
11月になりました。皆さま、今月もどうぞよろしくお願いします。☆ヴェネツィアさんの2025年10月の読書メーター 読んだ本の数:124冊 読んだページ数:17740ページ ナイス数:51463ナイス ★ヴェネツィアさんの2025年10月に読んだ本一覧はこちら→ >> https://bookmeter.com/users/157091/summary/monthly/2025/10
⇒ダメ押しとも言うべき行為が、怪談としては実に効果的である。なお、このお話は、中学3年生の時の英語の教科書にあった。もちろん、八雲の原文そのままではなかっただろうが。
⇒比肩されるほど、数々の鉄道グッズが登場する。本書はさすがに歴史民俗博物館のコレクションだけあって、なかなかの充実ぶり。私も鉄道マニアの一角を占めるが、もっぱら乗り鉄で、蒐鉄の趣味は持たないので、なるほどそんなものかと感心するにとどまるのだが。
「アメリカの理想は、本来はこうだったのだ」との御指摘が鋭くかつ重いですね。ローマ帝国でもアメリカ合衆国でも、あらゆる人々の受け入れに努めることで、超大国化したように見受けられます。レヴューを拝見して、アメリカの衰亡は避け難いものと感じました。(レヴューと若干ズレたコメントになってしまい恐縮です。)
カピバラさん、現在のアメリカの姿はほんとうに残念です。それにしても、トランプがアメリカ国民にあれほど支持される理由がわかりません。ある意味では末期的な症状を呈しているのかもしれません。
⇒なかなか巧みな語り口なのであるが、それは「お園が京都で修行していたときに貰った艶書」であるとしか明かされない。このあたりがまた、いかにも日本的な物語なのである。八雲が一番感じ入ったのも、まさにここだったのだと思われる。
⇒ボルテージは上がる一方だ。いつの間にか「急」に巻き込まれていたのである。そして最後の「逃亡者」で終息する。過疎の町の現実を実に巧みに捉え、物語化した作品である。そして、それを描く奥田英朗の眼は実に温かい。
ユウェナリスのいう「パンとサーカス」は、まさに至言。田舎にはパンはあってもサーカスがないのだ。若い人たちにはもちろんのこと、老人たちにもサーカスが待望されている。本書はそのことを痛切に突きつけても来る。
⇒斬新さで勝負である。奇妙なネジレが特徴的なのがフランク・ゲーリー。ハーフォード美術館(ドイツ)や、近未来の廃墟かと見紛うようなエルシエゴ(スペイン)のホテル(表紙写真)など。古い歴史的建造物の多いヨーロッパだが、なかなかどうして現代建築の宝庫でもあるようだ。
この絵本は、古き良き時代を回想して描かれたものかと思っていたが、初版は1966年のもの。そうすれば、ほぼ当時のリアルな雪国の日常を描いていたことになる。こうして、時間を経てみると、一層に詩情を感じる。
映画「怪談」に収録されてますね。この映画、日本語の授業で学生に鑑賞させたりしましたが、4つの話(「黒髪」「雪女」「耳なし芳一の話」「茶碗の中」)の中でこの「茶碗の中」が一番訳がわからないと学生も首をかしげていました。
⇒欧米人のカメラマンによるものが多く、風景も鎌倉の大仏や鳥居など、日本的なものが当然多くなる。後半の「職業づくし」なども興味深い。実に様々な「棒手振り」の商人たちが町にはいたようだ。
⇒合巻の『偐紫田舎源氏』。全38編、各編一万部で計38万部。天保の改革で絶版にならなければ、さらに売れただろう。今では誰でも読めるのだが、読む人はほとんどいない。見せ物動物のランキングでは、第一位は象。これに駱駝、豹と虎が続く。他にも敵討ちランキングなど興味深いものが多数。江戸マニアにはお薦め。
⇒ているのだろう。しかし、それでも詩はあくまでも明るく晴朗なのである。これが、これこそが茨木のり子の詩なのだ。なお、しいてもう1篇を選ぶなら「悪童たち」か。
⇒ところにも、もう1つの特徴がある。なお、結末の解釈はいかようにも可能であり、あえてそれを語らないあたりがべヘランギー流か、あるいはイランらしいスタイルなのか。
⇒スケールの大きなデフォルメとともに軍記としての妙味もこちらにあるかのようである。ただ、全体として見れば、また若干様相を異にすることも事実である。すなわち、これは敗者の文学であり、敗れて死んでいった者たちへの鎮魂歌でもあった。これもまた、本書が優れた軍記であったことの、もう一つの証である。
⇒そして今にいたるもアジアの中心であり続けた。本書にも興味深い地図は多いが、あらためて感心するのがアレクサンドロスの遠征図。また、何通りもあったシルクロードの交易図も魅力的だ。
幼い頃にサンタクロースが来てくれたってのは素晴らしい思い出ですよね。嬉しかったものです。私も小学一年生の時にもらった『キン肉マン』が人生で最初に読んだマンガでした。飛び上がって喜んだものです。
⇒わかっていながら、政府をはじめとした行政その他の無策、もしくはどうしようもなさを証左するもの。本書では、茂造に暴力性は全く見られないのだが、これに暴力性が加われば、もう惨憺たるもの。実際はそういうケースもあるのだが。万人にとって「明日はわが身」。なお、純粋に小説としても面白い。ぜひご一読を。
50年経って変わった部分も、そうでない部分もある。まず、全体に老人たちはさらに健康になり、平均寿命は一層延びた。自立も自覚も大いに向上したようにも見える。もちろん、依然として認知症問題はなくならないのだが。教会に来られる80代の方たちを見ていると、皆さん恍惚からは程遠く、未だに現役の役員であったりもする。社会との繋がりが大きいか。
ヴェネツィアさんの絵本感想いつも楽しみに拝見してます。「しんせつなともだち」は子供らとよく読んだ1冊で、20年近く経った今でも頂き物を誰かにそのままお渡しする時など「しんせつなともだちみたいやなー」とか会話に出ます(笑)絵と文章どちらも優しくて大好きな1冊です。
ヴェネツィアさん、わたしはサンタクロースの存在は中3まで信じてましたが、特殊な形でした。ローマ・カトリックやプロテスタント各派のキリスト教会と密接に関わっている「総サンタクロース」のもと、サンタクロースの有資格者が教会のような構造をもって世界各地、そして日本全国津々浦々にいるのだ、と笑
⇒実り多いものであっただろう。「血に染めし歌をわが世のなごりにてさすらひここに野にさけぶ秋」―「明星」(明治35年10月号、啄木17歳)に初めて掲載された歌である。彼は早熟の天才歌人でもあったのだが、後年の歌風からすれば、なんと激しい歌であることか。あるいは「明星」ぶりを心がけた故であったか。
⇒元の同級生なのだが)。また、各項は全てそれぞれ工夫を凝らしたゲームを基軸として成立している。作家の苦心の跡がしのばれるのだが、最後の「フォールーム・ポーカー」あたりになると、ゲームの進行がしち面倒になってくる欠点も。また、そのトリックも存外にあっけない。どうせなら、もっと驚くような工夫が欲しかったところ。まあ、それは望み過ぎというものか。
ちょうど遠藤周作の『影に対して』を読み終え、五島の教会をまた見てみたいと思っていたところです。 旅をする時は、その土地にちなんだ一冊を見つけると、ぐっと深まりますね。
⇒ただ後段の「あかあかとつれない秋の日」は、全体のイメージを損なうように思う。出典は芭蕉の「あかあかと日はつれなくも秋の風」だと思われるが、寺田寅彦の文章からは、より深まった秋を想起するからである。
テーマの提示が類型的すぎるようにも思うが、昨今の(ただし、本書の刊行は2006年)外国人に対する忌避や排斥の動きを見ると、あるいは必要かなとも思う。それにしても、昨今の状況は、それこそこちらこそが国を憂いたくなる。
⇒説明的になってしまったことで、スピードも自ずと落ちてしまう。読者を(あるいは、作中の亜李亜を)納得させる必要はなかったのではないか。奔放なままに突き進んだ方が、より新しい地平を開けたのではないかと思われる。なお、表紙カバーの絵は作品のムードをよく伝える。
⇒その結果、生まれてきた建物群がここには多数登場する。光との親和性において、教会堂こそはまさにその必要性を満たす。「エンホイ教会」(ヘニング・ラーセン/1994/デンマーク)、「テンペリアウキオ教会」(ティモ&ドゥオモ・スオマライネン/1969/ヘルシンキ)など、もうキリがないくらいである。これまで、北欧に行く機会がなかったが、こうした教会群を見に行きたいものだ。
玄趣亭さん、敦賀の「ちえなみき」ですか。それは興味深いです。敦賀にはなかなか行く機会がありません。これまでにも、わずか0.5度。というのも、小樽に行くフェリーに乗るために立ち寄っただけでした。旅行がてら行ってみたいものです。
⇒控えめな印象で、強く個性を前面に出すものではない。内装もイングランド風の質実剛健だが、随所に配された木材が温もりとアクセントとを与えている。こんな家に住みたいものだと思わせる家である。
⇒の地、タウロイに置かれていることである。このタウロイは、現在のクリミア半島南西部あたりであるらしく、ここはタウロイ人の地であり、ギリシア世界からは野蛮この上ないところだと認識されていたようだ。なお、この劇では「アイアイ」、「イオー」、「オイモイ」、「ペウペウ」などの感嘆詞が頻出するが、独特な感情表現として異彩を放つとともに、それは我々の感情移入をも誘う。
⇒小説的発展を持つことはできなかった。タイトルにしても、これ自体はいいのだが、物語の中での意味づけは、これまた最後に申し訳程度に語られる。もし、最初に読んだのがこの作品だったら、それっきりになっていたかも知れない。
⇒随所に地図(中には想像図も)があるが、最も注目に値するのは、1552年製作の「トゥリュシェとオワイヨの地図」(通称バーゼルの地図)だろう。精密な鳥瞰図で、シテ島とそこに架かる橋やノートルダム寺院などが鮮やかに見て取れる。
その間に集団就職脱走事件などもあったが、その際の行動(残念ながらけが人がでてしまったが)を見ると、教えられたことだけではなく、自らの創意工夫が随所に見られたのである。研究が始まって6年半後、「運動場のいちばん高いところにある柱のてっぺんに腰かけて、アイは遠くをながめています」との記述とともに寂しげなアイの絵があるが、これがなんともいい。語りも絵も。
そういえば太陽の塔もなにがなんだかわからないと不評だったらしいですね。しかし、今や大阪万博のシンボルになっていると。同じように、エッフェル塔と凱旋門はフランスの象徴ですものね。人間の美意識や常識なんてものは、ある程度の時間が経ってみないとわからないもんです。
題材が作家という、いわば特殊な状況ではなく(中にはそういうものもあるが)日常であるだけに、共感する題材や嗜好(志向)も多々ありそうだ。この独特の語りの嫌いな人はともかく、エッセイストとしても上々の上手さを堪能できる。
⇒これはさすがに既読。日本の近代小説の幕開けに比定されているのが二葉亭四迷の『浮雲』。ここから、鷗外の『舞姫』をはじめ、名高い小説作品が続く。概ねは既読。小説以外で目を引くのは、雑誌『青鞜』と『明星』か。これ以降は大正、昭和(戦前)、(戦後)と続くが、やはりどうしても何故これがない、の思いだ。最もそう思うのは、小田実の『なんでも見てやろう』は当然の入選として、沢木耕太郎の『深夜特急』がないことか。
⇒良さそうだ。さらには富里市(千葉県)の蕎麦処「五郎右衛門」。山形産の手打ち蕎麦である。建物は築百年とか。ここも本格的な囲炉裏がある。最後は能勢町(大阪府)の日本料理「かわすみ」。ここは、門も本宅も本格的な茅葺きである。
⇒でもある。少なくても美帆は一貫して生きることの意味を喪失しているし、そんな彼女にとって、現世との繋がりはセックスと浪費だけなのだ。さらには、彼女にもう一つ不足しているのは、自己決定する力である。こうしたものが今どきの若者たちの共通項の一つであるのかもしれないが、それを描いた小説としては、インパクトが薄いか。否、むしろそうであることこそがこの作家の方法であるのかも知れない。
⇒てある。上之巻では、小春の愛想尽かしが描かれるが、彼女はおさんの手紙に感じ入って(なぜなら遊女の自分をおさんが対等な者として扱ってくれたからである)愛する治兵衛を思い切る。それは、小春にとっては自己存在の否定を意味していた。中之巻では、おさんが全てを投げうって小春を身請けしようとする。なぜなら、そうしなければ小春は一人で死を選ばなければならなくなるからである。しかし、それをすることは、おさんの存在の自己否定に他ならなかった。下之巻は、もはやどうにもならなくなった治兵衛と小春の道行き、そして心中死。⇒
⇒この劇が優れている、もう一つの点は、上之巻では、そこに登場しないおさんが、そして中之巻では、やはりそこには登場しない小春がその影にいて、互いの行為を決定づけることである。ほぼあらゆる意味において、最高傑作の名に恥じない作品である。なお、篠田正浩の演出のATG映画(主演は中村吉右衛門と岩下志麻=なんと、小春とおさんの二役を見事に演じ分ける)があるが、原作にかなり忠実であり、映画としての出来もいい。ともにお薦め。
⇒そうだが)、かなりいろいろなヴァリエーションが楽しめそうだ。赤羽末吉の絵は、今回も絶妙。シンプルな墨線で描かれているが、二人の表情が(ことにおばあさんの)何とも言えない味わいである。
⇒経済学をベースにしていた(そうはいっても、そうとうに違うのだが)のに対して、子どもの精神医学の研究者である。したがって、彼女が語るのは今である。また、女性研究者のロール・モデル像を自ら体現する存在でもある。
ナウシカ、いいですね☺️映画館で観ました。カリ城もいまだに細かい演出がシビれます。他方、コクリコ、たまに耳にする思想的な偏向は皆無で、高校生による部室棟の保全がいいハナシです。スポンサーまで駆け上がっていく行動力。倜儻不羈な学生気質が大好物なので特にお気に入りです。課金されずにご覧になれる機会あれば是非😄
今、各地に熊が出没して被害も出ているが、絵本の世界ではクマは大人気。現実には恐ろしい動物なのだが、役割はオオカミとは全く違っている。それは、あの体型のユーモラスさに負うところだろうか。
⇒みたいなのだが、瞑想に耽りながら歩く「瞑歩」だと朔太郎は言う。本所深川、浅草、麻布、赤坂。また時には碑文谷、武蔵小山、戸越銀座などの知らない町を歩く…それは確かに一つの優れた瞑想法であろうと思う。しかも、時として、何か発見もあるかもしれないではないか。
サッカー日本代表の鎌田大地が現在所属するプレミアリーグのチーム名の由来となった建物ですね?イングランドの人々にとっては大事な建物みたいですね。再建された建物が焼失した時、当時の首相ウィンストン・チャーチルが「イングランドの心が燃えてしまった」と嘆いたとか嘆かなかったとか。
MioCastelloさん、サッカーチームのことは全く知らなかったのですが、そういう名前のチームがあるのですね。また、消失については私の誤解もありましたので、表現を訂正いたしました。どうもありがとうございました。
ヴェネツィアさん こんにちは! 此の本は再読をして来た本の一冊です。 若き日に医師の友人から、薦められて読み、主人公の医師:アンドルーの、生き様に感動したものです。 友人は立派な医師に成りました!🍀 暫し想い出を懐古しました!✨ 掲載!&レビュー!に感謝です!💫 何時も、有り難うございます!🙋 宵待草
⇒したものであったのか。ただし、近代以前の「かちかちやま」の資料は見たことがない。ちなみに、日本の民話で最も古くまで来歴をたどれるのは「浦島太郎」である。赤羽末吉の絵は、いつもながら秀逸。民話の感じを巧みに伝えている。さすがに、ばあさま殺害のシーンを描くことはなかったが。
⇒このC.Bは、シャルル・ボードレールなのだろうか。もっとも、小説の中身は全くこれとは相容れず、格好の悪いことこの上ないのであったが。そして最後の一文は「笠井さんは、いい作品を書くかも知れぬ」との願望で締められる。
⇒小屋掛け芝居も、さらには『都万太夫座屏風』では常設と思しき舞台で踊る若衆たち(能舞台の転用だと思われる)。これを見ていると、幕府の圧政に苦しむなどというイメージからは程遠く、もうほとんど享楽都市である。
⇒「バベルの塔」とメソポタミアのジッグラトといったものと対照させながら語っていく。軽便な本だが、史料(資料)の図像も多く、分かりやすさを最大限に心がけて執筆・編集されているようだ。
ヴァージニア大学は、南部の名門校として堂々の風格である。卒業生にもロバート・ケネディやエドガー・アラン・ポーなどがいて、現在もアメリカ屈指の州立大学の1つである。こんなところで勉強、あるいは研究してみたいものである。日本にも結構卒業生はいると思う。
⇒土壇場で東岸和尚を登場させ、二人を出家させるということで救っている。追善興行ゆえのことであろう。しかし、それでは劇として弱いために代わりに殺されたのが下女の玉であった。いわば身代わりの悲劇である。なお、出家云々は西鶴版において、文殊菩薩がおさんの夢枕に立って、そうすれば二人の命は助かると示唆することにヒントを得ていた。もっとも、西鶴ではおさんはこれを自らの意思で拒絶している。
初めて読んだ時「つんぶくかんぶく」に驚いたことを思い出しました。独特ですよね。桃が流れる様子とは思えません。私が「どんぶらこっこ」に洗脳されているのでしょうか。😹
⇒ているのだが、畢竟は生殖本能を合わせ鏡として、性(および生殖)の側から社会を炙り出すことに主眼が置かれているようだ。蘊蓄めいた語りはやや煩雑な気もするが、試みの斬新さを採れば、まずは面白い小説である。
栃木にある、いわむらかずお絵本の丘美術館に行ったことがあります。14ひきに会えそうな、丘そのものが美術館という素敵なところでした。いわむらさんにもお目にかかることができました。もし機会がありましたらいらしてみてください。
⇒全くと言っていいほどに役立たずなのであるが、それをも卑下したり自虐的になったりすることなく明るい筆致で描き出してゆく。ある意味、太宰の作品には珍しいとさえ言えそうだ。
⇒例えば「挨拶」の末尾で「一九四五年八月六日の朝 一瞬にして死んだ二五万人の人すべて いま在る あなたの如く 私の如く やすらかに 美しく 油断していた」。こんな風に歌える詩人がいただろうか。推薦!なお、私が読んだのは、二〇〇〇年十月発行の復刊版。
⇒そして、そのことの故にエーレクトラーは永遠の罪を背負うことになったのである。なお、「エディプス・コンプレックス」と対比するように「エレクトラ・コンプレックス」が語られたりもするが、そのエレクトラである。
ギリシア悲劇の上演のあり方について想像するのだが、これまではついつい近代劇の見方がつきまとっていたようだ。例えば、本作でも最もドラマティックな場面、すなわちオレステースによるアイギストス殺害と、オレステースとエーレクトラーによる母親(クリュタイメーストラー)殺しが直接には描かれることがないのを不思議に思っていた。しかし、どうやらギリシア演劇は劇的であることには重きを置かず、叙事を詩的に朗唱するものだったのだろうと思うようになった。
ベギナージュってベギン会の修道院のことなんですね。去年読んだ佐藤亜紀の「喜べ、幸いなる魂よ」で初めてベギン会のことを知って面白いなと思ったのを思い出しました。
Johnnycakeさん、修道会とは微妙に違うようなのですが(少なくても本書ではそう述べています)一般にはベギン修道会と理解されているようです。ブルッヘ(ブルージュ)でもガイドブック等では、ベギン修道院でした。
冒頭のヴェルレエヌの引用「撰ばれてあることの 恍惚と不安と 二つわれにあり」と、それに続く断章「死のうと思っていた。―中略―夏まで生きていようと思った」は、太宰を象徴するものとして、太宰ファンの間では夙に有名。
⇒そして、私たちはその人たちの絵を見れば、誰の描いたものかがわかるし、時には物語が彷彿と蘇ってくる。こうした絵本文化を創造し、支え続けてきた福音館にはほんとうに敬意を表する思いである。
ヴェネツイアさん、気付くのが遅れて失礼しました。読んでから大分立つので、どの作家か好きだったのかまでは思い出せませんが、たしかに、当時は好きな作家があったように思います。このちくま文庫は大切なお気に入りです。こういう文庫本があることを教えて戴けて、読メは本当に参考になります。ヴェネツイアさんのレヴューでも、いろいろご紹介戴いて色んな世界を覗くきっかけになっています。いつもありがとうございます。
⇒強く共感し、そこに友人の今君を重ねたようである。※今 官一は、弘前の生まれでクリスチャンの作家。昭和31(1956)年に『壁の花』で直木賞を受賞。なお、太宰の命日である「桜桃忌」は、この今の命名による。
⇒天井までを六角形の枠で蜂の巣状に構成されたガラスが覆う、世界最大のドーム建築。用途は植物園である。フォスター+パートナーズによる「ロンドン新市庁舎」(2002年)も、斬新なデザインが魅力的である。スノーヘッタ設計の半ばが地下に潜り込んだ「アレクサンドリア図書館」。日本の建築家の作品も何点か選ばれている。坂 茂の設計による「今井病院付属託児所」(大館)は、ユニーク。秋田とあってカマクラで遊んでいるようなイメージである。もうキリがないくらいに魅力的な建物がいっぱい。
⇒つじつまを合わせてくれるために、気が付かない。さらには、「色や形の好ましさ」に進むが、こうなると私たちの嗜好もどこまで主体性があるのやら怪しくなってくる。「お互いに食い違う情報に接しても、われわれの脳は混乱することもなく、ほとんどそれを意識することなく、うまくつじつまの合った解を導き出し、次の行動につなげている」のであるらしい。そうしないと、膨大な情報の中から最適解を得ることができないからである。AIの時代になると、さらに情報量が増える。さて、私たちの脳はこれに適応し得るのだろうか。
⇒ものなのだろう。これまでにも何度も、様々なメディアで取り上げられてきたが、例えばこの「兵庫県立美術館・神戸市水際広場」や「六甲の集合住宅」、「ユネスコ瞑想空間」(パリ)、「フォートワース現代美術館」(テキサス州)、「直島コンテンポラリー アートミュージアム」など、これを具現化した建築が、思えば今や世界中にたくさんあった。
2011年4月からの参加で、15年目にはいりました。一番よく読んでいるのは日本文学、次いでは翻訳文学です。読むジャンルの幅は広い(半ばは意識的にそうしています)のですが、何でも手当たり次第に読むというわけではありません。特に誇れるものはありませんが、連続読書日数は初日から5263 日(2025年9月2日現在)、冊数は8098冊になりました。胃癌で入院中も、海外旅行中も毎日読んできました。さて、どこまで伸ばせることやら。
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⇒元の同級生なのだが)。また、各項は全てそれぞれ工夫を凝らしたゲームを基軸として成立している。作家の苦心の跡がしのばれるのだが、最後の「フォールーム・ポーカー」あたりになると、ゲームの進行がしち面倒になってくる欠点も。また、そのトリックも存外にあっけない。どうせなら、もっと驚くような工夫が欲しかったところ。まあ、それは望み過ぎというものか。