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2025年11月の読書メーターまとめ

ヴェネツィア
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2025年11月に読んだ本
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2025年11月のお気に入り登録
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  • えあいんていく
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  • yana
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  • きうい
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  • ときめきステレオタイプ
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  • 鶏肉
  • めがねおばさん
  • 雪ダルマ

2025年11月のお気に入られ登録
38

  • えあいんていく
  • 森の人
  • もみ
  • zero
  • テンムス
  • yana
  • トックアス
  • ほんのむし
  • yutan2278
  • きうい
  • SHIRO
  • Sakunana
  • みかく
  • とっく~。
  • あ
  • NORA
  • アサバ
  • ときめきステレオタイプ
  • mu150
  • とむ
  • けろり
  • 成田順子
  • ちっち
  • ma-bo
  • メンフクロウ
  • 季鈴
  • Mai
  • Ri
  • ハル
  • ふ
  • コウ
  • 淺學徒
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  • もない
  • 鶏肉
  • めがねおばさん
  • 雪ダルマ

2025年11月にナイスが最も多かった感想・レビュー

ヴェネツィア
青崎有吾は初読。本書は5つの項とエピローグからなる。それぞれの項は、一応は独立した物語としても読めるが、トータルには長編小説を構成する。主人公は、かなり特異なキャラクターの高校1年生、真兎。見届け役を務めるのは、同級生の鉱田。いわばワトソン役だ。物語の構造はいたって単純。ロールプレイングというか、より古いスポ根ものと同じ。すなわち、回を追うごとに敵が一層強大になるというもの。最初は手始めに学校内の上級生、次が学内の影のボス、さらには他校(超難関校)の生徒会役員、そした最後にラスボス(とはいっても、⇒
ヴェネツィア
2025/11/23 14:41

⇒元の同級生なのだが)。また、各項は全てそれぞれ工夫を凝らしたゲームを基軸として成立している。作家の苦心の跡がしのばれるのだが、最後の「フォールーム・ポーカー」あたりになると、ゲームの進行がしち面倒になってくる欠点も。また、そのトリックも存外にあっけない。どうせなら、もっと驚くような工夫が欲しかったところ。まあ、それは望み過ぎというものか。

が「ナイス!」と言っています。

2025年11月にナイスが最も多かったつぶやき

ヴェネツィア

11月になりました。皆さま、今月もどうぞよろしくお願いします。☆ヴェネツィアさんの2025年10月の読書メーター 読んだ本の数:124冊 読んだページ数:17740ページ ナイス数:51463ナイス ★ヴェネツィアさんの2025年10月に読んだ本一覧はこちら→ >> https://bookmeter.com/users/157091/summary/monthly/2025/10

11月になりました。皆さま、今月もどうぞよろしくお願いします。☆ヴェネツィアさんの2025年10月の読書メーター 読んだ本の数:124冊 読んだページ数:17740ページ ナイス数:51463ナイス  ★ヴェネツィアさんの2025年10月に読んだ本一覧はこちら→ >> https://bookmeter.com/users/157091/summary/monthly/2025/10
Himeko is not cat
2025/11/01 17:57

素敵なショットです😍青空の下で気持ち良さそうですね!

ヴェネツィア
2025/11/01 20:03

Himekoさん、のんびりしているでしょう。アリョーシャはドッグランに行っても、このスタイルでいることが多いです。

が「ナイス!」と言っています。

2025年11月の感想・レビュー一覧
120

ヴェネツィア
八雲の『怪談』の中でも、とりわけよく知られた一篇。物語の舞台となった紀伊国坂は、今もその名のままに残る実在のもの(赤坂離宮前)。狢もまた古来からよく知られた妖怪である。鳥山石燕の『画図百鬼夜行』(安永5=1776年刊)にも、絵入りで登場する。しかも、なかなかに由緒正しい妖怪で、『日本書紀』の推古天皇のくだりに「丗五年春二月陸奥国有狢化人以歌之」の記述が見られる。八雲の怪談の直接の典拠は不明だが、おそらくは江戸期の書物にあるのではないかと思われる。実によくできた怪談である。しかも、蕎麦売りによる二度目の⇒
ヴェネツィア
2025/11/30 16:20

⇒ダメ押しとも言うべき行為が、怪談としては実に効果的である。なお、このお話は、中学3年生の時の英語の教科書にあった。もちろん、八雲の原文そのままではなかっただろうが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
石垣りんの第2詩集。オリジナルの初版は1968年思潮社刊。詩集のタイトルにしては、しかも、第1詩集からは9年ぶりの詩集であるにもかかわらず、『表札など』と、なんだかそっけない。第1詩集では『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』と、随分強い主張が込められていたのに。石垣りんさんは、ここに来てテレているのだろうか。収録された詩の中では、表題作と「シジミ」の2篇が一等地を抜くか。この、かくも決然とした詩境。生きていく上での確固たる決意。それでいて、シニカルなユーモアを失うことはない。次いで、気に入りのものを⇒
ワスレミズ@ベルばら同盟会長
2025/11/30 15:56

ヴェネツィアさん、いつもながらですがナイスレビューです👏😃‼️

ヴェネツィア
2025/11/30 16:45

ワスレミズさん、ありがとうございます。応援感謝。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
国立歴史民俗博物館の収蔵品から、今回は鉄道関連のコレクション。最初は江戸期の旅から。『おくのほそ道』が名高いが、あれは旅の記録というよりは紀行文学。それに先立って、戦国期の旅の記録が残されている。『永禄六年北國下り遺足帳』がそれである。もっとも、これは例外に属するもので、庶民までが旅をすることが可能になったのは、江戸も後期。まさに『東海道中膝栗毛』の時代である。そこには、旅の様子はもとより、数々の名物もの、諸国の美味いものが記載されている。明治に入ると、旅行案内や時刻表も登場する。鉄道大国イギリスにも⇒
ヴェネツィア
2025/11/30 08:07

⇒比肩されるほど、数々の鉄道グッズが登場する。本書はさすがに歴史民俗博物館のコレクションだけあって、なかなかの充実ぶり。私も鉄道マニアの一角を占めるが、もっぱら乗り鉄で、蒐鉄の趣味は持たないので、なるほどそんなものかと感心するにとどまるのだが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ピーター・スピアー 作。スピアーは、アムステルダム生まれだが、アメリカに移住して活躍したイラストレーター。本書は、大判サイズ。オープニングは、伸びやかなタッチのエデンの園。アダムとイヴもいるし、リンゴの樹もあるが、ヘビは見当たらない。次には大勢の人びと。まさに「地に満ちよ」の言葉通りだ。そして、ビーチで遊ぶ、これまた大勢の人たち。思わず、ウォーリーを探しそうになる。そして、いろんな人たちの様々な特徴や多様な暮し。最後のページは、多数の、しかも多民族が共生するアメリカ讃歌。そうなのだ。アメリカの理想は、⇒
カピバラKS
2025/11/30 19:19

「アメリカの理想は、本来はこうだったのだ」との御指摘が鋭くかつ重いですね。ローマ帝国でもアメリカ合衆国でも、あらゆる人々の受け入れに努めることで、超大国化したように見受けられます。レヴューを拝見して、アメリカの衰亡は避け難いものと感じました。(レヴューと若干ズレたコメントになってしまい恐縮です。)

ヴェネツィア
2025/12/01 08:50

カピバラさん、現在のアメリカの姿はほんとうに残念です。それにしても、トランプがアメリカ国民にあれほど支持される理由がわかりません。ある意味では末期的な症状を呈しているのかもしれません。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
物語の時は、「むかし丹波の国に」とあるだけで特定されないが、江戸期のどこかだろう。葬式のあった晩に、亡くなったお園が2階の自室に現れるのだが、「頭と肩とはごく瞭然見えたが、腰から下は姿がだんだん薄くなって見えなくなっている」というのであるから、これは円山応挙などが描くところの、典型的な幽霊の姿である。後半は、その幽霊の存念を大玄和尚が祓い成仏させるという、高僧物語的な構想になっている。もっとも、スタイルはそうではあっても、物語の本質はあくまでも幽霊の側に留まる。簞笥の一番下の貼紙の下から現れた一通の手紙⇒
ヴェネツィア
2025/11/29 16:13

⇒なかなか巧みな語り口なのであるが、それは「お園が京都で修行していたときに貰った艶書」であるとしか明かされない。このあたりがまた、いかにも日本的な物語なのである。八雲が一番感じ入ったのも、まさにここだったのだと思われる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
かつては炭鉱で栄えたが、今は見る影もない苫沢町が物語の舞台。札幌からはバスで2時間くらい。当然に過疎であり、若い人たちの姿はほとんど見られない。そんな町を舞台に、6つの連作短篇から成る物語。全体の構成は、能の「序破急」といったところか。最初は表題の向田理髪店を軸に静かに物語が始まる。このあたりは、苫前町の置かれた状況設定でもある。そして、それが急展開し始めるのが「中国からの花嫁」あたりからである。語りのスピードは上がるし、面白さも速度を加えてゆく。これを受けた「小さなスナック」、そして「赤い雪」と⇒
ヴェネツィア
2025/11/29 15:48

⇒ボルテージは上がる一方だ。いつの間にか「急」に巻き込まれていたのである。そして最後の「逃亡者」で終息する。過疎の町の現実を実に巧みに捉え、物語化した作品である。そして、それを描く奥田英朗の眼は実に温かい。

ヴェネツィア
2025/11/29 16:38

ユウェナリスのいう「パンとサーカス」は、まさに至言。田舎にはパンはあってもサーカスがないのだ。若い人たちにはもちろんのこと、老人たちにもサーカスが待望されている。本書はそのことを痛切に突きつけても来る。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の武藤聖一氏は、スウェーデン在住のフォト・ジャーナリスト。建築家ではないが、主なフィールドは建築、デザイン分野。巻頭を飾るのはサンティアゴ・カラトラバ設計のアート・サイエンス・シティ(バレンシア)。なんといっても、うねうねとした曲線をふんだんに用いた設計が最大の特徴であり、魅力の源泉である。今、先端を行く建築家の一人だろう。リエージュ(ベルギー)の駅舎(これも曲線美)もこの人の設計。次いで注目されるのは、ザハ・ハディド。サラゴサのパヴィリオン・ブリッジやインスブルックのケーブルカー駅舎など、やはり⇒
ヴェネツィア
2025/11/29 08:35

⇒斬新さで勝負である。奇妙なネジレが特徴的なのがフランク・ゲーリー。ハーフォード美術館(ドイツ)や、近未来の廃墟かと見紛うようなエルシエゴ(スペイン)のホテル(表紙写真)など。古い歴史的建造物の多いヨーロッパだが、なかなかどうして現代建築の宝庫でもあるようだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
加古里子・作。雪国の雪の日を詩情豊かに描く。みんなの服装や車の様子などからして、時は遡って昭和30年代かと思われる。モデルになっていそうな場所は、「かまくら」から類推すれば横手あたりか。大雪のために、突然に停電になったりと不便ではあるのだが、ここにはやはりそうした不便さを補って余りある、ある種の失われた幸福な思い出が横溢する。絵も基本的にはリアルな描写に徹して、雪の光景を映し出してゆく。お薦め。
ヴェネツィア
2025/11/29 07:54

この絵本は、古き良き時代を回想して描かれたものかと思っていたが、初版は1966年のもの。そうすれば、ほぼ当時のリアルな雪国の日常を描いていたことになる。こうして、時間を経てみると、一層に詩情を感じる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
出典は『新著聞集』にあるらしい。奇譚ではあるが、どこか茫洋とした趣きのある物語である。そうは言いつつも、なかなかに怖い物語でもある。展開が実に上手い。それも八雲の手腕であろうか。結末が不明であることがまたいいのである。八雲もそれを重々承知していたようだ。西欧型の物語との違いを、むしろ八雲は楽しんでいたのだろう。物語ることは、不思議に身を任せることでもあったというのは、まさに日本の古典的な物語観の伝統でもあった。
茶碗の中
Johnnycake
2025/11/28 22:45

映画「怪談」に収録されてますね。この映画、日本語の授業で学生に鑑賞させたりしましたが、4つの話(「黒髪」「雪女」「耳なし芳一の話」「茶碗の中」)の中でこの「茶碗の中」が一番訳がわからないと学生も首をかしげていました。

ヴェネツィア
2025/11/29 09:57

Johnnycakeさん、おはようございます。たしかにどう受けとめていいのか困惑するお話ではありますね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『青べか物語』などとともに、山本周五郎の数少ない現代ものの1篇。物語の時は、戦後まだそれほどの年数を経ていない頃、とはいっても昭和30年代の前半あたりだろうか(朝日新聞の夕刊に連載されていたのは昭和37年4月から10月まで)。舞台は架空の場所だが、周五郎がかつて住んだ浦安あたりであろうか。物語は、その吹きだまりのような町の住人に順次スポットをあてて語ってゆく。形式とすれば、連作短篇の集積であり、個々の人物たちが織りなす全体像がそこに浮かび上がるという仕組みである。彼らは全員は、いわば極貧の状態にいる⇒
ゆはず@底。なんかな。
2025/11/29 22:44

許容と肯定は違いますね。確かに。

ヴェネツィア
2025/11/30 08:43

ゆはずさん、人間を肯定する周五郎ですが、本書ではなかなかに厳しい側面を見せています。けっして簡単には肯定しないのですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
本書はクラーク・ワーズウィックが収集した、幕末から明治初期の日本を写した貴重な写真の集成。ワーズウィックは、ハーバード大学でも教えていたようだが、アジアの写真史を専門とし、コレクターとしても有名。最初は東京と横浜を中心とした風景写真から。1873年頃の銀座を写したものがあるが、大火を機会に道幅を広げ、レンガ造りの2階建てが連なる。アメリカの街のような印象である。それが80年代になると、街路樹も育ち、通りの中央を鉄道馬車が走るようになる。編年体に写真が残っているわけではないのが残念であるが。⇒
ヴェネツィア
2025/11/28 08:30

⇒欧米人のカメラマンによるものが多く、風景も鎌倉の大仏や鳥居など、日本的なものが当然多くなる。後半の「職業づくし」なども興味深い。実に様々な「棒手振り」の商人たちが町にはいたようだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
松岡たつひで・作。この人は自然科学絵本を得意とするようだ。本書も、そうした得意技が発揮されたもの。なお、これは「あまがえるりょこうしゃ」シリーズの1冊。今回は紙飛行機に乗って、森の空中散歩を試みようというもの。「もみのきの10ばいのたかさをとべる」というのが、うたい文句だ。お客はテントウムシとカタツムリとダンゴムシ。空中散歩ならぬ危険を孕む冒険を楽しんだ。お話としても子どもたちには楽しめるかも知れない。そして、森に住むたくさんの昆虫や動物、鳥が登場し、さながら図鑑の様相を呈する。絵は丁寧に描かれた⇒
ヴェネツィア
2025/11/28 07:47

⇒色鉛筆画。とりわけ昆虫の描写が細密。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
江戸の人たちは番付が大好き。大相撲の番付は今も残るが、ちょうどあんな感じで何でも番付にしてしまう。本書にも、そんな番付の一つ「諸国温泉効能鑑」が掲載されている。そんな番付や歴史資料をもとにして、様々なお江戸ランキングを作ってみたのがこの本。著者の中田節子氏は、フリーの学芸員。ここには実にたくさんのランキングがあるのだが、江戸のベストセラーといえば、やはり『東海道中膝栗毛』。第一巻から21年間に43冊を刊行。各編一万部として、計43万部。別版を含めると、もう総数は不明。仏書を別とすれば、第2位は⇒
ヴェネツィア
2025/11/27 17:14

⇒合巻の『偐紫田舎源氏』。全38編、各編一万部で計38万部。天保の改革で絶版にならなければ、さらに売れただろう。今では誰でも読めるのだが、読む人はほとんどいない。見せ物動物のランキングでは、第一位は象。これに駱駝、豹と虎が続く。他にも敵討ちランキングなど興味深いものが多数。江戸マニアにはお薦め。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
茨木のり子の第2詩集(オリジナルの初版は1958年11月、飯塚書店)。全部で27篇の詩を収録するが、その中には、私が初めて茨木のり子に出会った詩「わたしが一番きれいだったとき」が含まれている。おそらく、この詩は茨木のり子の数ある詩の中で最も名高いのではないだろうか(実際、多くのアンソロジーに収められている)。7連のすべては「わたしが一番きれいだったとき」と歌い始められる。哀しい詩ではあるのだが、詩人の歌いぶりはむしろ決然と爽快でさえある。淡々と過去を歌うようにも見えるが、その底流には強靭な精神が秘められ⇒
ヴェネツィア
2025/11/27 10:49

⇒ているのだろう。しかし、それでも詩はあくまでも明るく晴朗なのである。これが、これこそが茨木のり子の詩なのだ。なお、しいてもう1篇を選ぶなら「悪童たち」か。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
小塩 節、トシ子夫妻の編・訳によるクリスマスの祈り集。巻頭は『ヨハネによる福音書3章16節』の「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」からはじまる。古くはアッシジの聖フランチェスコによるものや、中世ドイツの民謡が、また比較的新しいところでは、ガール・バルトやウィリアム・バークレーのクリスマスの祈りが訳出されている。ディートリッヒ・ボンヘッファーがないのは残念。要所要所に菅井日人の写真。表紙はケルン大聖堂のクリスマスの飾り付け。他にもクリスマス市で有名なニュールンベルクのドームなども。
ヴェネツィア
2025/11/27 08:38

今年も間もなくアドヴェント(2025年は11月30日から)。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
サマド・べヘランギー(イランの童話作家 文、ファルシード・メスガーリ(イランの絵本画家)絵。分量的にも文が中心で、絵本というよりも挿絵入り童話といった趣き。したがって、読み聞かせにはあまり向かないか。小川の岩陰に住む「ちいさな黒いさかな」が、小川の終わりを見るために、一大決心のもとに出発する冒険物語。途中にはペリカンや鷺など危険がいっぱい。最後は鷺に食べられて…さて、その結末はなのだが、そこは語られることがない。ここに、この作品の最大の特徴があるだろう。絵は終始、黒を基調とした版画。絵が語りすぎない⇒
ヴェネツィア
2025/11/27 07:42

⇒ところにも、もう1つの特徴がある。なお、結末の解釈はいかようにも可能であり、あえてそれを語らないあたりがべヘランギー流か、あるいはイランらしいスタイルなのか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この物語の舞台は、陸奥国田村の郷。ただし、同様の伝承は各地に存在するようだ。また、『古今著聞集』「馬充某陸奥国赤沼の鴛鴦を射て後出家の事」がその原話であるらしい。鴛鴦は夫婦仲の良さのシンボルのようになっており(実態は違うそうだが)、この話もその点に立脚する。物語の核心は、まず夢に美しい女が(鴛鴦の化身)現われ、夫を殺されたことに悲嘆した後、翌朝の予言をして消えてゆく。翌朝、沼に行ってみると雌鳥が一羽いて、村充の目の前で自ら命を断つ。そして、結末は出家遁世譚の形をとっている。これまた、美しくも哀れな物語。
おしどり
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
作者、成立年ともに不詳だが、『平家物語』との先後が問題になるくらいに、ごく早い時期に成立した軍記。鎌倉初期頃か。題名が示すように、保元の乱の顛末を描く。事件の記述そのものは概ね史実に忠実に語られる。本書の構成上の特質として、ここには二つの基軸が存在する。一つは、新院(崇徳院)を中心とした事変の記述である。そして、この物語は、鎮西八郎為朝を主人公とした豪傑物語としての側面をも強く持っている。そして、作者の想像力(それは伝承の集大成でもあるのだろうが)が傾けられるのは、後者である。当然、語りの調子も熱を帯び⇒
ヴェネツィア
2025/11/26 16:26

⇒スケールの大きなデフォルメとともに軍記としての妙味もこちらにあるかのようである。ただ、全体として見れば、また若干様相を異にすることも事実である。すなわち、これは敗者の文学であり、敗れて死んでいった者たちへの鎮魂歌でもあった。これもまた、本書が優れた軍記であったことの、もう一つの証である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
昨今は古代の遺物や遺跡が新たに発見され、世界の古代史も書き換えを迫られているような状況である。私もNHKの「3か月でマスターする古代文明」を興味深く視聴して(録画で)いるが、自分たちが中学・高校で学んだ古代文明とはかなりその様相を異にしている。本書の刊行も2001年なので、今ではさらなる卓見が加えられていることだろう。さて、アジアの歴史地図ということになれば、まずはメソポタミア、インダス、そして殷王朝だろう。もっとも、メソポタミアはその後、中心からは遠ざかるが、インドと中国はその後の歴史においても、⇒
ヴェネツィア
2025/11/26 08:08

⇒そして今にいたるもアジアの中心であり続けた。本書にも興味深い地図は多いが、あらためて感心するのがアレクサンドロスの遠征図。また、何通りもあったシルクロードの交易図も魅力的だ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
片山令子・文、片山健・絵。「こおりのきたかぜが、きらきらひかるつめたい」早春の朝。ねむねむさんのお家にやって来たのはねむねむくん。2人は長い長い冬の間の冬眠からようやく覚めました(とはいっても、2人ともまだ眠かったのですが)。やがて春の太陽が明るく、暖かくこの地に輝いて…ようやく2人はお互いに相手が誰だかわかりました…というお話。語りもまたのんびり、おっとりとしたもの。絵は、ラフなタッチで描かれたクレヨン画。土の家に寄りかかって眠っている様子などはなんとも微笑ましい。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
物語の舞台は尾州遠山の里。Google mapで調べてみると、該当しそうなのは、愛知県大府市北山町遠山か。名古屋の中心部から南東に30分くらいのところだ。物語は民話風だが、語りのスタイルはもう少し新しい。ただ、時代設定は地頭がいるので、中世あたりか。夢応譚の構造をとっているが、夢に現れるのは、主人公の女の舅。雉子に変身して現れるのもまたそうだ。最終的には孝行話として、ハッピーエンド(?)に終わるのだが、全体のムードは何か常に物悲しい。それは八雲の語りの故であろうか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
いささか古い話なのだが、時は1897年9月21日のニューヨーク・サン新聞社は8歳のバージニアからの質問を掲載した。それは「サンタクロースって、ほんとうに、いるんでしょうか?」という切実な問いかけであった。サン新聞はそれに社説で答えた。「そうです、バージニア。サンタクロースがいるというのは、けっしてうそではありません。この世の中に、愛や、人へのおもいやりや、まごころがあるのとおなじように、サンタクロースもたしかにいるのです」そして、「一千年のちまでも、サンタクロースは、子どもたちの心を、いまとかわらず⇒
masa
2025/11/25 18:28

幼い頃にサンタクロースが来てくれたってのは素晴らしい思い出ですよね。嬉しかったものです。私も小学一年生の時にもらった『キン肉マン』が人生で最初に読んだマンガでした。飛び上がって喜んだものです。

ヴェネツィア
2025/11/26 07:35

masaさん、あの頃はサンタクロースを心底信じていましたからねえ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
1972年の一大ベストセラー。新潮社は、この本の売り上げで別巻ビル(「恍惚ビル」と呼ばれた)を建てたと言われるほど。有吉佐和子41歳の作品。ちょうど主人公の昭子くらいの年代である。そうとうに綿密な取材のもとに書かれたらしいが、茂造をはじめとした老人たちの表現(それに限らず、翻弄される周囲の家族たちの表現も)がとってもリアル。今でいうところの「認知症」を扱っているのだが、それは全く時空を超えて(なにしろ50年以上も前の作品だ)そのまま現在時の事柄にもあてはまるだろう。それだけ、この問題の所在が早くから⇒
ヴェネツィア
2025/11/25 07:12

⇒わかっていながら、政府をはじめとした行政その他の無策、もしくはどうしようもなさを証左するもの。本書では、茂造に暴力性は全く見られないのだが、これに暴力性が加われば、もう惨憺たるもの。実際はそういうケースもあるのだが。万人にとって「明日はわが身」。なお、純粋に小説としても面白い。ぜひご一読を。

ヴェネツィア
2025/11/25 07:15

50年経って変わった部分も、そうでない部分もある。まず、全体に老人たちはさらに健康になり、平均寿命は一層延びた。自立も自覚も大いに向上したようにも見える。もちろん、依然として認知症問題はなくならないのだが。教会に来られる80代の方たちを見ていると、皆さん恍惚からは程遠く、未だに現役の役員であったりもする。社会との繋がりが大きいか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
方(ファン)・イーチュン 文、村山知義 絵。こうさぎからろば、ろばからこやぎ、こやぎからこじか、そして、こじかからこうさぎに。優しさのこもった一つのかぶが巡ってゆく物語。ものすごく単純で、何の変哲もないといえばそうなのだけれど、それでも、あるいはそれ故に美しいお話。絵は、どの動物も表情を変えることがない。ただただ淡々とその営みを続けて行く。この行為はみんなにとっては普通のことがらだからだ。雪の日に静かに味わいたい絵本。
勇魚
2025/11/26 09:41

ヴェネツィアさんの絵本感想いつも楽しみに拝見してます。「しんせつなともだち」は子供らとよく読んだ1冊で、20年近く経った今でも頂き物を誰かにそのままお渡しする時など「しんせつなともだちみたいやなー」とか会話に出ます(笑)絵と文章どちらも優しくて大好きな1冊です。

ヴェネツィア
2025/11/26 14:22

勇魚さん、これはそうした思い出の本にふさわしいですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
1935年、中原中也28歳の時の詩。「ある日君は」と歌い出されるが、この「君」は男だろうか、それとも女だろうか。第3連目の「あいつあの時あの道の」からすれば、やはり男なのだろう。2は「猫が鳴いていた」にはじまるが、当然それは朔太郎の『月に吠える』の「猫」を思い出させることになる。3では「今宵ランプはポトホト燻り」が何度かリフレインされてゆく。それは「今宵私の命はかゞり」に変奏され、やがて「そこで命はポトホト燻り」へと収斂してゆく。中也は軽やかに歌うのだが、それはなんだかかえって投げやりだ。
ヴェネツィア
2025/11/24 16:28

詩について語るのは難しい。詩を語る時のスタイルを模索しなければと思う。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
編者の、嶺重 淑氏は神学者、渡部雄一郎氏は歴史学者。本書はタイトルが平易そうなわりには本格的なクリスマス本。ことに第1部は論考というのに近い。第2部でようやく親しみ深そうなテーマが並ぶことになる。「クリスマスの起源」では、「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」のそれぞれの記述から探ってゆく。そして、歴史的に見たクリスマスの誕生と発展が語られる。さらには「サンタクロースの起源」へと受け継がれて行く。第2部では、まず世界各国のクリスマスから。スイスでは、サンタクロースはプレゼントを持ってこない。その⇒
T. Tokunaga
2025/11/24 14:07

ヴェネツィアさん、わたしはサンタクロースの存在は中3まで信じてましたが、特殊な形でした。ローマ・カトリックやプロテスタント各派のキリスト教会と密接に関わっている「総サンタクロース」のもと、サンタクロースの有資格者が教会のような構造をもって世界各地、そして日本全国津々浦々にいるのだ、と笑

ヴェネツィア
2025/11/24 15:05

T.Tokunagaさん、それは珍しい考え方です。妙に合理的なところが面白いですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
監修者の山本博文氏は、東京大学史料編纂所教授。実際の執筆にあたったのは内田和浩氏(フリーライター)ら3人。大奥は、なんとなくのイメージはあっても、その実態はほとんど知らないも同然だった。大奥が造営されたのは、2代将軍、秀忠の時代。制度の礎を築いたのは、あの名高い春日局であった。法的には寛文10(1670)年の「女中法度」の制定によってであるようだ。江戸城御殿の本丸平面図が掲載されているが、それを見ると大奥が実に半分くらいの面積を占めている。大奥の職制図や給与、しきたり、掟、身分に合わせた住まい、など⇒
ヴェネツィア
2025/11/24 12:38

⇒比較的、簡便な本であるにも関わらず、なかなかに網羅的に紹介している。後半には、各将軍ごとに「大奥列伝」が語られる。歴史マニアには格好の資料か。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
村中李衣・文、石川えりこ・絵。主人公のちさとは、身体を「自分の思うように動かすのが難しい」。それでも、ようやく退院して、つばさえん(こども園?)に戻れた。ちさとは、意志の強い子。「こくん」と決意したら、とにかくやり遂げる。ホールのステージに上がるのも、「こくん」と決意して。最後には滑り台に挑戦して…というお話。読んでいる方も励ましたくなる。絵だが、こども園にしては、遊具も子どもたちの様子もこども園ではなく、小学校みたいに見える。また、滑り台の上からの景色はデフォルメが過ぎるように思う。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
俳人、西東三鬼の随想。秋も終わりに近いころの夕暮れ。三鬼は不動尊で、津山不動講の白い襷をかけた人々に邂逅する。そして、そこから彼が生まれ、幼少時を過ごした津山の思い出が次々に回想されてゆく。津山の思い出は、すなわち亡き母の思い出(18歳で母を亡くしている)でもあった。母が信仰していた黒住教の「ノリト」の持つ不穏さと、その講の帰りに買ってもらって食べた餡餅の温かさと、甘やかさ。津山不動講の人々とすれ違う間の、ほんの短い時間の回想であったが、それは夕暮れにほのかな火が灯るような時間であったのではないか。
ヴェネツィア
2025/11/23 16:05

さて、西東三鬼の代表句はなんだろうかと思い出してみたのだが、やはりこれか。「水枕ガバリと寒い海がある」。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
巻頭に掲げられた2首の歌のうちの1首。「忘れ來し煙草を思ふ ゆけどゆけど 山なほ遠き雪の野の汽車」。啄木を初めて知ったのは、小学校の6年生の時。「東海の小島の磯の…」の歌が最初の邂逅だった。「やはらかに柳あをめる…」の歌が中学校の教科書にあり再会。その頃から暫く、出版社は忘れたが『石川啄木歌集』を愛読していた時期があった。本書には、啄木関連の資料がかなり豊富に載せられている。また、金田一京助や若山牧水ら、啄木が結んだ多くの交友関係の跡を知ることもできる。わすか27年の短い生涯であったが、それは実に⇒
ヴェネツィア
2025/11/23 15:40

⇒実り多いものであっただろう。「血に染めし歌をわが世のなごりにてさすらひここに野にさけぶ秋」―「明星」(明治35年10月号、啄木17歳)に初めて掲載された歌である。彼は早熟の天才歌人でもあったのだが、後年の歌風からすれば、なんと激しい歌であることか。あるいは「明星」ぶりを心がけた故であったか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
青崎有吾は初読。本書は5つの項とエピローグからなる。それぞれの項は、一応は独立した物語としても読めるが、トータルには長編小説を構成する。主人公は、かなり特異なキャラクターの高校1年生、真兎。見届け役を務めるのは、同級生の鉱田。いわばワトソン役だ。物語の構造はいたって単純。ロールプレイングというか、より古いスポ根ものと同じ。すなわち、回を追うごとに敵が一層強大になるというもの。最初は手始めに学校内の上級生、次が学内の影のボス、さらには他校(超難関校)の生徒会役員、そした最後にラスボス(とはいっても、⇒
ヴェネツィア
2025/11/23 14:41

⇒元の同級生なのだが)。また、各項は全てそれぞれ工夫を凝らしたゲームを基軸として成立している。作家の苦心の跡がしのばれるのだが、最後の「フォールーム・ポーカー」あたりになると、ゲームの進行がしち面倒になってくる欠点も。また、そのトリックも存外にあっけない。どうせなら、もっと驚くような工夫が欲しかったところ。まあ、それは望み過ぎというものか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
松谷みよ子・文、瀬川康男・絵。きつねとたぬきの化け比べのお話。先攻はたぬき。みんなで花嫁行列に化けたものの、まんじゅうに化けたきつねにしてやられる。そこでたぬきたちが考え出した次なる作戦は…というもの。絵は黒い墨をやや霞ませるような技法で(こういうのを何と言うのだろう)描かれているために、絵本としてはやや地味。瀬川康男の評価は高いが、子どもたちに受け入れられるか、いささか心配なところだ。
ヴェネツィア
2025/11/24 16:53

masaさん、お話もですが、私は子どもたちのこの絵に対する受け止め方がどうだろうかと気になるところです。

masa
2025/11/24 16:58

子供も一人一人受け止め方が違いますからねえ。カラフルなものが好きな子。ダークな雰囲気に興奮する子。私は後者でした(笑)

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
岡本かの子が巴里にいたのは、1929年(かの子40歳)から2年間くらいであった。これは、1933年に書かれたようなので、そうすると帰国後に巴里の秋を回想してのものということになる。「巴里に秋が来たのだ。―中略―秋をひそかに巴里は迎えいれて、むしろ人達を惑わせる」とかの子は語る。街路樹の枯葉、焼栗売りと巴里の秋の風物が点景のように鏤められる。そして、秋は巴里では別れの季節でもあるようだ。私が最も巴里らしい感じが出ていると思うのは次の箇所―「飄逸な街路便所や古塀の壁面にいつ誰が貼って行ったともしれない⇒
masa
2025/11/22 18:00

古き良き時代ですなあ。今は見る影もないですが。

ヴェネツィア
2025/11/25 09:35

masaさん、巴里はパリ。やっぱり永遠の都です。少なくても私にとっては。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
三好達治の第一詩集。昭和5(1930)年刊。達治30歳。三好達治との出会いは、高校1年生の時。教科書に2篇の詩が掲載されていた。それが、「雪」と「甃のうへ」である。最初には「甃のうへ」の鮮烈な抒情に強く惹かれた。「あはれ花びらながれ」の打ち出しから、痺れるような詩の世界に飲み込まれていったのである。後には「雪」の持つ詩の豊饒さに静かな驚きを抱くようになるのだが。「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。」のわずか2行に表出された、圧倒的なまでの静寂と、温もりの感覚。⇒
ヴェネツィア
2025/11/22 17:51

masaさん、文学部でしたから。

masa
2025/11/22 17:55

熱いですね。青春です。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
鉄川与助は、明治12(1879)年、五島列島の中通島生まれ。家業の大工を継ぐが、22歳の時、ペルー神父設計の旧曽根教会の建設を手伝ったことがきっかけで、教会建築に魅了された。以来、数多くの教会を設計・建設。その現存する最古のものが旧五輪教会(五島市/長崎県) 。木造平屋建てで、入り口と窓には顕著な特徴を持つが、外部の基本構造は普通の民家とかわらない。ただし、内部は意外にも本格的な教会堂である。与助が棟梁として、初めて手がけたのが木造の冷水教会(上五島町)。白亜の板壁が美しい教会である。そして、最初の⇒
Haru
2025/11/22 08:51

ちょうど遠藤周作の『影に対して』を読み終え、五島の教会をまた見てみたいと思っていたところです。 旅をする時は、その土地にちなんだ一冊を見つけると、ぐっと深まりますね。

ヴェネツィア
2025/11/22 11:01

Haruさん、五島列島は遠藤周作の作品の舞台でもありますね。ぜひ一度行ってみたいものです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
エゴン・マチーセン 作。この人は初読だが、デンマークの絵本作家らしい。お話は、独裁者に弱者のみんなが力を合わせて立ち向かい、民主制を達成するというもの。そのきっかけを作ったのが、オズワルドの一言「いやだ!」。よくわからないのが、どのページでも語りの最初に「おっと まちがい」というのがあること。これに何か意味があるだろうか。絵は、背景を持たないが、サルたちはカラフルで、動きはなかなかに精妙。彼らの棲息する木々は、極力抽象化されている。ちょっとマチスを思わせないでもない。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
寺田寅彦の随筆は、多かれ少なかれ科学が関わるものだとの先入観を持っていた。本篇からは全くそうした気配は感じられない。それどころか、詩人の書いた散文詩といった趣きである。しかも、それは濃い憂愁と深い抒情とをたたえた。背景に流れるのはチャイコフスキーの「秋の歌」(おそらくは『四季』中の秋だろう)。ジンバリストの演奏というのだから、弦楽版(編成は不明。少なくてもヴァイオリンとチェロ)なのだろう。謎の女、マリアナ・ミハイロウナに導かれ、秋の霧の中に溶け込んでいく。その幻想性をさらに掻き立てるのが弦の響きである。⇒
ヴェネツィア
2025/11/21 16:54

⇒ただ後段の「あかあかとつれない秋の日」は、全体のイメージを損なうように思う。出典は芭蕉の「あかあかと日はつれなくも秋の風」だと思われるが、寺田寅彦の文章からは、より深まった秋を想起するからである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレ5人の作家たちが、それぞれお酒をめぐる短篇を競作する企画。仕掛け人は「小説推理」の編集部なのだろうか。メンバーは織守きょうや、坂井希久子、額賀 澪、原田ひ香、柚木麻子の面々。柚木以外は初読。先方の織守は、お酒を使ったお菓子なので、ちょっと変則なのだが、なかなか巧み。ことに終局部あたりで秘密のベールを剥いでいくあたりは。しかも、ひなき(主人公)と和人の間に恋心が芽生えるのだろうかとの予想もスルリとかわしていく。坂井、額賀は一応の水準かと思う。お酒の扱いも編集部の期待通りか。原田は、お酒を飲まないのでは⇒
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『塵劫記』(寛永4=1627年に吉田光由によって著された和算の入門書。江戸期を通じてのベストセラー)に基づいて、和算研究所の監修で佐藤健一氏が、わかりやすく和算を解説したもの。前半は和算を応用した手品めいたものから。当時の資料を掲げつつ、現代への応用も配慮されている。後半は代表的な和算の紹介と解説。よく知られたところでは、「ねずみ算」。正月に、ねずみの父母が子を12匹産んだ。このねずみは、2月になると子もまた子を12匹ずつ産むようになる。このように、子を産み続けると、12月には合計で何匹になるか、⇒
ヴェネツィア
2025/11/21 10:58

⇒というもの(答えは276億8257万4402匹)。他にも「旅人算」(今も小学校の算数にある)や、「油分け算」なども。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
加古里子・作。大人気の「だるまちゃん」シリーズの1冊。今回のお相手は、やまんめちゃん。名前からも想像がつくように、ヤマンバの娘。だるまちゃんが蹴ったサッカーボールをきっかけに、二人の交流が始まる。だるまちゃんのお家からはネーブル、やまんめちゃんのお家からキノコ。二人は仲良く遊んだり、危険な目にあったり。絵は描線のはっきりとした水彩画。私は、どうもだるまちゃんのキャラクターと絵は好きになれないのだが、それはともかく、ヤマンバのおばあちゃんも好々婆然とした表現。里と山との異文化交流といったテーマ。
ヴェネツィア
2025/11/21 08:31

テーマの提示が類型的すぎるようにも思うが、昨今の(ただし、本書の刊行は2006年)外国人に対する忌避や排斥の動きを見ると、あるいは必要かなとも思う。それにしても、昨今の状況は、それこそこちらこそが国を憂いたくなる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
まつおか きょうこ・文、馬場のぼる・絵。「かえる」にまつわる駄洒落で物語を展開していく、珍しい手法。「◯える」を連ねていくのだが、連鎖が上手く次の「◯える」を呼び出している。もっとも、これが絵本として成立するのも、馬場のぼるの軽妙、剽軽な絵があってのもの。単純な線なのだが、実に愛敬のある絵だ。縁日の光景もなかなか楽しい。「かえるがふえる」もいいし、「かえるにべえる」の花嫁の表情も面白い。大いに楽しめる絵本。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
第62回(2015年度)江戸川乱歩賞受賞作。タイトルが意味不明で人目を惹くが、読めば一応納得がいく。物語の前半は目くるめく展開で、圧倒的なまでのスピード感である。主人公の亜李亜をはじめ、登場人物たちは掴みどころがないように見えるし、物語の行き着く先は全く予想がつかない。物語自体が一種のトリックであるかのようだ。まさに「QJKJQ」のように。前半の手法は、ラカンに依ったものかと思われるが、真偽の程は不明だ。ただ、狂騒のごとく吹き荒れる前半に比して、後半は物語としての妙味はトーンダウンするようだ。⇒
ヴェネツィア
2025/11/20 16:56

⇒説明的になってしまったことで、スピードも自ずと落ちてしまう。読者を(あるいは、作中の亜李亜を)納得させる必要はなかったのではないか。奔放なままに突き進んだ方が、より新しい地平を開けたのではないかと思われる。なお、表紙カバーの絵は作品のムードをよく伝える。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
巻頭はストックホルム市庁舎(ラグナール・エストベリ/1923年)、そしてストックホルム市立図書館のロトンダと重厚な建物からである。ただ、こうしたガムラスタンの建築は、北欧にあってはむしろ例外である。そこで次に登場するのが、北欧を代表する建築家、アルヴァ・アールトである。まずは、「クリスタル・スカイライト」(1957/ヘルシンキ)である。この建物に限らないのだが、北欧ということもあってか、光に対する渇仰は並大抵のものではない。すなわち、建築家たちはいかに光を取り入れ、活かすかにかけているかに見える。そして⇒
ヴェネツィア
2025/11/20 07:58

⇒その結果、生まれてきた建物群がここには多数登場する。光との親和性において、教会堂こそはまさにその必要性を満たす。「エンホイ教会」(ヘニング・ラーセン/1994/デンマーク)、「テンペリアウキオ教会」(ティモ&ドゥオモ・スオマライネン/1969/ヘルシンキ)など、もうキリがないくらいである。これまで、北欧に行く機会がなかったが、こうした教会群を見に行きたいものだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
かつて丸善丸の内本店4階にあった「松丸本舗」。松岡正剛と丸善との共同企画による全く新しい試みである。稀代の読書家にして、編集の創造者、松岡と丸善の資本と余裕のなせる業であっただろう。それにしても、凄まじいばかりの本の群れである。まず、その量に圧倒される。守備範疇の広さにも、質の高さにも驚かされる。そして、自分のこれまでの読書を振り返ることになるのだが、明らかに見劣りがするのは、中国美術と仏教関連書だ。じゃあ、それ以外なら戦えるのか、と言えばそんなことはないのだけれど。しかも、今からでは、ここに掲げられた⇒
ヴェネツィア
2025/11/28 09:13

玄趣亭さん、敦賀の「ちえなみき」ですか。それは興味深いです。敦賀にはなかなか行く機会がありません。これまでにも、わずか0.5度。というのも、小樽に行くフェリーに乗るために立ち寄っただけでした。旅行がてら行ってみたいものです。

ヴェネツィア
2025/11/28 09:15

ホームズさん、やはり東京はなにかと多様ですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
設計者のヴォイジーは、アーツ・アンド・クラフツ運動のイギリス人建築家の中心人物。ここに見られる「ホームステッド」は典型的なカントリー・ハウスなのだが、発注者は独身男性であった。それにしては、広壮な邸であるが、もっぱら週末に3、4人の客をもてなすために建てられたようだ。施工は1905〜6年、場所はフリントン・オン・シー(エセックス州)である。外観は白く塗られ、シンプルな様相だが、小石打ち込み仕上げのラフ・キャストの外壁に覆われ、黒いスレート屋根や茶色で縁取られた窓枠との対比が美しい。ただ、全体はあくまでも⇒
ヴェネツィア
2025/11/19 16:16

⇒控えめな印象で、強く個性を前面に出すものではない。内装もイングランド風の質実剛健だが、随所に配された木材が温もりとアクセントとを与えている。こんな家に住みたいものだと思わせる家である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の石黒敬七氏は1897年生まれの柔道家。渡欧し、各国で柔道を教える。最終的には十段。また、第二次大戦後は、NHKのとんち教室のレギュラーとして人気を博した。なんだか多彩な人なのだが、こうした幕末写真のコレクターとしても名高い。このコレクションだが、実に貴重な写真が多数。体系性こそないが、その代わり市井の写真や色街の写真など期せずして集められたものの持つリアリティは得難いもの。ほとんどは人物を撮ったものであり、たまたま写り込んだもの以外は風景の写真は少ない。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『タウリケーのイーピゲネイア』のみの感想。なにかと特徴的な劇である。まず、悲劇ということになってはいるものの、この劇そのものはヒロインのイーピゲネイアをはじめ、弟のオレステース、そして義弟のピュラデースともに、女神アテーナーの導きで、無事にタウロイの地からアテーナイに帰還する。ただ、この劇の幕が開く以前の状況は、とりわけイーピゲネイアにとっては極めて悲劇的な状況にあった。その意味では、オレステースによるイーピゲネイアの救出劇であるとも言える。また、もう1つの特徴としては、劇の舞台がバルバロイ⇒
ヴェネツィア
2025/11/19 11:07

⇒の地、タウロイに置かれていることである。このタウロイは、現在のクリミア半島南西部あたりであるらしく、ここはタウロイ人の地であり、ギリシア世界からは野蛮この上ないところだと認識されていたようだ。なお、この劇では「アイアイ」、「イオー」、「オイモイ」、「ペウペウ」などの感嘆詞が頻出するが、独特な感情表現として異彩を放つとともに、それは我々の感情移入をも誘う。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
イラストレーターの黒沢充夫氏と写真家の中田昭氏による、鳥瞰図の描き方を解説したもの。鳥瞰図とはどんなものか、から始まるが、全体の中核部分を成すのは、三角定規とコンパスを使った作図法。一般的には小学校高学年以上、もしくは中学生向きか。ただ、作図は実に懇切丁寧に解説が加えられており、こんな絵が描けたらいいな、の思いをあるいは実現できるかも。表紙は、そんな風に描いたフランス(ブルゴーニュ地方?)の民家の鳥瞰図。1450年頃に描かれたフィレンツェや、狩野永徳の『上杉本洛中洛外屏風』(祇園祭の様子が描かれている)⇒
ヴェネツィア
2025/11/19 07:46

⇒など歴史的な鳥瞰図も掲載されていて、実際に作図を試みなくても大いに楽しめる。絵心があって、幾何が得意ならぜひ鳥瞰図を試してみたいところ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
監竹内誠氏(江戸東京博物館館長)の監修、市川寛明氏(江戸東京博物館学芸員)の編。簡便ながら実によくできている。いずれの図も分かりやすく、いわば一目瞭然で理解できるように配慮がなされている。ただ全体としては経済が中心であり文化的側面は、やや弱いか。第4章は「レジャーと文化」に充てられてはいるが、それとても経済が基軸になっていたりする始末。おそらく、編者の好みと関心がそこにあったのだろうと思われる。もっとも、それらも江戸文化の下部構造を支えていたのであるから、逆にこのような視点の資料集が存在することは⇒
ヴェネツィア
2025/11/18 15:49

⇒なんともありがたいことである。巻末に、これも簡便ながら参考文献が挙げられているので(これらもまた文化はやや弱い)、さらなる探求もできる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
三浦しをんの小説は、これでほぼ全て読んだのではないかと思うが、私の中での本作の序列は限りなく低い。2019年11月〜2020年6月までの連載なので、初期の習作というわけでもない。しいて分類するなら、YA小説ということになるのだろうか。どうも書く側に、これを書くのだという強い情動が欠けているように思われる。なお、連載誌は「小説推理」のようだが、こんなのでよかったのだろうか。博物館での逮捕劇も、取ってつけたような感じだし、怜の出生の秘密と、町を上げての「危機管理グループ」なる存在も仰々しいばかりで⇒
ヴェネツィア
2025/11/18 15:19

⇒小説的発展を持つことはできなかった。タイトルにしても、これ自体はいいのだが、物語の中での意味づけは、これまた最後に申し訳程度に語られる。もし、最初に読んだのがこの作品だったら、それっきりになっていたかも知れない。

ヴェネツィア
2025/11/18 15:22

他の方たちの感想を読んでみると、なかなか評価が高いようだが、作家ご本人ははたして満足しているだろうか。私はしてないように思うのだが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
現在の私たちが見るパリは、19世紀半ばにナポレオン3世の治世下に行われたオスマン(セーヌ県知事)の大改造以降のものである。もちろん、市壁もない。バルザックの描いたパリは、もはや過去の幻想の彼方である。本書はパリの歴史を先史時代から今にいたるまでたどる試みである。ジャン=ロベール・ピット(ソルボンヌ大学地理学教授)を責任編集者に、ソルボンヌの教授陣を揃えた豪華な執筆者たちが並ぶ。漫然と読むなら、パリの歴史の流れをたどることになるし、特定の時代に着目するなら、その時代がよくわかる構成になっている。⇒
ヴェネツィア
2025/11/18 07:21

⇒随所に地図(中には想像図も)があるが、最も注目に値するのは、1552年製作の「トゥリュシェとオワイヨの地図」(通称バーゼルの地図)だろう。精密な鳥瞰図で、シテ島とそこに架かる橋やノートルダム寺院などが鮮やかに見て取れる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
文の松沢哲郎氏は、京都大学霊長類研究所教授で、「アイ・プロジェクト」のリーダーを務めた人。絵の薮内正幸氏は、絵本画家。チンパンジーの生態からはじまり、彼らが持っている能力について語る。また、赤ちゃんチンパンジーの成育の様子から人間との近接点を見いだしていく。そして、いよいよ「アイ・プロジェクト」である。チンパンジーたちに図形文字を教え、特殊なタイプライターを用いて、習熟度を測っていくのである。物を表す文字と、色を表す文字である。結果はかつてNHKの特別番組などで報じられたように、実に驚くべきものであった。
ヴェネツィア
2025/11/18 07:00

その間に集団就職脱走事件などもあったが、その際の行動(残念ながらけが人がでてしまったが)を見ると、教えられたことだけではなく、自らの創意工夫が随所に見られたのである。研究が始まって6年半後、「運動場のいちばん高いところにある柱のてっぺんに腰かけて、アイは遠くをながめています」との記述とともに寂しげなアイの絵があるが、これがなんともいい。語りも絵も。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
1889年のパリ万国博覧会は、フランス革命の100周年を記念するものでもあったが、建築史の上でも、実にエポック・メーキングなものであった。まず、何よりも人々の目を驚かせたのが、あのエッフェル塔である。設計者はもちろんギュスターヴ・エッフェル。当時の知識人たちの間では悪評紛々。あんな醜悪なものは絶対に見たくないと言われたのである。シックなパリの街に、鉄骨の固まりが屹立したのであるから、知識人のみならず、人々が驚いたのも無理もない。そして、そのすぐ近く、アンヴァリッドに建てられたのが、この「機械館」で⇒
masa
2025/11/17 18:10

そういえば太陽の塔もなにがなんだかわからないと不評だったらしいですね。しかし、今や大阪万博のシンボルになっていると。同じように、エッフェル塔と凱旋門はフランスの象徴ですものね。人間の美意識や常識なんてものは、ある程度の時間が経ってみないとわからないもんです。

ヴェネツィア
2025/11/17 19:52

masaさん、そういうことでしょうね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
川上未映子さんの3冊目のエッセイ集。かなり色々な媒体に書いたエッセイを集めたもの。36歳の川上未映子さんが身近にいてライブに語りかけてくるような文体。彼女のエッセイの人気の一端がこんなところにあるように思われる。語りの内容は、彼女の卑近な日常の報告なのだが、それがまた等身大の彼女を語るようで、これもまた人気の秘密の一つ。話体と文章体(とはいっても話体に近い)を巧みに織り交ぜた語りを読んでいると、いつの間にか川上未映子ワールド(ただし物語世界のそれではなく、彼女の語る日常のそれ)にはまり込んでいる。
ヴェネツィア
2025/11/17 12:16

題材が作家という、いわば特殊な状況ではなく(中にはそういうものもあるが)日常であるだけに、共感する題材や嗜好(志向)も多々ありそうだ。この独特の語りの嫌いな人はともかく、エッセイストとしても上々の上手さを堪能できる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
監修者の永江朗氏は、「宝島」などの編集者を経て、フリーライターに。実際に本の選定にあたったのは、WAVE出版の編集部なのだろうか。誰が選んだとしても、何故これが選ばれてあれが選に漏れるのか、との不満は避けられないだろうが、ともかくも選ばれた近代以降の109冊。近代篇の巻頭を飾るのは、サミュエル・スマイルズの『西国立志編』。これが明治期最大のベストセラーだという。そうだったのか、未読。読んでみなければなるまい。そして、やはり明治の翻訳ブームの立役者となったのがジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』。⇒
ヴェネツィア
2025/11/17 08:08

⇒これはさすがに既読。日本の近代小説の幕開けに比定されているのが二葉亭四迷の『浮雲』。ここから、鷗外の『舞姫』をはじめ、名高い小説作品が続く。概ねは既読。小説以外で目を引くのは、雑誌『青鞜』と『明星』か。これ以降は大正、昭和(戦前)、(戦後)と続くが、やはりどうしても何故これがない、の思いだ。最もそう思うのは、小田実の『なんでも見てやろう』は当然の入選として、沢木耕太郎の『深夜特急』がないことか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
おざわとしお・再話、赤羽末吉・絵。『うぐいすの里』等との類話。ここでも、お話の最も重要なポイントとなるのは「見るなの禁」。この禁忌が課され、それを破ってしまう物語や昔話は多い。よく知られたところでは、『浦島太郎』の玉手箱。海外なら『青髭』が名高いだろう。この禁忌は必ず破られるのであり、その結果は多くの場合、主人公に不幸をもたらす。本篇では、元に戻るだけであるから、不幸というわけではないが。また、もう1つの特徴は、12の部屋のそれぞれが、各月を表出していること。この原型は、王朝期の「四方四季の庭」だろう。⇒
ヴェネツィア
2025/11/17 08:46

Blue Hawaiiさん、励ましのお言葉をいただきありがとうございます。

ヴェネツィア
2025/11/17 08:49

踊るらいぶらりあんさん、ご教示ありがとうございます。どうやらそのようですね。参考文献まで附してくださり、大感謝!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は大正13(1924)年である。その斬新さに慄く。冒頭の「私は透明な秋の薄暮の中に堕ちる」に、いきなり富永の詩(散文詩)の世界に引き込まれる。この「堕ちる」が曲者なのである。もっとも、同時に寂蓮の「霞に落つる宇治の柴舟」(春の歌だが)の幽玄な世界を連想しもしたのだが。富永の詩では、よりダイレクトに深淵に堕ちるのだろう。「幻の女」に重ねて、自分自身の存在の不安を歌うが、その階調は存外に決然としている。全く違うことを承知で言うのだが、この詩の世界はランボーのそれに重なるようにも思う。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
古民家を改築・改装して住むのはたしかに魅力的ではある。ただし、そうするには相当にお金がかかりそうだし、ある程度の不便も許容しなければならないかもしれない。そこで、今回の巻末特集の「古民家の食事処」があらためて注目されることになる。これなら、出費も十分に許容範囲だ。不便なことがあったとしても、それもまた風情として楽しめる。しかも据え膳が用意されていて、美味しい。まずは、世田谷区尾山台の「鮟鱇や」。ミニ懐石と日本酒を堪能したい。次いでは大阪市北区中崎町の「可真人」。ここは鶏料理とお酒。囲炉裏もあって雰囲気も⇒
ヴェネツィア
2025/11/16 16:22

⇒良さそうだ。さらには富里市(千葉県)の蕎麦処「五郎右衛門」。山形産の手打ち蕎麦である。建物は築百年とか。ここも本格的な囲炉裏がある。最後は能勢町(大阪府)の日本料理「かわすみ」。ここは、門も本宅も本格的な茅葺きである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
第60回(2023年度)文藝賞優秀作受賞。作者の図野象(ずの しょう)は、1988年大阪生まれのようだが、それ以外の情報はなく、男か女かさえもわからない。小説は、女性(25歳)の一人称語りなのだが、だからといって女性作家であるとは限らない。文体、内容ともに新進作家らしさに溢れている。語りは、けっしてぎこちなくはないが(むしろ、書き慣れた風でもある)、一方斬新さがあるわけでもない。世界観は、極めて刹那的である。それは、主人公の美帆の生き方ばかりではなく、登場人物のすべてに多かれ少なかれあてはまる人生観⇒
ヴェネツィア
2025/11/16 16:00

⇒でもある。少なくても美帆は一貫して生きることの意味を喪失しているし、そんな彼女にとって、現世との繋がりはセックスと浪費だけなのだ。さらには、彼女にもう一つ不足しているのは、自己決定する力である。こうしたものが今どきの若者たちの共通項の一つであるのかもしれないが、それを描いた小説としては、インパクトが薄いか。否、むしろそうであることこそがこの作家の方法であるのかも知れない。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
渡辺茂男・文、赤羽末吉・絵。カミナリとおヘソにまつわる民話風のお話だが、どうやらオリジナルのよう。説得力もあって、読み聞かせなら、子どもたちも大いに喜びそうだ。本は縦サイズになっていて、これはカミナリのいる空と地上との高低差を楽しむため。赤羽末吉の絵も冴える。今回は、やや滲みのある水彩画で柔らかなタッチだ。ところで、「へそもち」だが、静岡県の伝統的な月見団子であるらしい。伝承では、家康由来のものとか。
水の都
2025/11/18 21:24

突然ですが、この絵本、直に手に取ってみたくなりました。

ヴェネツィア
2025/11/21 11:06

水の都さん、図書館にあるといいですね。ぜひ手に取ってみてください。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
1927年1月の日付が巻末にある。宮本百合子27歳の時のエッセイ。なお、同年の12月に百合子はソ連に向かっている。本篇は日記風の断片エッセイだが、表題の「金色の秋の暮」を背負うのは、九品仏(浄真寺)での場面であろう。ここは現在では紅葉の名所のようだが、当時は「ほとやど廃寺に等しい」有り様だったようだ。百合子は、その境内の様子を「大銀杏の梢にだけ夕日が燃ゆる金色に閃いている」と描き、「いかにも関東の古寺らしく、大まかに寂び廃れた趣きよし」と評するのである。なんとも男性的な表現というべきか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『心中天網島』のみの感想。近松世話浄瑠璃の二十二曲目。この後には『女殺油地獄』と『心中宵庚申』を残すのみ。亨保五(1720)年十月十四日の事件に取材、同年十二月六日初日で竹本座で初演。事件後わずか2カ月足らず、典型的な際物であった。近松の世話浄瑠璃、全二十四曲中の最高傑作とする研究者がほとんど。それも全く無理からぬところである。なにしろ、この劇には敵役が存在しないのである。遊女の小春も、妻のおさんも、兄の孫右衛門も、誰もが治兵衛を死なせまいとしていたのである。にも関わらず、治兵衛は死ぬ。もちろん心中死⇒
ヴェネツィア
2025/11/15 15:49

⇒てある。上之巻では、小春の愛想尽かしが描かれるが、彼女はおさんの手紙に感じ入って(なぜなら遊女の自分をおさんが対等な者として扱ってくれたからである)愛する治兵衛を思い切る。それは、小春にとっては自己存在の否定を意味していた。中之巻では、おさんが全てを投げうって小春を身請けしようとする。なぜなら、そうしなければ小春は一人で死を選ばなければならなくなるからである。しかし、それをすることは、おさんの存在の自己否定に他ならなかった。下之巻は、もはやどうにもならなくなった治兵衛と小春の道行き、そして心中死。⇒

ヴェネツィア
2025/11/15 15:55

⇒この劇が優れている、もう一つの点は、上之巻では、そこに登場しないおさんが、そして中之巻では、やはりそこには登場しない小春がその影にいて、互いの行為を決定づけることである。ほぼあらゆる意味において、最高傑作の名に恥じない作品である。なお、篠田正浩の演出のATG映画(主演は中村吉右衛門と岩下志麻=なんと、小春とおさんの二役を見事に演じ分ける)があるが、原作にかなり忠実であり、映画としての出来もいい。ともにお薦め。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
茨木のり子51歳の詩集(1977年花神社) 。巻頭の詩『詩集と刺繍』を開くなり、ああ茨木のり子だと嬉しくもなり、安心もする。「二つのししゅうの共通点は 共にこれ 天下に隠れもなき無用の長物」―このキッパリとした語調。これが茨木のり子だ。表題作『自分の感受性くらい』は、各聯の「友人のせいにするな」、「近親のせいにするな」、「暮しのせいにするな」、「時代のせいにはするな」の禁止命令形が力強い。『二人の左官屋』は、一転して軽妙な味わい。「十八世紀 チャイコフスキーが旅してたとき」の転が見事。連句の転を思わせる。
ヴェネツィア
2025/11/15 20:06

Himekoさん、茨木のり子は若い時からずっといいです。51歳の彼女もとっても魅力的です。

Himeko is not cat
2025/11/15 21:56

のり子さんの若い時の作品も読んでみます😊 なんで共読に上がってこないのかなと思ったら、違う版でした(笑)

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ヴェネツィア
石井桃子・再話、赤羽末吉・絵。よく知られた民話。源流を『宇治拾遺物語』に求める説もあるが、何とも言えないところ。ただ、いずれにしても全国に流布し、したがって地域によるヴァリエーションも多い。ここでも、私の知っているお話とは幾分違っていて、「うしあらいどん」と「うまあらいどん」の手伝いをして、すずめのお宿を教えてもらうというのは初めて聞いた。また、おばあさんが手に入れた大きなつづらから出てくるのは、私の知るお話では泥やガラクタだが、ここでは大きなヘビとヒキガエル。全国の民話を調査すれば(もう誰かがして⇒
ヴェネツィア
2025/11/15 07:35

⇒そうだが)、かなりいろいろなヴァリエーションが楽しめそうだ。赤羽末吉の絵は、今回も絶妙。シンプルな墨線で描かれているが、二人の表情が(ことにおばあさんの)何とも言えない味わいである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
秋雨をめぐる5篇のショート・エッセイ。最初の1篇は松茸を求めて山に入った時のもの。「幽かな音」、「咲き遅れた桔梗の紫」、「青苔を草履で踏む毎に、くすぐつたい感触」と、五感の全てで感じる秋である。2篇目は、初秋。「時雨のやうに冷い細雨がしとしとと降つていた」―しとしとのオノマトペは普通のものだが、やはり初秋の抒情がそこはかとなく漂う。3篇は、冠木門のある山の手の家の前での雨宿りのエピソード。カンナの色彩、そして窓に現れた印度人が雨との対比で、いとも鮮やかな印象を残す。結びは震災の年の「わびしい哀れな光景」⇒
ヴェネツィア
2025/11/14 16:00

⇒で閉じられる。この1篇に限らず「あはれ」の表象が全体を覆うか。まことに秋雨に相応しい情景である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
夏川草介といえば、医療小説という固定観念を持っていたが、本作は全く別系統のもの。本と猫にまつわるファンタジーである。軸となる4つの物語を間に挟んで、序章と終章を持つ構成。4つの章は、それぞれに猫から課されたミッションを主人公の林太郎が解決していくというもの。そして、その難題の解決はすなわち、林太郎の成長と自立を促すものであった。林太郎は、つい先日亡くなった祖父が営んでいた古書店、夏木書店を図らずも継承することになる。その林太郎もまた、本を愛することにかけては誰にも劣らない。そして難題は、すべからく本の⇒
drago @地震対応中。
2025/11/14 16:19

夏川氏の医療小説は大好物なのですが、この本は全くダメでしたね。(^^;

ヴェネツィア
2025/11/14 18:07

dragoさん、私も期待値を下回りました。言いたいことをそのまま言うのでは、小説としての価値が生まれません。

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ヴェネツィア
著者の奥村彪生氏は伝承料理研究家。この第1巻は「いろいろごはん」を集めている。炊き込みごはんも、全国にたくさんの種類があるが、よく知られたところでは、東京の「深川飯」や、瀬戸内海沿岸の各地にある「タコ飯」。ちょっと変わったところでは、岐阜の「へぼ(蜂の子)飯」や鯛が丸々一匹入った「鯛めし」(広島とあるが、私の印象では愛媛)。おこわもまた各地に様々なものが。兵庫の「白蒸し」は初めて見た。後半は米食についての、いくつかのトピックスを扱う。例えば「お米はいつ、どこからやって来たの?」や「日本の朝ごはんマップ」。
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ヴェネツィア
松居 直・再話、赤羽末吉・絵。元のお話は民話なのだが、どうやら日本のものではなく、ノルウェーに伝わる伝承ほかヨーロッパ起源のもののようだ。「秘された名前を言い当てる」ということで、私が真っ先に思い浮かべるのは、プッチーニの「トゥーランドット」である。これもまた、お話の源流は『千夜一夜物語』あたりに求められている。赤羽末吉の絵はいつもながら素晴らしい。日本民話のスタイルをとっているのだが、鬼はグローバルな個性を持っていそうだ。一方の大工は、常時気難しそうな顔つきであり、そのとっつきにくさがまた愛敬か。
猫森
2025/11/14 10:48

こんにちは。イギリスにも『トム・ティット・トット』という名前当て話があります。自分で名乗る分には何もないのだけれど「他人に言われる」のがミソなのかもしれませんね。

ヴェネツィア
2025/11/14 11:24

猫森さん、グリム童話にも類話がいるようで、ヨーロッパ各地に見られるみたいです。日本の民話では珍しそうですが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
東に蝦夷富士(羊蹄山)、西にニセコアン岳(ニセコアンヌプリ)を擁した地。有島が立っているのは、そんな広大な風景のただ中である。時刻は秋の夕方から翌日の朝までである。ポプラ、林檎、馬鈴薯などが点景をなし、本州とは違った秋の風情を、半ば荒涼とした広がりの中に展開する。空気は冷たく、清澄である。それは日本の秋の景というよりは、大陸の―そう、例えばバーモントあたりの秋は、こんな風であろうかと思いもする。「あの静かな寂しい夕方が又來るのだ。かうして北國の聖なる秋は更けて行く」まさに絶妙の結びである。
秋
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者のリシャット・ムラギルディンは、ロシア建築家協会会員、日本建築学会会員(交換留学で来日)。これは、とんでもない労作である。調査に費やした時間(なにしろ、あの広大なロシアである)、執筆・編集にかけた時間、いずれも並大抵のものではなかっただろう。翻訳者の高橋純平氏もまた。とにかく、本書は、ロシア建築の集大成ともいうべきもの。様式もまた頗る変化に富んでいる。オールド・ロシア、バロック、ロシア・クラシシズム、折衷、ネオ・ロシア、ロシア・モダン、構成主義、スターリン・アンピール、ソヴィエト・スタイル、ポスト・⇒
ヴェネツィア
2025/11/14 18:19

コットンさん、図書館にあるといいですね。

コットン
2025/11/14 18:50

無事、図書館にありました〜♪

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
それぞれの分野で活躍する、4人の若手先端学者たちが語る今とこれから。成田悠輔の奔放さと投げやりさ(これこそがこの人の流儀)にはいささか翻弄されるし、猫に仕える未来像などと煙に巻かれたままに終わる。次の斎藤幸平は最も論理的で体系的にマルクシズムの本質を語る。最も着実な未来像か。一方、3人目の小島武仁は、先の齋藤とは対照的な新自由主義的な社会像を提示する。彼は社会の根本的なあり様を語るのではなく、テクニカルなマッチング理論を武器に、よりマシな幸福の追求を模索するようだ。そして、最後の内田舞は、他の3人が⇒
ヴェネツィア
2025/11/13 10:46

⇒経済学をベースにしていた(そうはいっても、そうとうに違うのだが)のに対して、子どもの精神医学の研究者である。したがって、彼女が語るのは今である。また、女性研究者のロール・モデル像を自ら体現する存在でもある。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『風の谷のナウシカ』から『かぐや姫の物語』まで、ジブリ・アニメの紹介本、というよりは回想本。『ナウシカ』などは、フムフムそうだったな、と懐かしいが、視聴していない近作の2つ、『コクリコ坂から』と『かぐや姫』には、そうした思い出や思い入れがないので、あまり感慨が湧いてこない。しかも、『コクリコ』はまだしもジブリらしいが、『かぐや姫』は『ホーホケキョとなりの山田くん』ほどではないにしても、ジブリ感が極めて薄い。それ以外は、いずれも捨てがたい魅力に溢れるが、内容を採れば『ナウシカ』、アニメの完成度からは⇒
fragro
2025/11/14 16:51

ナウシカ、いいですね☺️映画館で観ました。カリ城もいまだに細かい演出がシビれます。他方、コクリコ、たまに耳にする思想的な偏向は皆無で、高校生による部室棟の保全がいいハナシです。スポンサーまで駆け上がっていく行動力。倜儻不羈な学生気質が大好物なので特にお気に入りです。課金されずにご覧になれる機会あれば是非😄

ヴェネツィア
2025/11/15 12:01

fragroさん、私は『コクリコ』は未視聴です。機会があれば、見てみたいものです。

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ヴェネツィア
ネタバレ物語が上巻のまま順風満帆に推移するとも思わなかったが、アンドルウのそれまでの造型からして、こんな風な転機が用意されているとは思わなかった。しかし、思えばアンドルウもまた聖人君子でない以上、それはあり得た転換であったとも言えるだろう。アンドルウの成功への意志はなかなかに強固であったし、従ってクリスティンの苦悩は長く続くことになる。だが、改心の契機となる事件はアンドルウにとっても、私たち読者にとっても辛いものであった。その後のアンドルウとクリスティンの希望は、明るい光明を見せるが、暗転もまた予想されることで⇒
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『拾遺詩篇』に収録の一篇。初読の印象では、七・五調の定型を基本とするところから(何か所かは自由律)、『氷島』以降の作品かと思ったが、大正2年とあるので、初期の詩篇であるようだ。見慣れない言葉が二つ。一つは「時無草」。これは、室生犀星(朔太郎の盟友)の詩の一篇にあり、どうやら犀星の造語であるようだ。もう一つが「燕雀」だが、こちらの出典は司馬遷の『史記』。いずれも、朔太郎のこの詩に漂う硬質な抒情を支える言葉だ。詠い出しは、藤村の『千曲川旅情の歌』を思わせないでもないが、後段の「見よや空には銀いろのつめたさ⇒
ヴェネツィア
2025/11/12 16:38

⇒ひろごれり」の表現などは、『月に吠える』を想起させもする。

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ヴェネツィア
シリーズ第3巻は島崎藤村。鷗外、漱石と続いたので芥川かと思ったが、藤村だった。藤村は漱石よりも5歳下の1872年の生まれである。本書は巻頭に「島崎藤村文学へのいざない」を置くが、その中では、『若菜集』ではなく、『夜明け前』が筆頭に挙げられている。藤村を詩人と見るか、小説家と見るかによるのだろうが、どうやら本書の編者は小説家藤村に重きを置いたようだ。小説の代表作ということになれば、やはり『夜明け前』だろう。『若菜集』が藤村のデビュー作で、1897年。『夜明け前』の完成は1935年である。晩年の集大成と⇒
ヴェネツィア
2025/11/12 13:16

⇒いったところであったか。なお、島崎藤村文学紀行「望郷と市井の人」は、山室静が思い出を交えたエッセイとしてしたためている。

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ヴェネツィア
あいはら ひろゆき・文、あだち なみ・絵。ぜんぶで12ひきいる、くまのがっこうのくまのこたち。おんなのこは、12番目のジャッキー1人だけ。運動会に向けて一生懸命に練習したジャッキー。その結果は…というお話。主人公のジャッキーや、くまたちが登場するのだけど、お話は人間の子どもそのもの。絵は、輪郭線がはっきり、くっきりとして、ぬいぐるみのくまを連想させる。この2人のコンビネーションで、「くまのがっこう」シリーズがかなりの点数刊行されているようだ。人気シリーズだと思われるが、私にはその人気の理由がわからない。
ヴェネツィア
2025/11/12 08:03

今、各地に熊が出没して被害も出ているが、絵本の世界ではクマは大人気。現実には恐ろしい動物なのだが、役割はオオカミとは全く違っている。それは、あの体型のユーモラスさに負うところだろうか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
冒頭で朔太郎は「四季を通じて、私は秋という季節が一番好きである」と言う。日本の叙抒情文学の伝統に鑑みても、新古今三夕の歌に見られるように、秋はことのほか歌人や詩人たちに愛でられてきた。朔太郎も、そうした伝統に…と思いきや、「快適で」、「人間の生活環境に適している」からという何とも即物的な理由からであった。次のパラグラフでは、そうした快適な気候のもとでの散歩(朔太郎は漫歩という)が、彼の日常である。「行く先の目的もなく方角もなく、失神者のようにうろうろと歩き廻っている」のだそうだ。これではまた、徘徊⇒
ヴェネツィア
2025/11/11 15:52

⇒みたいなのだが、瞑想に耽りながら歩く「瞑歩」だと朔太郎は言う。本所深川、浅草、麻布、赤坂。また時には碑文谷、武蔵小山、戸越銀座などの知らない町を歩く…それは確かに一つの優れた瞑想法であろうと思う。しかも、時として、何か発見もあるかもしれないではないか。

ヴェネツィア
2025/11/11 15:53

朔太郎における時間と空間との超越は、そんなところから生まれてくるのだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この「クリスタル・パレス」は、1851年のロンドン万国博覧会において、ハイド・パークに建てられ、会期の終了後に移築されたが、焼失。ただ、幸いにも当時はまだ新しかった写真術のお陰で、何枚かの写真が残されているし、なによりもディキンソンのリトグラフが多数残っており、往時の華やかな様を如実に見ることができる。設計者はジョセフ・パクストンとチャールズ・フォックスである。鉄骨に支えられた総ガラス張りの「クリスタル・パレス」がこの博覧会の建築物の中では白眉であった。当時の技術水準からしても、おそらくは最先端⇒
MioCastello
2025/11/11 17:31

サッカー日本代表の鎌田大地が現在所属するプレミアリーグのチーム名の由来となった建物ですね?イングランドの人々にとっては大事な建物みたいですね。再建された建物が焼失した時、当時の首相ウィンストン・チャーチルが「イングランドの心が燃えてしまった」と嘆いたとか嘆かなかったとか。

ヴェネツィア
2025/11/11 17:48

MioCastelloさん、サッカーチームのことは全く知らなかったのですが、そういう名前のチームがあるのですね。また、消失については私の誤解もありましたので、表現を訂正いたしました。どうもありがとうございました。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
物語の舞台となったのは、第一次大戦後のウェールズの鉱山町。前半が小さな町のブレネリー、後半は映画館や音楽ホールもある町、アレベラロウである。奨学金のお陰で、かろうじて大学を卒業したばかりのアンドルウの医師としての成長を描く。アンドルウは生真面目な硬骨漢として造型されるが、それはまさにスコットランド人気質ということか。代理医としての限界と苦労の傍ら、彼は恋をし伴侶を得るが、そのあたりがこの上巻のハイライトだろう。また、彼はこれも苦労の末に、王立医学会会員と医学博士の称号を得る。上巻の最後はアベラロウを離れ⇒
宵待草
2025/11/11 09:12

ヴェネツィアさん こんにちは! 此の本は再読をして来た本の一冊です。 若き日に医師の友人から、薦められて読み、主人公の医師:アンドルーの、生き様に感動したものです。 友人は立派な医師に成りました!🍀 暫し想い出を懐古しました!✨ 掲載!&レビュー!に感謝です!💫 何時も、有り難うございます!🙋 宵待草

ヴェネツィア
2025/11/11 11:09

宵待草さん、私は夏川草介の新訳でこの本の存在を知りました。図書館で探して、旧訳を読むことにしました。クローニンは実に久しぶりです。

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ヴェネツィア
おざわとしお・再話、赤羽末吉・絵。お話は、よく知られたものだが、各場面がいくぶん詳しく語られているだろうか。日本のこの類の民話にしては、かなり残酷である。タヌキに対する復讐は(ウサギが爺の肩代わりをするのだが)ともかく、「ばあじる」を殺したタヌキが食うばかりか、おじいさんにまで食べさせるというところは他を凌駕する表現である。よく知られるようにグリム童話などは、かなり残酷な場面が見られるのだが、日本の民話はそれに比して万事におとなしいという印象であったが、あるいはそれもまた明治期に巖谷小波等が柔らかく改編⇒
ヴェネツィア
2025/11/11 07:03

⇒したものであったのか。ただし、近代以前の「かちかちやま」の資料は見たことがない。ちなみに、日本の民話で最も古くまで来歴をたどれるのは「浦島太郎」である。赤羽末吉の絵は、いつもながら秀逸。民話の感じを巧みに伝えている。さすがに、ばあさま殺害のシーンを描くことはなかったが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和14(1939)年8月「新潮」 。太宰30歳。文体は、一応は客観体で笠井一を描くのだが、それと笠井一自身の一人称体とが混交する。なお、笠井一は『狂言の神』にも登場するが、実在の人物であるとは思えない。太宰が仮託した第三者なのではないだろうか。ここで描かれる笠井は、かつてはそうではなかったらしいのだが、今では徹底した俗物である。気位だけは有しているのであるが、現実は笠井の俗物性を証すばかりである。冒頭には「諦めよ、わが心、獣の眠りを眠れかし」(C.B)と、なかなかに格調高く始まるのだが。ちなみに⇒
ヴェネツィア
2025/11/10 16:31

⇒このC.Bは、シャルル・ボードレールなのだろうか。もっとも、小説の中身は全くこれとは相容れず、格好の悪いことこの上ないのであったが。そして最後の一文は「笠井さんは、いい作品を書くかも知れぬ」との願望で締められる。

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ヴェネツィア
第1巻は江戸ではなく京都から。まずは、他の本でも何度も見ている「洛中洛外図屏風」から。まるで細密画の如く、実に様々な人々やその風俗を描き分けている。堂上貴族、上・下級の武士たち、商人や庶民の姿、そして街並み、家々の様子も見られる。『京風俗十二月絵巻』には、今も南アジアの男たちの血を熱くする闘鶏が、京の町中の家の庭先で行われている。傾奇者もいれば、猿回しや獅子舞も、また何だかよく分からない門付芸人たちの姿も。この時代の京は、また演劇空間をも構成していた。出雲の阿国が最初に現れたのも京の都。四条河原の⇒
ヴェネツィア
2025/11/10 15:15

⇒小屋掛け芝居も、さらには『都万太夫座屏風』では常設と思しき舞台で踊る若衆たち(能舞台の転用だと思われる)。これを見ていると、幕府の圧政に苦しむなどというイメージからは程遠く、もうほとんど享楽都市である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の長谷川修一氏は旧約学、西アジア考古学専攻の研究者。旧約聖書に描かれていることは全てが史実であるとする、ファンダメンタリストのような人々がいる一方で、あれは単なる物語に過ぎないとする人たちもいるだろう。本書は、旧約聖書の記述を考古学的に跡付ける目的のために書かれたのではなく(そうした学問も存在する)、旧約の時代とはどんなものだったのかを、考古学的な資料に基づいて迫っていこうとするものである。例えば、誰もが知っている「ノアの方舟」と、メソポタミア各地に残る洪水伝説(ギルガメシュ叙事詩等)。あるいは⇒
ヴェネツィア
2025/11/10 07:52

⇒「バベルの塔」とメソポタミアのジッグラトといったものと対照させながら語っていく。軽便な本だが、史料(資料)の図像も多く、分かりやすさを最大限に心がけて執筆・編集されているようだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
内田麟太郎・文、スズキコージ・絵。3つ の物語からなる。もちろん、主人公はすべて「ぶたのぶたじろうさん」。シリーズ化されていて、私の2012年版の段階で全9冊。今はもっとあるかも。いずれにしても、本書が第1巻。この巻の3話は、いずれも古典的な起承転結の構成である。その意味では、やや古さを免れないか。スズキコージの絵は、表紙はカラフルだが、他はすべて影絵。惹きつけるインパクトには欠けそうだが、逆に子どもたちの想像力を飛翔させるかも知れない。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ヴァージニア大学(シャーロッツビル)は、トマス・ジェファーソンが創立したのだが、そのキャンパスと建物の設計も彼自身が行っている。もちろん、ジェファーソンは政治家(第3代アメリカ大統領。アメリカ独立宣言の起草者)であり、建築には素人であった。このキャンパスはモンティチェロと合わせて、現在は世界遺産に登録されている。建物群はいずれもアメリカ南部らしいスタイルの新古典様式で建てられている。最も特徴的なのはロトンダ(1826年竣工)だが、これは1895年の火災で損傷したために、現在のものは再建されたものである。
ヴェネツィア
2025/11/09 16:13

ヴァージニア大学は、南部の名門校として堂々の風格である。卒業生にもロバート・ケネディやエドガー・アラン・ポーなどがいて、現在もアメリカ屈指の州立大学の1つである。こんなところで勉強、あるいは研究してみたいものである。日本にも結構卒業生はいると思う。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の池上俊一氏は東京大学教授で、西洋史学がご専門。本書はイタリア各地の建築(主として宗教建築)をたどるのだが、イタリア一国だけで、実に建築史の全体像を俯瞰できるのである。まずは初期キリスト教建築から。おそらく最も名高いのはラヴェンナのサン・ヴィターレ教会だろう。ローマのサンタ・コスタンツァ教会もペルージャのサン・タンジェロ教会も、いずれもロトンドが特徴的である。続くロマネスクならプーリア州にたくさん残存する。バーリのサン・ニコラ教会やドゥオモ。トラーニやルーヴォビトントのドゥオモなどもそうだ。⇒
silence in my last beginning of me
2025/11/09 15:53

池上俊一先生とはお話したことがあります。ほんの短い時間ですが。お話できて楽しかったです。

ヴェネツィア
2025/11/09 16:33

silence in the spaceさん、この先生ならお話も面白そうです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『大経師昔暦』のみの感想。近松世話浄瑠璃の17曲目。天和2(1683)年の事件を元に正徳5(1715)年に主人公たちの三十三回忌の追善として初演。先行作には西鶴の『好色五人女』巻三「中段に見る暦屋物語」(1686年刊)があり、実際の事件と共に、この作品によるところも多い。意思なき貫通は共通するが、その後の展開、ことにヒロインおさんの行動に大きな違いが見られる。西鶴の描くおさんは決然としているのだが、近松のそれはなんともひ弱である。最大の違いは結末部にあり、西鶴の場合は覚悟の上で処刑されていくのだが、⇒
ヴェネツィア
2025/11/09 08:11

⇒土壇場で東岸和尚を登場させ、二人を出家させるということで救っている。追善興行ゆえのことであろう。しかし、それでは劇として弱いために代わりに殺されたのが下女の玉であった。いわば身代わりの悲劇である。なお、出家云々は西鶴版において、文殊菩薩がおさんの夢枕に立って、そうすれば二人の命は助かると示唆することにヒントを得ていた。もっとも、西鶴ではおさんはこれを自らの意思で拒絶している。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
松居 直・文、赤羽末吉・絵。お話は「ももたろう」に準拠しているが、全体に経緯が詳しく語られている。また、鬼ヶ島から囚われていたお姫様を救出し、ももたろうがそのお姫様と結婚するというのは、民話などにはあまり見られないエピソード。表現の上からは、桃の流れてくる「つんぶく かんぶく」やももたろうの産声「ほおげあっ」など独自のオノマトペが見られる。一方、赤羽末吉の絵は、水彩で描かれていて、構図や図柄も民話風だが、いつもの赤羽に比べると、絵としてのデフォルメが控えめでおとなしい印象を受ける。
ほのぼの
2025/11/09 10:42

初めて読んだ時「つんぶくかんぶく」に驚いたことを思い出しました。独特ですよね。桃が流れる様子とは思えません。私が「どんぶらこっこ」に洗脳されているのでしょうか。😹

ヴェネツィア
2025/11/09 20:07

ほのぼのさん、全国の民話では、このオノマトペはかなりいろいろなものがあります。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
謎の物体(いや、あるいは生命体か)「オドラデク」について語る。冒頭は「オドラデク」がスラブ語由来か、はたまたドイツ語かといった語源考証めいた調子で始まる。次いでは形状についての考察である。そして、そのものの生態に向かうが、そこでは短いながらも対話が可能である。結局のところ、それは何であったのかは最後までわからないところがカフカらしいと言えば、まあそうだ。ただカフカの作品が往々にして持つ不穏な暗さや、焦燥といったものはここにはない。それどころか、なんだか妙に明るくさえある。「オドラデク」とは何の関係もない⇒
ヴェネツィア
2025/11/13 20:27

えかさん、オドラデクは生命体でもあるようですから。

えか
2025/11/13 20:39

階段の隅にあったりするんですよね、たしか🤔。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
基本的には一人称語りなのだが、その語り手が意表を突く。なんと生殖本能がその語り手なのである。生殖本能としては、古今東西、おそらく初めての檜舞台であろう。彼(?)が今回(どうやら、このモノは輪廻転生するらしいのだ)取り憑いたのは、尚成(30代のサラリーマン)であった。そして、この男性は周囲には秘し隠してはいるが、ゲイである。隠さなければならなくなったのは、そうしなければ生きづらいという理由からに他ならない。小説は、この生殖本能の語りを基軸としつつ、尚成のモノローグ、また時には三人称体の会話文から構成され⇒
ヴェネツィア
2025/11/08 16:46

⇒ているのだが、畢竟は生殖本能を合わせ鏡として、性(および生殖)の側から社会を炙り出すことに主眼が置かれているようだ。蘊蓄めいた語りはやや煩雑な気もするが、試みの斬新さを採れば、まずは面白い小説である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
日本各地にある郷土野菜を使ったお料理を紹介する『野菜の郷土料理』。巻頭は石川県の「ふろふきだいこん」。この地で採れる源助大根を用いたものが本来のもののようだ。続いては、埼玉県の「ねぎのぬた」。やはり、名産の深谷ねぎを使う。滋賀県には近江かぶらの「かぶらむし」。珍しいところでは、香川県の「まんばのけんちゃん」。まんばは、当地の高菜のようだ。さらには日向かぼちゃの「日の出南京」。沖縄特産であった「ゴーヤーチャンプルー」は、今では随分広がりを見せている。ユニークなところでは、熊本の「からしれんこん」などがある。
Johnnycake
2025/11/08 11:04

熊本のからしれんこん、懐かしいです。

ヴェネツィア
2025/11/08 13:05

Johnnycakeさん、オーストラリアでは入手が難しそうですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
いわむらかずお・作。12冊ある「14ひき」シリーズの第一作目。シリーズ全体では、世界累計1500万部(国内では750万部)に達するようだ。ただ、本書は第一作目とはいえ、始まりはいきなり引っ越しの開始からなので、幻の既読物語の続きであるかのようだ。すなわち、すんなりと物語の世界に入っていければ、そこはもう私たちにもお馴染みの既知の世界という構造である。これが意図的なものであるとすれば(たぶん、そうだろう)なんとも巧みな手法である。お話はシンプルそのもので、12匹のねずみたちの絵こそが勝負どころだ。絵は⇒
kan
2025/11/08 17:25

栃木にある、いわむらかずお絵本の丘美術館に行ったことがあります。14ひきに会えそうな、丘そのものが美術館という素敵なところでした。いわむらさんにもお目にかかることができました。もし機会がありましたらいらしてみてください。

ヴェネツィア
2025/11/09 10:12

kanさん、それは知りませんでした。それはぜひいつか、行ってみたいものです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和21(1946)年12月、新紀元社刊。太宰37歳。太宰一家(太宰、妻、5歳の長女、2歳の長男)が三鷹の家を焼け出され、甲府にある妻の妹の家に転がり込んでいた頃(昭和二十年四月)を太宰自身と思われる一人称体で語ったもの。内容的には、ここも空襲を受け、焼夷弾で全焼するのだが、当時の太宰にとって一番の懸案であった長女の眼病が平癒したこともあって、全体のトーンは随分と明るい。もっとも、それはこの作品が彼ら全員が生き延びた戦後になって書かれたことがなにより大きいのかもしれないが。この小説の中での太宰は⇒
ヴェネツィア
2025/11/07 16:58

⇒全くと言っていいほどに役立たずなのであるが、それをも卑下したり自虐的になったりすることなく明るい筆致で描き出してゆく。ある意味、太宰の作品には珍しいとさえ言えそうだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレポアロのシリーズ第5作目(長編小説全体では8作目)。タイトルはどうして「ブルートレイン」にしなかったのだろう。「青列車」では違和感があるのだが。ともかく、このブルートレイン(ロンドン発パリ、リヨン経由ニース行き)が事件の現場である。『オリエント急行』もまだ先なので、列車を舞台とした最初の作品ということになるだろうか。今回は怪しげな人物が何人も登場する。ポアロは騙されないが、読者は撹乱されそうだ。実際、事件の真相はポアロの謎解きにいたるまで、私にはさっぱりわからなかった。それでも、キャサリンやミレーユ⇒
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
石垣りんの第一詩集(1959年・書肆ユリイカ)。「私たちの前にあるものは 鍋とお釜と、燃える火と」と、高らかに歌い上げる。権力に飲み込まれることもなく、反戦の志を持って平和を願い、しかもそれは観念的なものに堕することなく、まさしく一人の個人から発せられた言葉が紡がれる。生活詩のように見えるかもしれないが、詩人の感性はそこから発して、高みに飛翔して行く。しかし、けっして高みから見下ろすことはない。時々は「生きる」者のユーモアさえも垣間見せる。深刻な詩である時でさえ、あるいはそんな時であるからこそ⇒
ヴェネツィア
2025/11/07 11:18

⇒例えば「挨拶」の末尾で「一九四五年八月六日の朝 一瞬にして死んだ二五万人の人すべて いま在る あなたの如く 私の如く やすらかに 美しく 油断していた」。こんな風に歌える詩人がいただろうか。推薦!なお、私が読んだのは、二〇〇〇年十月発行の復刊版。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
あべ けんじ・作。「りんご」からはじまって、「ごりら」、「らっぱ」と続いていくお馴染みのしりとりを絵本にしたもの。ユニークなのは、りんごと次のごりらが合体して「りんごりら」に、さらにらっぱが加わって「りんごりらっぱ」。おしまいにはぜーんぶが繋がって、円環になるところ。絵はある意味では単純そうに見えるが、これで表情も(とりわけごりら)変化に富んでいて楽しく、しかも美しい絵だ。読み聞かせの後は、みんなでしりとりお絵描きも楽しめる。絵本としての質も高い。お薦め!
なたた
2025/11/18 09:49

初コメ失礼します。ゴリラの表情の変化!きがつきませんでしたぁ。それ踏まえて読むととても面白いですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和11(1936)年7月「工業大学蔵前新聞」 。太宰27歳。珍しいところに掲載されたエッセイだが、文末で「オ約束ノ三枚」と言っているところからしても依頼原稿なのだろう。また、どういう訳か、これも珍しいカタカナ書きである。その意図するところはよくわからない。また気になるのは、この原稿全体のトーンがなんとも投げやりなこと。太宰のいつもの矜持はわずかに感じられるものの、それにも増して自棄っぱち感が漂うのである。あるいは、引き受けたくなかった原稿を引き受けてしまったのであったか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『エーレクトラー』のみの感想。エーレクトラーはアガメムノーンの娘だが、なかなかに人気のあるキャラクターのようで、古代ギリシアでも、アイスキュロス『オレステイア』(ただし、ここでは弟のオレステイアが主人公)、ソフォクレスの『エーレクトラー』、そしてこの作品がある。近代以降もリヒャルト・シュトラウスの『エレクトラ』をはじめ、いくつもの作品が描かれている。さて、このエウリピデスのものだが、一番の特質は「母親殺し」にあるだろう。彼女の背負う悲劇は、劇の中でよりも、むしろその終幕でのこのことによるのである。⇒
ヴェネツィア
2025/11/06 16:24

⇒そして、そのことの故にエーレクトラーは永遠の罪を背負うことになったのである。なお、「エディプス・コンプレックス」と対比するように「エレクトラ・コンプレックス」が語られたりもするが、そのエレクトラである。

ヴェネツィア
2025/11/06 16:29

ギリシア悲劇の上演のあり方について想像するのだが、これまではついつい近代劇の見方がつきまとっていたようだ。例えば、本作でも最もドラマティックな場面、すなわちオレステースによるアイギストス殺害と、オレステースとエーレクトラーによる母親(クリュタイメーストラー)殺しが直接には描かれることがないのを不思議に思っていた。しかし、どうやらギリシア演劇は劇的であることには重きを置かず、叙事を詩的に朗唱するものだったのだろうと思うようになった。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ベルギーのフランダース地方に残る「ベギナージュ」(1997年ユネスコ世界文化遺産に登録)。ベギナージュの起源は、13世紀にはじまった、女性たちによる半俗の宗教集団。フランダース各地にはいくつもあるようだが、最も代表的なのはルーヴァンのグラン・ベギナージュである。ここは幸いにも、同地にあるカトリック大学が敷地と建物とを一括購入し、大学の施設として保存・活用することで往時の姿を留めることになった。現在は他にも30近いベギナージュが残っているが、荒廃してしまったものも多い。私は残念ながらルーヴァンには⇒
Johnnycake
2025/11/06 10:05

ベギナージュってベギン会の修道院のことなんですね。去年読んだ佐藤亜紀の「喜べ、幸いなる魂よ」で初めてベギン会のことを知って面白いなと思ったのを思い出しました。

ヴェネツィア
2025/11/06 17:04

Johnnycakeさん、修道会とは微妙に違うようなのですが(少なくても本書ではそう述べています)一般にはベギン修道会と理解されているようです。ブルッヘ(ブルージュ)でもガイドブック等では、ベギン修道院でした。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
舟崎克彦・文、味戸ケイコ・絵。全体は詩の形式を取り、一応は詩なのだが、文章は多分に散文に傾斜する。内容的には暗闇から光の救済に向かう幻想を描く。絵もまたこれに呼応するように長い闇を経て曙光から輝かしい光の世界を現出させる。背景世界は幻想的だが、主人公の少女(推定年齢9歳)の表現が、やはり散文的なのは残念である。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和9(1934)年4月「鷭」 。太宰25歳。『晩年』に収録。いくつかの断片が集積される。主人公にも文体にも統一感はない。それは意識的にそうしているのだと思われる。また、所々にアフォリズム風のものや、俳句が入ったりもする構成。篇中の19歳の時に書かれたという「哀蚊」などは、早熟の天才の素養を十分に知らしめるもの。また、随所に死の影がつきまとうのも特徴的か。享受も評価も難しい作品である。
ヴェネツィア
2025/11/05 17:16

冒頭のヴェルレエヌの引用「撰ばれてあることの 恍惚と不安と 二つわれにあり」と、それに続く断章「死のうと思っていた。―中略―夏まで生きていようと思った」は、太宰を象徴するものとして、太宰ファンの間では夙に有名。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この号では、山梨県北杜市の「高根の家」(築150年)の再生を順次写真で詳しく紹介。解体前の外観は、トタン葺きの赤い屋根と、ややくすんだ印象の母屋。ここからスタートして、まずは解体。トタンの下からは古い茅が現れた。続いて嵩揚げ工事。ベタ基礎鉄筋を配筋。傷んだ部材を交換し、ここから本工事が始まる。茅葺き屋根の工事は全て手作業。そうとうに細かい作業だ。軒づけのよしを葺いて、その上に茅を置いていく。棟に杉皮を敷いて、茅葺き屋根の完成。さらに造作木工事へ。断熱材を入れ、床板を張り、左官工事、囲炉裏を造り…完成。
ヴェネツィア
2025/11/05 11:40

ただ完成した古民家を見ると、茅葺き屋根や、白く塗られた壁は美しいが、全体のスタイルは普通の農家に見えてしまう。見る目がないのだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレ『冥途の飛脚』のみの感想。初演は正徳元(1711)年?近松世話浄瑠璃の14作目。飛脚※発祥の地、大坂が舞台。飛脚問屋の婿養子、忠兵衛には、その財力がないにも関わらず遊女の梅川を身請けしようとする。劇の趣向としては瓶水入れを小判に見せかけるところが新奇。「一度は思案二度は不思案三度飛脚。戻れば合せて六道の冥途の飛脚」と、秀逸な詞章で終わる上之巻。中之巻では、とうとう「封印切」である。劇として見れば、ここが最大の山場ということになるだろう。さすれば、下之巻はもはや劇的緊張は続かない。したがって、大和新口村⇒
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
角野栄子・文、佐竹美保・絵。イヌのゴッチと小さな木のキッコ。そこに岩のイワオと小さな沼のイッテキが加わって、みんなで新天地を求めて旅に出る、ロード絵本。テーマは自由であることと、可能性を自ら限定しないことが自由への道であること。最後は案外にも「ふつうの生活」で終わる。でも、それはやっぱりこれまでの生活とは違っている。絵は、絵本の絵というよりは、物語の挿し絵といったタッチのもの。遠近法を駆使した拡がりと、ずっと向こうという感じをうまく表出している。ただし、いささか地味な印象は否めない。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和23(1948)年3月「新潮」 。太宰39歳。出だしはヴァレリーの引用から始まって、それなりの格調を保っていたのだが、すぐに太宰のボヤキ(最初のうちはまだボヤキだ)が始まる。太宰に我慢がならないのが、まずは「老大家」(誰をイメージしているのだろう。川端か)。次いでは、外国文学者(これも名前は出さないが、特定のターゲットはあるのだろう)。洋行といったところで、所詮は田舎者の上京じゃないかと言うのだが、いささか僻みっぽくもある。そして最後は、もう徹底的に嫌いな志賀直哉である。ああ、とうとう実名!
ヴェネツィア
2025/11/04 21:01

あさん、太宰もそう言っています。

あ 
2025/11/04 22:00

太宰と同じ😆大丈夫か私。太宰も大地主の子ですからね。勘当はされても、元は金持ちの子。志賀直哉に対しては近親憎悪もあるんでしょうね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
福音館の「こどものとも」が創刊されたのが1956年。本書は2006年に「50年の歩み」として特別編集されたもの。実にたくさんの絵本が登場する。これを見て(読んで)いると、日本の絵本界は世界でも有数のレベルにあると思われる。優秀な人材が犇めいている。そして、その人たちはそれぞれに極めて個性的だ。つまり、日本の絵本はほんとうに多様な世界を内包しているのである。ここに登場する絵本作家だけを上挙げても、丸木俊子、スズキコージ、安野光雅、五十嵐豊子、赤羽末吉…まだまだ氷山の一角にもならない。いくらでも挙げることが⇒
ヴェネツィア
2025/11/04 14:16

⇒そして、私たちはその人たちの絵を見れば、誰の描いたものかがわかるし、時には物語が彷彿と蘇ってくる。こうした絵本文化を創造し、支え続けてきた福音館にはほんとうに敬意を表する思いである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『トローアデス』(トロイアの女たち)のみ。プロットはいたってわかりやすい。すなわち、ギリシアの軍勢に敗れたトロイアの悲劇を女たちを軸に描いたのがこれである。個々の運命は以下の通り。ヘカベー(トロイア王妃)はオデュッセウスの奴隷となる。カッサンドラーは永遠の乙女でいるはずであったが、アガメムノーンの妾にされる。アンドロマケー(ヘクトールの妃)は、子どもをトロイアの城壁から突き落とされ殺される。そして、その子アステュアナクス。ヘレネー(メネラーオスの妃)については、劇の中でも立場は微妙である。なにしろ、⇒
mitu
2025/11/04 16:37

ヴェネツイアさん、気付くのが遅れて失礼しました。読んでから大分立つので、どの作家か好きだったのかまでは思い出せませんが、たしかに、当時は好きな作家があったように思います。このちくま文庫は大切なお気に入りです。こういう文庫本があることを教えて戴けて、読メは本当に参考になります。ヴェネツイアさんのレヴューでも、いろいろご紹介戴いて色んな世界を覗くきっかけになっています。いつもありがとうございます。

ヴェネツィア
2025/11/04 21:01

mituさん。私も日々、mituさんのつぶやきと感想には注目しています。あの躊躇いのような間合いが何とも言えずいいのです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
東野圭吾・文、よしだ るみ・絵。ひとりぼっちになってしまった少年は、旅人に1本の棒をもらう。それは、クスノキの女神のいる場所に導いてくれる不思議な棒だった。少年は、棒に従ってとうとうクスノキにたどり着く。女神が見せてくれたのは少年の未来だった…というお話。お話の内容はなんだか、牧師の説教みたいだというのが偽りのない印象。直接的には『新約聖書』マタイによる福音書、第6章34節「明日のことを思いわずらうな」の箇所である。絵は、キャンバスにさらっと描かれたもの。油絵なのだが、絵の具を塗り重ねないところが特徴。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年11月「現代文学」 。太宰31歳。今 官一の『海鴎の章』は未読だが、太宰のこの文章からすればパウロが主題化された作品であるようだ。太宰は、ここで同郷の今※の第一作品集を紹介するとともに、パウロの書簡について学んだことを書きたくなったようだ。太宰がとりわけ注目したのが「コリント後書」(新共同訳では「コリント人への第二の手紙」)であり、その12章を引用している。この部分は太宰も言うように、文語訳のせいばかりではなく難解である。周りからは全く理解を得られず、孤立するパウロに太宰は⇒
ヴェネツィア
2025/11/03 16:44

⇒強く共感し、そこに友人の今君を重ねたようである。※今 官一は、弘前の生まれでクリスチャンの作家。昭和31(1956)年に『壁の花』で直木賞を受賞。なお、太宰の命日である「桜桃忌」は、この今の命名による。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレ一色さゆりは初読。物語の舞台は、作家の母校である東京芸大美術学部(作品中では東京美大)。主な登場人物は、絵画科油絵専攻の4年生になったばかりの4人(望音、和美、太郎、詩乃)+指導教授の森本。皆それぞれに一癖ある人物造型である。なにしろ、芸大の油絵専攻は、実質競争率が約20倍というとんでもないもの。しかも、受験生たちのほとんどは、われこそはという自信に溢れた存在である。物語は、最後の卒業製作に向けての1年を描くが、それはそのまま彼ら1人1人の成長物語を構成する。最初は詩乃を中心に展開するのかと思ったが、⇒
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者のロブ・グレゴリーは建築家で、「アーキテクチュラル・レビュー」誌(イギリスの伝統ある建築誌)の副編集長。いくつかのカテゴリーに分けて、世界の現代建築を概観してゆく。建築と一口に言っても領域は多岐に渡るのだが、本書では用途別ではなく、形状による分類を試みている。例えば、最初には「求心型のプラン」、そして「直線状の構成」といった風に。魅力的な建築物はたくさんあるのだが、とりわけ目に留まったものを挙げる。まずは、グリムショウ設計の「エデン・プロジェクト・バイオーム」(コーンウォール。イギリス)。側面から⇒
ヴェネツィア
2025/11/03 11:06

⇒天井までを六角形の枠で蜂の巣状に構成されたガラスが覆う、世界最大のドーム建築。用途は植物園である。フォスター+パートナーズによる「ロンドン新市庁舎」(2002年)も、斬新なデザインが魅力的である。スノーヘッタ設計の半ばが地下に潜り込んだ「アレクサンドリア図書館」。日本の建築家の作品も何点か選ばれている。坂 茂の設計による「今井病院付属託児所」(大館)は、ユニーク。秋田とあってカマクラで遊んでいるようなイメージである。もうキリがないくらいに魅力的な建物がいっぱい。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
クロケット・ジョンソン 作。この人はアメリカの漫画家・イラストレーター。ハロルドのシリーズが代表作。本書では、"はろるど"がクレヨン1本で、次々に線画を描きながら冒険の旅をするというもの。はろるど自身も、彼が描く線画も、いたってシンプル。でも、その単純な線が生み出す世界は千変万化。想像力(創造力)の翼に乗って、どこまでも飛翔してゆく。「お絵描き」の力を後押しする絵本。
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ヴェネツィア
初出は昭和12(1937)年1月「改造」 。太宰28歳。序唱と終唱の間に壱唱から十唱を配する構成。連関性は一応はあるといえばあるが、さりとて緊密なものではない。文体もまた同じく統一感を欠く。序唱などは文語であるし、そこから暫くは随想というか、太宰自身の絶叫のような調子である。途中からは、やや小説めいてはくるが、依然として断片的なものであり、一編の小説として結実する志向を見せない。それでも終わってみれば、こういう小説だったのだと腑に落ちる気はする。この小説を十分に理解したとは思わないが、熱烈な太宰信者なら⇒
ヴェネツィア
2025/11/02 16:17

⇒あるいは、強く共感し、大絶賛を惜しまないかも知れない。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の横澤一彦氏の専門は認知心理学・認知科学。本書は、その立場から人間の脳が行っている認知の仕組み(わかりやすいように、ここでの例の多くは誤解)を解説するもの。最初は感覚統合の例。例えば、普通のクッキーをクライアントに食べてもらう時に、見た目をチョコレート・クッキーに変え、さらにチョコレートの香りを嗅がせると、ほとんどの人は普通のクッキーをチョコレート味と感じてしまう。このあたりから説き起こして、マガーク効果、腹話術効果へと進んでいく。次は、見落としである。これまた、私たちが頻繁に陥っているのだが、脳が⇒
ヴェネツィア
2025/11/02 15:36

⇒つじつまを合わせてくれるために、気が付かない。さらには、「色や形の好ましさ」に進むが、こうなると私たちの嗜好もどこまで主体性があるのやら怪しくなってくる。「お互いに食い違う情報に接しても、われわれの脳は混乱することもなく、ほとんどそれを意識することなく、うまくつじつまの合った解を導き出し、次の行動につなげている」のであるらしい。そうしないと、膨大な情報の中から最適解を得ることができないからである。AIの時代になると、さらに情報量が増える。さて、私たちの脳はこれに適応し得るのだろうか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
「現代建築の大胆な瞬間をとらえたイコン」、「シティ・オブ・ロンドンにおける建築の一大ランドマーク」と称されるなど、なにやらもう絶賛されているロイズ・ビルディング。T.S.エリオットの言う「ほんとうに新しいものだけが真に伝統的なものでありえる」にも叶う建築物であるようだ。写真からだけでは、その威容が捉えにくいのだが実際に現地で見ると、その迫力に圧倒されるのかも知れない。ただ、その細部だけを見ると、まるで工場であるかのようだ。そして、もう少し俯瞰すると、鉄骨(無骨ではなく、むしろ優美である)とガラスの造型は⇒
ヴェネツィア
2025/11/02 08:18

⇒ターミナル駅のようにも見える。さらに、1階に立って下から見上げると、それは大聖堂のごとくでもある。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
かこさとし・作。「あとがき」によれば、これは、かこさとしによる性教育の絵本。かなり戸惑い気味で躊躇いがちに見えるが、少なくても作者が言う「生と性」を語ってはいる。ただ、生物学の立場から哺乳類について述べているのであって、はたして性にまで行き着くかどうかは心もとない。でも、ともかく「おへそ」についてはよく分かるだろう。
yomineko@鬼畜ヴィタリにゃん🎄🎅🎄
2025/11/02 09:55

ヴェネツィアさん、おはようございます😊かこさとしさんですね✨✨✨読みたい本に登録させて頂きました📚

ヴェネツィア
2025/11/02 12:52

yominekoさん、これはシリーズで何冊かありそうでした。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
「酒と詩」で直ちに想起するのは李白だろう。そして、牧水にあっては「酒と歌」。いずれも、まことに似つかわしい取り合わせであり、切っても切れないようにさえ思える。そんな牧水は「歌を作つてきたとはいふものゝ、いつかしら作つて来たとでもうふべきで」と述べており、自然体で歌が生まれてくるといった天才歌人ぶりを示している。たしかに牧水の歌に呻吟は似合わない。いわば飄々と浮かび出てくるもの、という方がそれらしいではないか。牧水は末尾で決意表明のごとく「無事に四十二歳まで生きてきた感謝として」、「歌に熱心になりたい」と⇒
ヴェネツィア
2025/11/01 20:04

masaさん、残念ながら若死にしてしまいました。

ヴェネツィア
2025/11/01 20:05

fragroさん、ゲーテは美食家で好色でしたから。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレギョーム・ミュッソのフランス・ミステリー。物語の舞台はパリとニューヨーク(および北東アメリカ)。探偵役はイギリス人の元刑事、マデリンとアメリカ人劇作家のガスパール。2人は意図せぬダブル・ブッキングから知り合い、ともに事件の解決にあたる。最初は、天才画家ショーン・ローレンツの失われた3点の絵を探すこと。やがて、それは新しい様相を帯び始める。2人が迎える結末は、半ばは予想通りだが、それをさらに上回るものである。共に人生を半ば捨てたような(成功者ではあるのだが)中年の男女なのだが、本作においてはこれが大きな⇒
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
金森襄作・再話、鄭(チャン)スクヒャン・絵。お話は典型的な民話のスタイル。トッケビは、朝鮮半島では古くから知られ、今も現役で活躍する妖怪。民俗色ゆたかな絵が、内容を良く伝える。伝統的な冠婚葬祭の様子や装束なども見られ、文化の違いも楽しめる。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
「安藤忠雄建築展2003」(兵庫県立美術館)のために作られた冊子。鈴木博之氏(東京大学教授)は、この展覧会に寄せた「想いのかたち」で、安藤忠雄の建築の中核に「場所の記憶」を指摘する。また、飯島洋一氏(建築評論家)は、「共同体の記憶」に着眼する。そして、安藤自身は「〈住むための〉機械であるための、徹底した〈具象〉との闘いの末の〈抽象〉の実現」を掲げる。ここにあるのは、そうした記憶と闘いの結果である。それは決して残滓などではなく、今もそれぞれに固有の風景の中で息づいている。安藤忠雄の建築とは、そういう⇒
ヴェネツィア
2025/11/01 07:55

⇒ものなのだろう。これまでにも何度も、様々なメディアで取り上げられてきたが、例えばこの「兵庫県立美術館・神戸市水際広場」や「六甲の集合住宅」、「ユネスコ瞑想空間」(パリ)、「フォートワース現代美術館」(テキサス州)、「直島コンテンポラリー アートミュージアム」など、これを具現化した建築が、思えば今や世界中にたくさんあった。

が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2011/11/30(5129日経過)
記録初日
2011/04/07(5366日経過)
読んだ本
8480冊(1日平均1.58冊)
読んだページ
1882830ページ(1日平均350ページ)
感想・レビュー
8390件(投稿率98.9%)
本棚
62棚
性別
職業
専門職
自己紹介

2011年4月からの参加で、15年目にはいりました。一番よく読んでいるのは日本文学、次いでは翻訳文学です。読むジャンルの幅は広い(半ばは意識的にそうしています)のですが、何でも手当たり次第に読むというわけではありません。特に誇れるものはありませんが、連続読書日数は初日から5263 日(2025年9月2日現在)、冊数は8098冊になりました。胃癌で入院中も、海外旅行中も毎日読んできました。さて、どこまで伸ばせることやら。

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