伊藤若冲の巻物状の大作 新たに見つかる 76歳の時の作品か(NHKニュース)
伊藤若冲の巻物状の大作 新たに見つかる 76歳の時の作品か | NHK https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240305/k10014379941000.html
吾輩が好きな絵画は、「めちゃくちゃリアルなヌード絵画」のほうだ。ヌード画なのかどうか分からない…むしろ責め絵なのだろうが、月岡芳年の「奥州安達がはらひとつ家の図」が鬼気迫って初めて見たガキの頃からずっと印象に残ってきた。これ以上の作は(日本では)葛飾北斎の「蛸と海女」だ。
まあそんな地衣類についての学術的な案内書に留まる本ではない。文学や歴史、思想、音楽、アートと人文学的視野は広い。ルソーにソローにモンテーニュにバシュラールにユゴーにガスカールにビュトールにラスキンにジョン・ケージに…。33歳の有能な書き手がそのセンスのありったけで人文的土壌から栄養を拾いまくってくれている。訳者の目からすると瑕疵が目についてならないというが、ペダンティストでさえなりきれなかった吾輩には、存分に楽しめた本だった。
「黒部渓谷も水力発電の施設が進むにつれて、下流から逐次著しくその景観が害われてしまい(中略)、本年(昭和32年)からは、黒部の核心地帯である下廊下の絶勝がいよいよ水力発電(黒四)の工事現場となります。 工事完成の暁には下廊下の水は激減し、反対に上流に大ダム湖を現出することになり、原始的の雄勁黒部は人工的貯水池と荒れ壕の連続化することになります。 この小著もやがて変貌する黒部の中心地帯のありし昔の美貌をしのぶ一つのしるべとなり、同時にまた日本にかえがたい大自然の成せる国宝を失う哀歌となりましょう。」
吾輩ごときが内容を説明するのは僭越だし任が重すぎるだろう。 本文からの説明に依ると、「ファーストスターは、ビッグバンから二億年たたないうちに登場し始めた。それ以前は暗く、何も見えなかった宇宙に、単純な形の星が輝き始めたのだ。(中略)やがて第二世代の星が登場すると、ファーストスターはすぐに忘れられた存在になってしまった。しかしこの宇宙に、現在見られるような途方もなく多様な構造や生命を生み出すための下地ができたのは、何よりそうした星の介在があったからだ」という。
本書で実に意外だったのは(意想外の喜びでもあったのは)、このファーストスター、つまりはファーストライトの現象は今もって謎であり続けている、ブラックマター(暗黒物質)の存在と深く関わっている(だろう)ことだ。ほとんど重力としか反応しないブラックマターの解明にも繋がるような、電波望遠鏡だからこその研究・観測最前線の、その真っ只中にある研究者の最新報告の本なのである。
ドストエフスキーやポー、サルトルなどを意識していたようだが、今回読んでみて感じたのは、自分でも意外だったのだが、確かに実験的ではあるが、かなり私小説的な匂いを感じてしまった。何処か私生活の断片が透けて見えたような気がしたのだ。
最後の部分の闘牛も含めたフィエスタの熱気と錯綜する男女らの捻じれた愛憎とが交錯する場面はさすがに読ませる力は感じられたものの、物足りない感のほうが強い。もっと早くに、若い頃に読んでおけばよかったのかなとやや後悔気味である。
訳者は後書きで、本書は、バッハのゴルトベルク変奏曲をグレン・グールド演奏で聴きながら読むことを勧めている。我輩、先月だったか、青柳 いづみこ 著の「グレン・グールド: 未来のピアニスト」 (ちくま文庫 ) を読み、その際YouTubeでグールドのゴルトベルク変奏曲を繰り返し聞いていた。予告編だった?
帰郷した08年、「飛越地震(ひえつじしん)」があった年から150年目に当たるということで拙稿を書いた。なんといっても地元の立山で発生した地震なのである: 「飛越地震から150年」 http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/04/post_5023.html
読んでて面白く、劇的場面も多く、これはテレビドラマになるなと思いつつ読んでた。すると、「文庫版へのあとがき」にて、実際にテレビドラマ化されていたことを知った: 「「歴史スペシャル 江戸支社長奮戦記~荻藩・福間彦右衛門の日記~」NHK 1993年08月19日(木) 出演:イッセー尾形、角野卓造」
このところ読み続けている「万物の黎明 人類史を根本からくつがえす」にて、本書からの抜粋(参照)あり:「世界の大半では、国家は、勢いが盛んだったときでさえ、季節限定の制度だった。東南アジアではごく最近まで、モンスーンのきせつになるたびに、国家が権力を誇示できる範囲はほぼ王宮の城壁にまで収縮していた。国家の自己イメージや、標準的な歴史の大半における重要性にもかかわらず、最初に登場してから数千年にわたって、国家は定数ではなく変数だった。それも、大半の人類の生活では、きわめて不安定な存在だったのである」。
読むこと、書くこと、居眠りすることが好き。生活のために仕事も。家事や庭仕事もなんとか。
読書は雑食系かな。でも、読めるのは月に十数冊なので、実際には幾つかのジャンルに限られてるみたい。
苦手なのは、専門書や法律、マニュアル本など。
小説やエッセイを書いたりしてます。
バイクでのミニツーリングを折々。
グルメ、スポーツ、コンサートも楽しみたいけど、仕事や家事でなかなか実現しない。昨年(23年)末、薪ストーブ設置。庭木の枝葉を焚き火代わりに燃やしてます。薪はなくて柴だけなので、心底寒い時だけ。焔と共に柴の燃えてはぜる音が心地いい。
外部ブログも20年以上になりました:
日々の日記:「壺中山紫庵」 http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/
創作の館:「壺中方丈庵」 http://atky.cocolog-nifty.com/houjo/
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「「暴力装置としての国家の誕生と、人間の家畜化」参照。
このところ読み続けている「万物の黎明 人類史を根本からくつがえす」にて、本書からの抜粋(参照)あり:「世界の大半では、国家は、勢いが盛んだったときでさえ、季節限定の制度だった。東南アジアではごく最近まで、モンスーンのきせつになるたびに、国家が権力を誇示できる範囲はほぼ王宮の城壁にまで収縮していた。国家の自己イメージや、標準的な歴史の大半における重要性にもかかわらず、最初に登場してから数千年にわたって、国家は定数ではなく変数だった。それも、大半の人類の生活では、きわめて不安定な存在だったのである」。