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ちなみに、本書の第一刷は1992年である。物語の年代設定も昭和62年から平成3年にかけてと、バブルの前後となっている。それから30年以上が経ち、自動車業界の構造は変わっているのかいないのかにも興味が湧いた。
果心居士の事績は、江戸時代の随筆集「虚実雑談集」において触れられている。果心居士は大和興福寺の僧堂出身であったため、旧知の僧が彼のうわさをきいて書きとめたものが残っており、後世にやや詳しく事績が伝えられたものと司馬はみている。僧堂出身であった果心は、「二十四、仏法ヲ廃シテヒソカニ外道ニツク」(恵海「外道逆風集」)。同じく「外道逆風集」によると、三好一族で厠の中で死んだという義兼と、病死したという義広は、実は果心が殺したものと伝えられている。こうして松永弾正は主家の簒奪を進めたという。
飛び加藤の話は、「甲越軍記」「近江輿地史略」および「明全記」に出ている。「明全記」によると、上杉謙信は、加藤段蔵を十日間召し抱えたという。また、後には武田信玄により磔刑にされたという。槍がまさに磔の飛び加藤の胸に及ぼうとしたとき、舞い上がった鳶をつかんで逃れ去ったとの逸話が残る。
これに対して、段階論、現状分析に相当する内容は、終章で一気呵成に解説されている。重商主義国家の財政、自由主義国家の財政、帝国主義国家の財政と展開してきた資本主義国家の財政は、二度の世界大戦を契機に福祉国家型財政に至ったというのが議論の骨子である。
最後に、「レーガノミックス」や「サッチャーイズム」など、福祉国家財政への批判的潮流の本質についても解説されている。こうした潮流は、福祉国家型財政を破壊、解体するものではなく、実は福祉国家を支えるイデオロギーの一つであり、あるべき福祉の負担と給付の水準をめぐって福祉の推進と批判との間で政策が揺れ動くことで、福祉国家体制は柔構造を持っているのだと指摘している。このあたりの議論は、非常に宇野経済学らしい議論展開だといえようか。
むしろ、この断続的な戦争によって、常備軍やそれを支える税財政制度が整備され、現在のイギリス、フランスに通じる中央集権国家の誕生を促したという意味で、「英仏百年戦争」という呼称が意義を持つということが、本書では興味深いエピソードを交えて論じられている。
また、「歴史はフィクションである」ことの例証として、中世末期を題材とするシェークスピアの史劇が随所で紹介されている。沙翁の手際にかかれば、英仏百年戦争の勝者はイギリスであるというストーリーとなり、驚くべきことに、現に平均的なイギリス人の認識はこのシェークスピアの史観に基づいているという。シェークスピアが百年戦争の時代を一体どう描いているのか、一連の史劇に俄然興味が湧いた。
日蓮は、謗法によって災いが起こっている例として、念仏の流行した建仁年間に活躍した後鳥羽上皇が、承久の乱後に隠岐へ流されたことを挙げている。後鳥羽上皇を配流した鎌倉幕府への提言書であるとはいえ、上皇が念仏のために報いと災いを受けたというのは恐るべき議論ではないか。仏法の絶対性に対する日蓮の信仰は、実に徹底しているというほかあるまい。
この発言は、本書で紹介されているグミリョフの「激情」とエトノス(民族)の形成理論を端的にまとめたものとなっていると思われる。プーチンは、ロシア民族の生命から湧き上がる「激情」の発露を信じて、NATOの東方拡大に象徴される西欧の一元的な思想の拡大、換言すれば普遍主義に立ち向かうという思考回路を持っているのだと解釈できようか。本書は、なぜ今回ロシアがウクライナ侵攻という蛮行に及んだのか、プーチンが何を考えているのかについて非常に示唆を与えてくれたように思う。
また、本書では、「人類史には9回の激情の波があった」とするグミリョフの歴史理論も紹介されている。この理論も、そのスケールの大きさと、一般に日本人が持っている世界史観とはかなり異なっている点で興味をひかれた。
これは30ページほどのコンパクトな解説で、短時間で一通りページをめくりはできたものの、ハイデガーの生涯の解説部分はともかく、『存在と時間』の概要解説部分の内容は一読しただけではとても理解できなかった。本編の『存在と時間』をこの状態で読み進めるのは、Tシャツ一枚でマッターホルン登頂を目指すのに等しい行為だと思ったので、もう少し装備を整えて、トレーニングも積んでからチャレンジすることにしたい。
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ちなみに、本書の第一刷は1992年である。物語の年代設定も昭和62年から平成3年にかけてと、バブルの前後となっている。それから30年以上が経ち、自動車業界の構造は変わっているのかいないのかにも興味が湧いた。