それを語る有名な中編「熊」は、この小説の五番目に相当する。マッキャスリン一族は、アイザックの父親セオフィラスが、「アブサロム、アブサロム!」で初めてヨクナパトゥーファサーガに登場し、「征服されざる人々」では脇役だが重要な登場人物として活躍する。どちらの挿話もお節介の好人物として描かれている。最初の「昔あった話」の主役は、このセオフィラスとその双子の兄弟アモーデアスで、逃亡黒人を追いかける話しなのに、陰惨ではなく、どこか子供のかくれんぼ遊びのよう。追われる黒人にも悲壮感が全然ない。
そもそもこの黒人にもマッキャスリンの血が流れていて、さらに複雑な事情で生を受けた人物。「昔あった話」は、短くユーモアに満ちた話だけれど、とても重要な設定を提示している。2段組430ページで、フォークナーの小説の中でも長い方に入る小説だが、一つ一つの話が素晴らしい。もちろん「熊」は言うまでもないが、二番目の「火と暖炉」は、何度読んでもある箇所で胸が一杯になり涙が出る。四番目の「昔の人々」から、「熊」、「デルタの秋」は、この小説の核心で、三つの話はひとまとまりの話。
なお、三番目の「黒衣の道化師」だけ、とても陰惨な話で異色だが、マッキャスリン一族の黒人に対する宥和的な姿勢は特異的な物で、黒人と白人は分かり合えるはずがなく、ちょっとしたきっかけで白人の暴力による黒人への制裁が起こる現実の状況が、この物語全体の背景にあることを提示しているものと解釈している。そして喜劇調で始まったこの小説も、感動的なアイクの決断も、最後には人間としての生の残酷さの影の中で物語りは終焉する。
一つ一つを独立して読んでも鑑賞に耐える作品群だが、長編として読んでこそ、有機的な繋がりが感じられ、それらの素晴らしさが生きる。他にももっと書きたいことが。この小説、私は、フォークナーの作品の中で一番好き、でもここで筆を置こう。でも最後に、最初のページのある人物への献辞。これだけでも心を打つ。
2024年10月に参加したばかりですが、よろしくお願い申し上げます。ここしばらくは、学生時代好きだったフォークナーを読み直しています。
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それを語る有名な中編「熊」は、この小説の五番目に相当する。マッキャスリン一族は、アイザックの父親セオフィラスが、「アブサロム、アブサロム!」で初めてヨクナパトゥーファサーガに登場し、「征服されざる人々」では脇役だが重要な登場人物として活躍する。どちらの挿話もお節介の好人物として描かれている。最初の「昔あった話」の主役は、このセオフィラスとその双子の兄弟アモーデアスで、逃亡黒人を追いかける話しなのに、陰惨ではなく、どこか子供のかくれんぼ遊びのよう。追われる黒人にも悲壮感が全然ない。
そもそもこの黒人にもマッキャスリンの血が流れていて、さらに複雑な事情で生を受けた人物。「昔あった話」は、短くユーモアに満ちた話だけれど、とても重要な設定を提示している。2段組430ページで、フォークナーの小説の中でも長い方に入る小説だが、一つ一つの話が素晴らしい。もちろん「熊」は言うまでもないが、二番目の「火と暖炉」は、何度読んでもある箇所で胸が一杯になり涙が出る。四番目の「昔の人々」から、「熊」、「デルタの秋」は、この小説の核心で、三つの話はひとまとまりの話。
なお、三番目の「黒衣の道化師」だけ、とても陰惨な話で異色だが、マッキャスリン一族の黒人に対する宥和的な姿勢は特異的な物で、黒人と白人は分かり合えるはずがなく、ちょっとしたきっかけで白人の暴力による黒人への制裁が起こる現実の状況が、この物語全体の背景にあることを提示しているものと解釈している。そして喜劇調で始まったこの小説も、感動的なアイクの決断も、最後には人間としての生の残酷さの影の中で物語りは終焉する。
一つ一つを独立して読んでも鑑賞に耐える作品群だが、長編として読んでこそ、有機的な繋がりが感じられ、それらの素晴らしさが生きる。他にももっと書きたいことが。この小説、私は、フォークナーの作品の中で一番好き、でもここで筆を置こう。でも最後に、最初のページのある人物への献辞。これだけでも心を打つ。