→ 3【ゴシックホラーの始祖として】 肖像画に「老い」と「罪」を引き受けさせて、自分は「いつまでも若く」というのは、当時の上流社会の「切実な要求」だったのだろう。これを実現してしまった時、その「秘密」が、物語を生む。猟の最中に、復讐者をウサギと間違えて撃ち殺してしまう部分、そしてドリアンが「撃たないで」と願う部分は、一種の「奇蹟」である。 最近、三島由紀夫、澁澤龍彦に興味があるので、彼らがこの本をどう読んだかが気になってしまう。三島は、きっと計り知れないほど影響されたのでしょうね。
→その批評によって著者自身の立ち位置を明確にしており、この本は渡辺京二を初めて読むのに最適なチョイスだったと思う。実は私は、どうしても西郷隆盛が分らなかった。江藤淳の「南洲残影」を読んで、この鋭利な論客が何を言っているのか、全く理解できずに呆然としたのはそんなに昔のことではない。また三島由紀夫「豊饒の海」二巻「奔馬」の「神風連」も、理解しにくかった。そんなムラムラした気分でこの本を読むと、かなり見えてくるものがあった。↓
→ 幕末から明治の「人の心」を解析する渡辺京二の仕事は、文中でも述べているように橋川文三の遺産に連なっているのだろう。橋川文三は三島が「文章の書ける唯一の学者」と評した人だ。渡辺京二と橋川文三のふたりを案内人として、自分の晩年の課題の一つとしてわれらが父祖の「近代史」を巡ってみたいと思う。
→ そして全編にちりばめられたヘンリー卿の皮肉な警句の見事な味わい。ワイルドはどんな時も、とことん「詩人」なのでした。 2【ゲイの心理ドラマとして】 画家とドリアンとヘンリー卿は全体を読めば明らかにゲイの三角関係だが、同性愛の具体的言及がないため、靄がかかったような「謎」のムードがある。同性愛を踏まえれば、ドリアンの女優との恋愛、破局、女優の自殺なども、「罪」の色合いが変わって見える。ドリアンの「誘惑者」としての悪評の意味も変わってくる。↓
→ 3【ゴシックホラーの始祖として】 肖像画に「老い」と「罪」を引き受けさせて、自分は「いつまでも若く」というのは、当時の上流社会の「切実な要求」だったのだろう。これを実現してしまった時、その「秘密」が、物語を生む。猟の最中に、復讐者をウサギと間違えて撃ち殺してしまう部分、そしてドリアンが「撃たないで」と願う部分は、一種の「奇蹟」である。 最近、三島由紀夫、澁澤龍彦に興味があるので、彼らがこの本をどう読んだかが気になってしまう。三島は、きっと計り知れないほど影響されたのでしょうね。
考えた結果よりも考えるということそのものが人間にとって大事なのであってこの行為は生命とともに続けられて振幅を増し、これが最後に掴むものは生命そのものでなければならない。(略)初めから符牒を継ぎ合わせるのを考えることと心得ている時にそこに生命の躍動は見られなくて継ぎ合わせた結果が思想で通用するのはこれが死物で取りつきやすいからである。↓
→【出版ジャーナリズムについて】目立つものでなければならない。或はもし目立つものでなければそれを目立たせる工夫をする(略)又その工夫の余地のないものは敬遠される。したがってそういう目立つ特徴があれば、或はそのように目立たせて扱えるならば一人の人間が書くものが実際に読むに値するかどうか、もっと平板に言って読んで面白いかどうかは顧る必要がない。この方式でどの位多くの人間が書いたものが日本で紹介されてその時は真面目に兎に角読まれたか(引用終わり)平然と書かれているが、すごいことを言っていますよ。
tonpieさん、最後に演説したバルコニーは現在の防衛省・市ヶ谷記念館として残され実際に見学できます。平日の午前と午後にツアーガイドがあり午後の方が詳しいです。電話予約してからネット申し込みとなりますが競争率が高くなかなか取れません。
長いトンネルをひとりで歩いている夢。出口のことなど気にならない。
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→ そして全編にちりばめられたヘンリー卿の皮肉な警句の見事な味わい。ワイルドはどんな時も、とことん「詩人」なのでした。 2【ゲイの心理ドラマとして】 画家とドリアンとヘンリー卿は全体を読めば明らかにゲイの三角関係だが、同性愛の具体的言及がないため、靄がかかったような「謎」のムードがある。同性愛を踏まえれば、ドリアンの女優との恋愛、破局、女優の自殺なども、「罪」の色合いが変わって見える。ドリアンの「誘惑者」としての悪評の意味も変わってくる。↓