読書メーター KADOKAWA Group

2025年2月の読書メーターまとめ

ヴェネツィア
読んだ本
106
読んだページ
14455ページ
感想・レビュー
106
ナイス
44996ナイス

2025年2月に読んだ本
106

2025年2月のお気に入り登録
23

  • Yemi
  • まみぃ。
  • ここ
  • 伊崎武正
  • よう🗻🐦
  • 朔乃
  • ゆとりのさなえさん(♀)
  • ぴょんこつ
  • kkef
  • PCsasa
  • みちんこ🦜
  • 山猫
  • パールパル
  • みや
  • K
  • 大豆スパゲティ
  • とみみ
  • もちゃ
  • ポポ
  • Kanae
  • 有坂汀
  • 史縁
  • way Heming

2025年2月のお気に入られ登録
24

  • Yemi
  • まみぃ。
  • ここ
  • 伊崎武正
  • ヨシムラ管
  • よう🗻🐦
  • 朔乃
  • ゆとりのさなえさん(♀)
  • ぴょんこつ
  • kkef
  • PCsasa
  • みちんこ🦜
  • 山猫
  • パールパル
  • みや
  • K
  • 大豆スパゲティ
  • とみみ
  • もちゃ
  • ポポ
  • Kanae
  • 有坂汀
  • 史縁
  • way Heming

2025年2月にナイスが最も多かった感想・レビュー

ヴェネツィア
ネタバレ3つの作品から構成される。いずれも詐欺の物語。もっとも、その位相はすべて異なっている。まずは巻頭の「2020年のロマンス詐欺」。最もトレンドな詐欺である。ただ、主人公の耀太は思いがけず加担してしまうのだが、結果的にはむしろ状況は好転するかのようだ。コロナ禍の日常を巧みにあしらっている。2つ目は「五年目の受験詐欺」。これもいかにもありそうな物語だ。受験生の自分の子どもを信じ切ることができなかった母親の物語だが、やはり以前よりもいい結果で終わる。最後は「あの人のサロン詐欺」。なりすましの物語だが、これまた⇒
が「ナイス!」と言っています。

2025年2月にナイスが最も多かったつぶやき

ヴェネツィア

1月は「蛇」関連の短篇をたくさん読んだために冊数が多い割にはページ数は少ないというアンバランスが生じました。皆さま、今月もどうぞよろしくお願いします。☆2025年1月の読書メーター 読んだ本の数:123冊 読んだページ数:12519ページ ナイス数:49354ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/157091/summary/monthly/2025/1

1月は「蛇」関連の短篇をたくさん読んだために冊数が多い割にはページ数は少ないというアンバランスが生じました。皆さま、今月もどうぞよろしくお願いします。☆2025年1月の読書メーター 読んだ本の数:123冊 読んだページ数:12519ページ ナイス数:49354ナイス  ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/157091/summary/monthly/2025/1
ヴェネツィア
2025/02/01 09:50

えかさん、実はまだまだあるのですが、今年はおおよそこんなところで。今月もどうぞよろしくお願いします。

ヴェネツィア
2025/02/01 09:51

ようさん、こちらこそいつもありがとうございます。今月もどうぞよろしく🤝

が「ナイス!」と言っています。

2025年2月の感想・レビュー一覧
106

ヴェネツィア
『ポラーノの広場』の戯曲版。前後の物語を描かず、広場での夏まつりの歌と、そこで起こったファゼロと山猫博士の決闘を描く。山猫博士はたいしたけがもなく、再び賑やかなおまつりに…。夏まつりは夜を徹して行われるようで「オリオン星座がのぼるまで」と語られている。この一場の劇をイーハトーヴで上演すればかなり楽しいものになりそうだ。もうやってそうだが。
Himeko is not cat
2025/02/28 23:30

ポランの広場の歌を小学校で習ったことを思い出し、懐かしくなってYouTubeで検索したら、当時歌っていたのとまったくメロディが違っていて、何故かしらと謎めいております…😊

ヴェネツィア
2025/03/01 07:47

Himekoさん、小学校で歌うようなメロディが作られているのですね。それんら劇も行われていそうです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
幕末から幕府の崩壊、そして維新の力学に関心を寄せ続ける吉村昭。本編でも長崎のオランダ通詞森山栄之助を主人公に、このまさに激動の時代を描く。文体はいつも以上に客観体を心掛けているかのようだ。それゆえに、時としてフィクションとしての躍動感を犠牲にすることも厭わないほどに。国禁を破ってまで日本にやって来たマクドナルドとの出会いが森山の一生を決定した。吉村のこの小説では、森山はもはや単なる通詞などではなく、立派に外交官である。しかも、その手腕は幕末にあっては最高の力量だったのだろう。語りは地味ながら、実に感動的⇒
ヴェネツィア
2025/02/28 16:55

⇒な作品である。最後は果敢ないが、まさにあの時代に生きた証を森山は見事なまでに発揮したのである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
巻の第十一〜第十四を収録。前半は経絡部と支体部、すなわち東洋医学の人体及び臓器の解説である。面白いのは後半の異国人物と外夷人物篇である。最初は中原から近い震旦や朝鮮、琉球などであり、これらは旧知の国々のこととて記述も詳しく、また絵も真っ当である。ところが、辺境部になってくると狗国(犬の国)や羽民(天使のような羽を持つ。ただし、絵はヒゲのおじ さん)、女人国(アマゾネスか)、てい人(人魚国。ただ、またしてもヒゲおやじの絵)などと、随分あやしげなものになってくる。ところが阿蘭陀人だけは滅法まともである。⇒
ヴェネツィア
2025/02/28 10:54

⇒これは、江戸期の人々が阿蘭陀人を実際に見たことがあったからである。当時はかれらを紅毛人と称したように、髪の色の違いに最も目を向けたようだ。しかし、明治以降は青い目と目の色に焦点が移るのである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
魚瀬ゆう子・文、水上悦子・絵。富山県の舟橋図書館の10周年のお祝いにやってきたカモシカのカーモくん。そんなエピソードが絵本になりました。お話は、最後にカーモくんやウサギやリスなど山の動物たちも一緒に図書館のおねえさんに絵本を読んでもらって明るく楽しく終わります。絵もパステルカラーで柔らかな春の陽に包まれたよう。
ヴェネツィア
2025/02/28 08:22

この図書館は富山地方鉄道の越中舟橋駅舎とくっつけて建てられているようだ。コミュニティにとってはとっても大切な場所なのだろう。一度、行ってみたいものだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
主人公の設定「赤い手の長い蜘蛛と、銀いろのなめくじと、顔を洗ったことのない狸」からして面白い。そして、どこか抜けている洞熊先生も。学校を卒業してからは三者三葉の道を歩み出すのだが、最後はみんな悲劇的な結末に。それもまた自然界の摂理なのだろう。いずれの最後も、その後は蜂の群れが飛び交い、自然の営みは明るい光の中で続いて行くのだから。それにしても狸の唱える「なまねこ。なまねこ」はことさらに滑稽である。賢治童話には、こんな一面もあるのだ。
Johnnycake
2025/02/27 16:53

『蜘蛛となめくじと狸』で出て来たような…。山猫大明神さま…。

ヴェネツィア
2025/02/27 17:00

Johnnycakeさん、ありがとうございます。そうでした。『蜘蛛となめくじと狸』でした。登場人物(?)も、お話の内容もほとんど同じですね。デジャビュー感を抱きながら読んでいたのですが、どうりで。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ヨシタケシンスケさく、伊藤亜紗そうだん。「そうだん」って何だ?と思ったけれど、この本の生まれたきっかけが『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(伊藤亜紗)にあったゆえ、著者に相談しつつ出来上がったのだそう。ややもすると、安直なヒューマニズムに堕してしまいかねない題材を上手く扱っている。それにはヨシタケシンスケのちょっと惚けたような絵が功を奏しているのだろう。こんな風に、肩ひじを張らない生き方がお互いにとっていいのだと思う。無理をしても続かないのでは仕方がないのだから。
ヴェネツィア
2025/02/27 15:52

読み聞かせは、一つ一つの絵がやや小さいので、少人数でないとうまくいかないかも知れない。子どもたちからはいろんな反応がありそうだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『男衾三郎絵詞』(おぶすまのさぶろうえことば)は、題名からして、どう読んでいいものやら困惑するのだが、芸州浅野候世襲の重宝であるらしい。14世紀初め頃のものと見なされており、伝・土佐隆相(絵)、二条為氏(詞書)。武蔵国の名門に生まれた二人 兄弟。兄の吉見次郎は万事に都びたる貴族趣味で軟弱。一方、弟の男衾三郎は粗暴で武ばっていた。この二人の葛藤を描くのかと思いきや、二郎は早々に亡くなってしまい、遺児の「慈悲」と妻は二郎の遺言にも関わらず、三朗によって虐待される。ここまでが物語の前半。さて、この後は⇒
ヴェネツィア
2025/02/27 08:19

⇒いかに、というところなのだが、下巻は早くに散逸したようで物語の結末も不明のまま。類書もないためにわからずじまいである。さて、絵だが、合戦の様などはなかなかに勇壮。武者姿も鮮明。秘蔵されていた故か損傷も少ない。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
前十七等官レオーノ・キューストの回想を賢治が訳したという形式をとる。肩書は帝国時代のロシアに見られたようなもの。ただし名前からは(他の登場人物のファゼーロやミーロなど)イタリアっぽい響きだ。そして、地名はお馴染みのイーハトーヴォとモリーオ市である。物語は幻想譚のようでもあり、また童話世界でのリアルであるようにも見える。ただ、論理的な一貫性にはやや乏しく、主題もつかみにくい。すなわち、これは本編が通常の物語の論理に従って書かれているのではなく、ファンタジーの論理によって描かれているからに他ならない。
ヴェネツィア
2025/02/26 16:38

タイトルを含めて魅力に富んだ作品。『銀河鉄道』のような飛翔感はないが、幻想世界の像を見事に結実させる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
浮世絵の入門書。タイトルから想像していたものとは違い、浮世絵に関する用語解説集だった。それにしても思っていたよりも、はるかに初心者向き。項目は「美人画」、「役者絵」などのジャンルを表すものや、「肉筆画」、「錦絵」など技法に関わるもの、そして浮世絵制作の用語が解説される。残念ながら、目を開かれるというものはなかったが、「改印」の項目は有用であった。また、基本的には用語集であるために、浮世絵そのものは小さく、作例の説明のために掲げられている。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
トルストイによる民話風の物語。主人公のパホームは、けっして不正を働いたわけではないが、欲張り過ぎたがために命を落とし、結局は自分の墓穴しか土地を手に入れることはできなかった。普通にはバカだなあと笑われそうなのだが、見方を変えてみれば、それだけロシアの零細農民たちの土地に対する憧れと執着が強かったことの証でもあるのだろう。長年、それこそ父祖の代から彼らは土地を持たないがために苦難に耐えてきたのである。パホームがバシキールの地で見た夢は、せめて彼につかの間の幸福をもたらしただろうか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は「令女界」(1943年6月)。戦中に書かれた1篇。すぐさま太宰治の『女生徒』を連想した。織田作もあるいはそうであったか。太宰の方は1939年のもの。それにしては、この織田作の『眼鏡』には戦時色は薄く、太宰のそれの方が濃いようだ。また、この作品は最初は道子の物語だったはずが、途中からは兄嫁の話にすり替わってしまっている。おそらく、短時間で即興的に書いた作品だったのだろう。もっとも、眼鏡から想を起こして二人の女性を描いて見せる手腕はなかなかのもの。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
表題作を含めて、ジャック・ロンドンの5つの短篇を収録。ボルヘスの序によれば、ロンドンはアラスカで黄金を探索し、失業者軍団の闘士となり、太平洋を横断して日本近海でアザラシ猟を試み、社会主義に転向し、やがて執筆活動で得た資産で豪華船を持つにいたったそうだ。とても一人の男の人生だとは思えない、まさに波乱万丈である。しかも、40歳で亡くなっている。さて、本書に収録された短篇は、いずれも死との近接性が強い。「マブヒの家」は強大なハリケーンに見舞われながら生還する物語だが、続く「生命の掟」と「恥っかき」は、死に直結⇒
ヴェネツィア
2025/02/25 16:30

⇒する。位相は大いに違うものの、死の厳粛さは圧倒的である。「死の同心円」は社会主義に傾倒していた時代の面影を彷彿とさせるが、今一つつかみどころにない物語である。また、最後の「影と光」は化学への傾斜を作品化したものだろうが、今から見ればどうだろうか。私はやはり篇中では「生命の掟」と「恥っかき」をとる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
富岡多恵子は大阪出身ということもあり、この作品は織田作之助の『夫婦善哉』の柳吉の系譜を汲むものと思われる。すなわち、万事に優柔不断で頼りない「あかんたれ」である。この『冥途の家族』のショーちゃんもまさにそれ。しかも、あろうことか母親までがなんとかなるやろうという楽天家(極楽トンボ)なのである。さらには父親もそうなのだ。そんなショーちゃんに翻弄される二人の女、すなわちシナちゃん(ショーちゃんの妻)とナホ子(現在の同棲相手)の物語である。なにしろ、ショーちゃんには一切の決断や責任というものはないので、⇒
ヴェネツィア
2025/02/25 14:46

⇒何も前向きには進展しようがない。あろうことか、面倒になったショーちゃんは若い女の元に走り子どもまでできてしまう。もうどうしょうもない「あかんたれ」なのである。憎めないといえば、そうなのかも知れないが(シナちゃんもナホ子も結局はそれを許している)いくらなんでも現代ではとも思うが、案外にもこういう男はそれでやっていけたりもするのだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
メーテルリンクの名高い『あおいとり』を立原えりかの文といわさきちひろの絵という往年のゴールデンコンビで。内容はほぼ原作を踏襲。立原の文は歯切れよくリズミカルで音読に向いているだろう。ここでは、原作が劇であったことも踏まえて会話文を中心に組み立てられている。いわさきの絵は、いつもながらインクを巧みににじませた、リアルと幻想が交錯するもの。ミチルはやや影が薄いが、チルチルの表情と動きの多彩さは全体の静謐なトーンの中にあっても鮮やかな印象を残す。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
いろいろなジャンルの工芸品をコンパクトにまとめ、巻末に「工芸をもっと知るためのQ&A」を付した工芸の入門書。また、土井義晴氏や井伊百合子氏のエッセイなども。ただそれぞれのサンプル数は少ないし、ページ数も抑えられているので、じっくりと向き合うというわけにはいかない。それに、そもそも工芸の場合には絵画作品などと違って、材料の質感も大いに関与しそうである。したがって実物を見たいところだ。終わりには「国立工芸館へようこそ」との紹介ページもある。これは金沢市にあって、クラシックな佇まいの建物も魅力的だ。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレ一連の企業小説とは内容を大きく異にする作品。かつての池井戸潤のイメージからすると別人かと思うくらいである。物語の舞台は岐阜県の八百万町(モデルは加茂郡八百津町)。実際は名古屋から50kmくらいしか離れていないが、小説では相当な田舎のイメージである。そのさらに奥まった集落に移り住んだ小説家の太郎を視点人物として展開する。最初は地域の消防団との関わ りを中心に進むが、途中からはミステリーじみて来る。カルト教団(モデルはもちろんオウム真理教)が大きく関わってくるからである。通常ならば、そのあたりからスピードが⇒
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻(第45〜54)は、竜蛇、介、魚、虫などをとりあげる。「竜蛇部」と部立てされているように、竜も蛇も並列である。最初が「竜」で、「蛟竜」や「鼈竜」などが挙げられている。そして、その後には普通の「蜥蜴」、「いもり」、「守宮」が並べられ、その落差は大きい。介甲部には「和尚魚」などという、スッポンの身体に和尚の頭がついた面妖なものがあったり、また魚類には、当然のごとく「人魚」がいる。ここでは『和名抄』や『本草綱目』が引かれているが、八百比丘尼の伝承は見当たらない。実に面白い百科全書である。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
トルストイ原作、渡洋子・文、かすや昌宏・絵。内容は「博愛主義者」といわれる、いかにもトルストイらしいもの。神様はいつも私たちとともにある、というキリスト教の基本理念を体現する。このお話は、甘いとは思うが、しみじみと感情を揺さぶる。絵は、全体に霞がかかったようなトーン。街も人も幻想的なシーンが展開する。灯の明かりの表現が暖かい。
nanako
2025/02/24 08:19

クリスマス会で日曜学校でよく劇にしたお話です。愛あるところに神ありという教えを子供にもわかりやすく描いていますよね。

ヴェネツィア
2025/02/24 08:35

anakoさん、ややストレート過ぎる気もするのですが、それは大人の雑念かもしれません。たしかに教会学校の読み聞かせにはピッタリかも。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は大阪朝日新聞、昭和21(1946)年8月。戦後1年であるから、大阪の町は依然として焼け跡が多く残り、闇市が活況を呈するような状況だっただろう。そんあ背景の中で、毎日のように薬局にヒロポン(メタンフェタミン。いわゆる覚醒剤)を買いに来る男と、薬局の敏子との物語。敏子は、この男を案じ、おそらくはいつしかほのかな恋心を抱いていたものと思われる。小説の末尾は「敏子は思わずつんとして、ヒロポン品切れです!しかし声はふるえ、それがせめてもの女心だと亡夫を想った」と締めくくられる。なかなかにイキな掌編である。
とんかつラバー
2025/02/23 22:16

本当かどうか知りませんが、織田作之助が亡くなって数日後に薬局で客がそれを話題にしたら、店主が「先生やったらさっきヒロポン買いにきはりました」っていう話、好きです

ヴェネツィア
2025/02/24 07:05

とんかつラバーさん、あの時代の無頼派の作家たちは、みんなヒロポンをやっていたでしょうし、織田作も当然のようにそうだったと思います。この作品もヒロポンの危なさを知りつつ(だからこそ)書いているのでしょう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『和漢三才図絵』は寺島良安によって書かれた、いわば江戸期の絵入り百科全書である。自序によれば、正徳2(1712)年のもの。ここには巻第三十七~四十四までが収められており、いわば禽獣篇を成す。豕(ぶた)から始まるが、狗(いぬ)や猫、馬などはもちろん、海鹿(あしか)や膃肭臍(おっとせい)などの海獣類までを網羅する。もっとも、中には麒麟や火鼠※、魍魎なども含まれたりもするのだが。後半の鳥類もまた充実を極め、さながら図鑑のごとき観を呈するのである。また、それぞれの項目には『本草綱目』など出典も記される。
ヴェネツィア
2025/02/23 16:52

※火鼠の皮衣(かわぎぬ)は、貴公子の一人に与えられた難題として『竹取物語』にも登場する。実態はアスベストであったようだ。そのことは、かの平賀源内が自ら製作し(小さなものしかできなかったようだが)立証してみせた。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者名にある"injectar-e"はグラフィックを中心としてデザイン教本や書籍の執筆・制作をする会社。本書のレイアウトは、概ね左ページに素人の製作したもの(ポスター等)、右ページに彼らが提案する製作例を示す。並べられているので、一目瞭然の説得力がある。ポスター以外にもパンフレットやメニュー、カタログなど、主に紙媒体のものを取り上げている。もちろん、ここでの一番の主張は、タイトルにあるように「よはく」がパワーを発揮するということであり、つまりは伝えたい主題をいかに際立たせるかを伝授するのである。   
ヴェネツィア
2025/02/23 16:12

作例も多く、個々に具体的なアドヴァイスもなされており、応用すれば広範囲に有用であると思われる。

ヴェネツィア
2025/02/23 16:17

紙媒体以外でも、例えばプレゼンテーションのパワーポイントの資料作成にも大いに役立つし、それ以外にも様々な応用がききそうだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
スティーブン・ケロッグ・作。一人ぼっちで寂しいアーノルド(5歳くらい)。最初は犬、次に猫、そして鹿と次々に飼いたい動物を家に連れてくるのだけれど、おかあさんが「ダメ!だって…でしょう」と賛成してくれない。それでも懲りないアーノルド。しだいにエスカレートしていくところが楽しい。最後のページなどは、ことさらに微笑ましい。それになにより絵がいい。丁寧な線描(エッチング?)でリアリズムに徹した作風だ。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は「風雪」3月号(1947年)。織田作之助には珍しく、東京の神田を舞台にした物語。「喧嘩早く、物見高く、町中見栄を張りたがりー中略ー娘には年中派手な衣裳を着せて、三味線を習わせ」というのは、あまりにもステレオタイプな、しかも古い神田像かとも思うが、織田作にはそうだったのだろう。そんな環境の中に生まれ育った安子。尋常小学校の2年生には早くも恋に目覚め、となんとも早熟である。そこから彼女は数々の男性遍歴を経て、とうとう横浜で芸者に。未だ安子18歳であった。タイトルこそは「妖婦」だが、実態はそうした環境に⇒
ヴェネツィア
2025/02/22 17:05

⇒翻弄されて駆け抜けていったのが安子の青春だった。小説は、これで一応は完結しているようにも、未完のようにも見える。完結しているとすれば、語られない安子のその後の人生はいかようのものでありえたのか。暗いものを想像しそうだが、案外にサバサバと世を渡って行ったようにも思われる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
比較的初期の中編小説。1848年、時にドストエフスキー27歳。「感傷的ロマン」とし「空想家の追憶」と副題に謳っている。確かに後の『罪と罰』(1866年)などと比べると、遥かに甘ったるい小説である。物語は4夜と次の朝から構成されるが、それらの全てがロマネスクな幻想だともいえそうな内容である。主人公の恋そのものに実態が希薄であるばかりか、相手のナースチェンカとの関係そのものも脆弱で果敢ない。まさに白夜のような朧気のなさである。それは比喩的な意味においても、また実態としても所詮は4夜の夢でしかなかった。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
平田研也・文、加藤九仁生・絵。この二人は共にアニメ集団「ロボット」の人。本書も、オリジナルはアニメであったものを絵本化している。なお、アニメでの評価はひじょうに高く、アヌシー国際アニメーションフェスティバルでクリスタル賞(最高賞)を受賞するなど、数々の賞に輝いている。シンプルなお話と絵だが、たしかにノスタルジックで哀愁と暖かさの両方を備えた絵本。とりわけ絵はオープニングからエンディングにいたるまで、心の琴線を揺さぶるものである。
ヴェネツィア
2025/02/22 08:48

他の方たちの感想にもあるが、子供向きではなく、やはり大人向きの絵本だろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
中嶋貞治、上野修、奥田透の3人の著者(料理人)による日本料理の魚大全。フルカラーで目にも鮮やか。日本料理は目で食べると言われたりするのも納得の美しさ。これに香りが加われば、至福の時間が待っていそうだ。一番驚いたのは、お刺身でさえもそのまま切って並べるだけではない。必ず手が加えられていて、何かと取り合わせたりしているのである。例えば「真子鰈と筍の木の芽味噌ドレ」などという風に、鰈を単体では出さないのである。また、日本料理とはそういうものなのだろうが、見るからに下拵えに時間と手間暇をかけているという感じなの⇒
ヴェネツィア
2025/02/22 08:38

⇒である。ただ、どのお料理もあまりにもプロフェッショナル過ぎて、とても真似できるようなものではない。レシピも付されているけれど、私には見て楽しむもの。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
巻頭に著者の長谷川堯氏による論考「田園住宅-その背景と主景」を配し、ウィリアム・モリスの住宅論が語られる。それに続いてイギリスのカントリーサイドにあるコテージが紹介される。概ねは1900年〜1920年くらいまでのもの。実に様々なスタイルのものがあるのだが、それらはリージョナルな様式によるものなのか、あるいは個人様式であるのかが残念ながらわからない。ただ、そのいずれもが(マナーハウスほどは大きくない)、田園の中に佇む姿はいかにもイングランドという風情。100年を越えて古色蒼然たる風情を湛えている。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレバブルに浮かれることのなかった水矢子だけは無事に生き延びるかと思っていたのだが、桐野夏生の筆致はなんとも厳しい。上巻にも増して疾走力のある文体。ことに転落が始まってからは怒濤のごとき勢いだった。彼らは結局3人ともがバブルに翻弄され、その大きな流れに飲み込まれていったのだ。お金儲けには全く疎い私には、この種の事柄のリアリティのほどはわからないのだが、それでもこの物語はこの時代の雰囲気を確かに伝えているのではないかと思う。それらがすっかり終わってしまった今、あらためてあの時代の意味を問うのが本書である。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
2023年の作品。3人の視点人物を通して描かれるバブル期の証券業界とその周辺。上巻の主な舞台は、業界では準大手の萬三証券。熊本県の無名四大出身の望月、福岡県田川市の短大出の佳那、福岡県の進学校ではあったが高卒の水矢子。それぞれの思惑を秘めて、2年後には東京へとの望みを持っている。中では水矢子は万事に地味で、バブルからは距離がありそうだ。他の2人は狂奔のバブルに立ち向かって行く。桐野夏生の文体は、スピード感に溢れバブルの波に乗ってゆく。面白いのだが、このところの桐野作品に比べると軽さは否めない。
本読むおっさん(Lester_the_Nightfly)
2025/02/21 12:34

☆ 横レス失礼します。この巻でいちばん盛り上がった(評価が厳しかった)のは登場人物が喋る方言(言葉そのもの及び表記)だったと思います。描き方についてはこのようなものでしょう。「握り」が横行し,証券内部管理者すらいなかった時代ですから。駄文失礼。

ヴェネツィア
2025/02/21 13:34

本読むおっさんさん(変な言い方ですみません)、あの頃はそんなにとんでもない時代だったのですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
神沢利子・文、富山妙子・絵。1969年刊行と、かなり古い絵本。お話は、小川で落としたおばあさんのスプーンが、カラス、ネズミを経て帰って来るというもの。中心をなすのは、ネズミたちがスプーンで遊ぶあたりか。絵もまた文に呼応して素朴なタッチである。木炭画に彩色を施したもの。文も絵も、時間が緩やかに過ぎてゆくのを楽しむといった風情。今の子どもたちにも受け入れられるといいのだが。
み
2025/02/21 10:40

幼い頃に読んでおり、大人になって今3歳息子に時々読み聞かせています。ねずみが遊ぶ部分がやはりお気に入りで、「ちゅっくちゅっくちゅりちゅり」などの部分が面白いようです。

ヴェネツィア
2025/02/21 11:56

みさん、やはりあそこがハイライトですもんね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年7月、「大阪銃後ニュース」第十号。まだ「ニュース」の語が用いられていることからも、日本の戦況は壊滅的なところには至っていない。ある朝、旧友から届いた軍事郵便は旧友Sの応召を知らせるものだった。船に乗り込む(おそらくは大陸に出征するのだ)前に、会うことになり、雨の中で「私」はSの出発を見送ることになる。「私は、Sはきっと目覚ましい働きをするだろう」という思いでSの背中を見るのだが、無頼派の織田作にしては反戦を全く掲げることがない。意外な感もするし、こうしたものなのだとも思う。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
和ガラスだが、江戸硝子や江戸切子とは違って、明治、大正、昭和期のガラス工芸を扱う。もちろん、技法的には江戸硝子などを受け継いだものもある。こうして写真版で見ても実に綺麗だし魅力的である。様々な技法のものが紹介されているが、私が一番惹かれたのは「上絵付け・エナメル彩」である。ことに松浦玉圃のエナメル彩は、細やかで繊細、かつ完成度も高い工芸品である。なお、松浦は最初は彫刻家として名を成し、後に絵画を学び、やがてガラスの焼き付け技術を研究し、明治29年から販売し始めたようである。
宵待草
2025/02/21 15:47

ヴェネツィアさん こんにちは! 昨日は所用で出掛け、その後は家族との外食で帰宅が遅く成りました。 今ほど拝見しました。 共読に成った此の美しい本の、レビューを嬉しく拝読しました!🍀 美術工芸品の中でも特に好きなガラス工芸! 其の中で最も惹かれ鑑賞して来たのが、和ガラスの氷コップや、コンポートや瓶や、電笠です!💖 大量生産では無い、明治・大正・昭和初期の、和ガラスは本当に麗しいです!🌟 何時も、有り難うございます!🙋 暦の上では立春を過ぎても、未だ未だお寒いです。 呉々も、ご自愛下さいね!✨ 宵待草

ヴェネツィア
2025/02/21 16:39

宵待草さん、こんにちは。これはいかにも宵待草さんテイストだと思います。明日からまた寒波だそうです。共に乗り切って春を待ちましょう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
アガサ・クリスティの17番目の長編小説。ロンドン行きの飛行機の機内での密室殺人事件であり、衆人環視の中で行われた一種の不可能殺人である。出版は1935年。この年代からすれば、飛行機旅行はかなり贅沢であり、ある程度は限られた客層に限定されていたと思われる。そんな中にあって、ジェーン1人だけは場違いな階級であるが(競馬で100ポンド稼いだようだ)物語の華やぎのために配されたキャスティングだろう。不可能とも思える殺人の動機も方法も見事に言い当てて見せるのはポワロである。今回はなんといっても、飛行機の中という⇒
ヴェネツィア
2025/02/20 12:49

⇒のがミソ。たまたまポワロも同乗していたのである。トリックには無理があるように思うが、ここはむしろポワロの推理と行動とを楽しみたいところだ。そんな風に割り切れば、十分に面白いミステリーである。

ヴェネツィア
2025/02/20 12:52

なお、原題は"Death in the C loud"だが、邦題の『雲をつかむ死』は、「雲をつかむような」という成語を効かせた、なかなかに気が利いたもの。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
物語は「いのちのつぶもめばえぬはるかむかし」から語りはじめられる。世界の始まりである。語りは「ひとつ ぴかぴか すなぷつん」という風な数え歌に乗って展開してゆく。ただ、いきなり人間が現れてヵらは急調子で進んでしまうのはちょっと残念。絵がまた独特で、神を張り付けたり、彩色した紙粘土を用いているのだろうか。他では見たことがない技法である。これが絵の全体に強固な力強さを与えている。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
一応は完結した童話だが、賢治が何を描きたかったのかが今一つわからない。物語の冒頭にはラユーの町の三人兄弟の医者が紹介され、続いて北守将軍ソンバーユーが登場するが、両者が結びつく必然が全く感じられない。三十年間も砂漠地帯で戦ったという北守将軍の造型は、中島敦の『李陵』を連想させるが、その後の展開は滑稽な方向に行くし、結末は仙人になるなどと、これもまた意味不明である。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
第5巻は「冷たい戦争の時代」。つまり、第2次大戦後の世界を取り上げているのだが、タイトルとは裏腹に世界の各地で戦火が絶えることはなかった。巻頭はビキニ環礁での水爆実験。第5福竜丸が被曝したあの核実験である。多くの子どもたちを含むこの地域の人たちが被曝している。次いではネバダ砂漠やセミパラチンスクの核実験場。そして、ベトミンの対フランス戦争から、より本格的なベトナム戦争へ。また朝鮮半島では、米ソの代理戦争とも言うべき戦争が。アフガン戦争も終結しないまま混迷を極める。こうして見てくると、20世紀はまさに戦争⇒
ヴェネツィア
2025/02/19 14:13

⇒の世紀であったということになる。もちろん、それらのうちのいくつかは21世紀に持ち越されたし、アフリカ各地をはじめ新たな紛争も絶えない。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
角野栄子・文、牧野鈴子・絵。りっちゃん(小学校3年生くらい?)がひたすら編んだ長い長いえりまきに、次から次へと何人もが入れてもらって…。お話はいたってシンプルでプロットというほどのものはない。けれど絵と相まって、なんだかあったかい。絵はなんとなくアニメっぽいが、独特の画質を持つ。インド人がターバンにヒゲというのはステレオタイプに過ぎるかとも思うが、一目でインド人だとわかってもらうためには、これしかないかも。なお、本書はサンケイ児童出版文化賞を受賞している。
T. Tokunaga
2025/02/19 14:56

ヴェネツィアさん、インド人はサリーのほうがよいかもしれませんね。ターバン巻くのは一部の宗教ですが、サリーはけっこういまでも人気ですし。

ヴェネツィア
2025/02/19 15:51

T.Tokunagaさん、たしかに。ターバンはシーク教徒の人たちが巻いていますが、サリーはほとんどの女性たちが着用していますね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『ペンネンネンネンネネムの』というよりは、むしろ来るべき『グスコーブドリの伝記』のための草案だろうか。なかなかに意味深いメモランダムである。神話的というよりも、いっそう旧約聖書の物語であるかのような。そして、それは遥か大江健三郎の『燃えあがる緑の木』にまでつながっていきそうだ。まさに大いなる物語として。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
内田洋子さんのオートバイオグラフィーによるイタリア半生記。始まりは学生時代のナポリから。この時に、ミラノやフィレンツェではなく、ナポリだったことが彼女のイタリアに決定的な刻印を押したのだろう。万事が時間通りに、そして計画通りには進まないナポリに代表されるイタリア南部の人たち。でも、その人たちは実に愛すべき人たちである。彼女が最初にナポリに行った時には、自分自身が全く海のものとも山のものとも知れなかった。そこから手探りでつかみ取ったイタリア。だから、私たち読者にもその喜びもひとしお身に染みて伝わるのである。
ももしびっく
2025/02/18 19:55

大好きな内田さん、この本は未読なので読むのが楽しみです。

ヴェネツィア
2025/02/19 07:45

ももしびっくさん、ここでもイタリアを満喫できます。次の旅行はナポリにしようかと思っています。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ここでは貝合せ、かるた、すごろくが江戸の遊戯として取り上げられているが、そのいずれもが江戸期に発生したものではなく、起源はずっと古い。それが綿々と江戸まで続き、ある種の発展型を生み出したのである。貝合せは、王朝期には貴族社会で好まれたが、江戸期にはもっぱら大名などの上級武家の嫁入り道具化していたようだ。実際に遊びもしただろうが、工芸としての完成度も高く、傷み具合からすれば観賞用だったのではないだろうか。かるたは、百人一首あたりから始まったのだろうが、江戸期には「うんすんかるた」や「いろはかるた」が⇒
ヴェネツィア
2025/02/18 15:09

⇒生み出された。これらのなかで遊びというか、賭事として楽しまれたのが歌留多と、そして何よりもすごろくであっただろう。ただし、ここでいうすごろくは、いわゆる道中すごろく(今のスタイルのもの)ではなく、バックギャモンのことであった。風俗図屏風にも、浮世絵にも遊女たちがこれで遊ぶ姿が描かれている。もっとも、屏風の方は優雅だが、浮世絵の方はなんだか鉄火場めいた迫力であるが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
山下明生・文、梶山俊夫・絵。創作民話。文体も語りかける調子で綴られる。随所に広島方言が混じるのは、著者の体験を反映するようだ。いつも誰かに受け入れて欲しい鬼。でも、誰からも忌避される鬼。そんな鬼の孤独を描くが、けっして交わることがかなわないだろう。読み聞かせで子どもたちに「みんな仲間に入れてあげましょうね」などと言うとすれば、それは違うだろう。表層をはるかに超えた孤独である。絵もそうした鬼のグロテスクさをよく表象しているし、民話調のお話をよく活かしてもいる。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
未完の童話。ただ、このままだと仮に完結したとしてもあまり優れたものにはならなかっただろう。完成するためには相当に推敲が必要だったと思われる。タイトルは語感の響きも面白く、大いに期待されるのだが、妹のマミミの誘拐もその後も事柄が語られるだけで心に訴えかけるようなものではない。それは、他のエピソードにしても同じだし、展開もまた冗長である。そもそも、おばけの国の話という設定も意味をなさないようだ。この作品が後年の『グスコーブドリの伝記』に発展していくとも言われているが、それも実感できない。
えか
2025/02/17 18:06

ヴェネツィアさん、この作品、宮沢賢治の中でも、一番変な作品ですよね。童話でも、コントでも、なく、なのに、話し自体はグスコーブドリそっくり。別役実さんの『イーハトーボゆき軽便鉄道』という、賢治の作品の解説をしているエッセイ本のなかに、この作品の解説があるのですが、これが凄く面白い。このおばけの世界に入るには主人公の名前は「ペンネン」と手がかりを得てから「ネンネンネン」と駆け上がり「ネネム」と収めるのが、この世界にはいる正しいらしいですよ。

ヴェネツィア
2025/02/17 18:16

えかさん、詳しい解説をありがとうございます。タイトルには惹かれますが、内容的にはあまり見るべきものがないという感じです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
これがデビュー作ではないものの、弱冠23歳の新鋭作家が書いたものであるとはとても思えない。自分のスタイルを確立しているし、その文体の運びも実に堂々たるものである。ゲーテ研究者の統一を主人公として、ゲーテは言うに及ばず博覧強記ぶりを示す。しかも、それが知識を披露するというレベルではなく、言説としての重みを持っている。しかも、引用されているもの同士の有機的関連にまで及ぶのである。ことに、聖書への言及は登場人物たち(この場合は主人公の義父の學)の造型を深みへと導き、より確かなものにする。物語の核として機能して⇒
新田新一
2025/02/18 11:50

ヴェネツィアさん、こんにちは。良いレビューを有難うございます。このレビューを読ませて頂き、ぜひ読んでみようと思い購入しました。近いうちに読むつもりです。いまから楽しみです。

ヴェネツィア
2025/02/18 12:01

新田新一さん、ぜひ読んでみてください。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
アメリカ大陸に人類が渡って来たのは、およそ1万年前とされている。ベーリング海(当時は氷結)を越えて、北アメリカ大陸の東部へ、またさらなる南下を続けた人々もいた。彼らが南アメリカ大陸の南端まで達するのにはそれほど時間を要しなかったようだ。こうして、南北アメリカ及びメソ・アメリカに数多くの古代文明の痕跡が残されることになった。メソ・アメリカには、紀元前1000年頃からはオルメカ文明、そして紀元前後頃からはマヤ文明が栄えた。南アメリカでは、長い年月をかけてインカが次第に勢力を増していった。⇒
ヴェネツィア
2025/02/17 12:43

⇒ナスカの地上絵やマチュ・ピチュ、クスコの石組の遺跡も興味深いが、私が一番惹かれるのはメソ・アメリカ、ことにマヤ文明である。チチェン・イッツァの壮大、壮麗なピラミッドや他の石造建造物などは、全体の中ではほんの氷山の一角である。パレンケ、ウシュマル、コパンなどいくつもの遺跡が眠っていた(依然未発掘のものも多数)。文字も言語もひじょうに魅力的である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
片山健・作。ある日、どこからか「わたし」(小学校低学年)の家に迷い込んできた片目を(おそらくは喧嘩で)損傷した猫。タンゲくん(命名の由来はおそらく隻眼の剣豪、丹下左膳から。若い人たちは知らないだろうな)と名付けられて飼われることに。お話というほどのものもないのだが、「わたし」の空想は、いかにも小学生の女の子らしいリアリティがあって微笑ましい。絵は水彩絵の具を濃く塗った一見ラフなタッチだが、よく見ると細部まで丹念に描き込まれている。人間の顔にだけ立体感がないのがちょっと不思議。
瑞子
2025/02/17 08:38

こんにちは、タンゲくん、強いネコさんですよね。

ヴェネツィア
2025/02/17 08:51

瑞子さん、強いです。そして、いまだに野良猫の風貌を残しています。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
なんとも残酷な童話だ。しかし、ここで行われていることは、家畜たちが承諾の印を押すということ以外は日常的な光景のはずだ。私たちがそれを見ない、あるいは見ようとしないだけで。この豚のように意思を持ち、人語を解するならば、そして私たちがそこに立ち会わねばならないとすれば、私たちはこの光景を見ることになる。肉食とはこういうことであるのだ。『ビジテリアン大祭』よりも、いっそうに説得力のある肉食忌避の童話である。もちろん、賢治は他者に肉食を禁じているのではない。しかし、なんとも辛い物語だ。
Johnnycake
2025/02/16 18:17

この物語は私の賢治童話の一番と言っても良い作品です。出会ったのは朗読を通してでしたが、強烈な印象を残してくれました。

ヴェネツィア
2025/02/16 19:14

Johnnycakeさん、たしかに印象は強いですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
下川祐治のアジア辺境旅の1冊。今回は国境に拘ったもの。たしかに陸路を辿って国境を越えるというのは魅力的だ。日本では絶対に味わえないだけに、その想いはひとしお募る。しかも、著者が超えてゆく国境は開いているのかどうかも定かでないような所である。もし開いていなければ、延々と戻らなければならないし(たいていの国境は、その国の辺境にあるが故)もっと最悪の場合には逮捕や射殺まであるかもしれない。また、だからこそ行くのだろう。たとえ初心者用の国境でもいいから、一度くらいは徒歩で越えてみたいものだ。
tacchiniyan
2025/02/16 16:22

ヴェネツィアさん、こんにちは。NHK-BS「地球鉄道」で中山卓也さんが、国境越えをされています。

ヴェネツィア
2025/02/16 16:24

tacchiniyanさん、そういう番組があるのですか。今度録画して見てみます。ご紹介感謝。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
1975年の出版なので、いわゆる「あぶな絵」の類はない。もっぱら大首絵の美人画を中心に構成されている。もっとも、中には一枚の絵の中に20人もの人物を描いた「琴棋書画」なども。また、「百花園涼み」などでは、遊客の男性もいて、彼らは当時流行の本多髷に縦縞の着物(最新のイキ)である。このあたりは、恋川春町の『金々先生栄花の夢』とも相通する。なお、この時代の文化を牽引していた中心人物の一人が蔦屋重三郎である。歌麿もまた無名時代には、蔦屋に寄寓していた。描かれている女性たちは遊女が多いのだが、難波屋おきたや⇒
ヴェネツィア
2025/02/16 14:07

⇒高島おひさなどの水茶屋の女性(彼女たちもまた町のスターであった)も登場する。なお、浮世絵の技法(絵師、彫師、摺師)も、ここに極まったかというほどの域に達している。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
フェイス・ジェイクス・作。お話にも絵にもイギリスらしさが横溢する。お家の中にメイドさんがいて、ティリーはそのメイド。毎日毎日、料理番にこきつかわれて、ティリーはもううんざり。自分だけの家を探して冒険行に。助けてくれたのはクマの人形のエドワード。巨人国に行ったガリバーのようなスケール感を楽しむのだろうか。それとも、お人形遊びの絵本版として楽しむ?ティリーのお部屋造りの場面はまさにそんな風だ。オリジナルは1979年の刊行だが、お話も絵もよく言えばクラシックだが、なんだか古めかしくもある。
宵待草
2025/02/16 10:45

ヴェネツィアさん こんにちは! 此の魅力的な絵本が、共読絵本に一冊加わり、嬉しくレビューを拝読しました!💫 『ティリーのクリスマス』も未読でしたら、お薦めさせて下さいね!🎄🎅 何時も良書を読み込んだ、レビューの掲載を感謝です!🍀 昨日、豪徳寺を訪ねたら梅も咲いて、冬から春への季節の移ろいを感じました。 しかし未だお寒いですので、お互いに体調に留意したいと思います!✨ 宵待草

ヴェネツィア
2025/02/16 14:08

宵待草さんのお好みの絵本ではないだろうかと、読みながら思っておりました。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
西の野原でたくさんの葡萄を採ってきた耕平は、家に帰って妻と葡萄酒を造る。ビール瓶に20本くらいできたのだが、6日くらいたって、突然にそれらが「ボッ」と次々に爆発する。おそらくは過発酵のためであると思われる。すべてをなくした耕平は「参ったのです」と評されることに。おおらかな童話である。失ったことの残念さよりも、あっけなさがまさるかのようだ。耕平一家の牧歌的な暮らしがしのばれる1篇。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
小説の枠組はボラボラ島で行われた「デートピア」。世界中から集められた(とはいっても偏りがあり、そのことは作中で指摘もされる)男たちが10人。そして、たった一人のかぐや姫、ミスユニバースといった陣容。そして、彼らは型のどとく、そこで美女の争奪戦を繰り広げるのである。ところが、内実の物語は、その参加者の一人であるキースの少年時から今にいたる屈折した物語と、早くから去勢願望を持っていたモモの物語である。それなら、外枠の物語は必要なのかとの疑問も当然に生じてくる。また、キースの睾丸摘出手術の持つ意味はそもそも⇒
ヴェネツィア
2025/02/15 14:20

⇒何だったのかということも。キースとモモの関わりもまた、深いようでいて、これまた捉えどころがない。着想の大胆さと、語りの圧倒的なまでの奔放さに翻弄されそうになるが、立ち止まってみると、構想の中心があってないようにも見える。芥川賞を出発点とするならば、今後はどこまで新しい地平に連れて行ってくれるのかとは思う。さあ、どうだろうか。期待値は大きい。

ヴェネツィア
2025/02/15 14:28

本書は第172回芥川賞受賞作。たしかに芥川賞らしい作品だと思う。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
お腹がすいている時に読んだせいもあって、どれもほんとうに美味しそうだ。元々食材としてのじゃがいもが好きなこともある。巻頭は、じゃがいもの故郷アンデスから。ペルーで年に一度開かれるじゃがいも祭りには、アンデスの各州からじゃがいも農家が集まって、その種類はなんと500種にも及ぶそうだ。お料理としては、ポルトガルなどは変化に富んでいる。またじゃがいも好きのドイツも負けてはいない。いやいやお料理文化ならフランスやイタリアも黙ってはいられない。初めて見るお料理で興味をひかれるのはベラルーシ。モロッコあたりも注目か。
ヴェネツィア
2025/02/15 16:39

家出猫さん、モロッコの料理はタジンがブームの頃には紹介されていましたが、やはり珍しいですね。いろいろと試したいお料理がいっぱい。

家出猫
2025/02/15 18:09

タジン鍋も持っていましたが使いこなせず、人に譲りました。お料理は奥が深いですね(^^)レッツチャレンジですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
梶山俊夫・作。独特のリズミカルな口調で語られる民話風のお話。三つ目の怪物が現れ、娘が食べられそうになるが、「いぐいぐいぐいぐ」のお呪いのようなお囃子のような言葉を唱えると、怪物の首がどんどん伸びて、カエルも一緒に「いぐいぐおぐいぐ」、首はもっともっと伸びて、ばあちゃんにちょっきんと切られちゃった。絵本の紙質が変わっていて、色が滲むようなフォーカスがかかったようなタッチになる。それが民話調のお話にぴったりとマッチする。絵と言葉のリズムーまさに絵本の王道かもしれない、
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
タイトルの二人の役人が登場する童話。主人公はちょうど、風の又三郎のクラスにいるような二人の小学生(尋常五年生)。ただし、回想形式をとっているので、語りは大人のものである。東北長官の視察(実際は物見遊山的なもの)があるために、周囲の野原や林は立ち入り禁止に。二人はそこに入り込んで行って役人たちに遭遇する。役人と長官閣下一行を揶揄する内容なのだが、それほど辛辣ではなく、むしろああ仕方がないなあと慨嘆するといったところ。ただし、子どもたち二人にとっては大きな事件だった。そのギャップの面白さもさりげなく語られる。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この小説は、複雑な背景を背負って成立している。主人公のアントワネットは、その出自からしても作者のジーン・リース自身が強く投影されている。第1部の舞台は、ジャマイカのクリブリであり、アントワネットはここで育った。そこで彼女は、かつて支配者の側であった白人入植者の階級に属するが、奴隷解放がなされており、その地の白人たちは「白いゴキブリ」と蔑まれていたのである。ジーン自身にも植民地に育ったことへの負い目もあっただろう。また、この小説はC・ブロンテの『ジェイン・エア』と不即不離の関係の中で描かれている。⇒
ヴェネツィア
2025/02/14 16:26

⇒いわば前日譚のような位置に置かれているのである。そのような煩雑なことを試みたことの背景には、単なる憧憬だけではないものが潜んでもいただろう。イギリスに対するアンビヴァレントな思いと懐疑もあったと思われる。そのように、この小説の背景は探れそうなのだが、肝心の小説の楽しみということになると、さてどうだろうかという疑問がなきにしもあらずである。そのことは訳文がイメージを膨らませない(少なくても私にはそうだ)ことにも原因がありそうに思う。【ガーディアン必読】449/1000。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
松崎天神というのは、あまり聞き慣れないのだが、防府天満宮のこと。日本三天満宮の一つ(ちなみに他の二つは、北野天満宮と太宰府天満宮)の由緒ある神社である。この絵巻は道真の一代記と、死後の霊験を説き、松崎天神の由来を語る。応長元(1311)年の制作とされる。ここに大事に保管されていたためか(現在は重要文化財)保存状態は驚くほどに良い。剥落もなく、色も極めて鮮やかだし、細部にいたるまでが実に明瞭である。また、描かれた人物たちの表情の違いも描き分けられている。さらには舟の描写をはじめ、当時の風俗を知る上でも⇒
ヴェネツィア
2025/02/14 12:31

⇒貴重である。装束を含め、リアルなのである。一方で雷神なども登場するが、これまた14世紀のものとは思えないほどである。恐れて逃げ惑う貴人たちの様子も秀逸。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
蔵冨千鶴子・文、柿本幸造・絵。「どんくまさん」は人気のシリーズらしく、少なくても20数冊はあるようだ。本書はその第1巻。主人公は表紙のどんくまさん。万事におっとり。善良で悪気はないが、やることなすこと的外れな失敗ばかり。それでもウサギさんたちは優しく見守ってくれる…というお話。なんといっても、惚けた表情のどんくまさんの愛敬が生命。目と目の間を極端に離すことによって生まれる親近感が秘密か。それ+この体形。万事に忙しく、せっかちな世の中にあって、ある種のアンチ・テーゼを示すのだろう。
yomineko@ヴィタリにゃん
2025/02/14 08:43

おはようございます😊図書館にありました✨✨✨読みたい本に登録させて頂きました📚熊さん、大好きです🐻

ヴェネツィア
2025/02/14 08:51

yominekoさん、おはようございます。どんくまさんの絵がほのぼの系です。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
美しく、ピュアな感覚に満ちた童話だ。ただ、その一方で双子のチュンセ童子とポウセ童子は、㈠でも㈡でも他者(一で大烏と蠍、二では彗星に)のために困った状態に追い込まれるのだが、苦難は背負ってはいても、基本的に彼らの間に葛藤はない。そして、それぞれ天の王様によって救い出されるのである。天の一角で銀笛を吹くという役割に徹するチュンセ童子とポウセ童子は、イノセントな存在として、そうであるがゆえに葛藤から解放されていたのだろうか。そういう存在があって欲しいとは思う。
ヴェネツィア
2025/02/13 16:41

『銀河鉄道の夜』のイメージと重なるところもあるが、『銀河鉄道』では、何かわからない根源的な不安と不思議とが横溢しているし、自覚しない葛藤があるようだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
荷風が生まれたのは明治12(1879)年。漱石より12歳下、谷崎より7歳上である。そんな位置ゆえにか、現在では人気も評価も今一つ(不当にも)のような気がする。一番好きな作家に荷風を上げる人はいたって少なそうだ。経歴の上でユニークなのは、落語家に弟子入りし(20歳)三遊亭夢之助の名で高座に上がったり、歌舞伎の立作者の門人となったりもしている。こういうところは、遅れてきた江戸を背負っていたのであったか。その一方で、父親の意向もあってアメリカ、次いではフランスに渡っている。モダニスト荷風の側面である。⇒
ヴェネツィア
2025/02/13 16:29

⇒畢竟、荷風は終生、この両面を共存させ続けたのではないだろうか。今後、もう少し積極的に荷風作品を読んでみようと思う。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
お仕事小説であり、同時に同人誌オタク小説。幸代をはじめお仕事仲間4人(終盤に+1人)の面々のキャラクター、また月間企画のメンバーもそれぞれに一応魅力的ではある。構想の一貫性もあるだろう。ただ、面白いお話を語ろうというのが前面に出過ぎている。それでいて、サリメニの秘密というのが、会社ぐるみでの女衒めいた行為であったというのは説得力を欠く上に、インパクトもまた小さい。中で語られるゲイ小説もまた中途半端な出来映えであり、これまた求心力を欠いている。さらには社内の政争に巻き込まれているにしては、スリリングな⇒
ヴェネツィア
2025/02/14 16:36

akikoさん、大半の読者の人たちはご満足のようです。三浦しをんなら何でもいいというものでもないと思うのですが。

akiko
2025/02/15 06:11

確かに、大好きな作家さんの小説がすべて気にいるかと言えば、そんなことはないですね。でも皆さんの感想を読むと、受け止め方は本当に人それぞれで面白いですね

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
立原えりか・文、いわさきちひろ・絵。お話はほぼ原話を踏襲。語り口が立原えりかの文体である。絵はいわさきちひろ独特の「にじみ」とグラデーションを活かしたタッチで描かれる。登場人物たちにスポットをあてるかのような構図をとっているために背景が描かれることがほとんどない。手抜きゆえにこうなったとは思わないが、いわさき晩年の作ではないだろうか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
賢治は何のためにこれを書いたのだろうか。よく知られたように彼はかなり徹底したヴェジタリアンであった。そこに理論的な根拠なり、保証なりを得たかったとも思えないのだが。物語はカナダのニューファンドランド島、ヒルティで行われたビジテリアン大祭を描く。もちろんヴェジタリアンの大集会なのだが、そこには反対派すなわち肉食派も招かれていた。菜食主義者と肉食者とが、互いに本陣を張るというのが物語の内容である。童話にしては随分と理屈っぽく、その意味では面白みのある物語とはいえない。ただ、両派がそれこそ実に様々な観点から⇒
みねね
2025/02/12 22:33

ヴェネツィアさん、コメント失礼します。新潮文庫に収録されていた本作を読んだことがありましたが、最後の呆気なさ(サクラ?)に、主人公が冷めたような描写があったことが印象的でした。

ヴェネツィア
2025/02/13 07:13

みねねさん、最後はたしかにあっけなく終わってしまいます。もっとも、全体としてもあまり童話的とは言えない題材でした。おそらく、賢治はどこかでヴェジタリアンの正当性を検証したかったのでしょう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻は、鶴屋南北の『桜姫東文章』である。南北作品では、『東海道四谷怪談』に次ぐ知名度かと思われる。実際の上演では、省かれてしまうこともあるという発端の「江の島稚児ヶ淵の場」。しかし、清玄と白菊丸の心中死(清玄は生き残るが)こそが、この後の全ての「因果の小車」の因なのである。白菊丸の生まれ変わりの桜姫。深窓のお姫様でありながら、無理矢理自分を犯した権助が忘れられず、二の腕に釣鐘と桜の彫物を彫らせるなど、およそ破天荒な姫である。彼女を軸に権助の悪と清玄とが翻弄されて行く。なんとも壮大で奇妙な劇である。
ヴェネツィア
2025/02/12 09:16

初演では七世市川團十郎が清玄と権助の二役をこなしたそうだが、今ならやはり片岡仁左衛門の二役と坂東玉三郎の桜姫がベストか。お二人がもう少し若ければ(この二人は若い頃からこれを演じている)なお言うことがないのだが。歌舞伎通なら、むしろ今の方をとるかもしれないが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
いわむら かずお・作。「14ひき」シリーズの1冊。この巻は「やまいも」。おとうさん、おかあさん、おじいさん、おばあさん、そして10匹の兄弟でやまいも掘りに…というお話。ひたすらその行程が実に緻密で細部にいたるまでリアルな(ただし、ネズミたちは擬人化されている)タッチで描かれる。線描に彩色しているのだが、フォルムも色の施し方も丁寧この上ない。見る方も心して見れば、それだけ発見もある。そんな絵だ。
★なおぴんコ★
2025/02/12 19:31

里山の美しい風景、野の草花や生き物たちの佇まいを丁寧に切り取った絵が本当に素敵です。添えられる文章は短いのですが、登場人物の表情、1枚の絵に描かれた一つ一つをじっくり見ると思うと、乳児さんよりも幼児さん以上向きで大人でも十分に楽しめる絵本だと思っています。いわむらかずおさんも、お亡くなりになってしまいもう新作が読めないと思うとさみしい限りです。

ヴェネツィア
2025/02/12 19:33

なおぴんコさん、絵はほんとうに丁寧ですね。お亡くなりになられたのは知りませんでした。残念です。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
本書は2002年にイギリスで出版された"Endangered Animals"を翻訳し、再編集したもの。第1巻には総論があったが、まずは第2巻の具体篇から。冒頭は、アイアイ。「南の島のお猿さんだよ」の童謡で知られるが、今ではわずかに1000~1万頭しか生存しない。しかも、近縁種は全くない。また、マダガスカルではインドリも危うい状況である。意外だったのがアミメキリン。たいていの動物園にはいるために珍しさを感じないかもしれないが、野生種はどうやら数千頭を残すのみのようだ。
Himeko is not cat
2025/02/11 19:59

うさぎで2巻て、全部で何巻なんでしょう!マダガスカルのサルちゃんたち🐒…絶滅しないでほしい😢

ヴェネツィア
2025/02/12 06:50

Himekoさん、おはようございます。図書館で見つけたのですが、全部で10巻くらいでした。アイアイをはじめ、マダガスカルは開発で危機的な状況のようです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
宮沢賢治の童話の中でも、とりわけ印象深いものの一つ。一郎と楢夫の兄弟の設定になっているが、楢夫のイメージの背後にはやはり賢治の妹のトシがいるのだろう。吹雪の中で道を見失い、楢夫は多の子どもたちとともに鬼に追われてゆく。石積みの場面はないが、それはやはり賽の河原を行くのだろうか。賢治には行かせたくないとの痛切な思いがあったに違いない。守れるものなら、自分がどんな犠牲を払っても守りたかっただろう。しかし、それがかなわないことを夢の中の賢治自身が知っていた。そこで唱えられたのが「にょらいじゅりゃうぼん第十六」⇒
ヴェネツィア
2025/02/11 16:47

⇒すなわち、法華経による救いを賢治は希求した。痛切に希求したはずだ。その結果、賢治が手にしたものは楢夫(トシ)の救いと、死だった。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレ3つの作品から構成される。いずれも詐欺の物語。もっとも、その位相はすべて異なっている。まずは巻頭の「2020年のロマンス詐欺」。最もトレンドな詐欺である。ただ、主人公の耀太は思いがけず加担してしまうのだが、結果的にはむしろ状況は好転するかのようだ。コロナ禍の日常を巧みにあしらっている。2つ目は「五年目の受験詐欺」。これもいかにもありそうな物語だ。受験生の自分の子どもを信じ切ることができなかった母親の物語だが、やはり以前よりもいい結果で終わる。最後は「あの人のサロン詐欺」。なりすましの物語だが、これまた⇒
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ハリエット・M・ジーファート 文、ドナルド・サーフ 絵。飼い主夫婦の愛を一身に浴びていた犬のプーシュキン。ところが、ある日そこに赤ちゃんがやってきて…というお話。独特のタッチの水彩画がいい。擬人化されてはいるが、プーシュキンの表情も動きも、そして感情の表出もなかなかに巧みだ。プーシュキンはロシア名前だが、この絵本の製作者たちの文化的なルーツはユダヤ系だろうか。なお、赤ちゃんのスケール比率が妙に大きいのだが、これはプーシュキンにとっての心的大きさの表象か。
ヴェネツィア
2025/02/11 11:43

yominekoさん、ラブラドルのプーシュキンが可愛いです。

yomineko@ヴィタリにゃん
2025/02/11 12:47

ラブラドール、可愛いですよね🐶

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
無骨なひのきと、華やかなおしゃれが大好きなひなげし。そこへ悪魔がやってきて、ひなげしたちはあわや食べられてしまうところをひのきに救われる。だけど、ひなげしたちは感謝するどころか、怒り出す。「けし坊主なんかになってあたしら生きていたくないわ」というひなげし。刹那的な生き方に美を見出すのか、それとも永遠なるものに投影されるべきなのかという問いかけでもある。それに賢治ははっきりと答えるわけではないが、終幕の星の輝きがはからずも答えているだろう。あまり知られていない賢治童話の1篇。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
これを読んでいると、日本は今、とっても危険な場所に立っているのではないかとひしひしと感じさせられる。私にとっては最も想像の及ぶ教育問題に限っても、とんでもない状況である。日本政府が力を入れている「GIGAスクール構想」には、当面4600億円の予算を付けて、生徒一人一台のタブレットを支給し、高速大容量インターネット通信環境を小中学校に整備するというのだ。そう聞くと、一見いいように思えるのだが、この構想が行きつく先は全ての授業をAI教師が担当し(生身の教師は一切不要だ)、生徒たちはひたすらに端末に向かう。⇒
ヴェネツィア
2025/02/11 11:47

読書家さん、彼らはみんな様々な危険をよく知っているからでしょうね。

読書家さん#2EIzez
2025/02/11 15:51

そうですね。! 私たちでもわかる位ですし大人でもいろいろいますしね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
五十嵐美和子・作。お話というものはなく、雲の上から街を俯瞰し、またその逆に街から空の雲を見上げるといった絵本。そんな絵本なので、絵は鳥瞰図めいた構図をとるものが多い。細部まで描き込んだ線描画に着色。建物などは直線が強調される。これはおそらく、雲の曲線を際立たせるためだと思われる。いろんな雲が紹介され、最後に図鑑風の解説も。この人は物語作品よりも、こうした図鑑めいたものが得意のようだ。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
樋勝朋巳・作。巻頭の「作者のことば」によると、これは作者にとって初めての赤ちゃん絵本であるらしい。また、「チキカングー」は直観的に面白いと思ったリズムとのこと。意味は全くない。でも、たしかに軽快で心躍るリズムだ。犬のタンバリン踊りにはじまって、次にはネコも加わって一緒に「チキカングー」。さらには、おいもにメルちゃんも連なって「チキカングー」。迷子のぼっちゃんも、いつの間にか「チキカングー」。子ども園などで読み聞かせをすれば、しばらく流行りそうだ。でも、本来のターゲットの赤ちゃんたちにはどうなのだろう。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
マヤが「きみ」に語る一人称体のスタイルをとる。この語りの巧みさが、なによりも本書の成功の最大の要因だろう。では「きみ」とは一体誰なのか。もっと早くに気が付いた人もいただろうが、私が確信したのは間もなく全体の半ばといったあたり。テーマは日本の入管問題となかなかに切実かつ深刻なのだが、作品全体を貫流する抒情がそうした殺伐とした対応を(作品として)救う。それにしても、日本の入管のあり方は外国人に対してあまりにも冷酷で理不尽である。予断と偏見に満ちているといってもいい。恥ずかしながら、私はここまでのものだという⇒
ヴェネツィア
2025/02/09 16:06

⇒認識はなかった。本書がフィクションの力を持って、この問題を描いてくれたお蔭だと思う。繰り返しになるが、本書はそのことを告発するためだけに書かれたのではない。小説としての完成度が高く、なによりも柔らかな感性に裏打ちされた抒情味が作品を支えているのである。お薦め!

ヴェネツィア
2025/02/09 16:08

『やさしい猫』はつり広告めいたタイトルのような気もするが、それに魅かれてよかった。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
エドワード・ゴーリーのオペラ本。プリマドンナは歌姫オルテンツィア・カヴィッリャ。そして彼女の熱烈なファン(たぶん)のジャスパー・アンクル。最初は無名だったオルテンツィアはどんどん名声を獲得してゆく。一方のジャスパーは零落の一途を辿る。そして、最後にその二人の運命が交錯する。なんとも不条理な物語。オペラらしいといえばそうだ。絵はモノクロームの実に繊細な線画。ビアズリーにちょっとだけ似ている。『サロメ』風の表紙といい、誰もが「くるぶし」という名前を持っていたりと、奇妙な要素はたくさん見受けられる。
ヴェネツィア
2025/02/09 15:02

タイトルも随分と奇妙だ。そして、オペラなのだが、終始一貫して妙に静かで音がない。内容はベケットを思わせないでもない。畢竟はどんな解釈をも受け入れそうだ。お薦め!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
本書は元来『古地図ライブラリー』の一環として刊行された。結果的には、ほぼ同じ位置から描かれた北斎、広重の絵を比較して眺めることができる好企画となった。それらは、景の切り取り方も、構図も、着眼も、何から何まで違っており、二人の絵師の違いを際立たせることになった。北斎の『富嶽三十六景』が天保2〜4年、広重の『不二三十六景』は嘉永5年の刊行である。最初は、勝敗表を作るとすれば、どれくらいの比率になるだろうかと漠然と想像していた。ところが、いざ蓋を開ければ、もう北斎の圧勝である。遠近法を駆使した絵はとりわけ空間⇒
ヴェネツィア
2025/02/09 14:41

⇒の大きさ、スケール感の圧倒的な力強さで迫る。色彩は多色摺りの広重の方が豊かなのだが、そのことが逆にマイナスに働いているかのような気になるほどである。私の評価では、真の天才、北斎と巧者の広重といったところ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
はまだ ひろすけ・文、いわさき ちひろ・絵。「この絵本について」によれば、お話は1925年に書かれたオリジナルを絵本向けに短くしたものであるようだ。1925年は、いわゆる大正デモクラシーの時代だが、戦争の暗雲は萌していただろう。竜は、目に見えない脅威のシンボルでもあったと思われる。その反面では恐れつつ崇敬の対象でもあっただろう。そうしたアンビヴァレントな存在が竜である。絵は中国(清朝時代)を舞台に描かれている。人間も竜も風景も巧みだ。これまで、いわさき ちひろを過小評価していたかと、ちょっと反省。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この作品が書かれたのは1923(大正12)年4月である。それは妹トシの死の翌年、賢治が花巻から樺太までの旅を敢行した年であり、その体験が大きく影を落としているだろう。ただし、この童話には直接トシの死を思わせるものはない。ベーリング行きの列車は、賢治の北方指向を如実に語っているだろうし、その北の果ては、あるいは永遠なる地(したがってトシがいるかもしれない)であるのかもしれない。一方、タイトルにもなっている「氷河鼠の毛皮」などは、それこそ賢治やトシからは遠い世界のものだ。賢治はそれをトシに着せてやりたかった⇒
ヴェネツィア
2025/02/08 17:13

⇒だろうか。それは、かなわない願望の投影であったのだろうか。物語の最後は唐突に閉じられてしまうのは残念だが、賢治にはこれ以上書けなくなったのだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ここに掲載された数々の絵は、江戸に生きた人たちの精神の自由度を如実に示している。すなわち「夜明け前史観」※からは遥かに遠い江戸だ。実に様々なタイプの遊び絵がある。「上下絵」(表紙の絵がこれ。さかさにすると、違った顔が現れる)、「絵文字」、「寄せ絵」(人の顔が何人もの人の身体が組み合わさっている、アルティンボルトばりの絵)「鞘絵」(歪んだ絵が、円筒状の鏡に映すと正常になるホルバインのトロンプルイユのような絵)など、かなり多岐にわたる。第一人者を挙げれば国芳か。次いでは芳藤だろう。
ヴェネツィア
2025/02/08 16:58

ありそうでないのは、現代の仕掛け絵本のタイプのものくらい。それにしても、アルティンボルトあり、ホルバインありと、浮世絵の世界は随分独自な進化を遂げたものだ。

ヴェネツィア
2025/02/08 18:23

※島崎藤村の描く『夜明け前』に因む。かつて江戸時代のイメージといえば、雁字搦めの封建社会に喘ぐ庶民たちというイメージだった。自由もなく、食べ物も貧困で農民でさえ米を食べられないなどと思われていた。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻は3つの絵巻を収録する。まず『葉月物語絵巻』だが、これは絵が伝・土佐光顕、詞書を後二上院と伝える。14世紀初頭くらいか。絵は剥落が激しいが、雰囲気は素人目には『源氏物語絵巻』を思わせるもの。『枕草子絵詞』(14世紀初頭)と『隆房卿艶詞絵巻』(鎌倉期)の両者はいずれも、白描画と呼ばれる墨描きの絵である。彩色画よりもむしろ、細部が鮮やかで、ことに女性たちの髪の表現は繊細、かつ表情が豊かである。構図は基本的には他の絵巻と変わらないようにも見えるが、やはり細部の表現はより細やかである。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
市川里美・作。パリ在住。かの地を拠点に数々の絵本やイラストを発表し続けている。各国語への翻訳も、受賞歴も多数。本書は、お話というほどのものはなく、野原で春を満喫する子どもたちが描かれる。絵はたしかに素晴らしい。繊細で、ほのかな抒情が漂う。大人の大半は絶賛するだろう。ただ、子どもたちにはどうだろう。あるいは、インパクトが弱いと感じるかもしれない。絵の舞台は特定されないが、イメージはオーベルニュあたりではないかと思われる。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
生まれも育ちも大阪の織田作之助が、このタイトルで扱うのはやはり将棋の坂田三吉である。今ではどうののかはわからないが、かつて坂田は大阪で最も著名な人物だった。その自由さと、中央や正統なものへの反骨の生き方が共感を生んだのだろう。坂田は子どもが泣いている声に心ひかれるという。そして、織田作はそこに坂田の持つ「いたましさ」を見るのである。しかも織田作は坂田の負け将棋にばかり着目する。それこそが坂田の本質を炙り出すからだろう。そして、「勝負師の無我の境地」を浮かび上がらせるところに小説を成立させるのである。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者は『散るぞ悲しき』の梯久美子。今回も渾身のルポルタージュである。第1部はサハリン夜行列車ででユジノサハリンスク(豊原)からノグリキへ。土地の珍しさと、サハリン鉄道に乗ったかという羨望の想いはともかく、紀行としてはさほど変わったものではない。ところが、第2部は出色の出来である。宮沢賢治もまた、花巻を発って、青森、函館、稚内を経て樺太を旅している。1923年賢治27歳の年である。賢治はその前年に最愛の妹トシを喪い、傷心の旅であった。梯は賢治の詩と『銀河鉄道の夜』(彼女が着目したのは第1稿である)を⇒
ヴェネツィア
2025/02/07 16:43

⇒頼りに賢治の心象(とりわけトシは今どこにいるのかに拘泥する賢治の)を解明していこうとする。詩の引用が的確であるために、その追跡行は実に心に沁みるものである。賢治像を探る上で最も重要な、ある側面を見事に浮かび上がらせる評伝であり、その感動は読者にもひしひしと伝わって来る。お薦め!

ヴェネツィア
2025/02/07 16:44

なお、表題の「サガレン」は、樺太(サハリン)の古い呼称。賢治の時代にはそのように呼ばれていた。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
江戸の出版文化はまさに百花繚乱である。今、NHKの大河ドラマで俄に脚光を浴びた蔦屋重三郎なども、このことに大いに寄与していた。化政期あたりになると、今の出版物にあるようなものの大半は既に出揃っていた。もちろん、木版画の技術がそれを可能にしたのである。室町末には宣教師たちが活版印刷を持ち込んでいたし、また中国、朝鮮経由での活字印刷の技術は伝わっていたが、隆盛を極めたのは木版であった。本書はそんな江戸期の出版物のあれこれを紹介する。ここでは『偐紫田舎源氏』を江戸期最大のベストセラーとするが、私はシリーズ全体⇒
ヴェネツィア
2025/02/07 10:35

⇒では一九の『東海道中膝栗毛』ではないかと思うのだが、いずれにしても今となっては正確な数字はわからない。また、ここには紹介されていないが、江戸期の出版物では往来物(寺子屋等の教科書。様々な科目があったようだ)それ自体と、その効果による識字率の高さも注目に値するだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
神沢利子・作、井上洋介・絵。この二人のコンビによる「くまの子ウーフ」は人気のシリーズ。本書は、シリーズその2。次から次へと沸き起こる、ウーフの隣の芝生妄想。最後は、青い鳥のように結ばれて幕。想像の広がりかたが面白い。ことに、お魚との遭遇とやりとりは。淡い水彩で描かれる絵もまた本文にピッタリだ。擬人化されつつ、ちゃんと熊は熊の、魚は魚の動きになっているところがミソ。人気があるのも納得。読み聞かせの後も、みんなで想像を広げる遊びが楽しめそうだ。
ちち123
2025/02/07 12:32

自分も気になったのでAIに聞いてみました。(笑)魚には舌がないわけではありません。魚の種類や食性によって、舌の形や機能は様々ですが、多くの魚には舌が存在します。

ヴェネツィア
2025/02/07 14:18

ちちさん、そうでしたか。この絵本では、舌がないことを全く疑っていません。ちちさんの科学精神に乾杯!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
鏡花は金沢に生まれ育ち、18歳で尾崎紅葉に弟子入りして初めて東京に移ったのだが、それにしては実に堂に入った江戸っ子ぶり。神楽坂を咄の舞台に選ぶところも、その語り口も。文中の口語も東京の下町言葉だし、展開のリズムもまさにそうだ。そして、それらはまだ多分に江戸の情緒を纏ってもいる。鏡花29歳の作品だが、若々しさと老成とが同居するかのようだ。なお、ここでいう「不思議」はちっとも不思議ではないのだが、口調が面白い。「しゝ寺のもゝんじい」、「勸工場の逆戻」、「藪蕎麦の青天井」といった調子である。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
タイトルからも想像がつくように、かつての巣鴨プリズンを舞台にした小説である。刑務官を務めあげた鶴岡の一人称視点から、現在時を枠組みに回想の形で語られる。「あとがき」にもあるように、鶴岡の設定はフィクションだが、巣鴨プリズンで、かつて起こった事柄はほぼ史実そのままといっていいのだろう。吉村昭の文体は、いつもながら直接的な感情を廃した(鶴岡も徹底して客観的な人物像として仕立てられている)抑制のきいたものである。そうして淡々と事実を語っていくことで、そのことの持つ重みを伝えていくという手法である。
オサム
2025/02/06 23:34

なんだかんだ理屈を付けても、戦争裁判は結局勝者による私刑でしかないということでしょう。東京裁判の法廷も、信長が並べた首級を見下ろしながら酒を呑む場面と同じ。

ヴェネツィア
2025/02/07 05:07

オサムさん、本書は小説ですから、虚しいなどとは書きませんが、作品全体を通して不条理感が伝わってきます。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
江戸中期の赤本から4篇を掲載。赤本なので、いずれも絵入りというよりは絵が主体で、ト書き様の短い文章と登場人物のセリフから構成される。巻頭の「桃太郎昔話」は、ほぼ現在伝わるものと同じだが、桃太郎の誕生は回春型※をとる。「きんときおさなだち」は、源頼光の家臣、坂田金時の幼少時のお話。これも、概ね前半の熊との勝負※2は現在のものと大差はない。「兎大手柄」は、カチカチ山である。最後の「寺子短歌」は、文字通り寺子屋の往来物(教科書)風である。絵はすべて木版画で、彩色はない。シンプルな分、比較的安価であったかと⇒
ヴェネツィア
2025/02/06 10:34

⇒思われる。※桃太郎の誕生には、回春型と果生型があり、現在のものは果生型。回春型は、桃を食べたお爺さんが性的に若返り子どもが生まれるというもの。おそらく明治期に巖谷小波あたりが、教育的配慮から回春型を退けたものと思われる。※2熊との勝負は、現在のものは相撲をとるが、ここでは首引き(互いに首に縄をつけて引っ張り合う)の力比べである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
あまん きみこ・文、いわさき ちひろ・絵。節分の日。それまで住処にしていた家を出ていかざるを得なくなった黒鬼の子どもの「おにた」。むぎわらぼうしでツノを隠して彷徨った末に女の子の家にたどり着く。お母さんも病気で寝ている。その上に赤貧で食べるものもない。「おにた」は…というお話。優しい物語といえばそうだ。一方、浪花節的だといえば、またそうだ。絵は、いわさきちひろに特有の、パステルトーンの水彩をにじませたようなタッチ。ここでは、抽象度もフォルムも、効果を上げている。いわさきの中でもことに秀逸な部類か。
ヴェネツィア
2025/02/06 10:36

宵待草さん、おはようございます。さらに共読本が増えましたか。しかも、宵待草さんのお好きな、あまんきみこといわさきちひろのゴールデンコンビですね。

ヴェネツィア
2025/02/06 10:37

えかさん、おはようございます。私はどちらかといえば『ないたあかおに』の方に惹かれます。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
江戸の食がたくさん登場してくるが、本格的なお料理ではなく、いずれも簡便な、江戸庶民の、それこそ江戸らしい食べ物が並ぶ。稲荷ずし(私は上方のものだと思っていた)、深川めし、握りずし、天ぷら、山鯨、ねぎま…江戸は海も近く、川もあり、近郊の山も近いが故に食材も実に豊富だ。スイーツも、くさ餅、ぼた餅、かしわ餅、さくら餅、よね饅頭(西鶴の『好色五人女』巻四にも登場する。ちなみにこの巻の舞台は江戸)と、これまた日百花繚乱。「食」を見る限りは、まさにお江戸は天下泰平のようだ。
ヴェネツィア
2025/02/05 16:39

ここに登場する向島長命寺の山本のさくら餅は、京保2(1717)年の創業以来、綿々と今に続くようだ。馬琴の『兎園小説』にも登場し、文政7(1824)年の1年間だけで、実に三十八万七千五百個を売り上げたと記す。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
裏表紙の惹句は「命がけで『自分』を獲得してゆく青年の格闘が胸を打つ傑作長編」というのだが、これはもう明らかに羊頭狗肉。主人公の葉太(語り手でもある)は29歳。神経症的なまでの自意識の過剰さである。しかし、それは本人がそう思っているだけであって、実は大甘の人生観である。そもそも自分探しという年齢でもないだろう。太宰をきどりつつ(葉太という名前からも葉造を意識していることは明白)、その「恥」はいたって表層的である。また、いたるところに幽霊を見るという設定も謎。父親との葛藤も独り相撲。⇒
ヴェネツィア
2025/02/05 16:17

⇒結局のところ、『地球の歩き方 ニューヨーク』に頼った観光案内の域をさほど出ることもなく終わってしまった。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
歌舞伎仕立てになっているが、例によって元は時代浄瑠璃作品。作者は近松半二。この作品も竹本座の危機を救い、大ヒットによって一気に立て直したとの逸話を持つ。時は天智天皇の御代と、時代ものにしても随分古い。蘇我蝦夷、入鹿の親子が敵役で、皇位簒奪を企てるというのが主筋。スペクタクルに富んだ見せ場は幾つも用意さ れているのだが、第3段の桜流しは近松の『国姓爺』の紅流しの趣向を巧みに取り入れたもの。その後で雛鳥の首を流すあたりは半二の工夫。道行きの場面でも、苧環を絡めるあたりは三輪ということとも相まって、なかなかに⇒
ヴェネツィア
2025/02/05 13:16

⇒上手いものである。また、ややもすると、一貫性を欠きそうになるストーリーを纏め上げていく手腕も近松半二ならでは。なお、大島真寿美の『結 妹背山女庭訓 波模様』が、この作品を軸に展開する。こちらも面白い。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
長谷川義史・作。ある日、「ぼく」(小学校低学年くらい)の家に雷の親子がやってきた。おじいちゃんは「いいから、いいから」と、歓待する。ご飯を食べさせて、お風呂にも入れて…というお話。お話もそうだが、絵がなんともほのぼの系というか、脱力系。ラフな太線の枠取りなのだが、表情はちゃんと描き分けられている。おじいちゃんは終始ニコニコ。とっても楽しい絵とお話。最後に今度は幽霊の親子が訪ねてきて、おじいちゃんはまたしてもお茶をすすめて歓待しているところで、余韻と期待を込めて幕。
yomineko@ヴィタリにゃん
2025/02/05 08:11

ヴェネツィアさん、おはようございます😊こちらもシリーズですね✨読みたい本に登録させて頂きました📚

ヴェネツィア
2025/02/05 08:20

yominekoさん、おはようございます。これ、おもしろいですよ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
フランソワ=アンリ・デゼラブルはフランスの新進作家。とはいえ、これまでに上梓した4作(本書は4作目)のすべてがベストセラーになっており、アカデミー・フランセーズ賞を受けるなど評価も高い。本書はニコラ・ブーヴィエの『世界の使い方』へのオマージュであり、彼らの跡をたどるイラン行である。当時のイランはマフサ=アミニの事件をきっかけに、ハメネイ師の独裁体制への抗議行動が渦巻き危険な状態にあった。「国民の自由は北朝鮮と同程度、経済はベネズエラ並み、医療制度はバングラデシュとそれほど変わらない」イランに何故行くのか⇒
ヴェネツィア
2025/02/04 16:32

⇒それはひとえに『世界の使い方』への心酔と、そしてそれと同程度にそんな現代のイランをこの目で見たかったということに尽きるだろう。あくまで現場に身を置くといったジャーナリスティックな衝動であったかもしれない。

ヴェネツィア
2025/02/04 16:33

そういえば、高野秀行もこの時期にイランに行っていた。イランには歴史的な意味以上に、現代の何かを強烈に発信するものがあるのだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
三浦しをんのデビュー作。「ボイルドエッグズ」の村上達朗の強いすすめで、自身の就活を題材に書いたもの。2000年4月刊。ご本人は満足できるものではなかったらしいのだが、なかなかどうしてよくできていると思う。ことに就活にやや特殊な家庭環境を絡めたところがユニーク。そのことがプロットの単線化を避け、主人公像の造型に膨らみを持たせている。作中に『神去なあなあ日常』の予告編めいたものが登場するのもファンには嬉しい。また、巻頭には彼女が受けた出版社(実際は早川書房だったようだ)での課題作文まで掲載されている。
ヴェネツィア
2025/02/04 07:30

今さらお薦めするまでもなく、既に多数の感想が寄せられているが、三浦しをん作品が好きで、もし未読ならぜひお試しのほどを。

ヴェネツィア
2025/02/04 07:35

それにしても、就職試験の作文で彼女の潜在的な才能に目を付けた村上達朗の慧眼は、さすが敏腕の編集者は違うと思わせるエピソード。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
井川ゆり子・作。お話は、図書館でぼんやりと外を眺めていた「ぼく」(小学校2年生くらい)の前に現れた子犬。そのポチポチに導かれて森の図書館へ。そこは動物たちのための図書館だった、という市場の幻想譚。絵は細部まで力強く描き込まれ色付けされたもの。ポチポチのフォルムがやや私の好みではないものの、全体としての擬人化にも、デフォルメにも成功している。図書館内部のシーンでは、いろんな動物を探し出す楽しみも。
ヴェネツィア
2025/02/04 07:17

本書がデビュー作で、ボローニャ国際絵本原画展フィクション部門入賞作であるようだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著書の今井むつみ氏は、認知科学・言語心理学・発達心理学の専門家。本書は生まれ落ちた赤ちゃんが、どんな風に言語を修得していくのかの仕組みをわかりやすく解説したもの。極めて刺激的で面白い。また、まだ言語を話さない(話せない)乳幼児を対象に、どんな実験を試みることでそれを知ることができるのかといったアプローチもひじょうに興味深いものがあった。人間が言語を修得するのは、既に母親の胎内にいる時から準備がはじまっているらしい。それなら、胎教もそれ相応に有効なのかも知れない。それにしても、これを読んでいると⇒
ヴェネツィア
2025/02/03 17:35

⇒人間の脳というのは、なんとも凄まじいばかりの能力を持っていることにあらためて驚嘆するばかり。そして、全くネイティブ並みに外国語を使いこなすのは実に至難の業であることも。

ヴェネツィア
2025/02/03 17:37

現在、子育て中の人も、これからそうする予定の人にもお薦め。ともかく、ぜひご一読を。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
本書では歌舞伎仕立てになっているが、本来は近松の時代浄瑠璃。しかも、この作品は浄瑠璃史上の大きなエポックメーキングともいうべき位置にある。一座の看板スターともいうべき竹本義太夫が亡くなったことが発端。それまで浄瑠璃は、「語りもの」であった。義太夫を失った近松は、ここで浄瑠璃をよりスペクタクルの要素の多い人形劇に転換したのである。したがって、本作にはそうした視覚的な見せ場がふんだんに用いられている。李蹈天の目抉り、花軍、栴檀皇女の舟路の道行、和藤内の虎退治と各段(全五段)にわたって、これでもかというくらい⇒
ヴェネツィア
2025/02/03 16:46

⇒に見せ場が用意されていた。それに、そもそも舞台が大陸であり、明の再興などという構想そのものが破格のスケールであった。※目抉り→近松は初期作品の『出世景清』でも目抉りの場面を置いていた。観客にとってもショッキングでインパクトの強い場面であっただろう。なお、ソフォクレスの『オイディプス王』の終幕近くでも、目抉りが用いられていた。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の小田真規子氏は料理研究家。著書は既に100冊以上もあるらしい。本書はもっぱらお酒のおつまみに特化したレシピ本。料理には全く初心者の男性でも作れるコツを伝授する。「おつまみは料理にあらず。娯楽なり」を合言葉に挑戦を促す。おつまみは6つの「軸」でできているとか。塩気、香り、刺激、温度、うま味、食感がそれであるようだ。随所には専門家らしい蘊蓄も。例えば、香りにはレトロネーザルとオルソネーザルの2種類があることや、冷たいものは5℃、温かいものは60℃から80℃が一番美味いと感じるなどと。そうだったのかと⇒
Wataru Hoshii
2025/02/03 23:59

小田さんは昔お仕事でご一緒していて、池尻にあったスタジオにもよく行きました。こんな本出されていたんですね。読んでみます。

ヴェネツィア
2025/02/04 05:23

Wataru Hoshiiさん、この本は有用であるばかりか、楽しい読み物にもなっています。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
こわせ たまみ・文、いもと ようこ・絵。なかよしきつねのケンとノンが楽しく野原をかけまわるというお話。唯一の波乱は嵐がやってきたこと。絵は色彩が美しく(ことに月見草の表現が秀逸)、擬人化も可愛いとはいえるが、ややもすると絵本全体はただただ可愛いだけということにもなりかねない。
宵待草
2025/02/03 08:12

ヴェネツィアさん おはようございます。 いもとようこさんの絵が、可愛らしい此の絵本は、長い年月の蔵書絵本の一冊です。 読書メーター登録以前の既読本には、ヴェネツィアさんとの共読本が多数あり、全てを併せたならかなりの冊数かと? レビューの『ただただ可愛いだけということにもなりかねない』は、いもとようこさんの絵に云える、一面かと共感し拝読しました。 何時も、有り難うございます!🙋 今日も穏やかな、立春の良きひと日で在ります様に!🍀 2月もどうぞ、宜しくお願い致します!✨ 宵待草

ヴェネツィア
2025/02/03 08:18

宵待草さん、おはようございます。いもとようこさんの絵はこれまでにも見たことはありましたが、ある意味では上手すぎるのが裏目に出ているところもあるような気がします。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレタイトルに魅かれて。佐藤青南は初読。警察小説のスタイルをとっているのだが、そのことも含めて、およそ小説のアリティというものを放擲したような作品。発端は殺人事件なのだから、当然帳場が立つ(捜査本部が設置される)。そして、刑事たちは全体の捜査方針に従って、二人一組でそれぞれに周辺の聞き込みや、被害者と接点を持つ人物にあたるなどする。相当な人数が投入されるはずだ。ところが、本書ではすべてを二人の刑事だけで行っている。捜査会議もなければ、当然報告もない(名探偵か!)。さらには、鑑識が徹底的に現場検証を行った⇒
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
執筆陣のトリオが絶妙の組み合わせ。お料理を担当するのは福田浩氏。この人は、一流の料理人であるばかりか、江戸の料理書を紐解き、再現を試みてきた。研究部門は松下幸子氏。江戸の料理書の研究家。そして、作家の松井今朝子氏。この人の生家は祇園の料理屋さんだったそうだ。『鸚鵡籠中記』や『伊勢参宮献立道中記』などに散見する料理の記事を手掛かりに見事に江戸の料理が再現されている。いろんなタイプの文献が登場するのもいい。見る眼にも鮮やかである上に、どれも相当に手が込んでいる。もちろん、それを見せないところも「粋」である。
ヴェネツィア
2025/02/02 07:22

元々が「小説新潮」(月刊)に連載されていたものなので、1月から12月までを揃えている。この趣向もいい。ただ、家で再現するのはいささか敷居が高そうだ。また、福田氏の「なべ家」(大塚)に行けばいいのだろうが、これまた敷居が高そう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
飯野和好・作。絵本に股旅ものの浪曲という信じがたい取り合わせ。なんとも大胆かつ破れかぶれの発想である。しかも、どうやら人気作のようで、シリーズ化されて何冊も出ている。あさたろうの秘密兵器は「ねぎじる」。これまた脱力系の武器ではないか。絵もまたインパクトが強い。けれど、全く美しくない。少なくても私の美意識はこれを許容しない。これがいいという人も(あるいは子どもたち)いるのだろう。それはそれで、わからなくもないのだけれど。
ヴェネツィア
2025/02/02 16:37

そうとは限りませんが、少なくても高く持とうとは思っています。

暗殺教室
2025/02/02 16:49

なるほど?

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
タイトルとおおよその内容は知っていたが、読むのは初めて。想像を裏切られることはなかったが、直接話法の会話文以外は共通語で書かれていたのはやや意外な感がした。とことん「あかんたれ」の柳吉と、そんな男だからこそつくしてしまう蝶子。彼女もまた、ある意味ではダメ女であるのかもしれない。では読者はというと、男である私から見れば、どうしようもないヤツだとは思いながらもどこか憎めないのが柳吉である。自分の中にもそんな要素が潜んでいるからだろうか。いつだったか、大阪の劇場でジュリーの柳吉と藤山直美の蝶子で、この作品の⇒
ori
2025/02/02 22:44

黒門市場もインバウンド観光客向けにどうってことない海鮮丼を5千円近い値段で売るような店がたくさんできてしまいましたね。昔からやってるお店もまだあるのですが…

ヴェネツィア
2025/02/03 07:51

そんなことをすると市場が荒廃してしまいますね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
津村紀久子の新刊。2023年には『水車小屋のネネ』で谷崎賞をとり(本屋大賞でも2位)今回はこの作品と、随分精力的な作家活動である。他にもいくつかの賞に輝き、評価も高い。本書は、表題作を含めて11の短篇を収録。『水車小屋』とは作風が違って、これはいわばお仕事小説であり、その意味では本来のスタイルに戻ったかのようでもある。ただ、これまでとの違いは(特に表題作とその続編は)他者との距離の取り方に煩悶があり、その分思索的で、いわば理屈っぽくなっていることだ。もちろん、そのことはなんらマイナスに働いているわけで⇒
ヴェネツィア
2025/02/01 16:33

⇒はなく、むしろ新しい方向と可能性への伸長であると思われる。津村がまだ模索期にあるとすれば、今後は大いなる地平が期待できるのではないか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
奥付によれば元禄3(1690)年の刊行。蒔絵師源三郎が挿絵を描いたようだが、解説部分の著者は未詳。タイトルの意味は、世の中の様々な生業をわかりやすく解説した啓蒙書といったところか。元禄の職業図鑑ということもできる。時代考証には有益そうだ。大臣、五摂家からはじまり、当時の最下層の者たちにいたるまで、実にいろんな職業があったものだ。当時、既に小鳥屋があり、それで暮らしを立てられたのだろうか。元禄の世の太平と余裕を見る思いである。ちなみに、犬と猫を扱う商売はない。それらはもらったり拾ってくるものだったのだろう。
ヴェネツィア
2025/02/01 11:20

こんな風に想像を働かせてみると、それぞれの職業ごとに、元禄の暮らしのあれこれがわかるような気がする。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
鈴木のりたけ・作。お話は「北風と太陽」によく似た展開。人間の子どもから始まって、いろんな動物たちの羨望と悩みが次々に語られ、最後は再び子どもに戻って円環を結ぶ。この絵本の生命はやはりそのジオラマ風の絵。立体感と色彩の力強さが独特の空間を作り出す。ことに面白かったのは超首長のキリン、ざるの仕掛けで鳥を待っているネコたち、能天気な♂のライオン。いずれも巧みなデフォルメが上手く機能している。読み聞かせでも、ああだこうだと盛り上がりそうだ。
が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2011/11/30(4847日経過)
記録初日
2011/04/07(5084日経過)
読んだ本
7395冊(1日平均1.45冊)
読んだページ
1736129ページ(1日平均341ページ)
感想・レビュー
7305件(投稿率98.8%)
本棚
57棚
性別
職業
専門職
自己紹介

2011年4月からの参加で、14年目にはいりました。一番よく読んでいるのは日本文学、次いでは翻訳文学です。読むジャンルの幅は広い(半ばは意識的にそうしています)のですが、何でも手当たり次第に読むというわけではありません。特に誇れるものはありませんが、連続読書日数は初日から5058日(2025年2月3日現在)、冊数は7273冊になりました。胃癌で入院中も、海外旅行中も毎日読んできました。さて、どこまで伸ばせることやら。

読書メーターの
読書管理アプリ
日々の読書量を簡単に記録・管理できるアプリ版読書メーターです。
新たな本との出会いや読書仲間とのつながりが、読書をもっと楽しくします。
App StoreからダウンロードGogle Playで手に入れよう