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2024年5月の読書メーターまとめ

Kentaro
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感想・レビュー
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2024年5月に読んだ本
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2024年5月にナイスが最も多かった感想・レビュー

Kentaro
ジェントルマンというのは、近世以降のイギリス社会の支配階層のことで、女性はレディとよばれました。膨大な不動産を所有して、その貸し賃で、上流の生活をする人たちのことです。具体的には、大地主がそれにあたりました。大地主は、公爵から男爵までの爵位をもつ貴族と、身分的には平民のジェントリにわかれていましたが、一七世紀末のイギリスでは、貴族は二〇〇家族に満たなかったため、二万家族程度のジェントリと共通の社会層─ジェントルマン階級─を構成した。ジェントルマン階級は、人口にして、全体の五パーセント程度とみなされている。
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2024年5月の感想・レビュー一覧
93

Kentaro
ビザンティン帝国の保守的な知識人層にとっては、自らの領土より東方に住まう民族は、それが現実にアラブ人イスラーム教徒であれ、セルジューク・トルコであれ、オスマン帝国であれ、すべて観念的に「ペルシア帝国」であった。これは、完全に現実を無視した絵空事である。 ペルシア州を存立基盤として西アジアを支配した国家など、サーサーン朝滅亡以降、一度たりとて存在していない。オスマン帝国に至っては、ペルシア州を領土に組み込んだことさえない。こうして、現実と乖離し「ペルシア帝国」概念は生き延び、現代まで及んでいるのである。
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Kentaro
ビン・ラーディンは、湾岸戦争を契機にアメリカとサウディ王政に対する厳しい批判を展開した。その結果、1994年にはサウディ政府から国籍剝奪の憂き目にあう。ビン・ラーディン一族からも追放されて、その後スーダンに身を寄せた。だがそのスーダンからも、国際社会の圧力によって追い出され、アフガニスタンに拠点を築くのである。ビン・ラーディンが米軍への宣戦布告演説を行い、はっきりとアメリカに対する攻撃の意思を示したのは、1996年8月、まさにスーダンを追われた3ヵ月後だった。
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Kentaro
四国とほぼ同じ面積で人口二七三万人のクウェート。秋田県よりもやや狭い面積で人口約一二八万人のカタール。北海道とほぼ同じ面積で人口四四八万人のアラブ首長国連邦。国土と人口だけ見れば「超ミニ国家」だが、その富はといえば、世界のトップクラスに並ぶ。一人当たり国民総所得(二〇〇八年世界銀行統計による)がクウェートで三万八四二〇ドル、カタールで五万ドル以上と、いずれも日本を抜く水準だ(アラブ首長国連邦は二〇〇四年のデータしかないが、二万六二七〇ドル)。いずれの国も人口のうち国民だけを数えると、驚くほど少ない。
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Kentaro
前近代のヨーロッパとイスラームの文明的対立、そして近代以降の東方問題という根深い歴史的な起源をもつパレスチナ問題は、その歴史構造からいって、欧米列強の関与なくして解決はとうてい不可能だ。米ソ冷戦(終焉)後、唯一の超大国アメリカ主導で中東和平の模索が始まりました。 この和平の模索も九・一一事件で水泡に帰してしまい、イラク戦争で決定的に迷走をはじめてアフガニスタンとイラクが泥沼化することで、アメリカが中東での覇権を失う契機になり、二一世紀初頭のアメリカはイラク戦争で、そのパクス・アメリカーナを失ってしまった。
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Kentaro
イスラエルの全人口約九〇〇万人のうちおよそ六五〇万人はユダヤ人である。その他の大半は、昔から暮らしてきたアラブ人のうち、イスラエル独立時に起こった戦争の後も残った人々だ。 ユダヤ的側面も多様で、ユダヤ人が二人集まれば三つの意見が出るというジョークはよく知られている。敬虔なユダヤ教徒もいれば、名ばかりのユダヤ人もいる。敬虔なユダヤ教徒にも様々な派がある。 一九世紀から二〇世紀にかけて、シオニストになった者も社会主義者やリベラリストになった者も、伝統的なユダヤ教共同体に嫌気がさしてそうなった者は少なくない。
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Kentaro
「アイヌ」とは、アイヌ語で神に対する人間を意味する。 このアイヌ語を話す人びとは、北海道を中心にサハリンの南部と、千島列島は北東端のシュムシュ島まで、そして青森の一部にも住んでいた。一八〇四年のこれら地域(ただし千島はクナシリ島まで・青森は除く)のアイヌ人口は二万三七九七人であり(『アイヌ政策史』)、その後は減少したが、二〇〇六年の時点では二万三七八二人を数える(北海道環境生活部調査)。本州では青森の一部だけでなく東北北部一帯に広くみられることから、アイヌ語を話す人びとがかつては東北北部一帯にも住んでいた
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Kentaro
北海道縄文人は、伝統的な「旧石器的生業体系」を持続しながら、そのことによって異文化の産物を入手することが可能だった。 縄文時代になると、大型魚の漁への特化と同時に、ヒグマの意匠をもつ骨角器や土器が一斉にあらわれる。毛皮の文化を失いつつある現代の私たちにはイメージしにくいことだが、毛皮にたいする欲望は、金にたいする欲望と同じく、人間の歴史そのものを動かしてきたといわれる。とくにヒグマは日本列島最大の陸獣であり、猟には大きな危険をともなうことから、その毛皮には毛質を超えた大きな価値が認められていた。
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Kentaro
蘇我氏の行動は縄文的発想を備えていた。仏教導入に積極的だったが、一方で神道を潰そうとはしなかった。これは、多神教的発想で、新来の仏様たちを多神教的な神の一種として迎え入れたのだ。こののち神道と仏教は日本で融合していく。これは神道の仏教化と信じられていたが、実際には仏教の神道化だったと、近年では考えられるようになっている。日本人の三つ子の魂が作用したということだろう。また蘇我氏は、縄文時代から尊ばれていたヒスイを大切に継承したが、蘇我氏が追い落とされると、藤原氏は縄文の遺産を躊躇なく捨てている。
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Kentaro
縄文文化とは、時間的に最も長く考えた場合、土器の出現(最も古い場合は約一万六五〇〇年前)から、灌漑水田稲作が開始されるまで(早くは三〇〇〇年ぐらい前、遅くとも約二四〇〇年前)の日本列島域において、狩猟・採集・漁労を主な生業とし、さまざまな動植物を利用し、土器や弓矢を使い、本格的な定住生活を始めた人々が残した、日本列島各地における文化群の総称である。このユニークな文化が展開した時期を、日本の歴史では縄文時代と呼ぶ。 縄文文化には一メートルにも及ぶ柱材を使用するような大型建物をつくる建築技術があった。
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Kentaro
青谷上寺地遺跡を例にすると弥生人の平均寿命は、男性で三〇歳代、女性で二〇歳代であることがわかる。現在は女性の方が長生きだが、当時はお産によって亡くなる女性が多かったことが、女性の平均寿命を短くした原因だったと考えられている。また眼球がはいる頭骨のくぼみ(眼窩)の壁に、細かなくぼみや小孔ができる、貧血を示す証拠といわれているクリブラ・オルビタリアを確認できる人骨がある。縄文時代になかった人口集中にともなうストレスにさらされていた弥生人の存在を垣間見ることができる。
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Kentaro
日本列島の韓半島産文物と韓半島の日本列島産文物から見て、四世紀後半以来、百済と倭の政治的交渉は認められるが、百済産文物が日本列島に流入し、栄山江流域に前方後円墳が出現するまでの両者の交流の主な地域はあくまで加耶であったと見られる。さらに、文献史料に依拠し敵対関係としてのみ把握されてきた新羅と倭の関係は、考古資料から見て、三国時代にわたって交流が継続していたのみならず、特に五世紀前半と六世紀後半には交渉の中心にまで浮上することから、文献史料だけに依拠した韓日関係史研究の限界を指摘することができるであろう。
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Kentaro
百済の最大の課題は依然として、高句麗の南下にどう備えるか、だった。四三三年には、高句麗の圧力に対抗する動きをみせはじめた新羅と手をむすび、その後の高句麗の攻撃に共同で対処するようになる。また、倭とも良好な関係を維持するように努めていて、四六一年に王弟の昆支を「質」として倭へ送ることで倭の出兵を画策したようだ。六世紀前半の百済は、対高句麗のための支援要請とともに、急速に関係が悪化した大加耶や新羅に対する牽制のため、倭との関係を緊密にしておく必要があった。この百済の動きに対して、倭も積極的に応じていたようだ。
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Kentaro
氏の名前(姓)はすべて天皇から与えられたものであったのに対して、その後に武士層を中心に名乗られ始める苗字(名字)は、支配する地名を自らが名乗り始めた、ある意味において自然発生的なものであった。両者は長く併存し、時に一人の人間のなかでも使い分けられた。たとえば徳川家康が朝廷から位階を叙されるとき、「源」姓を名乗ったのもそのためである。徳川は苗字、源は姓であって、苗字がいわば私的な名前であるのに対して、姓は公的な名前として機能したのであった。
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四世紀後半に倭王が実在したことは確実である。五世紀に入ると、中国・南朝の宋に使者を派遣した讃・珍・済・興・武の五人の倭王(倭の五王)がくり返し倭王の称号を確認されているように『宋書』、五世紀においても、倭王とは倭国内だけではなく、中国からの承認を必要とする国際的な称号であった。五王は同時に百済や新羅など、朝鮮半島諸国の軍事支配権の承認をくり返し求めているように、倭王の称号を認められることは、たんに列島社会の支配権の承認にとどまるのではなく、朝鮮半島諸国との関係を優位に進めるためにも重要な意味を持っていた。
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Kentaro
リーダーシップにみられる上・下関係の特質は、日本によく発達している、いわゆる「稟議制」なるものによってもよくあらわれている。上の者の発想を下の者におしつけるのではなく、反対に下の者が上司に意見を具申して採ってもらう。これは官僚機構をつかって政治をやるという面にも出ているし、企業内においては、従業員の創意を活用するという点にあらわれている。これを十分活用すれば、極端にいうと、上に立つものはバカでもいいということになる。事実、これが、年功序列体系がさして不便を来たしていないということにつながっている。
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Kentaro
アメリカの労働運動は、職務を記述書によって明確化し、同一の職務には同一の賃金を払うという「職務の平等」を志向した。一方で日本の労働運動は、職員の特権だった長期雇用と年功賃金を労働者にまで拡張させ、職員に昇進しうる可能性を開くという「社員の平等」を志向した。 日本型雇用が現場労働者レベルにまで広がったのは、戦後日本の民主化と労働運動の成果だった。日本の労働運動が求めたのは、比較的学歴の低い中高年の現場労働者に、長期雇用と年功賃金、そして昇進の可能性を与えることだった。
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Kentaro
連合国軍による占領下、朝鮮戦争の末期であるが日本駐留の連合国軍最高司令官であったマッカーサー元帥の解任事件があった。マッカーサーは占領下の日本では超法規的な最高権力をもち、後に「日本人の精神年齢は十二歳程度である」とマスコミにもらして日本社会にショックを与えた政治感覚の持ち主で、誠実ではあったが柔軟性には欠ける一面をもっていた。一九五一年、朝鮮戦争の終局場面にあって、中国北東部(旧満州)攻撃の可能性に関する作戦上の意見不一致が原因で、上司であるトルーマン大統領との間で激論となった。
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Kentaro
日本では、陰謀論の一種として、江戸末期の討幕運動の時に、薩摩、長州、土佐の勢力がフリーメイスンだったというような言い方がされることがある。幕末に武器商人として長崎で活躍したスコットランド出身のトマス・グラバーがフリーメイスンで、薩摩藩の森有礼などの海外留学も助けたというものだ。この時代にこのような立場にいたスコットランドのトマス・グラバーがフリーメイスンであったということは不思議ではない。
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ジェントルマンというのは、近世以降のイギリス社会の支配階層のことで、女性はレディとよばれました。膨大な不動産を所有して、その貸し賃で、上流の生活をする人たちのことです。具体的には、大地主がそれにあたりました。大地主は、公爵から男爵までの爵位をもつ貴族と、身分的には平民のジェントリにわかれていましたが、一七世紀末のイギリスでは、貴族は二〇〇家族に満たなかったため、二万家族程度のジェントリと共通の社会層─ジェントルマン階級─を構成した。ジェントルマン階級は、人口にして、全体の五パーセント程度とみなされている。
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オットーは第三次イタリア遠征に都合六年を費やしている。従軍日数も行軍距離も封建契約をはるかに超えたものになる。東フランクの貴族はイタリアではなく、東フランクにある自分たちの領地の支配権の強化を見返りとして手に入れようとする。関税権、裁判権、市場権、林業権、鉱業権等々の、本来は国王の収入源である国王大権(収益特権)をもぎ取るのである。東フランク、後の神聖ローマ帝国、すなわちドイツでは十一世紀末になるとこれらの特権はほとんどが諸侯の手にわたってしまうのである。
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オーストリアからの独立、共和制によるイタリア統一という政治目標を掲げた「青年イタリア」は、「進歩と義務の法を信仰」し、「イタリアが民族となることを信じ」、イタリアを「一つの、独立した、主権をもつ、自由で平等な民族に復権させる」意志で結集したアソチアツィオーネであった。 近現代イタリアでは、三度にわたって異なる統合原理──立憲君主制、ファシズム独裁、共和制──と、それを象徴する異なる国家祭日にもとづくナショナル・アイデンティティ形成が追求された。
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ギリシア正教は、ロシア正教会、ルーマニア正教会、セルビア正教会、グルジア正教会など、一国家単位あるいは一民族単位の複数の教会組織をうちに含んでいるが、そうした個々の正教会は「一つの」正教会の一肢体としての自覚を有し、信仰において、教会の構造において、そして礼拝の仕方において全正教会と一致しているとみなしている。 「ギリシア正教」と今日呼ぶ場合、それはギリシア式典礼を実践している諸教会を指す。典礼のためには、それぞれの民族言語が使用されるが、その場合、通常は、その古語体が使用される。
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専制帝国ロシアの誕生が、コンスタンティノープルを失ったロシア正教会のせっぱつまった護教意識によって迎えられ、世界の終末に再臨するキリストが統治する千年王国との連想において捉えられたことは、ことに重要である。 ロシアのいわゆる拡張主義と安易に結びつけて論じることはまったく適切ではないが、「モスクワ=第三のローマ」思想が、東西のはざまで国を保たなければならない運命にあるロシアの地政学的条件から生まれ、その後の国家のあり方に明確な方向づけをあたえたことだけは確かである。
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日本では、一九九〇年代以降に、中央政府レヴェルで大規模な選挙制度と執政制度の改革が進められた。これら二つの制度のうち、先に改革が行われたのは、選挙制度であった。戦後の日本は一貫して中選挙区制、すなわち選挙区定数が2から6人という選挙制度を採用してきた。この制度では大政党からは一つの選挙区に複数の候補が立つため、同一政党の候補者の競争が熾烈になり、与党議員が地元支持集団への個別利益配分を重視しすぎて政治腐敗の温床となるという批判が強く出されていた。
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日本の国際政治における行動は明治維新以来、勢力均衡の原理にしたがって進んできており、それは過去を理解するために必要な視座であり、その延長線上に現在と未来を理解するために必要な視座である。日本は世界的な規模の格差社会のなかで、植民地化されたことのない非欧米国として、独特の位置づけをもつ。二十世紀前半の日本は、自国の内部の巨大な格差社会の矛盾に苦しみ、いわば矛盾を解消するために破局的な戦争へと向かっていった。戦後の日本は、劇的な改革をおこなうチャンスを活かして、社会構造の変革を進めて格差社会の構造を是正した。
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Kentaro
昔の人は、本が少なかったために、その少数の本をどうしても徹底して読まざるを得なかった。当時、本を所有するには手で書き写すしかなかった。そして、所有したいばかりに本を書き写した人が、その本の中身をも自分のものとすることが往々にしてあった。1494年、ウィンチェスターの司教の書斎には、種々の分野の書物が断片的に17冊あるにすぎなかった。1300年以前のオックスフォード大学の蔵書は数冊の小冊子があるだけで、しかも、なくならないようにと小さな箱に厳重に保管されているか、あるいは、鎖をかけられていた。
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資本主義社会を構成する二大階級は、資本家階級と労働者階級である。資本家階級は労働者階級を搾取する。こうして両者の間には大きな格差が形成され、しかもこの格差は拡大していく。資本家階級のもとにはますます富が集中し、労働者階級は窮乏化する。やがて労働者階級は、資本家階級の支配、そして自分たちを窮乏状態に陥れる資本主義経済の克服を求めるようになる。労働者階級は、直接行動、あるいは議会的手段を通じて政権を掌握し、資本主義を廃絶もしくは大幅に修正し、格差の縮小を実現するだろう、と。これが左翼運動の基本的な合意だった。
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「格差」が大きいことが、「格差」の底辺の人、すなわち貧困や社会的排除の状態にある人々が多いことを意味するから問題であると言っているのではない。「格差」が大きいということ、そのこと自体が、社会にとって望ましくないという指摘をしているのである。格差が大きい国や地域に住むと、格差の下方に転落することによる心理的打撃が大きく、格差の上の方に存在する人々は自分の社会的地位を守ろうと躍起になり、格差の下の方に存在する人は強い劣等感や自己肯定感の低下を感じることとなる。
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Kentaro
イルカや中生代にいた魚竜は流体力学的に洗練された流線型をしていて、効率よく泳ぐことができる。もちろん環境は多様なので、泳ぎの効率が大して重要でないような環境もあるだろうが、イルカや魚竜の先祖についていえば、泳ぎの効率が生存競争の勝敗を大きく左右してきた環境で進化してきたと考えられる。イルカの祖先は小型で肉食性の偶蹄類の仲間だったという。今にくらべればずっとゴワゴワでゴツゴツの、水の抵抗が大きな身体であったはずである。
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Kentaro
未来が不確定であればあるほど、 歴史を学ぶ必要が出てきます。歴史、哲学、先人の知恵に学ぶ。 過去について学んだ分しか未来は見通せません。と言ってもそれを知識として覚えるだけでは 意味がありません。『大局的に物事をとらえ、多面的な視野を持ち、中長期的に考えることが大事』と歴代総理の指南役、安岡正篤氏は言いましたが、まさに歴史から学ぶことで、中長期の視点で考える武器が手に入ります。 今までのやり方や考え方に固執せず、歴史を学ぶ意欲や重要性がわかっている人であれば、チャンスがごろごろしている時代に突入していく。
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Kentaro
変化にビクビクしないで、変化を味方にするリテラシー(情報を適切に理解、解釈して活用すること)をつけること。そしてこの変化を味方にするリテラシーって、いろんな要素が大事になっていきます。情報をきちんと見極める力や、どんな状況にあっても自分の安全圏を構築する力、AIと共存する力、長寿をマネジメントする力、サバイバル能力などです。
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横須賀市では、高齢者の増加などにより、2001年から2015年の14年間で、社会保障費の財政負担が195億円から481億円と、286億円も増加。市の歳出の3分の1を占めるまでに膨れあがり、財政を圧迫している。その一方で、若い世代の減少などにより、労働力人口は減り続けており、市の収入の多くを占める市税は、698億円から612億円と86億円減少している。この二重苦により、2002年から、一年間に入ってくる収入だけでは年間の必要経費をまかなうことができない状態がほぼ毎年続いている。
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2010年以降、日本のコーヒー文化が国内でも再評価されるようになりました。この辺りはいかにも日本的というか、浮世絵をはじめ、他のサブカルチャー分野と同じことが、コーヒーでも起きたわけです。 巧みなメディア戦略で成功を収めたスターバックスは、2015年、サザビーリーグとの合弁を解消して、スターバックス コーヒー ジャパンを完全子会社化する方針に転換しました。これ以降、サードウェーブを謳ったブルーボトルの日本進出や、リバイバルした純喫茶のチェーン展開など、「ポスト・スターバックス」を狙う動きも活性化します。
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先進国では製造業が減り、情報産業や、IT技術をもとにグローバルに投資をする金融業などが盛んになります。また宅配業者やデータ入力業者など、新種の下請けの仕事がたくさん生まれます。ビジネス街で働く中核エリート社員を支えるためには、単純事務作業員やビル清掃員、コンビニや外食産業などの店員が必要です。これらはマクドナルドのアルバイトに象徴される、「マックジョブ」とよばれる短期雇用労働者の職になります。一人の中核エリートを支えるのに、五人の周辺労働者が必要ともいわれ、これは海外に移転できません。
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誰とどうつきあっているかで、あなたの中の分人の構成比率は変化する。その総体が、あなたの個性となる。十年前のあなたと、今のあなたが違うとすれば、それは、つきあう人が変わり、読む本や住む場所が変わり、分人の構成比率が変化したからである。十年前には大きな位置を占めていた当時の恋人との分人が、今はもう、別れて萎んでしまっていて、代わりにまったく性格の違う恋人との分人が大きくなっているとする。すると、あなた自身の性格、個性にも変化があるはずだ。個性とは、決して生まれつきの、生涯不変のものではない。
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ディズニーランドが、かつてのお祭りがそうであったような一種のハレの場であることは間違いないことでしょう。しかし、ディズニーランドにはお祭りのような参加している人たち全体の間での連帯感や一体感はそれほど感じられません。非日常の場へと出かけることで、日常の憂さを晴らすという意味では、伊勢へ伊勢へと何百万人もの老若男女が押し掛けた江戸時代の「おかげ参り」にも似ていますが、ハレ(非日常)とケ(日常)は、ディズニーランドにおいては、はるかに近接し、交じり合っています。
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存在は、自らを存在たらしめる機制さえ無効にする力を内在し、時間を含んでいる。徹底して相容れない内部と外部がマテリアルにおいてつながっている。それが存在である。根本敬さんは、仕事の都合上現実の死体を見ることになって、警察に依頼したそうなんだ。もちろん、いつでもあるわけじゃないんで、待つことになる。ある日、突然電話がかかってくる。行ってみると、司法解剖が終わって、皮膚が縫合された遺体が置かれている。まぎれもない物体となって。で、彼は警察の人に聞いてみたそうだ。
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天然知能は、無から有へと起源するものではなく、以前からぼんやりと存在し、絶えず外部を待って、外部の到来によって変質しながら、以後も存在する。だから、天然知能は、或る存在様式なのだ。 質的な違いを全て量に置き換え、計算することで意識や生命を理解する。そのようなアプローチでは決して辿り着けない存在様式が、現実にある。そう言ってしまうと、現実の生命や意識は、逃げ水のように認識の彼岸に逃げていくだけ。量的な評価・計算主義に対抗する概念として、何か積極的に定義すべきだろう。こうして構想されたものが「天然知能」だ。
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いわゆる人工知能技術の発展は、もちろん私たちの社会に大きな影響を与えるだろうけれど、それでも、私たちの社会の構造を、それが根本的に変えるとは思えない。相変わらず私たちの経済社会は、企業を主役とする市場経済であり続けるだろうし、普通の人々の暮らしも、雇用か、せいぜい請負労働を中心としたものであり続けるだろう。 人工知能を実装した機械が、あくまでも人間が用いる「道具」にとどまるのであれば、そのインパクトは、従来の機械が職場や雇用に対してもたらしたそれと本質的に変わることはない。
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マクロ的にみて絶対的な労働需要の低下が引き起こされてしまう場合にも、長期的には労働供給側の減少によって労働市場は均衡に向かうはずだ。ただし、マクロ的な労働需要変化のスピードに、マクロ的な労働供給、特に生産年齢人口それ自体の変化スピードがついていくとは考えづらい。人間は成長するのに時間がかかり、教育訓練のスピードもゆっくり。また仕事がなくなったからと言ってそれに合わせて冬眠したり早く死んだりもしない。あくまでも過渡的な問題とは言え、膨大な失業への社会政策的な対応は必須である、という意見が有力になっている。
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「一人っ子世代」の親の世代が高齢化を迎える2050年には、2014年に較べて、はるかに多くの独居老人が発生していることが見込まれる。その数は1億人を超えていることも、十分考えられるのである。彼らの相手をしているのは「AI家政婦」だけだろう。ともあれ、2050年頃に、60歳以上の人口が5億人に達する中国は、大きな困難を強いられることは間違いない。製造業やサービス業の人手不足、税収不足、投資不足……。それらはまさに、現在の日本が直面している問題だ。
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スウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセンの『スマホ脳』(新潮新書)は、SNSの危険性を説いて日本でもベストセラーになった。この本でハンセンは、フェイスブックのようなSNSは脳の報酬系をハックするようにつくられていて、その過剰な利用が不眠やうつの原因になり、子どもの健全な成長を阻害すると警鐘を鳴らしている。徹底的に社会的な動物として進化してきたヒトには、食べることとセックスする(愛される)ことと並んで、もうひとつ決定的に重要な欲望の対象がある。それが「評判」だ。
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1997年から2020年まで、ベゾスは株主に宛てて24通の手紙を書いている。それらの手紙に含まれる単語数は、合計4万8062語に上る。ベゾスほど巧みに、メタファー(暗喩)を用いるビジネスリーダーはなかなかいない。 彼は、アマゾンの成長の原動力となる「フライホイール(弾み車)」を構築した。「種」を蒔き、その「種」が巨大な事業へと成長した。「ピザ2枚分のチーム」を作った。また、なぜ失敗と発明が「分かちがたい双子」であるのかを説き、「傭兵」ではなく「伝道者」を雇った。
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人の死を判定するときには、医者は「死の三徴候」と呼ばれるものを確認します。「呼吸停止」「心停止」「瞳孔の散大」がそれです。この三つが揃うと、人は死んだと判定されます。一般の人は、人の死は医者が死亡時刻を告げたときに起こったと思うでしょうが、実はそうではありません。そもそも、人がいつ死んだかということは、厳密に規定することができないのです。なぜなら、臓器はある瞬間にいっせいに機能を止めるわけではありません。
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Kentaro
体力的に衰えても、体がなかなか言うことを聞かなくなっても、テクノロジーのサポートによって、自分がやりたいことをやる、行きたいところに行く、見たいものを見るなどの体験ができる。 不死時代における自己実現の在り方が、これまでの経験では想像できないほどの幅広い可能性に満ちていることは間違いありません。 「長生きはしてみるもの」──不死時代を前向きに生きられれば、私たちは新しい人生の楽しみをまだまだ味わうことができるはずです。 VR(バーチャルリアリティ)テクノロジーを活用した取り組みも進んでいます。
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昔からさまざまな批判がありながらも医師法が70年以上基本的な部分は変わらなかったのは、17万人以上の医師を会員に擁する日本医師会が、改正論が起きるたびにさまざまな理由で反対の側に回ってきたからでもあります。医師法が制定されたのは1948年。まだコンピューターが世の中にほとんど普及していない時代でした。それから70年以上経ち、AIを用いた医療がまもなく充実期を迎えようとしているというのに、そのためのルールとなると全く整備されていない。医師法はコンピューターがほとんど存在さえしなかった時代にできた法律です。
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Kentaro
DXについては、国内でもかなり具体的な動きが増えてきていた。例えば、下着メーカーのグンゼはNECと提携して、消費カロリーや心拍数といった生体情報を着るだけで計測できる肌着を開発し、利用者の体調管理などの新規ビジネスへの発展を図っている。丸井グループはリアル店舗を持たない小売りブランドなどとの協業によって、「モノを売らない店」への転換を進めている。「体験を提供する店」とすることで価値を高めることはもとより、顧客が店内でどう動いたかをデータ化してニーズの開拓につなげようというのである。
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Kentaro
お手本は、ヨーロッパ各国の小さな田舎町にある。教会などを中心としてこぢんまりとした暮らしを形づくり、豊かさを実現している。人口減少日本でもこれに倣い、各地にある「小さな賑わい」を「王国」として定めるのだ。 高齢者が市街地に集まり住むようになれば、介護スタッフも確保しやすくなり、少ない人数で多くの人にサービスを提供することも可能になる。さらには、運転手不足によるバスなどの公共交通機関の減便や撤退があっても暮らしへの影響は少ない。免許を返上しても困らなくなるので、高齢ドライバーによる悲しい事故も減るだろう。
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Kentaro
人口減少社会を俯瞰し、少子化が止まらない以上、それを前提として社会を作り替えていかなければならないことを強く訴えた。また、国家としての衰退を避けるには「戦略的に縮む」ことが必要で、そうすることで日本社会は「豊かさ」を維持でき得ると論じた。日本が豊かな国であり続けるには、働き手世代が減っても機能する社会へと改めてゆかざるを得ないとし、仮に働き手が1000万人減っても、社会の効率化で1000万人分の仕事量を減らせるならば、実質的に労働力不足は起こらないとの立場をとった。
が「ナイス!」と言っています。
Kentaro
技術者不足はどの分野も似たような状況だが、影響の大きさを考えればIT(情報技術)分野の人材不足こそ深刻に受け止めなければならない。最近、「AIが人の仕事を奪う」と喧伝されることでも分かるように、AIには労働力不足の解決策としての期待が集まっており、政府も有効な手段になると位置づけている。ただ、現時点においては実用的な技術は限定的である。AI技術の実用化が労働力減少スピードに間に合うかどうかは分からないと私は考えている。もちろん、AIを否定しているわけではない。技術の進歩には目を見張るものがある。
が「ナイス!」と言っています。
Kentaro
農業も深刻だ。農業ビジネスモデルの転換は避けられない。経営規模が拡大するほど面積あたりの経費は低減することを考えれば、就業者の減少をカバーするには米国のように機械やAIを活用してスケールメリットを図ることだ。自動操舵システムやドローンによる農薬散布で作業時間を大幅短縮した事例も登場している。同時に、収益性の高い作物への転換を徹底することである。大規模化に向かない中山間地域の農地では、とりわけ収益性が重要となる。その上で、流通業や小売業を含むサプライチェーン全体としての生産性向上に取り組むことが必要だ。
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Kentaro
これまで仕事において大事にしていた考え方を捨て去ることができなければ、こだわりはむしろ精神的な重荷になってしまうだろう。 なぜ人は50代で仕事に対して意義を失い、迷う経験をするのか。これはつまるところ、定年を前にして「高い収入や栄誉」を追い求め続けるキャリアから転換しなければいけないという事実に、多くの人が直面しているからだと考えられる。他者との競争に打ち勝ち、キャリアの高みを目指したいという考え方をどのようにして諦めることができるか。それが、定年後に幸せな生活を送れるかどうかを大きく左右するのである。
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Kentaro
安倍政権がデフレ脱却という目標達成に失敗した理由は、かつて、橋本政権期に我が国をデフレのどん底に叩き落とした緊縮財政路線を政策の中心に据えてしまったためである。特に、2013年6月に、「骨太の方針2013(経済財政運営と改革の基本方針について)」において、 国・地方のプライマリーバランスについて、2015年度までに2010年度に比べ赤字の対GDP比の半減、2020年度までに黒字化、その後の債務残高の対GDP比の安定的な引下げを目指すと、PBの黒字化目標が閣議決定されてしまったことが、決定的な影響を与えた。
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Kentaro
現在の日本のコストプッシュ型インフレは、明らかに「輸入物価上昇」に起因している。何しろ、価格が上昇しているのが主に食料とエネルギーなのだ。コストプッシュ型インフレは、国民の可処分所得の減少である。何しろ、所得は一円も増えないにもかかわらず、支出だけが増えるのだ。となれば、政府がやるべきことは一つしかない。減税や給付により、国民の可処分所得を補填するのである。すなわち、今こそ「財政赤字の拡大」が必要なのだ。
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単位労働コストという用語はやや難しく聞こえるが、その内容はさほど難しくない。たとえば、Bという自動車会社の労働者たちが団体交渉を通じて10%の賃金アップを勝ち取ったとしても、労働者1人当たりの自動車生産量が20%増加したならば、会社の体感人件費は10%下がったことになる。もちろん、それとは逆のケースもある。代表的なのが1980年代で、当時は単位労働コストが年10%ずつ上昇し続けていた。つまり単位労働コストとは、賃金上昇率から生産性改善率を引いた値、すなわち企業の「体感人件費」と言い換えることができる。
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プラザ合意から30年を経たいま、日本人は「明日は今日よりいい」とは思えなくなってしまった。長い不況で、私たちにはなによりもまず、生活防衛が大事になった。生活防衛が大事だから、お金が入ると、何かを買うより、貯金に向かう。明日が今日より悪くなるのであれば、お金を貯めておかなければならないのだ。日本人が「明日は今日よりいい」とかつてのように思い始めれば、日本経済は再び元気になる。明日が今日よりいいのであれば、貯金せずに欲しい物を買うことができる。それは経済を回転させる。日本経済を元気にするには、最良の処方箋だ。
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オランダの農業の特徴は、IT技術を使い、プラント工場などで生産性と品質を高めて大量に生産していることです。国土が狭いため、アメリカのような大規模農業は望めない分、海外から素材を輸入する一方で、工夫して品質や付加価値の高いものを作り出しています。日本の農業も、この方向でやっていけるはずです。また、漁業についてはノルウェーが盛んです。日本では一流大学卒の優秀な学生は、外資系のコンサルティング会社や投資銀行などにいきたいと思うようですが、ノルウェーでは、優秀な学生の多くが漁業で稼ぐことを希望しているようです。
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Kentaro
外食チェーン店「大戸屋 ごはん処」で人気メニューの「チキンかあさん煮定食」は、東京では890円(税込み)。「大戸屋」は海外展開もしているのだが、ニューヨークのお店で同じ定食を頼むと24ドルする。完全に同じ料理かどうかは試したことがないのでわからないが、ウェブの画像を見る限りほぼ同じ。同じ企業が同じ料理を出しているのに、これだけ値段が違っている。私たちは、価格と賃金が凍りついている社会に住み、それが私たちの当たり前になっている。だから日々の生活をする中で、そのことを意識することすらない。
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ネスレ日本のwebサイトを見てみると、定番のものが一〇種類、それ以外その種類数は五〇を優に超えています。POSデータを使って、各年で販売履歴があったキットカットの種類数を数えると、多い年は七〇に達しています。キットカットの発祥の地である英国や米国ではこれほどの種類はなく、せいぜい一〇種類程度しか売られていません。そのMITの研究者は、このキットカットの種類の多さこそが日本の流通の大きな特徴であり、それが私たちの研究、つまり商品の新陳代謝にともなう価格更新ということと密接に関係すると考えたようです。
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Kentaro
それをベタにやっている事例の一つは、タンパク質構造予測を行うコンピューターゲーム『foldit』だ。タンパク質の分子構造というのはかなり難解で、世界最先端の科学者たちが10年間も解くことができず、かなりの数のコンピューターを並列に使うグリッド・コンピューティングでもわからなかったらしいのだが、それを知恵の輪を解くようなパズルゲームとして、無料配信して一般のゲーマーに解いてもらったところ、わずか3週間ほどでエイズの治療法を見つける鍵となる可能性がある酵素の構造を発見してしまった。
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〝デジタルデトックス〟と言う人もいますが、必要な時間でしょう。つながりすぎてはいけないし、つながらない時間が長すぎてもいけない。そのバランスが大事です。 緊急性の高い情報は、誰もが知りたがるあまり、事実かどうか十分確認されないまま拡散されてしまいます。こうした状況を「インフォデミック」と呼びます。インフォメーションの「インフォ」と、パンデミックとエピデミック[*2]の「デミック」を合わせた造語で、大量の情報が氾濫するなか、不正確な情報や誤った情報が急速に拡散され、社会に影響を及ぼすことを意味します。
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一般的に、総合コンサルティング企業のアナリスト/アソシエイト一人の月額単価は150万円-250万円であり、1日あたりで換算すれば約10万円。8時間の営業時間で割れば時間あたり1万2500円相当の単価になる。もし資料を4時間かけて作成すればその資料は5万円相当の価値がクライアントにとって存在しないと、割に合わない。プロジェクトごとで、安くても数千万、規模の大きなものだと億単位のお金が動く。 アナリストがまず一番最初に任される仕事は、議事録だ。要を得た議事録が綺麗に書けるかどうかで周囲からの信頼がまるで違う。
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Kentaro
人は、自分の自尊心が満たされた時にイエスと言いやすくなる。頼まれごとを引き受けることで、評価を受けたり、褒められたり、尊敬されたりする場合だ。逆に自尊心が傷つくのを回避するためにイエスと言いやすくなることもある。要求を拒否した場合の、人に嫌われる、恥ずかしい思いをする、名誉を失うといった、自尊心にとってネガティブな事態を避けるためにイエスと言うケースだ。また、心理的にイエスを言わせるポイントに「好意」がある。自分が好意を持つ人、あるいは自分に好意を持つ人からの頼みは断れないという心理だ。
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人は質問をされた場合、その質問の意図を読みとり、その意図に沿った範囲で答えようとします。たとえば、友人から「昨日どこに行ったの」と聞かれたら、「会話の話題を探しているのかな」などと考え、「昨日はディズニーランドに行ってさ」などと答えます。 つまり、私たちは質問をするだけで相手を強制的に考えさせているのです。したがって、相手から情報を得ようとして質問をするときは、相手への礼儀として、なるべく相手に負担をかけないように質問しなければなりません。
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Kentaro
相手を知ることが重要だ。説得に対して、相手が反論してきたときの対応でも、価値観を知る必要がある。相手が反論する場合、その根底には、その反論の基となっている価値観がある。相手の結論を変えるには、君の説得する内容が、その価値観を満足させるものだと説得するか、あるいは、相手の価値観自体を変える必要がある。いかに相手の役に立てるか、そのために相手の価値観は何かと考え、ニーズを引き出す質問をし、相手に大切なことを気づかせるための質問をして考えてもらい、その上で選択肢を提示して、正しい決断をしてもらうよう努力する。
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人は能力を褒められると、怠けるようになる。 今できることよりも、少しだけ難しいことを続けていくと、やがて大きく二つのモノを獲得する自分に気付く。それは「尖った専門性」と「丸いつながり」だ。専門性が尖っているということは、専門性のレベルが世間一般的に高いレベルであるということです。営業や製造、開発、総務、経理などなど。今担当している職務の中で求められる専門性で、社内の第一人者であることはもちろん、社外と比較しても遜色のないレベルに達することが重要だ。
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誠実さというのはただの性格的な特徴や倫理的原理ではない。誠実な人生やチームを実現するのは簡単ではない。鍛錬が必要だ。相当高い能力がなければ、真実、公正、目的を形にすることはできない。また、生まれつき持っているかどうかというような倫理観の問題でもない。研究結果からわかったのは、誠実さとは筋肉のようなものであり、強くするためには、定期的に鍛え上げなければならないということだ。ジムを出るときのアスリートや、リハビリを終えた患者は、体は痛んでも心は満たされている。誠実さを鍛えるのも同じだ。
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Kentaro
2005年に社長に就任する直前(2005年3月期)の売上は5兆8361億円。税引前利益は1106億円。それが3年後、2008年3月期の売上は7兆6681億円、税引前利益は2556億円。ともに大幅な伸びを見せていた。西田の2代前の社長、西室泰三が提唱し、西田の代名詞ともなった「選択と集中」の経営は見事なまでに成功していた。東芝がWHの買収に成功し、西田の言う〝50年の覚悟〟に向け、準備に余念がなかった2006年の8月末、首相小泉純一郎の姿を中央アジアの大国カザフスタンの首都アスタナに見ることができた。
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Kentaro
元インテルCEOのアンディ・グローブは、その著書『ONLY THE PARANOID SURVIVE(偏執狂だけが生き残る)』の中で、「偏執狂的な集中力で製品を開発し、投資し、競合相手を徹底的に叩き潰すことが、半導体産業の中で生き残る唯一の道だ」と語っている。だが、重電から家電まで幅広く手がける日本の総合電機に「偏執狂」はいなかった。半導体はいくつもある事業の中の一つに過ぎず「失敗しても会社が潰れることはない」という甘えの中で経営が行われていた。
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Kentaro
韓国は、アジア通貨危機によって主要銀行がIMFの指揮下になり、韓国財閥企業の「選択と集中」が実行されてサムソンは電機・電子産業に集中することとなった。結果的には、このことが今日のサムソンの繁栄となった。インテルがDRAM生産から撤退を余儀なくされたときにIBMの指揮下で開発したCPUが事業の柱になったように、外圧がなければ企業は大きく変化することは出来ないのかもしれない。翻って日本では間違った半導体業界再編が行われ、これが衰退の原因となった。ルネサスとエルピーダを別会社として再編してしまったところにある。
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和漢の境をまたぐとは、中国(漢)と日本(和)の交流が融合しつつ、しだいに日本独自の表現様式や認知様式や、さらには中世や近世で独特の価値観をつくっていったということだ。アジア社会では長らく中国が発するものをグローバルスタンダードとしての規範にしてきたのだが、そのグローバルスタンダードに学んだ日本が、奈良朝の『古事記』や『万葉集』の表記や表現において、一挙にローカルな趣向を打ち出し、ついに「仮名」の出現によって、まさにまったく新たな「グローカルな文化様式」や「クレオールな文化様式」を誕生させた。
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Kentaro
急速に進む日米の軍事的一体化によって一九七一年以降、米軍は事実上すべての自衛隊の訓練空域を「自衛隊との間で調整して」演習に使えるようになっている。つまり日本の「空」ではすでに、自衛隊の訓練空域は、すべて米軍との共同使用が可能になっている。在日米軍のもつ法的な特権は、一九五二年四月に発効した「日米行政協定」の条文だけでなく、それに加えて、その後毎月二回「日米合同委員会」の密室で合意されつづける無数の「行政上の合意」に基づいて決定される。しかもその米軍主導の密室でなにが合意されたかは、米軍側の同意が必要だ。
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Kentaro
沖縄の米軍基地問題を調べ始めたのは、二〇一〇年六月に起きた民主党・鳩山政権の崩壊がきっかけでした。 その前年の八月末の総選挙で、三〇八議席という史上最多議席を獲得し、戦後初の「本格的政権交代」を成しとげた鳩山首相は、しかし普天間基地の「移設」問題によってつまずき、わずか九ヵ月で退陣に追い込まれてしまいました。誰が見ても危険な人口密集地の外国軍基地(普天間基地)を、「県外または国外」へ移そうとしたところ、官僚や検察、大手マスコミから激しいバッシングを受けて、あっけなく政権が崩壊してしまったわけです。
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Kentaro
インフォメーションでなくインテリジェンスを発揮してこそ、評価され尊敬されるできる人といわれるのでしょう。知恵で課題解決に対応できる人のことです。 独創的なアイディアを生み出す原動力は、情報の新しい組み合わせ力につきます。独創は自分の持っている情報の組み合わせから以外は生まれないようです。人間の創造活動は究極のところ、すべてコラージュ(借用)でできている。だから専門分野の知識からだけでは独創は生まれない。発想は無から突然生み出されるということはない。人間は知っていることと体験したことからしか発想出来ない。
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Kentaro
時代が変わっているのにこのままでいいのか?人の気持ちが動いているのに、同じ考えでいいのか?最近コンセプトと言う言葉が頻繁に使われるのは、今まで当たり前と思っていた価値観がそぐわなくなってきているからだ。広告もマーケティングも変化を感じているから変わろうとしているのだ。広告人にとって、人々の生活を観察し、洞察し、そこから明日の芽を発見することは重要、ここをはずすと、新しい創造性が考えられないからだ。新しい情報価値を生み出すアイデアとは、情報の組み合わせであり、創造力とは情報の組み合わせ力だと言われている。
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Kentaro
2008年時点で勤務医の平均給与は約1300万円。開業医の平均給与はもっと高く、2600万円です。テレビ局や商社マンなどの高給取りもまったくかなわない高い給与といえます。しかし、昨今では、この医者と結婚することが非常に難しくなっています。ひとつは、医大に進む女性が増えたことにより半分が女医さんになっていることです。さらに、医者同士のシナジー効果でお医者さん同士が結婚しているケースが多いからです。
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Kentaro
社会学は、数ある学問の中では新しい学問です。歴史は非常に短い。もちろん、「いつから社会学が始まったのか」というのは難しい問題ですが、大雑把に言えば十九世紀なので、まだ二百年ぐらいの歴史しかありません。社会学は、「近代社会の自己意識の一つの表現」なのです。近代社会というものの特徴は、比喩的な言い方をすれば、「自己意識をもつ社会」です。自分が何であるか、自分はどこへ向かっているのか、自分はどこから来たのか。それが正しい認識かどうかはわかりませんが、近代社会とはこういう自己意識をもつ社会です。
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Kentaro
二一世紀になってアフリカ経済は、全体として成長率を大きく上昇させ、それまでのイメージを塗り替えるように大きく変わり始めた。二一世紀になって以降、一人当たりの所得も反転して上昇した。中には、新たな産油国赤道ギニアのように、一九九〇年代から年率二〇パーセント近い驚異的な経済成長を遂げた国もある。こうした経済成長は、第一に石油・天然ガスを含む鉱産物や商品作物の輸出に牽引されていた。特に石油市場に大きな影響を与えた二〇〇三年のイラク戦争開始以降、資源・商品作物ブームが世界を覆うことになった。
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Kentaro
男子高校生と女子高校生が公園で待ち合わせ。しかし、ボクとナタリーの間にそんな雰囲気は微塵もなかった。 基本的にはナタリーが学校であった不平不満をボクにもらす。聞き役として「うんうん、わかるわかる」と相槌をうちながら、一言二言その場で思いついた意見を適当に述べる。そんなことでも彼女の心を癒す効果はあるようだ。気分がすっきりしたナタリーはにこにこしながら家に帰り、ボクはついでのように公園のトイレで用を足して帰る。それが、ナタリー&ゲーリー、ふたりの「ウンメイト」の逢瀬の内容だった。
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Kentaro
十代の頃は、「歴史なんて学んでいったい何の意味があるんだ。大きな出来事が起きた年やそれを起こした主なメンバーの名前を暗記しても意味なんてないじゃないか」などと思っていた。だが、二十代としてそれなりの時を過ごしていったことで、その認識が徐々に変化してきた。二十代になってようやく気づいたことが、「歴史は未来のための科目である」ということである。例えば、歴史を学んでいくことで人類の普遍の原理原則などを理解できるようになる。 具体的には、「独裁体制を築いても、いつかは民衆の不満が高まって革命が起きる」など。
が「ナイス!」と言っています。
Kentaro
案外世の中には、「自分の強い想いや気持ちといったものを伝えれば、損得勘定関係なく人が動いてくれる」と思い込んでいる人が多いものです。しかもタチが悪いのは、相手にとって何らのメリットがないことを頼んでおきながら、いざ断られると「人がこんなに頼んでいるのに、なぜ言うことを聞いてくれないのか」と逆ギレをしてくることである。そのような人間と付き合っていても、あなたの人生が好転することはありません。もし、そんな人が近くにいるのであれば勇気を振り絞り関係を断ち切るのがよい。 人間は傷ついたぶんだけ優しくなれる。
が「ナイス!」と言っています。
Kentaro
昔から権力者というのは大衆が知識を持つことを阻止しようとしていました。なぜなら、大衆が無知であるほど自分たちの都合の良いように操ることができたからです。人間は自分が認識できている事象以外の事象は認識することが不可能なのです。これは、読書をすることの重要性を語る上で非常に大きな意味を持っています。 この現象はまったく読書をしない人間にも当てはめることができます。すなわち、まったく読書をしない人間は読書をすることにより、どれだけ自分の人生を豊かで充実したものにできるかを認識できないということです。
まゆだま
2024/05/04 09:08

すごく胸に刺さるレビューでした。毎朝、Kentaroさんのレビューでどれだけ学ばせていただいていることでしょう。いつもありがとうございます🙇💕

Kentaro
2024/05/05 05:43

暖かいお言葉ありがとうございます。

が「ナイス!」と言っています。
Kentaro
優秀と言われる営業マンに限って、部下に仕事を与えないで、自分で仕事を仕切ってしまう。或いは俺が出来るんだから部下も出来るはずと言う感じで強く当たってしまい、部下を潰してしまうタイプが多い。チームプレーが出来ない人間は課長にはしない。最近は部下のマネジメントが出来ないことに加えて、部下の指導、育成が出来ない管理職は不要だと言う会社が増えている。課長、部長クラスには、上からの覚えがめでたい人や抜群の業績を上げたなどで昇格する確率は高い。但しそれ以上を目指す人では人事部が上げてくるのはリスク管理が出来る人材だ。
が「ナイス!」と言っています。
Kentaro
会社のしがらみの中でチマチマやっていると、「1人でやったら、もっとのびのびできるのに」と錯覚します。サラリーマンを辞めるなら、サラリーマンとしてイヤな仕事で自分がトップになってからにします。大切なのは、好きな仕事でトップになることではなく、イヤな仕事でトップになることです。セールスがイヤで辞めるなら、トップになって、くす玉を割ってからにします。その時は、逆に辞める気がなくなります。結局、仕事の好き嫌いではないのです。結果が出ないから、「嫌い」と言っているだけです。
が「ナイス!」と言っています。
Kentaro
ヒトの思考方法を抽出して体系化し、ヒトと同じように推論させることで人工知能を作り上げる。これはどうしようもなく難しいことが判明した。自分の思考や行動について、人は言葉で淀みなく説明したり正当化したりできる。そして、そうした説明のどこかを問い質されれば、説明や正当化をさらに滔々と連ねていける。ところが、どんなに長々としていても、日常言語によるそうした説明を分析してみると、緩やかにつながった断片であること以外にはほとんど何も得られない。例えば医師でも患者をどうやって診察しているのか医者は本当には説明できない。
が「ナイス!」と言っています。
Kentaro
エジソンもまた「ひらめき」の重要性を訴えている。有名な「天才とは、1%のインスピレーション(ひらめき)と99%の努力である」というエジソンの言葉が、それをよく物語っている。エジソンは、昼間でもよく意図的にうたた寝をしていたことがわかっている。エジソンは、うたた寝をするときに、いつも両手に1個ずつボールを持っていました。こうすると、眠りに落ちた瞬間にボールが落ちて、地面にぶつかって音を立てるので、目を覚ます。エジソンによれば、この目が覚めた瞬間に「ひらめき」を得ることが多かったという。
が「ナイス!」と言っています。
Kentaro
コントロールのよさを高く評価されるプロ野球投手の工藤公康さんは、高校二年のときに出会った臨時コーチの指導の下、徹底してコントロールを叩き込んだ。まず一〇メートルの距離から、キャッチャーの構えたミットに投げる。一〇球連続して同じところに投げられるようになるまで投げ続け、その後で一歩下がる。今度はその距離から同じことを繰り返し、次も一歩ずつ下がってひたすら投げる。最終的にはマウンドの距離からそれができるようにする、という方法だった。自動化するまで続ければ、それを自分の基本ワザにすることができる。
が「ナイス!」と言っています。
Kentaro
本をつくるときや、お客さんのビジョン、コンセプトを考えるときに、大事にしていることがある。それは、手を動かしながら考える集中モードと、そこで煮詰まったらしばらく寝かして、アイデアが降りてくるのを待つ弛緩モードの二つのモードを必ず使い分けることだ。 人間の脳は、偶然、脈絡のないアイデアをひらめくというのが特徴だ。これは、AIなどの機械が、目的に合わせて考え続けることで最適な答えを出すのに適しているのとは対照的な性質を持っている。アイデアの熟成が進むためには、「ボーッとする」ことがとても重要だ。
が「ナイス!」と言っています。
Kentaro
節約というと、「我慢」とか「苦しい」とか「貧乏くさい」とか「ケチくさい」とか、マイナスなイメージが多いかと思いますが、僕はそれを避けた節約を心掛けています。 節約しているつもりがないけど節約になっている、というのが一番の理想ですよね。僕は日々、いろんなところで様々な節約をしています。でも、それを節約とは思っていません。節約ではあるのですが、普段の生活で自分に必要ない無駄なことをやらないだけなのです。自分にとって必要だと思ったら、人にとっては無駄だと思うことでもお金や時間を使います。
が「ナイス!」と言っています。
Kentaro
意外と知られていないのだが、雨が止んだ後、ビニール傘をコンビニの傘立てに捨てて行く人が本当にたくさんいる。毎回5〜6本は傘立てに刺さったままで、1カ月ぐらいはコンビニで保管することになるものの、無限に増えていく傘をいつまでも置いておくわけにはいかない。 毎朝7時ぐらい、通勤前にコンビニに寄るおばさんがいる。 いつもお茶を1本買って行き、お互い会釈する程度で、会話は特にした事はなかった。 ある朝、突然、土砂降りの雨が降り出し、ビニール傘が飛ぶように売れた。
が「ナイス!」と言っています。
Kentaro
型は無いと破れない。型破りと型無しは違う。我々は型無しを闇雲に評価したい馬鹿のために、前フリのために使われるだけで終わりたくない。そんな事のために漫才をやっているわけでは断じてないからだ。人生は「自分は何者かである」という幻想との戦いだと思う。 芸能なんていうのはまさにその極地で、全員が「自分には才能がある」と信じている変な奴の集まりだ。そんな中でもごく限られた人間しか煌びやかなステージには立てないのだが、引き続き自分たちは有資格者であると信じて、もうひと踏ん張りするしかない。
が「ナイス!」と言っています。
Kentaro
今でも忘れられないのが、20代だったホリプロ時代にネタ見せで作家に「これどういうこと」って聞かれたんですね。その時その作家に、感覚でと答えたんですよ。これこれこうなんですけど、感覚でって。そうしたら、お前、感覚なんて100年早えんだよって言われたんです。感覚こそが大事だと思っていたのに、感覚とか言ったら生意気なんだというのが不思議でした。同時に、理屈でわからない、理詰めで説明できないことに対する恐怖や嫌悪、嫉妬やコンプレックスもその人から感じたんですよ。なんでそんな意味のわからないことやるんだよ、という。
が「ナイス!」と言っています。
Kentaro
伝統として受け継がれ、30年前の卒業生も、現在のラグビー部も、「前へ」という価値観を共有している。これは素晴らしいことです。大学に入学し、ラグビー部に入る個人個人は共有する文化を通じて強い精神を得られるのです。 会議で発言するとき、就職活動、恋愛。失敗して傷つくのが怖く、なかなか踏み出せないことはあるかもしれません。ただでさえ、先が見えない時代です。こういう時代に、あれこれと迷っているよりは、一歩「前へ」。半歩でもいいから、とにかく踏み出すことが大切です。勇気を持って踏み出してみれば、景色が変わります。
が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2018/01/09(2353日経過)
記録初日
2016/05/17(2955日経過)
読んだ本
7078冊(1日平均2.40冊)
読んだページ
1491614ページ(1日平均504ページ)
感想・レビュー
7078件(投稿率100.0%)
本棚
144棚
性別
血液型
O型
職業
IT関係
現住所
神奈川県
URL/ブログ
https://dx-idea.blogspot.com/
自己紹介

一度大病をして会社を半年休まざるを得なかった時、せっかくなら一日一冊は読書しようと思い立った。それから体調もすっかり復調し、8年経つ。
読書を勧める本を何冊も読んだが、読書の本質は様々だ。私にとって読書は1っ冊の中でこれが大事だと思うものを抜き出す訓練であり、そこで得た情報を仕事でも私生活でも人とのコミュニケーションに役立てることだ。
一冊の本の中には100冊分の参考図書のエッセンスが含まれている。そうでない場合もあるが、編集者のスクリーニングや読者レビューを経て書籍化されたものには必ず読むべきものが含まれている。
この表現が刺さった。そう、その通り。こんな一文に遭遇するとすぐメモを取る。無理に記憶しなくていい。一日三冊に目を通すようになり、その感度は上がっていく。誰からも褒められなくても自分のこの一文を共有出来たら素晴らしいと思って記録している。これを20代から実践していたらもう少し視野が広がったとも思うが、まだ50代半ば、まだまだできることはありそうだ。

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