初めて読んだ時から変わらず、いや歳を重ねたからこそより切実に、ハリーのあの最後の独白が自分の胸に響く。「野生の棕櫚」の悲劇に、「オールドマン」が対旋律として喜劇を奏でるが、どちらにも通奏低音として響いているのは、不条理の運命と、それを耐えしのんで生きなければならない人間の姿、そしてそれをかろうじて支える「記憶」。
8月に「ポータブルフォークナー」を読んで、フォークナーの作品を最初から順番に読もうと読書計画を立てた手前、7月に冨山房の全集版で読んだし、「オールドマン」も「ポータブルフォークナー」で読んだので、飛ばして、次の「村」を読もうかなとも思ったのだが、順番に読むとまた他の作品との関連なども浮き彫りになり、やはり飛ばさずに読んでよかった。「八月の光」で明確に出てきた、「耐え忍んで生きる」というフォークナーの大きな主題が、全面的に展開されたのが「野生の棕櫚」だとつくづく思う。
2024年10月に参加したばかりですが、よろしくお願い申し上げます。ここしばらくは、学生時代好きだったフォークナーを読み直しています。
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初めて読んだ時から変わらず、いや歳を重ねたからこそより切実に、ハリーのあの最後の独白が自分の胸に響く。「野生の棕櫚」の悲劇に、「オールドマン」が対旋律として喜劇を奏でるが、どちらにも通奏低音として響いているのは、不条理の運命と、それを耐えしのんで生きなければならない人間の姿、そしてそれをかろうじて支える「記憶」。
8月に「ポータブルフォークナー」を読んで、フォークナーの作品を最初から順番に読もうと読書計画を立てた手前、7月に冨山房の全集版で読んだし、「オールドマン」も「ポータブルフォークナー」で読んだので、飛ばして、次の「村」を読もうかなとも思ったのだが、順番に読むとまた他の作品との関連なども浮き彫りになり、やはり飛ばさずに読んでよかった。「八月の光」で明確に出てきた、「耐え忍んで生きる」というフォークナーの大きな主題が、全面的に展開されたのが「野生の棕櫚」だとつくづく思う。