よくわからないけれど、正直いって、「こういう男性がそこそこいるんじゃないのか」と想像したことはあった(妄想かもしれないが)。もし普通にいるのなら、このように小説にはっきり書かれていることは、参考になることだと思う。それほど割合は多くはないと思うけれど。生存環境によってはそのことを認識することはかなり重要だと思う。多分小説の本題からずれているけれど、これはこれで、そこそこ重要な問題だとは思う。
約1か月間の読書メーターのお休みから復帰。もう少しゆっくりするつもりでしたが、野矢茂樹や京都学派などの本を少し読み、案外早く足場ができたような気がしたのでご迷惑とは思いますが戻ってきました。読書メーターはよい刺激になります。ありがとうございます。2024年10月の読書メーター 読んだ本の数:22冊 読んだページ数:6515ページ ナイス数:255ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/1446014/summary/monthly/2024/10
褒められるようなことではなく、住み分けでよいと思うのですが。もしかして、エゴ、自己愛によって、自分作っちゃってますかね…。(自己観察、メタ認知が甘いのか…。周囲からの、ご忠告は大事ですね。) あときれいごとを言っても、格差はあってもよいとおもいつつ、生活できるだけのものがなければ、やはり厳しいとは思います。
明治38年の国定教科書(黒表紙)の「数え主義」は量を追い出していきなり抽象的な数を教える教育。著者は具体的な量から教えるべきとしている。また西欧の数学をすべて進んだものとするのではなく、例えば数の数え方などは西欧よりも日本や中国のほうが論理的としている(この姿勢は新鮮だった)。なお個人的に、(量、数、空間と図形)の章は参考になったが、(集合と論理、変数と関数)の章は少し物足りなかった。
内容的には、この本を高校時代くらいまでに読んでいたら、高校時代の勉強がさぞかし楽しくなるだろうと思った。なお冒頭の記述で、この本は数学を憧れの対象(文明の象徴?)として見なしているようだが、自分の学生時代(数十年前)には、数学に憧れはなかった。自分の印象では、理系でも優秀な人は数学が好きな人が多いと思う。数学に憧れる感性があること自体が、文化的に進んでいると思う。
教育の差異について。学歴とか偏差値が取り上げられているけれど、むしろ、それらを取り上げるのはなぜなのだろうと思った(無視はできないのか)。読書量は関係しないのだろうか…。
自己、アイデンティティというものの構造に興味。「主観的に」自己肯定感をもつことと、損得、共同体意識、他者の見なし(持ち上げ/もち下げ)の関係。⇒本書にはあまり踏み込んだ記述がみあたらなかった。社会の機能分担、「社会に有用な仕事をうまくこなすことで自己肯定感を持つ」ような一般解はあった。納得はできるが、いつもそううまくいくわけではないような気がする。
本能的に他者を称賛/否定することによるアイデンティティの維持は、自然状態の人間/社会にとって、何かの機能を持っていると思う。そのことはどのように乗り越えられるのだろう(もしくはそのまま自然状態でいたほうがいいのだろうか)という興味。
パソコンは便利ですごくて、人類の可能性を追求したものだとは思う。ただし、余計なことが多くて、色々なことが面倒になったときには、パソコンはなくても自分は生きていけるという感覚になった(社会的バランスを考えたときにどうするのがいいのかまでは分からないですが)。
自分は仏教・神道でいまは便利な文明生活を享受しているが、アメリカでいうと少しアーミッシュみたいな世界観かもしれないと思う(アーミッシュについてよく知らない(ステラおばさんのクッキーくらいしか)けれど)。
お金のやりくりについて触れる箇所があった。当時の日本人にとって(今の日本人も?)、外国での生活は大変だったようだ。なお永井荷風にとって、恋愛は魅力的(?)なものだったようだが、お金がかかるということで、我慢しようかという個所もあった。また永井荷風にとって、文筆は、写実性を高めることを追求する価値があると考えていたようだ。
永井荷風は当時のエリートだと思うが、異国の文化体験談として、自分にも臨場感を持って楽しめる作品だった。それは永井荷風の文章力によるものなのか、それとも自分のような者でも、気づかないうちに社会主義、平等主義の影響下にあり、感性がエリートに近づいた(?)ためなのかは分からない。自分は文化芸術に疎くそれでも構わない(むしろ自分はそのほうがいいような気もする)が、芸術性にあこがれる気持ちは少し想像できた。
自分の政治的立場は、全体主義、個人主義というよりも、コミュニタリアンに近い緩い国内統合のようなイメージの気がする。コミュニタリアンの場合、国の問題にどうかかわるのがよいかはまだ分からないけれど。
公論というからには、国内が一体化した時の言論なのだと感じた。(自分はそれ以前に、日本国内の統合がどれだけ進んでいるのかに興味がある。)関心のあった真珠湾攻撃については、山本五十六の主導とかかれている。他の歴史マンガなどでは山本五十六はやむを得ず攻撃させられたというトーンのものも見たようなきがするので、こういった状況を正確に理解しようとしても、庶民の自分には限界があるような予感がした。庶民の自分には、こういう問題は、全体のなるに任せるしかないような気がした。
余計なことかもしれないが、太宰治は女性といろいろ問題を起こしているようだ(かどうかわからない)が、何故かそれほど抵抗なく小説を読めてしまう(いまのところ)。御伽草子や走れメロスのイメージがつよいせいかもしれない。御伽草子や走れメロスからは何がデカダンスなのかわからなかったが、本書はたしかにデカダンスな感じが伝わってきた。生きるのが大変な時代だったのだなと思った。
ラッセルの考えは(一部理屈的だと感じる部分もあったが)全体的にはもっともであるように思えた。(しかし宗教が異なるので何とも言えないが、自分の考える日本の神様は、もっとイメージ・存在として漠然としているような気がした。自分も四六時中信じているわけではないので、何とも言えないが、折に触れて考えたり信じることによって、精神的に整うというか、間違った方向に追い詰められなくなるというか、架空のものと分かっていても良いこともあるような気がした。)
「科学知に支えられた知識によって人間性を改善していく」「宗教の古い点や残酷な点に教条的に従うことはない」というビジョンに従うことは良いとして、現実の問題として「文化やモラルのことなる人々が混ざり合ったときに何が起きるのか(モラルの低い側が長期間許容されてしまう可能性)」「教条的にモラルを教えないときに、どういうモラルが根付くのか」という問題があると思った。
重要な話として、社会を変化させるときの人間の総合的能力の問題があると思う。人間の総合的能力が発揮されるものの一つとして物理のほかに文学もあると思う。著者の「自己発見」という本では、子供時代に文学にも興味を持ったものの「そこには大人の世界のさまざまなわずらわしさが入り込んでいる」「童話の世界のほうがよかった」とあり物理の道に進んだとあった。個人的には、こういう感受性、人柄が好きになりそうだと思ったが、現実の問題としては、ややこしい問題も避けては通れそうにないのだと思った。(それが宗教と切り離されている
また本書では個人主義について、一神教の基盤を持たない日本に西欧の個人主義はそのまま移植できないのではとしている。このことは参考になった。(ただその解決策として伝統的な「和」を重んじるということが、具体的にどういうことなのかは自分には少しわかりづらかった。)
(話が蛇行したが、自分で振り返ってまとめると、深く考えずに今の便利な生活に浸っている限り、米のインディアンのような精神的危機(文化否定)と紙一重の状況になる可能性もあるかもしれないと感じた。自分はかなり年を取るまで、神社の参拝みたいなことは当たり前だと思っていて、まさか否定されるかもしれないとは思ってもみなかったので、まだどういう文化状況にいるのか整理できていない。(誰からも否定されておらず、単なる考えすぎかもしれないが))
本書とは関係ないが、自分は恐らく文学的にはロマン派(東洋風含む)を重要視して、科学技術、抽象的な社会モデル、現実の生活、と適度に付き合いながら、生きていけないか、模索したいと考えているのだと思った。自分に足りないのは、悲惨な現実を直視することだと思う。しかし直視しすぎるとかえってお互い迷惑になる可能性もあるのではないかと思う。自分は考えなさすぎだとは思うが、適度に考えられるように、文学的な運動も含めて批判的にみられるようになりたい。
(問題のある書き込みかもしれませんが、誤解されるといけないので念のため。自分は宗教は人間社会にとって重要なものと思っているので、無宗教派ではありませんが、宗教・文化間の勢力範囲・比較に対しては、いまのところ中立でありたいと思っています。)
本書には全く関係ないが、自由・平等は個人主義と関連付けるイメージでいたが、どちらかというと背景に社会主義が潜んでいるのかもしれないと思った。とすると、社会主義-個人主義のペアのどちらかが強く出るか、もしくは保守、コミュニズムのような分類になるのかなと思った。
歴史・政治はまだ常識が身についておらずわからないことが多いが、自分に適したレベルの本を選択・探すことが重要・難しいと思う。本書は自分の好みよりも少し軽いような気がした。光文社版を先に読んでおいてよかったと思った。
保守的態度が重要といっても、現代日本では何を精神的基盤とするかは人によって異なり、各自が自己愛(と自戒)をもって精神を発達させていると思う。本書でよかった箇所として、保守は寛容とある。自分は横浜のみなとみらいのクイーンズスクエアのエスカレーターから見える詩(シラー作)を思い出す。 「樹木は、この溢れんばかりの過剰を 使うことも、享受することもなく自然に還すが…動物はこの溢れる養分を、自由で嬉々としたみずからの運動に使用する。…やがて自らの姿を自由に変えていくのである。」
真正庶民である自分にとって、エドマンド・バークが言及しているような国王・貴族のことは、直接的にはほとんど関係がないように感じられる(間接的には関係している可能性あり)。他の方が感想に書かれているように、保守主義というと自分は柳田国男のようなものを想像してしまう。地理的に拡大するなら、戦国武将(江戸時代の統治)や荘園のようなものもあり、それはどちらかというと現実的に国民の問題としてマスメディア等でも共有されているように感じる。
しかし、伝統・歴史の問題を重要視する場合、自由・平等の原則と反してしまい、問題視される可能性もあると思う(最近の日本では、歴史的シンボルを挙げるとそれがなぜかナショナリズムと結びつけられる印象がある。自分は歴史的人物やイベントに注目すると、ナショナリズムの反対で、地域分断という結論になると思うのだが。。)。対話を続けるには、自由・平等と歴史・伝統の二重構造で世界を認識する必要があると思う。
アニメのような創作物ではないが、自分が伝統的だと思っていた宗教が、じつは割と最近できた(かなり薄い)可能性もあるのではと思い気になった。それでも、実際に生きた人間に関わっていた、生を支えたという現実、主観的現実は残ると思うが。自分は自分の人生におけるそういったものを大切にしたい。
自分は難しい本を読むことにつかれて、神様(妖怪のような)が出てくるマンガ(正直あまり公言できない女性向け)を数日だらだらとよんでいたときに、自分の神様に対する感情は一体何なんだろう(なぜマンガを読んで面白いと思うのだろう)と思ってこの本を手に取った。(注:マンガとは別に、普通の神道的文化体験もある。それらは整合性なく神という言葉でつながっている。)自分の考える神様は、西洋の「厳しい神」(多分)と違って、保護し恩恵を与えてくれる神様だが、背景にはやはり力、恐怖があるということには納得できて興味深かった。
ほとんど何もわからないが石破首相は日本の安全保障環境が厳しくなっていると言っていた。戦争になることはないと楽観的に思いたいが、なにしろ自分は政治経済がよくわからない。もしそうなったときに、どうなるか(自分がどうなるか)は、周り次第で変わりそうな気がする。社会が混乱した時に「何が正しい」とかそういう感じが強く持てるかわからない。どきどき、びくびくしながら「あわよくば生きたい」と思いそうな気がする。
極論を言えば、日本人として虫一匹殺すこともためらわれるといえば、ためらわれるが、食糧生産のために虫の発生を薬で防いでいたりもする。ほとんど習慣で生きているだけで、倫理・感覚はあやういなと思う。似たような安定した世界観と一緒にあることが、安心につながりそうだと思う。(それと同時に、普通の生活を維持するために、何かに負担をかけていることにも想像力を働かせないといけないのかもしれないと思う。一般人の自分にはかなり難しいけれど。)
(また、ヨーロッパ人の反ユダヤ感情についてはよくわからなかった。自分から見るとユダヤ教もキリスト教も啓典の民で同じように見える。また、前書きと後書きにある、中国共産党と作者・訳者の関係については、基本的な政治の知識が頭に入っていないので、何を言っているのかよく分からなかった。)
まだあまり理解できてはいないが、西欧人の知的誠実さを追求する態度には、個人的にかなり好感を抱いている。(自分が実際にどれだけ真似できるかはわからないが。)いまどちらのモードでいるのかという、文化の切り替え(と切り替えた後でもバランスをとって節度を保つセンス)を意識する必要はあるような気がする。
個人的には、主人公はある意味精神的に問題を抱えているようにも思われる(特殊な環境のせいでおかしくなっているのか)。が、男性の精神状態として、何が普通なのかは自分にはわからないので、何とも言えない。(かなりの問題発言かもしれず、少し怖いですが、一応書きます。だけど、これが男性の普通なんだって言われたら、女性的には、システムというよりむしろ男性のが怖いと思う。)
よくわからないけれど、正直いって、「こういう男性がそこそこいるんじゃないのか」と想像したことはあった(妄想かもしれないが)。もし普通にいるのなら、このように小説にはっきり書かれていることは、参考になることだと思う。それほど割合は多くはないと思うけれど。生存環境によってはそのことを認識することはかなり重要だと思う。多分小説の本題からずれているけれど、これはこれで、そこそこ重要な問題だとは思う。
自分は正当なキリスト教徒ではないが、日本の神道でも理不尽な目に合えば、(神様や正義のような存在に対して)似たような心境になるような気がする。とはいえ、キリスト教圏の作品では「理不尽な目にあうことがある」と真正面から解釈するのに対し、日本の文学(というか説話・昔話)では「一時理不尽な目にあうがじっと我慢したり工夫していずれ幸せになる」のようなストーリーになることが多い気がする。自分はキリスト教圏と日本文学の影響を両方うけて揺れ動いているような感じがする。
本書とは違い、現代の日本にやネットは十分すぎる・贅沢すぎるほどの本の蓄積があると思う。問題意識や自由になる時間がなければそれらを読み解くことが難しい・できていなかったのだと思う。一般的にそこまで複雑に考える必要があるかどうかは分からないが、人生に躓いた時には、確かに支えにはなってくれるとは思う。
本書の中で、口伝で本を伝えるプロジェクトの中に、現在自分が読んでいるバートランド・ラッセルの名前があった。焚書をする論理としては、国民には記憶力コンテストでもあてがって、自分で考えている感覚にさせてやればよく(実際は自動的な反射作用で動かす)、哲学や社会学のような、物事を関連付けて考えさせるようなものは与えてはいけないとある。しかし自分は科学技術を使う社会で、哲学や社会学はかなり必要な気がする。哲学や社会学を禁止するのであれば、科学技術の基礎(啓蒙主義?)を大衆に教えない・社会に適用しないでほしいと思う。
なお本書では、「利己的な利益の追求」や「差別」が批判されている。「利益の追求」が批判されるのは日本的だと思うが、「差別」が批判されるのは日本的には近代志向の考え方だと思った。グローバル資本主義批判、中国の社会主義をエリート主義として批判していて、普通に命を大事にして生きられることを主張している。資本主義を一部とりいれつつ、一般人として平均的に多くの欲を持たず生きることを推奨しているように思えた(それはそれで納得できた)。
自分が難しいと思ったのは、利益を追求しているとみなされるかどうかが、多くの場合、他者との比較(特殊な価値観を基準とする)で相対的と思われること。(近代に局所的にできたと思われる相対的な)他者の価値観と歩調を合わせて、同じような生活を送っていれば(国際的に贅沢でも、ローカルに平均的であれば)、政治上は特に問題視されないが、他者の価値観を気にしなければ、糾弾される可能性があるということ。そして、「他者」の感性や価値観の平均が集団によってかなり異なり、日本では集団間の流動性が低いと思われること。
翻訳(単語)の問題もあるのか、文章の意味がとれない箇所がいくつもあった。また存在、時間は、西欧哲学を知らないのでピンとこなかった。しかし、全体的にはとても面白く参考になった。とくに言葉について考えるために、かなり参考になりそう。あらためて、自分が生きる空間は、自分が直接経験したものではない科学、帰納(慣習)によって成り立っていて、自分は多くを伝聞に頼り、特殊な感覚、感性で毎日を送っていると認識できた。その中で、他人と言語を通じて交流できることは、人間としての共通の特性を基盤とするのだと思った。
自分が理系の勉強したのは直接的には仕事を得ることが目的だったので(社会と学校制度に無知だったため失敗したが)、学問の歴史と意識が合致していると思った。数学に加えて、人文(古典など?)も、政治状況と現代の学校教育の背景を推測でき、少し納得がいった。しかし日本の場合、伝統と科学が完全に分離しているわけではなく、主流(中道?)では、それらが混ざり合っているような気がする。
追記:本書は、右でも左でもない慎重な書き方のように見えるが、本書を読んでしばらくすると、頭の中が攪拌されて、極端な左よりの世界観(「人類の文化的発展」のような)になってきた(個人的体験、こじつけかもしれない)。頭の中を真ん中くらいの世界観に戻したいと思い、1)神様を信じる、2)人文系の本を思い浮かべる、3)仏教的な意識コントロールを思い浮かべる、4)「世間」の存在を思い出す、など試して(文系的な世界観にして?)、引き戻した。色々な世界観と遭遇するので、頭の左右をある程度コントロールできるようになりたい。
娯楽と知識のアップデートのために日々本を読んでいます。基本的にリアル書店、古書店が好きなのでお世話になっていますが、費用と時間と収納スペースの制約があるので図書館、電子書籍も利用します。
★★★
気が向いた時には、かなりの速度で感想を投稿するので(1日5~10件)、気になる方は、すみませんがお気に入りの解除をお願いします。
★★★
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【哲学、仏教、宗教、心理学】
効率的な情報整理の参考にするために読んでいます。
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純文は夏目漱石、芥川龍之介、太宰治くらいしか読んできませんでしたが、文学に興味があり今後幅を広げたいです。
【マンガ、ラノベ】
子供時代から息抜きのために沢山のマンガやラノベを読んできました。いまでもたまに昔読んだマンガを読み返します。また数は多くはありませんが最近の作品で、時代の変化や表現の進化を感じたりもします。
今後は活字の割合を増やしていきたいですが、マンガはマンガで芸術作品としてとらえたいです。
【ジュニア向けの本】
自分の過去を振り返って、読書を通じた心理的成長に興味を持っており、いまでもジュニア向けの本を読みます。
大人(40代)ですが、大人向けの本は難しいことが多く、飛ばし読みが多いです。難しかった本の感想は、えいやで適当に書いています。少しずつ難しい本も読めるようになりたいです。
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個人的には、主人公はある意味精神的に問題を抱えているようにも思われる(特殊な環境のせいでおかしくなっているのか)。が、男性の精神状態として、何が普通なのかは自分にはわからないので、何とも言えない。(かなりの問題発言かもしれず、少し怖いですが、一応書きます。だけど、これが男性の普通なんだって言われたら、女性的には、システムというよりむしろ男性のが怖いと思う。)