先月は、それまで読んできたウェイリー版源氏物語(日本語訳)を読了した虚脱感めいたものがあって、積ん読本の消化の印象が強い。それでも、年縞博物館を訪れ、関連書を手にしたり、それなりに充実してたかな。 2021年11月の読書メーター 読んだ本の数:16冊 読んだページ数:4169ページ ナイス数:7511ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/556130/summary/monthly/2021/11
前作の『シーラという子』が素晴らしいと感じた方には、こちらを推薦しづらい。何故ならシーラと呼ばれた少女(幼女)には、とことん彼女と向き合ったはずのヘイデンにも想像を絶する過酷な性的虐待もあったと思い知るからだ。救いの灯りが見えたと思ったのは、大人の独りよがりに過ぎなかったのだから。
筆者のベジャンは、「人間を別格と見なして他の生き物と切り離す世界観を、ダーウィンが進化論で刷新した」その進化論を、(訳者である柴田 裕之氏の「あとがき」の言葉を借りれば)「さらに推し進め、生物を別格と見なして無生物と切り離す世界観を、すべてのかたちの進化を支配するという独創的なコンストラクタル法則で崩し、森羅万象を物理によって一つにまとめ上げた」のである。
幽霊は人が見るもの、人が<生かす>存在だ。全て消え去った存在は美しいか。どんなに醜く過っていても、反論の余地はない。美は幻想のように確かで掴み所がない。廃墟は死のように妄想を逞しくさせてくれる。凝視するあなたのどんな夢想と切望をも許容する……かのようだ。
書き忘れていたことが一つ。時間であり、それは我々にとっての自然。形有るものは必ず崩れ滅びる。風雨であり微生物や黴、苔、埃、野鳥や野獣(人間も含む)等々。蔦が這い覆い罅割れ崩れ去る。そう自然が容赦なくその手で化粧し大地に呑まれ埋もれゆく。廃墟が仮に美しいとするなら、圧倒する自然の前には如何なる人間の営為も等しく平伏するしかない現実の厳しさ酷さのゆえではないか。
ミシェル・ウエルベックの作品に題名がズバリ『セロトニン』なる小説がある。初めて読んだ『素粒子』などを思い出させた。内容は書かないが、薬物もだが遺伝子組み換えなど、時代はハクスリーの体験記をノスタルジックに感じさせるほど深甚な闇に迷い込んでいる。作家ウエルベックの絶望感は相当なもので、「遊びすぎてアジア系のロリータにしか救いを望めない男を描いて」いたり、作品も暗鬱そのもの。唯一の救いは作家がとことん表現の探求に妥協がないことか。だが、救いを求められ肉体も精神もボロボロになるアジア系のロリータに救いはない。
全文は: 「「知覚の扉」とメスカリン」 http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2021/12/post-2c2664.html
問題行動というか意図的に目立つ行動を繰り返す。問題の女、噂の女、物議をかもす女。何かをしようと、ぶち上げるが、何事もついに成し遂げなかった女。 本書の意義を敢えて挙げるなら、「縦横無尽に移動を繰り返し、有名無名の人とつながり、複数の宗教を渡り歩き、数多の職業に就いた。その意味では幽蘭を追うことで明治・大正・昭和のひとつの見取り図、裏面史が見えてくる書」とは言えるかもしれない。
実際、この時代に公然とあるいは暗然と活躍した有名無名な人物がいかに多岐に渡るかに驚かされる。テレビドラマにヒーローとして採り上げられる人物たちが全てではないことを思い知らされる。
「RNAウイルスはRNAワールドで進化したRNA自己複製因子の共生体として生じたのではないかと私は考える。その後、生命が3つのドメインに進化していく中、ウイルスは細胞生物のドメインと共生しながら進化と多様性を続けた。生命の系統樹の起源と多様化の中で相互作用的で創造的な役割を果たしてきたのだ。その役割は、今日でも地球規模で続いている。」
ライアンによるウイルスの定義に僭越ながら強く納得。ウイルスを半端な存在と見るのは、植物を花粉の状態で判断しているようなもの。花粉は地表に落下しやがて開花する、そうしたライフサイクルの一段階を呈している。ウイルスも、生物の遺伝子に依存し、共生することでライフサイクルを全うする。
やいっちさん、私も西田佐知子は大好きです。前はYoutubeに筒美京平と詞の重要なパートナーの松本隆の対談が上がっていたのですが...。松本の証言によると、「くれないホテル」を洋楽系で最初にリスペクトしたのは、はっぴいえんどで松本と一緒に活動していた頃の細野晴臣らしいです。松本隆の証言があります(3分40秒からご覧ください→)。https://www.youtube.com/watch?v=PP21bsiN7N0
YouTube ありがとうございます。分かる人には分かるんですね。こちらは聞き惚れるだけでしたが。はっぴいえんどのことを知ったのは、学生時代だった。歌謡曲と演歌、井上陽水、小椋佳が全てだった吾輩を尻目に、友人らが「風をあつめて」などをこれはいいよねって話し合ってて、へえーと感心してたことを思い出しました。
富山県は、「環日本海交流会館」があるほどに、環日本海交流に関心をもってきた。近年の日韓や対中国感情の悪化でこの熱は冷め気味だが、一方で学術的には進展が見られることが嬉しい。ただ、環日本海交流の日本海という呼び名は少し抵抗がある。日本や朝鮮、中国や台湾にも中立的な呼称が工夫されるべきだろう。
・網は毎日張り直している ・クモは自分で張った糸を食べてリサイクルする ・メスに食べられないようにプレゼントを渡すオスがいる ・クモはほ乳類を食べることもできる ・クモは日本人よりたくさん宇宙に行っている ・最大7種類の糸を使い分ける ・子グモは糸を使って空を飛ぶ ・オスは脚を使って子作りをする ・クモの糸は細菌の繁殖を抑える ・クモは脳の一部を脚に収納する ・地球に棲むクモの総体重はおよそ2500万トン ・網を張るクモは、眼があまり見えない ・クモの糸は鋼鉄と同じくらいの強さがある
専門家の裏付けのある話を専門家が一般の蜘蛛嫌いの人に分かりやすいよう、興味深い話を繰り出してくれる。さて、本書を読んで吾輩はクモ好きになったか…。クモに絡むエッセイは幾つか書いたことがあるけど。
あ、そうそう、宗像神社は色々面白い歴史がありますよね。私は宗像には小学校2年までしか住んでいなかったんですが、両親がまた戻ったので、近年行く機会も増えてきています。次回行く時までにもっと宗像神社のことなど勉強したいと思います。「海賊と呼ばれた男」にも宗像のことが出てきていておおっと思いました。
著者は変化の証左を旧約聖書に見る。<石碑の玉座から神が姿を消し、失楽園のエピソードを含む「創世記」から始まる旧約聖書では、途中から神の姿が見えなくなり、預言者も登場しなくなり、十戒や律法という文字や掟による規制が生まれてくる。ここ数千年来、神や確実性の喪失と、拠り所や真実の探求が人間の歴史の普遍的テーマになっている。占いや神託、宗教、科学の盛衰もこの観点から捉えられる。>統合失調症なども、失われたはずの神の声が聞こえることからくる迷いだと説明する。
訳者あとがき:<哲学者ダニエル・デネットは、意識の誕生を生物学的進化ではなく学習によるとする、このジェインズの考えを、「すばらしいことこのうえないアイデア」と絶賛し、脳というハードウエアの変化ではなく、脳が新しいソフトウエアを必要とした結果と言い換えている。そして、意識の起源をたどるジェインズの試みを「ソフトウエア考古学」と呼び、遺物や遺跡、化石に頼れる従来の考古学に比べて、直接の証拠に乏しい、はるかに難しい作業であるのだから、ジェインズの仮説が大胆にならざるをえないことを認め>るべきとしているとか。
読むこと、書くこと、居眠りすることが好き。生活のために仕事も。家事や庭仕事もなんとか。
読書は雑食系かな。でも、読めるのは月に十数冊なので、実際には幾つかのジャンルに限られてるみたい。
苦手なのは、専門書や法律、マニュアル本など。
小説やエッセイを書いたりしてます。
バイクでのミニツーリングを折々。
グルメ、スポーツ、コンサートも楽しみたいけど、仕事や家事でなかなか実現しない。昨年(23年)末、薪ストーブ設置。庭木の枝葉を焚き火代わりに燃やしてます。薪はなくて柴だけなので、心底寒い時だけ。焔と共に柴の燃えてはぜる音が心地いい。
外部ブログも20年以上になりました:
日々の日記:「壺中山紫庵」 http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/
創作の館:「壺中方丈庵」 http://atky.cocolog-nifty.com/houjo/
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小説は初読みと思ってたが、「重力ピエロ」に続き2作目だった。