【神様の世界はなんと秩序だっていて、人間の世界はなんとはちゃめちゃなんだろう】表題に関連する、不三子の述懐。<男は神さまの言うことを信じたけれど、私は信じないと、舟に乗るのを拒んだだろうか。これは神さまの物語だから、神さまを信じた男の家族と動物たちだけは、助かって生き残る。でも現実はそうではない。神さまは人間を騙すし人間は進んで騙される。自分の信じることの信じない配偶者と、長く連れ添うこともできる>と。そして、ノアの子孫・アブラハムは神の命じるまま、愛する息子・イサクを殺そうとしたことも聖書には記載が……
先月、深く感銘を受けたのが『カフネ』。初読み作家です。思えば、この読メで初めて読んでお気に入り作家になった方がたくさんいます。丸山正樹さん、寺地はるなさん、町田そのこさんなど、多数。今後も増える予感――。ちょっと困るが嬉しくもあり、と複雑……。 2024年7月の読書メーター 読んだ本の数:53冊 読んだページ数:12022ページ ナイス数:7256ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/1037983/summary/monthly/2024/7
【初戦。衣笠ホルモー】オニVSオニ。<血が出ることもなければ、瘤も出ない、痣すら見受けられない。まるで何事もなかったかのように、コノヤローとばかりに反撃を開始する。だが、ダメージを受けていないわけではない。ぽかぽかと棍棒の乱打を受けるにつれ、血が吹き出し、骨が折れ、皮が剥ける代わりに、連中の顔の中央に突き出した“絞り”が少しずつへこんでいく>と。ゲームの世界ですねぇ。この合戦に登場するのが、レーズン。起死回生の救援物質。レーズンを瀕死のオニの“絞り”に捩じり込めば、元気回復。まるでホウレンソーか仙豆だぁー
【俺だけが彼らを信じていない。恥ずかしかった。このまま雨に溶けて消えてしまいたかった。俺はこれまで、自分のためだけにホルモーをやってきた】安倍は痛切に思い知らされる。<個人的な理由のため、ただの人数合わせに仲間を利用し、口だけは感謝の意を示しながら、その実、まるで彼らの力を信用していなかったのだ。雨は礫となって、憎しみをこめて俺の頬を叩いた。勝ちたい――奮えるような気持ちで思った。/轟く雷鳴に、渾身の力で吼え上げた>と。青春だ!無性に映画化作品も見たくなった。音楽にさだまさしは…使われてないだろうなぁ……
テンション高めに(内心は不安いっぱいで)言うと、父は静かに「わかったよ」と言って、「あなたたちがそう決めたならパパはそれに従うよ!今までだって一番いい選択をしてくれていたんだから」と。そこで姉妹は、思わず「パパ…本当にいいの?」と本音の声が漏れ、顔つきも心配げに。その娘らの不安を払拭させようと思ったのでしょう。父親は、「大丈夫!!パパはどこに行っても人気者だよ。よし!!友達たくさん作って歌もバンバン歌っちゃうぞ」と、明るい表情で力強く明るい表情で力強く言う。余りに話がすんなり決まると、複雑な気持ちに……⇒
入居の準備は順調。VIP待遇ウィークも始まって父はご機嫌の日々。前日の送別会も大はしゃぎ。だったのに……会が終わって部屋に戻ると、大泣きしている父親。思わず「ホーム嫌になっちゃった?」と訊くと、「違う。ただみんなと離れるのが、パパは…寂しいんだよ」と……。それでも、入居はスムーズだった。ホームのスタッフの前で「みなさんに嫌われないように、頑張ります!」と宣言し、家族にファイティングポーズを見せ、別れた。……のだが、すぐにホームから連絡が――。環境が激変したことで、せん妄の症状が出てパニックになっていると。
【「在日韓国人」という境界に立つ者として】柳美里:<わたしの苗字は、柳である。柳は、村や町の外れに植えられ境界の目印とされたり、橋の袂や遊郭の出入口に植えられ、異界との境を示す象徴として見られた。柳の下に幽霊や妖怪が出没すると言い伝えられているのは、柳が境界の木だからだ。境界に立つということは、つらいことだ。時には、引き裂かれ、立ち続けることができずに頽(くずお)れることもある。でも、境界に立つ者にしか見えないものは、必ずある。それを、与えられた時間の内で、可能な限り、純化し、深化して、伝えたい>と――
【近代はカミと同様に、死者も社会から排除されていく時代です】佐藤弘夫:<わたしたちは世界や社会というと、その構成員として人間しか思い浮かびませんが、近代以前の社会では神・仏・動物など人間以外の存在(カミ)もれっきとしたその構成員でした。近代化はこの世界からカミを追放していくプロセスです。そのことによって特権的階級としての人間がクローズアップされ、人権の重要性が共有されるようになりますが、それまで緩衝材の役割を果たしていたカミを失った社会では人間同士が鋭く対峙し、傷つけ合うことが日常化します>と。ええ……
【自殺は必ずしもネガティブな行為ではなく、積極的に自己を表現するための行為である】<私は、ひとは必ずしも絶望したからという理由で自殺するとは限らないと思うんです/いじめにあったひとが自殺するのは、そのいじめた人間に対して死をもって抗議するという意味があると思うし、復讐、自分の肉体を傷つけるかわりにいじめた人間を精神的に処罰するとか様々な意図がこめられているんです。失恋して自殺したひとの場合は、自分の恋愛を至上のものとして、「私は、これほど、自殺するほど、あなたを愛しているのよ」と強く宣言してるんです>と。
【自分が自分らしく存在するために、あえて個体の死を選ぶ、つまり自殺するということは、人間的な、あまりに人間的な行為なのではないでしょうか……】寺山修司の闘病死を例に、<人間はただ生きるだけでは満ち足りることはできないのでしょうか。自分が存在している意味を確かめるために、ひとは個体が失われても、自我を守ろうとします。父親であるということを証明するために、溺れるわが子を助けようと川に飛び込むひとがいても、私たちは感動をもってその事実を受け入れます。関係もないひとのために命を投げ出すことさえあるくらいです>と。
ネギっ子gen様。はす向かいの老夫婦がエボバの証人で、勧誘してきます。ご近所で無視されているのですが、うちは外で会ったら挨拶だけはしているのが原因のようです。強引な勧誘するから周りから差別を受ける、自分が原因じゃんと思ってしまいます。高級外車に乗って羽振りがよさそうで、収入源が気になります。
すーぱーじゅげむ様、コメントありがとうございます。<高級外車に乗って羽振りがよさそう>とのこと。幹部の方ではないでしょうか。幹部クラスになると「金儲け」というサタンの誘惑に遭わなくてすむので、末端会員のように清貧に耐える必要はないのでしょうねぇ……。オウムの尊師とかいう輩も、高級車の乗り美食に耽り女に溺れて――
【あと何人アウティングされ、あと何人殺されなければならないのか】<差別は嵐のような天災ではない。一人ひとりの人間でできた集団による人災だ。では、すべてが過ぎ去った後に、差別に加担していた人たちはどうなるのだろうか?自分たちが犯した罪について何も懴悔せず、何ひとつ咎められないまま、おのおのの日常に戻っていき、人生を謳歌し続けるのだろうか。そしてLだけが、彼らの差別行為の、犯罪行為の被害者として、一生苦しみ続けるのだろうか。そんなこと、許されるはずがない。差別は天災ではない。人災だ。人間が犯した罪だ>と――
【生身の人間同士で、互いの傷の経験について、今直面している困難について、語り合い、分かち合い、理解できなくとも共有すること、それがフェミニズムの本来の姿】<フェミニズムは数十年の歴史の中で、数多くの対話と議論を蓄積してきた。様々な立ち位置にいる女性が互いの経験を語り合うことで、人種や貧困層、シングルマザー、セックスワーカーなど、抑圧されているマイノリティへの優しい眼差しを形成してきた。そんな取り組みは今でも必要だ。それは理想に過ぎないと、ネット上の冷笑的な人たちは嘲笑うかもしれない>が、その理想でいくと。
【偶然にゆだねる】<「窯変」という言葉がある。陶工はこねた土の上に釉薬を塗るが、窯にそれを入れたあとは、焼きあがるまで待つ。どんな色が滲み出てくるか、ときにどんな歪みがその形に現われるか、それは作家の意図の外にある。気に入った形が現われるまで、陶工は土をこね、焼くということをひたすらくりかえす。割るもの、棄てるもののほうが多いかもしれない。ここで、何かを創るという意思はかえって邪魔である。作為に囚われているあいだは、器はいつまでも形を現わさない>。そのため陶工は、作為を消すために土をこね焼き続ける、と――
【祈りの効用】<「祈り」に何か明確な「希い」が込められているかぎり、「祈り」は次第に募り、思い詰めたものになってゆく。時が過ぎ、その時の「効果」がいつまでも見えないうちに祈りは次第に焦りを帯びてきて、合わせる掌にも力がこもってくる。お宮に運ぶ足もより繁くなる。そしてある時、見切りをつける。「祈り」という形で収めようとしてきた焦りが自分にも隠せなくなる。その焦りをどこへと逸らすか。それが考えどころとなる。あるいはそこに質(たち)が出る。そんな息せききった「祈り」は、往々にして、呪いと区別がつかなくなる>と。
【不適切保育に目を向けるのは、不適切保育とは何か、どうして起こるか見極め、防止策を考えること】<それは、「これをやったらアウト、これはセーフ」というような皮相的な言動の線引きをしてマニュアルをつくることではありません。子どもという存在を理解し、子どもの人格を尊重する保育とはどのようなものかについてそれぞれ考え、共通認識をつくることがまず必要です。そして、集団保育において、子どもの人格を尊重する保育を行うためには、どのような保育制度や環境が必要なのか、保育施策を検討する人々も理解しなければなりません>と。⇒
【質の確保は、人材の確保から】<保育士のなり手が不足している現状は子どもの安全・安心を脅かしています。保育士試験の回数を増やすとか、パート保育士を増やすとか、そういう表面的な施策では、よい人材の確保は実現しません。保育者がゆとりをもって子どもと向き合い、保育の振り返りをしたり、話し合ったり、計画や記録を書いたり、保護者と対話したりする時間がとれる保育体制があってこそ、また、これらの職務の専門性や責任の大きさに見合う処遇があってこそ、実現するもの>。保育体制が変化すれば、保育士のなり手は増える、と。同感だ。
【パフォーマンスの激しさで男どもが怖れ、言説の激しさと活動の派手さ、美貌が、マスコミ受けした】本書の語り手である40歳のライターは思う。<次はどこそこに現れる、と予告を心待ちにされるほどでしたから、あたかもバラエティ番組のようでした。最初の頃は、男社会はまだ揺るぎ無く堅牢で、女の抗議など笑ってスルーできるほどの余裕があったのだと思われます。それから少しずつ、怒る男たちも増えて対応も変わり、「ピ解同」は変質を余儀なくされてゆきます>と。そして結局は、「国策を担っているような大企業社長のスキャンダル」で……⇒
【自分の身体は、自分で管理できる社会に:女たちが闘い続けていかない限り、それはすぐ奪われてしまうもの、と彼女は警鐘を鳴らした】<女性は将来母となることを周囲から期待されて育ってきました。私の母の時代、女の子たちの一番の夢は、「お嫁さん」だったそうです。「嫁」という字は女偏に「家」と書きます。生殖は「家」の存続のため、でした。「家」は「国家」につながります。「産めよ殖やせよ」という言葉があります。国の繁栄のために、女たちは多産を奨励されました。そのため当然のように、国が女の身体と心を管理してきたのです>と。
【アルコール依存症】部長職に。各種手当がなくなり年収は1400万円程度に大幅ダウン。遊興費削りゴルフ止めるが、<アルコールだけはやめられなかった。いや、アルコールへの依存度は以前よりも高まった。/遅くまで酒を飲むだけではなく、朝、出社する前にもコンビニで買った缶酎ハイを2本ほど呷ることがあった。/昼休みに社食へは行かずに、外へ出てコンビニでビールを買い込むと、公園のベンチに座って、プルタブを引くのだった。数本を飲み干すと、気休めの「ブレスケア」で胃袋から立ち上るアルコール臭を消したつもりになって>と――
【心療内科受診】昼間から缶ビール(→缶酎ハイ→ウイスキー)を飲み、夕方から居酒屋→バー。明け方家に帰り妻と言い争いになるたび、毎度パニックになる妻を著者は心配し、「カウンセリングを受けてみようか」と提案。担当女医は言い放つ。「問題は奥さまのほうにあるように思います。旦那さんは『昭和の男』なのよ。あなたは忍耐力を持って、『昭和の男』と結婚したことを受け止めなければならないのです。なぜなら、それはあなたの選択だったのだから」と。なに、この言い草は!!この女、幸福の科学か統一教会なんかの回し者か😡😡😡😡
【リストカットは、対処法の一つ】<つい問題行動として焦点を当て、即座にやめさせる方向の支援をしてしまいがちです。例えば剃刀を取り上げて隠してみたり、「命を大事にしなさい」と説教したり。しかし、そのような支援を展開してリストカットが止まったという話は聞いたことがありません。むしろエスカレートすることがあり、いつの間にか困難ケースと認識されたりしがちです。なぜエスカレートしていくのでしょう。本人は自分の状況を一生懸命何とかしたいという思いがあり、唯一の対処方法がリストカットであることが多いからです>と。ええ!
【要求をエスカレートさせていく人への対応技】<援助職の経験が長い人ほど、利用者さんから激しい怒りや攻撃性を示されて、その対応に疲れ切る経験をしていると思います。/こうした時は「限界設定を用いた枠組みを作りなさい」とよく指導される/しかし、単にそれらを伝えただけで限界設定が機能するほど甘くはありません。伝えることでさらに攻撃性や周囲を振り回す行動が強くなることがあります>。そこで必要なのは技だと。「折り合いがつけられそうな落とし所を見つける」「追及や論破はしない。雑談を通して本来の自分に」など。確かに……
【結論は、真偽不明】『ロシアのマトリョーシカ』(文化財保護博物館学芸員・ゴロジャーニナ著)から、「1890年代末、ロシア初の入れ子になった旋盤細工のマトリョーシカが、マモントフ夫妻の工房「子どもの教育」でつくられた。パリ万国博覧会の直前のこと/8ピースからなるロシア初のマトリョーシカをつくったのは、画家マリューチンと、旋盤工ズビョーズドチキンだといわれている。残念ながら、マトリョーシカの起源を記した文献は残っていない」との引用した後、<私の考えでは、これが現時点での定説をすっきりまとめたものと言える>と。
せっかくの地域包括のコンセプトが一拠点ワンパック・ケアから動かないのはもったいないですよね。一拠点ワンパックの滞在型リゾートクラブも客船も短期間だから楽しいのであって。今、母は総合病院・系列の訪看ステーションと入浴・生活介助特化型の訪問介護ステーションにお世話になってますが、近隣のふれあい特化(お風呂はない)デイに週一通所を検討中。母をダシにして包括制度のコンセプトに沿って限度額内でどこまでアラカルトが可能か試しています。ケアマネさん・事業者さん共々かなり積極的に協力してくださる感じです(*^^*)
がらくたどんさん、コメントありがとうございます。介護保険においてケアマネは重要なキーパーソンですが、残念なことに当たり外れがあります。「吉」を引かれたようなので、そのケアマネさんの知見を総動員してもらって、<母をダシにして包括制度のコンセプトに沿って限度額内でどこまでアラカルトが可能か>チャレンジしてみてくださいね。トムソーヤの“イヤだった”塀のペンキ塗りが、彼の機転で小遣い稼ぎになったように、楽しんでカイゴってくらいのスタンスでね😉
【デイサービスを幼稚園にしない。誰もが「役割」を持てる環境作りを】コラムで。<「今日はみんなで塗り絵をしましょう」と施設側の決めたプログラムを基本にやっており、それって本当に本人にとって望んでいることだろうかと考え、あらゆることを見直しました。まずは掲示板から/作品も画用紙に貼って「掲示」するのではなく、額に入れて一つの作品として「展示」する/レクリエーションも、カラオケにするか散歩にするかなど、日々、利用者さんと考え、選択できるようにしました。その時の選択肢には必ず「何もしない」というのを入れて>と。⇒
<「何もしない」を選択した利用者さんには、他フロアにくつろげるドリンクコーナーを用意しました。そこでは器(湯呑・ティーカップ等)を選ぶ場所、飲み物(茶・コーヒー・紅茶他)を選ぶ場所、砂糖やミルクを入れる場所をフロアの四角に設置し、必然的に「歩く・移動する」ようにした/施設のスタッフって行事企画や演出が好きなんですよね。でも、人って受け取る側より、渡す側の方が“喜び”をたくさん感じているんじゃないかと。そう思って、行事は企画段階から利用者さん>を巻き込んでいくと、利用者さんは生き生きと動いてくれる、と――
【念願の初エッセイ集・裏話】<私は書くのに苦労するタイプなのだが、エッセイは楽しい。/エッセイというのは、なんだか対話しているような気持ちになれるからかもしれない。長く入院しているとき、ラジオを聴くのと、エッセイを読むのには、なにか独特のよさがあった。/読書というのはひとりでするものだが、エッセイにはどこか、書き手が生の声で語りかけてくれるようなところがある。闘病中の孤独の身には、それがうれしかった。本を書くときもひとりだ。それがさびしくなることもある。だから、エッセイを書きたくなったのかもしれない>と。
【理路整然としてないことを誇りに】<「理路整然と話さない」というのも、素晴らしいことだ。箸でつまめる豆だけでいいと、簡単にスープを切り捨てられない人なのだ。/理路整然としゃべることができる人も素敵だが、理路整然とせずにしゃべることができる人も、また素敵だ。前者だけでなく、後者もいてほしい。/ある作家の本がとてもよく売れるのだけど、ただ文章が、同じことを何度も言ったり、ぐるぐる回っているようだったり、実にすっきりしない。そこで、あるやり手の編集者さんが、もらった原稿に全面的に手を入れ>たら、売れなかったと。
【カバー絵の戸川にシビれ、帯の3人が並ぶ姿にエグられる!】続いて、9月には『HUNTER×HUNTER』最新刊38巻も出るし、これで『ガラスの仮面』50巻が読めれば最高なんだが……
【引用②】『ミセス・イリンの沈黙』<孤独の中で、今までに考えたこともなかったようなこと、若い頃でさえ思いつかなかったような考えが頭の中に浮かぶことが次第に増えていった。それは「狂っている」の類よりもずっと複雑なことで、それら言葉たちが自分の中で渦を巻いて膨れ上がるのを彼女は聞いた。だが週末に訪ねて来た子供たちと、1、2時間いっしょに過ごしている最中に、頭に渦巻く考えを話し出そうとしても、タイミングがうまくつかめなかった。/子供たちはその表情をすぐさま痴呆の証拠であるとみなした。彼女は驚き傷ついた>と――⇒
<いざ老人ホームで暮らしはじめると、彼女は自分の置かれた環境と和解した。日中は図書室で過ごし、本を読んだり考え事をしたりした。読む速度はひどくゆっくりで、ページを見るよりも壁をじっと見つめている時間のほうが長かった。/夏の長い黄昏どき、ポーチに座って手すりの間から通りを眺めたりしている陰鬱な男女の心持ちが、彼女には手に取るように理解できた。最初はためらいがちに、だがしだいに喜びとともに彼女は確信した。自分は生きた人々の間では死者に近かった。そしていま死者に近い人々に囲まれて、やっと生きはじめたのだ>、と。
【老人ホームの花壇】『夏目友人帳』の名が出てくる「ぼたんどうろう」が良かった!<要塞のようなその壁を囲む花壇には四季折々のいろいろな花が咲いている。でも、毎日通っているとよくわかる。花が終わると、花壇からはごっそりと葉と根っこの部分が抜かれ、次の季節の花がポットで大量に運ばれ、開いた穴にぽんぽん植えられる。つまり植えられている植物たちは、根っこがあるのに切り花と同じ役割なのだった。確かにいつもきれいだし合理的だしもしかしたら安価なのかもしれないが、自然ではない>と。ええ、その通り。その通りなんですが……
【霊の祟り】キヨカは思う。<なにかが生命を阻害することをうながしたことによって結果死ぬ、それが基本この世で生きる人間にとって最悪のシナリオだとしたら、霊に取り憑かれてホームから電車に飛び込むとか、霊のせいで体調が悪くなって病気になるとか、そこまでいくとそれはもう本人の生き様の問題で、そうでなければ、その人が生きる気さえあれば、あと運命がその人を生かしたがってさえいれば、重たかろうが暗かろうが嫌だろうが時間が必ず解決してくれる>。だから、霊と呼ばれるものを恐れたり面倒くさがったりすることはなくなった、と――
【チトーはいつも怯えています】<立っている人(私)や、ドシンガシャンという物音や、何かの動きが、怖くてたまらない。怯えて経過せずにはいられないのが、脳髄の奥の奥、脳のヒダという襞の隅々まで刷り込まれているのであります。DNAみたいなカタチで先祖代々受け継いできたのかもしれませんし、生まれてから別れるまでほんの2か月くらいの間だったけど、犬語で母犬にささやかれてきたことかもしれません。いいかい、チトーや。怖いことが起こったら、動かなくなるんだよ。目は閉じたらだめだよ、外が見えなくなるから>と。ヒトは怖い……
【今は亡き母へ】「そこまでやるか」と思う程度にいじめてきた義母。それも笑い話になった今、<義母に会うたびに、なぜ実母に同じことができなかったのかと悲しい気持ちになる。できることなら、同じようにしてあげたかったし、何より、生きてほしかった。今だったら、実母にしてあげられることがたくさんある。成長した息子たちを会わせることができる。旅行にだって連れていってあげられたかもしれない。しかし、そんなことはたった一度もしてあげることができなかった。だからこそ、目の前にいるもう一人の母を、最後まで見つめていこう>と……
【見当識障害】<溺愛とは?と聞かれたら、義母の息子に対する愛情をそれと私は答える。義母は息子を本当に大切にしていた。心から、息子を尊重しつつ、慈しんでいたと思う。しかし、ある日、義母は息子を「おっさん」と呼んだ。私は爆笑を堪え切れなかったが、そのときの夫の複雑な表情は忘れられない。「お義母さん、大事な息子でしょ」と言うと、義母は取り繕うようにして「ああ、そうやったわね」と返したが、そのとき義母が息子を思い出すことができていないのは明らか/息子よりも溺愛していた孫たちのことも、徐々に義母の記憶から消え>……
【読書は心の栄養】<目を背けてはいけないことは多いけれど、忙しない、不安な日々の中で、SNSやニュースを見続けていると処理しきれない膨大な情報が体内に溜まって、心が疲れてしまうのかもしれない。本は、自分自身と本の世界にだけ的が絞られて、集中できるのがいい。余計がない。世の中の情報に置いていかれてしまう不安もあるかもしれないけど、時にはこうやって、自分を休ませてあげることも重要なのだ。大切なことに改めて気づくことができたので、私は今、時間を見つけてはできるだけ本を読むようにしている>と。ええ、同感です。
<私にとっての「書くこと」に大きな割合を占めているのは、運命と本能です。もし私の小説のキャラクターが生き生きしていると思われるとすれば、それは具体的なキャラクター設定に重きを置いたからではなくて、精魂込めて描いた文章がもたらす錯視現象かもしれません。緻密に造形されたキャラクターが小説を引っ張っていくのではなく、文章が小説を引っ張りつつ、キャラクターも形象化するわけです。どんなに熱心に図表や年表を作ってキャラクターを練り上げたとしても、それを表現する文章に貧窮していれば>、登場人物の魅力は伝わらない、と――
【弾丸を撃つその瞬間】冒頭の文章からの引用。<銃身を通過した弾丸が引き起こす回転の感覚が、肘を走って螺旋状に移動する。肩を揺さぶる振動に耐えながら、彼女は動じない。弾丸が銃口から飛び出した瞬間に骨は弓になり、筋肉の弦を弾く反動にうっかり手が跳ね上がりでもしたら、発射角度が狂って命中率は著しく低下する。反動にただ抵抗するにとどまらず、指と銃との境目をも消し去らなければ。銃声の残響と火薬の残香までもが鳥の翼にのって彼方に飛び立ち、ついには姿を消すその時まで>。わお!『破果』の文章の一部を見事に変形しましたね。
【書かれた文章には「あのー」はない。「あのー」は「読点」に化けたのではないか】<「読点」の打ち方に法則が見当たらないのは、そのためではないだろうか。分かりにくそうな文章、こみいった文章では工夫して打つ。ひらがなが続くとひらがなが始まる名詞の前に打ったりする。もっとも、逆は真ならずで、読点の位置まで「あのー」のありそうな位置と一致するわけではない。読点の機能は一つではないが、文章を書いていて一息つきたくなると読点を打つことが多い>。故・大平首相は「あーうー」で有名な方だが、文字に起こすと名文だった、と――⇒
【間投詞から出たものが中心的な思想を表してきた文化がある。それは日本文化である】<「あはれ」は「ああ」という感動、詠歎の間投詞である。ah-nessというべきものが「もののあはれ」を真ん中において「あはれ今年の秋も逝くめり」の無常観から「あはれともいふべき人」ともなり、ほめ言葉の「あっぱれ」までの大きな広がりを作った。「あはれ」だけで日本文化を尽くせるというのではないが、間投詞が言葉を超えた情感を表すものとして、これだけの広がりと深みとに達していることは驚くべきことではないだろうか>と。ええ、確かに……
【人生も翻訳のように】翻訳を終え自己校正をしつつ――。<実際の人生も、過去に戻って、自分がやってしまった小さな、そして大きなミスを、丁寧に回収できたらどれだけいいかと思う。そしてもう一度、ひとつひとつやり直して、よし、これで大丈夫だと安心できればどれだけいいだろう。人生も翻訳原稿のように、何度も何度も丁寧に見直していけばそれだけ、よりよいものになればいいのにと思わずにはいられない。二人の息子の成長を見ていると、そんな気持ちばかりが募る。人生はバランスだというけれど、正しいバランスってあるのだろうか>と……
【面倒くさい女】<たぶん他人からすれば些細なできごとに対して過剰に気に病むようになってしまった私は、そんな些細なできごとで誰かを傷つけることがないように、常に必要のない配慮をするようになり、その過剰な配慮が原因で、ぎくしゃくする場面が増えたように思う。いわゆる、空回りだ。/最近では、これは私の性格だから致し方ないことだと諦める傾向にある。仕事をしている場面でこれが発揮されないように、細心の注意を払うしかない。この傾向が原因で、日常生活を送ることができないわけではない。それが唯一の救いだ>と。空回りねぇ……
【心の二重底】<目が眩むような高所に立って下を眺めてみる。大概の人たちは、「墜落したら大変だ、間違いなく死ぬぞ」といった想像力のみによって恐ろしさを感じるわけではない。その程度の想像は、まだまだ抽象的なレベルであって、さしたるリアリティーなんかない。何だか手すりを越えて自分が下界に吸い込まれてしまいそうな錯覚が生じたり、ひょっとしたら柵が突然壊れてしまうのではないか、いや「魔が差して」自ら飛び下りてしまったらどうしようといった具合に、様々な形で「不確かさ」をリアルに感じるからこそ恐怖に駆られる>と。同感。
【自分の動きが世界と調和出来ず、常に違和感が】<わたしは運動神経が鈍い。運動神経が鈍いのは、走るのが遅いとか非力であることとは異なる。身体が世界と馴染まないのである。動作は常に「余り」か「不足」を伴う。それをやり繰りすべく、身体運動はのろかったり性急だったりとリズムが一定せず、いかにもぎこちない。タイミングがずれ、空間の計測が狂う。動きに優雅さが欠け、ためらいと不安が伴う。他人の目から眺めると、どうにも動作が無様で「みっともない」。苛々させられる。さもなければ苦笑を禁じ得ない>。どうしてこんなことにと……
【本文引用②】<記憶は正しいこともあれば、間違っていることもあるのだろう。/私の記憶が間違っているのかもしれない。私はこの話をできるだけ正確に語ろうと努力してきたが、ある部分は間違っているだろし、意図的にせようっかりにせよ、何かを言い落したり付け加えたりしたことも確かにあった。彼から見ればこの話は、事実関係も、それへの私の解釈も、嘘だらけということになるのかもしれない。だが結局のところ物事は、私の目で見たことと彼の目で見たこと。そして他の人々の目で(仮に彼らが見たとして)見たことの、どれかしかない>と。⇒
【本文引用③】<矛盾することも書いている。彼は私に心を開いていたと書き、心を閉ざしていたと書いている。私といるとき無口だったと書き、口数が多かったと書いている。謙虚だったと書き、傲慢だったと書いている。彼のことは分かっていたと書き、彼が理解できなかったと書いている。自分は四六時中だれかと会っていたと書き、常に独りだったと書いている。いつもせっかちに動き回っていたと書き、ずっとベッドに寝て動くのも億劫だったと書いている。それらすべてがそのときどきで真実だったのかもしれず、現在の気分次第で>変わるかもと……
【台所にこもって獣脂を刻む、生命と美の神髄】<想像上の女性は第一級の要人なのに、現実には完全に軽んじられています。詩においては全編にわたり登場するのに、歴史においては存在していないに等しいのです。文学においては王や征服者の人生を支配していても、実人生では、だれか男の子の親が彼女に結婚指輪をはめてしまえば、その男の子の奴隷ということになる/文学においてもっとも高揚した言葉、もっとも深遠な思想が女性の唇から語られているというのに、実人生においては読み書きもままならず、夫の所有物となっていたのでした>と。そう!
【傑作は、堅実な家庭のみんな一緒の居室で書かれた】<シャーロット・ブロンテは他のだれよりも理解していたのでした――もし遠くの荒野をひとりで見ているだけでなく、経験と会話と親交が許されていたのなら、どれだけそれらが自分の才能のためになったかということを。しかし、それらは許されず、手に入りませんでした。『ヴィレット』『エマ』『嵐が丘』『ミドルマーチ』――これらの良い小説はすべて、堅実な牧師の家庭で許される程度の人生経験しか積めなかった女性らによって書かれたという事実を、わたしたちは受け入れねばなりません>と。
【酒豪の古井氏が、酔った状態で書かない理由】「一種の恍惚状態に入って、やっぱりちょっと現実からずれてしまう。言葉もなかなか冷酷でね、恍惚状態につきあってくれないんですよ。意外に言葉そのものはリアリストかもしれない。酔うと、いかにも良さそうなことを考えますわな。でも、それを書き留めて翌日読んでご覧なさい。よくもこんな馬鹿なことをってものを書いてると呆れる。気持ちがのってるときとか、実にうまく書けてると思うときは、だいたい後から読んで、いいことがない。そういうときは早く切り上げちゃう」。そうなんでしょうね……
【助けを受け入れる覚悟】<烈々たる自立の気迫が大切だと思う気持ちは変わりありませんが、どうもそれだけでは老いは全うできないようです/人生の終わりにも、一人で生きられない日々が待っている。/年をとって、自立能力の喪失を自覚するのは、子供時代と違って「今に見ていろ」と言えないからつらいことです。自由に自立して生きた経験がつい昨日まであったからこそ、自分の無力を自覚するのは難しい。けれども、心を開いて、外部から他人の助けを受け入れることも、老いに向かってどこかで覚悟しておく必要があります>と。確かにそうです……
『違国日記』:<話し手と聞き手のずれには違った現れ方をすることもあります。コミュニケーションによって約束事が形成され、それはそのときには確かに共有されていて、その後もふたりはその約束事に従って会話を重ねていく。けれどあるときに、そのコミュニケーションの時点では話し手の念頭になかったような事態が起こり、その想定外の事態に対してどう振る舞うのが約束事に照らして適切なのかという点で、話し手と聞き手のあいだで齟齬が>生じ、そんなようなずれが起こりうるということが、『違国日記』には鮮やかに描かれている、と。確かに!
【会話の背後には、それぞれの人の人生や感情があり、企みがある】<会話においてコミュニケーションがすれ違ったとき、話し手と聞き手の相互調整の中で、社会という存在も会話の場に姿を現します。私があなたの上司であったとしたら、その社会的な位置づけがもたらす相互的な力関係がコミュニケーションの行く末に影響するでしょう。会話の参加者のあいだで社会的なマイノリティとマジョリティという差があるなら、それはそのコミュニケーションについて周囲の人間い語るときの影響力の差をもたらすでしょう>。会話は社会が現れる場でもある、と。
編集者がどう答えたかは、わたしには読み取れませんでした。で……、わたしの場合は、自分が嫌い。自分の身体が嫌い。自分の性が嫌い。自分の名前が嫌いなどなど、“嫌いの渦の中”で生きてきました……。そして、何よりわたしには、幼少時より「よりどころ的感覚」がなくて、苦しかったです。今思えば、あれほど解離的症状を起こしていたのに、今はこうしてのほほんと太平楽に生きることができるのだから、ま、結果オーライですね。
【圧政を敷いているのは帝国なのに、なぜレーエンデ人はレーエンデ人同士で傷つけ合うのか】レオナルドが、<諦観による無気力は緩慢な自殺だ。これこそがレーエンデの病巣だ。一番の問題は、自分が病気であることに、気づいていないことだ>と憤り、新聞記者・ピョルンに「いったいどうすればいいんだろう」と嘆く。ピョルンは、「君は心が強いから、自分が何とかしようって頑張っちゃうんだよね。でも僕らが個人的に出来ることなんて、結局ひとつしかないんだよ/諦めないことだよ/それなら一人でも出来る。腕力がなくても出来る」と。確かに……
【今のレーエンデにもっとも必要なのは、教育だ】これも2巻を受けた話ですねぇ……。革命のために奔走するレオナルドは、気づいた。<一番大切なのは、レーエンデ人に矜持を取り戻させることだ。今のレーエンデ人は自由を知らない。自由であったことを知らない。帝国に恭順し、隷属することに馴れきってしまっている。自分は一個の人間で、人として自由に生きる権利を持つ、それに気づかせるためには――「教育だ」/正確な情報が伝われば人々は現状を理解する。知識があれば、何が正しくて何が間違っているのか判断することが出来る>、と――
【「猫屋台」開店動機】<2012年に、相次いで両親が亡くなり、長年介護が生活の軸だったのに、一気にやることがなくなった。書く(描く)ことは細々と続けていくにしろ、私の“料理欲”は、どうしたらいいんだ!私は自分のためだけには、料理を作らない。でも旬の食材などを見つけると、つい買ってしまう。とりあえず調理して、ご近所に配ったりする。初めて作る実験料理だって、いつか人に食べてもらうことを射程に作る。これでは遠からず、人を招いて食事をふるまうことになるだろう>。ならばトントンでいいから、何ぼかふんだくって、と――
【「猫屋台」客】<おじさんたちは、「イヤ~好き嫌いなんてありませんよ。何でも大丈夫ですから」な~んて言うくせに、出したらとろろがダメだったり、じゃが芋はいいけど里芋はちょっと……とか、豚の角煮に八角を入れたら苦手だったりとか、出るわ出るわ、その場でジャンジャン好き嫌いが。香菜なんか入れようものなら、ほぼ全滅なので、うちでは香菜は、“おじさんがキライな草”という名称で通っている。いかにあの年代のおじさんたちが、自覚なくメシを食ってきたかが分かって興味深い。メシは、お母さんからの~奥さんと食堂にお任せだ>と。
【歩き回る生活は、動ける身体を維持し、骨粗鬆症の進行を遅らせる】<身体を動かすと血流が増え、脳が活発に働くために必要な酸素と栄養がたくさん入ってくる。さらにストレスホルモンを減らし、脳細胞の栄養となる化学物質が増える。その結果、鬱状態を避けることができるし、脳組織の損傷も防ぐことができる。「すこやかに年を取るために、まず何をすればいいですか?」 講演に呼ばれた先では、必ず聴衆からこんな質問が出る。私の答えは「歩くこと」である。ウォーキングは、どんな人でもできるすばらしい運動>で、楽しく続けることが大事と。
【シスターたちの脳は、ほとんど私たちの期待を裏切らなかった】<頭脳明晰のまま死んだシスターの脳には、病変の徴候はほとんど、あるいはまったく見られないし、痴呆になったシスターの脳は損傷だらけだ。だがたまに、アルツハイマー病の初期症状を呈していたにもかかわらず、中味がまったく健康に等しい脳がある。反対に、生前は精神状態に問題はなかったのに、脳を見るとアルツハイマー病の明らかな証拠が現れていることもあった>。この病気の様々な症状は、脳のどんな損傷が引き起こすのか。それがナン・スタディの中心的課題になった、と――
「ありうる未来」ではなく「現状に起こりつつあること」として捉えられてしまう恐れ。それは(著書が住むドイツでは特に)起こりうること。文学的・芸術的に優れた物であっても、実際に災厄に遭ってしまった方達を確実に不幸にする物は、評価されてはならないと思っています。読後しばらくモヤモヤ感がありましたが、日にちを経たいま、そう思っています。文学的に素晴らしい物であるからこそ、怒りを感じています。
エル・トポさん、コメントありがとうございます。<「現状に起こりつつあること」として捉えられてしまう恐れ>を危惧されているのですね。わたしは(終末論が蔓延る中で青春期を送った、後期高齢期突入間近な者として)、「ありうる未来」として読みました。子どもの頃から現実世界に違和感を持っていたことも関係あるかもしれませんが……。(ただいま、念願だった「進撃の巨人」読破中の者より)
【セクハラと仏教教団】<セクハラの根底には、女性を「対等なパートナー」や「一個の人格」と見なせない男性側の差別意識がある。同じ僧侶であっても尼僧の多くは男性僧侶の下位にある。男性僧侶の妻はあくまでも夫の裏方に徹することが求められる。共に比較的重要でない補佐的役割が割り当てられ、男性僧侶によって固定化された「女の役割」が押し付けられている。/出家仏教を標榜する教団では、僧侶の妻である寺族は教義上いわば厄介者である。また尼僧は、男性僧侶から見れば、自らのいい加減さを照らし出す歓迎できない存在>なのだ、と。⇒
<この状況下で教団は、男女の間に望ましいパートナーシップを築くことよりも、かえって問題の所在を覆い隠すほうに熱心であるかのようだ。しかし教団内の女性がセクハラの事実に声を上げ始めていることを見逃してはならない。今までの教団の女性たちの沈黙は決してセクハラが教団内に存在しなかったことを意味しているのではない。被害者たちがそれを問題化して声に出す回路がなかったのである。なかでも特に弱い立場にある尼僧が時として男性僧侶に搾取されてきたことは許しがたい>と。最近でも、四国の天台宗尼僧が性暴力被害を訴えている――
【手料理を、子どもたち――しかも幼いときの子どもたち以外から、美味しいと初めて言われた……】302頁。不器用な不三子の生き様が切なくて、読む手が重かったが、この描写に出遭い心が晴れた。<40年以上、もっとも心を砕き、手抜きもせずに作り続けてきた料理を、おいしい、かわいい、コツは何かと、はじめて言われた。そのことがうれしいというよりも、不三子には衝撃だった。泣いているのはうれしいからではなくて、驚いているからだった。誰にも褒められなかったことを、なぜ40年も続けられたのか、という純粋な驚きのせいだった>と。
【神様の世界はなんと秩序だっていて、人間の世界はなんとはちゃめちゃなんだろう】表題に関連する、不三子の述懐。<男は神さまの言うことを信じたけれど、私は信じないと、舟に乗るのを拒んだだろうか。これは神さまの物語だから、神さまを信じた男の家族と動物たちだけは、助かって生き残る。でも現実はそうではない。神さまは人間を騙すし人間は進んで騙される。自分の信じることの信じない配偶者と、長く連れ添うこともできる>と。そして、ノアの子孫・アブラハムは神の命じるまま、愛する息子・イサクを殺そうとしたことも聖書には記載が……
【大学はジャングル、すなわち熱帯雨林に似ている】京都大学総長に就任しての感慨。<ジャングルは地上で最も生物多様性の高い生態系であり、常に新しい種が生まれている。大学も社会で最も多様な知性がすむ場所であり、常に新しい考えが生み出されている。そして、ジャングルと同じように、研究者たちはそれぞれの分野のことは熟知しているが、他の学問分野の研究者が何をしているかはよく知らない。それでもお互いが共存できるのは、ジャングルと同じように大学が許容性の高い場所だからである>。恒常的に新陳代謝を繰り返しながら、と―― ⇒
【人間が進化した場所に立ち返り、豊かで安全だった頃の身体と心を振り返ってみよう】<ジャングルとよく似た大学を活性化させ、新しい考えをどんどん紡ぎ出し、学生だけでなくすべての人々にとって楽しい学びの場にしなければならない。新しい果実をたくさん実らせ、それを熟させておいしく食べられるようにしなければならない。多子高齢化によって社会力を高めてきた人間にとって、少子高齢化はこれまでに経験したことのない事態である。常識とは異なる発想をしなければ、これからの社会は築けない>。大学は、その気づきを与えてくれる場だ、と。
「混乱の実例」(番号が振ってる)より。3.<その日の私は苦々しい、いっそ毒々しい気分に囚われている。愛さなければならない者への嫌悪、自分自身への嫌悪、やらなければならない仕事からの逃避>。12.<出かけるときに、ある本を持っていくことにする。小さな本だが、疲れているので、どうやって運べばいいのかわからない。出かける前にその本を読んでいると、「彼女がくれた、燻した真鍮にたくさんの花模様を彫った骨董の腕輪」という一節が出てくる。それで私はこの本を腕に巻いて出かければいいのだとわかる>。こういうのを読みたいな。
「共感」より。<私たちがある特定の思想家に共感するのは、私たちがその人の考えを正しいと思うからだ。あるいは私たちがすでに考えていたことをその人が私たちに示してくれるから。あるいは私たちがすでに考えていたことを、より明確な形で私たちに示してくれるから。あるいは私たちがもう少しで考えるところだったことを示してくれるから。あるいは遅かれ早かれ考えていたであろうことを。あるいは、もしもそれを読んでいなかったらもっとずっと遅くに考えていたであろうことを。あるいは、もしも読んでいなかったら考える可能性が>――。共感!
【第一声は「高見順です」】癌告知。<一瞬わからず「は?」と問い返すと、もう一度「高見順ですね」。反射的に「癌ですか?」とたずねたとたんに「食道癌です」と、実にあっさりと告知、さらに「オペをしないといけない」と/あっというまに癌患者になって、信じられない思い。ショックというより、一種の脱力感で、全身の力が抜けてゆく/どうしていいかわからない。/今日から退院(できれば、だが)まで、闘病日記を作り続けることにしよう、と自分に言い聞かせる。“療養俳句の金字塔”と言われる石田波郷の『惜命』に張り合って>、と――⇒
<この重大事態に、よく俳句など詠めるものだ、と人様は感心してくれるかもしれないが、自分の本心は自分でわかっている。現実と相対する勇気がない上、何か考えはじめたら、どうしたって「死」に行きつく、それが怖いために、現実逃避のために、俳句を選んだというだけのことだと自覚している。MRIとCTスキャンの、棺桶を思わせる寝台に横たわっているあいだにも、待ち時間のあいだにも、つぎからつぎへと句が湧いてきて、手帳に書きとどめる。/豆撒いてより3日後にわれは癌>。で、この日の日記の末尾に「残寒やこの俺がこの俺が癌」と――
【フェミニズムの現状】<「ジェンダー」概念は、生物学的本質論を超えて、社会的・文化的な性のあり方と性差別社会を変えるのは可能であることを示した非常に重要なもの/だが、現在、生物学的本質論にとらわれ、「ジェンダー」の理解がすっかりぶれてしまっているフェミニストたちがいる。「女性を守る」という大義名分を立てて、あるいは右派にとって望ましい特定の「女性」だけを「守る」という前提のもとにトランスジェンダー差別をおこなう右派陣営に、性別二元論に足をすくわれたフェミニストがなだれ込むという事態に陥っている>、と……
【「女性活躍」の本音】<女性の非正規雇用、賃金格差や貧困などの問題も続いていて、「女性の活躍」が声高に語られる半面、女子差別撤廃条約批准以来の本来の目的であるはずの「性差別の撤廃」が言及されることはなくなってしまった。結局、安倍の「女性活躍」は少子・高齢化や移民政策の問題によって働き手が不足する中、潜在的な労働力を駆り出すための施策だった。女性や高齢者などを労働力として使いながら、女性に出産も仕事もあらゆることをさせようとしているという魂胆が透けて見える>。今も政府は「育休女性はキャリアアップを!」など。
ご訪問していただき
深く感謝しております。🙏
読友さんたちのレビューなどを読むことで、
多くの良き本に出逢え、有り難く思っています。
【お気に入りについて】
悠々自適のシニアライフになる筈が、根が貧乏症なためか、
相変わらずの忙しない日々で、やれやれです。
で、直近の課題は、古典の精読。
その時間確保で頭を悩ませているのが「お気に入り」への対処。
「承認欲求」と「数字の魔術」に未だ囚われていますので、
「お気に入り登録」して頂けると正直嬉しく、こちらもお返し登録したい。が、(当方のキャパ以上に)「お気に入り」の方が増えたことで、
レビューを読むことに時間がかかりすぎる現状が、悩みの種に。
そこで、当方が「お気に入り」登録する方は、
共読本が多くて、交流のある方のみとします。
交流の基準は、ナイスで判断するしかないと考えているので、
共読本以外の本のレビューを読んでいる(判断はナイス)方とします。
ただ、あくまでこれも原則です。
どうしても例外事例が出てくるのが困るところで……
何卒、ご理解を。m(__)m
【引用について】
気に入った文章を脳裏に刻むため、
引用多いです。
そして、その引用は、
コメント欄まで侵略し、
もう、ね……
引用文は、< >内に。
略す場合は、/ を使用。
極力、原文そのままを目指すが、
255字内に、収めきれないため、
ひらがなを漢字に変換する
などの小細工をしてしまう。
その度、無念の思いを――
【語尾が曖昧です】
過度に自信のないタイプです。
それが文章にでるのでしょうね……
末尾が「……」となるのが多いです。
どうか、お目こぼしを――
これからも、本や読み人との、
素敵なご縁を願って――
ネギっ子gen 拝
※2023.11.8 改定
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【手料理を、子どもたち――しかも幼いときの子どもたち以外から、美味しいと初めて言われた……】302頁。不器用な不三子の生き様が切なくて、読む手が重かったが、この描写に出遭い心が晴れた。<40年以上、もっとも心を砕き、手抜きもせずに作り続けてきた料理を、おいしい、かわいい、コツは何かと、はじめて言われた。そのことがうれしいというよりも、不三子には衝撃だった。泣いているのはうれしいからではなくて、驚いているからだった。誰にも褒められなかったことを、なぜ40年も続けられたのか、という純粋な驚きのせいだった>と。