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2025年5月の読書メーターまとめ

ヴェネツィア
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117
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14155ページ
感想・レビュー
117
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2025年5月に読んだ本
117

2025年5月のお気に入り登録
38

  • 紙の友
  • 867
  • takibi55
  • きゅるきゅるぽくと
  • コマック
  • 4097855159
  • さちこ
  • にゃるはや
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  • みあ
  • あやっち
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  • 上空弘育(ひろじ)
  • あいちゃん
  • いもっこいもこ
  • sodium hydride
  • shougamichiyuki
  • papageno
  • コータオ
  • TSUTIYA
  • neko.reading
  • I love Michi
  • む〜レコード
  • 221H
  • マーシー
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2025年5月のお気に入られ登録
32

  • hollyhock
  • 紙の友
  • 867
  • takibi55
  • きゅるきゅるぽくと
  • コマック
  • 4097855159
  • さちこ
  • にゃるはや
  • 益虫
  • sinji
  • grated yam
  • ののたま
  • かお
  • ゆり
  • nana
  • Simone Biblia
  • nori1104
  • みあ
  • あやっち
  • しばちゃ
  • D
  • 上空弘育(ひろじ)
  • あいちゃん
  • いもっこいもこ
  • sodium hydride
  • shougamichiyuki
  • papageno
  • コータオ
  • TSUTIYA
  • I love Michi
  • 221H

2025年5月にナイスが最も多かった感想・レビュー

ヴェネツィア
アンデルセンの「人魚姫」をモチーフに、5つの連作短篇で織りなす物語。それぞれの短篇は一応は独立しつつも、互いに連続性を保ち、最後は円環を結ぶという構成。物語はすべて銀座の歩行者天国を舞台に繰り広げられる。それは、いわば日常に潜む非日常の空間である。そして、物語を繋ぐトリックスターの働きをするのが「王子」である。逃げた人魚は紗奈であったのか、それとも理世であったのか。最初は、読者に迎合的であるという意味において、もうほとんどポピュリズム小説とでも言うべきかと思ったが、先に進むにつれてよくなっていくようだ。⇒
ヴェネツィア
2025/05/29 17:09

⇒ことに4章「夢は静か」から5章「君は確か」では作者と読者の交歓が可能になってゆく。なお、各章のタイトルは「名詞+形容動詞の語幹」で統一されている。

が「ナイス!」と言っています。

2025年5月にナイスが最も多かったつぶやき

ヴェネツィア

5月になりました。皆様、今月もどうぞよろしくお願いします。写真はアリョーシャ。☆ヴェネツィアさんの2025年4月の読書メーター 読んだ本の数:114冊 読んだページ数:15302ページ ナイス数:50380ナイス ★ヴェネツィアさんの2025年4月に読んだ本一覧はこちら→ >> https://bookmeter.com/users/157091/summary/monthly/2025/4

5月になりました。皆様、今月もどうぞよろしくお願いします。写真はアリョーシャ。☆ヴェネツィアさんの2025年4月の読書メーター 読んだ本の数:114冊 読んだページ数:15302ページ ナイス数:50380ナイス  ★ヴェネツィアさんの2025年4月に読んだ本一覧はこちら→ >> https://bookmeter.com/users/157091/summary/monthly/2025/4
ton
2025/05/16 08:43

はじめまして。いつもNICEありがとうございます。アリョーシャ(カラマーゾフ?)ちゃんはボルゾイでしょうか。素敵ですね!我家にも17歳ヨロヨロの愛犬がいます。ではまたよろしくお願いします

ヴェネツィア
2025/05/16 08:51

tonさん、はじめまして。ボルゾイでです。4歳です。お察しの通りカラマーゾフから。本名はALEXEIです。どうぞよろしく。

が「ナイス!」と言っています。

2025年5月の感想・レビュー一覧
117

ヴェネツィア
初出は「蝶蝶」、「決闘」、「くろんぼ」が昭和10(1935)年2月「文藝」。「盗賊」が同年10月「帝國大學新聞」。太宰26歳。その後、最初の作品集『晩年』に収録。これらの作品は、いずれも背後に太宰自身が垣間見えるが、スタイルは客観小説。巻頭の「蝶蝶」が最も『晩年』の中の1篇らしく見える。ドラマティックなのは、ロシア小説ばりの「決闘」。現代では問題になるだろう「くろんぼ」は、何だか悲しい小説である。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
7つの短篇から構成される。そのいずれもの前に昔話が提示されている。タイトル「むかしのはなし」の由来はそこにあるのだが、伝承文學はしをんさんの父君の三浦佑之氏の専門領域だ。もっとも、「入江は緑」と「浦島太郎」のように一目瞭然のものもあれば、「ラブレス」の「かぐや姫」のように、考え込んでしまうようなものもある。また、もう一つの共通項は、一人称語りのスタイルをとっていること。おそらく、これも、昔話から導かれたものだろう。また、隕石が地球に衝突しそうだという近未来SFの要素も持っている。ただし、これは⇒
gelatin
2025/06/08 12:28

寡聞にして三浦しをんが三浦祐之の娘だと知りませんでした。そういえば良く似てますね…

ヴェネツィア
2025/07/10 17:35

gelatinさん、意外なような、そうでもないようなですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ローマから電車で向かって、1時間30分。フィレンツェ中央駅に到着する前に車窓からドゥオモが望見できる。ああ、フィレンツェだと、得も言われぬ幸福感に包まれる時だ。駅を出ると、すぐに美しいサンタ・マリア・ノヴェラ教会。ドゥオモまでもすぐである。フィレンツェは、何処へもほぼ徒歩圏内(ミケランジェロ広場はいささか遠い上に上り坂だが)にルネサンスが目白押しの街。建築物もそうだが、ウフィツィにはボッティチェリもあれば、サン・マル コにはフラ・アンジェリコが。まさに街ごと美術館状態である。全体を俯瞰するなら、⇒
えか
2025/05/31 09:22

兼高かおる世界の旅みたいな?

Himeko is not cat
2025/05/31 11:49

あとはキャンティクラシコとビステッカフィオレンティーナ😋

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
デビット・シュワルツ 作、スティーブン・ケロッグ 絵。シュワルツは、算数と理科の教育研究家(?)。ケロッグは、子どもたちに絵の楽しさを教える活動で全米を行脚。大きい数はたしかに想像しにくい。それを、いわば比喩を用いて提示するのがこの絵本。例えば「もしも、1,2,3…と100万まで休まずにかぞえたら…」→「およそ23日くらいかかるんだ」。では、10億だったら?さらに、1兆だったら?日常的なのだが、その発想の展開が面白い。絵も明るく開放的な、いかにもアメリカンなもの。
ヴェネツィア
2025/05/31 07:34

数の概念が必要なので、園児にはあまり向かないか。楽しめるのは小学校中学年くらいから?大人でも、こんな風に例示できる人はそうそうはいないだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
シリーズ全体では第2巻だが、インガルス一家の旅篇としてはここから。イリノイ州ペピン湖畔から、オクラホマ州のインディアン・テリトリーまで。かなりの距離だが、物語の中心を成すのは、この大草原での1年間。ローラの6歳から7歳までを語る。この時代、お父さんは何でもできないといけなかったのだ。狩りはもちろん、家を1人で建て、井戸を掘り、オオカミから家族を守り…。まさに獅子奮迅の働きである。そして、お母さんは限りなく優しく、子どもたちの養育と教育にあたり…。もちろん、脚色はなされているのだろうが、基本的にはローラが⇒
ヴェネツィア
2025/05/30 17:00

⇒体験したことの回想である。ここにあるのは、かつてあった「古き良きアメリカ」のいわば理想像なのだろう。もちろん、それは普遍性をも獲得しており、したがって我々も共感できるのである。それにしても、1年間でインガルスたちが得たものは、子馬が1頭だけであったとは。あんなに苦労もし、これからの希望にも燃えていたのに…。

あやの
2025/05/30 23:10

私は子どもの頃から暗記するほど「大草原シリーズ」を読んで、ドラマのDVDも全部持っているインガルス家オタクです。大人になって本を読み直すと、父さんがなぜそこまで大移動したのか不思議だし、衣食住をゼロから作り上げる大変さとか、考えさせられることが多いです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻は埼玉、千葉、東京、神奈川の伝統食である。まずは埼玉から。「朝まんじゅうに昼うどん」と小麦食が多いようだ。もろこしまんじゅうに、すまんじゅう。埼玉は本来、山国なのだと再確認することに。次の千葉は、房総の海の幸。イワシ料理が多彩だ。ごま漬に、くさりずし。全く初めて聞くもの。今でもあるにはあるようだが、食べたことがある人は少ないのではないだろうか。東京は、どじょうなべ。イワシやカレイの煮付けなども。なんといっても、江戸前の魚。最後の神奈川は中華街やモダンな街並みを有しながら、伝統食というと禅寺の精進⇒
アキ・ラメーテ
2025/05/31 00:56

どじょうと言えば、岡本かの子の『家霊』が思い浮かびます。どじょう汁は食べたことは無いですが……。

ヴェネツィア
2025/05/31 05:05

アキ・ラメーテさん、岡本かの子にどじょうの登場する小説がありましたか。岡本かの子は読もう読もうと思いつつ、未読の作家の一人です。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
もり ひさし/ユノセイイチ 作。くまさぶろうはどろぼうの名人。砂場で遊んでいた子どものシャベルも、動物園のゾウも、他の人の心の中だって、何でも盗んでしまう…というお話。絵はペンによる硬質の線画に淡くラフな彩色。ちょっと見には小学生が描いたかのような、いわゆるヘタウマ系である。さて、これではたして子どもたちの共感を得られるのだろうか。子どもたちに読み聞かせた人たちの感想やいかに。
Pochi
2025/06/01 22:20

小さい頃、私の中で一、ニを争うお気に入りの絵本でした。どうしてだったのかは全く覚えていませんが。

ヴェネツィア
2025/07/26 08:49

Pochiさん、ごめんなさい。今までコメントをいただいていたことに気が付きませんでした。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年4月「文學者」。太宰31歳。さほどの義理もない文芸誌に5枚の随筆原稿を引き受けてしまったものの書けない。そこでその理由を理路整然と述べ立てることでなんとか逃れたのが、この原稿。それで逃れおおせたのかというと、雑誌だけに1か月間針の筵という結果に。これもまた『鉄面皮』級だが、こちらは徹頭徹尾、真面目な様子で愚痴をのべているところが可笑しくもあり、相手にも同情する。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
アンデルセンの「人魚姫」をモチーフに、5つの連作短篇で織りなす物語。それぞれの短篇は一応は独立しつつも、互いに連続性を保ち、最後は円環を結ぶという構成。物語はすべて銀座の歩行者天国を舞台に繰り広げられる。それは、いわば日常に潜む非日常の空間である。そして、物語を繋ぐトリックスターの働きをするのが「王子」である。逃げた人魚は紗奈であったのか、それとも理世であったのか。最初は、読者に迎合的であるという意味において、もうほとんどポピュリズム小説とでも言うべきかと思ったが、先に進むにつれてよくなっていくようだ。⇒
ヴェネツィア
2025/05/29 17:09

⇒ことに4章「夢は静か」から5章「君は確か」では作者と読者の交歓が可能になってゆく。なお、各章のタイトルは「名詞+形容動詞の語幹」で統一されている。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
第3巻は北海道、東北、関東と随分大雑把である。ともかく、北海道から。最も北海道らしさを残すものといえば、江差町の鰊御殿だろう。建築様式も独特だし、内部も豪華である。東北では、黒石と角館の街並み(残念ながらどちらも行ったことがない)と、これも元は武家屋敷らしい内部の木の年代を経た艶とが見ものである。また、紅花で富を築いた河北町や山形市十日町に残る屋敷も、かつての栄華を今に伝える。南会津の大内宿も魅力的だ。関東では鎌倉には本格的なハーフティンバーの邸が残っている。洋館なら、横浜の山手にもなかなかに洒落た⇒
ヴェネツィア
2025/05/29 13:53

⇒作りのものが散見されるようだ。あと、珍しいところでは、大子町(茨城県)の「牛の目の家」か。元は大庄屋の屋敷だったらしいが、現在は陶芸家のゲルト・クナッパー邸となっている。千葉県の佐原などもなかなかに魅力的。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この「ねずみくんの絵本」シリーズは随分と人気のようで、既に20冊以上が出版されている。本書は、そのシリーズ第1巻。なかえよしを・文、上野紀子・絵。お話はねずみくんのお気に入りのチョッキをアヒル、サル、アシカ…が次々と「ちょっときせてよ」と試着する。どんどん大きな動物になっていって、最後はゾウ。チョッキはビローンと伸びてしまった、というお話。勝負どころは、やはり絵。みんなの「すこしきついがにあうかな?」という時の表情が絶妙。また、全体をモノクロームで描き、チョッキだけを赤にしたのも大いに効果を上げている。
ヴェネツィア
2025/05/29 08:10

チョッキという言葉は、もはや死語かと思っていたが、そうでもないようで、今でもベストと併用されているようだ。

櫻井愛
2025/05/29 08:29

この本も好きな本です📕✨️懐かしくて嬉しくなってしまいました😊✨️

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和18(1943)年6月「八雲」。太宰34歳。ここでも、相変わらず他者に迷惑ばかりかけている太宰(一応は小説なので、太宰とすべきではないのかもしれないが)なのだが、この作品に限っては暗さや、あのどうしようもない煩悶が見られない終始、明るいのである。『右大臣実朝』で「明るさは滅びの姿であろうか」などと言っているが、ここにあるのは日常を普通に生きる明るさだ。随分久しぶりに故郷に帰った(兄によって勘当中の身であった)ことの喜びがよほど大きかったのだろうか。あるいは、執筆も生活も珍しくも順調だった⇒
ヴェネツィア
2025/05/28 17:26

⇒のだろうか。こんな太宰も珍しいのだが、こちらもなんだかほっとする。1938年といえば、石原美知子と見合いし、婚約した頃。翌1939年に結婚している。もっとも、前年の1937年には小山初代と心中未遂事件を起こしていたのだったが。

コータオ
2025/05/29 10:10

数年前に偶然訪れた甲府で、当時の太宰新居近辺に行きました。山並みは清々しく、その頃通った銭湯も残っていました(時間がなくて行けませんでしたが)。明るい太宰の一時期の空気、私も太宰を通して読んでみたいなと思います(今のところ、ヴェネツィアさんのレビューで満喫しています)。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレちょっと珍しいシーラッハの戯曲。2013年7月26日に空対空ミサイルでベルリン発ミュンヘン行きのルフトハンザ機を撃墜し、乗客164人を死なせた罪で空軍少佐ラース・コッホが参審制裁判で裁かれることになった。ルフトハンザ機はアルカイダ系のテロリストによってジャックされ、7万人がいるサッカースタジアムに向かっていたのである。ここで撃ち落とさなければ、スタジアムは大惨事に。しかし、撃ち落とせば乗客はほぼ全員が助からないだろう。上官の命令は撃つなだったが、コッホは撃った。ひじょうに判断の難しい裁判である。検察側⇒
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
山下明生・作(渡辺三郎・絵)。創作民話。語りのスタイルは「日本昔話」風。「なんぼか むかしの はなしじゃが」と語り始められる。「やかまし」の語源譚の構想をとる。「かなわん」が物語中のキー・ワードになり、お話全体にリズムを構成している。民話仕立てなので、いたってシンプルな上に「げなげなばなしは うそじゃげな」と結ばれる。作者は福島県生まれのようだが、語りは広島方言のように見受けられる。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
スズキ コージ・文、大畑いくの・絵。お話も絵もかなり破天荒。そらのあかちゃんのひとりが、ころげおちて地上へ降ってきた。おばあちゃんが拾って村のみんなで育てることに。大きく育ったあかちゃんは煙に乗ってそらのおかあさんの元に帰って行った。お礼には空から大量のミルクが。絵はシャガールを思わせるもの。例えば表紙のグレートマザーなどもそうだし、動物たちもどことなく。絵のタッチ全体はロシア風で、ユダヤ人コミュニティーを想起させる。「屋根の上のヴァイオリン弾き」のような。
ヴェネツィア
2025/05/28 07:41

本書もまた農文協の「わくわくたべものおはなしえほん」の1冊だったが、このシリーズは、どうやらなかなかに曲者揃い。とりわけ、この二人のコンビネーションは絶妙。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレ東野圭吾の近作。『白鳥とコウモリ』に続く、本格警察小説。捜査一課の刑事、五代を中心に物語は展開していく。五代はきわめて有能ではあるものの、徹底したリアルの範囲に留まっている。したがって、展開はいたって地味である。かつての、『白夜行』や『容疑者X』とはそのあたりが隨分違ってきている。放火殺人と偽装工作に始まり、事件は少しずつ明らかになってはいくものの、所轄の刑事、山尾の逮捕と自供あたりからは新たな様相を見せ始める。地味ながら、このあたりまでは東野圭吾の新境地かと思うくらいに面白い。ただ、事件の真相解明に⇒
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和10(1935)年10月、「作品」。太宰26歳。なお、本作は翌年の第一作品集『晩年』に収録。「玩具あとがき」によると、「散文詩ともいふべきもの」ということになるのだが、前半と後半では構成上の整合性が弱く、小説としての緊密さを欠くが故に散文詩と言ってみたようにも思える。金を無心に帰るのだから、帰郷は太宰には針の筵だったことだろう。挙げ句に土蔵から盗むというのだから、もう救いがない。また、後半の「赤児のときの思い出」も、嘘で固める始末。しかし、こちらは散文詩と言って言えなくもない。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
酒井駒子・作。9つの掌編から構成。いずれも小さな女の子の日常の一コマを描いているのだが、挿絵と合わさると、これがたちどころにメルヘンに変貌する。その意味では、日常の中でのメルヘンの発見であるともいえる。私たちはもう忘れているのだけれど、かつてこんな幼児の一日があったかもしれない。絵はラフな木版画に部分的に淡い彩色を施したもの。女の子は一度も笑うことなく、なんだか孤独そうに見える。酒井駒子の世界を堪能できる1冊。大人向きの絵本だろう。
ヴェネツィア
2025/05/27 07:11

ここでは、鳥たちもさえずらない。ぬいぐるみも寂しそうだ。一般的には負の感情が描かれるのだが、それは酒井駒子にあっては存在の是認と肯定である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
レオ=レオニの絵本。訳はいつもの谷川俊太郎。ことあるごとに言い争っていた3匹のカエルたちが、洪水をきっかけになかなおりといった、いわば何のへんてつもないお話。絵は切り絵で、緑の濃淡でカエルたちを描く。シンプルな絵なのだが、カエルの動きはや躍動感はリアル。微笑ましい絵本といえばそうだが、ややインパクトには欠けるかな。子どもたちの反応やいかに。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者のクライヴ・A・ロートンは現在ロンドン在住で、1980年代以来ホロコースト教育の第一線で活躍してきた。冒頭近くに、第2次大戦前と後のヨーロッパ各国のユダヤ人の数が示されているが、凄まじく激減していることが一目瞭然である。第一次大戦後のドイツの不況、ヒトラーとナチスの台頭、クリスタルナハト以降のユダヤ人の迫害と虐殺、戦後の解放と進められていくが、証言写真を用いることで強い説得力を持っている。記述はニュールンベルク裁判で記録は終わっていて、イスラエルの建国には触れられていない。それは、著者がイスラエル⇒
ヴェネツィア
2025/05/26 17:34

⇒の今のあり方を認めない故であるのか、あるいは加害の歴史にはあえて触れないのかはわからない。また、こうした歴史をあらためて見ていると、ドイツの歩んだ道と、現在のトランプとアメリカの政権のあり方が重なっているようで、強い危うさを感じる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和10(1935)年10月「文藝通信」。太宰26歳。エッセイというよりは抗議文だろう。「川端康成へ」としていることからも、全体に激烈な調子である。経緯をいえば、芥川賞の選考において、川端が文藝春秋の9月号に述べた言葉「なるほど、道化の華の方が作者の生活や文学観を一杯に盛っているが、私見によれば、作者目下の生活に厭な雲ありて…」に太宰が反発したのである。太宰はここであれこれと述べているが、作品としては石川達三の『蒼茫』よりも優れていると認めながら、私生活のためにダメだというのに最も反発を覚えた⇒
ヴェネツィア
2025/05/26 17:00

⇒のではないかと思われる。そういうお前はどんな立派な私生活を送っているのだと。もっとも、これはもう感情的な言い方である。ところが冷静になったとしても、太宰からすれば芸術は芸術、私生活は私生活である。菊池寛に対しては「まあ、それでもよかった。無難でよかった」などという言を聞くと、もはやあきれ果てるしかなかったのではないか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
5000年に及ぶ本の歴史を概観する。最初はエジプトのパピルスから。現存するものでは、約3150年前に作られた『死者の書』(大英博物館蔵)。写真が掲載されているが、保存状態は抜群にいい。ヒエログリフと絵で構成されている。メソポタミアは粘土板。『ギルガメシュ』や世界最古の地図、辞書などがニネヴェの図書館跡から発掘されている。インドやスリランカでは木の葉に、そして中国では木簡に書かれた書が。ヨーロッパでは、その後は長く羊皮紙の時代が続き、中国では紙が生まれ、印刷が行われるようになる。世界最古の紙の印刷物は⇒
ヴェネツィア
2025/05/26 10:39

⇒日本に残っていて、法隆寺に所蔵されていた経典。やがて、グーテンベルクの活版印刷へ。聖書がこうして印刷されたことは西洋史に大きな変革をもたらしたことは特筆すべきこと。ちなみに、このグーテンベルクの聖書は世界に47部残るのだが、そのうちの1部は慶応大学が持っている。

美馬
2025/06/10 12:20

法隆寺の経典も、慶應大学が持ってる聖書もめっちゃみてみたい。無理だろうけどページをめくったりも。香りも嗅いでみたい。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
筒井頼子・文、林 明子・絵。お話はいたってシンプルかつストレート。みいちゃん(5歳)がママにおつかいを頼まれて、生まれて初めて一人で牛乳を買いに行くというもの。読み聞かせだと、子どもたちはドキドキするだろうな。絵はプロフェショナルが描いた丁寧で詳細な絵日記風。ただし、アングルなどは、さすがにプロならでは。細部の表現にまで眼が行き届いている。また、一昔前(もっと前かな。うすかわまんじゅう40円)の郊外の住宅地の感じがよく再現されている。大人にとっては懐かしの光景かも。
ヴェネツィア
2025/07/10 04:53

カオルーンさん、宵待草さん、今までコメントをいただいたのに気がつきませんでした。ご容赦のほどお願いします。お知らせの機能に頼っていました。

宵待草
2025/07/10 05:29

ヴェネツィアさん おはようございます。 ご丁寧に、有り難うございます!🙋 暑くなって来ましたので、お互いに水分補給を確り摂りながら、恙無く過ごしたいと願います!💫 何時も沢山の良書の、ご紹介! & 学びを頂き読みたく成るレビュー!の、掲載に感謝です!🍀 ご紹介の『日本の洋館 明治編』の、頁をゆっくり捲りながら、、、日本はいいなぁ~と思い至ります!💗 今日も穏やかな、良きひと日で在ります様に!✨ 宵待草

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ヴェネツィア
初出は昭和9(1934)年10月「世紀」。太宰25歳。1936年に『晩年』に収録。直接的には自分自身を主人公にしてはいないが、高等遊民ともいうべき、大家は多分に太宰の姿だろう。もちろん、小説の最後に語られるように青扇もまた作者自身を戯画化したものである。そして、ここには今も将来も何者でもなく、また何者かであろうとするでもない、まさに若くして晩年を迎えた太宰が語られている。それは、あるいは予見であったのかも知れない。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
石沢麻衣の最初のエッセイ集(まだこの1冊のみだが)。3つの媒体に書かれたものからなっている。最初のⅠは河北新報に寄せられた掌編エッセイ集。この人のエッセイは一つ一つは短いのだが、そこには「世界」がある。エッセイでありながら、物語めいた趣きを持っているのである。2021年10月から2024年8月までのものなので、彼女がイエナに居を構えていた時のものだ。イエナはことのほかに冬の風情が似合うようで、それがしんしんと染み渡るように読者に伝わって来る。Ⅱは日本経済新聞に掲載された「透明なものたちー美の十選」。⇒
ヴェネツィア
2025/05/25 16:50

⇒これは彼女の本業(どちらが本業かわからないが)に関わる絵画をめぐるエッセイ。ウィレム・クラースゾーン・ヘーダは初めてだが、たしかに注目に値する絵だ。Ⅲは6つの小説を語るエッセイなのだが、これまた小説世界への投入の仕方、そしてそこに読者を巻き込んで行く文体は実に見事。ことに最後の「蝶と蝶捕り人の変奏するイメージ」などは、見事なまでに石沢麻衣の小説になり得ている。この1冊全体の中でも傑出した1篇。これを読むためだけでも、お薦め!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻は南欧篇で、イタリア、ギリシャ、ポルトガルの町と住居である。とはいっても大半はイタリアで、ギリシャとポルトガルは付け足しの感も否めない。もっとも、イタリアはこの1国だけで地方による差異が大きく、南イタリアとフィレンツェあたりはもうほとんど別の文化圏である。ましてや北部になると町の趣きもスイスに近いものになる。巻頭はサン・ピエトロから俯瞰するローマ。サンタンジェロ城やカンピドリオなどが望見される。南部はギリシャやアンダルシアに近い印象だ。オストゥーニなども教会がなければ、同定が困難なほど。⇒
ヴェネツィア
2025/05/25 16:32

⇒中部はスポレートやボーマルツォなど古色蒼然たる町の宝庫。サン・ジミニャーノやシエナといった優美な街も多い。ギリシャはどういうわけかサン・トリーニを欠き、ポルトガルでもオビドスを欠くのは不思議だ。なお、建築物個々の紹介はないが、何葉か建物内部のインテリアの紹介があり、これは興味深いものだった。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
中谷靖彦・作。農文協の「わくわくたべものおはなしえほん」の1冊。双子の兄弟が主人公。パン生地をこねて、ふくらんできたところで、二人の妄想もふくらんで果ては宇宙まで…というお話。想像力を題材にしているのだが、モノがパンだけに「おならのガス」はいかがなものかと思う。宇宙への拡がりは唐突ではあるが、こちらは許容範囲だ。絵はなんとなく、小学生が描いたようなタッチをうまく活かしている。また、各ページにネコがいて、ネコ探しも楽しめる。いないページを設定するところなどの演出も。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年1月「知性」。太宰31歳。もの言わぬ鴎に託して自らの心情を語る。昭和15年ならば、戦況も悪化しつつあり、徴兵検査で丙種となり、内地でブラブラしている(いや、けっしてブラブラしているわけではなく、これでも微力ながらお国のために、兵隊さんたちのために…)のは、いたって気まずかっただろう。また、戦地から送られてくる小説も読むに堪えないようなものばかり。太宰は戦地を知らず、かといって銃後で何ができるわけでもない。正直なところ、煩悶の日々だったと思われる。そこで酒を飲むことになるの⇒
ヴェネツィア
2025/05/24 16:26

⇒だが、これがまた言い訳がましい。そして、再びそれが自分に返ってくるのだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
松下龍之介は初読。本作は第23回『このミステリーがすごい!』大賞の【文庫グランプリ】受賞作(つまり次点だ)。裏表紙のリードを読むと、とっても魅力的そうに見える。だが、構想そのものが大風呂敷の割には、そもそもヒマラヤ山中の神秘の湖との設定は、結局のところ意味不明のままに雲散霧消するなど、あれこれと整合性の弱さが見られる。最後の対決の場面でも悠が生き残るのも無理があり過ぎるだろう。全体としてアマチュアっぽさが横溢した作品。とりわけ、それが顕著なのが文章力である。加筆訂正したという割には序盤の文章は同人誌⇒
ヴェネツィア
2025/05/24 07:43

⇒レベル。中盤からは最初に比べればよくなるが、それは読者が慣れたからかも。『このミステリー』大賞は、どうやら新人発掘のための賞であるようだ(私が知らなかっただけか)。酷評に近いものになってしまいました。ファンの皆様ごめんなさい。

ヴェネツィア
2025/05/24 07:46

タイトルは素晴らしい。「一次元の」は不明だが、「挿し木」は物語との相関性もよい。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
アリス・ウォーカー 文、ステファーノ・ヴィターレ 絵。平和な村に密かに忍び寄る戦争を暗喩的に描く。戦争は、ここではある種の生命体ー巨大なアメーバのようなイメージであり、それ自体が意思を持っているかのようである。すなわち、戦争はもはや人為を超えたものと捉えられているのである。後半には、それは核兵器による惨状と、残留放射能の見えざる脅威への警鐘に向かっていく。絵は、前半はアンリ・ルソーの「熱帯」を思わせるのどかなもの。後半では一転暗い色調に変わる。核兵器の投下を思わせるシーンでは、ヒロシマの原爆ドームも。
ヴェネツィア
2025/05/24 07:27

核戦争を一方的に被害を受ける人々や動物たちと捉えているようにも見えかねず、人為による加害の側面が全く見られないのは大いに気になるところだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
イギリスの童話作家アリソン・アトリーの文に片山 健の絵。お話の要素が大きい絵本。とはいってお話自体もとってもシンプルで、ハリネズミノウサギとカワネズミが3びきで、月の夜に麦畑を見に行くというだけ。絵と相俟って、月と星、風の声などが静かな中に別世界を開いて見せる。片山 健の水彩画は見事に文章に呼応し、互いが互いを引き立てている。3びきそれぞれの表情もいい。夜のやさしさを伝える作品。オープニングのハリネズミとエンディングのカワネズミがことに秀逸。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和23(1948)年8月「中央公論」。太宰39歳。官僚をダシに「家庭の幸福」をこき下ろす。太宰の描いて見せる官僚の実態は、おおむねあたってそうには思うが、それにしてももう言いたい放題である。でもまあ、やはりこんなものなのだろうとは思う。そして、もう一つのモチーフがラジオ。ここでは、家族にラジオを買ってやれない太宰の韜晦が顔を出す。やせ我慢と収入を酒に換えてしまうことへの言い訳である。また、本編では珍しくも自ら本名の津島修治を名乗っている。しかも、夫として、あるいは父親として案外にまっとうである。⇒
ヴェネツィア
2025/05/23 17:16

⇒もっとも、最後には「官僚の悪」の地軸などと言いながら、本心を吐露する。すなわち「家庭の幸福は諸悪の本」。つまり、芸術と家庭の幸福とは根源的、絶対的に並び立たないのだ。それでも、本編は全体があくまでも明るいのが救いである。同じようなことを語りつつ、陰惨なのが『桜桃』。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者のマイケル・コリンズは、ローマ教皇庁キリスト教考古学研究財団所長他を務める。もう一人のマシュウ・A・プライスはキリスト教関係の出版社の社長。なにしろ、キリスト教2000年の歴史を紐解くとやはり波乱万丈、たくさんのことがあったとあらためて感慨に耽ることになる。キリスト教前史の旧約の世界から、イエスの誕生、受難、復活。そして、パウロの布教と殉教。数々の弾圧とローマ帝国による公認。やがて世界宗教に。その後もけっして平たんではない。中世を経て宗教改革があった。ここで、また大きく変容することになる。福音主義⇒
ヴェネツィア
2025/05/23 17:01

⇒である。もちろん、この間にカトリックも大きく変わった。数々の出来事を経て、現代のキリスト教があるのだが、残念ながら今、イスラムほどの求心力を持っているとは言い難い。しかし、そんな今こそキリスト教なのだという気もするのである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
早川純子・作。農文協の「わくわくたべものおはなしえほん」シリーズの1冊。主人公はあずき。共演はタヌキと天狗。タヌキがあずきをだまして、あんこに、そしてぼたもちにして食べてしまうというお話。なんだか変なお話だ。あずきは自分の「そっくりさん」に食べられたいと言うのだけれど。絵は丁寧に描かれてはいるが、これもちょっとクセがある。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和11(1936)年10月「若草」。太宰27歳。何なのだ、これは。文体も支離滅裂で文語体であったり、冒険活劇調であったり、はたまたプロパガンダ風であったり。3号雑誌では格好がつかないので、無理矢理に出した4号そのもの?それでも井伏鱒二や舟橋聖一、檀一雄など、結構なメンバーではないか。「喝采」という表題と、この文章。太宰にあっては「鉄面皮」と双璧か。いや「鉄面皮」の方がまだしも可愛げがあるだろうか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
1945年の光復(日帝からの解放)から3年後の1948年に起きた済州島四・三事件(これは蜂起といった単純なものではなく、その後何年にもわたって尾を引き続け、アメリカ軍と韓国軍・警察等によって何万人もが命を奪われた)への、心からの哀悼を切々と語った物語。しかも、その哀悼には「別れを告げない」のであり、作家は終生それを抱え続けていくのである。「人間が人間に何をしようが、もう驚きそうにない状態…心臓の奥で何かがもう毀損されていて」と、それは半ばは諦念をもって語られる。済州島の情景は、そこが温帯の島であるにも⇒
ヴェネツィア
2025/05/22 18:15

夢さん、私もこれでほぼハン・ガンの作品は一通り読みましたが、本作が現時点でのベストかと思います。年齢からすれば、今後はまだまだ描き続けるはずです。

読書家さん#2EIzez
2025/05/22 20:14

ヴェネツィアさん 回答をありがとうございます。 質問をしておきながらなんですが、ハンガンさんは済州島を取り上げた本が一番書きたかったと言っていたのを思い出しました。 ハンガンさんなら、こちらの本を読もうと思いました、ありがとうございます。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
巻頭は、今にわかに脚光を浴びることになった太田大八。実にいろんなタッチの絵があるが、『のぼっていったら』の抽象の線、『まほうこうじょう』のシュールレアリスムを思わせる不思議な造形などがとりわけ目を引く。日本の風景や神話・伝承を描いても上手い。次いでは井上洋介。『くまのこウーフ』くらいしか知らなかったが、この人も独特のタッチである。続くのは片山健。この人の絵本は未読だが、『迷子の独楽』などはぜひ読んでみたいものだ。画風はやはり独得。そして、あべ弘士。この人も未読。動物の絵と構図に特質がありそうだ。⇒
ヴェネツィア
2025/05/22 14:20

さらには、たむらしげる。この人も未読なのだが、他の誰よりも絵画的だ。ポップアートといった趣きなのだが、また時にはアメリカ漫画の風でもある。『フープ博士の月への旅』は魅力的だ。最後は村上康成。この人もカラフルでポップな絵だが、やはり未読。

ヴェネツィア
2025/05/22 14:21

まだまだ未読のものがたくさん。絵本の世界の道は広大だ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
こしだ ミカ・作。意表を衝いた表紙。タイトルの「ほなまた」は関西弁ネイティヴ以外には意味不明ではないだろうか。ちなみに、アクセントは、ほ(高)な(中)ま(高)た(中)。「ほな」は「じゃあ」くらいの意味。絵がまた妙に筋肉質の爺ちゃんのアップ。内容は森の食物連鎖を描いたもの。絵は大胆な線と構図ながら、実に丁寧かつ面白リアル。1ページに随分な情報量だ。子どもたちは、きっといろんなものを発見することだろう。モモンガが可愛いし、ちょっとひねこびたサルもいい。最後はタイトルに回帰しておしまい。
ヴェネツィア
2025/05/22 07:59

こしだ ミカは初めてだが、他の作品も探してみたい。なお、出版元は農文協と、絵本にしてはこれまたちょっと変わっている。「わくわくたべものおはなしえほん」シリーズの一巻のようだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和17(1942)年。「文學界」、「新潮」、「文藝」の3つの雑誌に分散して発表された(おそらくは長すぎたせいだろう)。38歳の作家、木戸一郎と文壇の大家、井原退蔵の往復書簡という珍しい形式をとる。木戸は太宰を想像させるが、そうではない要素を多く持たせている。井原のモデルを考えたが「高踏派」という記述からは鷗外かとも思ったが、年代からして合わない。次に川端を考えてみたが、これも雰囲気が違い過ぎる。どうやら架空の、したがって井原像もまた太宰自身の現身かと思われる。原稿用紙にして100枚超の⇒
ヴェネツィア
2025/05/21 16:51

⇒太宰にしては結構な大作の部類だが、残念ながら出来の方はあまりうまくいったとは思えない。あれこれと創作に行き詰った感の太宰像が浮かぶ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
1890年~1920年のウイーン。かつてのハプスブルクの都はもはや過去の栄光となったが、別の意味ではウイーンが最もウイーンらしい輝きを放っていた時代であったかもしれない。世紀末から戦間期の爛熟のウイーンである。街には新しい建物が次々に建っていった。ユーゲント・シュティールが席捲していたのだ。美術界にも新しい動きが胎動していた。クリムトを筆頭としたウイーン分離派がまさにこの時期。ココシュカがいて、エゴン・シーレがいた。音楽の世界にはッグスタフ・マーラーがいた。そして、ジークムント・フロイトがいたのである。⇒
ヴェネツィア
2025/05/21 16:39

原題のウイーンは幸いにも、まだこの時の香りを随所にとどめている。ユーゲント・シュティール巡りをするだけでも楽しめるし、クリムトやエゴン・シーレ、ココシュカはベルヴェデーレに行けば堪能できる。もちろん、シュテファン大聖堂や美術史美術館でいにしえのウイーンに出会うことも。

ヴェネツィア
2025/05/21 18:15

訂正:原題⇒現代

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の中村柾子氏は長年にわたって、幼稚園・保育園での勤務経験を持ち、また青山学院短期大学などで講師を務めている。本書はそんな彼女の体験的絵本論。きわめて実践的で、保育現場、あるいは家庭の子育てにも有用だと思われる。この人は保育園でも、また短期大学でも、ほんとうにいい先生だったのだと思う。各項目は、それぞれに示唆に富むものばかりである。「いい絵本」とはという問いに対する解が実に多様であり、子どもの視点と関心を深く理解してのものだと思われる。子どもたちにおける現実世界と物語世界の関係性にしても、納得のいく⇒
ヴェネツィア
2025/05/21 10:55

⇒解説が語られるし、子どもたちとそれぞれの絵本との出会い(出会わせ方)のタイミングもなるほどなあと感心することばかり。保育に携わる人には(そうでない人にも)強推薦!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
太田大八・作。1976年刊行。「ねこは かんがえます」「おれもウグイスのように…」、「ウグイスは かんがえます」「きゅうでんのきれいな…」、「おうじょさまは かんがえます」と、次々に自分の憧れを夢想して行きます。最後はコックさん。どうやら、ねこに戻ってきて円環の輪が結ばれそうです。左ページが文章と線画。そして右ページに水彩の絵。絵はヨーロッパの絵画、例えばちょっとアンリ・ルソーを思わせるタッチ。いや、むしろシャガールかも。
ヴェネツィア
2025/05/21 07:50

この人の絵本は初めて見たが、独特の絵がリアルな情景を描きつつ、それが時に幻想的な世界にも想像を羽ばたかせる。他にもあれば探してみたい。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
バンクーバー(本文の表記)に滞在中に(当初は2年間くらいの予定だったようだ)蜘蛛に噛まれたことがきっかけで(彼女はそれをおばあちゃんの報せと受け止める)乳癌が発覚。それから彼女の癌との付き合いが始まる。時、あたかもコロナ禍の真っ最中だった。彼女は本書とは別に日記をしたためていたようだ。したがって、こちらはナマのままの記録ではなくて、あくまでも西加奈子の作家としてのフィルターを通した、ドキュメンタリータッチのエッセイである。カナダの医療事情を知ることができるのも興味深いし、彼我の文化差へのまなざしも⇒
けい子
2025/05/20 23:02

病気って終わりではなく出発と捉える事が出来たとき、ちょっと楽になる。

ヴェネツィア
2025/07/21 08:35

けい子さん、ごめんなさい。今までコメントをいただいたことに気が付きませんでした。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者のロデリック・ケイヴとサラ・アヤドはともに印刷の歴史研究など本に長く関わってきた。本書は今一つ、その編集方針と狙いがよくわからない。多角的な観点から本の歴史を紹介しているのだが、体系性にやや欠けるのである。個々の項目の解説は百科事典並みだが、写真版はなかなかに魅力的で、他にはあまり見かけないものも。例えば「バタク族の易書」(ただし、古代のものかと思いきや1850年とはちょっと興ざめだが)や、アル・ジャリの「巧妙な機械装置に関する知識の書」など。
ヴェネツィア
2025/05/20 07:29

カラフルで、美しく、面白くはあるけれど、全体の構想が雑学的なのである。索引などは充実しているのにもったいないような気がする。もっとも、手堅く体系的に述べると硬くなりすぎるかもしれないのだが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
福永 信・文、渡邊良重・絵。「わたしがみてるの なに?」、「わたしが○○してるの なに?」…といった問いがひたすら続く。そして、答えはすべて「真珠」。絵はいたってシンプルで、絵というよりはデザインという趣き。パステルカラーが綺麗だ。それで、この絵本は何なのかというと、これがつまり只管な真珠礼賛なのである。どうやらアーティストのお二人が「びわこ真珠」に心酔していて(もしくは回し者で)、真珠の美を讃えるのだ。
宵待草
2025/05/20 07:31

ヴェネツィアさん おはようございます。 此の素敵な本が、共読本に一冊加わり、とても嬉しくレビューを拝読しました。 何時も、有り難うございます!🙋 今日も穏やかな、良きひと日で在ります様に!🍀 宵待草

ヴェネツィア
2025/05/20 07:34

宵待草さん、おはようございます。なんだかどう捉えていいのかわからない、ちょっと奇妙な本でした。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年11月「帝国大学新聞」。太宰31歳。執筆の経緯を知らないのだが、太宰が自ら投稿したのだろうか。あるいは大学新聞からの依頼によって書かれたものだろうか。どうも、後者のような気がするのだが。いずれにしても、どこまでが本気なのかも判然としない一文である。まだ「ロマンチシズム」などという言葉も使うことができた段階でもあり、「敗北」云々とも語れた時期ではあったのだろう。しかし、その背後には戦意高揚といった掛け声が聞こえてきそうだ。芸術とはすみれの花、芸術家とは豚の鼻などと諧謔的に語って⇒
ヴェネツィア
2025/05/19 18:34

読書家さん、太宰は一切説明していません。ただ諧謔的にこんな風に言い放つだけです。彼はこれを創作者の立場から語っていると思います。

読書家さん#2EIzez
2025/05/19 21:58

ヴェネツィアさん 豚の鼻というのは聞いたことがなかったもので。創作者か使うンでしょうか。失礼しました。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
タイトルの「春のこわいもの」は、直接にそれを示唆する言葉や場面はないが、どうやらコロナ禍のことだと思われる。2022年2月刊の書き下ろしだが、すべてコロナ下の物語である。6つの短篇を収録。「淋しくなったら電話をかけて」以外は、一人称語りである。そして、「ブルーインク」以外は女性の物語。年齢は高校生から老人まで様々。共通するのは、意思疎通の困難さと、それゆえに抱える主人公の(相手もだが)孤独だろうか。それは、コロナによって周辺の状況が研ぎ澄まされてしまったことによって、露わになったのだと思われる。
ヴェネツィア
2025/05/19 17:11

川上未映子は久しぶりに読んだが、読む度にその変貌ぶりには驚かされる。主題には一貫性があるのかも知れないが、話法は常に新たな試みがなされているように思う。まだまだ変貌しそうだ。

村雨春陽
2025/05/20 21:42

ブルー・インクは今大手では製造が終了されています。とても昭和なインクなんです。電話で話すとても昭和な物語。https://note.com/kobachou/n/n7cadc950d39b 川上未映子は何かを書かないことを意識した人だと思います。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
第一線で活躍する絵本作家8人を取り上げている。長新太、五味太郎、佐々木マキ、荒井良二、飯野和好、スズキコージ、山本容子、ささめやゆきの面々である。さすがにこの人たちは漢字変換の時も即座に名前が出てくる。それぞれの作家たちの代表作の紹介ばかりか、仕事場の写真があるのが嬉しい。ちなみに机の上が最も凄まじい様相を呈しているのは、飯野和好とスズキコージのお二人。反対に最もスッキリと片付いているのは山本容子。この人と、ささめやゆきのお二人は、これまで読んだことがなかった。また、佐々木マキは女性だとばかり思っていた。
ヴェネツィア
2025/05/19 10:55

これだけ有名な作家たちだが、未読のものがいっぱい。絵本の世界も奥が深く、また巾も広いことにあらためて驚く。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この本との出会いは、保育園を見学した折の園児たち(2歳~5歳)への読み聞かせで。大人気本とのことだった。絵もお話もシンプルこの上ないこの『だるまさんが』。「どてっ」、「ぷしゅーっ」、「ぷっ」、「びろーん」のオノマトペとだるまさんの動作絵がいいのだろう。輪になって聞いている園児たちも、だるまさんと一緒に声と身体も合わせて「どてっ」。聞けば、何度も何度も読んでいて、リクエストも多いそうだ。かがくい ひろし・作。
なな
2025/05/20 07:24

本業を活かした、どんな子どもからも猛烈な反応を引き出す作品が沢山あります。が、その中でもこの三部作は金字塔です。

ヴェネツィア
2025/05/20 07:31

ななさん、増刷数からしても圧倒的に支持されているようですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和14(1939)年5月『藍と美について』に収録。主人公は男爵と呼ばれる男で、風貌等は太宰とは一致しないのだが、内容からすれば明らかに戯画化された太宰だろう。「恋愛と、酒と、それからある種の政治運動。牢屋にいれられたこともあった。自殺を三度も企て、そうして三度とも失敗している」というのだから。小説の前半は、そんな彼の交友のエピソードを通じて、人となり(この部分はほとんど太宰その人である)を語っていく。そして、後半ではかつて彼の家(北の地方の有力な家)で女中をつとめていた「とみ」との邂逅に⇒
ヴェネツィア
2025/05/18 17:38

⇒話が進んで行く。とみに対する彼(とみからは新やんと呼ばれている)の態度はテレと恥ずかしさから、もうかなりに無茶苦茶なのであるが、とみはそれをすべて受容する。結末部がわかりにくいのだが、「花燭」のタイトルからすれば、新やんはやはりとみと結婚することになったのだろうか。解釈は分かれそうだが。また、作品としての構成は不十分なように思われる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
いつもは静かに佇んでいる絵画なのだが、案外にもかれらは饒舌だったりもする。ただし、彼らの声を聞くためには、ちょっとした秘訣が必要だ。その閉ざされた扉の向こうの世界と私たちとを仲介してくれる天使役を務めてくれるのは、『貝に続く場所にて』で芥川賞を受賞した石沢麻衣さん。彼女は西洋美術史の研究家でもある(むしろ、こちらが本業か)。そんな彼女なので、通常の解説書とは違って物語世界へ誘うように私たちを絵画の世界につれてゆく。そもそも絵画自身が、虚構世界から現実世界へなかばはみ出してこようとしているのだから、⇒
みあ
2025/05/18 17:52

ヴェネツィアさん、こんばんは。この本、難しくなかったですか?私は凄く難しかったです。

ヴェネツィア
2025/05/18 17:55

夢さん、導入の仕方がとっても巧みで、引き込まれました。扉の設定も、絵画の選定も上手いと思います。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
第3巻はU.S.A.篇。アメリカを代表する錚々たる高級ホテルが並ぶ。いずれも伝統と格式を誇るが、筆頭はやはりThe Willard InterContinentalか。ホワイトハウスに隣接する立地。1850年開業。1860年には明治新政府の通商代表団 も宿泊。翌年には大統領就任式のためにリンカーンとその家族が泊まった。外観もなかなかに立派だが、売り物は何よりも内装だろう。館内に一歩足を踏み入れるとアメリカというよりも、ヨーロッパの格式あるホテルという風情である。ヨーロッパに負けないホテルをという意気込み⇒
ヴェネツィア
2025/05/18 14:01

⇒が随所に感じられたことだろう。もちろん、今ではこれ自体が立派な歴史的建造物。全部で21の高級ホテルが紹介されているが、招待してくれるなら、The Waldorf=Astria &Towers New Yorkかな。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
エルヴェ・テュレ・作、谷川俊太郎・訳。テュレは、フランスのイラストレーター、絵本作家。まったく新しいタイプの絵本。登場するのは○○だけ。黄色と、赤と青があるけれど。最初は黄色が一つだけ。ここからどんどん変化して行くよ。実際にやってみることはできるけれど、でもこんなふうにはならない。なぜなら、これは魔法の本だから。ちょっと見には、そんなふうには見えないのだけれど。
ヴェネツィア
2025/05/18 07:53

○○を彩色して切り抜けば、画用紙の上で実際にやってみることもできそうだ。だけど、絵本で想像力をうんと飛ばす方がいいのかも。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和19(1944)年1月「改造」。太宰35歳。太宰が同窓の友人、大隅忠太郎のために実質的な仲人を引き受けるハメになった顛末を語る。概ねは事実そのままを述べているのではないかと思われる。すなわち、作品中には太宰らしい虚構がほとんど見られないからである。しいて言えば一カ所だけ。相手の女性の家である小坂家を訪問した際に、玄関先で足袋が思うように脱げず「いまはもうやけくそになり、いっそ素足で式台に上りこみ、大声上げて笑おうかとさえ思った」というくだりくらいである。さすがに、それはしなかったのだが、この⇒
レモングラス
2025/05/17 17:33

私、太宰はこの「佳日」が一番好きです。ヴェネツィアさんのレビューを拝読して嬉しくなったくらいに好きな「佳日」です。優しいですよね。笑って泣いて優しいというか。昔に映画化もされたとか。

ヴェネツィア
2025/05/18 07:39

レモングラスさん、私はこの作品は初読でした。こんな太宰もあったのだという印象です。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
柚木麻子による少女小説讃歌。直接的には『赤毛のアン』。そもそもこの作品は『アンの愛情』の巻末に付された村岡花子の解説にある「たとえ希望どおりに進めなくても、自分にあたえられた環境のなかでせいいっぱい努力すれば、道はおのずからひらかれるものです」の言葉に触発されて生まれたのだろう。『秘密の森のダイアナ』の方は、もちろん架空の少女小説。もう一つ出典として重要なのが(巻末に参考文献として掲げられている)レヴィンの『さよなら、「いい子」の魔法』である。そして、この『本屋さんのダイアナ』は徹頭徹尾⇒
ヴェネツィア
2025/05/17 15:41

⇒少女小説に徹しているのである。もちろん「少女小説よ、永遠なれ!」というのが、この作品の絶対的なテーマである。なお、最後の彩子の一言はない方がよかった。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
地図、絵、写真も豊富で、ロンドンの歴史をビジュアルにたどることができる。ローマ時代、紀元前1世紀のロンドンの復元図を見ると、テムズ河畔のローマ都市ロンディニウムが俯瞰できる。バシリカも円形闘技場もあって、小さいながらもれっきとしたローマの街である。そして、周辺はまだ天然野生の緑(つまり二次林ではない)に 覆われている。ただし、ロンドンらしさはどこにもない。ところが、中世になると、規模はまだ小さいものの、ウェストミンスター寺院も鎮座しており、ぐっとロンドンらしくなってくる。さらにはテューダー時代⇒
ヴェネツィア
2025/05/17 14:02

⇒(1570年頃)ともなれば、ロンドン・ブリッジやロンドン塔も整い、もはや立派な都市ロンドンである。やがて1666年の大火と大改造を経て、近代都市ロンドンが生まれてくる。私はロンドンにはとりたてて思い入れはないが、それでも本書で大いにロンドンを楽しめた。ロンドン好きの人にはお薦め。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ブルーノ・ムナーリのアート絵本。ただし、通常の絵本の概念を大きくはみ出している。それでは、どこに向かったのかというと、ヴィジュアル・アートの世界にである。本の前後はトレーシングペーパーを用いることで、霧の中を表現し、やがてその彼方にサーカスが現出するという仕掛け。絵は、線もフォルムもいたってシンプル。そのギリギリにまで切りつめられたシンプルさの中に浮かび上がるのがムナーリのアート。そして、絵の向こうから「視覚言語」が密やかに語りかけてくる。聴こえてくるのは、あるいはあなたと私とでは違った物語であるかも⇒
Himeko is not cat
2025/05/17 09:46

確か昔買ったムナーリの絵本があるのを思い出しました。明日、探そうっと😊

Shoko
2025/05/26 21:45

素敵なアート絵本でした!ご紹介ありがとうございました😊

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年2月「中央公論」。太宰31歳。新約聖書のベタニヤの香油あたりから、イエスの捕縛にいたるまでをユダの視点から一人称体で描く。イエスの弟子たちは誰も思いもよらなかったが、ただイエスその人とユダだけは知っていた。ユダがイエスを裏切ることを。それは何故だったのか、というのはその後の誰しもが持つ疑問である。本篇は、その太宰による解ということになるのだが、それはあくまでも題材であった。彼の真意はキリスト伝を書くことでも、またユダの苦悩を書くことでもなかった。実はユダに仮託して、自分自身を⇒
ヴェネツィア
2025/05/16 17:06

⇒語ることに本質があったのではないかと思う。すなわち、ここでのユダの苦悩する姿は太宰そのものにほかならない。一方、キリストもまた太宰である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻の中部地方もまた日本の伝統家屋の宝庫だ。巻頭はインバウンドでやって来る人たちにも大人気の白川郷。外部からして見るからに独特の景観である。この写真でもそうだが、やはり雪景色が一番映えるだろう。次いでは高山。ここもまた人気があるのは当然だ。伝統家屋の家は、その内部空間も、木の梁が美しい。知らなかった町では美濃、有松(名古屋市)、原里(掛川市)なども。そして金沢。加賀格子が整然と並ぶ茶屋町の風情。五箇山なども隠れ里めいて捨てがたい趣きだ。さらには妻籠、奈良井といった今に残る宿場町も。いずれも、旅情を⇒
コータオ
2025/05/17 14:14

先日母のお供で金沢に行きました。戦災を逃れた街並みに、外国の方が溢れていました。皆さん好奇心旺盛にガンガン歩いてました。タクシーの運転手さんに「ドラゴンルート」という言葉を聞きました。外国人旅行者の日本行程で、大阪京都から、白川郷→金沢(近いんですね)、関東東北?とまわるのが龍の形っぽいとのことでした。

ヴェネツィア
2025/05/17 15:50

コータオさん、金沢や白川郷はそれはエキゾティックでしょうね。インバウンドの人たちで溢れるはずです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
片山健・作。元になる民話がありそうな気はするが、不明。みずがめさんを主人公にした、死と再生の物語。絵は乱暴に描きなぐったように見えるタッチの水彩画。たくさんの動物たちが登場するが、いずれも小学生の図画といった雰囲気を持っている。子どもたちは、これをどのように受け止めるのか想像しにくいが、私にはなんだか不可解な印象を残す。
ヴェネツィア
2025/05/16 12:08

織沢さん、カルロス・ジョビンは知らないのですが、ボサノバですか?

織沢
2025/05/17 07:35

はい、ボサノヴァの曲にAgua De Beberというのがあって、その邦題が「おいしい水」でした。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年1月〜6月「月刊文章」に連載。オイレンベルク作、森鷗外訳の同名の小説の翻案。もっとも、翻案とはいっても、通常のそれとは違って、かなり独特の方法を駆使している。すなわち、原作をそのままなぞりながら、太宰の創作と評論的な部分を加えている。創作部分は、原作では妻の視点だけが示されていたが、太宰は若い女と夫を登場させることで複雑化(構造の立体化)を図っている点が一番大きな改変点である。6カ月にも渡って、あれこれと書き加えたのだが、どうもあまり上手くいったとも思えない。むしろ、原作の⇒
ヴェネツィア
2025/05/15 18:00

⇒持っていた小説としての完成度を、弄りすぎて壊してしまった感が無きにしもあらずである。太宰は言い訳がましいが、こちらが真の小説であるとはとても思えない。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
5つの短篇から成る作品集。スタイルは東野圭吾のガリレオ・シリーズのリケジョ版だ。ここで湯川の役割を果たすのが、大学院生(博士課程在学中)の律。そして、もう一人の小学生探偵の理緒。こちらは、あるいはアラン・ブラッドリーの『パイは小さな秘密を運ぶ』のフレーヴィアから着想を得たか。この2人のコンビが事件の謎を科学的に解いていくというのが5篇の共通項。最初はさほど大きな事件は描かれないが、4つ目の「虹のソノリティ」では殺人事件も。謎解きそのものの妙味は今一つの感も否めないが、リケジョ2人のコンビはなかなかに⇒
mae.dat
2025/05/15 18:38

そうじゃないって事ですが『名探偵だって恋をする』 https://bookmeter.com/books/7323710 と言うアンソロジーの一編にその後が描かれていましたよ。

ヴェネツィア
2025/05/15 20:29

mae.datさん、続編がありましたか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ロバート・キャパの写真集成。様々なところで見た写真があちこちにあって懐かしくもあり、またあらためてキャパの写真の良さを認識する。最も有名な、表紙のスペイン内戦の写真、「ちょっとピンボケ」(SLIGHTLY OUT OF FOCUS)のノルマンディー上陸作戦の兵士の写真…。最初に撮った1枚がトロツキーの演説というのも、なにか象徴的で劇的だ。そう。この人の写真はどれもがきわめて演劇的なのである。それが日常のなにげない光景を写したものであったとしても。それらは、あたかも映画の中でのシーンのように見える⇒
ヴェネツィア
2025/05/15 08:44

⇒のだ。そして、それこそがキャパのキャパたる所以であり、今に至るも人気を博し続けている理由だろう。キャパ最後の1枚はベトナム戦争でのもの。この1枚はどういうわけか、いたって平凡である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
安房直子・文、織茂恭子・絵。これは絵本というよりは、創作童話に絵を付けたもの。物語の構造は異境訪問譚、中でもとりわけ「ウグイスの里」と似ているだろう。ただ、作品のあり方はずっと現代的であり、民話風の趣きを残しつつも新しいスタイルの幻想譚として成立している。そして、そこに在るのは、失われたものへのノスタルジーであり、同時に物質文明が喪失した何かへの希求である。文体もまた、こうした世界を構築するに相応しく、しっとりとした潤いを帯びつつ、静かに語られる。絵もまた、これに呼応して静謐を保ちつつ、物語に寄り添って⇒
おか
2025/05/16 07:51

安房さんのお話はよく朗読会で演らせて貰っています。読むだけでも良いし 動きながらでも良いし 老若男女が楽しんでくださいます。

ヴェネツィア
2025/05/16 08:03

おかさん、この物語は年齢を問いませんね。子どもから大人、高齢者もなんのその。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ヘルベルト・オイレンベルクは20世紀前半に活躍したドイツの小説家・劇作家・批評家。ただし、日本では、この鷗外の訳になる「女の決闘」くらいしか知られていない。しかも、それは太宰が本篇を原典に同名の小説を書いたことによってだろう。20世紀小説とはいえ、内容的には19世紀末を思わせるようなものである。題材となった決闘(もっとも、ここではそれが女性同士でなされた点は珍しい)自体がツルゲーネフやレールモントフなどロシアの作家たちを想起するくらいに前世紀的である。懸けられたものは、妻としての名誉であったが、それは⇒
ヴェネツィア
2025/05/14 17:24

⇒決闘が果たされた時に瓦解する。すなわち、その意味を一気に失ってしまうのである。このあたりは20世紀小説らしいところか。実存と言えば、言い過ぎであるかもしれないが、少なくてもそうした指向性は持っているだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
第3巻はオランダ、ドイツ、スイス、オーストリア。これらの地域には伝統的な家屋と町が、それこそ綺羅星のごとく蝟集している。しかも、そのそれぞれは、極めて明瞭な特徴を有している。まずはオランダから。巻頭はアムステルダムを俯瞰する航空写真から。そして、オランダといえば誰しもが思い描く風車の町、キンデルダイク。ただ、街並みとしてはザーンス・スカンスがいい。ドイツはこれまた素敵な街が目白押し。ヴェルニゲローデ、ゴスラー、そしてグリム兄弟に所縁の深いマールブルク。南部のゲンゲンバッハも捨難い魅力に溢れている。⇒
Alm1111
2025/05/15 20:10

いずれも興味のある国々です。小さなスイス一つとっても東西南北で家の形も素材も違う。読んでみたい!ご紹介をありがとうございます。

ヴェネツィア
2025/05/15 20:27

Almさん、この地域はヨーロッパでもとりわけローカル色の強い地域かと思います。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
せなけいこ・作。「おねこさんが ぷー」の連続で、とうとう「おそらへ ぷー」。これはやはり絵を楽しむもの。シンプルだけど、表情(顔も身体も)が豊かで(それはそのまま幼児の戯画化だろう)色合いも綺麗。最後のページなどは抒情味もある。萩原朔太郎の『月に吠える』の「猫」を絵本化したような感じか。幼児向きだろうが、結構共感を呼ぶのではないだろうか。
カオルーン
2025/05/15 08:30

うちの子供たちにも読んであげていました。飛んで行ってしまうのが怖くて、少しの間は行儀よくしていましたね。とてもなつかしいです。

ヴェネツィア
2025/05/15 08:33

カオルーンさん、子どもたちにはやはりちょっと怖いのですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出が「月刊百科」(1999年7月~2001年10月)と、いささか古いために俎上に載せられるベストセラー本が古くなるのは残念。ライヴな本のライヴな批評だともっと楽しめただろうに。本書によれば、日本の読書人口は「ざっと1割強」でしかないらしい。それにもかかわらず、100万部のベストセラーとはこれいかに、を解明するのが本書の眼目。巻頭を飾る栄誉が与えられるのは、五木寛之『大河の一滴』。「重厚長大なロマン小説。ラストシーンは、大陸を滔々と流れる河のほとりにたたずんで、波乱万丈の過去を回想する主人公」ー私の⇒
ヴェネツィア
2025/05/13 17:46

⇒想像はまさにそれなのだが、実態はというと…爺ちゃん向けの啓発本であるようだ。大野晋『日本語練習帳』、そして岩波新書も散々。次から次へと切り倒してゆく。痛快ではあるが、バカバカしくもある。斎藤美奈子さん、よくぞこれだけたくさんの本を(しかも、どう見ても彼女の読書歴からは遠いものを)読んで、私たちを落とし穴から救ってくださったと、ただただ感謝。もっとも、一部にはそうかな、結構いいところもあるのだけれど、という本もあったのだが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ハン・ガンは5冊目。これが今までで最も難解。イメージの集積から成っているのだが、それらのイメージが像を結ぶまでに時間がかかる。しかも、その像はかならずしも明瞭、明晰なものではなく、時として茫洋としたものであったりする。通常の物語(小説)にあっては、早い時点で、登場人物たちのおおよそがわかるものだが、本作はその点でも一筋縄ではいかない。音を失った女と光を失いつつある男の物語だといえばそうなのだが、彼らにはそれぞれこの背後に背負う物語が重層する。さらには、タイトルともなっているギリシャ語の明るい明晰さと⇒
松本直哉
2025/05/14 08:32

読んだのは随分前ですが、ギリシャ語の塾の建物の中に、間違って入ってきてしまった鳥のエピソードのことを思い出します。『別れを告げない』の中でも鳥を埋葬する場面があり、著者によって鳥は特別なイメージを与えられている気がします。

ヴェネツィア
2025/05/14 08:36

松本直哉さん、たしかに印象的なシーンですね。何か目に見えないものを表象しているのでしょう。ハン・ガンの「鳥」は研究テーマにもなりそうです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
京極夏彦・文、町田尚子・絵。京極が得意とする怪談。今回は絵とのコラボレーションなので、文章は極力抑え気味。それがうまく効果を上げている。町田の絵はいたって達者。表紙もいいが、見開きの障子が圧倒する空間の表現が上手い。怪談とは結局は空間と時間と想像力なのだ。最後の「いるからね」のシーンはなくても、とも思うが、絵本なので必要かなとも思う。怖いことは怖い。かなり怖い。
ヴェネツィア
2025/05/13 07:38

「怪談絵本」シリーズの1冊で、他にも何冊か(裏表紙の案内では少なくても5冊)。『マイマイとナイナイ』(皆川博子・文、宇野亜喜良・絵)には目を惹かれる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
小風さち・文、山口マオ・絵。いつものことながら、このシリーズの人気の秘密が私にはわからない。今回の巻はとりわけその感が強い。わにわにの顔も動作も態度も、まるでオッサンそのものである。これのどこに子どもたちは共感するのだろう。オノマトペだって、「ずり づづづ」、「がふっ がふっ がふっ」、「むちゃ むちゃ むちゃ」、「ぐびっ ぐびっ ぐびっ」「しーしー ちーちー」などと、いたってヒンがないのだから。
ヴェネツィア
2025/05/14 04:57

★なおぴんコ★さん、なるほど。自由と孤独ですか。それは有力なご意見。

ヴェネツィア
2025/05/14 04:59

陽子さん、私もオノマトペの効果は大いに寄与していると思います。それにしても、「わにわに」のそれは品がないですね。それがいいのが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和21(1946)年1月、「新風」。太宰37歳。戦争が終わって5か月の時期だからか、全体の調子は明るく軽妙洒脱。起筆部および着想を与えられたのは「親という二字と無筆の親は言い」の川柳。末尾で彼の女房が言うように「ウソ、ウソ。お父さんは、また、てれ隠しの作り話」なのか、はたまた実際の経験を書いている(もっとも、その場合でも多分に脚色されていそうだが)のかは不明。いずれにせよ「二十六歳の処女のいのちが溶け込んでいる」は、いたって怪しい。有り金をはたいてウイスキーを買ってしまったことへの言い訳では⇒
ヴェネツィア
2025/05/12 16:45

⇒あるまいかと思われる。にも拘わらず、太宰自身も女房もちっとも暗くならないのは、やはり戦争が終わったことの開放感ゆえか。『桜桃』などの陰惨さと比べれば雲泥の差だ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ポアロのシリーズ13作目の作品。バトル警視やオリヴァ夫人なども登場し、クリスティのファンは一層に楽しめるかも知れない。本作では事件解明のカギを握るのが(カード・ゲームの)ブリッジ。邦題にも「トランプ」の語が用いられているし、原題でも"CARDS ON THE TABLE"である。そのアイディアの卓越した点はわからなくはないが、途中の過程がまだるっこしい割には(したがって中盤はやや退屈でさえある)終盤にさしかかったところで急にバタバタと動き出す構成はあまり感心しない。真犯人が二転三転するのは、探偵小説の⇒
ヴェネツィア
2025/05/12 15:51

えかさん、確かにおっしゃる通りに、ルールだけではなく、パートナーとの連携や駆け引きの面白さまでわかる必要があるのでしょう。そして、それがわかればスリリングなのかも。

ヴェネツィア
2025/05/12 15:52

dragoさんは凝り性ですね。私はコントラクトブリッジを全く知らないのですが、知ればこれが最高に面白いのかも、というのはわからなくもありません。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者のジェームス・ガーニーは、アメリカのイラストレーター。本書の他にもイラストの技法書として『空想リアリズム』がある。本書では、副題にあるように「リアリズムのための色彩と光の描き方」を伝授する。まずはいにしえの巨匠たちに学ぶ色。ベラスケスやフェルメールだが、以下ではご本人の手になる実例が豊富に示される。しかも、この人が得意とする恐竜やロボットと人間が共存する絵だ。絵であるだけに自由自在であり、背景の町も神話的な世界であったり、オリエント世界であったりもする。また、時には科学的な説明も加えられ、かなり⇒
ヴェネツィア
2025/05/12 10:54

⇒多角的、かつ詳細である。光の項もやはりルネサンス期にダ・ヴィンチらが試みた「空気遠近法」など伝統的なものから、最新の技術にいたるまでを解説する。なお、巻末には参考文献も挙げられており、有用性が高そうだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
にしまきかやこ・作。お話というほどのものはなく、空から落ちてきた真っ白い布で「わたし」(うさぎ)がワンピースを作った。それを着て移動する度にワンピースの模様が変化する。「ラララン ロロロン」…というもの。絵は究極のシンプル。ひょっとするとヘタなんじゃないかと思いかねないタッチ。ワンピースもポケットこそ付いているものの、三角形の貫頭衣。でも、ミシンをかけているところなどからすると、そうでもなく、案外に上手いのかも。カラーも綺麗だけれど、塗り方はこれまた大胆にラフ。ここがいい、と指摘できないが、何かいい感じ。
kaoru
2025/05/12 11:17

ヴェネツィアさん、この絵本は母が私の娘である孫娘に買ってくれました。そして私も3年前に自分の孫娘にプレゼントしました。少女の夢を育てる素晴らしい絵本だと思います。

ヴェネツィア
2025/05/12 11:20

kaoruさん、正の世代連鎖ですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ジョン・クラッセンは初読。これは絵本といえばそうだし、絵付きの物語といえばまたそうだ。訳者(柴田元幸)あとがきによれば、もとはチロルの民話であったらしい。ただし、それはクラッセンの記憶の改竄によって見事に解体し、新たなものになっているのだが。絵はなくても、十分に成立するが、本書ではやはり絵が語りかける要素も多いので、しいて分類するならば絵本。しかしまた、これほどに物語と絵とが不即不離に結び付き、独特の表現世界を生み出しているものも珍しい。物語の時間は常に夜であり、その世界もまた暗く陰鬱である。そして、⇒
あたびー
2025/05/11 20:08

読んでみたいです!ポチっと頂いていきます!

ヴェネツィア
2025/05/12 05:02

あたびーさん、お薦めします。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和8(1936)年4月~7月「海豹」に連載。昭和11年、第1作品集『晩年』に収録。太宰27歳。太宰の半生の自伝が語られる。「あんま」と称するマスターベーションにまでおよぶほどに、虚飾らしいものが配されたものである。その意味では太宰には珍しい自然主義的な作品ということになろうか。みよへの初恋もまたそうなのだが、一方的な思い込みと見栄が太宰には一貫してあり、それがまた彼の美学だったのだろう。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
木村泰子・作。私は初めてだが、どうやらシリーズの1冊のようだ。1本の道を行くうちに仲間がだんだん増えてきて、乗り物も改善されて、やがてたどり着いたのが、くいしんぼんのお口。ぱっくんおおかみのお陰で助かったというお話。なんとも単調といおうか(そもそもが1本道だし)ヒネリがないといおうか。子どもたちはこれでいいのだろうか。絵はフォルムの造型もカラーも、アメリカの絵本を思わせる雰囲気。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和22(1947)年1月、「鱒」第1号。太宰38歳。「断言してもよかろうと思はれるが、明治四十二年に生まれた人で、幸福な人はひとりも無いのである。やりきれない星なのである」と語る。たしかに、彼らは長い戦争と戦後の混乱期を経験し、あるものは帰らぬ人となっただろうし、生き延びた者たちもまた苦渋を舐めざるを得なかっただろう。ただ、そんなふうに語りながらも、ここでの太宰は明るい。この文章全体の筆致そのものが弾んでいるのである。「ナンテ」の連発が如実にそうだ。同年同日生まれというのは、やはり嬉しいもの⇒
ガーネット
2025/05/10 21:39

本筋とは違いますけど…ウチの父が、お世話になっている町医者先生と、「同年同日生まれ」だそうです。診療所に掲示してある医師免許証を見て、「え、先生、生年月日同じですか!」となったらしいです。当然、先生はカルテで父の生年月日は把握してはるので、「そのようです」と苦笑されたとか。…横道コメント失礼しました( ´ ▽ ` )

ヴェネツィア
2025/05/11 06:42

ガーネットさん、そういう邂逅もあるのですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
7つの短篇から構成される。ここにあるのは、まぎれもなく現代の韓国文学なのだが、ややもするとそうであることを忘れてしまいそうになる。訳文の達者なことにもよるのだろうが、それだけテーマや語り方が現代においての普遍性を帯びているからだろう。また、前半の作品などは、日本の1960~70年代の内向の世代(古井由吉、小川国夫など)を思わせもする。それは、テーマが古いということではなく、抒情の質において似ているように思うのだ。そして、その後に位置する「左手」は、島尾敏雄のシュールレアリスムを連想させもするようだ。⇒
酩酊石打刑
2025/10/02 10:41

古井由吉、小川国夫、島尾敏雄、なるほど、〈第三の新人〉〈内向の世代〉ね。確かにわたしがこんなに惹かれるのは、そのせいなのかもしれません。

ヴェネツィア
2025/11/07 08:50

酩酊石打刑さん、今までコメントに気づきませんでした。ご容赦。私の感覚では内向の世代に近いように思いました。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の田窪恭治氏は美術家。本書はファレーズ(ノルマンディー)近郊のサン・マルタン・ド・ミュー村にある、今は打ち捨てられ廃墟同然となっていた礼拝堂を再建するプロジェクトを、田窪氏自身が時系列でその過程を克明に語ったもの。彼が最初にこの礼拝堂に出会ったのが1987年。そして、1996年に完成式を迎えている。田窪自身は1989年から、家族5人でこの村に移り住んで全てに関わってきたし、この間には実に多くの人々の財政的な後押しがあり、また現地でも多くの職人たちが再建に取り組んだ。記録としても貴重だが、読んでいて⇒
Millet.K
2025/05/10 18:33

当時、プロジェクトの記録映像を見て、本作を収穫しました。前世紀ぶりに手にとってみようかと思います。

ヴェネツィア
2025/05/10 20:00

Millet.Kさん、読み物としてもとってもスリリングでした。昨夜はこれのお蔭で睡眠不足です。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
谷川俊太郎・文、元永定正・絵。絵の元永は、日本を代表するモダン・アートの旗手。『カニツンツン』など絵本も多数手がける。ここでも、思いっきりアートを展開する。「つむじかぜ」では、わずかに具象の気配はあるが、全体としては抽象というか、光のアートを展開する。谷川の詩もまた、抽象ではないものの、メタファーに満ちたもの。そもそも「ココロのヒカリ」なるものを表象するにはメタファーをもってしかないだろう。かくして、この絶妙のデュオによって、難解にして深遠なる絵本が生まれた。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和12(1937)年1月「早稲田大学新聞」。太宰28歳。文学作品における音についてのエッセイ。最初がマクベスによるダンカン殺しの場面の直後の「とんとん」というノックの音。次いでは近松の『女殺油地獄』での、やはりお吉殺しの直後の軒端の幟が「ばたばたばた」と烈風にはためいている音。そして「恋草からげし八百屋物語」(『好色五人女』巻四)で、ヒロインのお七が吉三郎の寝所へ忍び込もうとするシーンで響き渡る鈴の音。まだまだ続くのだが、よく覚えているなあと感心する。通常は文学作品を音で記憶することはないだろう⇒
きゃれら
2025/05/09 16:16

源氏の音ですぐに思い出したのは、朧月夜との秘め事がばれた時、右大臣が近くにきているのに雨の音にまぎれて気づかなかったシーンです。そのほか、衣擦れの音みたいなのは結構あったように思い、サイレントではない気がするのですが、そういうのは勘定に入れてないのかな。

ヴェネツィア
2025/05/09 16:29

きゃれらさん、私も源氏にはさすがに大きな音はないと思いますが、音の出るシーンはたくさんありそうに思います。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ヨシタケシンスケ・作。どのページでも、「あんなに〇〇〇…のに」→「もう、こんな」というのを絵で示す。単純な2枚の絵なのだけれど、そこには時間の経過があり、直接は語られない物語がある。そう、言葉で語るよりも時にはずっと濃密な物語が。終わりの方で「あんなに つらいことが あったのに」から「あんなに あんなに あんなに いろいろ あったのに」、「まだ たりない」では、余命を宣告されたのかと思った。でも、最後のページでは、どうやらそれは杞憂だったようで。
源
2025/05/11 05:32

ヴェネツィアさんの視点に共感♡👏😃

ヴェネツィア
2025/05/11 06:41

源さん、ありがとうございます。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ヨーロッパにおける古代世界の解体、すなわちローマ帝国の分裂と崩壊は、この世界秩序を大きく動かしていった。すなわち、ここに中世がはじまる。その大きな原因をなしたのは、よく知られるようにゲルマン民族の大移動があったのだが、もちろんそれだけではなく、内部的な問題も蓄積していたのだろう。その後は、フランク王国やブルグルンド王国、そして神聖ローマ帝国が、またスペインはイスラムのウマイヤ朝が。1000年にわたる攻防の時代である。中世の都市生活をしのぶ町として、今もその面影を如実に伝えるのがローテンブルクや⇒
ヴェネツィア
2025/05/09 07:58

⇒ディンケルスビュールなどがあるが、極めつけはラ・クーヴェルトワラード(フランス南西部、アヴェロン県)だろう。写真を見る限りではもう中世そのままといった風情である。そこまででなければ、サン・ジミニャーノ(トスカーナ)がやはり相当に中世ムードを残す。フィレンツェから日帰りで訪れる人が多いが(十分に可能)ぜひともここに泊まることをお勧めしたい。早朝や夜は通りに誰もおらず、中世に浸れるからである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
加古里子・作。だるまちゃんシリーズの1冊。空から落ちてきたかみなりちゃん。だるまちゃんとのやりとりの後、二人はかみなりこうえんへ。ごちそうしてもらった上におみやげまでもらってだるまちゃんは帰ってきました、というお話。人気を呼ぶのは、やはり絵の力。表情もだが、この巻では身体性も大きな要素だろう。「えい、やっ!」、「ぴょんとこさ」の掛け声と跳躍する。この躍動感がいいのだと思う。また、かみなりこうえんでの遊びの数々も、子どもたちへの誘いになるだろう。鬼ごっこ、ケンパ、なわとび、かくれんぼ、わなげ…。
yuppi
2025/05/09 09:10

子供の頃、月刊誌で出版されていたソフトカバーの本が家にあります。1968年8月号(149号)です。だるまちゃんがかみなりちゃんの浮き輪を一生懸命とってあげようとする場面や、かみなり公園、かみなり町(当時、未来都市を予測?)の場面は、大人になった今ででもお気に入り。色んなシリーズが出ていますが、やっぱりこの絵本が一番です。日本の伝統的なものを主人公にしたり登場させたり、加古里子さんは本当に凄いと思います。

ヴェネツィア
2025/05/09 09:45

yuppiさんにとっても懐かしの絵本でしたか。1968年のものをよく大事にとってありましたね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和22(1947)年1月「東京新聞」。織田作之助の死の翌日に書かれたようだ。太宰38歳。織田作の死後、すぐにしたためられていることといい、また(珍しくも)太宰が真剣に書いた追悼文である。織田作の死因は結核によるものであったが、太宰もかいているように、彼はほとんど死と向き合いながら書き続けた作家だった。まさにデカダンスを地でいったのである。したがって、ある意味では覚悟の死でもあったのだろう。それゆえにこそ、太宰は強い共感を持ったのである。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ガッサーン・カナファーニーはパレスティナの作家。1972年に車にダイナマイトを仕掛けられ爆死。享年36歳であった。原語は現代アラビア語で書かれている。本書には7つの中・短篇が収録されている。そのいずれもに共通するのは故郷喪失者としての存在としての自己である。これらの作品群の中ではフィクションではあるが、そのことを最も痛切に問いかけるのが「ハイファに戻って」である。ここでは、通常のヒューマニズムや、親子の断絶、喪失といったものは、もはや通用しない。それほどに大きく引き裂かれたところに物語が屹立している⇒
ヴェネツィア
2025/05/08 17:10

⇒のである。そして、その断裂がもう少し穏やかに語られながらも、ひしひしと伝わるのが「悲しいオレンジの実る土地」である。もう一つの表題作の「太陽の男たち」は、訳文のせいもあるのかもしれないが、事柄は伝わるものの、何故の部分が伝わり切らないように思う。

ヴェネツィア
2025/05/08 17:16

私は。普段は解説を読まないのだが、本書によせられた西加奈子の解説はよかった

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
残された作品のイメージと本人の写真との間の乖離が大きい人である。おそらく、私たち読者の多くが梶井の作品として最初に挙げるのは『檸檬』だろう。梶井23歳の時のものだ。そして、その時に思い浮かべる作家像があるとすれば、腺病質で繊細な男性像だろう。しかも、余計なことに梶井が結核に罹っており、そのことの故に弱冠31歳で命を落としたことも知っている。そんなイメージにかないそうなのは堀辰雄であり、立原道造である。回り道をしてしまったが、梶井基次郎は存外にゴツく、強そうで、健康的に見える。もちろん、そのことは梶井⇒
ヴェネツィア
2025/05/08 16:56

⇒にとって、何らマイナスではない。実は梶井基次郎の実像を偲んだことによって、ある意味では梶井の文学世界への親近感は増すかもしれない。あのか細いばかりの繊細さはこんなところからこそ生まれてきたのかと。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
たしろ ちさと・作。お話というほどのものはなく、すずめが動物園の各園舎を訪ねていくというもの。いわば動物園紹介の絵本。案内役をつとめるのがすずめ。したがって、絵はかなり徹底したリアリズムで描かれており、擬人化は全くなされない。動物たちの身体、ポーズや表情は絵本作家の観察の確かさを伝える。動物園に行く前の予習にはいいかも。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の林 完次氏は天体写真家。それなら、もう少しそれらしい写真が欲しいところだ。本書では天体に纏わる、実にたくさんの名詞を取り上げて解説しているのだが、写真よりもそちらに力点が置かれている。最初は「月ノ章」。「立待月」や「雪待月」などの古典的な名辞から「地球照」などといった天文学の用語までが並置される。次いで「夜ノ章」。ここでも「朧月夜」と「聖夜」、「オーロラ」が同列である。他の章でも同様なのだが、このあたりの整理がもう少しなんとかならなかったものかと思う。それにしても、表紙および裏表紙の見開きに⇒
ヴェネツィア
2025/05/07 16:39

⇒列挙された「宙の名前」の煌めきは、まさに夜の天体を仰ぎ見るかのごとくである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和14(1939)年11月「婦人画報」。太宰30歳。太宰が得意とする半ばは自虐的な風でありながら、同時に自慢したい気持ちも抑えきれない回想体小説。なにしろ、いきなり「毎年三月の修業式のときには必ず右総代として」などと語るのであるから。とりわけ強調されるのが「必ず」である。太宰ファンたるもの、ここにはぜひとも注目したいところ。そして「シャツが着物の袖口から、一寸ばかり覗き出て、シャツの白さが眼にしみて、いかにも自身が天使のように純潔に思われ、ひとり、うっとり心酔してしまうのでした」という表現に⇒
ヴェネツィア
2025/05/07 16:23

⇒見られる強烈なまでのナルシズム。しかも、それが中学、高校と進むごとに自意識も成長肥大化し、周囲との落差が大きく、つまり滑稽になるのだが、それをまた良しとするナルシズムがまさに太宰である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
タイトルがいい。しかも、最後の一文を読み終えた時、そこに立ち上がる抒情はまことに香り高い。物語は、花巻農芸高校地学部の3人を中心に展開するが、宮沢賢治、とりわけ『銀河鉄道の夜』の考察は、ほとんど専門家並みのレベルである。しかも、それが物語の核を成すばかりか、プロットの進行をも巧みに促してゆく。また、深澤と七夏の抱える秘密と、不可解な行動がサスペンスとして機能するが、前半ではそれはむしろ煩わしいものと考えていた。しかし、後段になってその意味が明らかになるにおよんで(それは半ば以上予想通りなのだが)、⇒
ヴェネツィア
2025/05/07 16:03

⇒それは賢治作品の解明と密接に結びついたものに結実してゆくのであり、実に巧みな構成であったことに納得する。宮沢賢治作品の読者にはお薦め。

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ヴェネツィア
なかや みわ・作。カラフルなクレヨンたちが新しい画用紙を見つけて、みんなでお絵描き。でも、くろくんは入れてもらえません。やがて、みんなの絵は夢中になって描いたあまりに「ぐちゃぐちゃ」に。そこで、くろくんとシャープペンの登場…というお話。なんだか、教訓臭・道徳臭がするところが残念。絵本はそんなものからは、もっと自由なのがいいなあ。子どもたちは、おなじみのクレヨンが主人公なので親近感が湧くだろうか。それなら、既成の価値観にとらわれないで、もっともっと奔放な絵を。最後の花火の絵の発想はそうだったのだけど。
ヴェネツィア
2025/05/07 07:01

なかや みわさんの人気のゆえか、感想もかなり多い。否定的な見方はごく少数派のよう。

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ヴェネツィア
初出は昭和23(1948)年5月「世界」。全編にわたってデカダンな太宰(もしくは、デカダンのふりをセざるを得ない太宰)のオンパレードである。冒頭でいきなり「子供より親が大事と思いたい」である。しかも、さも殊勝らしく詩篇を掲げた後にである。もちろん、一応はフィクションの体裁をとってはいる。しかし、3人の子供を抱えて、妻は「涙の谷」と言う。挙げ句に、主人公は原稿料を袂に突っ込んで酒場に向かうのである。そこで出た桜桃。「子供たちは、桜桃など見た事も無いかもしれない。食べさせたら喜ぶだろう…中略…蔓を糸で⇒
おか
2025/05/07 21:44

私 桜桃 朗読していて腹が立って 腹が立って‼

ヴェネツィア
2025/05/08 03:17

おかさん、まあそれは無理もないかと思います。

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ヴェネツィア
著者の杉浦さやかはイラストレーター。2000年の初版なので、いささか古くなってしまったために、諸物価は参考にはならないが、それでもベトナムの旅の楽しみは十分に伝わってくる。ビーチリゾートとしてニャチャンに行くあたりも古いかな。ベトナムの最近のトレンドはフーコック。少し前ならダナンあたり。でも、何と言ってもこの人のイラストが明るく軽快で、ベトナムに行きたくなること必定。とりわけ、カントーとメコンデルタにはぜひ行ってみたい。それから雑貨仕入れ旅を兼ねていたのなら、ハノイから北の少数民族地域に行って欲しかった⇒
Acha
2025/05/11 19:09

そうですね〜。私もついワンピース仕立ててもらいました。お子たちと宿まで届けに来てくれたマダムの笑顔を思い出しながら楽しく着たいと思ってます。アジアの旅は久々でしたが、ワクワクを高めるのに良い本でした。

ヴェネツィア
2025/05/11 19:59

Achaさんもオーダーしたのですか。その気になりますよね。

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ヴェネツィア
「モダンな和の家」を大判サイズのフルカラーで紹介する。外観からしていかにも、というものもあるが、むしろ外は洋風でありながら、中が和のテイストというものが多い。これを見ていると、自宅にはまだまだ和の人気が高いようだ。そして、それらに共通するものは、畳の部屋もそうなのだが、なによりも室内空間に巧みに「木」が活かされていることだろう。それが、居住空間に温もりとくつろぎとを与えている。また、単に和ではなく、それがモダンであることの由縁の一つは天井の高さにある。これまでの和の家は往々にして、狭い感じがあったが⇒
ヴェネツィア
2025/05/06 07:28

⇒タテに空間を広げることで見事に解消しているのである。もっとも、そんなことを言いながらも私自身は和の家に住みたいとはあまり思わないのだが。畳の部屋もいらないし、今の家にもない。

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ヴェネツィア
中川ひろたか・文、村上康成・絵。「おおきくなるっていうことは…」の解が次々に示される。例えば「みずにかおをながくつけられるってこと」や「シャンプーをいやがらないってこと」など。どれも概ね、「おおきくなること」の肯定的な面が描かれる。うん、大きくなるっていいことなんだ。それはそうだろう。大きくなると、こんなに辛いよ、だとか大きくなると我慢ばかりしなけりゃならなくなるよ、だといやんなるだろうから。絵がまたいい。シンプルな中にも表情が実に豊かだ。とりわけ、水に顔をつける絵なんてもう最高!
ヴェネツィア
2025/05/06 07:12

お誕生日のプレゼントにピッタリ。

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ヴェネツィア
初出は昭和13(1938)年8月「日本浪漫派」。太宰29歳。緒方氏は、その日本浪漫派同人であった緒方隆士。この号には太宰の他にも何人かが追悼文を書いている。「つくづく、むずかしいもの」という太宰の追悼は、煎じ詰めれば作家であることの苦悩が緒方氏を死にいたらしめたという主旨であり、翻って自己自身の苦しみ(作家はすべからくそうなのだ)に共通するものとしている。「作家精神」、「自身の無力」を、無様に朴訥と述べた追悼であった。
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ヴェネツィア
台湾の現代文学。昭和13年からの1年間の、千鶴子(作家)の台湾各地への紀行、および台中での寄寓生活を綴る。当時、台湾は日本の植民地であった。本島人と植民者である日本人との間に生じる眼に見えない葛藤を描いていくのだが、歴史小説としての構成は相当に凝っている。読んでいて、真相はどうだったかと、ふと疑問に思いそうになるくらいに。そして、本作が優れているのは、それを感性化させるべく用意された、千鶴との百合小説としての側面である。否、むしろ、こちらこそが主題を背負っている。それは最初から最後まで小説の基調をなして⇒
ヴェネツィア
2025/05/05 16:57

⇒いるが、せつなくも、苦しくも、美しい。小説全体はエンターテインメント性に満ちた純文学といったところか。また、本書は美麗の島、台湾の魅力を伝えてもくれる。お薦め。

ヴェネツィア
2025/05/05 17:00

上田秋成の「蛇性の婬」(『雨月物語』所収)に、『五雑爼』からの引用であったか「人、かならず虎を害する心なけれども…」というくだりがあったが、本書を読んでいて「蛇性の婬」の解釈も考え直す必要があるかと思った次第。

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ヴェネツィア
著者のアルベルト・シリオッティは写真家。それ以上の情報が得られなかったが、名前からするとイタリア系。エジプトの考古学関係の著書が何冊かあるようだ。この本でも通常では入れない所にまで入りこんで撮影しているので、専門家として認められているのだろう。どの写真も色鮮やかで、美しいのだが、位置関係を示す詳細図や、ピラミッドの内部空間の図解がわかりやすく、また興味深い。そして、あらためてエジプト文明の壮大さを思う。黄金のマスクが現存する故にツタンカーメン王が名高いが、古代エジプトの歴史の中では、どちらかといえば⇒
ヴェネツィア
2025/05/05 10:20

⇒弱小の王。それでもあの規模と宝物なのだから、大王クラスともなればいかようであっただろうか。また、王墓の内部の写真や図を見ていると、彼らの治世はもっぱらその建設のために費やされたのではないかとさえ思えてくる。

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ヴェネツィア
金関寿夫・文、元永定正・絵。これはとっても珍しい絵本。なにしろ、全ページにわたってオノマトペだけで構成されているのだから。お話は、あるといえばある。ないといえばない。おそらくは自分で自由に作るのだろう。さすがに、これだけのページ数をオノマトペだけで埋めるのは作者も苦労したようで、あちこちから寄せ集めてきた。そして、絵がまた意表をついていて、これまた全てが抽象画である。最も具象的なのが、表紙のカニというレベル。さて、子どもたちの評価やいかに。
ほのぼの
2025/05/05 12:43

懐かしい絵本です。「カニ ツンツン ビイ ツンツン」意味はわからないのに忘れられないフレーズです。息子たちは記憶に無いそうですが…。😹

ヴェネツィア
2025/05/05 12:53

ほのぼのさん、音の記憶も案外に長く残るものなのですね。

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ヴェネツィア
第二巻は「明治篇Ⅱ」。巻頭を飾るのは、旧有栖川宮威仁邸。この巻の多くの建物が「和魂洋才」ばりの和洋折衷様式なのだが、これは本格的な洋館。設計者は不詳とあるが、印象的には札幌の時計台を思わせる、北国感を強く感じさせるもの。施工は1908年で、福島県耶麻郡にある。次いでは京都市東山区の旧村井吉兵衛邸。ジェームス・マクドナルド・ガーディナーの設計で、1909年に施行。これは門構えからして堂々たる石造りの洋館。そして、旧清藤盛美邸。こちらは木造で、瀟洒という言葉がよく似合う。ただし、内部は和風。⇒
ヴェネツィア
2025/05/04 16:33

⇒他に注目に値するものとしては、旧松木健次郎邸。北九州市にある1910年施工のモノ。設計者は辰野金吾。東京駅の設計者である。もう一つが旧立花寛治邸。柳川にある通称「お花」である。内部空間も素晴らしい。

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ヴェネツィア
著者の清水由美氏は、日本語教師・日本語教師養成講座講師。主に外国人に日本語を教える過程で生じる日本語の問題を取り上げ、日本語の特質を考えるとともに、読者にもあらためて考えてもらおうというもの。初級者向けに書かれているためか、特質の抽出や分析に、目からウロコということはない。ただ、五十音図の意味と意義については「ほう!」と思った(あとがきで、ひとつでもそう思ってもらえたらと述べている)。一方、単行本の初版が2010年とあって、いささか例が古いのは、いたしかたないことだとはいえ、残念だ。例えば「ナウい」と⇒
ヴェネツィア
2025/05/04 14:55

⇒「ナウな」で、「イ形容詞」と「ナ形容詞」を比較するあたり。また、日本語文法(私たちが中学校で習ったアレ)と、日本語教育における文法(とりわけ動詞)の考え方の違いなどにはあまり触れなかったが、私はあれこそが目からウロコだった。

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ヴェネツィア
初出は昭和18(1943)年1月「文學界」。太宰34歳。太宰の先生と山椒魚の取り合わせだと、井伏鱒二を思うが、どうやら井伏のことではないようだ。昭和18年だと、そろそろ戦時統制もなにかと厳しくなってきた頃か。太宰はその前年に文士徴用の試験で、肺浸潤のために不合格になっていた。こんな時期に深刻なものも書けないということから、ネタを探し出して書いたのだろうか。山椒魚に関する百科事典的な知識をもとに黃村先生なる人物をこしらえあげ、その馬鹿馬鹿しくも飄々とした姿(そのあたりはまさに井伏なのだが)に清涼感を求めた⇒
ヴェネツィア
2025/05/04 14:32

⇒ものかと思われる。こうした作品の行き着く先にあるのが、さらに戦局が煮詰まった頃に書かれた『御伽草子』なのだろう。

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ヴェネツィア
山下明生・文、いわむら かずお・絵。明日からはちゅうがっこう(ねずみの学校)なのに、まったく行きたがらない7つ子のねずみたち。そこでおかあさんねずみが一計を案じて…。ヘビも退散させて、みんなで楽しく電車ごっこをしながら学校へ、というお話。これでは、お話としてやや物足りないのではという気がするが、それは大人の感性か。やはり、この絵本でも絵が生命だろう。個々のねずみたちの動きや表情も、背景も革シーンごとに実に丁寧に描き込まれている。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は朝日新聞への連載(2022年2月1日から8月14日)。タイトルの「白鶴亮翅」は、太極拳の技の一つ。現在はベルリンで一人暮らしをするミサの一人称語りで進行する。基本的には彼女の日常が語られているのだが、時として幻影めいたものが現れたり、家電器具が怪しげな関西弁で話しかけたりもする。また、作品に登場する人物たちはミサを含めて、すべからく越境者である点に特質を持つ。逆に言えば、異郷に居ることにおいてこそ、自己が拠り所のない存在として社会に対峙できるのかも知れない。デラシネの多和田葉子にしてこそ語りえた⇒
ガラスの文鎮(文鎮城)
2025/05/03 21:48

「デラシネ」って五木寛之を読んでてこそ出て来る言葉だなあと思いました。

ヴェネツィア
2025/05/04 07:44

ガラスの文鎮さん、そうかも…。

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ヴェネツィア
ヨーロッパ中世という時、一般には西ローマ帝国の滅亡(476年)から東ローマ帝国の滅亡(1453年)までのおよそ1000年を指すようだ。本書は絵画資料と文字資料から、中世の人々の暮しを探る。絵画において、農民や都市の庶民たちが主題として描かれることはないが、それでも結構うかがい知れるものもあるようだ。最もよく知られたものとしては「ベリー公のいとも豪華な時祷書」(1415年頃)だろう。鋤などの農具とともに農民たちの耕作の様子が描かれている。衣服が美しすぎるが、晴着と割り引いて考えれば、資料的な価値は高い。⇒
ヴェネツィア
2025/05/03 11:30

しろねこちゃねこさん、美しいですよね。

しろねこちゃねこ
2025/05/03 11:32

ありがとうございました

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ヴェネツィア
石津ちひろ・文、山村浩二・絵。野菜たちのマラソン大会。出場選手はそらまめ、にんにく、パセリ、ラディッシュ、セロリ、きゅうり、その他。文は「にんにく きんにく むきむき」、「りっぱな パセリは つっぱしる」といった駄洒落っぽいリズム遊び。マラソン大会らしく軽快ではある。絵は擬人化されつつも、元の野菜自体は一目でそれとわかるもの。野菜が苦手な子どもたちに啓蒙?子どもたちはこれを楽しめるのだろうかと最初は思ったけれど、よく見ているうちに可愛く見えてきた。
ヴェネツィア
2025/05/03 07:54

タイトルからして「おやおや おやさい」で、表紙には野菜の選手たちが勢ぞろい。カラフル。

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ヴェネツィア
初出は昭和14(1939)年3月「国民新聞」。太宰30歳。子ども時代の悔恨の回想である。「私は子供のときには、余り質のいい方ではなかった。女中をいじめた」ーその女中のお慶と長じてから邂逅することに。向こうは、どうやらいじめられた記憶は改竄され美化されてさえいるようだ。しかし、「私」は慙愧の念を持ちつつ、しかしそれを素直に表面に表すことはできない。それが誤った矜持であることはわかっている。でも、やっぱりできないのだ。ただただ「負けた」と内心に呟くことしかできないのである。
nobody
2025/05/02 18:59

『黄金風景』こそは太宰文学の真骨頂、最高傑作だと思います。

ヴェネツィア
2025/05/02 19:47

nobodyさん、それはとっても珍しい選択ですね。

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ヴェネツィア
1980年5月の光州での民主化闘争における軍事政権の非情な弾圧を描く。これは、ハン・ガンにとって自分が作家である限りは、何が何でも書き留めねばならなかったことがらなのだろう。その意味では、それは彼女の根幹にかかわるテーマであり、したがって生涯消えることなく、背負い続けているのだ。彼女は直接それに遭遇したわけではないのだが(年齢的にも、当時はまだ10歳だった)、その精神的な共感と連帯の意識は贖罪にまで高められる。ただし、その想いは単線的なそれではなく、翻って人間存在そのものにまで遡行する。⇒
林克也
2025/05/02 21:11

偶然にも、本日、再読していました。 今回は一言「トンホ・・・・・・」

ヴェネツィア
2025/05/03 05:12

林克也さん、たしかに衝撃的な内容でしたね。

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ヴェネツィア
第2巻はフランス・スペイン篇。まずはプロヴァンスから。サン・レミ・ド・プロヴァンスの民家が紹介されているが、いずれも典型的なプロヴァンス風である。南西に行けば、大巡礼地ロカマドゥール(ここはいい街)。ルーブルサックやコンクといった魅力的な町(村)が並ぶ。北に目を転じれば、ブルターニュの茅葺き屋根の家。東はアルザス。ここは歴史的にもドイツであったりフランスであったりしたところ。コルマールやエギスハイム(名前からしてドイツ語。表紙写真はここ。こんなY字路もドイツ風で、ローテンブルクに似ている) が代表的な街。
ヴェネツィア
2025/05/02 10:54

後半はスペイン。バルセロナのガウディ建築から。スペインらしさを感じるのはやはりアンダルシア。カサレス、アルコス・デ・ラ・フロンテラなどのカサ・ブランカ(白い家)が旅情を誘う。

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ヴェネツィア
かんざわ としこ・作、ほりうち せいいち・絵。「てんのくぎ」が、このお話の最大のポイントになっている。神話・伝承、あるいは民話に着想したかとも思われるが、あるいはオリジナルであるかもしれない。内容は、はりねずみの英雄譚なのだが、自らを守るための針しか持っていない、いわば弱者であるはりねずみというところがミソ。堀内誠一の絵は、いつもながら安定した出来栄えで、今回も絵本らしい絵本に仕上がっている。
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ヴェネツィア
初出は昭和17(1942)年、8月「藝術新聞」。太宰33歳。文楽を鑑賞して、日頃の自身の芸術観を述べたエッセイ。芸の進歩のほどを期待して見に(聴きに)行った新橋演舞場での栄三、文五郎。ところが、10年を経ても全く変わっていない。世間はそれを進歩がないというだろうが、「これはよほどのことなのだ」と太宰は言う。これは伝統芸能においての芸術観なのだが、どうやら太宰はこれを芸術全般に敷衍しようとするらしい。否、むしろそうしたいのだろう。すなわち、そこに自分自身の芸術が関わるからである。批評家の全てではないが、⇒
ヴェネツィア
2025/05/01 17:01

⇒太宰の作品の中では、最初期の『晩年』こそが最高傑作だとする見解がある。そして、それ以降は上手くはなったが、芸術的には進歩がないと見るのである。こうした見解を太宰が聞けば、当然反論したくなるだろう。例えば、この「炎天汗談」がそうである。

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ヴェネツィア
最初は航空機の歴史から。ライト兄弟の初飛行から122年。誰が見ても長足の(同時に超速の)進歩である。 ジャンボ機(ボーイング747-8)は467人乗り、エアバス(A380-800)525人乗りだ。こんなものが空を飛ぶなんて、不思議としかいいようがないくらい。今はなきコンコルドには乗ってみたかったな。乗り心地は悪そうだけれど。次いでは世界の主要空港。これは何と言っても航空機大国アメリカの空港が群を抜いて多い。航空会社の数でもそうだろう。栄枯盛衰も激しそうだ。かつては王者のようだと思っていたパンアメリカン⇒
Johnnycake
2025/05/01 16:20

初めての海外旅行がパンナムで羽田空港からでした(成田はまだ開港してませんでした)。パンナムのロゴが入ったシャツも持ってました。パンナムが無くなった時はかなりショックでした。ロッカビーでの爆破事件からの破綻でしたね。

ヴェネツィア
2025/05/01 16:33

私はパンナムには搭乗したことがないのですが、高校生の頃にパンナムのロゴ入りのバッグを持っていました。思えば、憧れの航空会社だったのですね。

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ヴェネツィア
NHKの同名番組の書籍版。「レジャー・サービス」、「ハイテク・発明」、「ファッション」、「グルメ」、「ライフスタイル」、「伝統・習慣」からなる。友人が家族と一緒に初めて日本にやって来た時に、町中でティッシュを無料で配っているのに驚きもし、警戒もしていた。あれは確かに日本だけだろう。日本発で最も世界に広がったものはカラオケだろうか。100円ショップも各国で結構成功をおさめているようだ。自動販売機の数と種類の多さも日本特有かも知れない。これはアメリカから来た人たちが一様に驚いていた。燗酒の自販機まで⇒
ヴェネツィア
2025/05/01 14:16

Johnnycakeさん、回転寿司もたしかに広がっていますね。アニメも世界を席巻しているようですし。

yomineko@鬼畜ヴィタリにゃん🎄🎅🎄
2025/05/01 15:35

アニメはロシア語にも翻訳され、ロシア人男性の超美形なコスプレイヤーがいて、鬼滅の刃などのコスプレをしています😊人間ではないと思えるくらいアニメっぽいんですが、もしかして修正???かもしれないです😊でも実際のロシア人で綺麗な人は男女とも、違う世界の人たちみたいに綺麗です✨✨✨

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
人気の「わにわに」シリーズの1冊。相変わらず私には何がそんなにいいのだかよくわからないのだが、オノマトペの面白さかなあと思ったりもする。「ずるずりずるずり」、「カシャカシャ」、「ぴしっ!しゅるるん」、「ぐにっぐにっぐなっぐなっ」、「コンコンチャ」など、ほとんど各ページに散見される。最も秀逸だと思われるのは、「とぷとぷ ゆうひがしずみます」だろう。後は一見したところ無表情そうなわにわにの風貌か。本書では、可愛くないあかわにも、ファンには「きゃあ、カワイイ!」のだろう。
が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2011/11/30(5138日経過)
記録初日
2011/04/07(5375日経過)
読んだ本
8505冊(1日平均1.58冊)
読んだページ
1886145ページ(1日平均350ページ)
感想・レビュー
8415件(投稿率98.9%)
本棚
62棚
性別
職業
専門職
自己紹介

2011年4月からの参加で、15年目にはいりました。一番よく読んでいるのは日本文学、次いでは翻訳文学です。読むジャンルの幅は広い(半ばは意識的にそうしています)のですが、何でも手当たり次第に読むというわけではありません。特に誇れるものはありませんが、連続読書日数は初日から5263 日(2025年9月2日現在)、冊数は8098冊になりました。胃癌で入院中も、海外旅行中も毎日読んできました。さて、どこまで伸ばせることやら。

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