昨日は法要終了で脱力感にどっぷり。一晩過ごし、御供えの果物や法事の3段重を食べたら、少し元気に。よし、書斎の片付けと掃除 やりましたとさ。午前中に終えて(終わったことにして)、法事のために買い替えたエアコン作動。これからはここで読書と居眠り。
音楽にも疎い小生は、ピアニストたちのコンクール事情が知れて、なんだか複雑な心境になった。既に30年以上の歳月が流れ、状況はすっかり変わっているのだろう。コンクールの数がやたらと増え、仮に優勝しても飯が食える保証はない…。
時代は移り変わっている。ロシアは世界の音楽界での位置をどう変えてしまったのか…。駅や空港ピアノで、演奏を披露して立ち去っていく姿は、颯爽としているが、いざプロを目指すとなると、想像を絶して大変談だろう…素人は気楽に楽しめばいいのだろう。
世界を知ること。世界を知りたいという猛烈な欲求。哲学を志向する人間は中学か高校の頃に、何よりもそのことに関心を持ってしまう。我輩ですら、そうだった。高校二年の頃に、中央公論社から世界の名著シリーズが出た際は、刊行順に買っては読んでいった。一冊読み終えるのに一か月を要した。鉛筆を片手に書き込みを厭わず…。
世界の中にいる自分。というか、私は何処にいるのか。吾輩は二つの障害を抱えていて、一つは誰の目にも明らかであり、一つは自分ですら気づかないほどに深甚なものだった。その後者に吾輩は孤絶を強いられた。誰と居ても、一人でいても私は泥沼の中で喘ぐばかりだった。 以下: http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2022/07/post-026306.html
戦争を知る世代の作家ということもあり、戦後の日本での国際派作家の堀田氏は吾輩にとってもある種の指針で在り続けた。 この上は、何とか早く、『広場の孤独』『漢奸』などを入手できるよう、願っている。
我が家の庭には種々雑多な植物が。中でも、山茶花や椿が植物に疎い自分には気になる存在である。どうして雪の積もる時期に敢えて咲くんだろう。雪の季節は庭は白黒の世界に埋まる。そんな中、孤軍奮闘じゃないが、山茶花と椿は晩秋から初春まで花を咲かせて、淋しい色の庭を彩ってくれる。
そうだ、前々から椿などの花の謎を知りたかったのだ。ネットで調べれがおおよそのことは分かるが、せっかく目についた本なのだ、これも何かの縁だろう、買うしかない。 ということで、感想などは野暮だろう。動物とは違う植物の生存戦略は、我々の想像を超える。ただただ感嘆するばかり。
「「自分」が皮膚の内側に隠れていると思ったら大間違い。皮膚こそ、自分そのものであり、つねに私たちを語っている。」皮膚は、「多彩なやり方で私たち自身を形作っている。そして、健康、美容といった生活面はもちろんのこと、「哲学や宗教、言語にまで、単なる物質的なあり方をはるかに超えた影響力を及ぼしている」と著者は言う。
おりしも本書を読了する日の午後、庭仕事で右手の人差指に怪我。剪定鋏の使いすぎで指の皮が剥がれた。6ミリ×3ミリ。当日の夜は水洗いも沁みて痛かった。翌日の今日は水洗いはそれほど傷まずできた。皮膚の大事さ、回復力を痛感。
女性の悲鳴を聞きつけ飛び出して行った男たちは兇弾の音と共に二度と家に戻れなかった。夜の叫び声と発砲音が占領日本のもう一つの顔なのだ、と何かの本で知った。それが度重なると男たちはみな頰被りして家に篭った。 若い娘らの貞操のための国策の赤線地帯であり沖縄に基地を集中させた一面もあるだろう。 私たちは頰被り族の末裔だ。
エリートの自覚というか、プライドの高さは凄まじい。よく言えば責任感なんだろうが、下手すると間違いを決して認めない(本人以上に)指導される国民の不幸につながりかねない。きわどいところだ。
鴎外が陸軍の白米主義をあくまで正当化(上司を守るため)。海軍が麦飯で脚気による死者数を激減させているにも関わらず。陸軍(上司)のメンツ。その為に陸軍の死者数は数万人。この絶望的頑なさは万死に値する。鴎外の全集に手が出ない大きな理由だ。
「涼美さんは、経歴で売っている感じがします。」涼美さんと出版社の利害が一致してるからね。話題性に偏ってる。とりあえず評論はもういいかな。小説は……いつか暇になったら。
本書は、本文は300頁ほどだが、原注が充実してて、少なくとも翻訳されている箇所は欠かさず読むものだから、内容の濃さもあって、読了に1週間以上を要した。でも、それだけの中身の濃さだった。今年に限れば、物理学(生物学)でのブライアン・グリーン著『時間の終わりまで 物質、生命、心と進化する宇宙』以来の、今年の収穫の書だった。
著者は言う:「生物は、物理法則と調和し、それに促されるように振る舞う分子の集まりだ。宇宙のほかの場所でもそうだろうと予想している。この挙動全体のなかで、このプロセスを進める生物はそれ自身が物理法則に縛られる。本書では……私たちが生命と呼ぶことにした繁殖と進化が可能な物質の普遍性に、もっと注目していきたい」。
「宮内庁は墳丘縁辺部の護岸工事を計画し、平成30年には状況把握のため周濠のすぐ外側の「堤(つつみ)」を発掘、今秋ごろから再び同じ堤を調査する予定。墳丘発掘も視野に入れており、巨大古墳の実態解明につながる壮大なプロジェクトになりそうだ。」
本書は、過日、「前川喜平氏の講演会に行ってき」て、その会場で購入したもの。彼らはマスコミ界、特にテレビやラジオからはパージ状態だろうから、講演会に足を運び、本を買う形でささやかなりとも応援したかった。 寺脇 研、前川喜平の両氏に内田 樹が加わることで論議に幅が出た。そうでなかったら、やや論議に硬直さを感じたかもしれない。
分かり合えることはありえないことなのか。善意はありえないことなのか。そんな無邪気な問いはお門違いなのだろう。 実は大人たちこそ、抱えてきた数々の傷が心身の内に澱のように淀んで生きている。汚れた大人…。分かるからこそ子供らへ手を差し伸べる。でも、大人の手は皺だらけで傷だらけで節くれだっていて、醜いのだ。そんなお前に柔らかな心の何が分かる?!
読むこと、書くこと、居眠りすることが好き。生活のために仕事も。家事や庭仕事もなんとか。
読書は雑食系かな。でも、読めるのは月に十数冊なので、実際には幾つかのジャンルに限られてるみたい。
苦手なのは、専門書や法律、マニュアル本など。
小説やエッセイを書いたりしてます。
バイクでのミニツーリングを折々。
グルメ、スポーツ、コンサートも楽しみたいけど、仕事や家事でなかなか実現しない。昨年(23年)末、薪ストーブ設置。庭木の枝葉を焚き火代わりに燃やしてます。薪はなくて柴だけなので、心底寒い時だけ。焔と共に柴の燃えてはぜる音が心地いい。
外部ブログも20年以上になりました:
日々の日記:「壺中山紫庵」 http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/
創作の館:「壺中方丈庵」 http://atky.cocolog-nifty.com/houjo/
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます