
2025年も今日から後半へ。今月もどうぞよろしくお願いします。☆ヴェネツィアさんの2025年6月の読書メーター 読んだ本の数:120冊 読んだページ数:15632ページ ナイス数:50891ナイス ★ヴェネツィアさんの2025年6月に読んだ本一覧はこちら→ >> https://bookmeter.com/users/157091/summary/monthly/2025/6
簿記は面倒ですが、数字が合った時の喜びのためだけに邁進しています(笑)昔は公認会計士を受けようかと思っていたのですが、「きっちりとした数字にならない答ばかりで焦るよ」と聞いて即諦めました!1.33333みたいな答って不安になりますし(笑)
⇒しているのかと言えば、最初に「明日のことを思い煩うな。明日は明日みずから思い煩わん」と述べていることからすれば、内心の動揺や不安はやはりあったのだろう。してみると、これは太宰流の強がりか。
⇒その一方では、なんとなくの負い目のようなものもあり、男が帰るまでの時間を耐えねばならない。そうした煩悶に晒され続けたのである。その挙句に、大事なウイスキーの最後の一本まで持ち帰られ、あろうことか男の最後の一言は「威張るな!」。どんなに悔しい思いをしたことか。意志の疎通の不可能性をつくづく思い知る一日であった。
⇒それ故にこそヴィヴィアン・ウエストウッドが孤高の光を放ちえるのだろう。ただ、この人のファッションが似合う女の人は近づき難いような気もする。気軽にデートという雰囲気ではないような。
Johnnycakeさん、日本のキリスト教徒はわずかに1%ですからねえ。でも、各地にこうした結婚式教会がたくさんあります。これこそまさに日本の宗教観を象徴してもいるようです。
バックパッカー 、最寄り駅に着き昼に夜に星1~3のドアをノック。宿主の顔と分相応ならチェックイン。ベニスでは何件もノックした。アッチコッチと訊ねてるのを知られて...近所の宿は皆兄弟親戚だと(笑)ニースの宿で鯖の味噌煮缶をチン、臭いに驚いたフロントマンに注意された(爆)夢は5つ星のホテルとレストラン🍴🍝
⇒今に伝えている。また、工部大学校教授としても、辰野金吾や片山東熊等を育て上げたのであり、まさに日本の近代建築の礎を築いたのである。弟子の片山東熊の残した建築作品も多く、赤坂離宮、奈良国立博物館、京都国立博物館などこれまた今にその勇姿をとどめている。
⇒そして、壁面は総ガラス張りで構成される斬新なもの。構造表現主義とされる。建築構造そのものを露呈させ、さらに黄色一色に塗装することで、それを際立たせているのである。工場というよりは、それ自体が巨大なショールームである。
⇒他の国貞、国芳、英泉らも大同小異。私の結論は、母子絵は春信に極まれリというもの。さて、西欧絵画での母子像は、幼子イエスとマリアが圧倒的に多く、そうでないものでさえも、聖母子を面影に抱いている。対して、日本の母子絵は徹底的に世俗的である。そして、そこにこそ浮世絵の真髄があるのではないだろうか。
⇒通常の意味での劇的な構成からすれば、悠長な流れに見えるだろう。とりわけ、オレステースがアイギストスに復讐を果たす場面などは、現代の私たちなら、どうしてその場面を描かなかったのか、との疑問を持つだろう。このあたりが、ソフォクレスなどとは大いに違うところだ。それは例えば、日本の能などの構成に通じるものがあるのかもしれないと、ふと思う。
読み聞かせにも最適の1冊かと思う。カエルを呑み込むあたりは、まだしも(すでにここで驚く子どももいそうだが)、ヘビ、キジと進むごとに大騒ぎになりそうだ。大人も子どももみんなで楽しめる絵本。
⇒飛び越えたかのように。20世紀になると、映画等で見慣れているということも大きいのかもしれない。戦間期(第1次大戦と第2次大戦の間)から、もう100年になるのだから。第2次大戦が終わってからでも既に80年。その間、ファッションは大きく変わったと言えば、変わった。より巨視的には同じ地平にあると言われれば、またそうなのかとも思える。
柚木麻子さんの文庫新刊『らんたん』新潮文庫 https://www.amazon.co.jp/dp/4101202443 7月29日発売ですね! 単行本(2021.10)でご覧になっていなければ、ぜひどうぞ。私が1970年代に、大学図書館員目録屋の仕事を教わった方が、歴史的人物として登場してます。 既読でしたら、ごめんなさい。
⇒教科書的である。また、デザインの対象となっているのは、教会堂やコンサート・ホール、あるいは空港と幅広く紹介されている。将来、建築家を志しているとすれば、夢に溢れるテキストではないかと思われる。
⇒精神であった。それがここでも遺憾無く発揮されている。国芳の「むだ書」しかり、暁斎の幽霊図しかり、歌川派の「寄せ絵」もそうだ。もちろん一見、正統派に見える絵師たちにしても多かれ少なかれそうだ。
⇒差別感が感じられて(気にしすぎかも知れないが)やや気に入らない。愚鈍、鈍感の「どん」からとっているのだろうから。おおらかなのはいいのだけれど。昔話などには「大男総身に知恵が回りかね」といったものはあるが、創作童話絵本なだけに。
⇒がそれである。人間の体内では絶え間なきインナー・ウォーズが繰り広げられているのであり、本書はその仕組みを語る。私たちの身体を形づくる60兆の細胞のほとんどすべての表面には「自己のマーク」(=MHC抗原)が刻印されているらしい。これ一つをとっても、またしても驚異的な、かつ極めて神秘的でさえある事柄ではないか。
⇒ような光景である。また、ミロの若さ(それは時に軽薄さでもあるのだが)を複線的に描き出すところなどはまさに桐野夏生の力量か。構成もうまい。桐野夏生ファンにとっては代表作の一つに数えられそうだ。
⇒私も行ったことがないのだが、文化的には奄美と似ているのではないだろうか。ただ、この島において、特筆すべきは悪石島に伝わるボゼである。写真を見る限りでは、まるでニューギニア奥地の習俗か何かのように見える。
⇒開催されたのだろう。そして、アメリカのベース・ボールと日本の野球道との文化差もまたもう一つの軸を物語に与えている。熱い物語だが、さて読者の側はどこまで熱くなるだろうか。
⇒見られたりもする。代表作を1点というのも難しい気がする、そんな画家である。文才もあり、時に詩的な表現を発している。「よい画はその周囲をよい匂いで染める。―中略―人間の美しい魂のにおいさ、それが人類の持つ最高の宝である。」や「現実は精巧に出来た造られた夢である」など。
この造りでノルウェーの冬を越していたのだから、それは実に耐え忍ぶというに近いものだっただろう。しかも、ノルウェーの冬は長い。それに、よくこれだけ各地に伝統的な民家が保存されていたことにも感心する。あるいは、これらの民家は比較的最近まで現役だったということだろうか。
⇒豊平館と、これらも比較的よく残っている上に北海道の風情に大きく寄与しているだろう。⑤擬洋風=旧山形県立済生館病院本館、旧開智学校、見附学校(磐田市)、第五十九銀行本店(現・青森銀行記念館)、水街道小学校など、こちらは随分ユニークな建物が多い。ヨーロッパやアメリカからやってきた設計者によるものもあるが、ほとんど見様見真似で日本の大工たちが建てたものもある。それにしてもよくやったものだ。
⇒を例に挙げ、「ミュラー・リエル錯視」へと進んで行く。そこから論を展開していくのだが、眼目は脳の平行処理である。まさに目からウロコなのだが、とっつきやすさ、わかりやすさは群を抜いている。そして、最後に再びヒッチコックに戻り、「真理の探求」へと誘ってゆく。見事な展開と結論である。この人は研究者としてはもちろん、教育者としても超一流かと思う。彼の元からはさぞ優秀な研究者が何人も育っていったことだろう。
⇒あたかも細密画のような様相を呈している。全部で何人の人物が描かれているのかはわからないが、数百人はいるのではないか(ひょっとすると千人?)。しきも、一人一人がこれまた丁寧に描 き分けられる凝りよう。京の寺社は言うに及ばず、四条河原の女歌舞伎や下鴨社の相撲・軽業興行、上賀茂社の競馬、祇園会の山鉾巡行など、およそ目出度いもののオンパレード。見ていて飽きることがない。
⇒今にいたるまでずっと孤独である。もっとも、孤独であることは彼に特別な影を落としているようにも見えない。そもそも本質的に社会や他者との紐帯が薄く、また求めてもいないのだろう。もし、接点を持つとすれば、そこには女装というバリアが必要であるのかも知れない。
蔦屋重三郎は、まさに江戸の文化が生んだ、そして新たな江戸の文化を生み出していった世紀の怪人ともいうべき出版人であった。大河ドラマ「べらぼう」(私は見たことがないが)のお蔭で蔦屋重三郎ブーム。本書もこの流れに乗って多くの人に読まれるといいのだが。ただし、新書にしてはかなり専門的である。
珍しく文体も明るいが、描かれている世界もまたタイトルの「春昼」に相応しく明るく、光に満ちて晴朗である。結びの蜜蜂の羽音は俳諧であるよりは詩的名情調を喚起する。
⇒そこに見るからである。それはヘルガ自身のであろうか、あるいはワイエスのであろうか。ドライブラッシュでは「ページボーイ」(1980年)が目に留まる。こちらは衣服は半ば影になっているだけ、一層に顔とその内的な表情にウエイトがかかる。しかも、顔は左半分が影に、右側には光があたり、そのことで思索をさらに深めているようだ。
⇒のシリーズを読んでいれば、なお楽しみも大きかったかもしれない。私の場合は間違えて読むことになったのだが、まあそれなりに。出版社が幻冬舎というのも、これまた肯ける。
うちの娘たちに子供の頃大人になったら何になりたい?と聞いたら長女と三女は当たり障りのない何かだったんですが、次女が「蝋燭職人」と言ったのでズッコケました。後からナーサリーライムに蝋燭職人の出てくる歌があるというのを知りました。大人になった今、娘たちはそれぞれ当時希望したものとは全然違う仕事をしています…。
⇒匂わせつつ、しかしけっして過剰にはならず、可愛さの中に包みこんでいる風である。背後にはたくさんの物語がありそうだ。「ナウシカ」、「ニーベルンゲンの歌」、「三国志」まだまだイメージの源泉はあるのだろうが、そのいずれもが山田章博の絵に収斂しているところはさすがに、である。
⇒今、出盛りのスイカにしてもしかり。ランキングではリンゴが2位、スイカは3位である。ちなみに1位は温州みかん。一世帯あたりの消費金額(都市別)では山形市がトップで、以下福島市、長野市、盛岡市、甲府市と続く。北の人ほど果物の消費が多いのである。何にせよ図鑑の類は見ていて楽しい。
ヴェネチアさん、私が読んだのは、随分昔なので、再読して今の自分を確かめたい?気もします。ですが、読みたい本が山積みですので、本の方からひょっこりやってこない限りは、読まないと思います。アハッ。
また、細部にも様々な意匠の上での工夫が凝らされてもいる。これを典型的に示すのがジョーズ・カフェである。金属の輝きを持つクロームなのだが、ここでもやはり曲線として用いることで独特のフォルムを形成するのである。ジョゼフが、新しく開くブティックのことごとくをジリクナに任せるのも当然かと思う。なお、ジョゼフはモロッコの、ジリクナはチェコ出身の移民である。そしてブティックはすべてロンドン。これこそが真の都会である。
Envyという店名、東京の美容院や大阪のホストクラブ等がありました。「羨ましがられる存在に!」みたいな意味なんでしょうか……。お店ではなくEnvyというバンドもいるようですね。
⇒なのである。これは、私たちのすぐ隣に、あるいは私たちの内に存在するもう一つの世界の物語である。ミヒャエル・ゾーヴァのちょっとルネ・マグリットを思わせるムードある挿絵もこの作品に大いに寄与している。
松本健一『日本の失敗』に本書が出てきます。「彼は弱さに徹することによって、強さや勇ましさや美しさに同化することを拒んだだけである。そのことによって、国体イデオロギーの絶対化による聖戦を信じなかった」とか、「『12月8日』という作品も時流に対する少々の挨拶だが、その弱さに徹した挨拶によって、太宰は精神的鎖国としての国体イデオロギーや日本の世界史をみごとに無化してしまった」(福田恆存)とか。
私はこれまで、この広い宇宙に高等生命が地球以外にも存在しないはずがないと思っていた。だけど、このシリーズを読んでいると、ひょっとして我々は宇宙の孤児であるのかも知れないと思い始めている。
こんにちは。私もいろいろな情報を興味本位で追ってきて、その度にフラフラ考えは変わってきたのですが、今はこの宇宙に知的生命体は必ず存在する、でも距離や寿命の制約で出会うことはない=実質人類は宇宙の孤児、と考えるようになりました。
ヴェネツィアさん、オーストラリアのサイトにはこの本は文のない絵だけの絵本だとありました。This wordless edition of John Hare's moving and imaginative space story allows children to use their own words to describe the action, as the school trip to the Moon has an unexpected outcome.
⇒これまた冴子の描かれ方は秀逸であり、後の長編への発展の萌芽を感じさせる。もう1編注目に値するのは「人形浄瑠璃」である。浄瑠璃の世界の「芸」を見事に描き上げた作品。同時に浄瑠璃の世界の狭さや現在も巧みに表現して見せた。
⇒ノスタルジックな味わいに富んでいる。お茶の水界隈の俯瞰図があり、また妹尾河童ばりの天井から眺めた室内図があったりと、アングルも工夫が凝らされている。作品理解の一助にも大いになりそうだ。漱石を愛する人には強推薦!
本書は、その性質上からも基本的には河井道の行動の軌跡を忠実にたどっているものと思われる。あとがきにはフィクションであると断ってはいるが、有島武郎の亡霊との場面以外は大きな虚構はなされていないのではないだろうか。なお、肝心の場面に時々亡き有島はもう一人の道であり、道の良心のせめぎ合いを表出しているのである。柚木麻子の熱意がダイレクトに伝わる胸熱小説。お薦め。
アメリカでも、この小説に登場するセブン・シスターズの名門校ヴァッサー女子大が共学になり、ラドクリフはハーヴァードに吸収された。日本では、恵泉女学園大学や京都のノートルダム女子大が募集停止に追い込まれ、武庫川女子大学などは共学に転換など女子大の苦難が続いている。もはや女子大の使命は終わったのだろうか。私はそうは思わないのだが、これも世の趨勢か。
⇒たくさんあって、これらを見るために京都を訪れる価値が十分にある。他にも京都府立図書館やヴォーリズの下村正太郎邸、府立一中に二中、歌舞練場など。本書では、大阪、神戸、西宮の近代建築が多数登場する。いずれもクラシックな佇まいで、その石の重厚感にしばし圧倒される。大阪では、どういうわけか中之島公会堂がない。私は中之島のあのあたりから、フェスティバルホールにかけ ての界隈が大阪で一番好きなのだが。
ヴェネツィアさん 『暑中お見舞い申し上げます!』 毎日お暑いですね!☀️😵💦 体調は大丈夫ですか? ご紹介頂き、漸く既読し、先ほど拙いレビューを記載しました。 素敵な刺繍絵本をご紹介下さり、感謝して居ます!🍀 此れから更に厳しい暑さですが、お互いに水分補給を確り、酷暑を乗り切りたいと思います!💫 宵待草
⇒環境の中にあって(人はすべからくそうなのだが)、そこに生み出される芸術は、前例の無いものでなければ、それは芸術たり得ないのであるから。太宰は、そのことを強く自覚していたのだろう。
https://natalie.mu/stage/news/631595 9月の上演では新訳を用いるようです。同じご夫婦のコンビによる翻訳の「検察側の証人」も最近俳優座劇場で上演されたので、戯曲についても文章(?)同様新訳が出版されてほしいものです。
また、風俗画として見るならば、およそ江戸期の子どもの遊びという遊びが描きつくされた感がある。江戸時代は、中層の都市江戸町人階級の子どもたちにとっては(大人たちにとっても)毎日が楽しかったにちがいない。
⇒二人は風貌もまた対照的なのだが、彼らに源二郎の弟子の徹平と、その恋人のマミが絡んでコミカルな人情劇を繰り広げる。国政の手紙のくだりはちょっとしんみりとさせるし、また結婚式のシー ンは、とっても面白く読める。
物語の舞台となったY町は、架空の町なようなモデルがあるようななのだが、モデルを探してみるとすれば、墨田区柳原か。荒川の対岸は堀切だし、当たらずといえども、概ねこのあたりだろう。
懐かしい。何十年も前に、入門編として先生に紹介された本です。リートフェルトはデザイン論の歴史の中で出てくる有名な方。革命的なデザインを確立した人としてデ・スタイルとして有名です。オランダデザインと言えばデ・ステイルで、モンドリアンのアートなら見たことあると思いますよ。
すぶたのまるやきさん、やはりリートフェルトはこの世界では超有名人でしたか。私はこの分野は全くの素人で、ライトヤコルビュジエはともかく、アルヴァ・アールトを知ったのもそんなに前のことではありませんでした。
⇒『女の決闘』を上梓した後くらいにこれが書かれたようだが、表題作、「走れメロス」、「駆け込み訴え」などの人気作を含むこの作品集は太宰自身期するものがあったのだろう。この文章にも余裕を感じさせるのは、その故か。
⇒ディストピア感に一番この作家の特徴が現れていそうに思われる。それは、ポール・オースターやコーマック・マッカーシーのそれのような厳しさを突きつけては来ないのだが、ある種また別の寂寥感を漂わせる。それを過去に投影した「深淵をあとに歓喜して」もなかなかに捨てがたい魅力を持っている。
江口寿史は原稿落として雲隠れした後、週刊少年ジャンプの編集長に呼び出され、引導を渡されたそうです。あの最終回は、私には面白かったんですけど、webで探しても出てこなかった。
⇒「年々にわが悲しみは深くして いよよ華やぐいのちなりけり」。終わることのない、しかし実に鮮やかな結びである。他に注目するのは「家靈」か。こちらは老彫金師と、どぜう店「いのち」を継ぐことになった、若いくめ子とを描く。岡本かの子は、こうした市井の男女を描くのがまことに巧みな作家である。
⇒生身の人間が、生身の動物と痛烈にかかわり、いわば生命と生命とがぶつかり合うところに発する、深く痛切な人間文化の典型なのである」と。熊を殺す残酷な儀式といった感傷からは、遥かに高みにある認識だと思う。
ヴェネツィアさん、おはようございます😊読みたい本に登録させて頂きました📚もう1冊「ワニのクロッカスおおよわり」も出て来ましたのでこちらも!!!🐊🐊🐊
⇒ムーミンのシリーズの絵だけを見ていると、ついつい明るく陽気なものを思いがちだが、ヤンソンはそんな風には描かない。この作家の思惟と想像力には常に危機が胚胎するのだろう。
⇒再三引用するばかりか、結びにまで用いている。「お元家ですか。遠い空から御伺いします。無事、任地に着きました。大いなる文学のために死んで下さい。自分も死にます、この戦争のために」というのがそれである。文学(詩)を志していた三田君は、戦争のために散華しなければならなかった。美化するしかなかっただろう。太宰にできることはそれだけだったのだから。
湯本豪一記念三次もののけミュージアムに行ったことがあります。広島県三次市はほかにあまり見所ないですが、ワインは美味しいので、行ったことなければぜひ。https://miyoshi-mononoke.jp
⇒ように思えるのである。結びの一文「私の三人の知人は、心から満州を愛し、素知らぬ振りして満州に住み、全人類を貫く『愛と真実』の表現に苦闘している」にいたっては、ことに「素知らぬ振りして」あたりに本心がほの見えていそうである。
⇒小腸もまた素晴らしく複雑な機能を持っている。なにしろ、ここで栄養を吸収しなければならないのだから。これを読んでいると、人間の身体はなんと精密な構造と機能を持っていることかと思う。真に奇跡的との言葉がけっして大袈裟ではない。
ヴェネツィアさん こんにちは! マーガレット・ワイズ・ブラウンは、好きな児童文学者の一人です!💕 此の『たいせつなこと』と『おやすみなさい おつきさま』は蔵書しています。 登録以前からの蔵書で、レビューは掲載していませんが、共読絵本が一冊加わり、嬉しくレビューを拝読しました!💫 暑くなって来ましたので、お互いに体調に留意したいと思います!🍀 7月もどうぞ、宜しくお願い致します!✨ 宵待草
⇒いたのだろう。ほんとうは自分の作品の意図など解説したくはなかったはずである。それこそ太宰の嫌う野暮の極みなのだが、それでもこんなことを書くほどに心外だったのだ。
⇒いるが、それは確かにこの短篇集全体の核心を言い当てたものだろう。10篇のいずれもそれぞれに面白いのだが、しいて好みの1篇を挙げるなら「川を渡る」か。なお、デイヴィッド・ロバーツの絵もいい感じだ。10編を読み終わって(あるいは1作読むごとに)表紙の絵を見ると、ここでもまたそ のユーモアに触れることができる。
他の方たちの感想を読みながらあらためて振り返ってみると、あれもこれも捨てがたくなってくる。ことに印象深いのは「ピアース姉妹」、「蝶の修理屋」、「隠者求む」、「宇宙人にさらわれた」、「もはや跡形もなく」。先ほどは間違えて「川を渡る」をベストに挙げていたが、「もはや跡形もなく」に訂正します。お薦め!
江戸時代に生まれ合わせるなら、やっぱり江戸に限ると思わせる。世界有数の、いやおそらくは当代世界では一番の都市であっただろう。パリもロンドンも全く及ばないくらいの。
いつも良い感想文をありがとうございます。 しばらくぶりな否定的な感想,でしたら まあいいですよね。 僕は毎回絶賛否定的感想でございます。特にそういう風に書こう と最初から思っているわけではないのですが,気が付くと悪口ばかり書いているのでした…🐌。
2011年4月からの参加で、15年目にはいりました。一番よく読んでいるのは日本文学、次いでは翻訳文学です。読むジャンルの幅は広い(半ばは意識的にそうしています)のですが、何でも手当たり次第に読むというわけではありません。特に誇れるものはありませんが、連続読書日数は初日から5263 日(2025年9月2日現在)、冊数は8098冊になりました。胃癌で入院中も、海外旅行中も毎日読んできました。さて、どこまで伸ばせることやら。
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柚木麻子さんの文庫新刊『らんたん』新潮文庫 https://www.amazon.co.jp/dp/4101202443 7月29日発売ですね! 単行本(2021.10)でご覧になっていなければ、ぜひどうぞ。私が1970年代に、大学図書館員目録屋の仕事を教わった方が、歴史的人物として登場してます。 既読でしたら、ごめんなさい。
Feさん、『らんたん』は楽しく読みました。