1月は「蛇」関連の短篇をたくさん読んだために冊数が多い割にはページ数は少ないというアンバランスが生じました。皆さま、今月もどうぞよろしくお願いします。☆2025年1月の読書メーター 読んだ本の数:123冊 読んだページ数:12519ページ ナイス数:49354ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/157091/summary/monthly/2025/1
ポランの広場の歌を小学校で習ったことを思い出し、懐かしくなってYouTubeで検索したら、当時歌っていたのとまったくメロディが違っていて、何故かしらと謎めいております…😊
⇒これは、江戸期の人々が阿蘭陀人を実際に見たことがあったからである。当時はかれらを紅毛人と称したように、髪の色の違いに最も目を向けたようだ。しかし、明治以降は青い目と目の色に焦点が移るのである。
Johnnycakeさん、ありがとうございます。そうでした。『蜘蛛となめくじと狸』でした。登場人物(?)も、お話の内容もほとんど同じですね。デジャビュー感を抱きながら読んでいたのですが、どうりで。
⇒いかに、というところなのだが、下巻は早くに散逸したようで物語の結末も不明のまま。類書もないためにわからずじまいである。さて、絵だが、合戦の様などはなかなかに勇壮。武者姿も鮮明。秘蔵されていた故か損傷も少ない。
⇒する。位相は大いに違うものの、死の厳粛さは圧倒的である。「死の同心円」は社会主義に傾倒していた時代の面影を彷彿とさせるが、今一つつかみどころにない物語である。また、最後の「影と光」は化学への傾斜を作品化したものだろうが、今から見ればどうだろうか。私はやはり篇中では「生命の掟」と「恥っかき」をとる。
⇒何も前向きには進展しようがない。あろうことか、面倒になったショーちゃんは若い女の元に走り子どもまでできてしまう。もうどうしょうもない「あかんたれ」なのである。憎めないといえば、そうなのかも知れないが(シナちゃんもナホ子も結局はそれを許している)いくらなんでも現代ではとも思うが、案外にもこういう男はそれでやっていけたりもするのだろう。
本当かどうか知りませんが、織田作之助が亡くなって数日後に薬局で客がそれを話題にしたら、店主が「先生やったらさっきヒロポン買いにきはりました」っていう話、好きです
とんかつラバーさん、あの時代の無頼派の作家たちは、みんなヒロポンをやっていたでしょうし、織田作も当然のようにそうだったと思います。この作品もヒロポンの危なさを知りつつ(だからこそ)書いているのでしょう。
※火鼠の皮衣(かわぎぬ)は、貴公子の一人に与えられた難題として『竹取物語』にも登場する。実態はアスベストであったようだ。そのことは、かの平賀源内が自ら製作し(小さなものしかできなかったようだが)立証してみせた。
⇒翻弄されて駆け抜けていったのが安子の青春だった。小説は、これで一応は完結しているようにも、未完のようにも見える。完結しているとすれば、語られない安子のその後の人生はいかようのものでありえたのか。暗いものを想像しそうだが、案外にサバサバと世を渡って行ったようにも思われる。
☆ 横レス失礼します。この巻でいちばん盛り上がった(評価が厳しかった)のは登場人物が喋る方言(言葉そのもの及び表記)だったと思います。描き方についてはこのようなものでしょう。「握り」が横行し,証券内部管理者すらいなかった時代ですから。駄文失礼。
幼い頃に読んでおり、大人になって今3歳息子に時々読み聞かせています。ねずみが遊ぶ部分がやはりお気に入りで、「ちゅっくちゅっくちゅりちゅり」などの部分が面白いようです。
ヴェネツィアさん こんにちは! 昨日は所用で出掛け、その後は家族との外食で帰宅が遅く成りました。 今ほど拝見しました。 共読に成った此の美しい本の、レビューを嬉しく拝読しました!🍀 美術工芸品の中でも特に好きなガラス工芸! 其の中で最も惹かれ鑑賞して来たのが、和ガラスの氷コップや、コンポートや瓶や、電笠です!💖 大量生産では無い、明治・大正・昭和初期の、和ガラスは本当に麗しいです!🌟 何時も、有り難うございます!🙋 暦の上では立春を過ぎても、未だ未だお寒いです。 呉々も、ご自愛下さいね!✨ 宵待草
⇒のがミソ。たまたまポワロも同乗していたのである。トリックには無理があるように思うが、ここはむしろポワロの推理と行動とを楽しみたいところだ。そんな風に割り切れば、十分に面白いミステリーである。
⇒生み出された。これらのなかで遊びというか、賭事として楽しまれたのが歌留多と、そして何よりもすごろくであっただろう。ただし、ここでいうすごろくは、いわゆる道中すごろく(今のスタイルのもの)ではなく、バックギャモンのことであった。風俗図屏風にも、浮世絵にも遊女たちがこれで遊ぶ姿が描かれている。もっとも、屏風の方は優雅だが、浮世絵の方はなんだか鉄火場めいた迫力であるが。
ヴェネツィアさん、この作品、宮沢賢治の中でも、一番変な作品ですよね。童話でも、コントでも、なく、なのに、話し自体はグスコーブドリそっくり。別役実さんの『イーハトーボゆき軽便鉄道』という、賢治の作品の解説をしているエッセイ本のなかに、この作品の解説があるのですが、これが凄く面白い。このおばけの世界に入るには主人公の名前は「ペンネン」と手がかりを得てから「ネンネンネン」と駆け上がり「ネネム」と収めるのが、この世界にはいる正しいらしいですよ。
ヴェネツィアさん、こんにちは。良いレビューを有難うございます。このレビューを読ませて頂き、ぜひ読んでみようと思い購入しました。近いうちに読むつもりです。いまから楽しみです。
⇒ナスカの地上絵やマチュ・ピチュ、クスコの石組の遺跡も興味深いが、私が一番惹かれるのはメソ・アメリカ、ことにマヤ文明である。チチェン・イッツァの壮大、壮麗なピラミッドや他の石造建造物などは、全体の中ではほんの氷山の一角である。パレンケ、ウシュマル、コパンなどいくつもの遺跡が眠っていた(依然未発掘のものも多数)。文字も言語もひじょうに魅力的である。
⇒高島おひさなどの水茶屋の女性(彼女たちもまた町のスターであった)も登場する。なお、浮世絵の技法(絵師、彫師、摺師)も、ここに極まったかというほどの域に達している。
ヴェネツィアさん こんにちは! 此の魅力的な絵本が、共読絵本に一冊加わり、嬉しくレビューを拝読しました!💫 『ティリーのクリスマス』も未読でしたら、お薦めさせて下さいね!🎄🎅 何時も良書を読み込んだ、レビューの掲載を感謝です!🍀 昨日、豪徳寺を訪ねたら梅も咲いて、冬から春への季節の移ろいを感じました。 しかし未だお寒いですので、お互いに体調に留意したいと思います!✨ 宵待草
⇒何だったのかということも。キースとモモの関わりもまた、深いようでいて、これまた捉えどころがない。着想の大胆さと、語りの圧倒的なまでの奔放さに翻弄されそうになるが、立ち止まってみると、構想の中心があってないようにも見える。芥川賞を出発点とするならば、今後はどこまで新しい地平に連れて行ってくれるのかとは思う。さあ、どうだろうか。期待値は大きい。
⇒いわば前日譚のような位置に置かれているのである。そのような煩雑なことを試みたことの背景には、単なる憧憬だけではないものが潜んでもいただろう。イギリスに対するアンビヴァレントな思いと懐疑もあったと思われる。そのように、この小説の背景は探れそうなのだが、肝心の小説の楽しみということになると、さてどうだろうかという疑問がなきにしもあらずである。そのことは訳文がイメージを膨らませない(少なくても私にはそうだ)ことにも原因がありそうに思う。【ガーディアン必読】449/1000。
ヴェネツィアさん、コメント失礼します。新潮文庫に収録されていた本作を読んだことがありましたが、最後の呆気なさ(サクラ?)に、主人公が冷めたような描写があったことが印象的でした。
みねねさん、最後はたしかにあっけなく終わってしまいます。もっとも、全体としてもあまり童話的とは言えない題材でした。おそらく、賢治はどこかでヴェジタリアンの正当性を検証したかったのでしょう。
初演では七世市川團十郎が清玄と権助の二役をこなしたそうだが、今ならやはり片岡仁左衛門の二役と坂東玉三郎の桜姫がベストか。お二人がもう少し若ければ(この二人は若い頃からこれを演じている)なお言うことがないのだが。歌舞伎通なら、むしろ今の方をとるかもしれないが。
里山の美しい風景、野の草花や生き物たちの佇まいを丁寧に切り取った絵が本当に素敵です。添えられる文章は短いのですが、登場人物の表情、1枚の絵に描かれた一つ一つをじっくり見ると思うと、乳児さんよりも幼児さん以上向きで大人でも十分に楽しめる絵本だと思っています。いわむらかずおさんも、お亡くなりになってしまいもう新作が読めないと思うとさみしい限りです。
⇒認識はなかった。本書がフィクションの力を持って、この問題を描いてくれたお蔭だと思う。繰り返しになるが、本書はそのことを告発するためだけに書かれたのではない。小説としての完成度が高く、なによりも柔らかな感性に裏打ちされた抒情味が作品を支えているのである。お薦め!
タイトルも随分と奇妙だ。そして、オペラなのだが、終始一貫して妙に静かで音がない。内容はベケットを思わせないでもない。畢竟はどんな解釈をも受け入れそうだ。お薦め!
⇒の大きさ、スケール感の圧倒的な力強さで迫る。色彩は多色摺りの広重の方が豊かなのだが、そのことが逆にマイナスに働いているかのような気になるほどである。私の評価では、真の天才、北斎と巧者の広重といったところ。
ありそうでないのは、現代の仕掛け絵本のタイプのものくらい。それにしても、アルティンボルトあり、ホルバインありと、浮世絵の世界は随分独自な進化を遂げたものだ。
※島崎藤村の描く『夜明け前』に因む。かつて江戸時代のイメージといえば、雁字搦めの封建社会に喘ぐ庶民たちというイメージだった。自由もなく、食べ物も貧困で農民でさえ米を食べられないなどと思われていた。
⇒頼りに賢治の心象(とりわけトシは今どこにいるのかに拘泥する賢治の)を解明していこうとする。詩の引用が的確であるために、その追跡行は実に心に沁みるものである。賢治像を探る上で最も重要な、ある側面を見事に浮かび上がらせる評伝であり、その感動は読者にもひしひしと伝わって来る。お薦め!
⇒では一九の『東海道中膝栗毛』ではないかと思うのだが、いずれにしても今となっては正確な数字はわからない。また、ここには紹介されていないが、江戸期の出版物では往来物(寺子屋等の教科書。様々な科目があったようだ)それ自体と、その効果による識字率の高さも注目に値するだろう。
自分も気になったのでAIに聞いてみました。(笑)魚には舌がないわけではありません。魚の種類や食性によって、舌の形や機能は様々ですが、多くの魚には舌が存在します。
⇒思われる。※桃太郎の誕生には、回春型と果生型があり、現在のものは果生型。回春型は、桃を食べたお爺さんが性的に若返り子どもが生まれるというもの。おそらく明治期に巖谷小波あたりが、教育的配慮から回春型を退けたものと思われる。※2熊との勝負は、現在のものは相撲をとるが、ここでは首引き(互いに首に縄をつけて引っ張り合う)の力比べである。
ここに登場する向島長命寺の山本のさくら餅は、京保2(1717)年の創業以来、綿々と今に続くようだ。馬琴の『兎園小説』にも登場し、文政7(1824)年の1年間だけで、実に三十八万七千五百個を売り上げたと記す。
⇒上手いものである。また、ややもすると、一貫性を欠きそうになるストーリーを纏め上げていく手腕も近松半二ならでは。なお、大島真寿美の『結 妹背山女庭訓 波模様』が、この作品を軸に展開する。こちらも面白い。
⇒それはひとえに『世界の使い方』への心酔と、そしてそれと同程度にそんな現代のイランをこの目で見たかったということに尽きるだろう。あくまで現場に身を置くといったジャーナリスティックな衝動であったかもしれない。
⇒人間の脳というのは、なんとも凄まじいばかりの能力を持っていることにあらためて驚嘆するばかり。そして、全くネイティブ並みに外国語を使いこなすのは実に至難の業であることも。
⇒に見せ場が用意されていた。それに、そもそも舞台が大陸であり、明の再興などという構想そのものが破格のスケールであった。※目抉り→近松は初期作品の『出世景清』でも目抉りの場面を置いていた。観客にとってもショッキングでインパクトの強い場面であっただろう。なお、ソフォクレスの『オイディプス王』の終幕近くでも、目抉りが用いられていた。
ヴェネツィアさん おはようございます。 いもとようこさんの絵が、可愛らしい此の絵本は、長い年月の蔵書絵本の一冊です。 読書メーター登録以前の既読本には、ヴェネツィアさんとの共読本が多数あり、全てを併せたならかなりの冊数かと? レビューの『ただただ可愛いだけということにもなりかねない』は、いもとようこさんの絵に云える、一面かと共感し拝読しました。 何時も、有り難うございます!🙋 今日も穏やかな、立春の良きひと日で在ります様に!🍀 2月もどうぞ、宜しくお願い致します!✨ 宵待草
宵待草さん、おはようございます。いもとようこさんの絵はこれまでにも見たことはありましたが、ある意味では上手すぎるのが裏目に出ているところもあるような気がします。
元々が「小説新潮」(月刊)に連載されていたものなので、1月から12月までを揃えている。この趣向もいい。ただ、家で再現するのはいささか敷居が高そうだ。また、福田氏の「なべ家」(大塚)に行けばいいのだろうが、これまた敷居が高そう。
2011年4月からの参加で、14年目にはいりました。一番よく読んでいるのは日本文学、次いでは翻訳文学です。読むジャンルの幅は広い(半ばは意識的にそうしています)のですが、何でも手当たり次第に読むというわけではありません。特に誇れるものはありませんが、連続読書日数は初日から5058日(2025年2月3日現在)、冊数は7273冊になりました。胃癌で入院中も、海外旅行中も毎日読んできました。さて、どこまで伸ばせることやら。
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