典型的なA型人間です^^;
長年気分転換に軽い本を読む程度でしたが、
あるとき図書館に「軽い本」を借りに行き、
ついでに何気なくほかの棚も眺めていると、
イプセンやストリンドベリといった
名のみ知っている作家の本が目に入りました。
その瞬間
「人生は短い、
この本を読めばあの本は読めないのだ」
という以前目にした言葉が脳裏に浮かび、
「自分は何をしているのだろう、
読むべき本はほかにあるのではないか」
という思いにとらわれ、考え込んでしまいました。
それ以後は、極力
読み応えのある作品を選ぶよう心がけています。
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椚山氏の主張で最も説得力を感じたのは、第1次稿に着目して、賢治がカンパネルラに早逝した最愛の妹トシを重ね合わせていると断じた箇所。着眼点が鋭く、説得力に富んでいる。一方、富永氏の主張で印象的なのは、カンパネルラが消えた直後、旅の最後の場面の解釈。第3次稿にあった“プレシオスの鎖”を「ヨブ記」の“プレアデスの鎖”だとして、ジョバンニが追い求める“ほんたうのさいはひ”について「ヨブ記」を中心に考察し、この作品を“キリスト教巡礼文学”の系譜に連なる物語、と定義している。