悪名高いネロ帝の「キリスト教徒迫害」が後世のでっち上げとは驚いてしまった。殉教者への崇敬が強まるあまり、とりわけ「迫害」が書き立てられたものらしい。進んで殉教したがり、場合によっては他宗教の信徒を巻き込んでまで死にたがるキリスト教徒は、一般的なローマ帝国の住民にとっては迷惑この上ない隣人だったと思うが、そのキリスト教が深く深く根を下ろし、ついには後世のヨーロッパ世界を形作ってしまったのだから、これを皮肉というかなんというか、、、歴史は面白いなあ。
キリスト教徒が「キリスト教徒という集団」としてローマ帝国側に認識されるのはまだ先の話らしい。「迫害」を行い、結果「異教徒」として断罪されたローマ皇帝たちは数多あれど、キリスト者のバイアスを取り払えば案外現実的な施策を行っていたのだという印象を受けた。
学び直したいオタク。古代史好き。日本とか中国とか。北方水滸伝は永遠に大好き
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます
悪名高いネロ帝の「キリスト教徒迫害」が後世のでっち上げとは驚いてしまった。殉教者への崇敬が強まるあまり、とりわけ「迫害」が書き立てられたものらしい。進んで殉教したがり、場合によっては他宗教の信徒を巻き込んでまで死にたがるキリスト教徒は、一般的なローマ帝国の住民にとっては迷惑この上ない隣人だったと思うが、そのキリスト教が深く深く根を下ろし、ついには後世のヨーロッパ世界を形作ってしまったのだから、これを皮肉というかなんというか、、、歴史は面白いなあ。
キリスト教徒が「キリスト教徒という集団」としてローマ帝国側に認識されるのはまだ先の話らしい。「迫害」を行い、結果「異教徒」として断罪されたローマ皇帝たちは数多あれど、キリスト者のバイアスを取り払えば案外現実的な施策を行っていたのだという印象を受けた。