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文春新書『生きる哲学』を精読する。

ポチさん用
トピック

しょうじ@創作「熾火」執筆中。
2018/06/24 11:18

ポチさんの書き込みのためのトピックです。

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第10章を読んで
宮沢賢治です。テーマは「燃える」です。
絶対を求めること(求道)は、我が身を燃やすこと。それは人間が行い得る最も高次な献身の営み。万人に求めるべき美は内在する。それは誰か特別な人たちのものじゃない。そういう人たちに押しつけられるものじゃない。日常生活の奥深くに潜むもの。そこにあるありのままの事実。科学的であるとは、恣意を排し、ありのままの世界と対峙すること。日々の生活を祝福すること。その求道こそが霊性であり、そこに起こる芸術、革命こそが人を動かす。まさに生きる哲学ですね。

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つけたし
なんだか自分の文読み返すと、簡単なことみたいに書いてしまいました。
目覚めることができる人はとても稀だとも書かれているけど、誰もがブッダたり得る可能性を秘めていると宣言されているところに大いなる慈悲を感じ、嬉しくなりました。

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第9章
真理はすでに説かれている。真摯に求めさえすれば、コトバはいつでも語り出す準備はできている。私たちがそれに気づいて従いさえすれば。思い通りに生きることはできないけど、その思いに労力を費やさず、ただありのままを見て、そこに身を投じて世界と一体になれれば。真理への扉はどこでもドアみたいですね。目には見えないけど、いつも用意されていて、それに気づいて開きさえすれば、いつでも誰でも目覚めることができるんですね。

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10
第8章を読んで
「生きがい」を最も感じるのは自分がしたいことと義務が一致した時。その使命感というのは、強く生き生きとした喜びとなって、存在の根底から湧き上がるのですね。それを経験すれば、迷いはなくなるでしょうね。これが生きがいだとはっきり感じることができるのでしょう。そういうものに出会うまでの道しるべとして、先哲のあるいは詩人、偉人たちの言葉がある。それらは自らの悩みと真摯に向き合い、探求する人の心にふれて燃え上がらせる。本来の宗教もまた、そうした状態に人の心を解放するためにあるのだと思いました。

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つづき
そんな体験をすれば、もう、それがよい詩かどうか、他人に尋ねようなんて思わないだろうと、リルケは若き詩人への手紙に書いているんですね。鈴木さんのいつかのブログ、たった一人のために書く。その一人は自分。と書かれていたのを思い出しました。
こうして生まれた作品こそが、結果的には何年もかかっても、多くの人に読まれることになるのだなと。
そしてリルケの詩作のお話からベートーベンの第九が思い浮かびました。ベートーベンもきっと、今でも多くの人に歓喜を与えるあのメロディーが訪れるのを何年も待ったのかなと。

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9
第7章を読んで
言葉にならないコトバ、沈黙の世界、神の声、死者の声、自然、異界のひびき、天からの声、感覚を超えたもの、これらは第6章に出てきた内なる世界や、第5章に出てきたゲーテの捉える世界と通じている気がしました。そしてこれらはこの世界に満ちて包み込んでいるけど、じぶんのことでいっぱいの私たちには気づかない。全身で受容しようとする者にだけ秘められた意味を開示する。それをじっと「待つ」というのですね。そして訪れた瞬間記録する。そうして知識でなく血で書かれた言葉に最初に衝撃を受けるのは自分。そんな体験を

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あ、すみません。私が風立ちぬの原作を読んでないので、宮崎駿の風立ちぬのイメージと重ねて読んでしまいました。原作も読んでみたいです。

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8
第6章を読んで
とてもとても美しいお話でした。宮崎駿さんが、堀辰雄さんに敬意を表して「風立ちぬ」を作られたんですね。名場面が何度も蘇りました。愛する人の死という最も苛酷な悲しみの向こうに、生きている間には得られなかったほどの深い繋がりができるのですね。そこにこそ本当の幸福を垣間見た気がしました。引用されているリルケのレクイエムも深いです。最後に、死とは外部世界から去り内なる世界に生まれること。世界が真に存在するのは内なる世界においてであるとは、リルケの、また堀辰雄の確信だったと言い切っているのです。

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7
第5章の感想に付け足し
志村さんが、ゲーテの色彩論に出会ったときの感激が書かれたところも好きです。でも、続いて、古典の宿命として、それが受容されると、様々に解釈され、複雑化されてしまうことを嘆く場面があります。私たちが学んでいる、宗教や哲学など学問、すべてそうだなと思います。複雑化され、難しくされ、本質的なことが覆い隠されてしまう。私たちが学ぶ哲学も、あれはどうだ、これはこうだ、ばかりではなくて、哲学とともに生きられるかどうかが問題ということですね?だから、「生きる哲学」なんだな、と思いました。

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6
第5章を読んで
職人さんの作ることとは、自己表現であるより、託されたものに形を与えて、それを必要とする未知なる他者へ届けること。
身も心も砕いて誰かのために働く女性、日々の生活に苦しみ疲れ果てている女性に寄り添う色を、祈りを込めて作られた志村さん。芸術とは人を慰め喜ばせるだけでなく、人を蘇生させるほどの力をもっている。という言葉、力強いです。響きます。素敵です。

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5
第4章を読んで
ちょっと難しくて何度も読み返しました。「喪う」ということを考えたとき、これほどまでに人と人が強く結びつくことはないのではないかと思いました。「読書とは信頼する人間と交わる楽しみ」ということばにも強く共感しました。私たちはその気になれば、文字や言葉を通じて、もうこの世にはいない人ともいくらでも交わることができるということを日々実感しています。

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4
第3章を読んで
原民喜さんは、最愛の奥様を亡くされ、原爆の悲惨を目にし、人生に絶望した。そしてそのあとはただそれを書き残すことだけに人生を捧げたんですね。何も言えずに亡くなっていった人たちの祈りも引き受けて。それが後世への祈りだったのかなと思います。私たち読み手もこれを引き受けることで、原民喜さんの残された言葉に新たな意味が生まれるのだと思いました。

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3
第2章を読んで
自分の中に埋もれてくすぶっている大いなるもの。それを発見するのが、哲学であり、生きることなのかな?と感じました。それを求めて私たちは本を読んだり芸術を鑑賞したりするのでは?そういうものに触れていないと、ただ俗世間に流され、さまよって全然違う方向に行ってしまう。だから、舟越さんはダミアンを彫ったのかな。自分も感染してやっと患者さんたちと一緒になれたことを喜ぶような高尚な魂に私たち俗人もどこかで憧れる。きっとそれに呼応するものを誰もが奥底にもっているのではないかとも思うのです。

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2
第1章より
歩くことと考えることの間に隙間がなくなるとは、哲学することが生きることに直結するようなことでしょうか?ただ考えるのでなく、自分の生にいつも触れていること。そして、こう生きるべき!といきがるのでなく、時空に馴染むように、世界に寄り添うように生きること。ただ観念に振り回されるのでなく、自分の足で感じること。その実感をもって歩くこと。そして、自分の道は自分にしか歩けない道として愛おしみたいと思いました。

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1
哲学って何?にこだわってます。P28 哲学をわが身に宿している人はそれが何であり、それにどれほど大きな意味があるのかを格別に意識しない。
哲学とは、〜迷いながらも歩くことだった。
表紙の帯 「考える」前に「動け」
哲学者でなくても誰にもありうるものですか?

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