#名刺代わりの小説10選
◯ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ」/
◯ガルシア・マルケス「百年の孤独」/
◯安部公房「砂の女」/
◯石牟礼道子「苦海浄土」/
◯エミール・アジャール「これからの一生」/
◯マルセル・プルースト「失われた時を求めて」/
◯フランツ・カフカ「城」/
◯ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」/
◯ウンベルト・エーコ「薔薇の名前」/
◯イヴォ・アンドリッチ「ドリナの橋」/
#短編を10作品選んで史上最高の短編集を作れ
◯目取真俊:「群蝶の木」
◯島崎藤村:「ある女の生涯」
◯深沢七郎:「楢山節考」
◯黒島伝治:「橇」
◯フロベール:「純な心」
◯ナボコフ:「ロシアに届かなかった手紙」
◯ カテリーナ・モートリチ:「天空の神秘の彼方に」
◯ チェーホフ:「六号室」
◯カフカ:「流刑地にて」
◯ゴーゴリ:「外套」
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二つ目に、そもそも、僕自身に『オデュッセイア』自体を読もうというモチベーションが、あまりなかったということがある。 これだけ有名な本なのだから、もっとずっと前に読んでいてもおかしくはなかったはずだ。 例えば、テオ・アンゲロプロスの映画『ユリシーズの瞳』を観た後に読んでおいてもよかったかも知れない。 だが、結局読まなかった。 そもそも、僕は、古典中の古典をほとんど読んでいない。 同じホメロスの『イリアス』も読んでいないし、シェイクスピアも、先日『ハムレット』を読んで、その相性の悪さは水と油のようだった。
セルバンテス『ドン・キホーテ』も、前篇だけ読んで積読状態になったままだ。 ほとんど、古典音痴と言うしかない有様だ。 なぜ、僕は古典とここまで相性が悪いのだろうか? たぶん、一つには、古典の世界は、「神」が君臨する世界だということがあるのだろう。 僕は、「神」という奴が大嫌いなので、その感情が「バカの壁」となって、古典作品の理解を妨げているのかも知れない。/
三つ目は、ストーリー展開があまりに紋切り型な点である。 オデュッセウスは一日も早く故郷イタケへ帰らんと欲するも、ことごとく神々に行く手を阻まれ、数多の島々を放浪せざるを得ない。 判で押したようなそのストーリーは、昔のラジオドラマ「君の名は」を聴いているようだ。 ここのところ読みたい本が目白押しで、早く読み終えたいと焦る僕の心を嘲笑うかのような、無限連鎖の「金太郎飴」ストーリーだ。 そういう訳で、この本も、『ユリシーズ』を読み始めなかったら、ずっと積読のままで終わっていたのかも知れない。/
ところが、上記のような数々の不満にもかかわらず、驚いたことに、この『オデュッセイア』の世界は、いまだに現代に通ずるものがあるのだ。 何しろ、EUやアメリカなどの欧米民主主義国の人々は、ウクライナを「生贄の羊」として差し出して、ひたすら冷酷な「荒ぶる神プーチン」の怒りが静まるのを祈るだけなのだから。
ハズキルーペで読み終えられ意識に感動します。『イリアス』も読まれましたか?
ロシア軍のブチャなどにおける蛮行を目にした後なので、当分、戦争物語は読めそうにありません。『ドン・キホーテ(前篇)』に次いでの古典体験でした。むしろ、ロジェ・カイヨワの『戦争論』の方を読んでみたいと思います。