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2024年4月の読書メーターまとめ

踊る猫
読んだ本
17
読んだページ
5675ページ
感想・レビュー
17
ナイス
712ナイス

2024年4月に読んだ本
17

2024年4月のお気に入り登録
5

  • マーブル
  • Fumoh
  • つちのこ
  • T S
  • r

2024年4月のお気に入られ登録
7

  • つちのこ
  • 午後
  • Ch
  • ユウキ
  • 複製機械
  • ぷんぷん
  • yuki

2024年4月にナイスが最も多かった感想・レビュー

踊る猫
堅牢な思索によって支えられた論理で、西部はこの世界に蔓延する「ニヒリズム」を冷徹に批判する(それはたしかな覚悟もないまま「戯れ」として「価値相対主義」に溺れる作法への批判も含むはずだ)。瑕疵はいくつかあるだろう。例えば「言葉」が人間存在の基盤をなす要素であることは同意するが、その「言葉」を支えるこの身体感覚への分析が欠けていないか、というように。しかし、なおこの本が見抜いた射程は現在のそれこそ原理原則なき「ポスト・トゥルース」な世界(ある意味究極のニヒリズムの具現化では?)にまで届く、恐るべき強度をはらむ
踊る猫
2024/04/28 11:54

与太話を1つ。ぼくは論敵(?)である宮台信者だった時期がある。だが、この2人はいまの目で読み返してみるとそれぞれがそれぞれの実存の立ち位置から同じ地点をめぐって話しているような、そんな気がしてならない。宮台的にニヒリズムを超えた生き方を語ろうとすればどうしたって「天皇」「革命」的な彼のお祭り体質が顔を出すのだろうし、西部的に語れば(まだそこまで読み込めていないが)こうした極度にストイックで思弁的な、「(ぼくのような)バカにもわかるように」なんてこれっぽっちも思っちゃいない書きぶりになってしまうんだろうなと

が「ナイス!」と言っています。

2024年4月にナイスが最も多かったつぶやき

踊る猫

藤が咲いたので

藤が咲いたので
が「ナイス!」と言っています。

2024年4月の感想・レビュー一覧
17

踊る猫
「いま」の目で読んでもなかなか示唆に富む……というより、これほどまでにグローバリゼーションが進んだ状況によってもたらされる「知りたいこと(だけ)を即座に、知りたいように享受できる」時代が来てしまったからこそ本書が指摘する、ぼくならぼくの中に内在するステレオタイプな日本観やアメリカ観の呪縛の危険性を警戒することは重要だろう。サイード『オリエンタリズム』とも呼応する問題意識を響かせつつ、著者はそうしたステレオタイプが目を曇らせ冷静な現状認識を妨げる危険性に警鐘を鳴らす。実に「汗顔の至り」と襟を正す思いを感じる
が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
読み返す。自伝とはその定義上人の人生のまとめを集成したものであり、別の言い方で言えば膨大な「自分語り」ということになろう。なら、この本は一見すると上野がその豊富な読書量をもとに(いい意味でも悪い意味でも「これ見よがし」「挑発的」に)書き下ろしたブックガイドのようでありつつも、その深奥にあるのは「そのようにして語らされてしまう『自分』とは何か」「そのように『語らせる』のは誰か(何か)」を問うきわめて原初的な批評意識なのだろう。ぼくもまた、こうして読書の感想を書きなぐる。だが、その「語り」は誰に貢献するのか?
が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
堅牢な思索によって支えられた論理で、西部はこの世界に蔓延する「ニヒリズム」を冷徹に批判する(それはたしかな覚悟もないまま「戯れ」として「価値相対主義」に溺れる作法への批判も含むはずだ)。瑕疵はいくつかあるだろう。例えば「言葉」が人間存在の基盤をなす要素であることは同意するが、その「言葉」を支えるこの身体感覚への分析が欠けていないか、というように。しかし、なおこの本が見抜いた射程は現在のそれこそ原理原則なき「ポスト・トゥルース」な世界(ある意味究極のニヒリズムの具現化では?)にまで届く、恐るべき強度をはらむ
踊る猫
2024/04/28 11:54

与太話を1つ。ぼくは論敵(?)である宮台信者だった時期がある。だが、この2人はいまの目で読み返してみるとそれぞれがそれぞれの実存の立ち位置から同じ地点をめぐって話しているような、そんな気がしてならない。宮台的にニヒリズムを超えた生き方を語ろうとすればどうしたって「天皇」「革命」的な彼のお祭り体質が顔を出すのだろうし、西部的に語れば(まだそこまで読み込めていないが)こうした極度にストイックで思弁的な、「(ぼくのような)バカにもわかるように」なんてこれっぽっちも思っちゃいない書きぶりになってしまうんだろうなと

が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
軽快な語り口でよどみなく論理が展開していくが、その語られる中身は単なる時事評論にとどまらずぼく自身の「生きづらさ」までもえぐるものであり唸らされる。そして、「いま」この本と対峙して思うのは、収められている「真実があるということの思い込み」からいかに解放されるかという問題意識にはもちろんいまなおある程度有効性があるのだけれど、同時に「すべてがフェイクだ」と居直ってしまう幼児的な自閉・自己中心主義に染まってしまう陥穽をも避けたく思ったということだ。原理主義にもシニシズムにも染まらない第三の道がありうるのかも?
が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
ぼく自身いまだにネットと適切につき合えないまま30年近いネット歴をのんべんだらりと過ごしてしまったことを思い、この本の指摘に膝を打つ思いを抱く。ネット依存について他の依存症の心理とからめて論じ、かつその依存を引き起こしうる重要な要素・要因である「退屈」に着目して数々の哲学的論考を参照しながらあざやかな手つきで整理・論述の手さばきを見せる。だが、その著者の野心と聡明さが暴走するあまり哲学やら政治やらポップカルチャーやら……と著述の対象があれこれ貪欲に取り込まれ、その結果どこか釈然としない読後感が残ってしまう
が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
保守思想の要諦とは、ぼくたちが保持する共通認識としての文化や伝統(西部言うところの「コモン」なもの)を重んじることだろう。だが、本書を虚心に読むとそうした「コモン」に西部はどこかなじめないものを感じているかのようだ。西部という人はその桁外れの知性ゆえにこの社会の「コモン」を見抜くことはあれど、その「コモン」を信じ込む熱狂的な忘我からも距離を起き「コモン」の内実についてその知性を休めさせず考え抜く。だから彼にとっては保守思想は(当たり前だが)考えを進めるスタート地点ではあれどゴールではなかったのだなと考える
が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
陳腐な「私語り」をするが、過去に西部の「衆愚」を批判する姿勢にどうしても馴染めなかったことを思い出す。それは端的にこのぼくもまた「衆愚」でしかありえない(教養もないしエリートでもない)という自覚によるものだった。でも「いま」虚心に耳を傾けると、西部の思考はむしろその鋭すぎる切っ先を西部自身にも向けて徹底的に分析・解析しようと「葛藤」しているように読める。だからぼくはこの本をお手軽な保守思想の教科書としては読めない。西部が(クサい言い回しではなはだ恐縮だが)実存を賭けて論じきった渾身の論考の詰め合わせと読む
が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
この本で批判されている、まさに「女ぎらい」な社会を生きてきた「男」として興味深く読む(そんな社会に加担した覚えはないが、その自覚自体この「ホモソーシャル」な「男社会」で安寧と暮らしている怠慢の産物だろう)。ぼくからすればボーヴォワール的に「女になる」のと同様に男だって例外はあれどどこかで(たぶんに性愛を通して)「男になる」「男に染まる」ものなのだと異論も言いたくなるし、他にも言いたいことはあるがしかしこの本の論点から切実に「逃げちゃダメだ」とも思った。彼女の指摘する「男」とこのぼくの実感のズレはどこから?
踊る猫
2024/04/21 20:29

ぼくはこの問題に対して、あくまでまず「少なくともこのぼくだって『男社会』の中で(猥談の輪からもハジカれてさんざんいじめられたので)ずいぶん抑圧されて、だから学校では死んだふりをして過ごして恋も青春も、『ホモソーシャル』な社会における勝者となることもまったくあきらめて生きざるをえなかった」と言っておきたい。もちろん「だからぼくはフェミニストを名乗れる」なんておこがましいことは言わない(もっとゆがんだ女性観を植え付けられて苦労したというのが本当のところだ)。上野千鶴子が見ていないインビジブルな層がぼくの立場だ

踊る猫
2024/04/21 20:45

あと思ったのは、ナボコフ『ロリータ』をロリータがハンバート・ハンバートをたぶらかして必死にサバイブしようとあがいた話、と読んでいるところ。ぼくは(これは皮肉抜きでぼくの限界かなとも思うが)『ロリータ』はまさにハンバート・ハンバートの妄執・偏愛の中でいたずらにロリータの美的・性的価値がふくれ上がる滑稽さに満点大笑いする話と読んできたので(つまり、ロリータからすればハンバート・ハンバートなんて「あのおっさんヤバい」で終わりだろう)、ここでぼくと上野千鶴子の間に1つ「ズレ」があることに気づかされてそれが興味深い

が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
訳者が指摘するように、まだ同性愛が逸脱・異常と見なされていた時期の仕事ゆえの難点は無視できない(あるいは、まともに恋愛できないと本書で指摘されるサディストやマゾヒストに関して「彼らの」声を代弁する作業もまた必要だろう)。だが、それを踏まえてもいまもなお読ませ、考えさせる強度を備えた仕事であると唸る。個人的な経験に属する愛をここまで一般化・普遍化して平たい図式として展開し、そこから現代社会がはらむ異常・病理まであぶり出すその手つきに舌を巻く。そして、そんな時代においてこそ自分の実感に誠実に向き合う必要がある
が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
毎度ながら超テキトーなことを書くが、この著者がこの「生きづらさ時代」を生きる人たちに向ける眼差しに(そして、彼らの「孤独」の正体に肉薄せんと寄り添う姿勢に)どこかチャック・パラニュークやブレット・イーストン・エリスにも似たものを感じる。むろん結果としてできあがった作品は似ても似つかないものではあるが、読み進めるにつれてこの繊細な著者はあえて自らを黒子に徹し、登場する人々たちの声を聞き取ろうとしていると思った。だから暑苦しさもなくそれでいて「薄口」という印象もなく、あとに確かな滋養や渋めのポジティブさを残す
が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
鶴見俊輔の語ることは、少なくともぼくの印象では「チャート化」して呑み込むことが難しい。「反戦平和」というスローガンを唱えていたとしても、この「元祖不良」を生きてきた知識人が語るとその「裏」「深層」を探ってしまいたくなる。そうして読者のぼくたちをもその言葉や思索に引き込み、あくまで自らの頭や肚で感受して考え抜くことを示唆する。そこにこの稀有な知識人の凄味があるのかもしれない。この対談集を読み返し、幅広く文化や政治や歴史を論じられるポテンシャルに唸る。同時にそうして思索を開陳しつつ相手を封じ込めない柔らかさも
が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
すでに『期待と回想』で知っていたとしても、それでもなお「書く」ではなく「口述する」鶴見俊輔のその言葉はあたたかく力強いと、その強度に唸らされる。まだこの鶴見と黒川創について深く知ったとは言いがたいので、この本の真価を汲み取れたとも思えない。だが、トラウマ的な幼少期(いまなら「毒親育ち」だろうか)を経て不良になったと自負し、それが「ぶりっ子」「鼻持ちならない」的な悪臭を漂わせないのもこの思想家の稀有な魅力なのだろうなとも思う。黒川創はまさにそうした「稀有な魅力」を引き出しうるインタビュアーだったのだろう、と
が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
アカデミシャンが得意とする、快刀乱麻の論理の切れ味で森羅万象をたたっ斬りなんでもかんでもチャート化してしまう論述の「真裏」「対極」の会話が展開されていると感じた。つまりあえて(深い思索をくぐり抜けた上で)「庶民になじむ」言葉を選び、論理と同時に鍛え抜かれた直感と人間性を信頼してそこから思考を立ち上げる。ぼく自身、彼らのすべてに賛同するつもりはない。だが、大筋で彼らはこの日本の独特の言論の風土を見据えて大事なことを的確に・平明に語っていると受け取る。「芯の強さ」と「すぐ目先の文化に反応する感受性」が両立する
が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
実に鮮やかに(それこそヴァルター・ベンヤミンばりのナイスなDJとしての凄腕を見せつけつつ)高橋源一郎は虚実・夢現を巧みに混交させて唯一無二のハイブリッドをこれでもかと繰り出していく。どんな切り口の分析にも耐えうる懐の深さと確かなメッセージ性を備えた骨太な思索の結晶だが、ぼく自身はここまで自在に改変された歴史(ナウシカさえもが重要な登場人物としてミックスされる)がしかし「デタラメ」かつ「無責任」なナンセンスに堕していないところにこの著者の愚直な姿勢を見る。天皇という語りにくい題材を呑み込むポップの底力に唸る
が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
鶴見俊輔は実にフットワークも軽く、さまざまなことがらに思いをめぐらせる。大衆文化・文学から幼少期の思い出、政治や歴史などなどについて。興味を惹かれた対象に向けてきわめてまっすぐ・誠実にアンテナを伸ばし、そこから貪欲に何物かを吸収しようとするその好奇心のあり方はいまなお見習うべきところがあると唸った。専門性を持たず(というのはむろん、彼の姿勢が軽薄だったというわけではない。年のために)jそうした縦横無尽に読み・書くことができたのもその彼の一見すると微温的でありながら剛直な知性の現れではないかとまで考えてみる
が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
これはこのぼく自身の安易な人生観・倫理観の寝首をかくクリティカルな1冊だと唸る。ぼくもまた心のどこかで(多分にフランクル的に)自分の心の持ちようにこそ「幸せ」の源泉を見出していたのだけど、肝心の「では、その『幸せ』とはそもそもどう定義づけられうるものか」が問われないままイージーに「幸せ」を蜃気楼よろしく追い求め続けてむなしく生きているのが実態かもしれないな、と本書の議論を追いつつ思ってしまったのだ。この本から見えてくる、個人の私的な領域としての「幸福観」までもが「専制」の対象となる実態について考え直したい
踊る猫
2024/04/07 20:23

実にエッジの効いた、辛味のある議論が展開されており読み応えあり。ただ、本書はポジティブ心理学への批判が先走りすぎて、その背景となった政治・経済の歴史やその反映としての文化(ポップカルチャーやサブカルチャー)の変遷にまで分析が及んでいないのが惜しい。あるいは、こうした問題を論じるとなると「スピリチュアル」「オカルト」とされる分野がどのようにこの社会へ波及してきたかについても論じないといけないとも思う。だからこの本は「結論」というより「試金石」的な、この本から新たな議論が展開されるべき「たたき台」だと思われる

が「ナイス!」と言っています。
踊る猫
もちろん是非・賛否は割れるだろうが、鶴見俊輔の書くものから見えるのはある種の「柔和さ」「柔軟さ」だ。自らに対しても「悪人」「不良」と率直に刃を向け(これを、いかにもな「謙遜」「謙虚さ」のあらわれとついつい読みたくなるが、それでは鶴見の持つ「因業」「毒」を無毒化してしまう)、世界に対しても過度に自らの知性を誇示せず、かつ理知を信じすぎず愚者・弱者として対峙する。だから鶴見の書いたものは理論的に強度を誇るものというより、その考え方を参照しつつそこから読者個々人の思考を練り上げていく、実にオープンなものだと思う
が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2015/07/15(3214日経過)
記録初日
2015/07/15(3214日経過)
読んだ本
1541冊(1日平均0.48冊)
読んだページ
506812ページ(1日平均157ページ)
感想・レビュー
1480件(投稿率96.0%)
本棚
5棚
外部サイト
URL/ブログ
https://backtolife.hatenablog.com/
自己紹介

踊ります!

#「あ~ん」を好きな文学作品で埋める

あ 『アウステルリッツ』W・G・ゼーバルト
い 『異邦人』アルベール・カミュ
う 『ウインドアイ』ブライアン・エヴンソン
え 『M/Tと森のフシギの物語』大江健三郎
お 『終わりと始まり』ヴィスワヴァ・シンボルスカ
か 『火山の下』マルカム・ラウリー
き 『奇偶』山口雅也
く 『苦海浄土』石牟礼道子
け 『化粧』中上健次
こ 『孤独の発明』ポール・オースター
さ 『さようなら、ギャングたち』高橋源一郎
し 『シンセミア』阿部和重
す 『好き好き大好き超愛してる。』舞城王太郎
せ 『Self-Reference ENGINE』円城塔
そ 『訴訟』カフカ
た 『第三次世界大戦秘史』J・G・バラード
ち 『血の熱』イレーヌ・ネミロフスキー
つ 『罪と罰』ドストエフスキー
て 『天国が降ってくる』島田雅彦
と 『道化師の恋』金井美恵子
な 『夏と冬の奏鳴曲』麻耶雄嵩
に 『日本難民』吉田知子
ぬ 『ぬかるんでから』佐藤哲也
ね 『眠れる美女』川端康成
の 『ノヴァーリスの引用』奥泉光
は 『匣の中の失楽』竹本健治
ひ 『日々の暮し方』別役実
ふ 『ブエノスアイレス午前零時』藤沢周
へ 『ペニス』津原泰水
ほ 『ホテル・アウシュヴィッツ』山口泉
ま 『マルテの手記』ライナー・マリア・リルケ
み 『三つの小さな王国』スティーヴン・ミルハウザー
む 『村上龍映画小説集』村上龍
め 『冥途・旅順入城式』内田百閒
も 『もうひとつの夏へ』飛火野耀
や 『夜間飛行』サン=テグジュペリ
ゆ 『夢十夜』夏目漱石
よ 『夜の子どもたち』芝田勝茂
ら 『楽天記』古井由吉
り 『リトル、ビッグ』ジョン・クロウリー
る 『ルビコン・ビーチ』スティーヴ・エリクソン
れ 『恋愛のディスクール・断章』ロラン・バルト
ろ 『ロリータ』ウラジーミル・ナボコフ
わ 『若き日の哀しみ』ダニロ・キシュ

(2023年2月5日時点)

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