→よく考えると最近数十年の世界がそうだからと言って立場が異なる人が分かり合えないと決めつけるのは早計だし子供に夢を語らない理由もないわけです。それにもちろん雲の上の住人は道徳的に地上人より優れているので。ジャイアンのあとがきがよかったです。
→そのような時代には従来のような思想の正しさは問われず、誰が見てもわかるキャッチーな話題と経済的な成功による勝利者のみが影響力を得るというツイッターみたいなことになります。ゼロ年代の東浩紀はそこに自覚的にふるまい、身内に閉じた狭い世界(オタク化した社会)を説明することに成功し、一人勝ちしました。その後のテン年代も思想市場は縮小し続け、誰も賢者の言葉を求めないけど経済的な成功者のみが声を届かせられるという末期状態にある、そうです。→
→この本で語られるのは「一般人から見た」「わかりやすくした」「売れている」思想史なので専門家から見ると全然違うものが出てくるかもしれません。なにより「構造と力」から始まるとは思えませんし。その場合は現状認識はどうなるんでしょうね。私の感想はというと、常識だと疑いもしなかった思考様式が最近40年でできた可能性を示唆されて衝撃を受けています。違和感なく読んでいる昔の私小説の登場人物は私と異なるパラダイムを持っているかもしれないのです。
→さくらも周りもいい人ばかりなので勇気をもって話しかけることが解決につながっていきます。慥かにルッキズムが最悪なのは表向きは「あるまじき」事になっているのにその実在を誰も疑ってないところだと思うので、これでテーマを描けてはいるはずですが。それにしても、自分勝手に納得して楽になるために正論を娘に押し付けて我慢させる母親は妙にリアリティがあって面白いです。
気になって軽く調べてしまいました。なぜでしょうね。国会図書館デジタルコレクションによると、戦前もごきぶりの語はあり、衛生害虫という認識はされていたみたいです。「沢山いて台所の壁を常に這っている」「かじられた食物は臭くなる」等の内容の記述を見つけました。ただし油虫が一般使用されていたみたいです。「油蟲 一昨日来いと 捨てられる」など、駆除されるものではあったみたいですが、戦前の文学でゴキブリが語られる例をあまり見つけられなかったので今ほど嫌われていなかったかもしれません。→
→多分蚤虱鼠への憎悪が強すぎたせいでしょう。一番すごいのは北原白秋『油蟲』(大正5)で舞台も文体も少女趣味なのに内容は凄まじく気持ち悪いのでおすすめです。これがなぜか「現代女子文学読本」(大正14)に採録されているのでロマンチックなんでしょうね。ハレルヤ…ハレルヤ…。よく考えると戦前日本は農業国であり、ゴキブリになれていたのでしょうね。
せっかく神になったのに次の虐殺の時は助けてくれません。多神教の世界観はそういうものかもしれませんね。一方でキリスト教を皮肉ったような展開もあり、カオスと秩序の対立にその二つを置いている節があります。が、そんなことよりナンセンスな道中の方が大事です。
もちろんコロナが流行れば復活の日が売れますしワーキングプアの時代には蟹工船がベストセラーになるのです。書評家はその切実さの後押しができるとみることだってできます。そっちに軸足を置くのは批評家だとしても。
→こちらが前のめりになる話題をまず常に振ってから論を初めて焦らしにじらしていきます。仏教の空が不問にしてしまった地の認識/固有名から記述されうる特徴を削いでいっても最後まで残る変なの/贈与者を無限に延長した末にいる概念上の装置みたいな他者/など、非常にややこしい話に分け入るので著者の知識の広さにとにかく圧倒されます。特に曼荼羅vs磔刑図の下りはほとんどソーカル論文みたいにすら見えます。なのに、なぜかいつも結論は非常にわかりやすくて騙された気分になります。→
→たぶん重要なのは著者のややこしい考えを追う課程の方です。確かに役立ちそうなパーツをいろいろ拾えて儲かりました。例えば他者の究極の贈与によって自己が存在するという話は少女革命ウテナとかピングドラムの主題をほのめかしているように見えます。本書で示されているかなり大胆な結論の妥当性の方は本職の賢人たちにお任せするのでちゃんと議論してくださいね。さて、この巻だけでは最も大きな疑問(なぜ中国は負けたのか)の答えは出ませんでしたが、その輪郭は見えてきた感じがします。気になるので近代篇もそのうち読みます。
脱臼しましょう
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