先月は、娘の結婚相手のご家族との食事会が東京であり楽しい時間を過ごした後、帰りに東京駅の階段で足を踏み外し額から大量出血、救急搬送のうえ二十一針縫うという思わぬ出来事が。打撲の痛みも抱えつつで、読書ペースは落ち気味。今月は復帰の月にしたいと思います。9月の読書メーター 読んだ本の数:17冊 読んだページ数:6305ページ ナイス数:816ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/640905/summary/monthly/2024/9
➡️◉この版では、文庫化にあたっても歴史的かなづかいのままとしており、谷崎の文章の息遣いをより堪能できた。息の長い、しかも明晰な文章は、主人公が感じている東西文化の違いや女性観など、読者に力ずくではなく納得させてしまうもので、まさに名人芸。◉解説によれば、小出楢重の挿絵もすべて収録。この洋画家の絵画となると厚塗りの絵の具のせいか独特の重苦しさがあるが、ここでは白と黒のみで描かれているからか、ぼってりとした筆致の中にも軽みを感じさせ、この小説世界とよく合う。
▶️本文7章中、文字のない、図版のみからなる章が3章挟まれてるのも特徴。この他にも図版が多いだけに、それぞれ小さく、モノクロなのはやむなしとはいえ残念。図版のみの章では後ろに「一覧」の解説があることを知らずに見ていたが、はからずも先入観なしに眺めることができた。中でp174、175の作者がギュスターヴ・クールベであることは、若い女性を描きつつも重苦しい存在感が強烈で、これだけは記憶に残っていた。
➡️中で情報が次々に展開するので、読むのにはかなり時間がかかった。臨床で結果を出すことを第一とする北里と学理を重んじる鷗外、ふたりの病気への向き合い方は遂に合致することはない。ここでは北里の豪放磊落な性格が際立つが、それ以上に「大風呂敷」後藤新平が絡むと話が俄然面白くなる。最初と最後に鷗外の上司であった「妖怪」石黒子爵が登場し二人の物語に決着をつけるが、「あとがき」で著者が述べる評価で、もう一度反転させる。面白い本であるものの、両者の内面と葛藤にもう少し立ち入ってもらいたかったとの憾みも残る。
このほか、教科書にも取り上げられる有名な事件の歴史的意義、後世への影響といったあたりにも触れてほしかった。「歴史をわかりやすくし過ぎ」という批判も出そうだが、こうした視点を補強する形での実証的な裏づけという記述方法の方が、歴史に疎い自分には助かる。巻末の「現代語訳 大塩平八郎檄文」は興味ある内容。ただ、この文だけを読んで自らの命の危険を顧みず叛乱に参加する当時の人の気持ちは推し量れない。元の文だと効果は幾分異なるかはしれないが、やはり私塾で直接謦咳に接した門下生が中心になった理由も、このあたりにありそう。
➡️業績は鷗外ならでは。掲載される文には「しかるに」(p56)、「星霜」(p93)、「さりながら」(p98)と古風な言い回しも散見するが、これが文章の密度を高めているのも事実。これとても、鷗外の文体に知らず知らずのうちに影響を受けたがゆえか。◉印象的だった部分を書き出したら、B5ノートで20ページを優に超えることに。その中から ①睡眠時間は二時間で十分と語る話(p159)。②そうして時間を作ったとしても、ゲーテの『ファウスト』を多忙な軍医総監勤務と並行してわずか半年で訳し終える集中力の凄まじさ。➡️➡️
➡️➡️③歴史小説の斬新さは、女性の斬新さにある。」「運命の逆境を己の英知で乗り越えてゆく」(p58)という視点。最近読んだ『安井夫人』の佐代の他、『澀江抽斎』の「五百(いお)」、『最後の一句』の「いち」の印象は鮮烈であるが、『ぢいさんばあさん』の「るん」(江戸時代の史実にある名だそうです。p74)は完全に忘れていた。基本的に著者ごとに異なる切り口で書かれているこの本でも、複数人が挙げているほど。この他にもまた読み直したい作、新たに読みたい作(特に翻訳もの)は多数。
「もう一度階段を駆け上ろうと挑んでいたレイチェルは、自分の性の秘密を明かす機会をまたもや無視した。(中略)その秘密を哲学的に議論するのは後の世代の人たちに任せることにしていた。」(p182)。「・・・どこへ行きたいのかわからず、ただ盲目的に従い、人知れず多くの苦しみを受け、いつも不意打ちに驚かされ、何もわからないでいたのだが、あることが別のあることに繋がり、無から次第に何かが形成されていき、ついにはこの平穏、この静寂、この確かさに到達したのだった。人が人生と呼ぶのはこの道程だ。」主人公の独白。p221。
▶️及ぼす。)。後半は降り立った土地で大勢の若者が加わる中、古代ギリシャの詩人ピンダロスの研究者を夫に持つ、彼らよりずっと年上のヘレンが、一層魅力的に描かれる。彼らのダンスパーティが終わり夜明けを迎える場面の美しさは、類を見ない。その後レイチェルがギボンの『ローマ帝国衰亡史』を手に取り読み始める場面がまた、清新の極み。「言葉がこれほど鮮明で美しいものであったことはなかった。(中略)これらの言葉全体が、世界がまさに誕生する頃に通ずる道へと導いてくれると感じられるのである。その道の両側にはあらゆる時代▶️▶️
▶️▶️の人々や国々が並木のように立ち並び、そこを遡っていくうちにすべての知識が自分のものとなり、世界という本の第一ページまで手繰られていく。知識がいま自分の前に開かれていくという可能性に胸が躍り、レイチェルは読むのをやめ、微風がページをめくり、ギボンの表紙は静かに揺れて閉じられた。彼女は立ち上がって再び歩き始めた。」(p304〜305)
➡️◉以下の、すべてひらがなで示される十三章より構成。「すばる」「れんず」「なんてん」「あわ」「じしゃく」「ぶらんこ」「しんじゅ」「かつお」「ふぐ」「ほたる」「たけ」「あさがお」「ひがんばな」。◉「ふぐ」の章で、なぜ「紫式部は清少納言に手厳しい評価をくだしたか」について、『枕草子』で紫式部の夫となる藤原宣孝をあしざまに書いていることに端を発するとする視点が、(ここは他文献の引用であるが)集団ふぐ中毒と思われる災難と合わせ述べられるのが面白い。
あら、判決文を読む仕事、でらしたんですね。あれ、なんで長い長い一文にしたがるんでしょう。自分で書いたことないからわからないのですが、もしかして「。」をつけなければ、わかりにくくても、文意があいまいにはならない、ということかなと愚考しています。箇条書きでいいのに、禁止されてるんですかね。
きゃれらさん コメントありがとうございます。私も読むだけですので事情は不明です。普通の人には書ける文でなく、あの文章を書く前にいったん箇条書きにして思考を整理し、しかる後に一文にしたのではないかと想像することがあります。ひとつの完結した内容は句点で途切れさせてはいけない、という縛りでもあったのでしょうか。
➡️対比的に描きつつ、ナポレオンを「これら両者の才能を一身に兼備した完全な天才」と結論づける筆の運びなど、いかにもこの作者らしい。多くの競争者に打ち勝ってきた彼にして「ただひとつだけ学び落としたことがあった」(p387)と前振りをしたうえで、その具体的内容をその後で明らかにする記述方法も随所に現れ、読み手としてはこの巧妙な語り口にどうしても引き込まれてしまう。
こんにちは。「読書メーター」で皆さんと交流できることを楽しみにしています。
半世紀余り、手当たり次第に本を読んできました。愛読してきたのは、
・「モームの世界の10大小説」とその周辺
・いわゆる黄金時代の本格推理小説
・トーマス・マン
・ヘッセ
・プルースト
・チェーホフ
・O・ヘンリ
・ジャック・フィニイ
・マッカラーズ
・ジェイン・オースティン
・紫式部(数種の現代語訳「源氏物語」)
・夏目漱石
・寺田寅彦
・内田百閒
・中里介山(「大菩薩峠」)
・永井荷風
・谷崎潤一郎
・江戸川乱歩
・石川淳
・尾崎翠
・福永武彦
・北村薫始め「日常の謎」を扱ったミステリ
・恩田陸
・丸谷才一(いわゆる雑文を中心に)
・吉田秀和
・大島弓子(漫画家)
・新幹線網が張り巡らされる前の時刻表(宮脇俊三氏が健筆を振るった頃)
・和漢朗詠集
・新古今和歌集
・「折々のうた」他の詞華集
・歳時記
感想文は遠い昔の学生時代から大の苦手で、これまで記録も投稿も断続的かつ一部に留まっていましたが、皆さんに触発され、以前読んだ作品も含め少しずつでも投稿していければと思っています。(追記。2020年10月頃、遅まきながら読書メーターに参加できる歓びを本格的に知ることとなり、読書のペースが上がるとともにほぼ全ての本に投稿するようになりました。)
読書の他には、クラシック音楽(地味めのものを中心に)鑑賞と、筆記具(インク含む)集めが主な趣味です。
これからに向けて「積読本」「読みたい本(再読したい本・・これがまた多い・・を含む。)」を徐々に整理していたら、まだまだ増えていくことに気付きました。残りの人生でどこまで読むことができるのか、時々不安になります。
これからもお付き合いの程、よろしくお願いいたします。
(2020年11月28日に一部追加修正しました。)
(2021年1月18日から19日にかけ、書き漏らしていた愛読する作者、近況を追加をしました。)
(2021年3月7日に、愛読本としてマッカラーズを追加しました。)
(2023年8月27日に、愛読本としてオースティンを追加しました。)
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます
➡️中で情報が次々に展開するので、読むのにはかなり時間がかかった。臨床で結果を出すことを第一とする北里と学理を重んじる鷗外、ふたりの病気への向き合い方は遂に合致することはない。ここでは北里の豪放磊落な性格が際立つが、それ以上に「大風呂敷」後藤新平が絡むと話が俄然面白くなる。最初と最後に鷗外の上司であった「妖怪」石黒子爵が登場し二人の物語に決着をつけるが、「あとがき」で著者が述べる評価で、もう一度反転させる。面白い本であるものの、両者の内面と葛藤にもう少し立ち入ってもらいたかったとの憾みも残る。