地方史や昔話の薄い本は ISBNも無いしタイトル検索でも出てこないのねー🥲
途中、作中の2人が結婚に至るのかという予感に「またくっつくのか。男と女がいればどーせカップリングされるものか」とゲンナリしかけたのだが! 彼女の住まいのドアの前で紡ぎ出した彼の言葉の誠実さと、彼女の前なればこそこの言葉が出せたのだと感じてとてもとても感動した。 世は1991年、証券バブルははじけたが社会はまだまだ好景気の余波に浮かれ恋愛大流行の頃。愛情と性欲の区別もつかないままに若さと金銭にものを言わせて粗い解像度で「愛」が語られて、いや「実行」されていた頃であるのに。 ↓
(承前) そんな時代に こんなに静かに、こんなに密度の高い、こんな誠実な心からの言葉に 驚きと感動をおぼえた。 ゲンナリしたのは私の短慮でした。 素晴らしいセリフと筋立てでした。 ひとの愛情というもの誠実さというものを信じてみるべきだとあらためて思わされる作品でした。
しかしこういう、優れて読み継がれる本に共通するのは「迷いの渦中にある人間に読み取る余力が無いであろう簡潔さ」なんだなあ。 自分自身をすり減らし余力がない、エネルギーが枯渇している人間は ムダや余剰のたっぷりある 峻厳な知性とは隔たりのあるような柔らかいものにしか、痛くて触れられなかったりするもんだ。 傷が少し癒えてから こういう本にあらためて触れるとよいと思う。
いじめっ子3人組や犬を虐める中学生たち。 未だに彼らの気持ちの細かい動きがわからない時がある。大人になったにもかかわらず。 私は、世の中をすごく部分的にしか理解していないのだなと思わされた。 双方からの視点をきっちりと持たなければ、読むことは出来ても書く方には回れないなーと 少しさみしく思う。
こういったケース、想像だけど 「河内のオッサン」的な共同体が荒療治ながらうまく事を前に進めそうな気がする。 「コイツはこういう奴やねん。せやから舐め腐っとったらガツンとやったらなアカン」「本人もどーしょもないんや。あれはビョーキや。あんなヤツやねん」という両面からのアプローチ。 町田康の描く世界のような。
しかし、読みにくかった😖 もうちょっとサラッと書いてくれてもよかったのに。 さながら障害された思考のように視点があちこちに飛ぶ。ついて行くのがしんどい。 まるで障害を持つ人の話を聞いているかのような疲労を感じた。
歴史政治小説や心理関連本をよく読んでいたけれど、ファンタジーやミステリーも好き。
文学作品も好きで憧れつつも読めてないもの多し。
最近読むスピードが遅くなった。
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます
途中、作中の2人が結婚に至るのかという予感に「またくっつくのか。男と女がいればどーせカップリングされるものか」とゲンナリしかけたのだが! 彼女の住まいのドアの前で紡ぎ出した彼の言葉の誠実さと、彼女の前なればこそこの言葉が出せたのだと感じてとてもとても感動した。 世は1991年、証券バブルははじけたが社会はまだまだ好景気の余波に浮かれ恋愛大流行の頃。愛情と性欲の区別もつかないままに若さと金銭にものを言わせて粗い解像度で「愛」が語られて、いや「実行」されていた頃であるのに。 ↓
(承前) そんな時代に こんなに静かに、こんなに密度の高い、こんな誠実な心からの言葉に 驚きと感動をおぼえた。 ゲンナリしたのは私の短慮でした。 素晴らしいセリフと筋立てでした。 ひとの愛情というもの誠実さというものを信じてみるべきだとあらためて思わされる作品でした。