『詩歌川百景』に『女の園の星』など、今月も漫画に唸らされた……。小説のほうは、阿部暁子さん、もうすっかりお気に入り作家になりました。この作家のことは読メを通じて知りました。改めて読友の方々に感謝する次第でありまする。ハハァーツ m(__)m 2024年10月の読書メーター 読んだ本の数:52冊 読んだページ数:11988ページ ナイス数:7061ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/1037983/summary/monthly/2024/10
ご一緒出来ましたね♪嬉しいです(*^。^*)「ともに最後は、“レイコさんが描かれている絵”についての、夏目の感慨。」うんうん。レイコさんの中に居た優しい笑顔のレイコさん。少しずつそんな「昔」が夏目君の前に現れてくれたら良いのだけれど。友人帳の御札ってあと何枚残っているのか気になりませんか?いや、横取りしたいとかじゃなくて(笑)
がらくたどんさん、わたしも嬉しいです。ほんと、友人帳の御札ってあと何枚残っているのか気になりますよねぇ(笑)。貴方が書かれた、<わ~、言っちゃいたいけど言わない(笑)田村~、かなり危なかったけど嬉しかったね~♪久々に斑様も拝めますよ(そこは言うんだ)>に共感。ネタバレにならないようにしたいが、これだけは書きたいって、その線引きにいつも悩んでいます😥
【夢を見るみたいに】と、思い出す。<出てくるのは、つきあって半年ほどたった頃のあなたと彼だった。同窓会から帰ってくると、彼があなたを突き飛ばした。俺を、不安にさせて楽しいか?なあ、男がいたろ。昔好きだったやつくらいいただろ。今は、俺がいるんだよ。相手が理不尽なことは分かっているのに、それでも、私が悪いんだという思いは強く、それが間違っていても、強いものは自分にとって正しい。そんな考えに取り憑かれていた。私は許してほしかったんだ。暴力を振るわれてしまう自分のことを。よりによって、暴力を振るってくる相手に>!
【俺と別れられないよ。俺が許可しないもん】(涙を流し)DV男は主張!<2、3日もするとお前さびしくなるぞ?物足りなくなってくるぞ?俺に殴ってほしくてたまらなくなるぞ?殴られてるより、殴られてない時のほうがお前は俺のこと考えるんだよ。俺とお前は繋がってるんだよ。もう一緒なんだよ。だから、出てくなんて言わないでよ/仕方なかったんだよ。俺だって、毎日つらいんだよ。上司と部下の間で板挟みにされて、毎日満員電車に乗ってさあ、痴漢と間違われないように神経すり減らして。とにかく、つらいんだよ/俺の事情もわかってよ>と。
きみどりさん、そうなんです。著者(あるいは編集者)のセンスが光るところですよね。何せ本編が極めてシビアですから、毎回(たまに無い時もありますが…)の偽予告、楽しみにしています。特に今回のギャグセンスは素晴らしい。傑作です。そのことを理解して下さる方がいて、感激(涙、涙…)
【理想と現実は、違う】福見施設長は忸怩たる思いを抱えていた。<ベッドからの転落、一人歩きの際の転倒、食事中の誤嚥や異食、火傷……。老人相手のケアには事故がつきものです。つきもの、だなんて言い方をしたらまた叱責を受けるんでしょうけれど、一対一、利用者につきっきりで介護しているわけでないんですよ。どうしたって目を離すことはあります。でもその一瞬の出来事が事故に繋がり、そうした場合は介護者が責められます。ケアが不注意だった、管理者の対応の不手際が引き金になった、などと糾弾され、時には裁判にかけられます>と――
【私は、何のためにこの仕事をしているのだろう――】介護事故で利用者から訴えられた過去がある福見節子施設長は、以後は事故がないよう懸命に努力してきた――。だが、<思い出した。節子が介護士になったのは、自分たち若い世代が希望を持ちたかったからだった。年を取って体が思うように動かなくなり、人の手助けが必要となって、それで施設に入ったとしてもそれは絶望ではない。施設での暮らしも悪くない。そう思ってくれる老人が増えたら、生きることが楽になるだろうと30歳の自分は考えていた。/自ら光を放つ、小さな灯火たれ――>と。
【リカバリーには自助グループの存在が大きい】松本:<当事者の方たちって、とてつもない寂しさとか、人間不信とか、あるいは承認されることへの飢えなどを抱えていると思う/それは一人の援助者では到底受け止めきれないんですよ。でも、そこで「受け止められません」と放りだしてしまったら、「やっぱり人は助けてくれないじゃないか」っていう思いを深めるだけなんですよね。だから、援助者が潰れないためには、やっぱり複数人・チームで当たるとか、あるいは他機関とネットワークを組んで支援するということが、多分必要なんだろう>と。ええ。
【居場所の存在が、辛い状況にある人の人生を左右する】村木:<刑務所の中って、ある意味で秩序立っています/外の社会は自由だけど、混沌としている。私は刑務所から出て道を歩いていた時に、人とすれ違うのが怖かったんですよ。向こうから歩いてくる人が悪い人かもしれないし、怖い人かもしれない。でも、自分を守ってくれる刑務官はいない。結局、自分の味方をしてくれる人がいなかったら、刑務所の外は怖い世界です。そこで安心感をつくれるかどうか。刑務所の中の暮らしは外で暮らすための準備にはあまり役立たないような気がします>と――
2009年刊というちょっと前の本で、パロディっぽい書き方だったりしますが、ホシさんに伝わったようで嬉しいです。『仁義なきキリスト教史』読んだ後、本書も再読したうえでレビューと考えていて、ようやく今回のアップとなったのですが、ホシさんからこのようなコメントいただいて、感謝です!
私の場合、今より忙しかったころでもいろんなスキマ時間になんとか読書してたのに、スマホ持つようになってスキマ時間にスマホ見るようになっちゃったのが敗因かな。しかも、多くの人、他人のスマホは覗かないマナーがあるのに、本読んでるとなんだか人目を引くようになっちゃって、休み時間も読みにくいよー(・_・、) そして大きめの空き時間は、他の文化(遊び?)に使っちゃうなぁ。半身社会は歓迎ですけれども。
うにさん、そうですよねぇ…電車に乗っていても、多くの乗客はスマホを手に――。以前なら読んでいた本・雑誌・新聞だって、今や読む人…ほとんどいませんもんね。前はよく目にした「夕刊フジ」も廃刊ですしねぇ……
ネギっ子genさま、詳しいレビューをありがとうございました。この本、かなり前に読メの読みたい本にあげていたのですが、まったく手をつけてきませんでした。おかげさまで、猛烈に読みたくなりました。でも、図書館から借りた本と自分で買った積ん読本に囲まれて、読めるのはいつのことやら。
kamakamaさん、引用した以外にも興味深い記述が多数ある本で、あなたになら推奨できる本です。ぜひぜひ。なのですが……<図書館から借りた本と自分で買った積ん読本に囲まれ>るという厳しい現実もあるわけなんですよねぇ… ふぅーっ……。わたしの場合。長年の慣習から、現実逃避策としてつい手近のコミック本に手を伸ばす傾向が強いです。やれやれ……
【患者さんを支えるためには、医療者にも支えが必要なんだ】踏み込んだ結果、統合失調症の母親を独りで支え続けてきた23歳の息子・暁人を精神的に追いつめてしまうことになって、自分を責める小野塚に仁科は、<すごく頑張ってたのはわかってる。/君はひとりで抱えてしまうところがあると思う。不安や迷いを、もっと周りに打ち明けたほうがいい。共有することで自分の状況を整理したり、一緒に考えて動いてくれる人を増やしていくのも大切なことだよ。報告をちゃんとしてって話とは少し違う。たぶん苦手なんだと思うから、意識してみて>と――
【ちゃんと自分を労ってあげて】最後の方でようやく登場する葵に小野塚が、「独りで空回って…」など落ち込んでいると、葵は「…聞けて良かったです。小野塚さん、自分の話はあまりしないから」と声掛け。そこで小野塚は、「担当してる患者さんで…子どもの頃から統合失調症のお母さんの面倒を見てて高校にも行けなくて、今20代半ば…って方がいるんですけど、その人にすごく感情移入してしまって…俺、機能不全家族で育ったんですよ/家族愛…家族だから大事にしなきゃとか、家族でいることが幸せとか、そういうのに拒否反応が出てしまう」と……
【2つ目は、異教徒(少数民族)の存在】<「イスラム国家」と言っても、国民が百%、ムスリムという国は存在しない。必ず、キリスト教徒、ユダヤ教徒、ヒンドゥー教徒、仏教徒などが共存している。ヒンドゥー教徒は飲酒に消極的だが、他はクリスチャンにしてもユダヤにしても、それから本当は絶対酒を飲んではいけないはずの仏教徒も、飲酒が大好きである。中でもキリスト教徒は別格の存在だ。なにしろキリスト教ではミサにワインが欠かせない。/飲酒厳禁を建前とするイランでも、アルメニア正教徒だけはワインの製造と飲酒を認められている>と。
【イスラム圏には裏表があるが、仏教圏には裏表では済まない曖昧模糊とした複雑な世界が広がる】<本来は仏教のほうがイスラムより酒に対して遥かに厳しいのである。なのに、日本人はもちろんのこと、ミャンマー人やブータン人のように「敬虔な仏教徒」と呼ばれる人たちも、この戒律を全く無視してせっせと酒を造り、心ゆくまで飲み、へべれけになって平気な顔をしている。しかも誰一人、これについて公に疑問を呈する人がいない。私も前々から不思議に思っていたが、やはり首をひねるだけ>。これぞ、“ハッピーランド”である仏教圏最大の謎だと。
【悲しみにより清められ鍛えられ優しく】美智子さまは、「言葉を失ったことへの不安と悲しみが日に日に大きくなり、発声や発語の練習に励む一方、回復への希望を失いかけた時期もありました。そのような時に、多くの方々から励ましの言葉を頂き、深い感謝に潤される中で、自分を省み、苦しみの持つ意味に思いをめぐらすゆとりを得ることができました。優しくありたいと願いながら、疲れや悲しみの中で、堅く、脆くなっていた自分の心を恥ずかしく思い、心配をおかけしたことをお詫びし、励ましてくださった大勢の方々に厚くお礼を申し上げます」と。
【祈りが芸術の根っこに】作曲家・三善晃は言う。「皇后さまの作品からは、祈りを感じます。祈りは芸術創造の根源であり、だから祈りそのものの本質は孤独なものだ。ノルウェーから来たある作曲家は『すべての作品は祈りである』と語っている/希望とか願いといったものは普通の人も持っている。しかし、祈りということはさほど持ってない。ダンテの『神曲』地獄篇の中に、人間は窮状の時、失意の時しか祈れない、祈らざるをえないとある。祈りとはそういう重さを持っている。皇后さまの窺い知ることのできない意識の背後に、祈りがあるのです」と。
【私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。私は雑種でチャボである】巻頭の「放浪記以前――序にかえて」で、冒頭に唱歌「旅愁」が引用される。<故郷に入れられない、両親を持つ私は、したがって旅が古里である。それ故、渡り者である私は、この“恋しや古里”の歌を侘しいで習った。8つの時、私の可憐な人生にも、暴風を孕むようになった。若松で、太物の糶売りをして、かなり財産をつくっていた父は、長崎の沖の、天草から逃げて来た、浜と云う芸者と一緒になると、雪の降る旧正月を最後として、母は私を連れて家を出てしまった>と――
【雑記帳の端に書いた手紙】<生きのびるまで生きて来たという気持ちです。随分長い事逢いませんね。神田でお別れしたきりですもの……。もう、“しゃにむに”淋しくてならない、広い世の中に可愛がってくれる人がなくなったと思うと泣きたくなります。いつも一人ぼっちのくせに、他人の優しい言葉をほしがっています。そして一寸でも優しくされると、嬉し涙がこぼれます。大きな声で深夜の街を唄でもうたって歩きたい。夏から秋にかけて、異状体になる私は働きたくっても働けなくなって弱っています故、自然と食う事が困難です。金が欲しい>と――
【短期的な動員ではなく、むしろ忘却に抗う力を】<もっとも深刻だと感じているのは、じつは社会の保守化でも排外主義化でもなく、どんどんひどくなる「忘れっぽさ」である。たとえば相模原障害者施設殺傷事件。わずか半年前の大量殺人事件だが、早くも風化している。1997年の酒鬼薔薇事件や2008年の秋葉原通り魔事件は、数年単位で話題になった。比べると明らかにメディアの構えが違う。かつてメディアの時間はもっとゆっくり進んでいた。一つの事件について、月単位年単位の時間をかけて「意味」を解読する余裕が存在した>と。今は――
【ぼくは平成の批評家だった】<それは、平成の病を体現する批評家であることを意味していた。だからぼくは、自分の欲望に向きあわず、自分にはもっと大きなことができるはずだとばかり考えて、空回りを繰り返して4半世紀を過ぎしてしまった。ぼくは新元号では、そんな空回りを止めて、社会をよくすることなど考えず、地味にできることだけをやっていきたいと思う。/もう偽りの希望はうんざりだと、平成という病を生き抜いた47歳のぼくは心の底から思っている。/ひとの人生は無限ではない>と。敗北主義で冷笑主義で現状肯定と批判されても――
【本は売れるんじゃなくて、売っていくんです、書店員が】史弥は、槙乃による細目な並び替えを見て、<“金曜堂”は店舗のスペースが狭く、フロアの棚も限られているため、店頭で目立つのは、人気作家の本や高校生が好む本やコミックスだったりする。だけど、アルバイトとして内側に入ってみると、売上を気にしながらも、お客様に楽しんでもらえるよう、最大限の工夫を凝らしていることがわかってきた。その努力は、“金曜堂”の棚の入れ替えや棚作りの頻繁さにもあらわれているだろう。朝に作ったコーナーを、夜でたたむこともしばしばだった>と。
【幼稚な大人】<話題になり始めた1990年代にも、さまざまな人がアダルトチルドレンを「大人になりきれない幼稚で未熟な人」のことだと誤解していました。当時やはりよく使われていた「モラトリアム人間」の同意語や新しい表現だと錯覚された/私自身も、初めてこの言葉を知った時、いわゆる「ピーターパン症候群」の別の表現なんだろうと考えてしまいました。それで、あまり関わりたくない概念だなと思ったことを覚えています。自分自身に実際、「ピーターパン症候群」の傾向があるとも思っていたから、同類嫌悪的な感覚があったんですね>と。
【カウンセリングに比した自助グループの利点】<カウンセラーはプロとはいえ、「当事者」ではないから、相談する人の話をどこまで理解したり共感を示せたりできるかは、ケースバイケースというところがある。せっかくの機会だからと相談しても、期待外れに終わることは稀ではない。それなりの料金を払うから、余計に落胆の度合いは深い。その点、自助グループは、似たような悩み事を持つ人が集まっているから、話は驚くほど通じやすく、また不満を感じることがあっても、原則として無料だから/失望の思いに打ちのめされるということが少ない>と。
【お声を失われた平成5年――】<あまりに痛々しく、思い余って「こういう時に精神科医とかカウンセラーの助けを借りることはできないでしょうか」と/囁くようなお声で、仮に内容が秘匿されるとしても、他の人々に関わることを自分から口にすることはしたくない、と仰った。/皇后さまのことを「Kindred soul」(自分と類似の魂を持った人)とまで呼んでおられた精神科医の神谷恵美子さんにさえ、かつて宮中の人間関係などについては一言もふれられなかったという。すべてをお一人の内に受け入れ、とどめようと努力しておられた>と。
【同じ和語でも感じの宛て方ひとつで微妙にニュアンスが違ってくる】<「油」はもっとも一般的な表記だが、主に石油や植物油などの液体のものをさし、「脂」は動物脂肪など固体のものをさす。「膏」は「蝦蟇の膏」などの場合に用いるが、「油」「脂」による代用が可能なことも多く、用例は少ない。「元」と「下」と「基」と「本」、「川」と「河」、「舟」と「船」、「憂い」と「愁い」、/「探す」と「捜す」、「戦う」と「闘う」、「暖かい」と「温かい」などは、そういう何らかのニュアンスの差によってそれぞれ慣用的に>書き分ける例であると。
【濁音】<「トントン」という音より「ドンドン」という音のほうが腹まで響く感じがある。「カーカー」より「ガーガー」、「キャッ」より「ギャッ」のほうが神経にさわる感じが強い。これらの組み合わせはどれも清音と濁音の対応になっているから、これは“濁音”のことばが一般に帯びやすい語感であると考えられよう。/「貪欲」という語がきつい印象を与えるのも「とんよく」でなく「どんよく」と読む時で、意味だけではなくそういう音構造も影響している可能性が否定できない>。「どやす」「がなる」は、語頭の濁音がキツイ響きを印象づけると。
【私は、人格形成を育む貴重な幼少期に、この本で描いたような劣悪な環境にいた……】<おそろしく聞こえるかもしれませんが、幼いころはいつも「この世がすべて破壊されればいい」、遊園地で幸せそうに遊んでいる家族を目の前にすると、「死ねばいいのに」と心から思っていました。そこまで私の幼い心はどん底に叩き落とされていました。今はそういった思いはかなり薄れましたが、45年経っても、少なからず虚無感として残っています。しかし、それは私が「たまたまこんな家庭環境に生れてしまっただけ」なのです>と…。強く共感。実に、そう……
【仕事でも苦しみ、両親と絶縁する】浪人して慶應入ったのに、時代は大不況で超絶氷河期。本当は行きたくない人気のない役所に。給与はバイトレベル。奨学金の返済もあるのに!私はキレ、<大学も親の希望通り入ったのに!なぜ社会でもバカにされる!本格的に両親殺害計画を実行するしかない!>と、闇落ちした。その時、友人の“憎くても親を殺して刑務所に入るなんて、意味なくない?それこそ負けだよ”という言葉を思い出し、友人に相談電話を。「殺すより残酷なことは“無視”することだよ!」とのアドバイスを受け、以降“無視する”ことに――
【いいとこ取りでイイ】谷川が『レンマ学』(中沢新一/朝日新聞出版)をおススメすると、伊藤は「見出し」を見て、<伊藤:すでに読む前から難解ですねえ。こんなのするする読めちゃうんですか!/谷川:端から熟読するんじゃなくて、断片的にさーっと流し読みすると、何か心に引っかかったりするから、それで十分だよ/伊藤:それでいいんですか、じゃ私にもできる。私、お経を読み始めた頃、何にもわからなかったんですよ、ほんとに何にも。それで10年の間、わかんないわかんないと思って読んでたらね、少しずつわかるようになったんです>と。
【死後の世界】<伊藤:宗教を調べていくと、みんな意識がなくなっていくのが怖いと。眠ったら目を覚まさない、っていうのが怖くて、人は浄土とか天国とかって考えて、意識が続くんだと思いたいんじゃないかと……。私、個人的には、「天国でまた会いましょう」みたいな感覚はギマンだと思って/谷川:え?ギマン、ギモン、どっち?/伊藤:欺瞞。詩人として許せんと思いますね。天国なんてあるかい、って立場です。谷川さんはどうですか?/谷川:うん、天国はないと思うね。オレほら、わりと友だちが少ないんだよ。誰かに会いたい>とかはないと。
【男の大厄で、心の暗部を他者に開陳してしまう結果に――】<それなりに人生を総括しなければならない時期である。自分は今までどんな実績を残したのか、どれだけ他人に誇れる生き方をしたのかを問われる。はっきりと問われなくとも、振り返らざるを得ない頃合いのようである。そのときに、自画自賛できるものは少ないだろう。忸怩たる気分、他者への妬みと憎悪、虚しさと痛恨などが一気に前景化して扼腕する。そのような際に、案外と簡単に人は妄想を作り出してしまうらしい。ある種の自己正当化であり、妄想の姿をした自己弁護>と。……わかる。
【アウト老】<特徴的なのは、プライドの高さ、執着心の強さ、被害者意識、不寛容さ、歪んだ正義漢など/つまり彼ら暴走老人やアウト老たちは、自分が迷惑で図々しく高圧的で独りよがりであるとは思っていない。驚くべきことに、尊敬され一目置かれVIP扱いされるべき「筋の通った人物」だと信じている気配がある。だから平気で列に割り込んだり(VIPだから)、電車で座っている妊婦に席を譲れと怒鳴ったり(年寄りは労られるべきだから)、クレーマーと化したり(正義を貫くから)、自分を棚に上げて相手の言葉遣いや態度に文句を言う>と――
【おばあさんに、不利な証拠は山ほどあった】<人々が何のかんのと訴え出ていたからだ。あいつににらめつけられたおかげで、うちの家族も家畜も病気になった。あいつが魔法を使って蝋人形に針を刺した、おれたちに呪いをかけるために。あの女、でっかいウサギに変身して、数キロ四方の畑や野原をうろついていた。しかも、変身するときには、死体のとけた脂で作った難航を使ってた/難癖をつけた人たち、あの人たちはわたしの友だちであり、近所の人たちだった。みんな、いつもおばあさんを頼りにしていたのに>……その人たちがみんなで嘘を、と――
【人間ってやつは、何かうまくいかないことがあると、いけえにを見つけてその責任を負わせるもんさ】イギリスでの魔女狩りの手から逃れ新世界に向けての航海中、少年の水夫から、「コーンウォールの人間って、魔女狩り人よりもすばやく魔女を見分けるんだぜ。そういうやつらが、この船はプリマスを出てからランズエンド岬を過ぎて、シリー諸島の沖を抜けるまで、ずっと魔女の凶眼に見つめられてるのを感じてた、って/船ってのは、へんなところなんだ。風や天気だけが心を乱す原因になるわけじゃない」などと言われ、心の奥底に恐怖が広がったと――
【この世の浄土としての神社】<垂迹―神がこの世に出現した理由は、末法辺土の衆生を正しい信仰に導き、最終的には彼岸の浄土に送り届けるためだった。従って、垂迹のいる霊地・霊場に足を運び帰依することが、往生への何よりの近道/現代人にとって、神はもっぱら現世の利益を司る存在である。神社で葬式を行うことはまずない。死後の救済は神の任務ではなく、仏の役割だった。それに対し、中世では神々が霊魂を浄土に送り届ける役割を担っていた。それは神を末法辺土の救済主と捉える、当時の一般的な認識を前提にしたもの>と――
【統一権力の宗教政策】<統一政権は宗教勢力を跪かせるだけでは満足しなかった。天下人が目指したのは、民衆や敵対勢力が信仰を口実にして再び反抗の火の手をあげることを防ぐために、宗教的権威を自らの支配秩序の中に取り込み、自己の権威づけに利用することだった。そのために、彼らは自ら神になることを目指した。信長は、自分を崇拝すれば富と長寿を得ることができるという高札を総見寺に立てさせた。秀吉や家康もまた死後それぞれ「豊国大明神」「東照大権現」の神号を受け、神として祀られ>ていますよね。そして、その肖像も神像として――
<サンフランシスコの条例では、歩道に座ったり横たわったりすることを禁じており、公共の公園で寝ることや、公衆の場での排尿や排便も禁じている。こうしたことは生物学的に誰もがする必要があることで、ふつうは家の中ですることだ。住む家がない人々は、車の中に住んでいたり、夜間も職場に居残ったり、深夜バスに乗っていたり、知り合いのソファを渡り歩いたりして、一見するとほかの人と同じようにしているので、通常は不可視である>。日本も同じですね。「ホームレス」は昔とは様相が変わった。一般の方と同じような姿でネットカフェにて――
【悲しみの中の希望】<選挙の後、わたしは人々が脅しに屈し、公的には服従し、私的には無関心になるのではないかと恐れていた。9・11以降、ブッシュ政権はこの事件を巧みに操って愛国心を盲目的な服従のようなものに仕立てあげ、それにあえて異議を唱える者は長年にわたってほとんどいなかった。この醜い時代にも喜ぶべきことがあり、そのひとつは、トランプ政権を怖れている者がほとんどいないらしいことだ。/この国が完全に独裁主義になるのを防げるものがあるとしたら、それはここにいる多くの人々の反抗的な性質>だと。その通りであって!
【どうもがいてみても、果てしなく虚しかった。私は快楽を、まるでそれをやがて訪れる苦痛の一部であるかのように味わっていた】<電話がかかってくるか否かにもう一喜一憂しなくてすむように、もう苦しまなくてすむように、きっぱりと別れてしまいたいという気持ちに、私は絶えず傾いた。が、すぐに、訣別の直後から始まるもの何一つ待ち焦がれることなしに過ごさなければならない日々の連続が頭に浮かぶのだった。私が選んだのは結局、たとえどんな代償を払うことになっても、そのまま関係を持ち続けていることだった。たとえば、>――と……
【情熱】訳者は、<passionは、本書の訳文中でも文脈によってさまざまな訳語をあてたように、「情熱」「熱情」「恋」「恋心」「恋情」「恋着」「執着」などを指すが、もともとは、外部から被害を受けたときに生じる「苦しみ」「苦痛」「苦悩」を意味する語/passionと頭文字を大文字にして書けば、イエス・キリストの「受難」を意味する。重要なことはしたがって、「シンプルな情熱」という場合の「情熱」(=パッション)が、語源を遡れば、受け身の状態であり、苦しみ>であることなのだ、と。外部から取り憑いて、虜にする力か……
【時は有難い】<お父さんが逝ってからのこの6か月、みなさんがよくきてくださったから、ほんとうに助かったと思っています。今まで私はお父さんにずっと依存してきたでしょ。だから、不安だったの。ひとり暮らしって、むなしいのね。さびしいんじゃなくて、むなしい。何をやっても。一人でどう生きようかなって。一人で生きる自信もそんなにないし、と思っていた。だから、時って、ほんとにありがたいですよ。どんどん、そういう迷いや不安も薄れてきて。お客さんがいらして、次の日、一人になると、一人でやりたいことをやる>。これが楽しいと。
【自分が強くないことを気に病んできた……】<強い人たちは、私がいつの間にか陥っていた被害に遭いやすい状況に陥ったりはしない。強い人たちは私が犯した間違いを犯しはしない。これは何年にもわたって私がでっちあげてきたナンセンスであり、私は誰か他の人にそういう考え方を捨てさせるくせに、なぜだか自分自身がまだ手放せていない。自分が十分強くないと気に病むとき、私は自分が脆弱でない、壊れない、石のように冷たい要塞で自立しているように見せることに力を注ぐ。たとえ無理なときにすらこの見た目を保たねばならないと気に病む>と。
【体のことが、思わぬ形で私のフェミニズムに影響を】<私の体で生きることは、他の人々と彼らのさまざまな体に共感する気持ちを膨らませた。それは確かに、さまざまな体型の包摂と受容(単なる容認でなく)がいかに重要かを私に示した。大きな女でいること(これは私の体がどんな状態か尊厳のようなものをもって他の人々に慎重に伝えるのに私が使うフレーズ)、それは少なくとも過去20年にわたって、私が私であることの一部だったのであり、それは私が私であることの他の部分と同様なのだ。/この体には回復力がある>。体は力に満ちていると――
【職員による入居者への誕生日の声掛けを禁じる施設がある。個人情報保護法を名目にして!】<確かに法律は、業務の目的の範囲を超えて個人情報を利用することを禁じていますが、高齢者の暮らす場で働くスタッフの業務の目的は、心身共に健やかな高齢期を送ってもらうことであり、誕生日の声掛けはもちろん、個別のさまざまな情報をもとに人と人をつないだり、相応しい場にお誘いしたり、機会の提供や紹介をしていったりするような働きかけは欠かせません>と。社会的なフレイルが、身体的や精神的なフレイルを引き起こすことは、介護の常識です。⇒
<「誕生日おめでとうございます」を禁じるようなところでは、例えば「同じ趣味の人がいたら紹介して」「こんな相談に乗ってくれる専門家が入居者の中にいたら教えて欲しい」「仲間のお見舞いに行きたいので入院した病院を教えて」といった要望があっても、すべて「個人情報です」と言って断ってしまうのでしょう。そうして交流が生まれず、関係が薄くなり、貧弱なコミュニティとなって、それがじわじわと心身の衰えへとつながっていきます>と。こういう施設あるね。入居者間トラブルを避けるために。結果、入居者の溜まったストレスの捌け口が――
【スティグマと数々の失敗経験が、生きることをさらに困難にさせた】<自分は駄目な人間、卑怯で人でなしだと思い込むようになりました。逆にいえば、そうやってスティグマを背負い込むことで、何かから目を背け続けた/精神科病院へ入退院を繰り返す中で、何回も何回も閉鎖病棟に入院させられ、保護室に隔離されたり、拘束帯でベッドに括りつけられた時も、命がけで抵抗したり反発したけど、心のどこかで「自分は『人でなし』やからこんな扱いを受けるんだ」「自分みたいな人間は保護室に閉じ込められ、ベッドに括りつけられ仕方ないんだ!」>と。
【絶対回復できへんと思っていたのに回復者として生きているなんて、自助グループの力は凄い】<素面でも色々なことにしんどさを感じるし、逃げたり弱虫な一面も見せますが、それこそが酒や薬を使っていない自分のそのままの姿だから、卑下したり隠すことなく、そのままの姿で生きていけたらと思います。そんな姿を知ってもらうことで依存症や依存症者に対しての偏った見方が変わると感じてきたので、周囲の偏見や決めつけだけじゃなく、自分のなかの内在化された偏見やスティグマを新たな自己理解へのプロセスと信じ>、自分自身を生きたいと――。
【個人的な目標】クリスは、<未来はどんなことが起るかわからないということは別として、わたし自身をできるだけ明確に、できるだけ正直に表わすことなの。だからある意味で文章を書くことは愛することと同じなの。精密さと覚め切っていることが重要な、極めて高揚した状態を生きるということなの。これはほかのことでもそうだけど。こういう気持ちはからかわれたり拒絶されたりするリスクがあるわね。そしてわたしは今初めてそのリスクを“理解”したの、つまり失敗を受け入れる覚悟があるし、賭けたあとの結果は引き受けるということ>、と――
【クリス・クラウスって誰?】<「一人前じゃないのよね、シルヴェア・ロトリンガーの妻っていう、ただの付属品じゃない!」何本映画を作っても、何冊本を監修しても、シルヴェアと暮らしているかぎり付属品に見られてしまう。「おれのせいじゃないよッ!」とシルヴェアは大声でどなり返す。しかしいっしょに仕事をしても彼女の名前が一人前に扱われることはないし、そういうとき、金を出す人たちを怒らせまいとシルヴェアがどっちつかずの態度でだんまりを決め込むのをクリスは忘れていない。彼女は堕胎を何度かしたことも忘れていないし>、と――
【魔女狩り】トーリーは、「イングランドでは欧州ほど盛り上がらなかった。酷かったのはスコットランドなんだ/ジェームズ6世が魔女嫌いだったのさ。己が魔女に命を狙われていると終生信じたし法律も改定した。彼はイングランドの王にもなったから、この島でも魔術や魔法に関わる者は憎悪の的になった。そして時が過ぎ、土地に根差した者たちはそのまま消えてしまい、人を欺く力のあるやつは旅暮らしの浮草になっていったというわけ。市井の魔術師も危ない橋を渡るような暮らしをしていたそうだよ。僕らその頃に生まれなくてよかったよね」、と――
【相関図】今巻の「あとがき」でも、<登場人物がとても増えたので、読者さん向けの相関図を作るべきか考え中……>と。このことは、以前から作者は書き込んでいて、読者としてはずーっと期待して待っていました。なのに……。相関図を作るのにどのような支障があるのでしょうか?まさか「公式副読本」の売り上げに響くからなんてことはないですよね…。じゃあ、「相関図」を作ることで創作上での制約が出るのを危惧して、ということでしょうか。ならば、「相関図」じゃなくて「人物紹介」だけでイイ。外国の推理小説では、ずいぶん助かったので……
【子どもが生まれ、育っていく日々、私は大きな喜びと共に、言い知れぬ不安を感じることがありました】3人の子どもを育て、心惹かれた詩を英訳しながら、<自分の腕の中の小さな生命(いのち)は、誰かから預けられた大切な宝のように思われ、私はその頃、子どもの生命に対する畏敬(おそれ)と、子どもの生命を預かる責任に対する恐れとを、同時に抱いていたのだと思います。子どもたちが生きていく世界が、どうか平和なものであってほしいと心の底から祈りながら、世界の不穏な出来事のいずれもが、身近なものに感じられてなりませんでした>と。
【昨日に引き続き、吐き気が収まらず――】<悲壮な覚悟を心に持って食べ物を口に入れた。それでも元気なときの四分の一くらいしか食べられない。何も考えたくない。過去のことも未来のことにも目を向けず、昨日今日明日くらいのことしか考えなければだいぶ楽になれるのにと思いつつ、気が付くと過去の楽しかったことや、それを失う未来のことで頭の中がいっぱいになってくるしくなっている。今だけを見つめるという技は、宗教を極めた高僧のような人にしか出来ないことなのかもしれないと思う。あとすごい職人さんとかは無意識にできそう>、と――
【日記を書く意味は――】<余命4か月でもう出来る治療もないという救いのないテキストを誰も読みたくないのではないだろうか。これ、『120日後に死ぬフミオ』のタイトルで、ツイッターやブログにリアルタイムで更新したりするほうがバズったのではないか。でもそれは望んでいることからはずいぶん遠い。そんなことだから作家としてイマイチなのかもしれない。だったら何も書き残したりせず、潔くこの世を去ればいいのに、ノートにボールペンでちまちま書いてしまうあたりが何というか承認欲求を捨てきれない小物感がある>と自虐的に記して……
【私の怒りは、私が老齢であるばかりに、弱気とか耄碌の徴とみなされる】怒りっぽかった祖父のことを思い出しながら――。<これは残酷なことではないか?老人は、正当な怒りさえ奪われなくてはならないのだろうか。怒りっぽささえも「症候」として扱われなくてはならないのか?ああ、またいつもの癖――たったいま、祖父が年を“とったとき”、乱暴になったことで彼を責めたばかりなのに。祖父は昔は乱暴でなかったのだろうか?もちろん私にはわからない。私が知っていたのは70歳を過ぎてからの祖父だから>。その祖父はずっとそうだったはず……
【「表現」はなんて心を解放することだろう】<老齢についての異議申し立てを2ページも書きつけることに成功しただけで、私はとても生き生きとし、自分をとりもどしたように感じる。ここで私たちはいろいろなことを剥奪されているが、とりわけ“表現”を奪われている。老人は、どう感じているか、なぜなのかを問うてくれる人がいないために、萎縮してゆく。もしも誰かそう訊く人があれば、話すことができただろうか? 私はなぜ試みなかったのだろう。/私たちに共通のものはなにもない。なぜ、それがあるようなふりをする必要がある?>と。そう!
……プロフィール画像のように、2人だけの世界を構築するなら、それはそれで…ってより、お羨ましいことですね………って話じゃないですね、たぶん。うん。えー……、その引退後が結構経過してしまったわたしども夫婦で言えば、子どもも巣立って、お互い修繕が効果薄の身体になってきているので、「こんなこと頼める(やってもらえる)のは妻(夫)しかいない」と共に言い合う共依存関係に――
【ブッダという男は、輪廻を当然の前提として受け入れており、世の貧困や差別や理不尽な死の原因はカルマにあると、説いたのだと】<教祖を“理性的現代人”として復元した点で、近現代の仏教研究との奇妙な一致を指摘できるだろう。そもそもブッダやイエスが生きた時代に、現代的な意味での平等主義やフェミニズムといった価値観は存在しなかった。そのような価値観の先駆者としてブッダやイエスを位置づけようとする試みは、現代人にとって魅力的ではるが、それは歴史問題ではなく、むしろ解釈学の領域にあることを自覚する必要があるだろう>と。
【「歴史的ブッダ」から「神話的ブッダ」へ:人々から信じられてきたブッダの姿こそが、人類に大きな影響を与えて来たという点で、史的ブッダよりも重要】<今を生きる我々が、伝統的解釈を否定して、初期仏典から「歴史的ブッダ」と名づけられた「神話的ブッダ」を新たに構想することは、決して無意味な営為ではない。インドでカースト制度の撤廃に尽力したアンベードカルは、差別撤廃の思想的根拠をブッダの教えに求めた。アンベードカルの仏教理解は、必ずしも公平で客観的なものではなかった>が、確実に現実世界を動かす原動力になった、と――
【「トランス女性に女風呂の利用を許してしまったら、女装して女風呂に入ってくる性犯罪者と区別がつかないから、《女性》スペースを守れ」という主張に抗して】<想定されている《女性》とはシス女性のみで、その時点でまずトランス女性を女性カテゴリーから排除する差別言説である。また、先の主張は「トランス女性が性別適合手術なしで公衆浴場を使わせろと要求している」という社会的影響力をほとんど持っていない主張を前提としている。そして「トランス女性と性犯罪者の見分けはつくか」>と、意図的にトランス女性と性犯罪者を混同させると。
【共通性と多様性は表裏一体。私と同じような人はいるかもしれないけど、私は私】堀田紀何:<性別違和。トランスジェンダー。性分化疾患。すべて「身に覚え」がる。複雑に絡み合っている。/聖職者になるための召命を願っていた時期がある。修道女になりたかったが、カトリックの教義上、出生時の性別が女性でないと無理である。性自認からして、私には、教区や男子修道会という男だけの社会に入る選択肢はなかった。私をこのような肉体と心に造った神様なら、私が神様に奉仕する仕事に就きたいのは解っていらっしゃるはずだが>、なぜ神様は……
ネギっ子genさま、私は2年前に読んでいますが理性的にしっかり読みこめませんでした。どこかでこんな思いをしたり同じような場面を見たよなという既視感と、その時に感じた怒りやモヤモヤした気持ちがわき上がってきて、けっこういい加減に読み飛ばしてしまった覚えがあります。訳文もちょっと読みづらかったです。もう一度読んだらどう感じるかな。向き合ってみなきゃと思ってます。
kamakamaさん、コメントありがとうございます。発売早々にお読みになっていらっしゃるんですねぇ~。わたしのほうは、『説教したがる――』で、著者のことを知って本書が3冊目。現在4冊目を読んでいます。わたしの感想は、アメリカ女性の立ち位置は、未だにこうなのか……と暗澹たる思いに襲われました。そして、こういうことがある現状だからこそ、かつてヒラリーは“ガラスの天井”を破れず、今もハリスも苦戦するなど、アメリカにおけるミソジニーの根深さを、改めて思い知らされる読書に――
「手紙」<女がそのことを持ち出すと、隣に寝ている恋人が、それはいつ終わったのかと訊ねる。1年ほど前に終わった、それ以上は何も言えない、と女は答える。恋人はしばらく続きを待った後、それはどんな風に終わったのか、と訊ねる。最悪の終わり方だった、と女は言う。彼は慎重に言う、自分はそれについて知りたい、君に関することは何もかも知りたいと思っている、だがもし君が話したくないのなら話さなくていい。女はほんの少し彼から顔を背け、閉じた瞼にスタンドの光が当たる。最初はその話を彼にしたいと思っていたが、やはり無理だ>と……
「問題」<XはYと暮らしているが、Zの金で生活している。YはWの生活費を出しているが、WはVとのあいだにできた子供と暮らしている。Vはシカゴに引っ越したいが、子供が母親のWとニューヨークにいるので引っ越せない。WはUと付き合っていうが、Uの子供が母親のTとニューヨークで暮らしているので引っ越せない。TはUから金をもらい、WはYから慰謝料を、Vからは子供の養育費をもらい。XはZから金をもらっている。XとYの間に子供はいない。Vは自分の子供とめったに会わないが養育費を払い>、と。これぞ、米国の現状ですかね……
【スミマセン…間違えた……】8巻の内容に対するレビューを、この9巻でやってしまった😱 ということで、アップし直しました。もうすでに読んでくださった方、誤解を招く書き込みしてしまったことを、海より高く山より深くお詫び申し上げますです。
【ご当地カップ麺が、あまりない理由】<カップ麺を製造するには、大掛かりな工場整備が必要で大変/その点、袋麺はうどんが作れる製麺所なら作れるんで参入しやすい>。【老害】和文が、横暴な困った老人への対処法として、「僕がヘタレなせいもありますけど、できるだけ我慢しますね。モメても大抵の場合、事態を悪化させるだけですから…」と笑顔で語ると、芹沢は「ふ~ん…俺の若い頃は、気に入らないやつがいたら、後先考えずにモメたものだな。そういう賢明で穏当な姿勢は今どきの若いもんの美点でもあるが、覇気のなさにも」と、得意顔で――
【人間は、たやすく心が翻り、いくつもの顔を持つ】高校生ランキングでベスト5くらいの札幌洗濯物を畳むのが凄く巧い、意固地で面倒くさく、帰宅部道を極めることを使命とする、北原家の小姑であり鬼軍曹である、手品と変装が上手なイケメン鉄仮面高校生・錬は、クールに言い放つ。<人間の顔って、ひとつじゃないですよ。家に帰ったらいい父親のヤクザもいるかもしれないし、友達思いの殺人鬼だっているかもしれない。人間って置かれた状況でいくらでも変わるんだと思います。優しくなったり、怒りっぽくなったり、ものすごく残酷になったり>と。
【大人は苦労している若者が好きだ】サブキャラとして登場する北大生・理緒は、バイト先の居酒屋で酔客の戯言を受け流しながら、考える。<父親がいない。母親が昼と夜のダブルワークで必死に働いている。それでも生活は苦しく、家族のために学校に通いながらアルバイトをしている。そんな不幸なストーリーを聞くと胸がいっぱいになったように、偉い、がんばれと声をかけてくれる。そのまなざしはとてもやさしい。でも彼らは、励ますことはしても、実際に手を伸ばして何かしてくれることはないのだ。たぶん、世の中は、そういうものなのだ>と――。
アメリゴ・ヴェスプッチの名前は、児童書『私立探検家学園1』(斎藤倫)で知りました。主人公松田コロンがおじいちゃんから「〈新しい大陸〉だと宣言したのは、アメリゴ・ヴェスプッチが最初だった。だからアメリカという名前になったんだよ」と教えてもらうのですが、ネギっ子genさんのレビュー【アメリゴはコロン(コロンブス)から「発見者」の名誉を奪おうとした】では全く逆ですよね?よくわからないので、ご紹介の書を探して読んでみたいです。
yumihaさん、清水書院の紹介文では、<コロンブスはアメリカ大陸がアジアだと死ぬまで信じていた。その陸地の性質をめぐり,一六世紀に出版されたアメリゴ=ヴェスプッチの『新世界』と『四度の航海』が一石を投じる。彼にちなんで新大陸をアメリカと命名した者まで現れた。しかしアメリゴの死後,発見者の名誉をコロンブスから奪おうとしたと非難される。一八世紀に彼の私的な書簡が発見されると,先の二著がアメリゴの作なのか論争が起こった。誰が何の目的で『新世界』を書いたのか>と。わたしは興味深く読みました。宜しければ一読を――
【琴美とミアの関係】<ミアといないと生活の一部が抜け落ちたような、そんな感覚に襲われる/けれど、今は違う。ミアの言葉は居心地が良すぎるのだ、とはっきりわかる。だから私は、距離を置いておきたかったんだ。ミアといると、溶けてしまう。ミアに弱さも何もかもを肯定されて、何も考えずに済むから。今、はっきりと輪郭を持った。私はそのことが、ミアに何か大事なものを委ねてしまうのが、本当は嫌だったんだ。――琴美だけはいつまでも、弱くて可愛いままでいてね。心の支えにしていたはずのその言葉が、ひどく脆く、揺らいでいる>、と……
【チワワというのは象徴的です】社会学者は、チワワテロに端を発する一連のムーブメントについて、「現代人は弱くなりたいという願望がある/弱いということは、脅威ではないということ/炎上や告発などが身近な現代社会では、力を持っているというだけで、つまり、強い存在であるというだけでより可燃性のリスクが高まる/本音を言えば自分が何より大事ではないですか?誰だって、批判されたくありませんよね。炎上したくありませんよね。そうした感情は、なにも表舞台に立つ人間だけのものでなく、広く共有されているものではないでしょうか」と。
【お前は、アイドルの女の子が体を撮られるとき、どうして笑ってるか分かってるはずだ】セクハラ体質全開の柔道部先輩に対し光は、「…必死だからだよ。自分の生きている世界で認められたくて、必死で正解を探すけど誰も教えてくれなくて、不安で、目の前の自分に価値を与えてくれる人間にしがみつきたくなる。…なのに、その人間は、それがまるでその子の意志かのように受け入れるんだ。…その後ろめたさを隠すため、彼女の汚さを指摘する女の子たちを悪者に/…いい加減認めろよ、お前のやるべきなのは/汚いのは自分だって向き合うこと」だと――
【好きな記述①】<家出の計画を立てた時も、早々にあきらめた夢を語り合った時も、自分の首に両手をまわし喉を圧迫する、明確な理由なく生を厭う瞬間、私はいつも笑みを湛えていた。身体全体で笑っていた。笑っている時の私を、私は信用していない。だって酔っているから。笑っている自分自身に、あるいはその雰囲気に。のまれているから。語られることは臆病ではなく大胆、軽率で誠実でない、不謹慎で深刻さを欠いている。笑いながらのけぞったり、笑いながら前のめりになるたび、瞼の縁が涙で湿る。視界が曇る>と。こういうのって、すごくイイ。
【好きな記述②】<預けた場所すらどこかわからない、思い出せない、私は永遠にその箱を開けないだろう。一人暮らしで外出のままならない祖母が早く死にたいと口にする、精神疾患で施設にいる姉が面会の際、今がいちばん生きてて楽しいと喜色満面でおやつを貪る、ふとした瞬間漠然とした恐怖に苛まれ死ぬのが怖いと私の身体を抱き寄せる母親の、おそらくはまだ遠い、あるいは明日かもしれない、混沌としている私の、結末は同じだ。どうあがいても、笑っても悲しんでも怯えてもそうでなくても長い短い差はあれど、行きつく先は>と。うん、うん。ね。
【榊は、日本書紀に天香山の木として登場し、天鈿女命が天岩戸の前で榊を手に踊ったと記されるなど、神木としての歴史は古い】<枝がよく伸びてしかもしなやかであること、ことさらな臭いのないことなどが尊ばれたのであろう。その材をときに建築や細工物に使うことはあるが、榊はもと、人々の生活になくてはならないような木ではなかったと思われる。それは「無用の木」であった。無用に見えるものにこそ、実はすべてを束ね、統べる霊能の存在することを見いだす。それもまた、この列島に暮らす人々が、長い歴史のうちに見出した知恵であった>と。
【本の中で悲しみを知ることは、人生に厚みを加え、他者への思いを深める。喜びに触れることは、読む者に生きる喜びを与え、希望を取り戻し、再び飛翔する翼を整えさせる】<自分とは比較にならぬ多くの苦しみ、悲しみを経ている子供達の存在を思いますと、私は、自分の恵まれ、保護されていた子供時代に、なお悲しみはあったと言うことを控えるべきかもしれません。しかしどのような生にも悲しみはあり、一人一人の子供の涙には、それなりの重さがあります。私が、自分の小さな悲しみの中で、本の中に喜びを見出せたことは恩恵でした>と。ええ……
【講演最後のお言葉】<どうかこれからも、これまでと同じく、本が子供の大切な友となり、助けとなることを信じ、子供達と本とを結ぶIBBYの大切な仕事をお続け下さい。子供達が、自分の中に、しっかりとした根を持つために/子供達が、喜びと創造の強い翼を持つために/子供達が、痛みを伴う愛を知るために/そして、子供達が人生の複雑さに耐え、それぞれに与えられた人生を受け入れて生き、やがて一人一人、私共全てのふるさとであるこの地球で、平和の道具となっていくために>と――
【奇怪な鬼に瘤を除去される】<気が付けば暁方であった。夢のような出来事だった。もしかしてマジで夢?そう思ったお爺さんは右の頬に手を当てた。そこに瘤はなく、拭い去ったようにツルツルであった。このことを誰よりも早く妻に知らせたい、と思ったお爺さんは/お爺さんの顔を見て驚愕した妻は、いったい何があったのです?と問い糺した。お爺さんは自分が体験した不思議な出来事の一部始終を話した。妻はこれを聞いて、「驚くべきことですね」とだけ言った。私はあなたの瘤をこそ愛していました。と言いたい気持ちを押しとどめて>。ええ話や!
【伴大納言のこと】<ある日、伴善男は、自分が西大寺と東大寺をまたいで立っている夢を見た。西大寺と東大寺は6キロかそれくらい離れており、これをまたいで立つということは、身長が1万5000メートルくらいある巨人ということで、それくらい身長があるので、夢の中で伴善男は日本地図そのままに日本を見て、さらに日本海を隔ててユーラシア大陸までをも見た。そのあまりのスケール感に驚愕した伴善男は自分の女に夢の内容を話した。なぜなら女は教養はない田舎の女ではあったが、夢判断のようなことができたからである>と。いみじきことだ。
ご訪問していただき
深く感謝しております。🙏
読友さんたちのレビューなどを読むことで、
多くの良き本に出逢え、有り難く思っています。
【お気に入りについて】
悠々自適のシニアライフになる筈が、根が貧乏症なためか、
相変わらずの忙しない日々で、やれやれです。
で、直近の課題は、古典の精読。
その時間確保で頭を悩ませているのが「お気に入り」への対処。
「承認欲求」と「数字の魔術」に未だ囚われていますので、
「お気に入り登録」して頂けると正直嬉しく、こちらもお返し登録したい。が、(当方のキャパ以上に)「お気に入り」の方が増えたことで、
レビューを読むことに時間がかかりすぎる現状が、悩みの種に。
そこで、当方が「お気に入り」登録する方は、
共読本が多くて、交流のある方のみとします。
交流の基準は、ナイスで判断するしかないと考えているので、
共読本以外の本のレビューを読んでいる(判断はナイス)方とします。
ただ、あくまでこれも原則です。
どうしても例外事例が出てくるのが困るところで……
何卒、ご理解を。m(__)m
【引用について】
気に入った文章を脳裏に刻むため、
引用多いです。
そして、その引用は、
コメント欄まで侵略し、
もう、ね……
引用文は、< >内に。
略す場合は、/ を使用。
極力、原文そのままを目指すが、
255字内に、収めきれないため、
ひらがなを漢字に変換する
などの小細工をしてしまう。
その度、無念の思いを――
【語尾が曖昧です】
過度に自信のないタイプです。
それが文章にでるのでしょうね……
末尾が「……」となるのが多いです。
どうか、お目こぼしを――
これからも、本や読み人との、
素敵なご縁を願って――
ネギっ子gen 拝
※2023.11.8 改定
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……プロフィール画像のように、2人だけの世界を構築するなら、それはそれで…ってより、お羨ましいことですね………って話じゃないですね、たぶん。うん。えー……、その引退後が結構経過してしまったわたしども夫婦で言えば、子どもも巣立って、お互い修繕が効果薄の身体になってきているので、「こんなこと頼める(やってもらえる)のは妻(夫)しかいない」と共に言い合う共依存関係に――
なるほど参考になります…でも元気なうちは遊び相手は外で工面してもらいたいものです(なおプロフ画像は推しの俳優です念の為🤣)