途中までは年間200冊の勢いだったが、デルタ株の第5波の終息で、やや仕事が盛り返し、その分 読書量は減った。有り難いことだよね。 2021年の読書メーター 読んだ本の数:177冊 読んだページ数:61999ページ ナイス数:91744ナイス ★去年に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/556130/summary/yearly
片や物理学や数学の才能の際立つ孤高な少年。全てが解析の対象に見えてしまう。他者と気軽には交われない。片や父との相克もあり、過敏な体質もあって、スキーで自滅の事故を起こし、片足が不自由になる少女。少年には、子供の頃に脳に障害のある双子の妹を死に追いやった過去がある。小説には書いてないが、恐らくは親の意を汲んでの犯行か。自分だけの秘密が喉に含んだ匕首となっている。やがて運命の少女と出会う。拒食症に苦しむほどに世界とは相和すことのできない少女だからこそ、彼は全てを告白でき、一時でも抱き合えたのだ。
だが、2人の関係は長続きしない。二人は捻じれる平行線だ。ある視点からはどうみても交わっていく…交わっているとしか見えないのだが、2人にはそれぞれ交わるかのような平行線が何本も見えてくる…。迷い苦しみ遠ざかり近付き、ついにはやはり2人は交わるべく再会する。交差し摩擦熱と光さえ発する。閃光は2人のそれぞれの心の氷を解かす。解けた瞬間、2人はそれぞれの道があると気付かされる。孤独な道。だが、今度は歪でも尖がってもいない。どこか温みさえ予感させる道でもあるようだ。
本書でも触れられているが、トイレで流す排せつ物の行方が気になる。遠い昔、農家だった我が家には肥溜めがあった。だったら現代の技術で、家庭でバイオ燃料に、なんて夢想したが、合理性に欠けるらしい。だったら、町内会で共通の処理施設を作ってバイオ燃料にすると、コストに見合うのか。
ネットで関連情報を物色してたら、気になるサイトをヒットした:「総力取材 人間のうんちは「ケーキ」となって再利用されていた(堀川 晃菜) | ブルーバックス | 講談社(1/5)」 どうやら、人糞は、含有物が問題で肥料化を含め再利用が難しいらしい。「農家が汚泥肥料を使いやすくするためには、まず消費者である私たち一人ひとりの意識から変えていく必要がある」というのだ。つまるところ、我々の生活自体の見直しが迫られるという。なかなか厄介だ。
Johnnycakeさん アフリカ文学の父なんて、ほんと誰の呼称なのか。ある種の宣伝、謳い文句? アフリカの文学についても無知な我輩です。クッツェーは南ア出身、コンラッドはアフリカを題材にしてる、それだけ。アチェベにしても、英語で書いてる。現地の言葉(単語)を交えてそれらしく表現してる。アフリカのそれぞれの言葉で表現する人が増えているとか。明治大正の文学の黎明期が、作家が英語で表現するのが一般だったら……と思うと、アフリカの文学もいろんな動きがあるんでしょね。
ウェイリー版の「源氏物語」を、しかも日本語訳で読んで、人物関係や場面設定が非常に分かりやすかった。が、原文の語調や醸し出す時に妖しい雰囲気はまるで無くなってました。仕方ないのでしょうが。アフリカだって何処だって言葉は大事。話し言葉と表記する言葉も大事だし、違うはず。そういった諸々は読み手が想像を逞しくするしかないのでしょうか。
近年日本でも「三井不動産と竹中工務店は、日本橋において、木造高層建築物として国内最大・最高層となる賃貸オフィスビルの新築計画の検討に着手。2023年着工、2025年竣工を目指す」など、木材を使っての高層ビル建築への研究実用化が進んでいるようだが、欧米ではさらに研究が進んでいる。耐火の面でも鉄筋コンクリートの高層ビルより性能が勝っている:「日本橋に国内最大・最高層の木造ビル。三井不動産と竹中工務店 - Impress Watch」
以下、きりがないのでやめておく。あるいは各分野の専門家には常識の類かもしれないが、メモする値打ちはあったろう。 吾輩としては、縄文時代以来、樹木の利用が盛んになされてきたわけだし、国土の三分の二が山であり森であるわけで、日本人研究者の手でこうした人類史を書いてもらいたかったという思いが強い。せめて縄文時代から現代までの人と木の通史くらいは書いてほしい。あるいはすでにある?
「プラナリア」以下の作品もいいが、印象に残ったのは、最後の「あいあるあした」だった。この作品だけ男性が主人公。詳しくは書かないが、もしかして作家の理想像とまでは言えないが、好ましい男性像を描いたようにも感じた。過日、プラナリアなる動物について、「掴みどころがあるようなないような、弱々しいような逞しいような、くねくねしたところがたまらない」と書いた。男性には窺い知れない女性らの微妙で言葉にしづらい心理を描いてくれて、ああ、鬱屈した生活を余儀なくされている女性らの代弁者なのかなと感じた。
この大地にあるものはすべて、消え去るのだ。そして、今の実体のない見世物が消えたように、あとには雲ひとつ残らない。私たちは、夢を織り成す糸のようなものだ。そのささやかな人生は、眠りによって締めくくられる。 (引用は、「テンペスト (シェイクスピア) - Wikipedia」より。本書ではもっと長く引用されている)
これを宗教的諦観と捉えたら浅薄な理解に留まってしまう。この世のあらゆる存在、星々や地球や月のみならず、地上の生き物たち、それどころか生き物どころか机や窓やカーテンや、木々や雑草や、あるいは塵や埃の一粒だって、人が眺める意識するだけで存在となり、相関し合い、絡み合い縺れ合う。夢を織り成す糸…。生きていること自体が夢であり、その渦中にあって存在物の全てがあってあるものであり、あったものとなる。まさしに世界は「関係」でできている…。また大好きなベートーヴェンのピアノソナタ第17番、通称「テンペスト」を聴こう!
テーマにある「フォーディズムからデジタル封建制へ-」の「フォーディズム」からして初耳の吾輩。本書にも説明があるが、「フォーディズム - Wikipedia」によると、「ヘンリー・フォードが自社の自動車工場で行った生産手法や経営思想のこと」で、「現代の資本主義を特徴付ける概念であり」、「イタリアの思想家アントニオ・グラムシの命名による」とか。大雑把には、「生産性の向上による大量生産の実現」かな。コンベヤーによる流れ作業方式をイメージすればいいのか。人間性が削られていく。
新型コロナウイルス感染症のパンデミックを受けて、新版まえがきと終章とが新たに加筆された。終章は、筆者がコロナ禍に見舞われつつあった、イタリアはロンバルディアに居住していたことから、パンデミックに際しての当局らの戦いぶりが渦中の人だからこその筆致で描かれている。上下巻合わせて800頁の書を読むのは難しいだろう。せめて、新版まえがきと終章などは一読するといい。
「科学者は大気汚染と一連の疫病ーー喘息、心血管疾患、癌、脳卒中、認知症ーーに強い相関関係があることを実証してきた。」「WHOも、大気汚染が全世界の死亡率に大きくかかわっており、年間九〇〇万人を早死にさせていると推定する。」 「ディーゼル燃料は燃焼時に、高濃度の二酸化炭素と地上オゾンを発生させる。」 「アスファルトからも、温室効果ガスが発生する。晴天時の日射により、アスファルトは、車両交通よりも大量に二酸化炭素とオゾンを都市の大気に放出する。」
吾輩も無手勝流というか、とにかく題名だけに引っ張られて冒頭の「天国の鬼」を読み、一日も経たないうちに最後の「泥梨の天使」を読み終えていた。読んだ感、たっぷりだった。余計な感想など書かない。体当たりで先入観なしで読んでほしい。 ということで、余談になるが、挿絵のヒグチユウコの画が好き。見入ってしまう。「ヒグチユウコ - Yuko Higuchi Official Website」 http://higuchiyuko.com/
それより、社会派の清張らくし、社会の様相や人間関係の多彩さが濃密に描かれている。その点、「駅路」もだが、最後の「失踪」が清張ならではと思える。物語上は主犯格と目される人物は掴まり、死刑に処せられるのだが、本当の犯人は別にいるのではと強く匂わせるところで物語が終わっている。清張がその気になれば、相当に手の凝った作品になったかもしれない。惜しい。
「過去4度テレビドラマ化されている。1977年には向田邦子の脚本で制作され、2009年にそのリメイク版が作られた」とか。「駅路(えきろ)とは、古代律令制において定められた駅使が通行する官道のこと」だが、本書には直接の関係はなさそう。恐らく父の蔵書。昭和36年初版で、父の本は第4刷。本書には、「駅路」「誤差」「部分「偶数」「小さな旅館」「失踪」の6作品が所収。
投票率が50%ほど。野党は混乱し分裂し、中には与党にすり寄る勢力も。つまり、投票された50%のうちの半分を取れば勝つ。投票率の低下は大歓迎。結果、まるで何処かの独裁国家のような、情けない政権が続いている。国会は最小限しか開かない。野党つまり国民の声を聴くつもりがない。
題名にヴァージニア ウルフの『自分ひとりの部屋』を嗅ぎ取るのは吾輩だけではないだろう。 部屋…私的な自分だけの空間。それはやはり経済的自立なくして叶わないものかもしれない。男性だってそれなりに自立しているという自覚が前提にあるから幻想かもしれないとしても自由に振る舞えると思っている…思い込んでいるのだろう。
女性は古来よりそうした場を確保すること自体が困難を極めていた。特に若いうちに自立しようとすると、政治の場であっても、男性からの性的ちょっかいを当たり前のように受ける。筆者も政治活動や執筆や出版に動く過程で幾度もそんな不快な妨げを受けてきた。 今では自由に活動できているような筆者だが、その道程を辿るこの自叙伝は励ましの書になるのでは。同時に、本書はむしろ男性こそ手にすべき書だとも思った。
沖縄関連本で印象的な1冊が、目取真俊作の「虹の鳥」。地方で本土の目が届かない地域に世の矛盾と怒りが炸裂してる。それを加速してるのが、米軍基地であり、辺野古の埋め立てであり、本土からの観光客。
読むこと、書くこと、居眠りすることが好き。生活のために仕事も。家事や庭仕事もなんとか。
読書は雑食系かな。でも、読めるのは月に十数冊なので、実際には幾つかのジャンルに限られてるみたい。
苦手なのは、専門書や法律、マニュアル本など。
小説やエッセイを書いたりしてます。
バイクでのミニツーリングを折々。
グルメ、スポーツ、コンサートも楽しみたいけど、仕事や家事でなかなか実現しない。昨年(23年)末、薪ストーブ設置。庭木の枝葉を焚き火代わりに燃やしてます。薪はなくて柴だけなので、心底寒い時だけ。焔と共に柴の燃えてはぜる音が心地いい。
外部ブログも20年以上になりました:
日々の日記:「壺中山紫庵」 http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/
創作の館:「壺中方丈庵」 http://atky.cocolog-nifty.com/houjo/
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「プラナリア」以下の作品もいいが、印象に残ったのは、最後の「あいあるあした」だった。この作品だけ男性が主人公。詳しくは書かないが、もしかして作家の理想像とまでは言えないが、好ましい男性像を描いたようにも感じた。過日、プラナリアなる動物について、「掴みどころがあるようなないような、弱々しいような逞しいような、くねくねしたところがたまらない」と書いた。男性には窺い知れない女性らの微妙で言葉にしづらい心理を描いてくれて、ああ、鬱屈した生活を余儀なくされている女性らの代弁者なのかなと感じた。