ニックネームのtacchiniyanは、イタリア語っぽく「タッキニヤン」と発音します。
海外文学・日本文学・歴史・美術・音楽などの本。また、両親が遺してくれた本、自分で買った本ーー最近は古書ーーを少しずつ読んでいます。
毎日、旧約聖書(新共同訳)と、犬養道子『新約聖書物語』(新潮社)を読み。礼拝の予習でNew King James Version(欽定訳聖書)を読むのが日課になっています。
絵やイラストを描きます。アイコンは「歌っているのは誰」(2024年)の部分です。
日本基督教団 京都葵教会(プロテスタント)の教会員です。2024年5月現在、礼拝と聖歌隊の練習は行われています。毎月、昼食会や各委員会、青年会などの交わりがあります。
8年間、印刷会社でグラフィックデザインを手がけ、19年間、修学旅行の資料を扱う出版社で編集をしていました。そして5年間、古美術商の出版部に勤務したのち躁鬱病・パニック障害で休職しました。精神障害者2級です。ご理解をお願いします🙏
ときどき1960〜1990年代の思い出をつぶやきます。
愛猫「まる」と暮らしています。弟がいます。
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(1942年〜 )はチリ共和国への潜入を計画した。ミゲル・リッティンは、1973年のクーデターの際に逮捕・監禁・拷問という立場にいたが、収容所に連行されるのを免れ、亡命していた。潜入し際しては、ウルグアイ人に変装。チリ・イタリア・フランスのチームを組み、撮影は極秘裏に行われた。レジスタンスと連絡をとるために日本製のラジオが使われたという。乱数で連絡したのだろうか? 盗聴はなかったのか? 国家警備隊員や愛国戦線のメンバーとのやりとりなどハラハラする場面もあるが、最終的にモネーダの宮殿にはアジェンデを想わせ→
るものは何ひとつおいていなかったという。軍の不満分子と会うために暗号を把握したが、数日経っても先方からの連絡はなかった。リッティン監督が帰国した時の話をガルシア=マルケスがまとめたのが本書である。いかんせん、直訳調で何を言わんとしているのか理解し難い箇所がある。小学生の頃、チリのクーデターについて知った。子供心に戒厳令のことを社会の教師だった父に尋ねた。戦前にはあったが今はないという話だった。緊急事態宣言の時は不安から恐怖に陥った。韓国の非常戒厳、憲法への緊急事態条項について考えようと手にした。