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探究(1) (講談社学術文庫 1015)

感想・レビュー
95

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犬猫うさぎ
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ドストエフスキイの人物たちは、何かをいったあと、相手がいいかえす前に、それを先取りし、さらにそれを否定してしゃべりつづける。ふつうの意味では、これは対話ではなく、一方的な独白である。が、これが対話的だというのは、彼らの発語が“他者に向けられて”いるからである。彼らにとって耐えがたいのは、何かをいう(say)ということが、いつも別のことを意味してしまう(mean)ということなのだ。あるいは、「意味する」ことが、自分自身(私的規則)によるのではなく、まったく他者に依存してしまうという条件なのである。(97頁)
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拡がる読書会@大阪
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「探究」シリーズは、柄谷行人の哲学的・思想的な探求をまとめたもので、特に「他者」や「外部」に関する考察が中心テーマとなっています。 自己と他者の対称性を前提とする「話す‐聞く」モデルを焦点をあて、他者は自己と同じ言語ゲームに属している他者であり、結局のところ他者はもうひとつの自己にすぎなくなる。と難しい話にありますが、対話を経て、自身も他者の関係性を構築の過程を考察しています。 https://note.com/sharebookworld/n/n13d6f61fe9be
0255文字
ほ🌟 ̖́-
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寂しさへの共感。
0255文字
individual
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柄谷は『日本近代文学の起源』では、おもに日本の近代の文学者を引き合いに出し、批評をしていました。僕は近代日本の文学書をよく読むので、『日本近代文学の起源』は読み解くうえでの手がかりが多く、とても参考になりました。『探究Ⅰ』では、おもにヨーロッパの哲学者を引き合いに出し、批評(“探究”)をしています。僕はヨーロッパの哲学書をあまり読んでいないので、『探究Ⅰ』は読解の取掛かりが少なく感じました。とりわけマルクスを引き合いに出し、批評をしている箇所は難しかったです。しかしそのなかで、デカルトとキルケゴール
individual

を引き合いに出し叙述されている箇所は、ある程度咀嚼して理解できました(僕はデカルトの『方法序説』と、キルケゴールの『死に至る病』の前半は読んでいたので、そのことが理解の助けになりました)。『探究Ⅰ』を読んで、僕はウィトゲンシュタインの作品を読みたくなりました。

06/30 21:13
0255文字
yoyogi kazuo
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内容が抽象的なうえにウィトゲンシュタインはじめ難解な思想の引用が多くかなり理解困難。でもハマればその魅力に飲み込まれてもおかしくない。個人的にはドストエフスキーを論じた10章~11章がツボに入った。
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踊る猫
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ウィトゲンシュタインをこれまで(わかるわけがないにせよ)読み進めてきた1人の読者として、ここで開陳される柄谷の読みを興味深く受け取る。柄谷はここで、言葉を介してぼくたちが行っているコミュニケーションを自壊する地点まで煮詰めて「人はたんに喋っている」「そこから事後的に意味が見出される」と説いているように映る。そうしたコミュニケーションの「交通」の奇跡・偶発性とは、しかし言ってみれば「あたりまえ」なものだ。そんなこと考えなくても生きていける……だが、柄谷もウィトゲンシュタインと同じくそこでつまづく人物のようだ
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隠居
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子供の頃に評判に釣られて読んだ時は何一つ理解できず何一つ理解できないので酷く退屈だった。1~5.
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ノブヲ
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他者とは誰か?神か?デカルトは「我思う」の我の存在を確固たるものにするために、逆説的に神の存在を立証しようとした。内省へと抗い、非対称的な関係をとり結べる相手こそが本質的な意味での他者となる。その点カントやフッサール、ハイデガーの哲学は、あらかじめ他者性が抹消された自己対話的な世界である。そこでわたしたちに求められる態度は、より開かれたウィットゲンシュタイン的な懐疑の徹底に他ならない。「探究」とは、いわば「他者」を探す旅である。命懸けの飛躍の果てにあるだろう、真に新たなる出逢いを求めて。(下巻へとつづく)
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RIN
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『探究』この漠然とした本の中で主題となるのは『他者』あるいは『外部』とはなにか、である。我々が一般的に捉えている(私個人の考えを我々と置き換える時点で独我論的であるが)他者とは自分以外の相手を意味する。しかし著者によれば、同じ共同体に属し共通のルールで言語ゲームに興じる相手は他者ではありえず、それ自体がモノローグ的であるという。他者とは共同体と共同体の間にしか存在しない。平均的価値観にならされた現代社会においてまさに極論である。けれど、どんな学問も『命がけの飛躍』は固定観念の終点、極論の瀬戸際で起こる。
RIN

著者は自身の「真意」が伝えられることを期待していないという。そんなものはありえないのだから、と。この本は彼の頭の中をほんの少し書き出しただけのモノローグである。『福音書において印象的なのは、「教える」者の優位性ではなく、その無力さである』と彼はいう。貧しい者の暮らしも不条理な死に怯える罪なき者の命も一切誰も救いはしない、この純粋なる知性をただ美しいと思う。

03/05 22:42
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踊る猫
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柄谷行人を読むと、確かに何かつかめたような気持ちになる。でも、それははかなく終わる。たぶん柄谷行人は(坂口安吾やウィトゲンシュタインと同じで)「考えるヒント」を出す性格を保持しているのだろう。彼の思考が忠実にヴィヴィッドにトレースされたこの本を読むとそうした「ヒント」をつかめて、たしかに何かを得られたように思える。だが、それは「ヒント」にすぎない。そこから単独者として何か自分の哲学なり文学なりを始める存在は他でもない、柄谷のテクストを読んでしまった自分なのだ。その主体性を再確認して読んでこそ味が出る1冊だ
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遊学の隠居🌊
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ヘルシンキの図書館でまさかの出会い。全部読んでないが、序文を拝読。帰国してから深く読んでみたい。
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masanari
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分かり合えない絶対的な「他者」を持ち出すことで、あらゆる規則、価値、体系を相対化しようとする試み。
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へやせま
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つまり命がけの跳躍なのだよな、言語も売買も、愛すらも。一度しか言及されていないが、柄谷はレヴィナスを引いて≪他者≫への跳躍を可能たらしめている原動力はエロスだ、と暗にほのめかしている。でなければ引用しまい。しかし一度だけである。興味がないからなのか探究中だからなのか、跳躍の源泉について本書はほぼ触れていない。そこがキモだと思うんだが。柄谷行人を鵜吞みにするほど若くもないが、やはり文章家としてセンスがある。哲学、文学的な洞察よりも、面白く読ませる技芸があるんだよな。
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♨️
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『内省と遡行』が一つの観点(主観性)から世界を基礎付ける「内省」と、例えばニーチェが直観したそれ以前のものとしての諸観点への「遡行」との間の橋渡しをしようとして失敗していたのに対して、方法的懐疑と神の問題から始めている『探究』は内省ー遡行をつなぐものとして、起きてしまっている(「私」という主観性が成立してしまっている)ときに通過してきた「他者」を扱っていると思う。その時に「他者」論として規則のパラドックスがずっと検討されているのも「どうしてここ(規則の成り立つ世界)にいるのか」の驚きゆえと取れると思う。
♨️

その驚きを共有している固有名が次々評価されていくが、特にキルケゴールや(バフチンの読解とは異なる)ドストエフスキーへの評価が印象に残りそれらを読みたいと思えた。一方で、デリダやドゥルーズへの評価は、同時代思想ということもあるが性急に思う(前者はほとんど同じ問題だと言いながら「先輩ヅラ」しているような気もするし、後者はまともに検討されてもいないと思う)。東のデリダ論、千葉のドゥルーズ論が柄谷への応答であったという文脈からもそれらを再読したい。

10/10 13:03
♨️

また、宮﨑裕助も自身の博論で『探究』を意識していたとTwitterで言っていて読みたい。

10/10 13:03
0255文字
Reiwa1dokusho
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高校生に勧める評論に入っていたので(高校レベルの内容なのかと思って)読んでみたが、あまりよくわからなかった。
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いちもく
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「思想の核心は、共通性にではなく、微細な差異性にある」と書いた5行後に「『論考』と『哲学探究』の差異は、カントとキルケゴールの差異に似ているといってもよい」と書くのはすごい
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鏡・空間・イマージュ
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1992年3月10日 第1刷発行 2008年5月20日 第25刷発行 発行者:野間佐和子 発行所:株式会社講談社 装幀:蟹江征治 印刷:豊国印刷株式会社 製本:株式会社国宝社 ISBN 4-06-159015-4
0255文字
急性人間病
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同じ言葉を持たない、ほんとうのほんとうになにがしたいかわからない存在(としての《他者》)というのを考えるというのは、なかなかみんなやりたがらない…という話だとかいつまんでしまっていいかはともかく、創作論的側面で言うと《「発見」と「発明」の違い》の条りに我が意を得た感じがする。「発明」が唯一無二の個性と誤認される傾向の根深さに思いを馳せたり。
0255文字
引用
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既視感がある
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pankashi
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ネタバレウィトの言語ゲームとマルクスを使った柄谷の他者論だった。学術的にツッコミどころはあるだろうけど面白かった。個人的には読んでて初めてバフチンに興味を持った。
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オオタコウイチロウ
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デリダの補助線として読み始めるも、結局こちらがメインになってしまった。早く読めば手っ取り早かったが。「教える」「行為」そもそも言語ゲームを共有しないものこそが《他者》。やはり各言語には、理屈抜きでの民族的な経験や、歴史的慣例的蓄積を含み込まざるを得ない。「イロニー」とは。《他者》との対関係ーー「出会い」とは、それ自体生優しいものであるはずがない。その覚悟があるかどうか。
0255文字
ころこ
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以前読んだときに、もっと一文一文こだわって読み、フッサールだ、デカルトだとその都度詰まっていたものです。コミュニケーションの重要性を突き詰めると、その不可能性から思考せざるを得ない。ウィトゲンシュタインの『哲学探究』の前半にある石工の親方と弟子の喩えから引いてきています。なぜコミュニケーションが重要かというと、誰もが知っている積極的な一律の効用よりも、偶発性によって生み出される剰余に創造性をみているからです。そこで、マルクスの商品交換とその剰余(贈与)が出てくる。重要人物はこの二人だけです。尚、著者はウィ
ころこ

トゲンシュタインを曲解しており、本書はむしろ彼の洞察を消しているように読めます。創造性を極限まで高めると、絶対的な他者(それを神と言ってもよい)との非対称なコミュニケーションに失敗することによって成功するというようなことを延々と語っています。著者が思いついたままバフチンだ、ヘーゲルだと無茶苦茶な文脈で哲学者を召喚しているのも、交換の失敗をいわばパフォーマティヴに行っているだけで、実は躓き、半ばスルーしても何ら問題ないのだといってもよい。なぜなら、失敗する不可能性によってこそ創造性の極限に到達するからです。

12/30 15:51
0255文字
めんま
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主に他者をめぐる論考。異なる言語ゲームにあり、かつ神のような絶対的他者ではないものとして、「他者」を捉える。しばしば自己の延長として他者を考えてしまう自身の思考に反省。
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呑司 ゛クリケット“苅岡
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象を触っためくら逹は、ある者は壁のようだと言い、ある者は管のようだと言い、そして、ある者は柱のようだと言った。そんな寓話を思い出す。信じるモノが、違うと 神の意味も変わってくる。心に残ったのは、悟りは何度も出来る、泳ぎを覚えた瞬間、自転車に乗ることが出来た瞬間。悟りが多いと、更に真実は分かり難くなるが、それも真実。そう思わないことも真実。という部分。面白いかそうでないかを議論するより、理解の程度が一人一人違うのだから、他者を認めることが大事だと感じる。
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K
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他者にとって意味していることが承認されるときその限りにおいてのみ文脈があり言語ゲームがある マルクス可能性の中心で読んだことが違う文字で書いてあるだけだった。もう満腹かもしれない。読むけど
こいで

後半は文字だけ読んで文章は読んでなかった気がする。2はまだ初めの方しか読んでないけれどカナーリ面白い

08/01 21:19
K

2持ってないから明日にでも買いに行くわ

08/01 21:36
0255文字
こいで
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話すー聞く、書くー読む、についての、主体の意識としては知覚されない両者間の「遅延」を意識することが「差延」ってことか(?) /柄谷行人が退けるソシュールやフッサールの「意味」論と、彼が評価するウィトゲンシュタインやデリダの「神秘」論にはどれほどの違いがあるのか。
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踊る猫
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ずっと柄谷行人を誤解していたのかもしれない。カントの「物自体」という、私たちの認識しえない存在を作り出して整理する思考を批判して「他者がいない」と語るところにショックを受けた。「神」や「他者」といった人知を超えた存在を「それはそれとして」「そういうのがある」と片づけるのではなく、具体的な手触りを確かめようとする。だからコミュニケーションにこだわる。「ウィトゲンシュタインはいいこと言ってるな……」という軽いエッセイとして書き始められたはずの『探究』が、かくも繰り広げられて「論考」になるとは。実にスリリングだ
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舞い降りた解答
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とても面白い。
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Ryo
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とりあえず読んでみたという感じ。ウィトゲンシュタイン、ハイデガー、マルクスなど、事前に知っておくべき哲学の基礎知識が必要な本だと思う。まだ哲学読み始めの自分には難解過ぎた。「他者」とは何かと言う事を、様々な観点から読み解く。この本での「他者」は、言語ゲームを共有しないと言うかなり尖った「他者」だ。そんな中でも、教育における公認された真理や、売買における価格の様に、共有しているルールがある時点でそれは「他者」ではなくルールによる隣り合わせの関係でしかないという点は面白かった。これを面白いと言える人凄い。
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静かな生活
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85点*ちょっとわかりやすい『内省と遡行』。つくづく驚くのは八〇年代言論の中心にこういった論説が存在していたことだ。いま・ここの現実とは切り離されているような「抽象」が「他者」という蝶番を介して現実を多元化するーーという無限ループの快楽。時代関係なしに知識社会の人々はこれを基礎とせざるを得ないのだろうか。
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月をみるもの
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「論考」の解説本( https://bookmeter.com/books/13637795 ) を読んだら、後期のことも振り返りたくなったんで、30年ぶりに読み返す。今読んでも(あるいは、歳をとったいまだからこそか?)十二分に面白い。ヴィトゲンシュタインがカントールの対角線論法や、ゲーデルの不完全性定理を批判してたってのは、知らなかった。。
月をみるもの

たしかに数え終われる無限=実無限って概念は、なんか変だよな。。 http://park20.wakwak.com/~ichikawa-clinic/contents.htm

01/04 17:49
月をみるもの

数学者は数学を「発見」するのか、それとも「発明」するのか?→ 当然、後者。 数学の referent が、人間の脳の構造なのだとしたら、それが「世界」をこんなにもうまく説明するのはなぜなのか? →「世界」もまた人間の脳によって構成されてるから、、、というのが養老先生の回答ですね。。

01/04 17:52
3件のコメントを全て見る
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逆丸カツハ
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規則を共有しない他者こそが他者だという話。その形式を語るのは簡単だが、実際に状況に直面すると大変。それは必ず人に態度の変更を強いるだろうから。個人的には違う考えも持っているが、それでもやはりここに帰ってきてしまう。自分にとって始まりの本。
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ルンブマ
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柄谷行人の、『探求』での「内/外」の外部へ出て行く過程と、スティーブン・ホーキングらの「無境界仮説」は似ている。
0255文字
34
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たぶん柄谷行人の「可能性の中心」。
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えもももも
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再読
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十文字
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15年ぶりくらいに再読。たぶん、今までで一番読み返している本。さすがにもう読むことはないかも。知らんけど。
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chanvesa
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「私に言えることは万人にいえると考えるような考え方が、独我論なのである。独我論を批判するためには、他者を、あるいは、異質な言語ゲームに属する他者とのコミュニケーションを導入するほかない。」(12頁)、「ウィトゲンシュタインは、≪他者≫を、『われわれの言語を理解しない者、たとえば外国人』とみなしている。」(49頁)。「教える」ー「学ぶ」という意志的な関係、極論で言えばヘレン・ケラーとサリヴァン先生が水という言葉を知る有名なプロセスまでが他者との関係かもしれない。これは相当な覚悟が必要な関係性であろう。
chanvesa

「深淵と飛躍」についてウィトゲンシュタインにおいて意味する「哲学的(合理的)には不可能であるにもかかわらず、日常的に(実際的に)可能であるという驚くべき事実性」(193頁)はドストエフスキーにおけるポリフォニックで非ユークリッドな世界に結び付いていく。学習が、柳田国男の考える記憶ではなく「まねぶ」(154頁) であることが、変容という補助線を用いた創造を成立させることができるのであれば、飛躍に結び付くのかもしれない。。

09/13 23:57
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ゆえじん
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柄谷行人が「他者」に驚き、躓く。 ずっとそれを繰り返す本。 アイツには「他者」感あるよね、アイツにはないよね。 ずっとそれを繰り返す本。 そうなんだけれど、とにかくカッコいい。 東浩紀が「必殺技文体」と命名した柄谷の文体が炸裂する。 「他者」・「交通」など冒頭に太字で紹介される「技名」。 ずばーんと決まるとかっこいい。 その瞬間を見逃さないよう、「技名」は覚えて読み進めよう。
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またの名
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「これを理解できない君の知能が低いのだよw」と教える側が凄んで見せる時、教師の正しさを保証するのは生徒が理解したという事実か、それとも共同体の権威による追認かを問うたヴィト。この問いを手掛かりに、同じ言語ゲームのルールを共有する者同士でない共同体の外部にいる者こそ真の他者だと定義して、売り買いや精神病や恋愛といった非対称な関係を前にルールがその都度でっち上げられ事後的に見出されるに過ぎないことを示す書。結論は師と転移を巡るその後の思想界の波乱を予感させるけど、会話が全く成立しない分断まで現代社会は進んだ。
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