昼過ぎ雪が小止みになって、買い物へ。でも、ほんとに小止みだった。3時頃、折角 除雪したのに、二時間も経たないうちに元の木阿弥に。今夜にも峠 越えないかな。また、会社から帰ったら除雪が待ってるよ。
(中略)メビウスの輪のようなものか。表の面をなぞっているだけのはずなのに、いつしか裏の面へ辿りついてしまうようなものか。違うのは、元の表の面に戻れるかどうかは定かではないこと。何処か世界は幾重もの時空の積み重なり。しかも、異次元の世界は何処かポール・デルヴォーの描く夢の夜の街に迷い込んだような。遠く彼方にあるのではなく、足元のマンホールか水溜まりのように潜んでいる。ミルハウザーの世界に嵌り込んだら、抜け出せなくなるかも。というか、戻る必要もないのかな。
前半は、呼吸のメカニズムが徹底解説されていて、我輩にはやや高度な内容だった。 後半は、スポーツや運動を呼吸の面から科学していて、日常における呼吸法も話題にあり、幅広い方に参考になるかも。
本書に関連しての話題は、拙稿「BSで高橋真梨子特集に遭遇」にてあれこれと:http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2022/02/post-7b8f03.html
一昨年だったか、新型コロナが流行り始めた頃、空気感染しやすい、クシャミはもちろん、息を吐くだけでも移るという話の中で、エアロゾルという科学用語がマスコミでも使われ出した。本書の刊行は昨年の八月なので、その関連も話題に出るかと思ったが、全くの空振りだった。新型コロナのウイルスが、黄砂…でなくとも、中国からの大気の流れに乗って日本などにも飛来することが全くないのか、知りたいものだ。あるいは早くから飛来していて日本などアジアは少なくとも当初は多少の免疫があったのではと、素人らしい憶測を逞しくしたものである。
最後に本文でも触れられていたし、「おわりに」でも言及があったが、「大気微生物に限らず、フィールドに出て地道にデータをとるような、明日、明後日すぐに役に立たないような研究がじつは科学にとってとても大切なのですが、現在はそうした研究が行いにくくなっている」ことは非常に気になるところだ。この点は、細菌に日本の一般向けサイエンス本に共通して言及されているという印象を受ける。目先に役立つことも大切だが、中期長期の視点で科学技術研究が後押しされる国であってほしいと思う。
Vシネマの原作に相応しいような内容であり読み手を退屈させない物語の意外性と展開の速さ。話が進むほどに人間の殻が剝ぎ取られ、己が何を求めているか、何物なのか、何物でもないかすらが露わにされていく。ギリギリまでの激しい鬼畜めいたセックスと暴力の果てに、ようやく真実らしい恋に遭遇する。逆に言うと、そうでもしないと人の本心は剥き出しにはならない。
臆病なのか保身なのか。無難に生きる世間の生き方が嫌だからこそヤクザや美人局になったりするのだが、むしろそうした裏社会のほうが身を守るサバイバルの武器が研ぎ澄まされていくという矛盾。まずは最後まで読ませてくれた。
折口の仕事を世に出したのは、最終的には国文学者の芳賀矢一の力によるとか。折口の恩師・三矢重松が知己の芳賀にたのみ、芳賀を推す文会堂の口訳シリーズに折口の仕事を入れてもらった……。
731部隊の医師の一部が戦後国立感染症研究所を作ったそうです。今回のコロナ対応の遅れとかワクチン利権とか相変わらず国民より自分達と言う組織の論理は受け継がれていることに驚きます。
ガラスの文鎮(文鎮城)さん 本書の中でもそういった記述がありました。現場を知らない(関心の薄い)政府に繋がる感染症研究所員と、現場で患者らと対応する医師や保健所、介護現場との乖離はひどい。
解説の倉持氏が解説の締めとして、著者の締めのフレーズを選んでいる。ここでも転記しておきたい:「感染症は医学だけの問題ではない。生態学も、文化も、都市計画も、歴史的な側面も関わる。こうした複雑な相互影響の関りの背後で、感染症に対してより広範なアプローチをしようという動きが広がっている。簡単なことだ。感染症に、人間の臨床的視野だけでなく、他の動物、環境、そして私たち人間の文化の観点も持ち込めばいいのである。」
流れ流れて沖縄…那覇へ。都会ではなくツキヨのことを誰も知らない彼女からしたら僻地へ(沖縄は都会からの観光客が多いし、女を買いに来る男も多いはずだが)、少しでも暖かいところへ。既に三十路で体を売れるのも先が見えている。その沖縄で見つけた場は、様々な人間の吹き溜まり。宙ぶらりん。誰ももうこれ以上行き場がない。仲間たち?に囲まれ、居心地がいいかのように感じる。周りが傷を負った人たちばかりだからこその不思議な揺蕩い感。このままでもやっていけるのかもしれない…。
こうした小説でしばしば隔靴搔痒の感を覚えさせるのは、大概の小説がそうだが、書き手に何処まで自ら癒えない傷を負っているか見えないこと。所詮は書き手の題材じゃないのかという不信感めいた情が漂ったりする。作り事なんかに騙されないぞという読み手の用心深さ…怯えなのかもしれない。その点、本作はツキヨは海まで光まで5分でダイブできる、生と死の狭間に漂ったままでいる感は、最後まで嗅ぎ取れていた。解説は海原純子(うみはらじゅんこ)氏。嘗てテレビでも活躍していた心療内科医。解説も作品の読みに参考になる。
漱石はさらに、友人への手紙の中で、明治天皇の崩御の際、殉死が何件か起きたことに対し、マスコミが持ち上げる風潮にも苦言を呈していたとか。昭和天皇の不例の際の、世の中の委縮ぶりを思い出す。マスコミも理性を失って同調していたっけ。怖い。そんな中でマスコミ人は理性を貫けるだろうか。
同調圧力は、昨夏のオリパラでも強烈だった。バブルの中を守るため、外部の一般人などどれほど過大な犠牲を払ったことか。特にマスコミの責任は大だ。日本のマスコミは情けない。節操がない。これじゃ戦争だという国やタカ派の圧力に対抗出来そうにない。
とにかく面白い。原注も充実していて(80頁!)、吾輩は欠かさず読んだ。興味を覚えた話題があれば、参考にすべき文献が示されていて、まさにガイド本としても目配りが利いていて、貴重なのである。
このガイド役はつまりは無類の専門家であるグリーンであることは言うまでもない。とにかく面白い。原注も充実していて(80頁!)、吾輩は欠かさず読んだ。興味を覚えた話題があれば、参考にすべき文献が示されていて、まさにガイド本としても目配りが利いていて、貴重なのである。
本書については、随時呟いてきた。(中略)まあ、きりがない。実に深く広く且つ面白い書だ。このままではメモやら呟き続きになり、読み進められないとメモは早々にやめてしまった。 http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2022/02/post-af9bef.html
「ある種の探究は、要求することが無限にあるために、その探究に乗り出す者を孤立させる。その孤立が感じ取れないこともある。だが、自らを深化させる人間は、いくらひとに会い、彼らと会話を交わし、議論をしても、結局は自らが本質と思うものだけをとっておき、自分の大いなる構想には無用と感じるものしか他人には打ち明けない。」そう、大いなる構想は作品の中に、制作する過程の中に息衝くしかない、そのことを知るのがドガであり、ヴァレリーなのだということだろう。
著者は長くニホンザルやチンパンジーなどのイギリスやアフリカなどで研究を行ってきた。嘗てのアナログな研究生活が興味深い。最後の章は、「私の動物行動の研究がヒトの進化的理解にどのように発展したかについて、とくに性差とジェンダーの問題を取り上げて論じてみた」。正直、著者自身語るように、「まだ道半ばの探求なので、読者にとっては、歯がゆいものに終わったかもしれない」。まさに吾輩が語るのは僭越の極みと思いつつも、ずっと歯がゆかった。専門の領域を一歩でも超えると、関心の深さ強さに関わらず、まさに読んでて歯がゆい。
たまたまいま読んでいる<ブライアン・グリーン著の『時間の終わりまで 物質、生命、心と進化する宇宙』で、やや重なる話題が(も)論じられていて、痛感させられたのである。グリーンは、物理学者だが、その素養の幅は想像を絶して広く深い。宇宙論は元より言語学、動物行動学、宗教学、脳科学、人類学……。肝心の進化生物学に限ってもグリーンの視野は広い。尤も、長谷川の『私が進化生物学者になった理由』は、ヒトの進化的理解を専門に扱った本ではないから、比べるのは筋違いかもしれない。にしても、論の展開の鋭さ視野の広さの違いは……。
読むこと、書くこと、居眠りすることが好き。生活のために仕事も。家事や庭仕事もなんとか。
読書は雑食系かな。でも、読めるのは月に十数冊なので、実際には幾つかのジャンルに限られてるみたい。
苦手なのは、専門書や法律、マニュアル本など。
小説やエッセイを書いたりしてます。
バイクでのミニツーリングを折々。
グルメ、スポーツ、コンサートも楽しみたいけど、仕事や家事でなかなか実現しない。昨年(23年)末、薪ストーブ設置。庭木の枝葉を焚き火代わりに燃やしてます。薪はなくて柴だけなので、心底寒い時だけ。焔と共に柴の燃えてはぜる音が心地いい。
外部ブログも20年以上になりました:
日々の日記:「壺中山紫庵」 http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/
創作の館:「壺中方丈庵」 http://atky.cocolog-nifty.com/houjo/
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731部隊の医師の一部が戦後国立感染症研究所を作ったそうです。今回のコロナ対応の遅れとかワクチン利権とか相変わらず国民より自分達と言う組織の論理は受け継がれていることに驚きます。
ガラスの文鎮(文鎮城)さん 本書の中でもそういった記述がありました。現場を知らない(関心の薄い)政府に繋がる感染症研究所員と、現場で患者らと対応する医師や保健所、介護現場との乖離はひどい。