その成立過程には当時としては異様なほどに支那(中華)料理屋が密集していた浅草の土地柄や、小麦粉をめぐる国家の事情=関税自主権の回復、流通を担う鉄道の新規開通など、様々なファクターが絡み合っており読んでいて面白いが、そもそも重要なのはソース焼きそばが和洋中様々な料理のパロディである「お好み焼き」のなかの一品として誕生したということだ。
〈支那料理屋において「炒麺(ヤキソバ)」は、ごく一般的なメニューだった。(…)その「炒麺」は蒸した中華麺を使用していた。それをお好み焼きに流用すれば、支那料理の「炒麺」のパロディとして、まったく似ていないお好み焼きの「やきそば」が出来上がる。〉(p.36)
本来であれば醤油や塩で味付けする「炒麺」が日本のお好み焼きの文脈に「寄生」してソース味の「やきそば」として愛されるようになる。のみならず、戦後、食糧難の風に押されたヤミ市の屋台に乗っかる形で、それは浅草を飛び出し東京全域や関東の各地に広がり、時代が下るにつれて全国へと伝播した。新潟ではミートソースと出会って「イタリアン」なる変種が生まれていたりするらしくて、いやいやなんだそれ。すごいぞ食文化、すごいぞソース焼きそば!
最後にもう少しだけ。第二章第一節「大正七年のソース焼きそば思考実験」では、文字通り大正七年にソース焼きそばを成立させるための条件を思考していくのだが、その過程で明治〜大正の様々な文献に触れられるのが愉しい。ここが本書の白眉であろう。また第四章「全国に拡散するソースの香り」では全国のソース焼きそばが紹介されており、ガイドブックとしても役に立つ。ソース焼きそばファン必読の一冊です。
「deny Me and be dooMed」(僕を否定すれば、破滅する) とりあえず、いい加減な人間です。
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その成立過程には当時としては異様なほどに支那(中華)料理屋が密集していた浅草の土地柄や、小麦粉をめぐる国家の事情=関税自主権の回復、流通を担う鉄道の新規開通など、様々なファクターが絡み合っており読んでいて面白いが、そもそも重要なのはソース焼きそばが和洋中様々な料理のパロディである「お好み焼き」のなかの一品として誕生したということだ。
〈支那料理屋において「炒麺(ヤキソバ)」は、ごく一般的なメニューだった。(…)その「炒麺」は蒸した中華麺を使用していた。それをお好み焼きに流用すれば、支那料理の「炒麺」のパロディとして、まったく似ていないお好み焼きの「やきそば」が出来上がる。〉(p.36)
本来であれば醤油や塩で味付けする「炒麺」が日本のお好み焼きの文脈に「寄生」してソース味の「やきそば」として愛されるようになる。のみならず、戦後、食糧難の風に押されたヤミ市の屋台に乗っかる形で、それは浅草を飛び出し東京全域や関東の各地に広がり、時代が下るにつれて全国へと伝播した。新潟ではミートソースと出会って「イタリアン」なる変種が生まれていたりするらしくて、いやいやなんだそれ。すごいぞ食文化、すごいぞソース焼きそば!
最後にもう少しだけ。第二章第一節「大正七年のソース焼きそば思考実験」では、文字通り大正七年にソース焼きそばを成立させるための条件を思考していくのだが、その過程で明治〜大正の様々な文献に触れられるのが愉しい。ここが本書の白眉であろう。また第四章「全国に拡散するソースの香り」では全国のソース焼きそばが紹介されており、ガイドブックとしても役に立つ。ソース焼きそばファン必読の一冊です。