形式:文庫
出版社:草思社
そうすることによってはじめて人は、みずからを律するという重荷を思いのままに担うことができるようになるのだから、それは他者のためであるのと同時に自分自身のための行いでもある。 重荷を担うかどうかは本人にゆだねられているが、この重荷こそ愛を定める〝十字架〟にほかならない。そして、この十字架を担って生涯をすごし、さらに高次な存在へと続く死の扉へと導くものこそ、ひとりの人間としての自発的な意志であり責任なのである。」
時代の捉え方によらず、人間を苦しめるのは「幼稚さ」であり、これを大人としてどう向き合い克服するのか、という話にすぎないのかもしれない。「割を食う」生き方を減らして、なるたけ平等に「持ち合う」社会を作るためには、「成熟」が必要だ。
「良心とは、歯止めの効かない個人の目的追求に対し、みずからが課した障壁だと考えることもできるだろう。」とっても良い言葉。世の中には良心の感覚が欠落している人もいるということを知っておかないと、こっちが割を食う。神経症を病んでる人には良心を食い物にされてる人も多いのではなかろうか。
サイコバスの他人支配は凄いが、説明は直ぐ納得いくものではない難しさがある。人間の文化にもバーソナル障害の攻撃性に染められている。利益をめぐる政党間の論争、企業社会でも競合はあたりまえ。アドラーは言った。人間には社会的な優越性を追い求める。優位性を得る為に権力や名声、確固たる地位を求めしのぎを削る。パーソナリティ障害の特色は、良心や罪悪感が欠如している。著者は五つの攻撃性パーソナルを分類するが、そのうちの一つが略奪性バーソナリティで、サイコパスのこと。もう一つが潜在的攻撃性パーソナリティとして主に解説する。
人格障害の分析本は加害者を「とてつもなく邪悪で恐ろしい存在」として盛り上げ過ぎな気もする。加害者を捕食者である狼と表したようにヒエラルキーの上に立たせ、畏怖心を抱かせるのは思う壺です。 個人的に思うのは、人格障害者は筋の通った長期記憶が苦手で、数時間くらいしか整合性を保てない。その段階で相手を受け入れず「むしろこっちが上」という気持ちと態度でスルーできるのが一番いいけど、常に警戒できるわけじゃないしねぇ。 人生のクオリティと生産性を落とす社会悪を許さないとする風潮を作るしかないけど、日本では無理だろうな。
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そうすることによってはじめて人は、みずからを律するという重荷を思いのままに担うことができるようになるのだから、それは他者のためであるのと同時に自分自身のための行いでもある。 重荷を担うかどうかは本人にゆだねられているが、この重荷こそ愛を定める〝十字架〟にほかならない。そして、この十字架を担って生涯をすごし、さらに高次な存在へと続く死の扉へと導くものこそ、ひとりの人間としての自発的な意志であり責任なのである。」
時代の捉え方によらず、人間を苦しめるのは「幼稚さ」であり、これを大人としてどう向き合い克服するのか、という話にすぎないのかもしれない。「割を食う」生き方を減らして、なるたけ平等に「持ち合う」社会を作るためには、「成熟」が必要だ。