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2025年6月の読書メーターまとめ

ヴェネツィア
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120
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感想・レビュー
120
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2025年6月に読んだ本
120

2025年6月のお気に入り登録
29

  • 藤瀬こうたろー
  • 沙耶
  • おぎぎ
  • はち
  • ふーりん
  • 曲線の行方
  • ふみふみ
  • mooroom7
  • りんか
  • あきたま
  • みほクマ
  • カナリア
  • メグ
  • たまごろ
  • yuri
  • ゆうな
  • mog
  • はむはむ
  • heaen
  • kotepii
  • やま
  • anmi
  • 無名
  • あこ
  • 西ちゃん
  • カバヒコ
  • 土偶
  • 彩
  • hollyhock

2025年6月のお気に入られ登録
26

  • 藤瀬こうたろー
  • 沙耶
  • おぎぎ
  • はち
  • ふーりん
  • 曲線の行方
  • ふみふみ
  • mooroom7
  • りんか
  • あきたま
  • みほクマ
  • カナリア
  • メグ
  • たまごろ
  • yuri
  • ゆうな
  • mog
  • はむはむ
  • やま
  • anmi
  • 無名
  • あこ
  • 西ちゃん
  • カバヒコ
  • 土偶
  • 彩

2025年6月にナイスが最も多かった感想・レビュー

ヴェネツィア
ネタバレ薫子とせつな、ことにこれまでにはあまり見られなかった、せつなの造形が魅力的だ。物語は、この二人が軸になって展開していくが、実はもう一人、薫子の弟の春彦が影の存在として、潜在的な推進力を持っている。そして、その春彦の死と、薫子の思いがけない離婚とがサスペンスとして揺曳する。実に緻密で巧みな構成である。プロットからは家事代行業の物語かのようだが、それは素材に過ぎない。内質は薫子とせつなが抱える孤独の物語であり、薫子による新たな克服の物語である。構成上、もう一つ特筆すべきは、春彦の遺言書の持つ意味が最後に⇒
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2025年6月にナイスが最も多かったつぶやき

ヴェネツィア

皆様、今月もどうぞよろしくお願いします。☆ヴェネツィアさんの2025年5月の読書メーター 読んだ本の数:117冊 読んだページ数:14155ページ ナイス数:51768ナイス ★ヴェネツィアさんの2025年5月に読んだ本一覧はこちら→ >> https://bookmeter.com/users/157091/summary/monthly/2025/5

皆様、今月もどうぞよろしくお願いします。☆ヴェネツィアさんの2025年5月の読書メーター 読んだ本の数:117冊 読んだページ数:14155ページ ナイス数:51768ナイス  ★ヴェネツィアさんの2025年5月に読んだ本一覧はこちら→ >> https://bookmeter.com/users/157091/summary/monthly/2025/5
宵待草
2025/06/01 08:42

追伸 『ジュアン・ミロ』 ⇒ 『ジョアン・ミロ』 誤字や変換ミスが多く、ごめんなさいね!🙏💦 宵待草

yomineko@鬼畜ヴィタリにゃん🎄🎅🎄
2025/06/02 08:48

ヴェネツィアさん、おはようございます😊いつもありがとうございます✨✨✨今月もどうぞよろしくお願い致します🌸🌸🌸アリョーシャくんはお元気ですか?🐶🐶🐶

が「ナイス!」と言っています。

2025年6月の感想・レビュー一覧
120

ヴェネツィア
ネタバレ初出は昭和10(1935)年9月「文學界」。太宰26歳。寓話小説。語り手は、最初は誰とも知れぬ男だと思って読むのだが、やがてそれが猿であることがわかる。同時に物語の舞台もまた動物園の猿山であることも。相方は哲学者然とした猿である。そして、観客はどうやら西欧人であるようだ。今、彼らが置かれているのは、人工の樹々と石の環境である。新参の彼には閉塞感が強いが、古参の猿はもはや達観している。その猿山から観客の人間たちを観察し、批評するのだが、途中で逆転の構図に気づく。次第に戦時色を濃くしてゆく日本社会の⇒
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ヴェネツィア
シリーズ第3巻。物語はオクラホマのインディアン・テリトリーからミネソタのプラム・クリークに舞台を移す。一旦は南下したのに、再び北上したのである。一年間の成果を何もかも残して。ここプラム・クリークは三度目の再起の地ということになるが、最初は地面の横穴の住居からだった。やがて、これまでには得られなかった木造の家を手に入れ、学校にも教会にも通えるようになった。明るい未来が開けていそうだったのだが、アメリカ大陸の自然はまことに手厳しい。そんな中にあっても、いつも家族のために全身で働く父、優しく聡明な母、⇒
ヴェネツィア
2025/06/30 17:37

フクさん、私は全巻を通読するのは初めてなのですが今のところは、この巻に最も親近感を抱きました。

ヴェネツィア
2025/07/01 12:05

こぞのしおりさん、ローラ・インガルスはとっても懐かしい思いで読んでいます。英語版で読むのもよさそうですね。

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ヴェネツィア
国立民族学博物館の特別展の図録解説。マヤ高地のあちこちから(グアテマラが中心だが、一部メキシコも)集められたテキスタイルを地域ごとに紹介する。ただし、現代のマヤのものなので、衣装のデザインは伝統型と現代型の両方があり、どちらかといえば西洋式のものの方が多い。中でもことに華やかなものは祭の衣装なのだが、その祭自体がサン・ミゲルなど守護聖人の祭であったりと、すっかりキリスト教化している。色彩からいえば、やはり赤のイメージが強い。チュフのサン・マテオ・イシュタタンの晴着(これはデザインも伝統型)などは、⇒
ヴェネツィア
2025/06/30 11:37

⇒ことさらに鮮やか、華やかである。また、イシルのネバフでは、赤と黒の組合せの衣装(これも伝統型)が見られ、マヤ感を高めている。

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ヴェネツィア
エリック・カール作。お話といったものはなく、各ページにいろんな動物たちが登場して、それぞれの得意技を披露。「きみは できる?」と語りかけてくる。とってもカラフルな貼り絵の動物たちと、人間の子どもたちが魅力的。造型はいたってシンプルそうに見えるのだが、動物たちの特徴をとってもよく捉えている。フォルムと動作の本質を掴むのが上手いのだろう。子ども園で読み聞かせに使えば、みんなで大いに身体を動かせる。しかも、難しいものは一つもない。応用編だって考えられそうだ。とっても素敵な絵本。お薦め!
けいこ
2025/06/30 08:46

うちの子たち、真似してました。『はらぺこあおむし』より好きだったみたいです(^^)

ヴェネツィア
2025/06/30 08:55

けいこさん、そうだろうと思います。子どもたちが喜びそうです。

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ヴェネツィア
初出は昭和16(1941)年1月「公論」。太宰32歳。この準戦時下に、何を思ったか太宰は佐渡に行くことに。新潟高等学校で講演をした後、突然その気になったようだ。「私は天国よりも地獄が気にかかる」とは、何とも佐渡に対して失礼な話である。さらに「死神の手招きに吸い寄せられるように」とまで言う。なんともつまらない佐渡紀行なのだが、そのつまらなさがなかなかの味わいなのである。佐渡でも太宰には目的がないだけに散々である。ある意味、無為の境地か。最果て感の漂う紀行である。終わってみると、それが目的であったかのような。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
直木賞をめぐる攻防を、エンターテインメントに徹して描いた作品。主人公の天羽カインのモデルは、こんなに激しくないだろうと思うが、おそらくは作家自身だろう。相手役の千紘にもモデルがありそうだ。出版社はすべてこれ実名。登場する作家たちも、一応は変名になってはいるものの、軽井沢在住の馳星周や小池真理子、藤田宜永 などは誰の目にも明らかである。おそらくは、彼らの実像もあれに近いのだろう。また、作家と編集者、あるいは書店との関係もおおよそあんなものなのではないだろうか。天羽カインは、徹底して直木賞に執着するのだが⇒
ヴェネツィア
2025/06/29 19:01

⇒それもまたわからなくはない。千紘が最後にやったこと、および賞レースの結末は想像通りだったが、エンディングは余計であったように思う。もっとも、ああでもしなければ救われないのであるが。

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ヴェネツィア
東日本篇と対をなすもの。写真と文は同じく高井 潔氏。三重、滋賀から石垣島までをカバーする。西日本にも、重要文化財に指定された民家がいくつもあるのだが、写真集で見る印象からすれば、東日本の民家群が持っていた多様さに比べると、やや平板というか、際立った特徴に乏しいように見える(もちろん沖縄はこの点では例外)。それだけ共通した建築文化が行き渡っていたのだろうか。もちろん、そうはいっても京の町家が持っている格式がどこにでもある、というのではない。巻頭の六角の吉田家や上賀茂の西村家別邸は、さすがに独特の風格を⇒
ヴェネツィア
2025/06/29 08:18

⇒感じさせる。松阪の小津家、羽曳野の吉村家、奈良の今西家書院など重文になっているものは、さすがに単に古いだけではない様式美を持っている。それでも、私が最も心惹かれるのは沖縄の伝統建築の民家である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
1978年の初版刊行なので、かれこれ半世紀を生き延びた絵本。さすがに、お話も子どもたちの遊び方も絵も古いが、それは今では失われた素朴さとして燦然と価値を主張している。この「失われたもの」は、日本の社会と文化がかつて持っていたものだ。そして、この絵本が読み続けられる限りは完全に喪失することからは免れている。子どもたちの遊び、海賊ごっこは、まさに「見立て」である。そして、小さな女の子が崖から飛び降りるなんて、それこそ非難を浴びかねない。でも、そこにあるのは電子ゲームの世界からは絶対に得られることのない⇒
ヴェネツィア
2025/06/29 08:02

⇒リアルがある。それは、子どもが子どもとして生きるリアルである。

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ヴェネツィア
初出は昭和18(1943)年「文庫」。太宰34歳。全体は不統一なというか、気ままに書いたエッセイなのだろう。最初は七夕の思い出などを語るのだが、この部分はミソジニストの太宰が露わである。曰く「女の子って、実に抜け目が無く、自分の事ばかり考えて、ちゃっかりしている」、「まことに実利的でずるい」。また、「私は女ぎらいだから」とも述べている。そして、中段では妙に愛国的になり、後段では幼い頃の曲馬団の思い出などを語るのである。さらには産業戦士に話題が移り、最後は手のひらを返したように日本の女性礼賛で⇒
ヴェネツィア
2025/06/28 17:51

⇒締めくくる。曰く「女が戦争の勝敗の鍵を握っている、というのは言い過ぎであろうか。」などと言うのである。これも裏を返せば、本心はやはりミソジニストの証か。

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ヴェネツィア
ようやく下巻まで読了。私のイメージするSFとは違うのだが、それでもこの作品が多数の読者に圧倒的なまでに支持されていることはよくわかる。物語の舞台は異星(=異世界)のデューンであり、全くSFそのものではあるのだが、物語の構造はむしろファンタジーのそれに類似しているように思うのである。これはポールの異世界訪問譚であり、異類婚姻譚であり、世界征服の物語である。そして、同時に復讐譚でもあり、予言が成就するといった神話的な要素をも持っている。こうしてみると、本作は随分多様な物語を内包した、ある意味では複雑な作品⇒
ヴェネツィア
2025/06/28 17:10

⇒なのだが、その構造の核心にあるのは、ファンタジーとしての想像力ではないかと思うのである。なお、巻末に「デューンの生態学」や「デューンの宗教」が付されているが、それは物語世界を補完するものであると同時に、物語そのものに語らせることができなかったことの補遺のようにも思える。物語に一層のリアリティと構想の大きさを示すものとするのが概ねの解釈だとは思うのだが。【ガーディアン必読1000】

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻は「四季を通じた料理」を扱うが、内容的には各地の伝統的な郷土料理である。中には長崎のチャンポンや、琵琶湖のふなずし、あるいは会津の「こづゆ」などのように、よく知られたものもあるが、大半は初めて見るものか、少なくても馴染みの薄いものである。例えば、倉吉市(鳥取県)の「こも豆腐」や臼杵市(大分県)の「きらすまめし」。続いて登場するのは徳島市の「豆玉」(甘い金時豆の入ったお好み焼き)と「金時豆のちらしずし」。徳島では、とかくこの金時豆を珍重するようだ。他に珍しいところでは長崎の「鯨じゃが」なども。⇒
ヴェネツィア
2025/06/28 16:49

⇒また、伝統食によく見られる調理法として、発酵があげられる。先の「ふなずし」以外にも、秋田の「ハタハタずし」、飛騨の「ねずし」、 小浜市(福井県)の「鯖のへしこ」、高島市(滋賀県)の「鯖のなれずし」などは、みなこの類である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
長 新太・作。1975年刊行の絵本。なんと今年で50周年である。森に落ちていた新聞の束を、森のみんながそれぞれ思い思いに活用した。ネコは帽子に、うさぎはドレスに、ネズミはお家に…といった風に。絵は基本的にはモノクロームの線画だが、ところどころにブルーとグリーンの彩色が施されている。絵のタッチは長新太の、いつもながらのちょっと惚けた味わいのもの。ブタの腹巻きのところは、テレビ番組表なのだが、「クイズ・タイムショック」だとか「日米対抗ローラーゲーム・東京ボンバーズ」など懐かしさにも浸れる。まだ生まれていない⇒
ヴェネツィア
2025/06/28 08:02

⇒人も多そうだけど。図書館にある古い「太陽」などの雑誌を読んでいると、様々なコマーシャル・フォトが見られ、しばし懐旧の想いにとらわれるが、この絵本もあんな感じだ。

ヴェネツィア
2025/06/28 08:06

子どもの頃、新聞紙を折って、帽子を(いくつかのデザインがあった)作って遊んだことも思い出した。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
2020年6月から翌年の6月まで、1年間にわたって朝日新聞の土曜版に連載されていたもの。50回これすべて亡き夫、藤田宜永との思い出に浸り、在りし日を偲ぶものである。「連載を終えて」によれば、ストックを作ることなく、いつも締切ぎりぎりまで待って書いたそうである。藤田と共に暮していた軽井沢の家で書いていたのだが、季節の移ろいが木々や花々、そして野鳥や野生動物たちの様子が頻繁に顔を出す。それらは、まさに藤田が愛し、死の間際まで写真に収めていたものでもあった。小池真理子は短篇の名手と称されたりもするが、この⇒
てつこ
2025/06/28 13:21

朝日新聞で拝読してました。激しく同意する感想です。哀しみを昇華されているだろうなぁと、当時羨ましいとも思ってしまいました。直木賞作家さんに対して失礼は承知なのでご容赦ください🙏

ヴェネツィア
2025/06/30 08:13

てつこさん、私も朝日新聞連載時にも読んでいましたが、こうしてあらためてまとめて読むと、一層に小池真理子さんの喪失感が伝わってきますす。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年3月「都新聞」。太宰31歳。文中にもあるような、都新聞からの依頼原稿だろう。気軽に引き受けたものの、さていざ書き始めると何を書いたものやらわからない。その困惑をああでもない、こうでもないとうだうだと述べたエッセイ。タイトルに「作家の像」とあるから、誰か他の作家のことを述べたものかと思ったが、そうではなく書きあぐねている作家、すなわち自分を描いたもの。今回は殊の外に冴えがない。もちろん、そのことは太宰自身にも重々わかっている。だから、もう酒を飲むしかないのである。
ヴェネツィア
2025/06/27 10:51

ここで言う、次に準備している短篇小説は、時期からすれば『走れメロス』だろうか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
高井潔氏の写真(文も)が、いい。それぞれの民家の最も特徴的な姿を見事に捉えるアングルが工夫されている。それにしても、ここに紹介されている民家群は、いずれも極めて保存状態がいい。中には江戸期のものもあるようだし、そうでなくても重要文化財に指定されているものも多い。北海道から岐阜までを網羅するが、それぞれに顕著な特徴を持っており、見応えがある。まず、北海道を代表するのはニシン御殿の数々。広壮、立派である。青森は太宰の斜陽館。岩手は遠野の典型的な曲屋である千葉家住宅が。秋田の両中門造りは初めて見たが、これも⇒
ヴェネツィア
2025/06/27 08:50

⇒立派。その他、特徴のあるものでは、鶴岡の兜造り、 山形の高八方造り、山梨の切破風造りなど、いずれもその独特のフォルムが美しい。ちなみに、表紙写真は魚沼の旧目黒家。もちろんこれも重文である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
工藤ノリコ・作。大人気の「ノラネコぐんだん」シリーズの1冊。今回はクルーズ船のワンワン号に勝手に便乗してリゾートへ。ところが、そこに宇宙人の海賊がやってきて…というお話。自由奔放といおうか、思うがままといおうか、いい加減の極みともいえそうな展開である。そもそも構想意識があったのかどうかもわからない。楽しく描いているうちにこうなったのかも。一方、絵の方は各ページ丁寧に描かれている。ただし、宇宙人はウエルズのタコ型火星人を漫画化して、タコにしたようなもの。ノラネコぐんだんと同じく数で勝負か。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
上巻では期待値との乖離が大きく、投げ出したくなるほどだったが(新刊で上・中・下の3巻を揃えていなければ危なかった)中巻では、気を取り直して虚心に再挑戦。上巻の終わりで、アトレイデス公爵が亡くなったので、この巻では嗣子のポールと母親のジェシカの物語となる。「序・破・急」の構成と見れば、「破」である。フレメンの世界に入り込んで行くのだが、全体の動きはやや緩やか。上巻での他の方たちの感想を見ると、「壮大」との形容が往々にしてなされているのだが、私にはどうも壮大には思えない。むしろ、チマチマとしているようにさえ⇒
ヴェネツィア
2025/06/26 17:08

⇒思えるほどである。私のイメージする壮大なSFといえば、クラークの『幼年期の終わり』、あるいは『2001年宇宙の旅』あたりなのだが(これでも十分に古いSFなのだが)この『デューン』のスペース・オペラ然としたタッチに戸惑うのである。

カムイ
2025/11/02 21:03

ヴェネツィアさん、カムイも期待大でしたがちょっとね、砂漠の脱出はそこそこでしたがフレメンとの対峙はもう中東の民族をモチーフにしている感じがジハードなんて言葉を使うと拍子抜けだったりしました。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和23(1948)年1月「地上」。太宰39歳。タイトル通りにお酒に纏わる追憶をつらつら述べたもの。構成意識もあまりなされておらず、思いつくままに書いたという風である。最初は自身の日本酒修行から。さすがに、最初の頃は酒を飲むにしても、品位に対する拘泥はあったようだ。もちろん、多くの酒飲みたちがそうであるように、次第にそれは失われていくのだが。太宰の筆は滑らかにすべって新派劇の一人芝居のようになっていく。それなりに面白くはあるが、なんだか原稿の字数を稼ぐためとしか思えないフシもある。そして、冷酒の⇒
ヴェネツィア
2025/06/26 12:20

⇒あたりからは次第に勢いがついてきて、太宰自身ももはや品位云々ではなくなってくる。戦時下での、空襲の夜のくだりあたりからは、もうどの人物も(もちろん太宰も)酒に飲まれていくのであった。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の萱野 茂氏は、よく知られたアイヌ文化の伝承・研究者。本書ではアイヌの人々の間に継承されてきた民具を集大成し、網羅的に紹介したもの。というよりは、貴重な研究文献である。個々の民具の詳細な解説、および巻末の「民具材料一覧表」ともどもたいへんな労作。おそらく、このために掛けられた時間と手間暇は膨大なものであったと思われる。出版した「すずさわ書店」も英断。巻頭からは木の細工物が並ぶが、箸やお盆など、いずれも実に丁寧に独特の文様が彫り込まれている。形も固有の文化をうかがわせるもの。
ヴェネツィア
2025/06/26 08:35

どの項目の民具にもあてはまることなのだが、ことに「祈る・祭る・呪う」のものを見ると、アイヌの人々の文化は自然と密接な関係を取り結ぶことにおいて成立してきたのだとの思いを新たにする。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
寺村輝夫・文、長新太・絵。のんきに暮らす王さまが、ある日、うっかり鶏小屋を開けてしまって大騒ぎに。王さまはそしらぬ顔でやりすごそうとしたが…。明るくとぼけた味わいのお話し。絵もこれに呼応するかのごとく、おとぼけ風味。長新太らしい伸びやかさが身上。全体には文が多いので、読み聞かせは年長くらいからか。子どもたちにウケそうだ。
ヴェネツィア
2025/06/30 08:24

ほのぼのさん、小学校の国語の教科書に採用されていたのですか。道徳的でないのによく採用されたものです。

ほのぼの
2025/06/30 09:03

道徳的でない!🤣確かにおっしゃる通りですね!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
「住み継ぐ家」のタイトル通りに、古民家を改装しながら、住むことで次世代へと橋渡ししようとする試み。いくつものサンプルが登場する。巻頭は室生町(奈良県)の、ギャラリー夢雲。外観はやや古びた何処にでもあるような農家造りだが、内部は様々な工夫がなされており、版画家でもあるオーナーのギャラリー(蔵を改装したゲストルームも)。他にも目に付くものとしては、北杜市高根町(山梨県)のペチカのある農家。ペチカはもちろん自作だ。あるいは、大津市葛川の竹林邸は僧侶の家族が暮らす農家造りの民家。内部の趣味性の高さは目を見張る。⇒
ヴェネツィア
2025/06/25 16:56

⇒京の町家の改装例。これまた、いずれもこんな家に住みたいと思うようなものばかり。 後半は街並みそのものの保存・再生への挑戦である。つくば(茨城県)や高岡(富山県)などの例が紹介される。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年3月「知性」。太宰31歳。2日間で飲み干したお酒が4升(7.2㍑)。もっとも、友人たち3人と一緒にではあるが。太宰は自分の家に酒瓶があるのを好まないと言う。これは本当だろう。また、太宰はしばしば酒浸りのような風を装ったりするが、本質的にはお酒そのものが好きというのではなさそうだ。酔うことで、現実から暫し逃避したり、また自己嫌悪を煽るために飲んだりもしていたのだろう。そして、それを糧にまた小説を書く。そうして、文字通り命を削りながらでしか、後年は小説が書けなくなっていった⇒
ヴェネツィア
2025/06/25 13:39

⇒のだろう。もっとも、このエッセイでは大酒を飲みながらも、冷静であるし、自己嫌悪に陥ってもいない。一緒に飲んだ人たちとの折り合いもよく、気持ちのいいお酒だったものと思われる。その上 「四升のお酒を、一滴残さず整理することに成功した」のであり、まずは平穏な日々を過ごしたのであった。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の村田孝子氏はポーラ文化研究所化粧文化チームの主任研究員を務める人。江戸三○○年とはいうものの、資料の大半は江戸後期のもの。江戸後期ともなると、幸いに資料は多い。まず、浮世絵の美人画が豊富に残されている。本書でも豊国(表紙も)をはじめ、英泉など盛りだくさん。しかも、彼らはまさに化粧する女性たち(多くは遊女)を描いている。また、文字資料としてはこれまた格好の『都風俗化粧伝』(文化10-1813年)が残されている。こちらも絵入りで、化粧品から化粧道具まで詳しく述べた第一級の資料である。
ヴェネツィア
2025/06/26 08:41

mituさん、おはようございます。詳しい情報をありがとうございます。たしかに虫歯と歯槽膿漏の予防にはなるようなのですが、主たる目的は美容にあったと思います。ほんとうに信じがたい美意識なのですが。

mitu
2025/06/26 08:54

ヴェネツィアさん、おはようございます。この本の内容は美的感覚を中心に述べられていたのですね。しかも平安時代からとなると、よけいに美容が主に書いてある流れの中では、おはぐろは美意識の問題なのですね。了解致しました。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
香山美子・文、吉屋 洋・絵。1973年刊行の古い絵本。どうやら今では絶版のようだ。赤、青、黄色の3つのコップの冒険。他愛のない冒険の果てに元のお家へ。「カパチャパ」のオノマトペが新しいが、それほど効果を発揮しているようにも思えない。食堂のお姉さんたちの「カレーライス スリー。ホットケーキ ワン」などというコールが時代を物語る。絵は線画に水彩で 彩色。タッチはまさにホノボノ系。登場人物たち(ひじょうに多数)みんなの服は案外にも今とほとんど変わらない。
オスカー
2025/06/25 09:36

こちらで少し内容を見ることが出来ました。絵もいいですね。 https://maintent.official.ec/items/65196566

ヴェネツィア
2025/06/25 15:54

オスカーさん、ホノボノ系だったでしょう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ヒューゴー賞とネビュラ賞をW受賞し、SF史上隠れもなき名作の誉れ高い本書。この読書メーターでの評価も極めて高い。そのつもりで読み始めたのだが、どうもこの世界観の古さ(初版は1965年)に馴染めない。新訳ということなのだが、訳文の文体、日本語も古めかしい。このところ、書籍の購入は古書が多いのだが、この『デューン』は、新刊で3冊を揃えた。意気込みが空回りしたのだろうか。やっと上巻を読み終えて、後2冊。中巻からは、一気にデューンの物語世界に引き込まれていくのだろうか。だといいのだが、なんだか弱気。
ヴェネツィア
2025/06/24 18:19

どうも最初のところで、作品世界に入り込み損ねたのが後々尾を引いているようだ。この人の訳文とウマが合わないのかも知れない。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和14(1939)年「文學者」。タイトルこそ「座興に非ず」だが、内容はいたって座興めいたもの。物語の舞台は、東北から日々、多くの若者たちがやって来て、最初に東京の地を踏む上野駅。退屈しきっていた「私」は(太宰と見ていいだろう)一人の青年に「おい、おい、滝谷君」と呼びかけ、後を付いてゆく。トランクのネームを読み取ってのことであり、もちろん面識はない。緊張している若者相手になんとも人の悪い。挙げ句は「二十円置いて行け」などと恐喝までする始末。これでアパートの部屋代を払おうというのである。そして結句は⇒
ヴェネツィア
2025/06/24 17:19

⇒「私の自殺は、ひとつきのびた」である。何をか言わんや。

ヴェネツィア
2025/06/24 17:22

⇒「私の自殺は、ひとつきのびた」である。何をか言わんや。もちろん、真っ赤なフィクションである。まさに座興。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
10世紀から現代にいたるまでのロシア・イコンを鮮やかな写真とともに紹介、解説をほどこしたもの。邦訳では、他に類書も少なそうで、その意味でも貴重な一書。本書で一番最古のものは「神の御母」(ウラジミルスカヤ)だが、年代不詳。年代がおよそ分かっているものでは、「神の御母」(偉大なパナギア)で、12世紀初めのもの。キリスト教会がカトリックと東方教会に決定的に分裂したのが1054年のことなので、これは分裂後しばらくしての頃のものか。このイコンに限らないのだが、東方教会のイコンは、例えばカタルーニャの聖堂に残された⇒
ヴェネツィア
2025/06/24 07:22

⇒中世の宗教画に、主題はもちろん、構図も(おそらくは技法も)酷似している。しかも、西方カトリック圏の宗教画はその後、ルネサンスを経て大きく変容していくのだが、東方教会のイコンはかたくななまでに伝統を遵守し続けるのである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ダニエル・カーク 作。今回はサラと一緒に図書館のお隣にある博物館探検に。ギリシャの彫刻に、トラの化石にヒエログリフなど、さすがに博物館だけあって盛りだくさん。ところが、そこで思いがけずも天敵のネコに遭遇…というお話。博物館と美術館の混同が見られるのだが、どうしたものだろう。絵画室に展示されている絵は、ルソーあり、ゴッホあり、ダ・ヴィンチありとなかなかに楽しい。絵はいつもの通りなのだが、今回初めて気がついたのは、この人の絵は、フィギュアをそこに置いて、写真で撮ったような感じなのである。だから、サムや⇒
ヴェネツィア
2025/06/24 07:04

⇒サラに動きがないように見えるのだ。今まで何となく感じていた違和感の正体はこれだったのかと、納得した次第。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年1月「懸賞界」。太宰31歳。懸賞界は今はもうない雑誌で、当時どの程度に権威があったものやらわからない。ただ太宰のこの書きぶりからすれば、なにやら大層な雑誌であるかに見える。本当のところはどうだったのだろう。太宰の露悪趣味が満載の弁である。自分はつまらない人間であり、作家としても、そもそも無名である上に全くダメであ る云々と。「私は藁ひとすじに縋る思いで、これまでの愚かな苦労に執着している」という一点だけが自分のかろうじての誇りだと言うのである。以下の彼を訪ねてきた学生との⇒
ヴェネツィア
2025/06/23 17:11

⇒やりとりは、もはや卑屈でさえある始末。この開き直りは、調子に乗っているとしか思えない。さて、どこまで本気だったのだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
長 新太・作。これも人気のシリーズのようで、どうやら本書が第1巻。キャベツくんとブタヤマさんのリズミカルな対話。ブタヤマさん「じゃあ、○○がきみをたべたらどうなるんだ?」キャベツくん「こうなる!」が何度も何度も繰り返される。面白いといえば面白い。バカバカしいといえば、まあそうだ。絵もなんだか、シンプルというか、手抜きのようにも見える不思議なタッチの水彩画。大人はともかく、子どもたち(幼少?)にはウケるのだろうなと思う。
ガーネット
2025/06/23 20:33

「ブキャ!」というオノマトペには、『鴨川ホルモー』の「ゲロンチョリー」と似た中毒性を感じます(๑˃̵ᴗ˂̵)♪

ヴェネツィア
2025/06/26 08:44

ガーネットさん、おはようございます。どうもそのようで、子どもたちの間で流行ったりしたそうです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
第1巻の『生命誕生』では、6億分の1の確率に生命の不思議を実感したが、この巻でもまた驚きの連続である。心臓の誕生までにも随分長い長い階梯があったのだ。今、そのルーツを可視化するなら、ホヤの体液の流れの中にそれを見ることができるそうだ。心臓から送り出される血液の流れ、それを支える血管網も凄まじいばかりだ。どれ一つをとっても、まさに奇跡的だと言っても過言ではない。ちなみに血管網の写真が掲載されているが、これを見るだけでも神秘の奥深さを実感できる。人体はまさに「驚異の小宇宙」なのである。
ヴェネツィア
2025/06/23 08:04

このシリーズは、図書館の片隅で半ば眠ったようにあったのだが、手にとってみて本当に良かったと思う。そして、NHKの取材力にあらためて感服した次第。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
20世紀の建設ドローイングを年代別に調査し、集大成した労作。大半は建築家による直筆画(技法は水彩画ほか様々)によるもの。コンペティション案として提出されたものや、実現を想定しないで描かれたものなど、機会は多様であるが、それらはアートとして十分に鑑賞の対象に値する。いわばマニア垂涎の画集である。1900年代は、オットー・ワーグナーやエリエル・サーリネンが活躍する。そして、現代建築の最初の黄金期は1920年代に開花するようだ。フランク・ロイド・ライト、アルヴァ・アールト、ル・コルビュジエらが相次いで登場し⇒
ヴェネツィア
2025/06/23 07:53

⇒多彩なドローイングを残してくれている。表紙はル・コルビュジエの「モデュロール」(ただし、これは1945年のもの)。実現しなかった建築も多いのだが、逆に言えばその分夢があり、SF的な空想の楽しみも多い。図書館にあれば、ぜひ御一読を。お薦め。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
トリプル不倫小説。一つは小説内小説たる葛城瑞穂の『月狂い』における不倫であり、もう一つは主人公、千津の母親の不倫、そして当の千津自身の不倫である。『月狂い』は千津の不倫相手の柊介の父親の手になる小説であり、すなわち一世代遡った幻想小説として、本編を構造的に支えている。タイトルの所以はすなわち、ここにある。この作品に特徴的なのは、ヒロインの千津が46歳であることなのだが、まさにそこにおいてこそ恋愛小説が成り立つのである。恋愛はけっして若者の特権ではない。むしろ、成熟の後にこそ狂おしいばかりの恋愛が⇒
ヴェネツィア
2025/06/22 16:37

⇒やって来る。そして、それが大人の恋愛であり、不倫であるからには行き着く先は破綻である。『月狂い』においては古典的な心中死であった。それでは、現代における終曲点はどのようなものなのか。本篇はその小池真理子による解が示される。なかなかによくできた恋愛小説であった。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年1月「國民新聞」。太宰31歳。太宰の近親者もしくは、親しい人の近況を語る。冒頭はパラオにいる従兄からの手紙で、不義理をしていた四谷に住む叔母を訪ねていく。「肉親といふものはどうしてこんなに悲しいのだらう」との感慨を漏らす。次いでは中国戦線にいる小説家志望のT。太宰が送 った唐詩選は喜ばれたようだ。しかも、近々に凱旋するとのこと。まだ戦況には余裕があったのだろう。最後は議論好きの論敵Y君。犬恐怖症の太宰はなんだか微笑ましい。「ことしは、きつといいことがあるでせう」の⇒
ヴェネツィア
2025/06/22 13:40

⇒結びは太宰にしては妙に楽観的だが、果たしてそのような年になったかどうか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
大岡昇平は、戦前、戦中、戦後を通して第一級のインテリゲンチャであり続けた作家だっただろう。若干26歳にして「スタンダール選集」を編集し、次々とスタンダール論を書いた。そして、35歳の高齢でありながら徴兵されフィリピンに送られ、捕虜になった。その戦時体験が結局は彼に作家への道を選ばせることになり、その結果『俘虜記』や『野火』が生まれた。池澤夏樹の評によれば「自分の体験を理知的に整理して、文体を工夫し、正確な日本語で表現していったのだ。自分一人の『個人的な体験』を語ってゆくうちに、しかしそれは普遍の価値を⇒
ヴェネツィア
2025/06/22 08:29

⇒帯びてきた」ということになるが、まさに見事に大岡昇平の文学の質を言い当てているだろう。大岡昇平は、戦地にいても、戦後の混乱期にも、一貫して理知の人であり続けたのである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
工藤ノリコ・原作。『ノラネコぐんだん さがしえブック』の第3弾。『ミッケ!』と全く同じ手法。著作権侵害にはならないのかもしれないが、剽窃感は否めない。これもひとえに「ノラネコぐんだん」シリーズの人気ゆえだろうが、誰が(おそらくは出版元の白泉社が)焚き付けたのだろうか。キャラクター・フィギュアも売って、こんな本も。稼げる時に稼いでおこうという姿勢がアリアリ。賛成しかねる商法である。もっとも、子どもたちにとっては、そんなことには何の関係もなく、「さがしえ」を楽しめればいいのかもしれないが。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和11(1936)年5月「文芸懇話会」。太宰27歳。依頼原稿だろう。なんとか無理矢理に指定の8枚を書き終えたようだ。最初は日本文学の伝統を語らんとするが、定型論は触れただけで、人生観を盛り込むのがそうだという話になる。次いで実用性に特色を見るかと思えば、おばけに飛び、源氏物語もちょっとだけ述べておく。そして自分は「いまだいちども、その古典の文章を拝借したことがない」と豪語するのだが、これ以前にはともかく、後の『新釈諸国噺』では西鶴を借りるのであり、自負を裏切ることになる。
ヴェネツィア
2025/06/21 16:51

末尾では「読みかえしてみたら、甚だわけのわからぬことが書かれてある。しどろもどろの、朝令暮改。こんなもにでいいのかしら」などと開き直る始末。いいわけがないとは思うのだが、それでもこのまま掲載されたことからすれば、結局はこれでもよかったのだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
1989年刊行で、なんと36年も前のシリーズなのだが、さすがにNHKだけあって編集も写真もよくできている。もっとも、最近の知見はさらに進んでいるのだろうが、私の理解の領域をはるかに超えているだろうか、これでも十分か。私たちの身体は60兆の細胞からできているらしい。この段階でもはや気が遠くなりそうなのだが、気を取り直して先に進む。どのページにも興味深い記事が満載。とんでもないほどの情報量だ。例えば、1回の射精で放たれる精子の数は3億。そのうち、卵管にまで到達できるのが60000。さらに卵子の周囲まで⇒
ヴェネツィア
2025/06/21 12:18

⇒たどり着けるのが100。そして、最後の関門をくぐり抜けるのが1。驚きの連続するシリーズの幕開けである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
今も現役の古民家を全国に探訪する。巻頭を飾るのは、伊那の池上邱。リビングこそテーブルとイスだが、他の家具調度やお庭を含めて、これぞ伝統家屋の風格。次いでは大蔵村(山形)の「すすき野シアター」。こちらは古民家をそのまま活かした現代舞踊の劇場である。そして、西荻窪の窪田邸。これは蔵をアトリエに改装した見事な成功例。ただし、優秀な宮大工と多額の資金が必要だっただろう。時代がそっくり200年ばかり遡行するかのような、伏見の吉川邸。後半は、「古民家探訪の旅」。探せばまだまだあるものだなあと感心することしきり。⇒
ヴェネツィア
2025/06/21 10:53

⇒現在はお店としても活用されている例もあって、これなら内部も心置きなく堪能できる。京都美山の旬季庵。なんと1702年(赤穂浪士討入の年)の建築である。今は料理旅館として活用されている。 山形田麦俣の「かやぶき屋」。こちらは兜造りの民宿である。最後にレトロ・モダンなビルディングを東西から。銀座の奥野ビルと北浜(大阪)の青山ビルである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
内田麟太郎・文、降矢なな・絵。人気の「ともだち」シリーズの1冊。今回は、キツネがちょっと苦手にしているヘビと、ともだちになるお話。オオカミはもちろん、クマやヤマネも毛物だけど、ヘビは異質だから疎外されていた。絵はいつもながら快調。能天気なオオカミと、いくぶん内向的なキツネ。そして、自らの異質さを自覚しているヘビ。それぞれの動きが、ちゃんとそれらしく描かれている。暗くならないのは、カラフルな色彩感覚のお陰。
ヴェネツィア
2025/06/21 08:07

今回は、冬眠中のクマの枕元に「おいしい はるやさいレシピ」の本が置いてあるなど、なかなか芸が細かいところも見せる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年6月「知性」。太宰31歳。AからHまでの掌編の集積である(ただしHは、わずかに1行のみ)。冒頭に作者の言葉として「こんな小説も、私は読みたい」とあるが、内容的にはかなりに支離滅裂の感が否めない。各掌編は、それぞれに一応は独立しながらも全体として連関を保ってはいるが、主題の行方も、相互の関係性もよくわからないままに唐突に幕を閉じる。太宰自身が書いていて終止つかなくなり、無理矢理に終わらせたのだろう。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
新しい歴史観と手法による、これまでには全く見られなかった戦史である。ただ、読んでいて何度も遣り切れない思いに捉われるのだが。日本政府によれば、アジア・太平洋戦争の日本人戦没者数は、軍人・軍属が約二百三○万人、外地の一般邦人が約三○万人、日本国内の戦災死没者が約五○万人、合計約三一○万人である。そして、実に驚くべきことに、その大部分がサイパン島陥落後の「絶望的抗戦期」の死没者だと著者は述べる。すなわち、1944年以降、日本はもはや戦えるような状態ではなくなっていたのである。にもかかわらず、戦争はそれから⇒
ヴェネツィア
2025/08/17 17:05

nnpusnsnさん、コメントに今まで気が付きませんでした。ごめんなさい。ビルマ戦線の動画資料ありがとうございました。ご教示感謝!

nnpusnsn1945
2025/08/20 18:29

いえいえ、こちらも読書どころでなくて・・・。NHKのアーカイブは宝の山ですので、ぜひ!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
全国にある、それ自体がアートと呼べるような美術館を、主に建築の見地から収録したもの。巻頭は札幌の「モエレ沼公園」である。マスター・プランはイサム・ノグチによるもの。なだらかなピラミッドといった趣きの建物である。奈良美智の「あおもり犬」が出迎えてくれる青森県立美術館も、なかなかにユニーク。磯崎新の水戸芸術館も、こういうのが欲しいと羨ましくな る建物。黒川紀章の国立新美術館もルーブルを意識しているようで、その威容を誇る。山中に佇むイオ・ミンペイのNIHO MUSEUM、安藤忠雄の近つ飛鳥博物館など、まだまだ⇒
ヴェネツィア
2025/06/20 11:30

⇒魅力的な美術館、博物館がいっぱい。そして、極め付きがアートの島、直島である。建築好き、美術館・博物館好きな人は是非一読を。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
佐々木たづ・文、三好硯也・絵。表紙からはそれとわからなかったが、クリスマスのお話。子うさぎ、ましろの改心とサンタクロースの物語。ボストン近郊でのクリスマス=イヴの体験が生み出した物語であるらしい。浮かれ騒ぐクリスマスではなく、静かに神様とともにあるクリスマスを描く。絵はクレヨン(?)の描線に所々彩色を施したもの。シンプルだが、それが良さとなって機能している。
ガーネット
2025/06/20 18:54

子どもの頃に大好きだった一冊です。何度も何度も母に読んでもらい、もはや自分で暗唱できるくらい(笑)今も本棚に並んでいます☆

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和16(1941)年「西北新報」。小さな頃から太宰を可愛がってくれた叔母のいるのが五所川原である。その五所川原の思い出を語ったエッセイ。最初の思い出は旭座の舞臺開き。「梅の由兵衛」との記述から太宰が観たのは歌舞伎の『隅田春妓女容性』であったかと思われる。旭座は間もなく全焼の憂き目に。次いでは、どぶに落ちた思い出。引き上げられて助け出されたものの、女の子の浴衣を着せられ恥ずかしい思いをしたようだ。この時にも「顔色を変えて走ってきた」のは叔母。ただ一人だけ太宰を「いい男」だと言ってくれたのも叔母。
ヴェネツィア
2025/06/23 08:31

なおさん、ありがとうございます。津軽では、この時期がまさに桜桃の季節でもあるのですね。作品の持つ悲愁と色鮮やかな桜桃。太宰に相応しそうです。ご教示感謝!

なお
2025/06/23 15:04

ヴェネツィアさん、こちらこそいつもありがとうございます!!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
今回は9つの短篇物語集。特徴的なのは、日頃は脇役に甘んじている9人(?)の仲間たちがそれぞれの主役を背負っていること。スナフキン(これは脇役ではなくて準主役だが)、ホムサ、フィリフヨンカ、小さな龍、ヘムレンさん、ニンニ、ニョロニョロ、スニフ、はい虫の面々である。ちなみに表紙はミイと顔の消えてしまったニンニ。いずれもいたって個性的なキャラクターであり、それに相応しい物語が語られる。挿絵はいつもよりも少なめか。彼らも共にムーミンワールドを形成しており、その世界を支えているのである。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の内山淳一氏は、仙台市教育委員会生涯学習課主査。巻頭の涅槃図に続いては丸山応挙の「群獣図屏風」である。応挙は何カ所かに登場するが、総合的な動物図という点では江戸期のNo.1かと思われる。もちろん、例えば鶏図に関しては若冲がいるし、森 狙仙の猿なども相当にレベルが高い。また、戯画化されたものとしては歌川国芳の一連の猫の絵の妙味も捨てがたい。一方、珍獣の部では河童と人魚だ。河童は記録として残された目撃図であり、人魚もまた瓦版に掲載されたものだ。その他にも興味深い絵図が満載されている。
ヴェネツィア
2025/06/19 17:11

江戸期の画家たちの博物趣味がよく表れている。江戸趣味、および博物趣味に同好の士にはお薦め。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ダニエル・カーク 作。人気シリーズの第3巻。ここで新しくサラが登場。2匹で図書館の中で世界探検というたわいもないお話。絵はフォルムがクッキリと鮮やかで、カラフル。エジプトごっこや、模型飛行機に乗って飛ぶなど趣向も凝らされている。内容の安直さはもう少しなんとかならないものかと思うが、絵の鮮やかさでもっているのだろう。また、万事にアクティヴなサラとインドアのオタクっぽいサムの組み合わせはアメリカらしいか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年7〜12月「若草」に連載。太宰31歳。冒頭を含め、何か所かにフランソワ・ヴィヨンの引用がある。気持ちはわからなくはないが、太宰のこの作品とは釣り合わない。これに続いては、自己卑下がくだくだと述べられているが、これまた切迫感に乏しく冗長である。そして、ようやくにして小説らしきものにはなるが、登場人物たちの魅力も薄く、構成も緊密感を欠いたままである。半年間も連載を続けたのだが、最後はとうとう夢の力を借りて、無理矢理に終わらせる始末。これでは「無頼」の看板が泣く。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者のオーウェン・ホプキンスはイギリスの建築ライター・歴史家・キュレーター。最初は歴史的な建造物(主として聖堂)をとりあげ(例えば表紙のシャルトル大聖堂)、側立面、翼廊立面、平面、断面、細部の造作などを細部にまで見てゆく。ルネサンス様式の代表はサンタ・マリア・デレ・カルチェリ聖堂(プラト)、バロックはサン・カルロ・クァトロ・フォンターネ聖堂(ローマ)と、それぞれの様式の特徴を押さえてゆく。第2章は構造篇。第3部は「建築の細部」と名付けられているが、建築素材と、窓、屋根、階段等の解説である。⇒
ヴェネツィア
2025/06/18 11:19

⇒巻末に用語集がまとめられているが、これだけ覚えなければいけないのかと思うと、気が遠くなるほどである。もっとも、建築史、あるいは建築美学等以外では必ずしも必要のないものかも知れないが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
細谷亮太・文、永井泰子・絵。細谷氏は聖路加国際小児科部長。おばあちゃんの家の蔵から出てきたアルバム。それは、ぼくが小さな頃に白血病で入院し、闘病生活を送っていた時のもの。「いのち」を問いかける絵本なのだが、それはよくわかるものの、お話としては幾分矛盾を感じないでも ない。絵は、荒いキャンバスに描かれたリアリズム画。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
650ページにおよぶ長編。本格的な警察小説である。渡良瀬川流域に遺棄された連続殺人事件を、栃木県警と群馬県警が追うのだが、展開は遅く、登場人物たちの行動も地道で、全体の印象も地味である。また、読者にはかなり早い段階で犯人と思しき人物が開示されるので、犯人捜しといったミステリーの要素にも乏しい。したがって、サスペンスはもっぱら刑事たちがどんな風に事件の真相に迫って行くのかにかかっている。文体と構成の緻密さがそれを支えており、読む上でのスピード感はけっして鈍らないし、臨場感もある。ただ、最後の事件は⇒
ヴェネツィア
2025/06/18 07:53

⇒唐突に過ぎるだろう。一気に解決に向かうパッションと、地味すぎる物語に動きを与えたのだろうが、犯人のそれまでの行動との間に齟齬が生じてしまうだろう。10年前の事件の真相解明も同様である。今日子を配したエンディングは明るい曙光が射したようで清々しい。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和18(1943)年1月「新潮」。太宰34歳。期せずして『帰去来』の続編となったもの。先の作品にも登場した北さんと中畑さんから母の重態を知らされて、急遽、今回は妻子を伴って帰郷。相変わらず、勘当の身である太宰は居場所がなく、いたって気詰まりである。そして、同時に母も心配である。その割には自らを「放蕩息子の帰還」に例えたり、『冥途の飛脚』(近松の世話浄瑠璃)を引き合いに出してみたりと切迫感まではない。否、むしろそれこそが、ほんとうは追い詰められた太宰の姿であったか。
ヴェネツィア
2025/06/17 16:28

末尾の一文「ふと気がつくと、いつの間にか私の背後に、一ばん上の姉が、ひっそり坐っていた」は、なんとも象徴的な表現であり、この時、太宰は母親の死を覚悟したか。

ヴェネツィア
2025/06/17 16:29

太宰の生家の様子が描写されているが、さすがに津軽でも有数の家であったことが随所からうかがい知れる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
東海篇。まずは岐阜から。南濃では鯉の姿煮やナマズのかば焼き、あるいは長良川の鮎などが伝統食としてあるが、他は飛騨山地に代表されるように、もっぱら山の幸である。静岡は「日本のすべての食がある」と評されているようだ。それだけ食の豊かさを誇るのだろう。また、大井川が東西食文化の分岐点であるらしい。象徴的なのが、年取り魚として、東日本の鮭と西日本のブリが併存する。愛知は今では味噌カツや天むす、ひつまぶしなどが有名だが、本書にはそれらのいずれも見当たらない。あれは案外に新しい食文化であったのか。ただし、味噌は⇒
ヴェネツィア
2025/06/17 16:16

⇒古くから伝統製法で作られてきたようだ。種類も八丁味噌、三州味噌など独特のものを持つ。最後は三重だが、ここも沿岸部と山間部では大いに違う。志摩海岸には「さはち料理」があり、これは高知にも見られるが、関連はあるのだろうか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者のロバート・カミングはベストセラー作家にして美術評論家でもある。本書はタイトルに「名画の謎」とあるが、実態は絵画の見方を指南したもの。主題、技法、象徴、空間と光、歴史的な様式、解釈の6つの観点から読み解いていこうというもの。取り上げられているのは、ジョットからはじまって、フラ・アンジェリコ、ヤン・ファン・アイクとルネサンスからマニエリスム、バロック、ロココから近代絵画の代表作が俎上に乗せられる。掉尾を飾るのはピカソの「ゲルニカ」。見落としそうな細部にまで解説が加えられているので、西洋絵画について⇒
ヴェネツィア
2025/06/17 14:31

⇒これから学びたいという人にはよさそうだ。また、技法を含めた様式の展開を捉えるにも格好の入門書といえそうだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
長崎源之助・文、西村繁男・絵。入園式の日からずっと幼稚園に馴染めないみゆきちゃんの1年を描く。もちろん、ハッピーエンドである。文と内容もそうなのだが、描かれている絵の情景の古さに驚く。1983年の出版であるにもかかわらず、ここにあるのは1950年代半ば、日本が高度成長を迎えようとしていた時代よりもさらに以前の光景である。画家のノスタルジーがこれを描かせたのだろうか。この人が幼年期を送ったのがちょうどそのくらいだ。幼稚園の建物からしてレトロ感にあふれている。子どもたちの服はもう少し後のものだが、⇒
ヴェネツィア
2025/06/17 06:45

⇒ドラム缶のお風呂をはじめ風俗の多くは50年代~60年代のものである。昭和回顧絵本というべきか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年1月「三田新聞」。太宰31歳。慶応の学生新聞の依頼を受けて書かれたエッセイ。太宰の庶幾する学生像が語られる。曰く「学生とは本来、青いマントを羽織ったチャイルド・ハロルドでなければならぬ」と。すなわち、バイロンのロマンティシズムを掲げて見せる。次いではシラー(本文ではシルレル)の詩「地球の分配」をひく、これまた壮大なロマンスの開陳である。そして、結語は「諸君は常に『陸の王者』を歌うと共に、又ひそかに『心の王者』を以て自認しなければなりません」というものである。⇒
ヴェネツィア
2025/06/16 17:12

⇒なんとも立派な訓示だ。ただ、ここで太宰が語っていることは真に学生のあるべき姿であるだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
1985年1月15日~17日、旭川の川村カネトアイヌ記念館で28年ぶりに行われたイヨマンテの貴重な記録。イヨマンテ実行委員会が監修する。祭りは3日間にわたって行われるが、それ以前から周到な準備がなされる。ウラシチセ(笹ぶきの家)造り、ユクサバニ(頭骨を飾る木)の選定と伐採エペレアイ(花矢)の製作などだが、その間にも様々な儀式が行われる。前夜祭では古式舞踊が舞われ、祝宴の歌が歌われる。そして、本祭りの日を迎えるのだが、この日も様々な形での神事が行われ、いよいよ祭りのハイライトともいうべき、子熊を神の元に⇒
ヴェネツィア
2025/06/16 17:02

⇒送り返す儀式である。何本も花矢を射かけた後、本矢で射、レクチヌンパニ(圧死棒)で息を止める。後日祭では、皮を剥いだ頭部が飾られ、その日も終日、神事が行われる。残酷だといえばそうなのだが、これら一連の行事は神聖なるものであり、神に感謝し、自然の営みと一体化する儀式である。ひじょうに貴重な写真記録。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
海野弘の監修・解説。この類のものに関しては、見識の高さと知識の豊富さにおいて、鹿島茂と双璧か。今回の企画では、主として20世紀初め頃のファッション・イラストを特集する。まずは、先端を切っていたイラストレーターたち。ジョルジュ・ルパープ、アンドレ・エドゥアール・マルティ、そして極め付きはジョルジュ・バルビエである。イタリア出身のウンベルト・ブルネレスキも、デンマークから来たゲルダ・ヴェーゲナーもいた。いずれも、20世紀という新しい息吹をふんだんに振り撒いていた。近接する様式はやはりアール・デコだろう。⇒
ヴェネツィア
2025/06/16 12:22

⇒後半には、様々なシーンでのファッション・イラストが登場する。時にはオリエンタルな香りを纏ったりもして。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
最勝寺朋子・作。これがこの人のデビュー作らしい。お話は、りょうくんがお昼ごはんに「しらすどん」を食べた時に、1匹だけ食べ残してしまった。そこから、始まるしらす幻想(というほどでもないが)の物語。いくぶん教訓臭があるのは気になるところ。絵そのものは基本的にはリアリズム。ことに、りょうくんのイガグリ頭の表現の忠実さ、細密さはスーパーリアリズムの一歩手前あたり。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年6月「相撲」。太宰31歳。おそらくは相撲協会から招待されて出かけたのだろう。これが太宰の相撲観戦の最初(あるいは同時にこれが最後か)。観戦したおは夏場所。当時のことだから、館内はかなり暑かったと思われる。ここに登場する後に横綱を張る照国は、相手の五ツ島(後の大関)ともども、当時は関脇くらいか。初めての観戦、しかもさほど興味がなかったにしては、相撲の本質をよく見ているようだ。すなわち「力士の取組に、『武技』といふよりは、『藝技』のはうを、多く感じ」たと言うのだから。相撲は格闘技⇒
ヴェネツィア
2025/06/15 16:13

⇒ではなく、一種の芸能(本来の意味での)なのであり、様式美にこそその本質が現れるものである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
チョ・ナムジュは3冊目。今回はエピローグを含めると28の短篇からなる作品集。いずれも女性が語り手(主人公)の物語である。年齢は小学生から、ばあちゃんまで様々。階層的には、概ねロウワーからアッパーミドル・クラスといったところ。全編を通して韓国の今、韓国のリアルが如実に伝わって来る。制度や生活習慣においての多少の違いはあるものの、それらは現代日本の日常に近接する。一見したところでは、韓国の方が女性たちが生き辛いようにも見えるが、日本におけるジェンダーが内向化しているだけだとも思える。男たちの身勝手さと⇒
ヴェネツィア
2025/06/15 15:49

⇒無神経さは変わらない。社会格差は、現行のところあまりあらわではないが、今後そうした問題が問われるであろう予兆は十分に孕んでいるだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者のベルトラン・ルモアンヌは19世紀~20世紀の建築、都市問題、文化遺産の専門家。フランス国立科学センター研究部長とラヴィレット大学(パリ)建築学校校長を兼務する。縦に見開きという独特の造本は、空からのアングルを最大限に活かすため。その効果は冒頭にいきなり登場するエッフェル塔を擁したパリの写真に明らか(表紙はクアラルンプルのペトロナスツインタワー)。本書全体を通して20世紀建築の華々しい成果を概観できる。いずれも目を見張る素晴らしい意匠の建築群。ニューヨークのクライスラービルシドニーのオペラハウス、⇒
ヴェネツィア
2025/06/15 08:35

⇒ベルリンのフィルハーモニーホール、モントリオールのオリンピック競技場、パリのポンピドゥー・センター、ニューデリーのロータステンプル(初めて聞いたがバハイ教の神殿)など、まだまだたくさんの壮麗かつ先鋭な建築物が目白押し。建築物に興味のある人には強推薦!

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ヴェネツィア
かこ さとし・作。『小さな小さなせかい』の姉妹編。こちらはさらに数学的な想像力が必要なようだ。私などはそうしたセンスがないものだから、まだ5ページの「地表の空気1立方センチメートルのなかには酸素、チッ素などの分子が3×10の19乗ある」のところで、既に想像がついて行けない。まして、太陽系から銀河、さらには銀河団、宇宙の果てとなると、もうまったくお手上げ。子どもは案外ついていけるのかも知れないなあと思いながら、私は早々に降参する。
ヴェネツィア
2025/06/15 07:50

一つだけ気になったのは、太陽系内の惑星の大きさ比較が、数ページにわたるためにわかりにくい。意外だったのは、天王星と海王星の大きさ。こんなに大きかったのだ。そして、冥王星は月よりずっと小さい。これでは格下げも無理はないか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和13(1938)年10月「帝國大學新聞」。太宰29歳。弘前高校時代の3人の校長の思い出を語る。最初が黒金校長。高田早苗(政治家・政治学者)に似ているということと、植木が好きだったというだけの印象。2人目が一番印象深い鈴木信太郎校長。望月啓介(政治家)に似ていたというが、この人は校内に代議士制度を作ったりなどしたが、校友会のお金を使い込んで追放された。3人目の戸澤校長はいたって影が薄い。内容からすれば、依頼されて書いた原稿だろう。文体にも全く太宰らしさが出ていない。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『大草原の小さな家』で記憶していたので、前史にあたるこの第1巻が後になってしまった。5歳のローラの1年間が回想される。作品の持つ瑞瑞しさという点では、この巻が優るようだ。それは5歳のローラの目に映る光景がことごとく新鮮であったからかもしれない。飼っていたブタをつぶした日、メアリーとローラはブタの膀胱でボールを作ってもらって楽しく遊ぶ。おやつには、ブタのシッポをカリカリに焼いたもの。また、初めて町に行った日、彼女たちは大いに驚き興奮するのだが、その町というのが、ウィスコンシン州ペピン。現在でも人口わずか⇒
ヴェネツィア
2025/06/14 15:53

700人余りの小さな小さな町だ。この作品を読んでいると、子どもにとって、あるいはそもそも人間にとって幸せとは何だろうと想いを馳せることになる。お薦め!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者のリース・ド・ブレイについては、この本の著者という以外の情報が得られなかった。タイトルからは現代のボタニカル・アートの概説書かと思ったのだが、植物画の歴史を概観するといった趣きのものだった。通史的に見ているのだが、やや体系性に欠け、選ばれた絵画も恣意的な感がしないでもない。植物画の歴史は古く、古代エジプトにまで遡れそうだ。本書に掲載されたもので、最も古いのはディオスコリデスの『薬物集』(512年頃)所収のキイチゴ属の絵である。その後はもう中世に飛ぶのだが、花の品種改良というのは、いったいいつ頃から⇒
tacchiniyan
2025/06/14 16:24

こんにちは。ジョン・ジェームズ・オーデュボンは、植物のまわりに鳥が飛ぶ様子を描いています。ご参考までに…。

ヴェネツィア
2025/06/15 20:57

tacchiniyanさん、私はこの分野は初めてでよく知らないのですが、お詳しいのですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
かこ さとし・作。ページを追うごとに小さくなっていく世界。最初は子どもと小動物。そして、卵や種子から雪の結晶やダニ、ミジンコの世界へ。さらにはゾウリムシから赤血球へ。まだまだ小さくなってウィルスからモザイクラセンへ。とうとう原子も通り越して原子核からクォーク、ニュートリノへ。読み聞かせには向かないだろう。自分で読むとしても小学校高学年以上か。また、原子あたりまではともかく、そこから先はよほど強く興味を持っている子ども以外はついて行くのが困難な気がする。着想もいいし、編集もとってもよくできているが、課題も⇒
T. Tokunaga
2025/06/14 08:35

ヴェネツィアさん、最近の子どもは、わたしの世代に比べても、よくも悪くも科学慣れしているので、いきなりニュートリノでも大丈夫だと思います。むしろ、スマホの類を魔法の機械だと思わないためには、それくらいの知識が必要なくらいかもしれません。

ヴェネツィア
2025/06/14 08:39

そんなものですか。そうすると、子どもはファンタジーとともにあるもの、というのは古い大人の憧憬の反映ですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
アンソロジー以外での岡本かの子は初読。印象を最初に述べれば、まずは耽美派の系列に連なりそうだ。しいて言えば谷崎に似ているか。主人公の復一は、金魚を通じての美の求道者なのだが、一心不乱に打ち込むというのではなく、しばしば崖の上の真佐子に惑わされそうになる。復一自身にその自覚はないが、ファンムファタル(にしては、いささか強烈さが不足しているのだが)たる彼女の存在こそが彼を規定し続けていた。それは幼い頃からずっとそうだったのである。彼が最後に手に入れた理想の美たる金魚にしてさえ、偶然の産物だったのであり、⇒
緑の林檎
2025/06/13 17:58

さすがです。かの子は谷崎と同級だった兄の雪之助から伝え聞いていたようです。事実、一平は谷崎にかの子の小説の指導を乞うたのですが、谷崎は等閑に付しました。私にとっては、かの子は歌人としての存在感の方が大きいのですが、もう少し長生きしていれば、小説ももう少し熟していたろうと密かに惜しまれるところではあります。瀬戸内晴美さんなども谷崎との関係性において近いものを感じます。

ヴェネツィア
2025/06/13 20:26

緑の林檎さん、谷崎との接点は双方向ではないまでもあったのですね。岡本かの子の歌にも興味を持っています。探してみようと思います。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
建築専攻以外の学生が受講する教養科目「建築入門」があるとすれば、まさにそれにぴったりのテキストおよび内容である。建築の歴史から始まり、機能、美、アナロジーとすすみ、設計の様々な方法を模索し、後段では社会性にまで及ぶ。著者自身の、相当に幅広い教養に裏打ちされた入門書。ただし、入門とはいうものの、けっして易しくはない。何故なら、読者の側にも広範な教養、少なくても知的好奇心が求められるからである。カントをはじめとした理念用語を理解しておく必要があるし、またファッションなど思いもかけないものとの関連を把握する⇒
ヴェネツィア
2025/06/13 17:06

⇒想像力も要求される。読者の興味や関心の在り処によるだろうが、私はヴェルフリンやヴォリンガーといった美学の領域が懐かしくもあり、また「政治と建築」に如実に表れる"建築様式"の項目が一番了解しやすかった。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
食文化の北陸篇。最初は富山なのだが、現在ではつとに名高い鱒寿司が見あたらない。あれは、案外にも最近のものだったのだろうか。昆布の消費量が群を抜いて多いらしく、それを用いたお料理に鰊の昆布巻きがある。石川では、白山麓の伝統料理が極めて山国風である。熊肉の刺身、うさぎ汁、くるみ味噌󠄀などが並ぶ。能登には「いしり」(魚醤)がある。金沢はさすがに都会風の膳である。最後の福井はなんといっても越前蟹にとどめを刺す。若狭湾の海の幸はかつて琵琶湖を経て都に運ばれたことで知られる。また、精進料理では永平寺のそれが名高い。
ふう
2025/06/13 18:57

能登のいしり(イカの魚醤)、いしる(イワシの魚醤)は一度金沢で買い求めて以来愛用していましたが、震災以降欠番、復活を待ち望んでいます。白山麓の温泉宿で昔熊汁を戴いたこと、懐かしく思い出しました。臭みもなく体がぽかぽか温まって、豊かな食文化を堪能しました。伝承、とあるので対象は過去のものなのでしょうか。もういちど食べたい献立です。

ヴェネツィア
2025/06/14 08:30

ふうさん、「いしり」、「いしる」はよくできた伝統調味料だと思います。私は最初、おみやげにいただいて知りました。熊汁は食べてみたいものです。なお、この本は2006年の初版なので、それほど過去のものというわけでもないようです。もっとも、こうした食材、調理法を今も日常的にということはないように思います。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
内田麟太郎・文、降矢なな・絵のコンビによる「ともだち」シリーズの1冊。今回の主役はオオカミ。「オオカミは森一番の乱暴者」との評判を覆すわけにはいかない、ほんとうは心優しいオオカミの葛藤を描く。真相がわかったキツネもそっと見守ることに…。絵はいつものように明るく軽快。オオカミは颯爽と、そしてキツネは相変わらずなんだかちょっとズルそうな顔つきに描かれる。ちょっと気の毒だ。人気のシリーズのようで、既に十数冊が出ている。
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ヴェネツィア
初出は昭和19(1944)年4月「映画評論」。太宰35歳(文中には36歳とあるが、それは数え年であるため)。まず、驚くのは、この昭和19年という時にあって「映画評論」のような雑誌がまだ刊行されていたことである。もっとも、太宰もそんな時局を慮って「お国のため」や「御奉公」などと言っているのであるが。結論は「映画は藝術であってはならぬ」というものであるが、さてどこまでが太宰の本心であるのか図り難い一文ではある。
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ヴェネツィア
ネタバレ薫子とせつな、ことにこれまでにはあまり見られなかった、せつなの造形が魅力的だ。物語は、この二人が軸になって展開していくが、実はもう一人、薫子の弟の春彦が影の存在として、潜在的な推進力を持っている。そして、その春彦の死と、薫子の思いがけない離婚とがサスペンスとして揺曳する。実に緻密で巧みな構成である。プロットからは家事代行業の物語かのようだが、それは素材に過ぎない。内質は薫子とせつなが抱える孤独の物語であり、薫子による新たな克服の物語である。構成上、もう一つ特筆すべきは、春彦の遺言書の持つ意味が最後に⇒
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
昨今、『青い壺』をはじめとして、有吉佐和子の人気の再燃が著しいが、次はこの岡本かの子ではないかと思う。私はこれまでこの人の作品をほとんど読んでこなかったし、近代文学の空白の一つになっていた。そもそも、岡本かの子が大好きだという人も、寡聞にしてこれまで聞いたことがないのだが、実力派の一人である。もっとも、息子の岡本太郎のインパクトが強すぎて、その影に隠れていて、太郎の母としてのイメージが先行していたかも知れない。この本には岡本かの子の写真が多数掲載されているが、それらを見ると、まさにモガそのものである。⇒
ヴェネツィア
2025/06/12 17:32

兎束さん、『金魚繚乱』が青空文庫にあるのなら、私もとりあえずそのあたりから読んでみます。

ヴェネツィア
2025/06/12 17:34

ネギっ子さんも『金魚繚乱』をご推薦ですか。それならますます、まずはその作品を筆頭に。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ジョン・シェスカ 文、レイン・スミス 絵。ともにアメリカの絵本作家で、この2人による絵本多数。「三匹のコブタ」のお話は、元々は民間伝承であったものが、イギリスのジェイムズ・O・ハリウェル=フィリップス編纂のおとぎ話集(1843年刊行)に収録されたのが最初のもののようだ。さて、本書は、そのお話の真相を話そうというのだが、なんだかこれもかなり怪しく、読者をケムに巻くものだ。絵はかなり独特のタッチでカラーも美しい。エンディングの絵はことに秀逸。
ヴェネツィア
2025/06/12 08:15

この絵本はダニエル・カークの『としょかんねずみ2』にも登場する。アメリカではかなりよく知られた人気絵本のようだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和23(1948)年7月「月刊讀物」。太宰39歳。疎開中の黒石町での思い出を語る。全体にきわめて穏やかで、村長の神さんに「津島のオンチャは、まだまだ、ものになってをらん、勉強しろ、こら、ばか者めが」などと言われても余裕を持って受け止めている。村での様子もまた万事に軽妙に語られている。その前年に『斜陽』、そしてこの年に『人間失格』を上梓するなど、後期の代表作が次々に生み出された時期であった。したがって、結びの一文も「こんどまた機會を見て、何か書かせていただきます」と、いたって神妙。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
飛騨高山には日下部家住宅や田上家住宅、また古民家カフェや古民家の宿などがたくさんあるが、本書ではもっと普通の古民家を再生しようとする試みを紹介している。巻頭には昭和初期の家を改築した例が示されているが、そのセンスたるやさすがはプロフェッショナルと唸らせるもの。モダンとの調和は心憎いばかり。次いでは、京都駅からバスで1時間。北山杉に囲まれたウッドラフ邸である。この人はミネソタ出身の木工作家らしいが、これまた見事。ただ、実際に住むとなると何かと不便であるかも知れないが、酔狂こそ命といったところか。
ヴェネツィア
2025/06/11 16:49

本書は取材のセンスも絶妙で、中に「古民家解体ドキュメント」や再生の成功例も様々なタイプを載せている。さらには「古民家再生Q&A」から、古民家再生に取り組む設計事務所・施工会社・古材店・古材家具・古民具店のリストまであって、もう至れり尽くせり。後は先立つものだけあればいいのだけれど…。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
これがラーラ・プレスコット※のデビュー作なのだが、とてもそうは思えない完成度。構成も実に緻密だ。1949年から1961年まで(つまり米ソ冷戦の時代)を東(ソ連側)と西(こちらはラングレーのCIA)とを交互に描く。東側は、ほぼ一貫してパステルナークの愛人であるオリガが語るが、西側はタイピストの女性たち複数の視点から物語られる。プロットの中核を成すのは、『ドクトル・ジバゴ』をソ連に流通させること。自由の息吹を送り込もうというのがCIAの狙いであり、イリーナやサリーたちがその任にあたる。西側では、その2人の⇒
ヴェネツィア
2025/06/11 14:14

⇒間に芽生えた禁断の恋がせつない。東側では、オリガのひたむきさが哀れである。結末の描き方がまた大きく新人離れしている。最初のページから最後まで読者を捉えて離さない求心力は見事である。推薦!※作者の名前のラーラ(ドクトル・ジバゴのヒロイン)は本名。まさにこの作品を書くためにあるような名前だ。

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ヴェネツィア
この巻は夏の料理。最初は夏野菜の代表きゅうり。紹介されているのは「どっこきゅうりの煮物」。高岡(富山県)の郷土料理のようだが、大きなサイズの「どっこきゅうり」(他にも、他所では目にしないような品種のきゅうりが)を用いる。白エビを使うのも独特。続いては「塩イカの和え物」。岡谷市(長野県)のお料理。富山から送られてくる塩イカ。昔は貴重なタンパク源だったようだ。京都のニシンのようなものか。魚では、夏の代表として登場するのはアジ。富浦町(千葉県)の「あじのさんが」。なめろうから作ったあじのハンバーグ様のもの。
ヴェネツィア
2025/06/11 08:12

もう一つの夏野菜として、なす。これも全国各地にいろんな郷土料理として用いられている。賀茂なす(京都)、巾着なす(新潟)など、地方特有のなすも。初めて見たのは伯方町(愛媛県)の「イギス豆腐」。最初はイギリス豆腐と誤読していて、どんな来歴かと思ったら、イギスだった。イギスは瀬戸内海の岩場で採れる海藻らしい。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
アメリカの絵本作家ダニエル・カーク 作。「としょかんねずみ」シリーズの第2巻。この巻では、誰もその正体を知らなかったとしょかんねずみのサムとはぐれものの少年トムとが絵本を共作することになる顛末が語られる。第1巻でサムに親近感を抱ければ。大いに楽しめそうだが、どうもそのことが前提になっているようで、お話として純粋に面白いかというと、若干疑問も残る。絵は幾分漫画っぽいが、細部まで丁寧に描かれており、カラーも鮮やか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和21(1946)年3月「新文芸」。太宰37歳。終戦の半年後くらいの回想。正直に思いを述べているとはいえ、所詮は終わった後でのこと。太宰は戦前も戦中も思想的には右往左往したまま。戦後になっても、この時点では新しい指針を持ち得てはいない。「馬の背中に狐が乗っているみたい」などと嘯くのだが。結論は「私のいま夢想する境涯は、フランスのモラリストたちの感覚を基調とし、その倫理の儀表を天皇に置き、我等の生活は自給自足のアナキズム風桃源」などと、もはや支離滅裂である。つまるところ太宰が最も共感でき、身を置く⇒
ヴェネツィア
2025/06/10 16:50

⇒ことができるのは、アナキズムなのだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
谷川俊太郎・文、猪熊弦一郎・絵とあることと、本書の装丁・造本から絵本かと思ったが、画家(造型美術科)猪熊弦一郎の業績を多角的に紹介するもの。そういえば、図書館でも美術書のコーナーにあった。猪熊の子ども時代の絵から始まるのだが、彼もまた多くの美術家がそうであるように「栴檀も双葉から芳し」のタイプだ。「ほかのひとの…」にある青年期の絵はマチスを思わせる。また、「ねこもすき」にはクレーばりの絵も。「こんないろあんないろ」ではミロ風も。いろんな画風を試みながら、自由に絵の世界を展開していったのだろう。
ヴェネツィア
2025/06/10 07:33

最後に置かれた「ぬりえをしよう」と「いのくまさんはたのしいな」では、彼の作品が子どもとの接点を最後まで失わなかったことがよくわかる。そうした子どもの視点を持ち続けることができた人だったのだろう。なお、丸亀市に猪熊弦一郎現代美術館があり、ここで現物を見る事ができる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
川端 誠・作。この人は初めてだが、これまでにたくさんの絵本を上梓しており、受賞歴もある。内容は、のっぺらぼうの成長譚なのだが、お話というよりは駄洒落の連想から絵を展開していくといった手法。絵もまた大胆というか、乱暴というか、ともかく力強くはある。最後のドッキリは子どもたちにウケそうだ。
Mimi Ichinohe
2025/08/02 06:59

ヴェネツィアさん、大人気です!

ヴェネツィア
2025/08/03 15:54

やはりウケるんですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和13(1938)年10月「國民新聞」。太宰29歳。御坂峠の茶屋の二階を借りて長編小説の執筆に勤しむ太宰。九月、十月、十一月と滞在し、300枚の予定のおよそ半分弱を書き上げたところで、寒さに耐えがたくなって退却。甲府に移り、下宿。Gペンを買ったものの遅々として原稿は進まず。そうはいうものの、この時期の太宰は切羽詰まってはおらず、明るく随分余裕があったようだ。執筆時期と、この明るさ、井伏鱒二の名前が出るところからすれば、どうやら執筆中の小説は『富嶽百景』か。だとすれば、翌年の二月、三月には「文体」⇒
ヴェネツィア
2025/06/09 16:32

⇒に発表され、7月には単行本『女生徒』に収録されることになる。その後は順調に執筆もはかどった様子である。『富嶽百景』の評判も上々のようで、まずはメデタシメデタシ。

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ヴェネツィア
この巻は中国、四国、九州篇。中国地方には、小京都と称されるような佇まいを残す町並みが多い。倉敷、竹原、柳井、津和野(ここでは紹介されていないが)、萩などがそうである。当然、そうした町にはこれはという伝統家屋が残っている。倉敷の大原家(重要文化財)などはその筆頭に挙げられるだろう。萩の熊谷家(これも重文)などもそうだ。四国は卯建(うだつ)の上がる脇町、大江健三郎の故郷の内子(小説ではもっと山間部のようだが)、そして金丸座を擁する琴平。九州では日田。ここも小京都である。オランダ風情の長崎。行ったことはないが⇒
ヴェネツィア
2025/06/09 08:52

⇒知覧なども捨てがたい魅力だ。最後は沖縄の竹富島。南国ムード、琉球の風情に溢れている。どうもこのシリーズは、観光案内めいてしまう。

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ヴェネツィア
この巻は甲信越。まずは新潟から。いかにも伝統食という感じのお料理が並ぶ。蒲原のちまき、岩船の飯ずし、魚沼の笹もちと、笹の葉がアクセントになったものが目立つ。続いて山梨。ほうとうは私でも知っているほどに名高い。他には大根そばやおやきなど、やはり山の幸が中心のようだ。長野はやはり蕎麦。朴歯焼きもあった。それから佐久の鯉。伊那谷のものとして、蜂の子、いなご、ざざむしの佃煮が紹介されている。蜂の子は信州の全域で食されているように思う。私も大好き。ざざむしはまだ食したことがないが、食べてみたいかと問われれば⇒
ヴェネツィア
2025/06/09 07:58

⇒ちょっとだけなら試してみたい気もする。釜山ではカイコの蛹も食べたが、日本では昆虫食は敬遠する人が多そうだ。入門編に蜂の子などはいかがだろうか。

オスカー
2025/06/09 12:17

山梨生まれですが子どもの頃、蜂の子は知り合いが持ってきてくれました。父は食べていたけれど母は食べていなかったような?私も食べられなかったです。 上野原に長寿館ってあるらしいですが、私の中ではみんな味が濃くてしょっぱいものを好んで食べていた記憶しかないので、長生き出来ないイメージ💦 https://yuzurihara-village.com/

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ヴェネツィア
リヨンから直線距離にして15km。山の村はずれに忽然と現れる建造物。それは、外観だけを見るなら、そうは見えないかも知れない。ドミニコ会のラ・トゥーレット修道院である。ル・コルビュジエの建築でも、ロンシャン礼拝堂はそれ自体が現代性と強い個性を主張する。ところが、ラ・トゥーレットの方は長方形の建物で、いたって素っ気ない。こちらは、抑制が強く働いているのだろうか。本書が「ル・コルビュジエ 最後の風景」と銘打つのは、生涯無神論を通した彼が、自分が死んだら一晩この礼拝堂に遺体を安置して欲しいと遺言を残したから⇒
ヴェネツィア
2025/06/09 06:55

⇒である。無神論者と修道院とは本来は相容れないであろうに、お互いに何としたことであったろうか。カトリックは時としてと、思いがけないくらいに大胆なことをする。この修道院の建築を無神論者のル・コルビュジエに依頼したこともまたそうだ。その結果は…毎年多くの巡礼者がここを訪れ、ラ・トゥーレットは世界遺産になった。ル・コルビュジエのファン、あるいは教会建築に興味を持つ人には強推薦!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和18(1943)年10月「雑誌日本」。太宰34歳。戦況も悪化の一途をたどりつつあった頃。太宰はしきりに「國家のため」、「お國の役に立ちたい」、「一億國民ひとしく貯蓄にいそしまねばならぬ重大な時期」などと殊勝なことを言ってみせるのだが、さてどこまで本気なのだか。なにしろ、この全文にわたって太宰が述べていることは、結局自分には不可能だという言い訳でしかないのだから。「三鷹の薄汚い酒の店で、生葡萄酒なんかを飲んで文学を談」じている場合ではないのである。それに、この文章にしてからが、なんとか原稿の⇒
金銭の話
ヴェネツィア
2025/06/08 16:16

⇒マス目を埋めて片づけたいのがありありと目に浮かぶ。西鶴の『日本永代蔵』を長々と引用するのも(どうやら出典は主に「二代目に破る扇の風」だ)ずるいし、貯蓄に励むべきだと言っていたのが、本気はなかったのが語るに落ちている始末である。

シッダ@涅槃
2025/06/08 18:38

文庫に入っているようなのは、書き倒した太宰の上澄みなんすかねえ?

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ヴェネツィア
著者のブリュノ・ブラセルはフランス国立図書館司書長。本書はそもそもが「知の再発見」双書(フランスの教養双書)の1冊だけに、『本の歴史』とはいっても、極端に西ヨーロッパ世界のそれに偏っている。もっとも、そういうものだと首肯すれば、図版も豊富で十分に有益である。本書では、本の淵源を紀元前3千年紀のエジプトでパピルスに書きつけられたものに求めている。そして、冊子状の本の登場を1世紀初旬としている(もっとも長く巻物状のものとの併存期があったが)。それから長い中世期の間は、もっぱら写本の時代である。⇒
ヴェネツィア
2025/06/08 15:56

⇒グーテンベルクの活版印刷術が発明されるまで。これはまさに画期的、革新的な発明であり、ヨーロッパ世界を大きく変えることになった。それは単に印刷術云々ではなかったのである。すなわち、みんなが聖書を読めるようになったのである(もちろん、ルターによるドイツ語訳があって初めて可能なのだが)。それは、また宗教界だけのことに留まらず、ヨーロッパ世界を根底から揺さぶっただろう。

ヴェネツィア
2025/06/08 16:02

サイズは小さいが図版は豊富。中には珍しい、マグダラのマリアが本を読んでいる絵(ピエロ・ディ・コジモ)なども。ひじょうに清楚なイメージで描かれていて、あまりマグダラのマリアらしくは見えないのだが、絵の左下隅にある香油壺がアトリビュートなのだろう。

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ヴェネツィア
著者のラウル・A・バレネチェは、ニューヨークを拠点に活躍する建築評論家。本書には27の斬新なミュージアム建築が紹介されている。近年の成功例として名高いピーター・クック・&コリン・フルニエによるクンストハウス・グラーツ(グラーツ・オーストリア)などは、その奇抜なデザインに思わず引き寄せられる迫力である。また、これも大成功のフォスター・アンド・パートナーズの大英博物館グレートコート(ロンドン)は、ルーブルに引けを取らない光溢れるドームである。どれもこれぞ現代建築を強く主張しており、いずれ菖蒲か杜若かなのだが⇒
ヴェネツィア
2025/06/08 14:21

⇒他に眼を強く引くものとして、サンティアゴ・カラトラヴァのミルウォーキー美術館新館があげられる。日本の建築家たちもけっして負けてはいない。それどころか、安藤忠雄や隈研吾など6人もの建築家(あるいは建築集団)が取り上げられている。6/27は凄い数字だと思う。なんとも頼もしい限りだ。

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ヴェネツィア
モーリス・センダック 作。彼の代表作ともいうべき『かいじゅうたちのいるところ』に先立つこと8年、センダックの比較的初期の作品である。しかも、これは絵本というよりは、挿絵の付いた物語というほうが相応しいもの。絵のタッチも後のものと比べるとかなり違っている。お話は、ケニーの夢を物語るのだが、それが夢であるにしても不思議で神秘的な要素を多々持っている。中でもシンボリックな役割を果たすのが、ケニーに7つのなぞなぞを課す4本脚のニワトリである。ユダヤの古い神話に由来するものかと思ったのだが、どうやらそうではなく⇒
ヴェネツィア
2025/06/08 07:58

⇒記憶の不確かさを表象するものであるらしい。7つのなぞなぞと、その答えもまた謎に満ちているのだが。センダックの原点的な光景をうかがい知ることができる1書ではないだろうか。

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ヴェネツィア
初出は昭和18(1943)年1月「現代文学」。太宰34歳。エッセイとも小説ともつかない文体である。そもそも「私は禁酒をしようと思っている」という書き出しからして、なんだか怪しい。しかも、それ以下に続く記述も、真面目そうに装ってはいるが、その内実はかなりふざけたものである。2年後に書かれた『新釈諸国噺』ほどではないが、話に尾鰭をつけ、誇張された面白みを真面目な口調で語っているのである。「一升の配給酒の壜に十五等分の目盛りを附し…」や「焼酎に、薬缶一ぱいの番茶を加え」などと、いかにもありそうなことを述べる。⇒
ヴェネツィア
2025/06/07 17:16

⇒時あたかも昭和18年であるから、統制も厳しくなっていただろう。見方によれば、そうした政府の統制を揶揄しているともとれる。おかしさの極めつけは、末尾の酒屋でのシーンだろう。こうした軽妙な太宰もいいものだ。

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ヴェネツィア
辻仁成もパリ暮らしが20年になるそうだ(本書刊行の2021年当時)。さて、ここでいうスープだが、かなり広義のもののようだ。例えば、グヤーシュやボルシチなどは、私の感覚からはスープというよりは、シチューだ。そして、パリは今やニューヨークと並ぶくらいに多国籍な料理が浸透している。先のグヤーシュはハンガリーのものだし、ボルシチもウクライナ料理だ。他にも韓国のテンジャンチゲやケイジャンのガンボ・スープなども。グルメな辻仁成はパリで豊かな食生活を送っているようだ。もちろん、レストランにも行くだろうが⇒
ヴェネツィア
2025/06/07 17:03

⇒ここに紹介されているお料理は、すべて彼の手造りである。これまた、なかなかに見事な手腕。それぞれレシピと作り方の手順が付されているし、それほど難しいものでもないようだから、自分でも作れそうだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
2022年作品。最近刊の『オパールの炎』といい、この作品といい、桐野夏生の執筆意欲は全く衰えることがないようだ。しかも、依然として現代の社会問題に強く対峙しての創作活動である。この作品でのメイン・テーマは代理母出産であるが、桐野が優れているのは、それに纏わる煩悶を生むリキの側だけの問題にしないで、依頼する側の悠子の戸惑いとアイデンティティをも相対化する点においてである。父たる基もまた揺れ動くが、所詮その振幅は小さく、あくまでも自己本位の域に留まっている。しかも、本作では、代理母出産だけが問われて⇒
みさと
2025/06/12 17:18

「貧しい女が貧困から抜け出すために、代理母になって何がいけない。国は何もしてくれないじゃないか」そんな叫びが行間から聞こえてくるような作品でした。それに対して、教養のある豊かな人が「そんなことをしては人の道に外れる。それでは臓器を売るのと一緒だ」と高見から言ったとて、リキのような女性は「そもそも臓器を売って何が悪いの?売れる臓器があれば私は売ったって良い」と言い返し、議論はいつまでも平行線を辿るでしょう。

ヴェネツィア
2025/07/31 10:48

みさとさん、コメントをいただいていたのに、今まで気が付きませんでした。ごめんなさい。私もたしかに平行線かと思います。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
江戸期の「虫」を描いた絵を集めたもの。歌麿や若冲、円山応挙などの虫図はよく知られているが、他の浮世絵とは様相が違い、絵師ではなく、博物学者といった類の人たちの手になるものも多い。例えば増山雪斎は伊勢長島藩主であったし、毘盧遮那谷は僧籍にあった人。栗本丹洲は医師、水谷豊文は本草学者であった。彼らはいずれも細密で、色鮮やかな虫図譜を残している。虫が苦手な人はともかく、ここには百花繚乱、目にも鮮やかな虫たちの乱舞が描かれる。その典型は円山応挙の「百蝶図」だろう。観察眼、画力ともに極めて秀でている。⇒
ヴェネツィア
2025/06/07 11:05

⇒一方、松森胤保の「両羽飛虫図譜」の標本箱のような蝶の絵も、これはこれで捨てがたいし、歌麿の「画本えらみ」の優美さはまことに魅力的である。

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ヴェネツィア
1975年刊行の本。佐藤将寛・文、東藻琴村明生小学校児童・版画。キタキツネに人間の名前がつけられているが、内容はノン・フィクション。キタキツネの一年の生態を描く。文の佐藤氏はこの小学校の教諭。隣町に住む獣医の竹田津実氏がキタキツネの生態を北海道新聞に紹介したのが最初のきっかけ。版画は4,5,6年生の8人で共同制作。全校児童16人の小学校である。木版画は力強く、コギツネの死をも真摯に受け止めている。
ヴェネツィア
2025/06/07 08:09

この時の生徒たちも、今では65,66,67歳に。その後はどんな人生を歩んだのだろうか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年11月「新潮」。太宰31歳。女性の一人称語りのスタイルをとる。前年に『女生徒』で、この形式をとり成功を収めた太宰が、ここでもそれを試みた。今度は24歳の人妻である。そして手記ではなく、夫にあてた書簡というところは新たな趣向である。そして、今回のこの一人称語りも成功している。「私」から「あなた」への離縁状なのだが、こうして一方的に語られながら、読者はそこに夫の人間像も、そしてまた妻のそれもがいとも鮮やかに浮かび上がるのである。この形式をとる時の太宰は実に冴えている。女性に仮託⇒
ヴェネツィア
2025/06/06 17:25

⇒することによって、作家の自己が抑制されるからだろうか。なお、ここに描かれた夫は大きく戯画化された太宰自身の姿でもあるだろう。この作品は成功してはいるが、『女生徒』と比べるなら地味な印象は否めない。文末の「私は、王子さまのいないシンデレラ姫」のあの華麗さがここにはないからである。

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ヴェネツィア
お話は知っていたが、読んだのは初めて。そもそも、これが18世紀小説だとは認識していなかった。しかも、本作にはヴィルヌーヴ夫人による先行作があり、ボーモン夫人による本作は、いわばその縮刷版のようなものであるらしい。そして、このボーモン版「美女と野獣」は、『こどもの雑誌』の1篇であったようだ。本書には他の12篇と一緒に収録されている。いずれもプロットは単純で、勧善懲悪(懲悪とまではいかないが、善は栄える)的な発想で貫かれている。「美女と野獣」も基本的にはその路線上にある。⇒
ヴェネツィア
2025/06/06 17:10

⇒ベルと呼ばれている主人公には2人の姉がいて、この2人はベルをいつも馬鹿にしているのだが、ベルは心清き(しかも美しい)娘という設定であり、なんだかシンデレラを彷彿とさせないでもない。本作の成功はひとえに、ベルの相手が野獣であり、この取り合わせの妙が喜ばれたものと思われる。たしかに、スリリングでもあるし、野獣の苦悩やベルの逡巡など微細な感情表現も可能である。最後は、型通り魔法がとけてハッピーエンド。

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ヴェネツィア
ショーン・タンの作品集。巻末にはタン自身による絵の解説も。さらには半生を語る自伝的エッセイを併録。ショーン・タンのファンには垂涎ものの本。表紙カヴァーは「オーウェン」。タンの絵に通有する優しさと、その底にある哀しみ、生きてあること、今ここに存在することの神秘を物語るかのような絵だ。彼の記憶に残る最初の絵も掲載されている。2匹の恐竜が向かい合う絵なのだが、なんとタン3歳の時に描かれたもの。まさに栴檀は双葉より芳しである。初期の頃には、器物が生命を宿したものが多く見られる。それを描くタンの眼は、慈しみに⇒
ヴェネツィア
2025/06/06 10:46

⇒満ちている。彼の絵は象徴とメタファーに富むが、その源泉は神話的な世界からやってくるかのようだ。不思議という言葉ではとても言い表せないところに私たちも立つことになる。ショーン・タンのファンにも、また不幸にも(あるいは幸福にも)ショーン・タンに遭遇したことがない人にも強推薦!

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ヴェネツィア
クリハラタカシ 作。漫画、イラスト、絵本などで幅広く活躍。なんだかわけのわからない存在のゲナポッポ。名前からして正体不明。その実態もまたあるやなし。ゲナポッポ自身にもわからない始末。本書は掌編マンガ風のお話しが集積された絵本。これ1冊読めば、ゲナポッポのすべてがわかる(?)。絵も独特のとぼけたタッチ。とってもシンプルで、あえて奥行きのないイラスト風のカラーが綺麗だ。なお、通常の絵本にしては小さなサイズ。大きくするメリットがないから…ともいえる。
ガーネット
2025/07/20 14:13

とても楽しく奇妙な出会いでした☆ありがとうございます♪♪♪

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ヴェネツィア
初出は昭和8(1933)年3月「海豹」。昭和11(1936)年刊行の『晩年』に収録される。初出時、太宰24歳。かなり早い時期の作品であるが、完成度はひじょうに高い。『魚服記に就て』で、太宰自らが記しているように、この作品は中国明代の白話小説『古今説海』所収の「魚服記」の翻案である。太宰がその作品に触れることになったのは『雨月物語』の「夢応の鯉魚」を契機としてであっただろう。また、直接の典拠ではないが、『万葉集』他で名高い「真間の手児奈」伝承の俤が揺曳するようにも思う。これもまた、『雨月物語』の⇒
更紗蝦
2025/06/05 22:21

私はなぜかこの短編は「主人公が焼き味噌を食べるシーン」が印象に残っていて、おそらく太宰は「わびしいイメージ」を込めたのではないかと思うのですが、私は「え!?焼いた味噌!?めちゃくちゃ美味しそう!!」と思いました。(文学作品を読んでいて食事シーンに惹かれることはめったにないのですが…。)

ヴェネツィア
2025/06/06 08:29

更紗蝦さん、たしかに印象的なシーンでした。スワの貧しさの表象なのでしょうが、たしかに同時にそれはスワの置かれた心象の表出でもあったのだと思います。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
上下巻合わせると結構なページ数である。戦中から現代までなので、その間に生起した事柄は少なくない。そうはいっても、基本的には書簡体であるために、物語としての起伏に富むというわけではない。これで人気作たり得ているのだから、その造型の魅力は深いのだろう。ダニエル神父と、周縁の人たちのそれぞれが、鮮やかなリアリティを伴って定位される。一方で、ダニエル神父のカトリックの司祭としての在り方はとんでもなく、異端的である。もっとも、読者はそれを異端とは感じないかもしれないが。彼は、聖母マリアの処女懐胎を認めないなど⇒
ヴェネツィア
2025/06/05 17:14

⇒独自の教義解釈を展開する。もちろん、ローマを世界の中心とは認めないし、パレスティナにこそ拘泥する。それでいて、時の教皇、ヨハネ・パウロ2世とも面識があったりもするのである。私たちは、この小説を読んで、すなわちこの小説の時間と空間をダニエルと共に生きたと実感する。

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ヴェネツィア
セルジウス・ゴロウィン、ミルチャ・エリアーデ、ジョゼフ・キャンベルと3人の著者の名前が上がっている。エリアーデ以外は知らないが、ゴロウィンはフリーライター、キャンベルはアメリカの比較神話学者とのこと。本書は世界の神話を扱うのだが、なにしろ膨大な資料があるだろうから、一つの文化・文明の神話だけでも1冊の本には納まりきらないだろう。したがって、必然的にテーマを絞った比較神話学的なものになるだろう。私自身は創世神話に最も興味があるのだが、いずれに焦点を置くか、またどのように編集するかは⇒
ヴェネツィア
2025/06/05 08:11

⇒どのように行っても恣意的であることを免れない。本書の最大の利点と功績は、広範な範囲からよくぞこれだけ図版を集めてきたということにありそうだ。詳しい論考は分量的に無理だが、図版は多くを物語るからである。表紙のブリューゲル「バベルの塔」は珍しくないが、初めて見る図版も多い。

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ヴェネツィア
ジョーン・スタイナー作。ニューヨーク在住の絵本作家。ただし、絵を描くわけではなく、この独特のコラージュ造型と写真で製作。この着想と技法は『ミッケ!』のシリーズとほぼ同じなのだが、どちらが先だったのだろう。どちらも写真はウォルター・ウィックが担当しているので、共存することに。原題は"LOOK-ALIKES"。どのページの写真もモノが溢れていてゴチャゴチャ。そこから素材として用いられている日常のモノを探すのだ。簡単だともいえ、しかし巻末の答え合わせを見ると、けっこう見落としていたことに気づく。
ヴェネツィア
2025/06/05 07:58

この絵本は世界各国で翻訳され、話題になったようだ。また、イラストレーター協会賞ほか、いくつもの賞を得ている。どのページの画像もライティングが美しく、そのことも大きく寄与しているだろうと思われる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和11(1936)年「文學界」。太宰27歳。師走の上旬にはじまり、元旦までの約1か月間に太宰のもとに届いた書簡を集めたもの。形式として珍しいのは、通常の書簡体小説は往復書簡なのが、ここは双方向性を持たず、ひたすら来信のみで構成されている。太宰からの返信はなく、したがって彼がこれらをどのように受け止めたのかは不明のまま。差出人は雑誌の編集者あり、実在の作家ありとかなり様々。もちろん、タイトルに明かしているごとく、これらは全体としては虚構である。ただ、その虚構の程度やあり方は、これまた色々な⇒
ヴェネツィア
2025/06/04 17:21

⇒ものがあり、太宰の現実を写したもの、あるいはこうであったらという願望、はたまた後悔を脚色したものなど。太宰自身と、その小説作法を知るには格好の1篇か。

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ヴェネツィア
巻頭を飾るのは、荒川区立中央図書館の「ゆいの森ホール」である。100席くらいの椅子があり、周囲は1冊ずつ収納する(というよりは展示するというべきか)書棚で埋め尽くされている。次いでは本の森ちゅうおう(中央区立京橋図書館)。これはガラスと白の外観が美しい。建築家の名前は記されていないので、有名な人の設計ではないのだろう。でも、ここに通っている人たちは愛着が持てそうだ。黒川紀章設計の杉並区立図書館も負けてはいない。こちらは採光の具合がまさにプロフェッショナルという感じだ。首都圏には他にも目移りするくらい⇒
ヴェネツィア
2025/06/05 04:44

セロリさん、確かに中之島図書館は、外観と周囲の雰囲気を楽しむという感じかも知れません。

ヴェネツィア
2025/06/05 04:46

ももしびっくさんは、既に全国図書館巡りの実践派ですか。私もゆすはら雲の上図書館を見てみたいものです。

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ヴェネツィア
レイン・スミス 作。スミスは、アメリカの絵本作家、イラストレーター。コールデコット賞などを受賞。この絵本に登場するのは、本派のサルとデバイス派のロバ。そして、おまけのネズミ。惚けたロバと寡黙なサルの噛み合わない掛け合いが面白い。しかも、ロバがとうとう本を理解しないところも。だけど、なんといっても絵が最高!ロバよりもサルが大きいのは、作者が本に肩入れしていることの現れか?
ヴェネツィア
2025/06/04 07:28

ロバ、サル、ネズミそれぞれのフォルムもいいのだけど、強い色を用いないで、中間色でしっとりと語りかけるところが、この人の絵の特質。基調になっているのは、図書館の木目色だ。

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ヴェネツィア
昭和19(1944)年7月頃に書かれたようだが、未発表。その後、1950年になって「毛呂文藝」第十号に掲載されたようだ。詩人、津村信夫への追悼文。屈折感はなく、太宰はかなりストレートに感情を吐露しているようだ。残念ながら、私は津村信夫を知らないのだが、昭和初期のモダニズムの流れをくむ詩人であるようだ。太宰のこの一文で読む限りは、「いい家」の生まれらしく、万事に鷹揚で、きわめて誠実な人柄であったと思われる。後段の「津村は天國へ行つたにきまつてゐるし、私は死んでも他のところへ行くのだから、もう永遠に⇒
郷愁
ヴェネツィア
2025/06/03 16:42

⇒津村の顔を見る事が出来まい。地獄の底から、「ヘルプ!ヘルプ!」と叫んでも、もう津村も来てくれまい」は、なんだか哀切な響きを帯び(悲痛であるかもしれない)それは太宰その人の姿をも浮かび上がらせるのである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
本書の主人公、ダニエル・シュタインには実在のモデルがあるようで、したがってウリツカヤも当初は可能な限りフィクションを交えないドキュメンタリー・タッチで構成する意図を持っていた。作品全体は、手記、書簡、録音テープなど、様々な媒体からなり、時間軸も1940年代、60年代、80年代、それ以降と錯綜する。また、それを語る人物も多く、彼らの立場も(大戦当時の、あるいは現代の)多様である。それが収斂してゆくところに、ダニエル・シュタイン像が浮かび上がるのだが、これまた一筋縄ではいかない。何故なら、彼の出自は明らかに⇒
ヴェネツィア
2025/06/03 16:13

⇒ユダヤ人なのだが、大戦中はゲシュタポの手先を務めていた。もちろん、それは彼の望むところではなかったのであるが。その後、彼はナチスに対する様々な抵抗運動に加担するのだが、やがてカトリックの神父になり、パレスティナの修道院に入る。そして、当然ながらこのことが大いに複雑化を招く。あるいは、見方を変えれば彼はシオニズムを客観的な視点から眺めることができる立場に立っていたということである。登場人物も多く、神学上の問題も孕んでいるために、かなりな程度に難解である。ともかく、下巻へ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
巻頭を飾るのは、ペニンシュラ・香港である。1928年操業だが、日本軍に接収されるなど紆余曲折の後、1945年に営業を再開。アジアのランドマークと称されるらしい。客室数が多すぎるのは欠点だが、内部空間はさすがに偉容を誇る。これに続いて香港の高級ホテルが続々と。マンダリン・オリエンタル、リージェント、シャングリラ…。シンガポールのオリエンタル、シャングリラとコロニアル・ムードの高級ホテルが続くが、どういうわけかバンコクのオリエンタルもシンガポールのラッフルズもない。名だたるホテルの中でも私が最も注目するのは⇒
ヴェネツィア
2025/06/03 15:58

⇒ラ・マムーニア(マラケシュ)である。ロビーやレストランの意匠が実にアラビックなムードに溢れている。ここは、かつてチャーチル夫妻の愛用のホテルだったようだ。パレ・ジャマイ(フェズ)は、さらにオリエンタルなムードに溢れているかもしれない。ここに紹介されているものは、いずれ菖蒲か杜若といったところなのだが、泊まってみたいのはモロッコの上記2つのホテルだ(実現することはあるまいと思われるが)。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
レオ・レオニ 作。訳は谷川俊太郎だが、訳すところは、ほとんどない。それくらい絵が主体の絵本。そして、もう一つの特徴は、レオ・レオニ得意のカラフルな絵ではなく、すべてモノクロームで描かれていること。さらには、ここに登場するのはすべて石。石…石…石。浜辺にあった石なので、どれも角がとれて丸っこい。そんな石たちの個性的な競演を描く。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和11(1936)年10月「東陽」。太宰27歳。最初は、笠井一の手記として書き始められ、しかも仰々しく文語体であったりしたのだが、次第に馬脚を現し、というよりは、もはや開き直らざるを得なくなってしまう。三度目に試みた自殺未遂の顛末を、かなり細密な心理描写を交えて語る。深刻な状態のようにも見えるが、こんな風に分析的に書いていることからすれば、結局は冷静なのである。ただ、太宰にとっては「死ぬ気がなかったのじゃないか」と思われるのは、大いなる恥辱だろう。だから、末尾は「なあんだ」と種明かしめいた⇒
ヴェネツィア
2025/06/02 17:36

⇒終わり方をしたのだろう。そして、むしろそこにこそ太宰「恥」の感覚と、次なる自殺の伏線が秘められていたのではないだろうか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
本書は「認知科学シリーズ」の1冊。ここでは、オノマトペからのアプローチである。この本を読んでいると、あるいはオノマトペが言語の起源かも知れないという説に大きく首肯せざるを得ない。少なくても有力な可能性を示唆することは確かだ。「ザワザワする」、「ざわめく」、「さわぐ」はどこまでがオノマトペだろう。最初の「ザワザワ」は皆が等しくオノマトペに票を投じるだろう。では「ざわめく」はどうだろうか。最後の「さわぐ」になれば、これまた普通の動詞と捉えられているだろう。こんな道筋が、あるいは言語を成立させていったのかも⇒
ヴェネツィア
2025/06/02 17:26

⇒などと想像の幅と奥行きが広がってゆく。なかなかに刺激的な本。また、バスク語やディビヒ語、シンハラ語など、言語学のテキストでかつて出会った懐かしい言葉があちこちに登場する。なお、インドネシア語のbesar, kecilのカタカナ語表記がベサル、ケチルとあったが、ブサ(ー)ル、クチルではないか。

おとん707
2025/06/03 10:24

ご指摘の通りbesarやkecilはeの部分を発音しませんね。なお、インドネシア人やマレー人と長く付き合った経験からするとインドネシア語(マレー語も)ではPとBの発音が曖昧です。アラブ語でもそう感じます。それが証拠に彼らは英語の単語のスペリングでpとbを時々間違えます。besarは私が聞いた感じではブサールないしはプサールと聞こえます。

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ヴェネツィア
ひびのこづえのアート・ブック。グリムの『星の銀貨』が一応の案内役を務める。本書は「にほんごであそぼ」他の様々な媒体に収められていたコスチューム・アートを集成したもの。表紙は存外に地味だが、中は華やか。しかし、そうはいっても色彩感は抑制されたもの。実際にモデルが着用するコスチュームもあり、人形の服として作られているものもあるが、それ以外はデザインのみ。実用はあまり考えていないのだろうか。十分に実用に耐えられると思うのだが、それは私がコスチューム・アートというものを理解していないからかも知れない。
ヴェネツィア
2025/06/02 11:20

グリムの『星の銀貨』は、かなり奇妙なお話。ハッピーエンドなのだが、そこにいたる構成に必然性が極めて乏しいのである。こんなお話を選ぶところも、すでにアーティストの嗜好が強く反映されているのだろう。

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ヴェネツィア
アラン・デュラント 文、まつおかめい 絵。やさいがきらいで、ハンバーガーばかり食べているベニー。ある日、大きなハンバーガーになっちゃった。犬たちに追いかけられ、牛に追いかけられ、男の子たちにも追いかけられて…。お母さんに助けられ、野菜を食べたら人間に戻ったというお話。ハンバーガー協会(そういうのがあるとすればだけど)に怒られそうだ。教訓めいていそうだけれど、楽しい絵と最後の、もうワンステップがそこから救っている。
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ヴェネツィア
初出は昭和23(1948)年1月「光」。太宰39歳。戦後らしい作品である。戦後の代表作ともいうべき『斜陽』が書かれたのがこの前年であり、太宰の創作意欲も比較的に安定した時期だったのだろうか。もちろん、ここで描かれているのは、まだ戦後の状況を大きく引き摺ってはいたのだが。作中の厚顔無恥な笹島先生と、その一党にはモデルがいるのだろうか。いそうな気がする。では、一方の饗応夫人には?こちらは純然たるフィクションというのが、私の見立てなのだが、さてどうなのだろうか。
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ヴェネツィア
ルイーズ・ブルジョワはパリに生まれ、ソルボンヌ大学(数学科)やパリ国立高等美術学校等で学び、やがて結婚を機にニューヨークに移住。アーティストとして活動。本署はルイーズ・ブルジョワ展「地獄から帰ってきたところ言っとくけど、素晴らしかったわ」の総合カタログ。東京在住の人たちにはお馴染みかも知れないが、六本木ヒルズのランド・マーク「ママン」の製作者である。全体のタイトルもそうだが、各章のそれもまた、きわめて演劇的である。そして、その演劇性は、かつて寺山修司が率いた「天井桟敷」のそれに通じるところが⇒
ヴェネツィア
2025/06/01 16:54

⇒あるように思う。本書に収録されているものは、造型が多いが、絵画やエッチングなども含まれる。第1章「私を見捨てないで」も結構なものだが、第2章「地獄から帰ってきたところ」は、かなりな程度にグロテスクである。第3章「青空の修復」では、中心となるテーマは蜘蛛である。巻末の「論考」、「年譜」ともに充実している。ルイーズ・ブルジョワを知るには格好の1冊。これ1冊で堪能というか、食傷というか…なのだが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ムーミン一家は11月から4月までの寒く、暗い季節は冬眠してやり過ごす。ところが、ある年の冬、ムーミンは突然目を覚まし、それっきり眠れなくなってしまった。そんなわけで、ムーミンだけが冬のムーミンヴァレーで過ごすことに。もちろん、雪を見るのも初めてだし、黒夜から最初の曙光が現れる日を目撃するのも初めて。淋しいことを除いては、これはこれで貴重な体験である。その上、ミイやおしゃまさん、子りすにご先祖さま、果てはヘムレンさんまで現れて、冬のヴァレーもしだいに賑やかに。ジャムがなくなってしまう心配をしたりと⇒
ヴェネツィア
2025/06/01 16:31

⇒ムーミンもいろいろとたいへんなのだけれど、パパもママも眠っている、こんな時だからこそムーミンには頼るものがなにもない。ようやく春になって、さてムーミンはこの冬で成長しただろうか。うん、きっとしたと思う。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
たかどの ほうこ・文、太田大八・絵。1988年初版。文も絵もなんだか古い感じは否めない。彩色の仕方やフォルムなどはアメリカン・クラシックに似ていなくもない。お話はえんどうまめを植える時に、うっかり緑色のあめだまを一緒に埋めてしまったら…というもの。ほのぼのといえば、ほのぼの。他愛ないといえば他愛ないお話。絵も含めて、このクラシカルなムードを楽しもうか。
ヴェネツィア
2025/06/01 08:08

クラシック絵本かと思ったが、意外にもまだまだ現役で活躍中であった。失礼しました。

が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2011/11/30(5138日経過)
記録初日
2011/04/07(5375日経過)
読んだ本
8505冊(1日平均1.58冊)
読んだページ
1886145ページ(1日平均350ページ)
感想・レビュー
8414件(投稿率98.9%)
本棚
62棚
性別
職業
専門職
自己紹介

2011年4月からの参加で、15年目にはいりました。一番よく読んでいるのは日本文学、次いでは翻訳文学です。読むジャンルの幅は広い(半ばは意識的にそうしています)のですが、何でも手当たり次第に読むというわけではありません。特に誇れるものはありませんが、連続読書日数は初日から5263 日(2025年9月2日現在)、冊数は8098冊になりました。胃癌で入院中も、海外旅行中も毎日読んできました。さて、どこまで伸ばせることやら。

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