イラン(8855万人、中東で初めて石油が発見された国、中東では珍しく製造業の基盤がある)、イラク(4449万人、サダム・フセイン)。産油国では好待遇な自国民と、外国人の二重労働市場が成立しており、自国民と外国人で給与・待遇が違う状態になっている。中東の労働市場の特徴として、民間部門が未発達であり、公務員志向が強い。好待遇の公務員を目指し、ポストが開くまで待つニート状態の若者も多い。対して、民間も金がかかる自国民を避け、安い外国人を買いたたきがち。
あと、興味を持ったのは憲法。厳密には分からないが、「世界最長の憲法」と言われているらしく、日本語に翻訳すると250頁ある。現在では、前文・全486条・12附則から構成されている(第92次改正)。もう一つ、面白かったものとして「インドの民主主義は実に騒がしい。国民の自由を120%行使する。インド人が10人集まれば12通りの考え方が生まれるほど議論隙の国民である」ってのは笑った。
ここからは私の推測。これの何が新しいのか。おそらく倫理は個人をベースに考えられていたのだと思う(義務論もそうだし、功利主義もベースは個人)が、それを全体から考えたのが新しいのではないかと思う。そして、その倫理の基礎付けをするうえで、非常に抽象的な他者を置いた。労働者やサバルタンだけでなく、未来を含めた他者であり、その上で自分の生きる意義として「肉体を差し出せる」を提起したのだと思う。そして、それが医療倫理や異文化間の平和構築などに使われているのだと思われる。
⑦2012年以降は、金正日が死亡し、金正恩政権は「遺訓政治」を強調して体制維持を図る。若い指導者である金正恩を党と軍の要人が補佐するいわゆる集団補佐体制を特徴とする新政権では、以前として党と軍の関係の調整が続いた。対外的には、金正日時代に準備されてた政治強国、軍事強国、経済強国を目指すとされるが、経済強国の実現はかなり難しそうである。
ここからが私の感想。北朝鮮の政治関係は独裁体制ぐらいしか知らなかったが、こう見ると「なるほど」と思うことが多かった。確かに、このように説明されると、国民の生活事情から外交に発展する様に考えるのではなく、独裁者の事情と外部環境から核開発などの内情が決まっていると思った。北朝鮮の内情が大変だということはあっても、歴史を見ると、確かに「今更どうして変えられない」と思ってしまう。
しかし、聞く側は○○ちゃんの名前が残り、それで彼女が誤解されてしまったのだ。結果として、彼女は無罪判決になったが、一度捕まると「自分たちが知らないうちに虐待していたのか?」「そんなことはしない人だと思う。でも私の知らない別の顔があったのかも…」と同僚もなってしまうらしい。ちなみに、傷を知らないアッパークラスだから起きるんだと思ったが、労働者階級でも、特にDVから逃げてきた人や鬱病の人は、子供に傷があると児童虐待と疑われ、児童保護コースになる故に母親たちはピリピリしているそうだ。
自分でネットで調べると、イギリスって豊かなイメージがあるが、実はジニ係数は0.37と地味に高く、先進国で言うとアメリカ0.40の次に高い。ただ、相対的貧困率は11.80%で、日本15.40より低い。加えて、失業率は4.03と低く、医療費のGDP比も高いイメージだが6~10%台で日本と同等、また低いらしい。自殺率も10万人当たり8.4とG7で6位(1位は日本15.7、2位アメリカ14.6)。アルコールの消費量がドイツ、フランスに次いで先進国で3位ってのがちょっと難があるくらい?
ヒンドゥー教の場合、宗派も、それぞれに同一の神を信奉する独立した信者のグループ分けに過ぎず、キリスト教や我が国の仏教諸宗派に見られるような制度化された教団組織ではない。故に、各寺院は同じ宗派に属しても、互いに独立・併存する関係で、いわゆる上下関係も横の連係もない。また、宗派によって、偶像崇拝もあれば偶像否定もあり、功利思想もあれば無所有思想もあり、人間虐待や動物犠牲もあれば、非暴力や自己犠牲もある。奔放な性愛礼讃もあれば、息詰まるような禁欲もあり、ある意味百科全書のような、なんでもありの宗教である。
著者が会った教授はこう言っていた。「キリスト教やイスラム教のような宗教を貫く教義・信条が進行を導くのではなく、ヒンドゥー教は、教義や信条らしいものはそれぞれの宗派にあるにはあっても、何よりも信仰がすべてを優先する。だから、先に信仰があって、中身は尊師(グル)の問題となる。村にやってきた行者(サードウ)が何を教えるかによる」。確かに、こう考えると説明しづらい。
「ブレア首相がついに退陣した。米国テレビキャスター「ブッシュ政権が外国の政権転覆に成功したのは、アフガニスタン、イラクに続き、これが三ヵ国目です」「深夜、プーチン大統領が台所に入り、冷蔵庫を勢い良く開けた。すると、プリンがぶるぶる震えた。大統領が言った。「心配するな。ビールを取りに来ただけだ」」「Qイラクを代表する国鳥は何か?AB52とF16だ」
「パウエル国務長官がブッシュに報告した。「良いニュースと悪いニュースがあります。良いニュースは、イラクが我々のものになったことです」「悪いニュースは?」「イラクが我々のものになったことです」」「フランス人記者がバグダッドからレポート「解放後のイラクでは、賄賂が横行し、親族を職に就かせ、貧富の格差が広がっています。アメリカンデモクラシーが定着しています」
また、ヒンドゥー教は神道と同じく多神教で寛容なイメージがあるが、「じゃあ、外国人がヒンドゥー教徒になるためにはどうしたらいいですか?」となると非常に排他的となる。ヒンドゥー教っぽく沐浴などをしても、結局は「お前は外国人だろ」となる。日本の神道も八百万の神々で寛容なイメージがあるが、もし会社の研修の一環で神社に言った時に「私はキリスト教徒だから神社には入れない」と言うと「空気読めない」と言われる。神道も多神教を認めない宗教には厳しいのだ。読んでいて「確かに…」となり、自分の排他性に気づかされた。
こうやって他国を通して自分の当たり前すぎて意識もしなかったことを意識化させられるのは非常に興味深かった。また、海外の人から見た日本像にも驚かされる。小熊氏が会った裕福な少年が「日本の広島と長崎は大丈夫ですか?」と尋ねた。こんなのは日本人の発想からは出てこない。他国から見れば、日本は原爆を受けた可哀想な国なのだ。原爆のトラウマ意識が薄い日本人にとってはかなり奇妙な見方である。でも、私もアメリカ人に「ワールドトレードセンターは大丈夫ですか?」とか言っちゃいそうなので全然バカにできない。
ただし米兵7000人に対し、カリブ海6ヵ国の兵士は300人である。ちなみに、日本の日中戦争時の1932年に上海事変(上海にいた日蓮宗のお坊さんが中国人に襲撃されたため軍隊を派遣した。後に、日本軍が中国人を雇って襲撃させたことが分かった)をやっている。どこの国も自国民の保護と言って軍隊を送っているのだ。この時、中南米の国々が国連の安保理に非難決議を提出したが、常任理事国のアメリカが拒否権行使し、決議は採択されなかった(プーチンと同じことをやっている)。そして、アメリカは親米政権を樹立することに成功した。
続いて、パナマの話をしたい。パナマ運河を作ろうとしたのは、スエズ運河を作ったフランス人レセップスだが、非常に難しく断念し、アメリカが事業を引き継ぐ。アメリカはこの運河の建設権をコロンビアから得ようとするが、コロンビア側は承認せず、アメリカはコロンビアを見限って、ちょうどパナマでの独立運動が起きていたので、それを利用して親米政権を作った。彼らを扇動し、コロンビアに反乱を起こさせ、「アメリカ人の安全を守るため」との口実で軍艦を派遣した。ちなみに、パナマ運河の管理権が返されたのは1999年末である。
そのため、テスト前に「うちの子が勉強しなくて困る」と言おうものなら「病気なの?」と心配されるくらいだ。親の監視下で怠けて勉強しない状況はあり得ないのである。インドの子育てで最も大切にされてるのは自信であり、インドの子供は自信たっぷりで物怖じしないことが多い。日本の謙遜は理解してもらえないそうだ。「うちの子はできが悪くて」と言うと、なぜそんな酷いことを言うのかと本気でたしなめられる。
インドは6歳から14歳までが義務教育で、学校制度は12年生の4段階で区分される。5(前期初等)・3(後期初等)・2(前期中等)・2(後期中等)だ。10年生と12年生の終わりに共通試験が人生を大きく左右すると言われている。10年生と12年生は共通試験を受け、10年生の試験は11年生の進学を、12年生の試験結果は大学進学を左右するからだ。ちなみに、下層中流階級以下は公立学校に通うみたい。あと、面白かった話としては、インドは「甘党の国」というもの。砂糖発明の地であり、サトウキビ栽培も盛んらしい。
ここからは自分の感想。民主党への批判は「下らん」としか言えない。それは安倍晋三の舌足らずな喋り方「おもいまちゅ」から、「安倍の知能は赤ん坊並みだ」と言うようなもので、仲間内ではウケるかもしれないが、本にするほどのことではないだろう。保守思想家の東大教授・保守思想の重鎮と聞き、学べる点もあるかなと思って読んだが、正直ここから思想的なものは読み取れなかった。よくある現代社会を憂いているおじさんの愚痴にしか見えない。「独裁>民主主義」みたいなのはラディカルかもしれないが…。
保守思想の特徴として「民主主義による社会の劣化」や「伝統へのリスペクト」が挙げられる。両方とも憂慮すべきことであり、分からなくはない。しかし、それなら「劣化しないようにどうするべきか」を考えるべきだと思うし、「伝統とされるものが何であるか」をもう少し突き詰めてほしい。ヒトラーや大日本帝国を見ると、私は安易に独裁の方がマシとは言えない。また、西部は伝統否定・歴史否定と言うが、そこで否定されている歴史とは何のことだろうか。さらに言えば、現在の日本社会は本当に歴史を否定しているのか。まずその前提が共有できない。
ただ、2015年のデータだが、誘拐6.6件、強姦5.7件、暴動・騒擾5.2件は結構多い。誘拐は12~29歳の女性が6割を占め、その理由は結婚目的だそうだ。インドの強姦率を調べると、全体1.81だったが、デリー市15.9とカルカッタ0.2を見ると、都会と地方でかなりの差がある。もし妊娠したらどうするんだろうと中絶についても調べたが、インドだと医学的妊娠終了法により24週まで中絶は合法みたい。
個人的に、コラムが面白かったのでメモ。メキシコ人は「WW2後、米国に占領された後、急速に発展し米国に劣らない大国になったから日本はいい国」と言うらしい。経済で米国に依存しているが、カリフォルニアやテキサスを奪われた屈辱の歴史が垣間見える。著者曰く、運転マナーがかなり悪いらしい。メキシコはキッザニア発祥の地でもあるそうだ。
10万人当たりの殺人件数が25.88人とかなり高く、先進国の中では一位(二位はブラジル21.10人。イラク15.40人、アメリカ6.51人)。誘拐件数も多く、タクシー運転手が強盗に早変わりするものや、強盗の発展形である銃で脅されて、キャッシュディスペンサーでお金を引き下ろされるエクスプレス誘拐などがある。ちなみに、深夜に日付が変わるので、夜に捕まると当日・翌日分の満額を取られるらしい。また、強盗に襲われた場合、一切お金を持ってないと逆上されるため、ある程度は持っていた方がいいと書いてあった。
医療費支出のGDP比(内閣府)は、2019年で番多いのは意外とアメリカ16%、以降ドイツ12%、スイス11%、日本11%、スウェーデン、カナダ、ベルギー、ノルウェー、オーストリア、オランダ、英国、デンマークが10%以上で、日本は上位だけど突出してヤバいという感じではなかった。この本だと、一人当たりの医療費が日本4233ドルと高く見えたが、韓国2044ドル、英国3958ドル、スウェーデン5711ドル、スイス9836ドル、ドイツ4714ドル、イタリア2739ドル、米国9870ドルを見ると、そんなもんかな感。
こういう統計情報は覚えておく以上に、自分の引き出しとしてストックしておくのが大切だと思ってる。何かを言われた時にちゃんと確かめられること。「日本は医療費が高い(GDP比だと普通)」「日本は貿易立国(そんなことない)」「日本は観光立国(どちらかというと低い)」等と言われた時、他国と比較して「本当にそうなのか?」をしっかりと確認しなくてはならない。そして、比べてみると「意外と他国と同じくらい」だったりする。また、極端に悪いってのもなかなか取れない。
ヒンドゥー教は開祖がおらず、根本経典もない。インドと周辺地域で共有されている世界観や価値観の総体がヒンドゥー教と呼ばれている。ヒンドゥー教の教えでは「世界は創造と破壊を繰り返し、休止も終焉もない。魂は不滅で、新しい身体に転生を繰り返す。すべての命は宇宙の一部を形成しており、宇宙が正しく動くためには、それぞれが宿命を守って生きて行かなくてはならない。様々な儀式や祭事は、宇宙を動かす超常力である神々をたたえ、現世を滞りなく生き、来世に備える祈願と準備である」とされている。
なお、インドのイスラム教徒は総人口の13%で、それだけを聞くと少ないように感じるが、人口が12億人であるためイスラム教徒も1億人以上いる。また、インド人と言えばターバンのイメージだが、これはシク教であり、人口の約2%と少数派である。昔、積極的に海外進出していたからついたイメージらしいが、インドではかなり少数派だ。
ちなみに、インドはロシアを「特別で特権的な戦略パートナー」と位置づけ、両国首脳は毎年相互に相手国を訪問している。冷戦時代、インドは非同盟の方針を取りつつも、ソ連との友好関係を維持して武器を購入していたのだ。また、第三次印パ戦争(バングラデシュ独立戦争)時には、米国がパキスタンを重視してインド洋側に、印パの旧宗主国である英国がアラビア海側に戦艦を派遣してインドを牽制した時、ソ連はインディラ・ガンディー首相の呼びかけで戦艦をインドにいち早く派遣してインドを守ってくれた。
また、1998年の核実験の時もロシアは黙認を続け、経済政策をインドに課さず、インドはロシアに結構な恩があるのだ。そのため、2022年の国連安全保障理事会でロシアを批判して即時撤退を求める決議の採決において、インドは中国、UAEと並んで棄権し、また国連の非難決議でもインドは棄権している。ウクライナ危機が起きても、インドはロシアの原油を買っており、インドの原油総輸入に占めるロシアのシェアは2021年1%だったのが23年には25%と増加している。逆に、相対的にアメリカとの信頼関係はパキスタン関係のため低い。
また、2022年にいじめを犯罪と見做す法律「学校のいじめ防止と対応の強化に関する法案」が成立したそうだ。いじめを受けた被害者が自殺、または自殺未遂をした場合、最高で懲役10年、あるいは15万ユーロ(2370万)の罰金だそうだ。2023年からはいじめる側の子が転校しなくてはならなくなったらしい。そして、実際2023年9月にトランスジェンダーをいじめた子供が授業中に逮捕され、手錠をかけられ、連行されたことがあったそうだ。
本は他にも、フランス人から見た日本の不思議があった。印象深かったものとして、「議論できるためにはアドリブが必要だが、日本だとそれがトレーニングされていない。特に政治家がおかしい。日曜討論といっても討論しない。フランスだと、リスナーから大臣が質問を受けて「わからない」とか答えなかったら「なぜ大臣になったんですか?」と追及される。「重く受け止めます」「よく検討します」は答えになっていない」というもの。全く持ってその通りだと思う。それと、夫婦のいつもの会話が子供の教科書ってのは面白い視点だった。
ここで取り上げるレベルのものでも黒星が多いのだ。せっかくなので、NHKについても調べてみたが、N国党が国会議員になった後も、特段受信料の支払い率は80%前後で下がったわけではなく、むしろ微増している。著者が言う「裁判をやることで国民に訴えてるんです」は、聞こえはいいが、裁判での法解釈の蓄積と立花氏の国会戦術や政策立案が有機的に繋がっているとは思えない。裁判の判例を活かせていないのだ。そして、そもそも政治家になったのなら判例ではなく、国会で訴えるべきだろう。
「抗日分子」の摘発さえこの調子なのだから、各地を占領した日本軍が行った経済政策など上手くいかなかったことは言うまでもない。もともと軍隊は戦争をやるのが専門で、経済政策など得意な訳がないのだ。そのため、軍票という日本軍が占領地で通用させた紙幣を大量に発行してインフレを起こしたり、ヨーロッパ諸国との貿易や経済関係を断絶させてしまったり、従来から育てていた作物をやめさせて他の作物を強制的に飢えさせるなどして、経済的に混乱させた。
ベトナムの死者200万人は、日本軍が直接手を下したというよりも、こういう経済的混乱の中で飢饉が生じてしまったのが主な原因である。日本軍は、アジア諸地域に侵攻する時、ヨーロッパやアメリカの植民地支配からアジアを解放するという建前を掲げていたため、現地の人は最初は日本軍に期待していたが、実際の行為に失望したと言う。
アメリカの政治は実務上、言論や学術の世界でも重要とされているが、アメリカの政治の対立を巡る議論は、かなり特殊な言説空間であることを意識するべきである。決してアメリカが世界基準ではないのだ。しかし、日本の「リベラル」を左派的含意のみで用いたり、ナショナリズムを排外主義とほぼ同義で使うような用法は相当程度特殊アメリカ的な用法であり、日本は大きく影響を受けている。この本で説明された幅広い世界の政治現象を観察すると、決してこの限りではないだろう。
では、日本と比較的に似た地域はどこか。日本の特徴は①「ナショナルプライドと排外主義があまり雄関していないか緩やかに相関する」、②「右派という自己認識と種々のナショナリズム意識が正相関している」、③「ジェンダー/性規範争点の保守性とナショナル・アイデンティティの強さが相関している」である。これと似ているのは、北米や東アジアの近隣諸国ではなく、ドイツ、フランス、デンマーク、ポーランドといった大陸ヨーロッパの国々である。ナショナリズムの話をする時は、アメリカとかではなく、こちらを参照した方が有意義だろう。
憲法でカーストによる差別やダリトへの暴力は禁止されているが、カーストそのものが禁止されているわけではない。その結果、人々の配慮は問題が表面化しないように気をつけることに向かっている。例えば、村の学校で宴会を行う場合、食べるのを拒否する人が出ないように、暗黙の了解でバラモンカーストの誰かが料理をしたり、煮炊きした料理を避けてスナックだけにするといった具合である。伝統的に、自分より下のカーストの人の料理は食べないからだ。特に、学校のような近代自由主義的な言説を広めるための場所では、カースト問題はタブーである。
ちなみに、この本ではダリト・不可触民に焦点が当てられていた。ダリトは死と、人間や動物や自然界の廃棄物に関わっている職業の者が多い。ヒンドゥー教では、死が不吉とされており、訃報を伝える死者や葬儀での楽隊、動物の死体処理などはダリトに限られていた。排出物、破棄物、血液との接触が避けがたい職種もダリトが担っている。例えば、清掃、洗濯、出産なのである。なお最も蔑視されているのが下水道に直結していない汲み取り式便所を清掃する屎尿処理の作業だ。清掃カーストは、ヒンドゥー教の浄・不浄の観念の下で発達したものである。
しかし、全体としてはやはり散漫と言わざるを得ない。『ラピュタ』の仮タイトルが『少年パズー飛行石の謎』だったことや、鈴木敏夫から「これだとムスカの野望と挫折じゃん」と言われたこと等、面白いところもあった。だが、全体としては「俺が色々と思ったこと」の域を出ず、主論がどこか分からない。岡田斗司夫の本を読むたびに、毎回同じことを書いているが、色々と岡田斗司夫が思ったことをレイヤーを揃えずに語っているため、論としてのクオリティはあまり良いとは思えない。一つ一つの知識が有機的に繋がっていないのだ。
加えて、岡田斗司夫の論じ方なのだが、作品から話すというよりも、自分の中の意見や考え方を、作品をダシにして語る形や、作者のゴシップから語る形が多いように思えた。作品の内側からではなく、外側から語る。それが100%悪いことだとは思わないが、個人的にそれは、作品を語っているのではないと思う。
②教養主義的な話題だが、正直あまり彼らから頭の良さを感じられなかった。ドストエフスキーやメルロポンティと色々なことを知っていてすごいと思うが、本当に教養があるのであれば、語るのではなく示すべきだろう。「賢そうなことを言っているが、賢そうに見えなかった」というのが正直な感想。「ニーチェが~」とかよく分かっておらず、断片的な情報だけ摘まんで言っている意識高い系と同じ痛々しさを感じた。「アートの活用」「ジャンルの混淆」等も言っていたが、正直その程度のことなら自己啓発本でも紹介されている。
全体を通して読んで、自分たちだけでしか伝わらないジャーゴンを仲間内でくるくる回して、愚民社会を嘆くような行動ばかりをとっていた印象だけが残った。会話して違う教養が繋がり合う対話的教養など、それなりに面白いことも言っていたが、教養という権威主義の上から目線のだべり合いって感じだった。こんなことをやっていたら、そりゃあ教養主義は没落するだろう。もし異なるもの同士がぶつかり合い、新しいものを作るのが教養だとすれば、この本はそれから最も遠い所にいる。
反共を掲げた独裁政権がアメリカの支援を得て、政治を行っていることが多かった。そのため、日本から受け取った賠償や援助を、独裁政権が勝手に使ってしまい、被害を受けた人々に渡らなかったことが少なくなかった。例えば、フィリピンでは、歴代の独裁政権が自分の政策のために使ってしまい、個人への直接保証はゼロに等しかった。また、経済援助でも、例えばマレーシアには船を二隻、シンガポールには造船所を建設するなどで実行されたが、被害を受けた個人への補償という訳ではなかった。
また、韓国も強制連行などで労働させられた人々や、日本軍に軍属にさせられた補償として7億ドルを要求したが、日本の大蔵省は1600万ドルしか支払わないと試算した。もちろん、交渉は難航するが、アメリカが日韓正常化の努力をしなければ経済援助を打ち切ると圧力をかけて、韓国は妥協せざるを得なかった。結局日本は韓国に賠償ではなく経済援助という形で3億ドルを無償供用、2億ドルの有償援助、1億ドル以上の資金協力を与えることで決着をつけた。しかし、ここでも経済援助の大部分は、当時の韓国の軍事独裁政権が自由に使ってしまう。
「この国では何事も持続しない。ヘイトスピーチも、3・11後の官邸デモ。それらの運動にその都度すり寄ってリベラルブリッ子する若手論壇が多い(東・宮台)」。九条の会とか米軍基地反対、辺野古抗議など普通に続いているのもあると思うので、これは東浩紀あるあるのチェリーピッキングだと思う。「主婦にネトウヨは多いでしょ(宮台)」。いや、そんなことないんじゃないかな。
全体を読んで思ったのは、面白い話もあるものの、宮台の口の悪さが気になる。個人的に、こういう口の悪さは同質性の高い集団だからできるものだと思っている。もしここにクソ右翼やクソ左翼がいたら、宮台もこのような発言はしていないだろう。宮台のこの口の悪さが、この鼎談が同質性の高い集団の緊張感のない内輪話であることを物語っているように思えた。
ここからが私の感想。サイード『オリエンタリズム』を知った時、「ふーん、西欧ってヤバいね」って思っていた私だが、すぐ傍にほとんど同じ状況があって反省している。オリエンタリズムは、高慢な西欧だけが行うのではなく、私たちもやっているのだ。オリエンタリズムの示唆は、西欧人が語っている東洋の語りは意味がないことだ。だってそれは本物の東洋ではなく、彼らの自己規定・自己認識を支える、彼らの頭の中の東洋だからだ。そう考えると、ナイチャーがひたすら語る「本物の沖縄」など眉唾でしかない。
もう一つ気になったのが、沖縄の多元性と基地問題。これは基地問題だけでなく、原発とかでもそう。「補助金で生きている人もいるんだよ」というやつ。個人的には「多元性と社会的な判断は別」だと思っている。それを言い出したら、ヤクザだってパチンコだって覚醒剤だって、それを仕事にしている人はいるし、それがないと困る人もいるだろう。しかし、これは社会益-100と+1を「+1もあるんだよ」と言っているに過ぎない。全体の社会益を考えなくては。ただ、基地の場合、ヤクザのような社会益-100と+1の戦いではないのだけど。
ちなみに、『我が国コンテンツに対する海外消費者実態調査』(2011)で、アメリカ高校生200人の好きなアニメだと、ポイントが高かったのはトップ5が『ナルト』『ポケモン』『ブリーチ』『ドラゴンボール』『デスノート』だった。ちなみに、フランスだと『ワンピース』『ナルト』『ブリーチ』がトップ3だった。次が『GTO』で少し驚いた。個人的には、忍者(ナルト)や袴(ブリーチ)が人気ってのに、欧米の東洋文化への憧れを感じてしまう。
これは2014年の本で、日本のアニメの海外での売り上げは微々たるものと言っていた。実際、2011年の海外での市場規模の推定値は177億円で、国内アニメの売り上げは1581億円であり、キャラクターグッズ販売やイベント興行などを含むアニメ関連産業全体の市場規模は1兆3393億と比較すると小さい。だが調べると、2011年には3000億円規模だった海外売り上げが2022年には1兆5000億円になっており、国内売り上げと並んでいる。2014年~22年になぜ5倍になったのか分からないが、プレゼンスは大きくなってる。
政治や社会に関してのデータを見ると、通俗的な説とは違うことが多いのだが、著者はその間違った通俗的なイメージを基にして哲学の応用を行っているため「おっさんの与太話哲学風味」になってしまっている感がある。そのため、哲学そのものの話をしている時は面白いが、それを現実社会に当てはめると非常に陳腐になる。結果、高尚な哲学を使っても出てくる結論が、居酒屋のおじさんと同じレベルになってしまうのだ。これらは東の他の本を読んでいても思うことである。
一応自戒も込めて、通俗と違うデータ。「皆が炎上を楽しんだり怒ったりしている(炎上に加担するコメントは1%程度)」「社会的弱者がネトウヨ化する(ネトウヨは中流階級のお父さんが多い)」「弱者がポピュリズムになる(橋本現象などを支持したのは中流階級)」「若者が保守化している(寛容さでみるとむしろリベラル化、専業主婦願望は増加しているが)」等。著者が全てを主張している訳じゃないが、こういう間違った通俗イメージで語ることが東浩紀は多く、一周回って残念保守論壇みたいになることが多い気がする。
この小説の中で、彦七は自らの部落差別に対して、金貸しでお金持ちになるも、恨みを買って家に火をつけられホームレスになってしまう。いろんな村を渡り歩き、最後の下の村に戻ってきて、むちゃくちゃに火を放つのがこの作品のストーリーだ。これを一定の尺度の下、それ以外のものを排除する社会・秩序こそ問題であるのだ、という解釈で提示されていた。こんな社会に火を放つことで、全てを亡き者にし、ゼロに引き戻そうとした彦七に見習わなくてはいけない。村に火をつけ、白痴になれ。
そして、日教組委員長がラブホテル通いをすっぱ抜かれたのか知らないが、保守とされる人たちはラブホテルをすっぱ抜かれてないのか。さらにこの人の中では、リベラルが時代遅れでダサいなら保守が最新でかっこいいのだろうか。そして、何より、こんなことを書いている著者はダサくないのだろうか?「リベラルは古くてかっこ悪い」なんて言っている奴は、たぶんリベラル以上にかっこ悪くてダサいと思う。
ちなみに、この本では佐々木俊尚『21世紀の自由論』が紹介され、新聞やテレビや雑誌で強い発言権を持つリベラル勢力として、作家である大江健三郎や瀬戸内寂聴、音楽家・坂本龍一、『九条の会』事務局長で東大教授・小森陽一、神戸女学院教授・内田樹、経済学者・浜矩子、政治勢力として福島瑞穂、山本太郎、本経産省官僚・古賀茂明を挙げていた。これは今完全に綻びているらしい。彼らの最大の問題は、知的に見えて、根本に政治哲学を持っておらず、「反権力」という立ち位置だけらしい。著者だけでなく佐々木俊尚の頭の悪さも再確認した。
社会経済的な構造による障害を取り除かなければ個人の自由は達成されない「現代的リベラル」があるのだ。また、一周回って、社会正義のためには他者の自由が権利を著しく制限しなくてはいけないものもリベラルと他称・自称する全然違う「ラジカル」「プログレッシブ」までリベラルに入ってきているようだ。そして、概して大陸欧州では古典的リベラリズム、英米県では現代的リベラルが用法としては使われるらしい。
また、経済的な意味で弱者救済を行う福祉の拡充政策は、必ずしもナショナリズムの議論と正反対にあるわけではない。福祉政策を肯定することで、外国人のそれを与えたくないというものになり、それがナショナルな意識を混然一体になるのだ。また、福祉の拡充をして平等を実現してきた左派政党であるデンマークの社会民主党は反移民に舵を切ったが、それは「にもかかわらず」ではなく「だからこそ」反移民政策なのである。こういう事例を見ると「リベラル=反ナショナリズム」とは言えない。「リベラル・ナショナリズム」だってあるのだ。
「社会学の客観的な根拠」「内面からの理解」「仮説の性質」「社会学と規範論」等は、本人たちにとっては大切なことで、重要なトピックかもしれないが、その重要性を読者が共有できない。さらに、モノによっては、その言葉が具体的に何を指しているのか、何のためにその言葉を使うのかよく分からないまま、印象・イメージで語ってそのまま流れていくみたいなことが多くあった。また、会話のテーマも同じところをぐるぐると回っている感じで方向性が見えない。それが問題の難解さ故にぐるぐると同じ所を回っているのであればともかく、
整理されていない・具体化しようとしていない故にぐるぐると回っている感じで、読みながら「早く終われよ」と思ってしまった。本当は「社会学は社会政策の貢献できるのか」「現在と昔の社会学の違い」みたいな話が聞けると思って読んだが、あまりそういう感じではなかった。なら、「日頃社会学者が何を考えているか」「社会学者の会話のノリ」「何にムカつき、何に喜ぶのか」が分かるかなと思ったが、こちらもそういう感じではなく…。とにかく、これ以上ないほどに閉じた会話だった。象牙の塔が過ぎる。正直、私が最も嫌いなタイプの本だった。
そのため、アメリカ側はすぐさま動くようにしなければいけない。逆に、湾岸戦争のように1990年8月2日の始まり、5日後の8月7日に派兵を決定。しかし、先端が開かれたのは1991年1月17日。2月24日に地上部隊が進行を開始し、28日に地上作戦が終了する。約5ヵ月もかけて作戦を準備し、1ヶ月以上も航空攻撃を続けてから、地上部隊の進行を開始して、5日間で作戦を終えているのだが、こんなに遅くてはダメという訳だ。
ここから個人的な感想。二つ面白い点があった。一つ目は、不謹慎だが、戦争というスポーツに勝つためにはどうしたらよいかというノウハウ的な面白さがあった。二つ目は、最後の「マルチドメイン・オペレーションズ」における「競争・紛争・競争回帰」のサイクル。「戦争/平和」の二元論がグラデーションのように溶けたこの世界観だと、完全な戦争もなければ完全な平和もなく、常に世界は“戦争状態”になる。「工作員が分断戦略をしている」と言う参政党・神谷宗幣を馬鹿にしていたが、彼の世界観だとこうなのかもしれない。
後者の、なるべく触れたくないモノとしては、例えば天皇系として岡林信康『ヘライデ』、部落系として岡林信康『手紙』『チューリップのアップリケ』、不謹慎系として高田渡『三億円強盗事件の唄』、高倉健『網走番外地』、政治系として高田渡『自衛隊に入ろう』、山本和彦『放送禁止歌』、頭脳警察『世界革命戦争宣言』、泉谷しげる『戦争小唄』が入る。天皇や自衛隊など一部の人に強烈なアレルギーのあるものは放送的には自粛になってしまうだろう。
デーブ・スペクターとの対談も面白かった。アメリカでは放送禁止歌はないが、規制はあるそうだ。ただ、それは個々の放送局や番組責任者、DJが裁量することで、一律に規制ってのはないみたい。また、差別的な歌は、アメリカだと商品にならず、過激・エロ系な奴に関しえては、セグメントしてるし、警告シールを貼るみたい。例えば、プリンス『DARLING NIKKI』とかがそれに当たる。『イマジン』が放送禁止になったってのがあるが、それはBBC単独の規制で、湾岸戦争の時期にイギリスの国営放送局BBCが単独の規制しただけみたい。
「山下祐介も東浩紀も、何よりいただけないのは、二人とも学者とう立場で書いているのに、自分の専門知識を活かした論考ではないことだ。旧来から日本の論壇雑誌では、哲学者や文芸評論家や政治思想家に、専門知識とは関係ない道徳的説教を書かせる習慣があった。彼らに高名な良識的知識人としての役割を望んでいる訳である。しかし、当然なら、彼らも専門知識以外は普通の人だから、そういう論考を書かせても、ありきたりの認識と感傷しか出てこないことが多い」
軽い気分でメモ書きしたら、こんな分量になると思わなかった。しかし、小熊英二の分析は、何かを論じる時に数量的なデータを出すため説得力があり、戦後日本の歴史を知っているため現状の歴史分析も納得する。国際的な視点もあるため、日本の普遍性(どの国でもあること)と特殊性(日本に特異なこと)も腑分けされており、読んでいて面白い。「私の子供の時はこうだった」の俺語りや、「馬鹿が右傾化している」みたいな説明になっていない衆愚分析もしない。さらに、主張とその根拠、分析と自分の解釈を整理しているため非常にて読みやすい。
「教会に日常的に通う者が二割を切った西欧・北欧に比べてアメリカでは四割が毎週礼拝し、七割が年に何度か行く。宗教が封建制や王政と結びついていた歴史もないため、南欧のような政治と宗教の結びつきにも反発が弱い」「大塚英志は、現代の文壇・論壇を、もはや語るべきことがなくなり、書くことによる承認欲求だけが自己回転していると批判している。大塚は惰性化した保守論壇をこう評する。「言いたい内実がなく、レトリックだけが残った。80年代の保守論壇的な言葉がいかにネットで生き延びて行ったかは面白いけど。
日本のかくかくしかじかが間違っていると声高に書いて、後はその理由として、①戦後民主主義のせいだ、②戦後憲法のせいだ、③日本共産党のせいだ、この三つの結論でどんな原稿でも通る。あと日教組のせいや朝日新聞のせいっていうバージョンもあった」。大澤聡はこれを受けて「主張がマニュアル化というより、オートメーション化している」と言っている。書きたい人がいて、読者もいれば、生産と消費は続くのだろう。資本主義とナショナリズムの組み合わせが、いわゆる「新自由主義」の定番形態になる一因は、このあたりにありそうだ」
しかし、この広告を作った扶桑社の社員は、自己矛盾を感じないのか。あるいは一種のブラックユーモアなのだろうか」「『文藝春秋』保守論壇インタビューを見た。田母神俊雄、萩生田光一、水島総、小林よしのり、岡崎久彦、前原誠司、櫻井よしこ、石原慎太郎。興味深いのは、ヘイトスピーチは全員が「日本人として恥ずかしい」と否定的だった(チャンネル桜社長の水島総は明言していない)。この人たちも皆が適材適所でいてくれたら、問題ない。
問題なのは、第一に、軍事しか分からない人が政治家になること。第二に、自分が詳しくない領域への想像力がなさ過ぎて結果として抑圧的になること。第三に、グローバル化・情報化が進んだ現代では「内輪の発言」が容易に地元以外に流出してしまうことに無自覚であることである」
「自民党内の対立、当面の課題、憲法の危機、歴史認識の問題性など、まるでスポーツの試合解説を読んでいるようである。論じる立場は違っていても、挙げられるポイントの数え方、論じ方が、なんとも機械的、順列組み合わせ的、「閉じた世界的」なのだ。「ホームランを打ちました!」で興奮できる、「閣内対立が起きている!」で興奮できる、という人間以外は、どうしたらいいのだろう。ルールを理解して、はまってしまった人間には面白いのかもしれないが「だからどうした」感はぬぐえない」
「現在の改憲論は、実は廃憲論であり、九条に限らずあらゆる束縛を逃れて好き放題にやりたいという願望の表現だろう。法は人間の上位にあり、人間を超えた規範なのだ。人間は不完全であり、間違うことがある前提として作られているのだ。だから「民主主義を縛るから憲法はいらない」「国民の最高意思で国民自身を縛るという自虐的行為」というのはその本質を分かっていないのである。法を必要とする社会は、既存の言葉、仲間内のお約束が役立たなくなった社会である」
出口戦略というのが勉強になった。日本はWW2の経験があって、戦争は相手が降参して勝ったら終わりと思うけど、勝って終わりじゃないのだ。勝った後の方がむしろ大変なのである。戦争は勝って自分の思い通りに相手が動いてくれるという前提だけど、勝ったからと言って相手が思い通りに動くとは限らない。しかも、復興のために人為的にも金銭的にもフォローしなくてはならない。そこはハイテク機器でなんとかできるものじゃないし、敗戦した国の復興のために増税なんてことも、もしかしたらあるかもしれない。
徴兵制に関して「今はハイテク機器だからスイッチを押すだけで済む」みたいなことを言う人がいるけど、この復興のための支援はハイテク機器で自国にいながらやるなんてことはできないし、戦争に勝つための増税だって日本人は受け入れられなさそうなのに、戦争で負けた国のために日本の人的資源が割かれたり、税金を使われるなんてあったら日本人は発狂する気がする。こういう本を読めば読むほど、日本は戦争できない国だと思う。対談で出てくる戦争の大変さを背負える胆力がないもん。
名言・迷言「自衛隊は不条理の筑前煮」「「オエッ!」とえずくのは平常運転」「腕立て伏せ意をする機会が増えるのは、自衛隊では日常生活や訓練のペナルティとして「反省」と呼ばれる腕立て伏せをするから」「もっとも姿勢の低い第五匍匐は地面に這いつくばりながら進む。「大地を抱きしめろ!地面にキスしろ」と言われる。「頭が高い!」と教官に怒られる」「痛みはただの電気信号に過ぎない」「安全管理基準は“準拠”するものであって、“遵守”するものではない」
「自衛隊に向いている能力は内臓の強さ。「目が覚めてすぐ」「激しい運動の後」「二日酔いの朝」「真夏の暑い日」「厳しく怒られた後」にカツ丼大盛りを「うまい!」と食べられる人が向いている」「「味に対するこだわりがない」のも兵隊としての才能」「あだ名あるある。「「持論があって話がない」「変なこだわりが強い」「あまり仕事できない」奴が大先生、先輩、パイセンと呼ばれる」「オラオラグイグイ系の上級指揮官・将軍様」「冷静だが色々と細かい指摘をする高級幹部・デスラー、ギレン総帥、ベイダー卿、碇指令などの悪の総帥系」
様々な学問の美味しいところだけをかじる偏食的な読書家。
知能を拡張してくれるようなSFが好き。スタニスワフ・レム先生。
法学、社会学、美学、経営学、教育学、心理学、行政学、政治学、神学、犯罪学、福祉学、倫理学、社会心理学、メディア論、障害学、交渉学、歴史学、体育学、コーチング学、セクシュアリティ論、紛争解決学、組織論、幸福学、音楽学など色々と手を付けてます。
天然・妄想癖という属性を持ってます。非常識は病理ではなく個性とポジティブに考えてます。思考がクリアで発想力がある頭がいい人の話を聞くのが好きです。
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