『読んでいない本について堂々と語る方法』によって、読書生活を続ける上での精神衛生が少しはマシに。(ズボラな癖して)完璧主義なもんで、精読してないことを気に病んだり、ね……。『わたしの知る花』と『カラフル』がとっても良かった! うんうん…… 2024年9月の読書メーター 読んだ本の数:46冊 読んだページ数:11424ページ ナイス数:6166ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/1037983/summary/monthly/2024/9
【希望が必要なのだ】透子は正儀に思いを語る――。<「今の宮中は、とても暗い。/おそばにいる公卿たちも役に立たない。言葉だけは強くて大層だけれど、その実、自分たちでは何もしようとしないのだもの。口で何かが動かせるわけでもないのに。誰もが気力を失っていて、まるで澱んだ水の中にいるようだわ」/暗闇に沈んだ険しい道を進み続ければ、やがて人は疲れ果て、歩き続けることを諦めてしまう。けれど、どんなに小さくてもいい、闇の向こうに光が見えれば、それを目指して踏み出すことができる。/行く手を照す、その光が必要なのだ>と――
【内にも外にも、敵ばかり】正儀と細川頼之との語らいがイイ。<南朝の宮中でも政争を嫌というほど味わった。北朝との戦のさなかにありながら、身内同士で争う者たちの考えが本気で理解できなかった。だが、細川頼之を頼って降った幕府も、腹を開けば同じことをやっていた。妬み合い、いがみ合う者たちが、水面下で野犬の群れのように噛み合っている。「左様だ。人が群れれば争う、それが性(さが)だ。だが、だからこそ勝たねばならない」/鋭いまなざしで言った頼之の唇が、最後に音のない言葉を紡いだ。終わらせるために、と言ったように>と――
【それは一時である】<回復は決して一本道ではありません。/揺れ戻しが何度かあります。そのときはいちいち大騒ぎしないで、「おお、これは揺れ戻しだ。しばらく様子を見よう」と言ってよい場合が多い。うろたえる必要がないことが多いのです。睡眠を確保し、クロキサゾラムで悪夢を消して時を待つことです。患者さんにはかならず「これはいっときである」と言います。この「いっときである」というのは、私はどんなときでも患者さんによく言います。幻覚・妄想のさなかでも「それはいっときだよ」と言います。すべては過ぎ去るんです>と。そう!
【精神保健いろは歌留多】<ほめ殺さないように。ほめ殺されないように>。<ちりも積もれば、ある日爆発>。<をしえ(教え)忘れても、命忘れるな>。<忘れたら、そのままにしよう>。<からだの感じを大事にしよう>。<なそうとするからならないこともある>。<うれしいことも疲れる>。<苦しい時ばかりが病気でない>。<言葉より態度で示そう>。<得手なことは控え目に>。<敵の心は合わせ鏡>。<気疲れは万病の元>。<幸せは意地からは来ない>。<見つめていると吸い寄せられることも>。<ひとのせいにすると世界が敵に見える>。
【人は受け止められない経験をしたとき、自分の物語を自分でつくり出し、それを支えに生きていく】<人がつくった物語ではだめだ。物語というのは言語化することとは違う。そのつど自分の中で上映され、流れてくる記憶のようなものだ。黙っていても、人はなんらかの物語をその身に抱えている。それを他者の前で言葉にして語ってしまうのは、危うく保っているバランスを壊してしまう。黙ることで、人は自分のナラティブを守ることがあるのだと思う。/黙る権利と自由を、わたしは愛している。むしろ黙る自由が自分を支えているのだと自覚する>と……
【わたしはなぜ「私」でしかないのか】<わたしは幼いころから、なぜ自分が「私」に閉じ込められているのかと失望、もっと言えば絶望していた。わたしは「私」でしかいられない。その厳然とした事実の前に、ただ固まり、屈服していた。「私」から脱出する術がないことに、この「私」に死ぬまでずっと閉じ込められたままであることに、この身体の中に、この「私」という意識の中に、すっぽりと入れられてしまっていることに失望していた。わたしはどうしてこんなに固まっているのだろう/ではわたしには「私」からの脱出経路はないのだろうか>と……
【頭は見事に混乱した。こんなはずではなかった。こんなはずでは】達者な筆遣いで綴られた通訳小説。いやぁ~、この著者は巧いよ、もう。今作も唸りながら読んだ――。例えば、こんな描写。<耕平は、自分が今年の春にようやく母校に職を得た、それまでは万年助手であったこと、子どもたちを教えるのが初めてであること、/さして進学率もよくない私立の男子校であるが、中高一貫教育なので少しカリキュラムに余裕があり、ことに全員入部が義務付けられている課外クラブ活動でなら、比較的おもしろいことができそうにおもったこと>と――
【この学園の少年たちは、諦めることに慣れすぎている】“いまだにあまり勉強のできない子弟を集めている”という評判の母校に、有名私立大学博士課程に進んだ誉れ高き秀才というのが買われ採用となった耕平先生の感慨。<学力偏差値でバカ扱いされ、もしもスポーツ関係で頭角をあらわすことすらできないとすると、まるで自分の存在が何か、いつも無用の、できの悪い、誰にとっても無視されてしかるべきもののように思えてしまう。その空しさは、耕平自らが少年時代に自分の胸にきりきりと焼きつけた哀しみではなかったのか>と。うん、わかる……
※2年前にレビューしている本です。……実は、“読んだ本”と“レビューした本”が一つだけ合っていませんでした。ずーっと「読んだ本は必ずレビュー書くことを信条にしてきたのに、こんなこと、あるかしら」と不思議に思ってきました。本日原因判明。この本でした。とはいえ、どうしてこうなったか実はよくわかりません。なので、一度登録削除して再登録することに――。おー、数字が合致した!気持ちスッキリ😊
【精神医学では、深刻な不器用や運動音痴は発達性協調運動症(DCD)と呼び、発達障害の下位カテゴリーに】横道:<私にもこの発達性協調運動症ははっきりとあります。日常生活で物にぶつかりやすかったり、転んだりしやすかったりする。絵に描いたような運動音痴で、子どもの頃はそれで自殺したかったほど。あまりにも運動ができないっていうのは、小学生には、ストレスが大きいものです。いじめにも遭いましたし、クラスで最下位あつかいされた>と。わたしも同じだった……。体が心に連動してくれず、体をギクシャク動かしていたイメージか……
【自閉スペクトラム症と注意欠陥多動症(ADHD)がぶつかり……】横道:<自閉スペクトラム症のために、わたしには深くもぐりこんでいく性質があるのに、他方でADHDが私を拡散させ、浅くしようとする。だから凝り性なのに飽き性なのです。ぶつかりあってる感じも、独特に混ざりあってるような感じもある。/発達界隈では、その両方の障害が併発していることで、単発の発達障害者よりも意味不明な人間になってしまって、人生の困難さが増しているという嘆きの声に満ちています>と。ええ。で、純粋な単発の発達障害者って、どれだけいるのか?
【「虐待」の用語と配慮性】<ある時期から医学用語や行政用語において当事者への配慮をずいぶん高めた。/精神薄弱は知的障害に。「障がい」の表記が広まった/他方では「虐待」という遥かにどぎつい、明らかに当事者への否定と非難を含意した用語に対しては何の配慮もなされないのは不思議である。この用語は、親ばかリでなく、子どもをも残酷に傷つける。親に虐げられた子という自己理解や他者からのまなざしは、自尊感情を低下させ、不遇感・不幸感を募らせるか、被害者性に囚われて他責的にさせてしまうからである>と。確かに…そうかなと……
【家庭的養護(ユニットケア)】<理想的にみえるけれども、子育て失調が起きる場も実は「家庭」であることを忘れてはならない/子育て失調から社会的養護に至った子どもたちの背負っている困難の大きさを現場職員なら肌で知っている。生活様式を家庭モデルにし親子的なケアに転換しさえすれば解決できる困難さではないことも。家庭モデルの少人数のケアワーカーだけで、しかも家庭的な閉じた(煮詰まりやすい)相互関係の内で、子どもたちの背負う困難さと向き合う日々は疲弊や燃え尽きやこじれを引き起こすリスクが高い>と。ええ、その通りです。
【うまい・まずいにまつわる問題は一筋縄ではいかない】芹沢は自らを省みて語る。「創作系ラーメンは独創的で食材や調理法にもこだわり、こう言っちゃなんだが『非凡なうまさ』のラーメンだ…。それをもって我々のような作り手、有栖君のような評論家やライター、和文くんのようなフリークは、創作系をラーメンにおける上位形式のように見なしがち…/だが人間、そういうものばかりがうまいわけじゃない。チェーン店のラーメンのように定番でありきたりだからこその『平凡なうまさ』を欲する時も多々ある」と。同感。美味より日々の惣菜だったり……
【トラウマを扱った詩】<最初の日の夜が来た。/ありがたかった。あれほどの/恐ろしいことを 耐えられたとは。/私は自分の魂に歌ってください、と告げた。//魂は弦が切れているのです、と言った/弓は 吹き飛ばされて粉々。/そこで修繕するための仕事ができた/次の朝まで//すると 昨日までを2倍に/したような巨大な昼間が/私の眼前にその恐怖を繰り広げる/眼を遮られるその時まで//私の脳が 独りでに笑い始めた/私は狂人のように 独り言を言った/その日が、何年も昔のことなのに。/でも今も、脳はヒクヒク笑っている>――
【それは私を苦しませるのを止めた】<もしかして私たちもかも、という疑いが/苦悶の極みにある/ふらつく心を支える。/足場を見つけるまで。//非現実はありえる。慈悲深い幻影が/生きることを可能にする/命を宙に吊るしながら>。<人は「時が癒やしてくれる」とよく言う。/実際には時は決して癒やしはしなかった。/実態をもった苦しみが強まる、/歳をとると、筋肉がこわばるように。//時は困難の与える試練/しかし治療ではない/治療だと証明するなら、/病気も全くなかった、と証明することになる>。原文には、末尾にダッシュが――
会社の女性との会話。吹き出しの言葉がリアル!「いやなんか、社長不在で…」「え~~~~」「午後イチでレスするって言ってたけど、どうなるか…」「………なに?こわいよ」“こわいよ”は手書き。「…うーん…合コンしない?」「なに急に!」手書きで直接背景で。「ごっ… …うこんとかは苦手だな~…!!」ゴチックで。「ダヨネ~…私も苦手…友達が誰か紹介しろってうるさいんだケド。ムシしよ」“ムシしよ” は手書き。この巧妙な表現術!個人的に「…」の多用がイイ。少し後、「この点々とかなんで丸で打つの?」って表現。これは嬉しい😉
先日読んだ『トランスジェンダーのなりたい~』との関連で成人年齢変更による特例法適応の下降修正が私はやっぱり気になりますが、これまでの当事者の努力を無にしないためにも真っ当な医療的措置が市場の触手に弄り回される前にせめてガイドラインの法整備ガンバレ~と思います。
【家族は孤立し傷ついているのに、それを共依存だと責めちゃいけない】成瀬医師は、<家族は責められないですよ。僕らがどこか冷めていて余裕をもってできることでも、これが家族相手だとそりゃあ一生懸命になるし、何かあったらどうしようと思うのは当然。だから、一生懸命になるのは責められないし、家族の労をねぎらことが第一だし、家族に余裕を取り戻してもらうために家族に関わるべき/患者の酒や薬物をやめさせる手段として家族を利用するというやり方には以前から違和感があります。家族を主役とした支援でなければならない>と。同感です!
【回復像がズレたまま支援が進むことへの不安】精神保健福祉士の高澤さんの話。<「回復」という言葉は、本人、家族、支援者、社会一般で意味がかなりズレやすい言葉/時には働くこと、「普通」を求めること、能力以上のことを強いるような暴力的な側面も持っている/「回復」の定義が曖昧なままで、本来の意味の浸透が不十分なままで、「どんな依存症も必ず回復する」といったようなワードが独り歩きするのは結構怖い/「回復」というある意味聞き心地の良い言葉の使用には慎重になっていて、特に家族とは>「目標」を確認し、擦り合わせつつ進む。
【やさしいということは、強いのです。それは、敵を打ち負かす強さとは違う、どんなに傷を負っても人の心にかがやくものを見失わずに生きていける力のこと】七尾は、<人間は醜い。この世界は冷たい。あたりを見回せば嘘と悪意ばかりが目について、敵だらけのような生きづらい場所で、ときどき無性に消えてしまいたくなる。でも同じ人間が肩をかしてくれることもあれば、世界がふいに微笑んでくれることだってある。神様とか奇跡としか言いようがないものが、本来ならお互いを知るはずもない私たちを出会わせてくれたみたいに>と――。うんうん……
【大学進学】父親は、「神はお怒りだ。お前は体を売って人間の知識を求め、神の恵みを忘れてしまった。神の怒りはお前に向けられている」と糾弾した。<父が立ち上がって部屋を出て行った姿は覚えていない。けれど、そうしたはずだ。私は座って、恐怖に縛られたように身を固くしていた。神の怒りは都市を荒廃させ、地球全体を水没させる。私は自信を失い、無力感に苛まれた。私は自分の人生が自分のものではないことを思い出していた。いつ何時でも私は体の支配を奪われ、天国まで引きずられていって、怒りに震える神と対面させられるのだ>と――
【信仰があれば、救われるのです】<爆発事故、そして火傷。神の力を示す生きた証になることは、最高位の霊的な名誉だったと父は言った。ねじれた指で私の手を取ると、自分の見目の変化は運命づけられていたのだと言った。それは神の優しい情けであって、神に自分の魂を届けたのだと。母は恭しく、囁くような声で告白を始めた。チャクラの調整をすることで脳卒中を抑止することができる、エネルギーのみを使って心臓麻痺を止めることができる、人々に信仰があれば癌を治療することもできる。母自身も乳癌を患っていたが、自らで治療した>と……
【糾弾した誰かに追随することは、とても簡単】学級委員長の手紙から。<自分の理念など必要なく、自分も自分も、と言っていればいいのですから。その上、良いことをしながら、日頃のストレスも発散させることができるのですから、この上ない快感を得ることができるのではないでしょうか。そして、一度その快感を覚えると、一つの裁きが終わっても、新しい快感を得たいがために、次に糾弾する相手を捜すのではないでしょうか。初めは、残虐な悪人を糾弾していても、次第に、糾弾されるべき人を無理矢理作り出そうとするのではないでしょうか>と……
「書かれなかった長編小説」<人生の過失に違いない。人生はその掟を強要する人生は道を塞ぐ。人生は羊歯の蔭にある。人生は専制君主だ。ああ、けれど暴力的だというわけではない。違う。私は自分が望んでやっていることをあなたに明言できるのだから。誓って言うが私は羊歯と薬味の壜、それにしみの浮いたテーブルと汚れた瓶のうえを渉ってくる強制力に突き動かされたのだ。私はその肉体のどこか堅固な部位に位置を占めてみたくてたまらない気持ちになった。頑強な脊椎のどこかに。私が潜りこめる、あるいは足場を見つけられるどこかに>。おお……
【何百万もの他の石のどれかであったかもしれない。でも拾われたのは私なのだ、この私、私】「堅固な対象」<ガラスは請求書と手紙の束のうえに鎮座し、素晴らしいペーパーウェイトになっただけでなく、書物のページからふと眼が離れた折など、視線の止まり木として絶好のものになった。考えごとの途中で何度も何度も視線の対象になったものというのはそれが何であれ、思索の織物と深く関係を持ち、本来の形を失い、少し違ったふうに、空想的な形に自らを作りなおし、まったく思いがけない時に意識の表面に浮かびでたりするものだ>。うん。イイ……
【30歳の男に様々な可能性が提示されているのに、彼が47歳の女性を選んだということ、それが許し難かった】『嫉妬』から。<彼が私を愛したのは、私がそう信じたように私が彼にとって唯一の存在だったからではなく、一人の熟年の女であり、非常にしばしば熟年の女を特徴づける要素、経済的自立、安定した地位、世話を焼く嗜好、あるいは少なくともその習慣、性愛における優しさなどを備えていたからにすぎないということ。私は自分がひとつの企画のシリーズに属し、その限りにおいて取り替えのきく存在であることを確認させられたのだった>と。
【中絶の権利を制限する動きは、世界の各地で起きている。一度獲得した権利だからといって、油断はできない】「解説」で、2022年における中絶に関する世界情勢を書いています。<女性が自由意志で産む・産まないを決定する権利は、現在では、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(生殖に関する健康と権利)として、広く国際的に認められている。だが実際には、世界全体で、中絶が全面的に禁じられている国が24,母親の生命が危険な場合にしか認められていない国が41もあるという。今後はアメリカ女性の数もここに加わるかもしれない>、と――
【祖父の顔】下半身不随で車椅子生活の武彦が、『カトリック生活』に書いた文章。<私の父は小学校3年の時、心筋梗塞で突然死んだ。それはとても悲しく、辛いものだった。そして今、祖父が死んだ。しかも日本二十六聖人が殉教した2月5日に天国へ旅立ったのは、祖父にとって神さまから贈られた最高の御褒美であり、祖父にとって人生の幕引きにふさわしい日だったに違いない。私の母が火葬場で遺骨が出てきた時、言った「おとうさん」という一言、母の中では、父、舟越保武だった。その言葉を耳にした時、自分の中で何かが変わった気がする>と――
【藤沢とパートナー選手契約を結ばなかった理由は――】宝良は、百花の上司・小田切に語る。「モモに近づきすぎるのは嫌だった。覚悟が鈍るような気がして/車いすテニスを始めたのは18の時です。国内のトップ選手に比べたら経験は段違いに浅い。中途障がいだから、物心ついた頃から車いすに乗っているような人たちに比べるとチェアワークも話にならない。とにかくがむしゃらにやるしかなかったんです。モモは友達だけど、馴れ合いたくない。どこまでもたった独りになって一刻も早く強くなりたかった。だから、藤沢にも関わりたくなかった」と……
【障がい雇用の義務化】宝良が所属するSCCの広報担当・諫見は語る。<達成できてる企業は少ないです。障がいをもつ人を雇うためにはハード面でも環境整備が必要で、それにはお金と時間と手間がかかる。そんな余裕はない企業も多いし、やっぱり、偏見もまだまだある。/だからね、君島さんをアスリート採用したのは決して慈善事業じゃない、うちの会社にとってそれだけのメリットがあるからなんですよ。あなたは障がい者だけど――ごめんなさい、あえてこの言い方するけど――法定雇用率を満たすのに一役買ってくれ>、会社の広告塔になる!と――
【支援対象に当てはまらない人への対応】<厳密に当てはまらない人に対するアプローチが制度としてあるもの、「こうしたツールがある」という次元にとどまっており、「そのツールを積極的に活用していく」というところまで至っていないというのが現状である。制度を運用している立場としては、人材面や予算面に限りがある中では、どうしても、支援対象の方に対して体重をかけて取り組むことが求められ、厳密には当てはまらない人にまで支援を行き渡らせることを徹底していくことは難しい>と。確かに。ケア現場だって手のかかる人にばかりに、ね……
【共生型サービス――制度をまたいで一体的に人や施設を活用する】<福祉の世界は離職率が高い。人と人とのコミュニケーションが中心となる業界だから、「対人関係」で悩んだ場合には、離職ということを選択してしまうケースが後を絶たない。/保育士が母親とのコミュニケーションで疲れ果ててしまった場合などに、再び保育現場で働くことは難しいであろうが、「人を支える仕事をしたい」という考えを持つ才能があるのだから、介護現場や医療現場で働くことができるようにすれば、貴重な福祉人材が他の業界に流出してしまうこと>避けられると――。
ネギっ子genさんこんにちは。話がそれるかもしれないけど、最後は「ひと」なんですよね。いろいろなんちゃらAIとか無人化とかセルフとかいうけどそんなもので大事なことはできない。対面の大事さ。すぐにメールとかSNS(Xとかインスタ)でなんかしようとするけど大事なところはそれじゃダメで。別レビューの【人と人との出会いは必ずその痕跡を残す】とはまさにこれで。ひとと顔を合わせてやりとりしたことは強く残ってる。投資もひとと顔を合わせずやろうとするとんちきもいるし参った。
sleepyさん、コメントありがとうございます。「対面の大事さ」はその通りですよね。昨今は企業でも、リモートワークだけに限定すると社員同士の接点が薄れたりするので、対面コミュニケーションによるメリットを生かす仕組みへと移行していると聞くし。研修だって、オンラインだと他の研修参加者との情報交換もできませんよね……。本書では“コミュニケーションの大切さを体現する”矢彦さんの存在が光ります。
【“いい子” 神様から見てもまた、私はそんな子ではなかった】<7歳のときの初めての告解で、私は白状した。「独りで、または他の人と共にやった悪い行い」は、今日では正常な性の目覚めに属するものだったのだが、神父によれば、自分を地獄に落とす行為だった。/私がよい子でないことは、寄宿学校の女性校長がある日、鋭い眼光で私を射抜きながら次のように言い放ったことにも裏付けられていた。「テストでいつも満点を取っていても、神様のお気に召さないこともあるのですよ」。私は、宗教的な事柄への渇望を態度で表すほうではなかった>と。
【もちろん、私は母が大好きだった】<近所の人たちが言うには、彼女は別嬪で、私の顔立ちは母親の「方の」系統なのだった。/あなたに手紙を書くことは、取りも直さず、物語の保持者であり、判定の宣言者であった彼女について絶え間なく話すことだ。彼女と私の間の闘いはけっして止むことがなかった。ただ、彼女の人生の終わりの時期だけは別だった。その時期には、あの人はあんなにも惨めになり、理性喪失の中に迷い込んでいた。そして私は、彼女に生きていてほしかった。彼女と私の間の関係、それは言葉の問題だった>と――。うん、わかるな……
「年寄りは集まって住め」って、年寄りだけで集まれ、っていう話?って思ったら、結局のところ、みんなでいっしょに(「ごちゃまぜ」で)適材適所で暮らしましょう、っていうことなんですね。そりゃね。…何にせよ、高齢者からの自己決定権はく奪の有様には、母見ててホントに驚きました。変わってほしいよー(・_・、)。
ええ、確かに、誤解されそうな題名ではありますよね。要は「良い環境に身を置きなさい」ということ。孤立を避ける。出会いがある場。運動にしたって、独りでやるより「誰かと一緒に運動する」方が効果的。「よく会う友人の種類の数が多い」ほど、歯が多く残っているという調査も本書で紹介しています。自己決定権剥奪は何とかしてほしいですよね。作業剥奪と併せて!
【自分のことばっかり考えている状態が長く続くと、鬱状態になる】<自分の内側ばかり見て、自分のことばっかり考え続けていたら、それはやっぱり自家中毒になりますよ。エネルギーも循環していかないし、自分で自分自身を責めて、責め続けて蝕むことになる。そして他の人がしてくれることにまったく感謝できなくなる。そういう状態が続いたのが、鬱病の直前の状態というもの/そういう時って、決して周囲に感謝できないし、人の気持ちも見えないのに、自分を大切に出来ない。寒いのに、眠くならないように暖房もつけずに仕事を>していたり、と……
【弱っている時は無理をしない】<じっと時の流れに身を委ねて、そういうだめな時の自分だからこそわかること、学べることが起こっているんだと思えばいい。/大きな悲しみに見舞われた時の不可抗力な流れは、それを知るための大切なチャンスでもある/自分に何が必要で、何が必要じゃないか。大きな運命の流れが見える瞬間ですよね。そうしたら抗わずに、その流れに素直に従ったほうがいい。去っていく人は、自分の人生の流れにはいなかったんだな、と。/諦めや自分の限界を知ることも、生きていく上では大事なことなんだと思うんです>と。ええ。
【入居一時金が高い部屋で4億7千万円の「サクラビア成城」】<建物の中にクリニック、カルチャー教室、フィットネス、レストランから、シアターなどのエンターテインメントまであって、全てがパッケージになっているから、まるで豪華客船>のような施設。どんな人が入居してるかの質問には「秘密」ということなので、新聞の訃報欄で調べると、<元セコム取締役、京都府立医大名誉教授、日本歌人クラブ元会長、小田急電鉄取締役、元東京工業大学学長、大手ゼネコンの元副社長、声楽家>などの名が。まさに人生の成功者が住む丘の上の豪華客船――
【リゾートホテルのような、相模湾に臨む「中銀ライフケア熱海第三伊豆山」】“隠蔽体質”に入居者は、「結構、お亡くなりになる方が多いんです。訃報を聞くと、『えっ』ってなもんで。だけど、あんまり言わないんだよね、中銀のスタッフは我々に。隠蔽主義なのか、教えてくれない。聞くと『そろそろ危ないかも知れません』『もう、お帰りにならないかもしれません』なんてね。その辺のことは詳しく教えてくれない。/『私から言えません』とかね。変なルールがある」と。それに対して著者は、<さすがに、それは無理もない気がする>と。同感です。
今さらながら、凄い作家だと思う。“フォークの神様”ボブ・ディラン氏が、2016年に歌手として史上初のノーベル文学賞を受賞したように、漫画家としてノーベル文学賞を受賞する日が来ることが夢想する――。(本来は、あの手塚治虫が『火の鳥』などで受賞していて当然の話と思うのだが……)
【根源的罪悪感】<酸素を吸ってすみません。世界の一隅を占有してすみません、というこの感覚は、生育過程において親・養育者などによって、どんなあなたでもいいわ、あなたがそこにいいてくれて幸せ、というメッセージを言語的・非言語的に受け続けることで次第に軽減されていく、という。しかしそんな親ばかリではない。あなたを生んだからこうなった、どんなに苦労して育てたか、などと、日々の苦労やこれまでの挫折といった負の感情を>――。わたしも、いつも夫婦喧嘩の仲裁をしながら、私の幼少時の育てにくさを何度も母から言われたっけ……
【アディクションの臨床では、先進性を持っている一方、現場では矛盾が露わに――】「精神医療からの逃走」<依存症者たちの魅力によって隠蔽されがちだが、医療のヒエラルキーは現在に至るまでほとんど変わっていない。そのことを精神科医療で働くコメディカルの人たちは痛感している。精神科医個人がどれほど善意であっても、システムそのものの支配構造と厳然たる給与体系における格差は、私たちにとって屈辱的でありプライドを傷つけられるものでしかない。それを言い募ることの惨めさから多くの人たちは言葉を吞み込んできたのだろう>と……
【「子どもらしさ」という呪い=「らしさ」の9割は私の人生において敵である】<この「らしさ」という言葉ほど、私に呪いをかけてきたものはない。「子どもらしさ」とか「子どもらしく」という言い回しは私の人生のもっとも初手で待ち受けていた呪いといっていい。/私はいつもどこかこの「子どもらしさ」とズレていた。「子どもらしさ」どころか赤ん坊の頃からすでに「赤ん坊らしく」なかったようである。たとえば私は抱っこされるのがとっても苦手で、誰かに抱っこされると嫌がって「おっぺす(押し返す)」のが通常の反応だったそうである>と。
【もう「子ども」でない私に「子ども」の声を語れるか】<考えてみれば、女性の当事者運動や障害者の当事者運動はあっても「子どもの当事者運動」は、もし生まれたとしても突発的なものになりがちだ。「女性である」「障害者である」といった属性は継続的な場合が多いが、「子ども」は生きながらえていれば必ず「大人」と呼ばれる年齢になってしまう。そして当事者として主張できればできるほど、「子どもの当事者」というよりも「成長しつつある大人」とみなされてしまう。私がこの論考を書くにあたって七転八倒した理由はまさにそこにある>と……
ネギっ子gen さん、こんにちは!修道院ってトラピストのバターとか、フランスのシャルトリューズの薬草酒とか、健康に良いイメージありますね。ヒルデガルトさんの修道院はまだ続いているのでしょうか?
たまさん、コメントありがとうございます。ドイツ薬草学の祖と言われていて、 彼女が1165年に建てた修道院『聖ヒルデガルト修道院』が、今でもドイツのラインガウ地域のリューデスハイムの丘の上にあります。ご興味があれば、『聖ヒルデガルト修道院』で検索してみてください。
【集団というのは厄介なものだ。一塊になると力が発生する。力は良い方向に働くとは限らない】「深夜の散歩」メンバーが増え……。<おおごとになってしまったな、という懸念は、わずかにある。人が増えれば増えるほど行動の自由は制限されるし、もめごとがおこる確率もぐんと上昇するからだ。友人と集まるのも、3人ぐらいがちょうどいい。それ以上人数が増えると会話が難しい。特定の人物ばかり話しかけるのも気が引けるし、かといって全員とまんべんなく話ができるほど器用でもない。そうこうしているうちに、たいていは自分が喋らなくても>……
【家に帰りました。無事です。いろいろ、ありがとう】元恋人・伊吹さんからメッセージを受け取った實成は、あれこれ想う――。<伊吹さんからのそのメッセージは、朝ちょうどに送られてきた。訊きたいことは山ほどあったが、山ほどの問いは人を追いつめる。何度も読み返すうちに「ありがとう」のあとになにか続きがあったんじゃないかな、と思えてきた。伊吹さんはテキストメッセージにちゃんと句読点を打つタイプの人で、だから「。」のない「ありがとう」に、なんらかの逡巡が読み取れる。いろいろ考えているうちに頭がぼうっとしてきた>と――
【幼児虐待の被害者である子供たちも、ある種の“ストックホルム症候群”に分類される症状を発症している】“ひきこもり”の、なぎさの兄・智彦は言う。「長い間の軟禁と、虐待生活。加害者は愛するべき、そして自分を愛しているはずの親だ。どうなる?彼らは虐待されていない正常な子供よりも激しく、悲しく、親を慕うようになる。彼らは親を悪く言わない。それどころか自分を責めている場合もある。だから発覚しづらいんだ。間違った脳の作用によって、彼らはつまらない親たちに激しい愛情を感じている。そこに悲劇がある」と――。ええ、ええ……
【藻屑に怒っているわけでもなかったし、ただ……要するに、ひいたのだ】なぎさの思い。<あたしは親にも兄にも友達にも口にしなかったけれどじつは自分の境遇にたいそう不満を持っていたので、どうやらいつのまにかその不満というか不幸があたし自身の個性というか自己イメージになってしまっていたようだった。自分は不幸だ、かわいそうだ、と思うことがあたしを支えていて、それが将来の見通しまで全部に関わっていた。そんな不幸観に凝り固まっていたあたしにとって、もしかしたら自分よりもっともっと不幸かもしれない海野藻屑>に――
【「毎日のほん」で「本を紹介するのが本屋の仕事」とい、前から思っていたことを形にできた】<ウェブサイトを開くと、トップページの右端に「毎日のほん」というコーナーがあります。そこでは毎朝8時になると、その日の日付と、その日紹介する本の書名、著者名、出版社名、140字程度の紹介文が自動的に更新されるようになっています。140字程度というのは、ちょうどツイッターで紹介できる程度の文字数ということです。>と。わたしは、この書評を一冊の本にした『365日のほん』によって著者を知った。その見事な紹介文の数々に唸る……
【その日に入荷した新刊やロングセラーを、写真をつけてツイッターで紹介】<そこでは、「その本はどこがすばらしいのか」ということを考えながら短い文を考えます。文章がよい、装丁がその本と合っている、その本の言わんとする考え方がすばらしい、今、出版されることに意義がある……。その本を手に取り、ぱらぱらめくって眺めながら、思い浮かぶことを2、3のセンテンスにして言い切るのです。またその際には、なるべくその本の帯などで宣伝している文句とは重ならないように気をつけています。表紙の写真を撮り載せているので>、と。そう……
【医療の力なんて、本当にわずかなもの】哲郎は、「医者がこんなことを言ってはいけないのかもしれないが」と言いつつ南に語る。「人間はどうしようもなく儚い生き物で、世界はどこまでも無慈悲で冷酷だ。そのことを、私は妹を看取ったときにいやというほど思い知らされた。/だからといって、無力感に囚われてもいけない。それを教えてくれたのも妹だ。世界にはどうにもならないことが山のように溢れているけれど、それでもできることはある/人は無力の存在だから、互いに手を取り合わないと、たちまち無慈悲な世界に飲み込まれてしまう」と……⇒
「手を取り合っても、世界を変えられるわけではないけれど、少しだけ景色は変わる。真っ黒な闇の中につかの間、小さな明かりがともるんだ。その明かりは、きっと同じように暗闇で震えている誰かを勇気づけてくれる。そんな風にして生み出されたささやかな勇気と安心のことを、人は『幸せ』と呼ぶんじゃないだろうか。/医療がどれほど進歩しても、人間が強くなるわけじゃない。技術には、人の哀しみを克服する力はない。勇気や安心を、薬局で処方できるようになるわけでもない。/夢見ている間に、手元にあったはずの幸せ」は消え去ってしまうと……
【目的と手段】<僕は若い頃から社会運動には人並み以上の関心を持っていましたから、社会運動が陥る罠のようなものにも敏感でした。僕が警戒していたのは、社会運動が「自己目的化」することでした。社会運動が社会運動のために行われているように見えてしまうことを何としてでも避けなければならないと心に誓っていた>と。これは、よくわかる。50年以上を優に超える昔、70年安保で大学の入学式などが中止になった時代。高校生の私はフランス革命の本を漁る中で、「目的は手段を正当化するか」という言葉に出遭い、爾来、運動から距離を――⇒
【社会運動に携わることが“結果として”何らかの充実感をもたらすことは事実】著者は、住民運動に関わる中で“充足感を得ている”と気づいた体験に基づいて、<「遊びとしての政治」という言葉を使うにあたっても、僕は大変な緊張をしています。僕のこの言葉遣いで、あの運動自体が否定的に評価されることもありうるだろうと思うからです。しかし、目的合理性だけにとらわれ、遊びを全く失った社会運動のようなものがあったら、それは恐ろしいものではないでしょうか。それはあらゆる手段とあらゆる犠牲を正当化する運動に他なりません>と。ええ。
ご一緒できて嬉しいです♪そして好い感じに熟成されたご感想にほほ~ん♪シロさんの周囲は「大人」が多いですね( *´艸`)・・・何を隠そう、私もあれがマウントとケンジさんに言われるまで気づかなかったです。相変わらず愚痴っぽい兄ちゃんやな~って思ってましたよ。修行が足らん(笑)
【競技用車椅子の需要はない】自身が車椅子ユーザーである、藤沢由利子・藤沢製作所社長の言葉がイイ。「それは障がい者スポーツがまだ広まっていないからであり、広まらないのは環境が整っていないからです。日常生活以上の活動を望むユーザー、スポーツで世界に行きたいと望むユーザーは確実に存在します。障がい者というと、まるで異質な存在であるかのように聞こえるけれど、それは絶対に違うのですから。障がいと呼ばれる特徴をもっているというだけで、私たちもあなた方と何も変わらず誇りがあり、生きる喜び」や夢を持ち、追いかけたいと――
【自分が苦しめば苦しむほど彼女たちは嬉しそうだった】百花にとって、中学は小学校から続く暗黒時代。標準体重より大幅に太ってると、女子3人組に「さっさと死ねよモモ豚」「あんたのこと見るとストレス溜まるんだよね。ほんと迷惑なんだけど」など虐められ――。<笑われれば笑われるほど自分がしょうもない、価値もない、生きる意味もないゴミ屑になったような気がして本当に彼女たちの言うとおり消えたくなった。したたか腹を蹴られた時、今ここで大量に血を吐いて絶命したら、彼女たちは少しでも後悔するだろうか、と蹲りながら思った>と……
【「訪問介護サービス」基本報酬の引き下げは、厚労省の失策】<介護報酬の仕組みは「基本報酬」と「加算」とに分けられる。基本報酬は単に介護サービスを提供すれば得られる報酬である。しかし、「加算」を得るためには、いくつかの条件をクリアした介護事業所でなければならない。例えば、「より多くの専門職が配置されていること」「従業者に適宜、研修がなされていること」「ICTなどの介護機器等が活用されていること」などである。厚労省は、深刻化するヘルパー不足問題を優先して「処遇改善加算」を最大限考慮したという>と。いやぁ……⇒
<これらの施策で訪問介護サービスが拡充するはずがない。在宅介護を推進させるのであれば、本来、日々、訪問介護事業所の供給増を目指さなければならない。確かに、ヘルパーの賃金引き上げも重要だが、介護事業所へ「訪問介護」事業を前向きにさせるインセンティブを与えなければ供給は増えていかない。「加算」といった、既述の条件付けの収入源を提示しただけでは、訪問介護事業へのインセンティブは働かない。まして基本報酬を現状維持どころか引き下げたことで>、現実として、全国の訪問介護事業所が事業から撤退している。介護は危機的状況!
【抑圧を内面化し自己否定思考に支配されると「こんな私に夢なんて」と諦めがちになる】<それこそ自分へのケアを失ったケアレスな状態なのです。どんな小さいことでも良いから、まず自分が「夢を持ち始める」。そして、そのことを、信用できそうな他者に伝えて、「夢を夢を追い求める」サポートをしてもらう。それが、ケア的な関係性を築く築く上での土台になります。その際、じっくり話を聴くことなく、「そんなの無理だ」「」やめておけ>など頭ごなしに査定や批判の眼差しを注ぐ人がいたら、それはハラスメント的な関係性>なので、縁を切る!⇒
【「夢」を否定せずに追い求めるのを応援してくれる人を探し始めよう】<そのためには、あなたも他者の「夢」を否定せずに聞いてみることが大切かも知れません。あなたが他者の他者性を否定せずにその「夢」を聞くことができるなら、相手もあなたの「夢」を聞いてみたいでしょうし、それを否定しないでしょう。そんな「夢」を語り合う仲間を増やしていく中で、「共に思いやる」関係性が増えていきます。このような「共に思いやる」仲間を増やしていく中で、自己否定や抑圧的な感情や価値観は少しずつほぐれ、「夢を生きる」準備ができてくる>と――
【僕は芸人になって1年目の冬に最愛の母を失った】そして、<悲しみをいかに笑いに変えるか。気がつかないうちに、それが自分の作るネタのテーマになっていった。この日記に付き纏う物悲しさ。これはやはり母の死が原因なのだと思う。/川嶋佳子はとにかくついていない。しかし彼女は自分の不運を客観的に見て、自分に舞い降りる不幸に意味を持たせることで日常を楽しんで生きている。その姿勢こそが僕がテーマに掲げていることであり、この日記に触れた方に伝えたいことなのである。些細にことに苛々して何になる。声を荒げて何になる>、と――
【本編の日記より】<7/16(月) 何気なくテレビを見る。何気なく、でしか見ていない。あんな端正な顔立ちの男女の恋物語、誰が見たいの?そう思いつつも結局毎週見て、やきもきする。自分を客観視できてる分まだチャンスがある、と思っている。何かに夢中になりたいな>。<4/30(火) 私の体の70%は、罪悪感でできている>。<5/28(火) 一人でいることに寂しさを感じるようになってきてる。暗闇が心地いい。私はひとりだ。結局ひとりだ>。<5/29(水) ぐらぐら、ぐらぐら。自分が自分じゃないみたい>。
「はじめに」土井:<なんか今日は出だしから、ええ感じに、大阪の言葉が出てきます。なんでやろ。ここは素直になって書かなあかんと思てるからかもしれません。いつも思うんですけど、大阪の言葉は、地球とつながっていますから、ウソ言われへんのです。土地の方言ってそういうものやと思います。「ええかげん」はええこと悪いこと、ぜんぶ含まれています。ええかげんの中に全部あるんです。そらそうでしょ。あなたと私のあいだにあることを言ってるんです。あなたが損して私ばっかり得してたら、あかんでしょ。/勝ったり負けたり、でいい>と――
【偶然を受け取る力を鍛錬する】土井:<石川九楊先生という、私がとっても敬愛する書家の先生は、昨日と同じ字を書こうとはじめっから思っていない。常に新しい字を書く。その新しい字というのは、どこから生まれてくるのか。ポッと、ピッと、跳ねた、そこに今日の新しさがある。それに呼応して、今日の新しいものが生まれるというのです。昨日と同じものをやろうという予定調和ではだめなのです。同じ物をつくるのは機械に任せておけばいい。同じ物をつくれない機械は、役立たずだから廃棄されるんです。だけど、人間はその反対で>、同じはダメ。
ご訪問していただき
深く感謝しております。🙏
読友さんたちのレビューなどを読むことで、
多くの良き本に出逢え、有り難く思っています。
【お気に入りについて】
悠々自適のシニアライフになる筈が、根が貧乏症なためか、
相変わらずの忙しない日々で、やれやれです。
で、直近の課題は、古典の精読。
その時間確保で頭を悩ませているのが「お気に入り」への対処。
「承認欲求」と「数字の魔術」に未だ囚われていますので、
「お気に入り登録」して頂けると正直嬉しく、こちらもお返し登録したい。が、(当方のキャパ以上に)「お気に入り」の方が増えたことで、
レビューを読むことに時間がかかりすぎる現状が、悩みの種に。
そこで、当方が「お気に入り」登録する方は、
共読本が多くて、交流のある方のみとします。
交流の基準は、ナイスで判断するしかないと考えているので、
共読本以外の本のレビューを読んでいる(判断はナイス)方とします。
ただ、あくまでこれも原則です。
どうしても例外事例が出てくるのが困るところで……
何卒、ご理解を。m(__)m
【引用について】
気に入った文章を脳裏に刻むため、
引用多いです。
そして、その引用は、
コメント欄まで侵略し、
もう、ね……
引用文は、< >内に。
略す場合は、/ を使用。
極力、原文そのままを目指すが、
255字内に、収めきれないため、
ひらがなを漢字に変換する
などの小細工をしてしまう。
その度、無念の思いを――
【語尾が曖昧です】
過度に自信のないタイプです。
それが文章にでるのでしょうね……
末尾が「……」となるのが多いです。
どうか、お目こぼしを――
これからも、本や読み人との、
素敵なご縁を願って――
ネギっ子gen 拝
※2023.11.8 改定
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【医療の力なんて、本当にわずかなもの】哲郎は、「医者がこんなことを言ってはいけないのかもしれないが」と言いつつ南に語る。「人間はどうしようもなく儚い生き物で、世界はどこまでも無慈悲で冷酷だ。そのことを、私は妹を看取ったときにいやというほど思い知らされた。/だからといって、無力感に囚われてもいけない。それを教えてくれたのも妹だ。世界にはどうにもならないことが山のように溢れているけれど、それでもできることはある/人は無力の存在だから、互いに手を取り合わないと、たちまち無慈悲な世界に飲み込まれてしまう」と……⇒
「手を取り合っても、世界を変えられるわけではないけれど、少しだけ景色は変わる。真っ黒な闇の中につかの間、小さな明かりがともるんだ。その明かりは、きっと同じように暗闇で震えている誰かを勇気づけてくれる。そんな風にして生み出されたささやかな勇気と安心のことを、人は『幸せ』と呼ぶんじゃないだろうか。/医療がどれほど進歩しても、人間が強くなるわけじゃない。技術には、人の哀しみを克服する力はない。勇気や安心を、薬局で処方できるようになるわけでもない。/夢見ている間に、手元にあったはずの幸せ」は消え去ってしまうと……