2024年2月の読書メーター 読んだ本の数:10冊 読んだページ数:3139ページ ナイス数:316ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/1299022/summary/monthly/2024/2
嗅球にアポトーシスを起こすことでアセチルコリンによるコリン作動性抗炎症経路の働きを低下させる、という仕組みはコロナ後遺症も同様。というよりコロナ後遺症の研究によって炎症が起こる流れを特定できたらしい。ブレインフォグではコロナウィルスの中にあるS1タンパク質と呼ばれる物質がSITH1と同じ働きをする。そして体内でS1タンパク質が炎症性サイトカインを生成することで脳に炎症を引き起こす……という流れ。うつ病も同じメカニズムだが、こちらでは疲労を感じた時にのみ炎症性サイトカインが生成され脳に届くという違いがある。
なのでアセチルコリン不足を補うことが出来れば新型コロナ後遺症にもうつ病にも効果がある可能性がある。ドネペジルというすでに認知症の薬として販売されている薬品を2022年からコロナ後遺症患者に治験中とのこと。
著者も指摘しているがこのロジックはオウム真理教のポアと全く同じもの。他にも性的ヨーガにおけるパートナーをダーキニーと読んだり、オウムの思想や用語に関してチベット仏教はかなり直接的な元ネタであることが伺えてくる。オウムの教義に関して仏教側から「仏教を曲解している」という発言があったようだが、大乗仏教や後期密教に暴力や性的暴行の種が潜んでいることを著者は指摘していく。そしてチベット仏教がいかにこの暴力性を制御していったかというドルジェタク死後の歴史も語る。
オウムに関連して読み始めたが、乱世の教義としての密教はかなり面白いテーマに思えてくる。聞き馴染みの無い名前と用語がほとんどで着いていくのにやっとという感じもあったがそれを押してもパワフルな歴史を感じられた。殺人を肯定するように読める教義は日本に伝わってきた密教経典『理趣経』にもあり、これの貸し借りを巡って空海と最澄が不仲に…とか仏敵の呪殺(調伏)と浄土に送る(息災法)はチベット仏教ではセット運用なのに日本では調伏だけしかしないがこれには御霊信仰が絡んでいるのでは…など日本密教に絡む話もあって実に興味深い。
全体として、アンダーグラウンドに比べると流石に言わずにはいられないことがあったのか色々と口を挟むシーンも多かったが”彼らがその時どう考えたのか”に対して価値づけをすることはなるべくしていない。やはり誠実な態度でインタビューに臨み執筆しているように読めた。一方で高橋との対話を見ていると村上春樹が自分自身で物語を作りそれによって誰かに受け入れられた(あるいは受け入れさせられる力を持った)強者の側である、ということも実感せずにはいられない。彼はオウムからもそれを生み出した社会からも自由で強い心の人間なのである。
集中系と分散系は一方が働く時に一方が抑制される表裏一体のもの。働きに偏りが出ると様々な問題が出てくるともしていて、集中系が長期間働きすぎると分泌されたノルアドレナリンが神経細胞を破壊してしまう。逆に分散系の働きばかりになるとニューロンやグリア細胞が死んでいき、認知症やうつ病にも繋がってしまうのだという。外にも何かをするに当たって報酬を期待させると偏桃体が動かされ集中系とされる部分が活発に動くが、内的な好奇心などから動くとそれらが抑制される=分散系が働くのではないか?などと面白い話が色々とあった。
基本的に過去の論文の集成なのでまとまった結論があるわけでは無いが、後書きによると2部(グローバルな視点で日本民俗を捉える)3部(現在進行中のネットロア)の内容をそれぞれ単著でまた出す予定とのことなので、楽しみにしたい。読み応えでは第2部が一番あった。股覗きやゴリラ女房といった民話の分布、貍に化かされるという民俗をアマゾンのヤノマミ族の人間観と比較するなど。一方で頻出したトーテミズム、アニミズムとパースペクティズム、アナロジズムなどの専門用語に対して自分の理解足りてないのは感じたのでもっと調べたい。
「父親の服と一緒に洗濯されたくない」という娘を呪術に準えて語る部分は面白かった。ただ面白がるだけでなく、それによって家庭という単位の中で人間関係を更新する営みとしてこうした言葉がある、という読み方をするのも興味深い。存在論的転回をするにしろしないにしろ呪術には色々な読み方が出来る。
不気味に見え隠れする『怖い目』子供たちが口を揃えて語りだすモミという存在。鳥のようだが、子供たちしか目に見えないその獣が二転三転して語られる『妄執の獣』ワープ航法が完成した未来、そのために通り抜ける超空間は冥界だった……というSFとオカルトが混ざり合い外連味たっぷりな描写と設定に心がグッと掴まれる『黄泉津鳥舟』とどれも好みの作品ばかり。どれも甲乙つけがたいが『天使蝶』のメイオウシジミの描写が嫌悪感を催して秀逸。『黄泉津鳥舟』は異界描写がトリップ感満載で素晴らしかった。
民俗学の本を読むと『遠野物語』は方法的な問題……フィールドワーク不足 や佐々木喜善からの収奪といった面で批判している姿が見られるが 、ひとつの文学的な思潮によって読み解くことでまた違った側面が見えてくるのは興味深かった。神経の時代とは自らを語る言葉が混乱し定まらない時代、と考えると明治から昭和初期にかけての文学の文脈の一端が取れそうな気がしてくる。
神であることを表しており、そして聖なる樹木が火祭りに用いられるケースがあるが古代呪術において木=火や日の力の源泉としても捉えられていた可能性があって……と無限に展開していく。通しで読み終えても到底一言では言い表せないのだが、呪術、信仰、物語などについて多くの示唆、そして多大な納得感を与えてくれた。読んで良かったと思う。
とにかく途中途中のディテールが細かくてそこが読み難いと思う一方、民話・神話百本ノックというような感じで勉強にはなった。読了後、母に感想を語っていたら祇園祭の話をされたのだが、祇園祭の生稚児は地に足を付けてはならず食べてはいけないモノがあり……と確かに呪術師的。金枝篇に照らし合わせれば地に呪力をまき散らさないように、という呪術と解釈できるし、時期が新暦7月ということは元々は農耕関連の祭りだった?とか”生”稚児と態々書いているということは?とか現代に残っている習俗にも当てはめて考えることが出来ておもしろい。
典礼にも様々なケースがあるらしい。火祭りについての話も夏至や冬至などに行われる様々なものが紹介されている。農耕か牧畜かによって時期が変わる(メイデイとハロウィンのケルトは牧畜みたいな)と色々な 話があったが、ヨーロッパの夏至で篝火を焚いて祝い人形を焼くという風俗、地方によって人形の名前がお婆さんだったりユダをだったり復活の男だったりマルティン・ルターだったりとごった煮な感じ。別にあった農耕関連の儀礼にキリスト教の用語を被せたものなのだろう。日本の仏教や陰陽道などがごった煮になった習俗に近いものを感じる。
人文・民俗学・ホラー小説などを中心に読んでますが時々全然違うところに飛んだりもします。早い話が乱読屋さんです。
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