、著者は住んでいるのは埼玉県南部で都心に近いところです。農業をやるなら機械が必要だし、生活するのも郊外は車が必要になります。月10万円では生活できないのは確かです。ソーラーパネルを張れと言いますが、地方でソーラーパネルは深刻な環境破壊を生み出しています。
めんちかつ様 都会も生活費・物価が高いですが、郊外も車などの出費が大きそうですね。自分は生活費目線で自給自足に戻る方向(昔に戻る、貨幣経済に乗らない)が良いかなと思ったのですが、経済を考えるとソーラーパネルなど新しい技術の導入をすすめる動きもあり、環境保護などともバランスをとって調整されるのでしょうね。