登録冊数が素数の1171冊になりました。読んだのはバルザック『ゴリオ爺さん下巻』です。上巻は下宿屋「ヴォケェ館」の住人の紹介で半分以上使って一体何が書きたいのかと思ってましたが下巻になると怒涛の展開で1日で読んでしまいました。ラスティニアックとはなんだか聞いた事がある名前だなと考えていたらラスコリニコフはラスティニアックのロシア語読みではないかと言う想像に至りました。『ゴリオ爺さん』が1834年、『罪と罰』は1866年。同じ貧乏学生だし。単なる想像ですが。次の素数は1181です。
文鎮さん こんばんは!🌃 今年初の素数呟き!、、、登録冊数の素数1171冊、おめでとうございます!💐 次回素数1181迄の10冊の、選書&レビューを楽しみにして居ます!🍀 お寒いですので、ご自愛下さいね!✨ 何時も、有り難うございます!🙋 宵待草
宵待草さん、こんばんは。いつも素数つぶにコメントありがとうございます。何故か次の素数は1173だと思っていて危うく見過ごす所でした。1173っていかにも素数っぽいので(笑)宵待草さんもお元気で。
上層部が情報共有するという方法に変えた。両県に渡る場合殺人事件では警察庁の捜査一課がまとめ役として出てくるとは初めて知った。そもそも警察庁に捜査一課があるのも新知識。容疑者として浮かび上がったのが池田清を始めとする3人。夫々怪しい。前回の事件で池田清を尋問したOB滝本や入社3年目の新聞記者千野今日子、10年前に娘を殺害された写真館の主松岡芳邦ら刑事以外の人が上手く動いて読み応えのある小説になっていた。さて犯人は誰か。
殺伐とした孤独の象徴だと。『春の雪』しか読んでないが何と言う寂しい終わり方だと思ったが、三島の狙い通りであった訳だ。安部公房がコロンビア大学のキーンさんの研究室を訪れる際に通訳を連れて来た、と怒っていた。その通訳はオノ・ヨーコだったと後にわかる。オノ・ヨーコが無理やりついて来たのかも知れない。キーンさんの最大の業績は『日本文学史』を英語で書き日本文学を世界に知らしめた事だろう。日本語訳は中公文庫で全18巻だと。中公文庫といえば編集者時代の宮脇俊三が日本史、世界史を各10数巻編んだ事が有名だが書き手は→
1冊ごとに変わっていた。キーン先生は18巻を1人で書いた。まことに超人的な業績だ。万葉集から古今和歌集、宇治拾遺物語、平家物語、近松門左衛門、松尾芭蕉、石川啄木、谷崎潤一郎の辺まで。夏目漱石は嫌いだ、というのに笑ったがここにドナルド・キーンを読み解く鍵があるのかも知れない。
ポロンさん、こんばんは。そうですね。ニーサ枠の拡大と海外投資家が中国の不調を見て資金を資金を移している事、そして円安と言う大きく3つの要素のせいだと言われています。さて今後どうなるでしょうか。アナリスト達は真反対の事を言ってます。
<約15年間の王政復古時代の゙物語。スタンダールの>というように、時々「の゛」と濁点があるように見え、これはどういうことだろうか、と。文鎮さんがそのように書くということは、濁点があるように見えるのは私ということでしょうか。なら、失礼イタシマシタ。
作者によれば迎撃により1000機にのぼる損失を出した。この対策としてより日本に近い硫黄島の占領を米軍が意図し東條英機は守備の司令官として栗林中将を選んだ。作者によれば東條英機はアホな作戦ばかり実行した人物だが栗林中将の任命だけは当たりだったと。栗林中将は父島の司令部にいるのではなく戦地となる硫黄島に行った。これは司令官として異例だと。そこで現地を見て1兵卒と同じ食事を取った。これも世界的に異例。作戦も上陸する敵を水際で殲滅する常識的な水際作戦でなく地下にトンネルを張り巡らしてゲリラ戦を行うと言うもの。→
今、まさにガザでハマスがやってるのと同じではないか。米軍はこんな小さい島は5日で落とせるとまずは沖合いからの艦砲射撃を3日間行った後に上陸するがそこで物凄い反撃に合う。守備軍21000名。上陸した米軍6万人。その米軍の半数近い28000人が死傷者となる。守備軍は2万の戦死者と千の負傷者。米軍は7千の死者と2万以上の負傷者。米軍的には殆ど敗北。この硫黄島の戦いで日本軍がよく戦った事が戦後の日米関係を決めた、と言う見立てだ。基本的にはなるほどだがちょっと違うと言う部分も゙ある。小室直樹とはそういう人だ。
しまった。女優さぎりはかろうじて紫さぎりと言う女優がいてインドの映画監督に「細雪」の母親幸子の役をオファーされる時に鶴子と雪子がインド人女優で「顔が小さい」と言う事に異常に反発すると言う話であるなと読んだ。さぎりは女優をはるくらいだから中年になっても美人だ。にも拘らず黄色人種は「顔が大きい」コンプレックスに悩んでいる。そのため端役にもっと普通の日本人女子高生をプロダクションのつてで出演させるそれが次の「モデル」につながる。→
「モデル」の主人公の係累の描写も妙に詳しい。簡単に言うと主人公、聖の祖母高沢順子が多いに活躍し聖ことSEIは役目をこなしている感じ。本職の白人モデルに混じってランナウエイを歩く素人の聖が初々しい。本書で作者は女性は見栄えが一番重要だと言う事を執拗に書いているが多分それも皮肉。それにしてもややこしい話だった。最初に出てくる元子と梨沙の姉妹は何かの形で出てくる。それこそ色んな形で。
脱進機の仕組みが分かった。鍵ではマスターキーの仕組みが分かった。これがまた実に巧妙。世の中には頭の良い人が多い。はかりでは1669年のロベルヴァルのはかりの機構がよくわかる。平行四辺形を使うお手本の様な機構だ。上皿のどの位置に物を乗せても正しく計れると言うが数学的に説明するのは大変の様だ。位置エネルギーの問題として理解すると分かりやすい。→
直示式天秤と言うものが最近までありそのメカニズムの精妙さに驚いた。布作りにはあまり興味を覚えなかった。作者は「シング・ウイスパラー」と言う言葉を紹介し、ものと一体になれる人を示す様だ。はっきり言えば「もの」オタク。他にも『世界で一番美しい元素図鑑』などの作品がある。この写真いっぱいの作りで税抜き3800円は安い。
にも乗る。「あさかぜ」で東京から下関に行き、日中に長崎まで移動して夕方「さくら」に乗り東京に帰って来ると言う強行軍。しかもB寝台、つまり個室ではない。まだサカイは若かったんである。最後の方にこれも廃止される寝台特急「出雲」が出てくる。これはA寝台で個室。城崎で降りて余部鉄橋の撮影をする。風に煽られて鉄橋から列車が墜落すると言う事故は1986年の出来事であったか。なむなむ。鉄道に乗ると眠くなるそうだ。決まった線路を進む安心感か。鉄道ファンに男が多いのは鉄道が母親的だからではないかと作者は考査する。→
いわゆる胎内回帰。贅沢な事にロンドンまで行って地下鉄に乗っている。狭い列車で乗客が膝を突き合わせて乗ると言う描写がある。実はロンドンの地下鉄には二種類あって標準的なものと狭いもの。狭い路線はサッチャー首相の時に予算を削られてギリギリの設計になったと聞いた。かまぼこ型の屋根とすれすれの天井。ロンドンの一つの見ものかも知れない。東京駅ステーションホテルが改装される前に泊まる。バー「カメリア」が有名だと。改装後も残っているのか。東京駅ステーションホテルは泊まった事が無い。一度泊まりたいと思った。
向かう。たまたま休暇で行ったネピ島に古代水中遺跡らしきものを見つけて再調査に向かうところから物語が始まる。インドネシアは現在はイスラム教の国であるがバリヒンドゥーに見る様にヒンドゥー教がある程度浸透していた地域である。しかもその前には原始シャーマニズムの地域であった。カモヤンが休暇で訪れたのは現地人から首狩族と嫌われているシャーマンの住む地域。そこで彼は昔遺跡公園を作った時の遺跡に似た仏塔様のものが海中にあり現地人が大事にしている事を知る。その調査の為の一行である。シャーマニズムは作者の得意とするところ→
である。さてどの様な冒険譚になるのであろうか。私は一気読みしてしまった。作者が女性であるせいか、女はいざと言う時肝が座っているなあと思わせる場面が多い。
と改めて思うがやたらに京大近辺の事ばかり出てくるのでなんだかなあと思うんである。夏目漱石も『吾輩は猫である』を始めとして初期は東京帝大近辺の事ばかり書いていたがあれは彼が本当のエリートで読書層もそれに準じていたと言う理由がある。時代が違う。京大も数多い大学の一つでしかない。それなのに作者は京都の東半分の事をことさらに書く。それが鼻につく。同じ京都の事を良く書く梨木香歩の方がずっと上手く京都をこなしている。モリミーのファンの方にはすまぬ事であるが私的には引っかかるんである。
ガラスの文鎮というニックネームですが文房具フェチな所があってそういう意味の文鎮です。文鎮と呼んでください。嫌いな作家は百田尚樹なのでそのレビューだけはナイスをパスします。悪しからずご了承ください。
(好きな作家、敬称略、順不同)
岸本佐知子、絲山秋子、津村記久子、宮本輝、平安寿子、奥田英朗、原田マハ、山田宗樹、山田太一、椎名誠、群ようこ、宮部みゆき、篠田節子、角田光代、白石一文、小川洋子、橋本治、真保裕一、姫野カオルコ、向田邦子、本多孝好、笹本稜平、幸田文、高野悦子、高野文子、高村薫、森絵都、湊かなえ、貫井徳郎、宮脇俊三、関川夏央、佐藤多佳子、ドウス昌代、真山仁、楡周平、池澤夏樹、村上春樹、恩田陸、東野圭吾、永島慎二、庄司薫、佐々木譲、柴田翔、寺田寅彦、中山七里、川上弘美、江國香織、西加奈子、桜木紫乃、竹内薫、瀬尾まいこ、川上未映子、安部公房、北杜夫、遠藤周作、開高健、塩野七生、多和田葉子、朝永振一郎、、稲垣みえ子、太宰治、楊逸、川端康成、夏目漱石、堤未果、斎藤美奈子、矢作俊作、大江健三郎、伊藤比呂美、佐野洋子、小山田浩子、町田康、小池真理子、橋本治、瀬戸内寂聴、ジョングリシャム、パトリシアコーンウエル、フィリパピアス、マイケルクライトン、ロビンクック、トムクランシー、エミリーブロンテ、イアンマキューアン、リチャードファインマン、フィリップマーロウ、アンソニー・ドーア、ベルンハルト・シュリンク、フランスワーズ・サガン、ジェフリー・ディーヴァー、リサ・ランドール、ケイト・モートン、ヴァージニア・ウルフ、ギュスターヴ・フローベル、エミール・ゾラ、ユン・チュアン、ル・クレジオ、パウロ・コエーリョ、トーマス・マン、ガルシア・マルケス、エリザベス・ストラウト、劉慈欣、サイモン・シン、スタンダール、マリオ・ガルパス=リョサ
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と改めて思うがやたらに京大近辺の事ばかり出てくるのでなんだかなあと思うんである。夏目漱石も『吾輩は猫である』を始めとして初期は東京帝大近辺の事ばかり書いていたがあれは彼が本当のエリートで読書層もそれに準じていたと言う理由がある。時代が違う。京大も数多い大学の一つでしかない。それなのに作者は京都の東半分の事をことさらに書く。それが鼻につく。同じ京都の事を良く書く梨木香歩の方がずっと上手く京都をこなしている。モリミーのファンの方にはすまぬ事であるが私的には引っかかるんである。