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2025年7月の読書メーターまとめ

ヴェネツィア
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感想・レビュー
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2025年7月に読んだ本
123

2025年7月のお気に入り登録
19

  • 桜海老
  • うさぎ
  • Takumi/shabobkey
  • トモサン
  • さにぶる
  • しいな
  • うとうと
  • 木綿
  • ひおま
  • TG
  • imataka
  • よし
  • かぐや
  • RoughMagician
  • しまもよう
  • タンジール
  • 月路ののの
  • Simona Biblia
  • ひつじ

2025年7月のお気に入られ登録
19

  • のりさん
  • 桜海老
  • うさぎ
  • Takumi/shabobkey
  • トモサン
  • さにぶる
  • しいな
  • うとうと
  • 木綿
  • ひおま
  • クロ
  • imataka
  • よし
  • かぐや
  • RoughMagician
  • しまもよう
  • 月路ののの
  • Simona Biblia
  • ひつじ

2025年7月にナイスが最も多かった感想・レビュー

ヴェネツィア
4話を収録。柚木麻子の作品の中でもとりわけ軽いシリーズ。派遣社員の澤田三智子とアッコ(黒川敦子)を扱う2篇は物語中の2人の呼吸もよく合い、展開も軽快。ことに第1話は新しいシリーズの始まりとあって(2013年の刊行だが、読む方は初めてなので)新鮮な感覚に溢れ、今後への期待も高まる。また、オフィス街のランチ案内の要素もあって、あるいは有用性もあるかも知れない。それにしても、1話限りで「雲と木社」をたたんでしまったのはもったいなかったのではないだろうか。ただ後半の2話は、さりげなく関連付けられてはいるものの⇒
Fe
2025/07/26 16:39

柚木麻子さんの文庫新刊『らんたん』新潮文庫 https://www.amazon.co.jp/dp/4101202443 7月29日発売ですね! 単行本(2021.10)でご覧になっていなければ、ぜひどうぞ。私が1970年代に、大学図書館員目録屋の仕事を教わった方が、歴史的人物として登場してます。 既読でしたら、ごめんなさい。

ヴェネツィア
2025/07/26 17:42

Feさん、『らんたん』は楽しく読みました。

が「ナイス!」と言っています。

2025年7月にナイスが最も多かったつぶやき

ヴェネツィア

2025年も今日から後半へ。今月もどうぞよろしくお願いします。☆ヴェネツィアさんの2025年6月の読書メーター 読んだ本の数:120冊 読んだページ数:15632ページ ナイス数:50891ナイス ★ヴェネツィアさんの2025年6月に読んだ本一覧はこちら→ >> https://bookmeter.com/users/157091/summary/monthly/2025/6

2025年も今日から後半へ。今月もどうぞよろしくお願いします。☆ヴェネツィアさんの2025年6月の読書メーター 読んだ本の数:120冊 読んだページ数:15632ページ ナイス数:50891ナイス  ★ヴェネツィアさんの2025年6月に読んだ本一覧はこちら→ >> https://bookmeter.com/users/157091/summary/monthly/2025/6
ヴェネツィア
2025/07/01 11:23

yominekoさんは相変わらずパワフルというか、欲張りというか…。簿記は面倒そうですね。私には全く向きません。

yomineko@鬼畜ヴィタリにゃん🎄🎅🎄
2025/07/01 11:36

簿記は面倒ですが、数字が合った時の喜びのためだけに邁進しています(笑)昔は公認会計士を受けようかと思っていたのですが、「きっちりとした数字にならない答ばかりで焦るよ」と聞いて即諦めました!1.33333みたいな答って不安になりますし(笑)

が「ナイス!」と言っています。

2025年7月の感想・レビュー一覧
123

ヴェネツィア
初出は昭和17(1942)年1月「新潮」。太宰33歳。末尾に付記として「昭和十六年十二月八日之を記せり。この朝、英米と戦端開くの報を聞けり」とある。すなわち、真珠湾攻撃の日に書かれたということである。あの太宰にしてからが、どうやら嬉しかったのだ。正装して馬車に乗って、銀座八丁を練り歩きたいと言うのであるから。晴れがましいような気分でもあったのだろ う。「ああ、このごろ私は毎日、新郎の心で生きている」との結びがタイトルと呼応し、新しい日々の到来を寿いでいるかのようである。では、ほんとうにそんなに全的に投入⇒
ヴェネツィア
2025/07/31 16:54

⇒しているのかと言えば、最初に「明日のことを思い煩うな。明日は明日みずから思い煩わん」と述べていることからすれば、内心の動揺や不安はやはりあったのだろう。してみると、これは太宰流の強がりか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻はクロール・ギャラリー(ロンドン)とリヴァプール・テート・ギャラリーである。設計はいずれもジェームズ・スターリング/マイケル・ウィルフォード&アソシエーツである。クロール・ギャラリーは、テート美術館の誇るターナーのコレクションを展示するために建てられたもの。T.S.エリオットの「現在が過去によって方向づけされているように、過去は現在によって改められるべきだ」との言をまさにそのまま体現したような建物である。ひじょうに美しい古典様式を、現代性が補完するかのようだ。しかも、それぞれを活かしながら、見事な⇒
ヴェネツィア
2025/07/31 16:40

⇒調和を見せる。リヴァプール・アート・ギャラリーの方は、ルネサンス様式を現代に蘇らせたかのような印象である。ただ、その構造は一層顕に立ち上がるのであるが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
感想は『エウメニデス』のみ。「オレステイア」3部作の3作目。オレステースは、実母のクリュタイメーストラーを殺害した罪に問われ、法廷で裁かれることになる。裁くのはアレイオス・パゴスの陪審員たち。弁護側はアポローン、告発するのは復讐の女神エリーニュエスである。本作は裁判劇の様相を示しているのだが、その実は土着の古い神であるエリーニュエスと、新興の神々、すなわちアポローン神やアテーナー女神との対立である。ゼウスを頂点とした神々の体系に強い疎外感を持った、古い神―それは地霊でもあるのだが―の異議申し立てと、⇒
ヴェネツィア
2025/07/31 14:42

⇒それを慰撫し、新しい神話大系の中に位置づけて行く試みこそが、この劇の本義であったと思われる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
エリザベス・ロバーツ 文、殿内真帆 絵。時計屋さんから男の子の家に買われていった、時計のあおくん、緊張の初仕事。「ルリーン、ルリーン、ルリーン」で大成功。オノマトペもいい。お話もシンプルだが、絵もシンプル。原書の初版は1959年、ロンドン。絵は和製だが、ロンドンの雰囲気が出ている。今の子どもたちには、やや物足りないかも。
ヴェネツィア
2025/07/31 08:07

余計な心配だったようで、子どもたちにも大人にも好評のよう。ただ、どちらかというと大人の評価の方が高そうだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和21(1946)年「新潮」。太宰37歳。小説だが、限りなく太宰の実体験に近いのではないだろうか。太宰が言うように「ロマンティック」からはほど遠い経験であり、その結果の小説である。戦後、太宰が東京で罹災して、故郷の津軽に帰っていた折のこと。件の「親友」と称する男に名前がないところも実話を思わせる。まことに腹立たしい時間であったことだろう。しかも、その間もその後も臍を噛む思いであったに違いない。ずっと内心での葛藤が渦巻いていたであろうから。何故こんな男に秘蔵のウイスキーを振る舞わねばならないのか。⇒
ヴェネツィア
2025/07/30 16:38

⇒その一方では、なんとなくの負い目のようなものもあり、男が帰るまでの時間を耐えねばならない。そうした煩悶に晒され続けたのである。その挙句に、大事なウイスキーの最後の一本まで持ち帰られ、あろうことか男の最後の一言は「威張るな!」。どんなに悔しい思いをしたことか。意志の疎通の不可能性をつくづく思い知る一日であった。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
VOGUEからヴィヴィアン・ウエストウッドの特集。1970年代のパンクから2000年代までを通観する。全体としての印象は、この人の定点は常にロンドンにあるということ。パンクもまたその1つの典型だろう。活動期間が長いので、様々なファッション・シーンを渡ってゆく。パンクの次はクラシック回帰の時期があり、その次はまたアヴァンギャルドに飛翔してみせる。私はこのアヴァンギャルドの時期のウエストウッドが1番輝かしいように思う。でもいずれの時期にあっても、彼女のデザインは良くも悪くもイギリスのそれであること、そして⇒
ヴェネツィア
2025/07/30 12:12

⇒それ故にこそヴィヴィアン・ウエストウッドが孤高の光を放ちえるのだろう。ただ、この人のファッションが似合う女の人は近づき難いような気もする。気軽にデートという雰囲気ではないような。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の五十嵐太郎氏は、東北大学教授。建築史と建築評論を専門とする。本書では「結婚式教会」(ホンモノの教会のような宗教施設ではなく、もっぱら結婚式のために建てられた教会風建築)を語る。本書の刊行は2007年なので、今では結婚式はさらなる多様化を見せてはいるが、依然として結婚式教会は健在のようだ。この人の分析はとっても面白い。結婚式教会を語る上でのキー・ワードは「キッチュ」。結婚式教会もピンからキリまであって、中には上出来のものもあるのだが、それでもそれは精神性を商業的なものに置き換えた、キッチュだろう。
ヴェネツィア
2025/07/30 09:22

ネギっ子さん、ご指摘ありがとうございました。急遽、こちらに移動(中身は変わりましたが)しました。感謝!

ヴェネツィア
2025/07/30 09:24

Johnnycakeさん、日本のキリスト教徒はわずかに1%ですからねえ。でも、各地にこうした結婚式教会がたくさんあります。これこそまさに日本の宗教観を象徴してもいるようです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
佐野洋子・作。森を散歩しながら「こんやは ひさしぶりに さばでも くうか」と独り言をつぶやいていた猫が、思いがけず鯖の逆襲にあう。猫は幻想世界に迷い込んだのであったか、それとも猫の一場の夢であったのか。絵は太い描線で描かれ、黒と茶色のみのカラーリングが冴える。お話も絵も、夾雑物のないのがなんともクールな味わい。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和11(1936)年1月「東奥日報」。太宰27歳。最初は近頃見直したとして、乃木将軍のエピソードから。続いては県会議員をいている兄の津島文治(実名は出てこないが)に世話になっていること。そして、最後は「青森三通」(青森の3人の通人)の紹介である。この短い分量の記事にしてはバラバラ。これら3つの話題はどんな風に繋がるのだろうか。東奥日報に書くからというので、青森の話題を出してきたのだろうか。それにしては、乃木将軍は青森には直接関係がなさそうだし。
オスカー
2025/07/29 16:56

乃木希典と青森……廣田神社とのつながりでしょうか??? https://share.google/fsXHfODmbxdr0ekpV

ヴェネツィア
2025/07/30 08:10

オスカーさん、情報をありがとうございます。どうもよくわかりませんねえ。太宰が乃木将軍に興味を持ったのは、品位においてかと思いますが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
世界の名だたる高級ホテルのインテリアとアメニティのデザイン集。巻頭はミラノのフォーシーズンズの階段室。好みもあるだろうが、ここからは綺羅びやかな非日常の空間が現出する。もっとも、一部の人たちにとっては日常もまたこんなものなのかも知れないが。いずこのホテルもお金と手間暇がたっぷりとかかっているだろうなと思わせるものばかり。泊まってみたいと思うのは、エルミタージュ(モナコ)。アール・ヌーヴォーを基調としたスペース、とりわけ円天井が素晴らしい。フィレンツェのウェスティン・エクセルシオールもさすがの貫禄。
トモサン
2025/07/29 17:11

バックパッカー 、最寄り駅に着き昼に夜に星1~3のドアをノック。宿主の顔と分相応ならチェックイン。ベニスでは何件もノックした。アッチコッチと訊ねてるのを知られて...近所の宿は皆兄弟親戚だと(笑)ニースの宿で鯖の味噌煮缶をチン、臭いに驚いたフロントマンに注意された(爆)夢は5つ星のホテルとレストラン🍴🍝

ヴェネツィア
2025/07/30 08:16

トモサン、五つ星だと何かと気を遣って楽しめないような気がします。そういうのを貧乏性というのでしょうが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
本書は第125回直木賞(2001年)受賞作。1995年度には配偶者の小池真理子と共に直木賞候補となりながら、小池だけが先に受賞。苦節6年でようやく。小池真理子は多数読んでいるが、藤田宜永は初読。本書を一読しての印象は、明るく奔放に弾む小池作品に比べると、地味さは否めないといったところ。文体も語りも暗い。もちろん、それは必ずしもマイナスというわけではないのだが、このあたりに人気の差が出ている所以がありそうだ。プロットの構成は実に丁寧だが、それがそのまま説得力に繋がるかといえば、必ずしもそうは言えない。⇒
ふじさん
2025/07/29 08:20

年をとってから、藤田宜永を読み初めたが、派手さはないが独特の味わいがあり、かなりの冊数を読んでいます。彼のような作家は少ない気がします。

ヴェネツィア
2025/07/29 11:05

ふじさん、私はこれが全く初めてでした。もう少し読んでみようと思います。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
せな けいこ・作。ひとづかいも、ばけものづかいも荒い、おじいさんのお話。着想、および構成は、三次市(広島県)に伝わる江戸期の怪談『稲生物怪録』によく似ている。絵は貼り絵の技法を用いているが、個々のお化けがくっきりと際立つなど、なかなか上手く機能しているようだ。表情も実に豊か。お化けの絵本だが、これなら小さな子相手の読み聞かせでも、泣いたりはしないのじゃないかな。読み手も聞き手も安心。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和14(1939)年5月『愛と美について』所収。太宰30歳。甲府の地勢から語りはじめ、やがて「私」の幼少時の最愛の人であった、つるの子どもであり、すなわち乳兄弟ともいうべき内藤幸吉との邂逅を語る。その後の展開も含めて、基本的にはフィクションであるが、それを叙述する太宰はいつになく明るい。万事に調子よ く、いい加減ではあるのだが、それもまた上機嫌ゆえの上滑りに見える。タイトルの「新樹の言葉」も瑞々しく、発展性を秘めた幸福な太宰がここにはいるようだ。
あ 
2025/07/28 19:46

「雪国」の雪中火事は、1940年に「公論」に発表された作品なので、そこは違うのではないかと。

ヴェネツィア
2025/08/03 15:59

あさん、ご指摘ありがとうございます。年代が合いませんね。こちらも初出を確認するべきでした。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻で取り上げられているのは、ジョサイア・コンドルとその弟子の片山東熊である。コンドルが工部大学校の造家学科の主任教授(工部省営繕局顧問を兼任)として赴任してきたのは明治10(1877)年1月であった。時にコンドル24歳。この人が日本の近代洋風建築に与えた足跡と、後への影響はまさに絶大なものである。今はもうないが、かの鹿鳴館もコンドルの設計であった。現存するものだけでも、旧岩崎邸をはじめ旧古川邸や三井倶楽部、ニコライ堂、立教女学院など枚挙にいとまがないほどである。いずれも、往時の面影を色濃く残し、⇒
ヴェネツィア
2025/07/28 15:05

⇒今に伝えている。また、工部大学校教授としても、辰野金吾や片山東熊等を育て上げたのであり、まさに日本の近代建築の礎を築いたのである。弟子の片山東熊の残した建築作品も多く、赤坂離宮、奈良国立博物館、京都国立博物館などこれまた今にその勇姿をとどめている。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
設計者のノーマン・フォスターは、王立英国建築家協会からロイヤル・ゴールドメダルを授与されるなど、これまでにいくつもの賞を受賞しているイギリスの建築家。ナイトの称号も得ている。本書は彼の代表作の一つであり、高く評価されているルノー・センター。立地はスウィンドン(ウィルトシャー・イギリス)の郊外。文字通りルノーの工場兼ショールームなのだが、ホワイトカラーとブルーカラーの区別を一切廃することによって、全従業員を一つの屋根の下に結集させた。建物の形状もそれを端的に表している。全体は黄色に塗られた鉄パイプとボルト⇒
ヴェネツィア
2025/07/28 08:37

⇒そして、壁面は総ガラス張りで構成される斬新なもの。構造表現主義とされる。建築構造そのものを露呈させ、さらに黄色一色に塗装することで、それを際立たせているのである。工場というよりは、それ自体が巨大なショールームである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
さくら せかい・作。私は初めての絵本作家だが、第8回ようちえん絵本大賞など、いくつもの受賞歴を持つ。『うかいのうがい』だなんて、あたかも駄洒落から発想したかのようなお話。きっとそうなのだろう。でも、「がらがらうーうー がらがらうー」のオノマトペのリズムに乗って、お話の進行も川の流れのようにスムーズ。物語の舞台はおそらく中国南部、桂林あたりで、背景の絵は山水画風。主人公のハンさんが、清朝時代の農民風なのは謎。でも、人民服よりは雰囲気が出るかな。読み聞かせの後は「がらがらうー」が流行りそうだ。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
浮世絵の中から「母子」絵を集めたもの。 巻頭は春信だが、この人の母子絵は、ほんとうに明るく、おおらかで慈しみに満ちている。画風がまさにこの主題にぴったりと叶うのだろう。この時代の版画なので、微細な表情を出せるわけではないのだが、例えば能の面が動かないにもかかわらず、表情を表現するように、春信は母子の顔の位置や角度で慈愛を表出するのである。続いての歌麿は、逆に母子絵にはあまり向かないかも知れない。母親は妖艶なのだが、対する子どもが、変にひねこびていて、まるで可愛くないのである。⇒
ヴェネツィア
2025/07/27 08:27

⇒他の国貞、国芳、英泉らも大同小異。私の結論は、母子絵は春信に極まれリというもの。さて、西欧絵画での母子像は、幼子イエスとマリアが圧倒的に多く、そうでないものでさえも、聖母子を面影に抱いている。対して、日本の母子絵は徹底的に世俗的である。そして、そこにこそ浮世絵の真髄があるのではないだろうか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『コエーポロイ』は、「オレスティア」3部作の2番目。前作『アガメムノーン』において、アガメムノーン王が謀殺された。それを受けて、王位復権を期す息オレステースの敵討ち物語が主軸を成す。語りは主にオレステース、姉のエレクトラ、そしてアガメムノーンの墓前で供養するコロスの三者でなされ、劇が進行してゆく。『アガメムノーン』でもそうであったが、彼らの語りは、通常の会話のテンポや文体ではなく、叙事詩を朗唱するようなスタイルである。そして、三者三様の叙事詩が交錯するところに劇が生まれてくるという構造である。⇒
ヴェネツィア
2025/07/27 08:14

⇒通常の意味での劇的な構成からすれば、悠長な流れに見えるだろう。とりわけ、オレステースがアイギストスに復讐を果たす場面などは、現代の私たちなら、どうしてその場面を描かなかったのか、との疑問を持つだろう。このあたりが、ソフォクレスなどとは大いに違うところだ。それは例えば、日本の能などの構成に通じるものがあるのかもしれないと、ふと思う。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
日野十成・再話(原話は日本の昔話)、斎藤隆夫・絵。ととさんのお腹が痛くなった。和尚さんに相談すると、それは腹の虫が騒いでいるから蛙を呑めばいいと教えてもらう。今度は蛙が腹の中を歩くのが気味が悪い。それなら蛇を、その次はキジ…と次々に呑み込んでいく…というお話。蛙の歩く「ぺたらくたら」や蛇が動く「ずらくらずらくら」などのオノマトペが秀逸。絵もこれに見事に呼応して剽軽さと、大胆なデフォルメで画面いっぱいに迫ってくる。この荒唐無稽さとおおらかさは、まさに民話の力そのもの。お薦め!
ヴェネツィア
2025/07/27 07:45

読み聞かせにも最適の1冊かと思う。カエルを呑み込むあたりは、まだしも(すでにここで驚く子どももいそうだが)、ヘビ、キジと進むごとに大騒ぎになりそうだ。大人も子どももみんなで楽しめる絵本。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年3月「書物展望」。太宰31歳。前半は腫物が出来たので、高価な薬品を購入して服用したのに、あまり効がなかったという話題。ああだ、こうだと語っている割にはあまり発展性もなく、半ば堂々巡りの感もなきにしもあらずである。本人は辛いのだろうが、切迫感もさほどなく(伝わらず)、そんなこんなで十日間寝たままだったので随分本を読めた、という話題に横滑りしてゆく。ここからは、ひたすら早稲田高等學院の「學友會雑誌」の話。それも、太宰自身が全く知らないK教授の追悼を巡って語っている。またしても、⇒
ヴェネツィア
2025/07/26 16:38

⇒なんだかページ数稼ぎの気配が漂うが、さてどうだったのだろう。「書物展望」という雑誌もあまり聞かないが、頼まれ原稿を何とか埋めたという印象である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
1800年から2020年までを駆け抜けるファッション・クロノロジー。著者のN.J.スティーヴンソンは、ロンドンを拠点に活動するファッション・ライター、スタイリスト。なにしろ二百数十年分を扱うだけに、写真も考察もじっくりというわけにはいかない。クロノロジーとして、概観するということになるだろう。読んでいて(見ていて)気がつくのは、19世紀と20世紀の間には大きな断絶があるということ。19世紀は王政というか、封建制の趣きを色濃く表現しているのだが、20世紀になると、一気に「今」に近くなる。あたかも、何かを⇒
ヴェネツィア
2025/07/26 14:23

⇒飛び越えたかのように。20世紀になると、映画等で見慣れているということも大きいのかもしれない。戦間期(第1次大戦と第2次大戦の間)から、もう100年になるのだから。第2次大戦が終わってからでも既に80年。その間、ファッションは大きく変わったと言えば、変わった。より巨視的には同じ地平にあると言われれば、またそうなのかとも思える。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
4話を収録。柚木麻子の作品の中でもとりわけ軽いシリーズ。派遣社員の澤田三智子とアッコ(黒川敦子)を扱う2篇は物語中の2人の呼吸もよく合い、展開も軽快。ことに第1話は新しいシリーズの始まりとあって(2013年の刊行だが、読む方は初めてなので)新鮮な感覚に溢れ、今後への期待も高まる。また、オフィス街のランチ案内の要素もあって、あるいは有用性もあるかも知れない。それにしても、1話限りで「雲と木社」をたたんでしまったのはもったいなかったのではないだろうか。ただ後半の2話は、さりげなく関連付けられてはいるものの⇒
Fe
2025/07/26 16:39

柚木麻子さんの文庫新刊『らんたん』新潮文庫 https://www.amazon.co.jp/dp/4101202443 7月29日発売ですね! 単行本(2021.10)でご覧になっていなければ、ぜひどうぞ。私が1970年代に、大学図書館員目録屋の仕事を教わった方が、歴史的人物として登場してます。 既読でしたら、ごめんなさい。

ヴェネツィア
2025/07/26 17:42

Feさん、『らんたん』は楽しく読みました。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
内田莉莎子・再話(ポーランド民話)、佐々木マキ・絵。ヒバリの夫婦が営巣しているところの地下にモグラが侵入。オオカミに駆除を頼むことに。オオカミからは次々と要求が。ごちそうをたらふく食べさせてくれたら、ビールをおもいっきり飲ませてくれたら、おもいっきりおかしいものを見せてくれたら…ヒバリは知恵を働かせてこれらを叶え、オオカミはようやく約束通りに…。メデタシメデタシというお話。民話らしいおおらかさに溢れている。絵も佐々木マキらしい伸びやかなタッチ。ポーランドの感じもなかなかよく出ている。
yomineko@鬼畜ヴィタリにゃん🎄🎅🎄
2025/07/26 09:02

おはようございます!!!絵は佐々木マキさんですよね😊読みたい本に登録させて頂きました📚

ヴェネツィア
2025/07/26 15:49

yominekoさん、こんにちは。佐々木マキの絵はいつもながら。お話もおおらかでいいですよ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和23(1948)年4月「八雲」。太宰39歳。作中の笠井(作家)の言葉として「男類、女類、猿類」なる分類が示され、それがタイトルにも採られているのだが、内容を読むまでもなく女性蔑視的な小説である。小説としての出来も悪い。「僕」の妻となっていた、おかみの死はあまりにも唐突であるし、そこに必然性もない。しいて言えば、人格を否定されたことということになるだろう。小説全体の展開も、ことに後半はなお一層に、酔っ払いがクダを巻くような調子になっており、太宰が身を削って書いた作品とはとても思えないのである。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
シムノンといえば、メグレ警視(初期には警部)のシリーズで名高いが、これはシリアスな純文学(フランス文学にそうした区別はないが)に属するもの。もっとも、プロットの展開にはサスペンスの要素がずっとつきまとってはいるのだが。そして、表題の「猫」はその核を形成する。主人公は70歳を越えた老夫婦(2人ともに再婚)で、彼らの間には猫と鸚鵡をめぐっての(それらはいわばシンボルである)確執が小説全体を通して続いている。したがって、小説のトーンはひたすらに暗鬱であり、寂寥感が覆うことになる。それは、この老人夫婦相互の⇒
ヴェネツィア
2025/07/25 16:40

⇒自我が、ほとんど崩壊の寸前でなお炎を燃やすのである。ある意味ではシムノンの真骨頂を示す作品かと思う。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
設計者はフィリップ・ウェッブ。立地はベックスリーヒース(ケント州)。この地は聖地カンタベリーへの巡礼路である旧ワトリング街道が通っている。施主はアーツ・アンド・クラフツ運動のウイリアム・モリス。この建物自体が運動のシンボルとして、歴史的にも極めて重要である。レッド・ハウスと呼ばれるのは、全面がレンガで構築されているからであろう。そのクラシックな外観もさることながら、内装もまたモリスの美意識が徹底して追求されている。各部屋の天井の装飾などは、まさにモリス好みである。廊下の壁に掛かるのは友 人でもあった⇒
ヴェネツィア
2025/07/25 11:08

⇒バーン・ジョーンズの絵。ドレッサー等の家具もウェッブの製作だが、随所にモリスの装飾が見て取れる。外観は幾分無骨な印象だが、内装は華麗を極める。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
レオ=レオニ・作。文字から言葉へ。そして、言葉から文に。ある意味ではとっても神秘的なお話なのだけれど、最後の「だいとうりょうのところさ」は残念。パステルカラーの絵もレオニらしさに溢れ、生命感に満ちている。お話としてだけ読むこともできるし、バラバラな文字をつなぎ合わせて言葉を作ることもできる。さらに文へと発展することも。もちろん、文字と言葉の不思議を感じることができるなら、それだけで十分。というよりは、それこそが本書の核心かも。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年3月「月刊文化學院」。太宰31歳。初出からすれば、文化學院の卒業式にでも呼ばれて式辞を述べたのだろうか。妙にしゃっちょこばっていて、日頃の太宰らしくない。訓示を垂れるガラでもないのは自身よくわかっているだろうに。ギリシャ神話のパンやディオニソス、ゼウスを引き合いに出すところも、なんだかわざとらしい。終わった後はきっと、汗顔のいたりだったことだろう。そして、聴衆たち(卒業生だろう)は、どうやらあんまり真剣には聞いていないようでもある。あるいはそれは、かえって助かったかも知れない。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
今井公太郎氏をはじめ、4人の執筆陣はいずれも建築専攻の大学教員。本書は、建築学科(もしくはそれと近接する学科)の基礎セミナーか、教養科目「建築学」のテキストに用いられるのではないかと想像される。全体は25個のコンセプトからなり、それぞれに2つのマスターピースを配する。また、それらは「幾何学」、「象徴」、「経験」、「環境」、「関係」の5つのカテゴリーに分類されている。マスターピースに登場する建築家は、ル・コルビュジエ、ライト、ミース・ファン・デル・ローエといった、いわゆる大御所が中心であり、その意味でも⇒
ヴェネツィア
2025/07/24 09:42

⇒教科書的である。また、デザインの対象となっているのは、教会堂やコンサート・ホール、あるいは空港と幅広く紹介されている。将来、建築家を志しているとすれば、夢に溢れるテキストではないかと思われる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
江戸期の戯画の特集。当時の絵師たちは、自分たちのことを芸術家(そんな言葉自体がなかったことは別としても)だとは思っていなかっただろう。絵師、すなわち職人として、そこに自分の工夫をこめて表現していったものと思われる。「面白い」、「いきだ」、「乙だ」といった感覚こそが彼等が共通して有していたものだったのではないだろうか。もちろん、結果としては北斎の戯画や広重の鳥瞰図といった超絶級の芸術品が生まれてきたのではあったが。元禄期のみならず、江戸期の全体を通じて、職人たちが共通して持っていたのは「傾く」(かぶく)⇒
ヴェネツィア
2025/07/24 08:18

⇒精神であった。それがここでも遺憾無く発揮されている。国芳の「むだ書」しかり、暁斎の幽霊図しかり、歌川派の「寄せ絵」もそうだ。もちろん一見、正統派に見える絵師たちにしても多かれ少なかれそうだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
蔵冨千鶴子・文、柿本幸造・絵。どんくまさんが、泥棒3人組と遭遇。疑うことを知らないどんくまさんはせっせと泥棒のお手伝い。盗んできた道具類を修理して、元のお家へ。どんくまさんは、泥棒3人組と一緒にお誕生パーティーにも招待されて、大喜び。ちょっと複雑な3人組…というお話。どんくまさんのキャラクターが上手く活かされた1編。泥棒たちの暗い表情も面白い。お話のアイディアはいいと思うが、再読、再々読に耐えられるだろうかが、ちょっと心配。なお、タイトルにもなっている主人公の名前のどんくまさんというのは、潜在的な⇒
ヴェネツィア
2025/07/24 06:59

⇒差別感が感じられて(気にしすぎかも知れないが)やや気に入らない。愚鈍、鈍感の「どん」からとっているのだろうから。おおらかなのはいいのだけれど。昔話などには「大男総身に知恵が回りかね」といったものはあるが、創作童話絵本なだけに。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
「空気のなかに漂い、呼吸のたびに鼻や口から入りこんでくる数えきれないほどのダニの卵やカビの胞子。また、いろいろな経路を通って体内に侵入する多種多様なバクテリアヤウイルス―中略―しかも、人体はこれら外敵たちが増殖するのに絶好の環境を備えている」―潔癖症の人が読んだら卒倒しそうになる冒頭なのだが、これが地上の実態である。そして、人体にはこれらの外敵に敢然と立ち向かい、撃退する(もしくは無力化する)装置が用意されているのである。すなわち、自己と他者とを極めて厳密に識別し、侵入を許さない「免疫」というシステム⇒
ヴェネツィア
2025/07/23 17:12

⇒がそれである。人間の体内では絶え間なきインナー・ウォーズが繰り広げられているのであり、本書はその仕組みを語る。私たちの身体を形づくる60兆の細胞のほとんどすべての表面には「自己のマーク」(=MHC抗原)が刻印されているらしい。これ一つをとっても、またしても驚異的な、かつ極めて神秘的でさえある事柄ではないか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
単行本の初版は1994年。したがって、もう30年も前の作品ということになる。作者の桐野夏生も40代。今もエネルギッシュに作家活動を続けているが、この頃はさらに旺盛に湧き上がる力に溢れていたことだろう。タイトルは作中の歌手、冨永の歌ということになっているが(幾分時代がかってはいるものの)なかなか抒情性もあり、作品の内容を上手くシンボライズしている。若きヒロイン、ミロの活躍を描くハードボイルドだが、叙述のテンポがきわめて軽快で、読者をも翻弄しながら物語が進行してゆく。描かれている風俗の古さも何か懐かしい⇒
ヴェネツィア
2025/07/23 16:54

⇒ような光景である。また、ミロの若さ(それは時に軽薄さでもあるのだが)を複線的に描き出すところなどはまさに桐野夏生の力量か。構成もうまい。桐野夏生ファンにとっては代表作の一つに数えられそうだ。

ヴェネツィア
2025/07/23 16:58

代表作の一つになるかもと書いたが、他の方々の感想を読むと、評判は相半ばといったところだった。やや意外。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
後世に生きる私たちにとって、ひじょうにありがたいことに、たくさんのダ・ヴィンチの素描が残されている。ここには、名高い自画像や、人体比例に関する素描をはじめ、それこそかなりな量の素描が美しい図版で紹介されている。そして、それらを一瞥するだけで、ダ・ヴィンチの閃きと凄さは立ちどころに了解される。絵画のための習作のようなものも含めて、どの1点にもまさに魂が宿るかのようなのである。しかも、そればかりか数学的な書き込みを伴った人体図や数々の発明品を描いたものもある。それらを見ると、ダ・ヴィンチは直感だけで描いて⇒
ヴェネツィア
2025/07/23 10:56

⇒いたのではなく、実に緻密に構造を把握していたことも明らかである。それを応用したものが、発明品の数々だろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
どい かや・作。「チリとチリリ」のシリーズ。第1巻の時には迂闊にも気が付かなかったのだが、この作品では、主人公の女の子2人がいつも自転車に乗って行動するので「チリとチリリ」だったのだ。今回もやはり自転車での異界訪問。行き先は海の中の王国である。鯛やヒラメの舞い踊り♫を見物するなど、まるで「浦島太郎」の世界。ただ、乙姫様が登場することがないので、玉手箱や「見るな」の禁忌はない。したがって、チリとチリリの2人がお婆さんになることもない。さて、このシリーズ、描き手も女性だし、対象とする読者も女の 子を意識して⇒
ヴェネツィア
2025/07/23 08:05

⇒いるだろうと思われる。絵本におけるジェンダー研究は、今どのような地平に立っているのだろうか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
杉山 寧氏は、文化勲章を受章している日本画家。私が知らないだけで、画壇の重鎮の一人であったようだ。さて、この画集では、徹底してエジプトを題材としたものが集められている。河北倫明氏の序によれば、こと日本画においては素描を鍛錬し 充実することが絵画表現の決め手であるとのこと。そうした「骨法」を駆使して描かれたのが、この画集である。ここでの基本 はたしかに素描であろう。私が一番凄いと思うのは、描かれた神殿なり、彫像なりに大きさを感じることである。スケール感が突き抜けているのだろうか。また、何点か収められている⇒
おとん707
2025/07/28 07:39

すみません、ひとつ間違えました。杉山寧氏表紙絵の最後の文藝春秋芥川賞発表号は米谷ふみ子の「過越しの祭」でした。失礼しました。

おとん707
2025/07/28 07:48

1985年下期でした。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和17(1942)年1月「博浪沙」。太宰33歳。太宰は食通というのは大食いのことだと言うのだが、フランス語ではグルメgourmetとグルマンgourmandとを使い分けている。仏文科だった太宰はどうやら知らなかったように思われる。もっとも、グルメであるためにはグルマンでなければという人もいるのだけれど。また末尾の「ロシアではカレーライスも手で食べるそうだ」もいい加減な伝聞を信じたもののようだ。もっとも、本場のインドではそうなのだが、それと間違えたか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
このところ群発地震の続くトカラ列島。本書は、2008年の刊行だが、島々への交通事情などはほとんど今も変わらないようだ。この屋久島と奄美大島の間に位置する列島は、7つの有人島と5つの無人島から成っている。各島の人口は、最も多いのが中之島で136、口之島と宝島はそれぞれ100を超えるが、他の4島はそれ以下である。日本最後の秘境などと言われたりもするが、アクセスからすればそれも無理もないところか。観光でこの列島に行こうという人は確かに希有であろう。その一方で、あるいはそれ故にこそ、島々はその姿を今に留めている⇒
ヴェネツィア
2025/07/22 14:42

⇒私も行ったことがないのだが、文化的には奄美と似ているのではないだろうか。ただ、この島において、特筆すべきは悪石島に伝わるボゼである。写真を見る限りでは、まるでニューギニア奥地の習俗か何かのように見える。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
「パンどろぼう」シリーズの1冊。今回はぶどうパンを盗む偽のパンどろぼうが登場。ぶどうパン変装作戦が功を奏して犯人を改心させる…というお話。絵は全くいつものタッチ。相変わらず、私にはこれのどこが面白いのかわからない。ほんとうに何がいいのだろう。でも、子どもたちにはウケるのだろう。そればかりか、大人にも高い人気を維持しているようだ。
kameyomi
2025/07/23 09:11

ヴェネツィアさん、おはようございます!私も同感です。絵に品がないのです。子どもたちに表面的に受けるのは分かっていますが、私は、お話会では使いません。

ヴェネツィア
2025/07/23 17:45

kameyomiさん、私たちは少数派のようですが、いくら子供向けとはいえ(あるいは子供向けだからこそ)やはり品位と美学を大切にしたいと思います。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和23(1948)年3月「個性」。太宰39歳。小説は、その言葉の原義からしても、天下国家を論じるといったものではなく、女子供の読むもの」で、「婦女子をだませればそれで大成功」なのだと太宰は言う。小説たるや「或いは謹厳を装い―中略―或いは我が家の不幸を恥も外聞もなく発表し(まるで太宰だ)」と、どこまでもその卑小さを語り続ける。もちろん、これは大いなる韜晦である。末尾に馬琴と藤村の事例を、これまた揶揄するかのように述べるが、この裏側にこそ太宰の本意があったのだろう。
ヴェネツィア
2025/07/21 16:54

文中には、これでもかというくらいに女性蔑視的な発言が出てくるが、これとてもコンテクストからすれば、当然太宰一流のレトリックである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
終戦の年(1945年)の8月15日の詔勅から、1年後の全国中等野球大会(現在の夏の高校野球)の開会式までを描く。この間、一貫しての主人公は阪朝日新聞の記者、神住である。彼は過去の投手としての挫折を戦後もずっと引きっていた。本篇は、そんな彼の記者としての、あるいは人間としての成長物語が横となり、全国中等野球大会の開催を縦軸として展開してゆくという構成をとる。巻末に参考文献が列挙されているが、当然フィクションを含むものの(例えば、いろんな事事柄を神住に集約するなど)大筋ではこんな風にして戦後の第1回大会が⇒
ヴェネツィア
2025/07/21 16:31

⇒開催されたのだろう。そして、アメリカのベース・ボールと日本の野球道との文化差もまたもう一つの軸を物語に与えている。熱い物語だが、さて読者の側はどこまで熱くなるだろうか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
長谷川りん二郎は、1904年函館に生まれ、1988年に亡くなっている。この間、画壇とあまり交わることもなかったようだ。その死後に数々の個展が各地で開かれるなど、名声が高まったのは遅かったかも知れない。描く対象は様々ではあるものの、やはり静物画が多く、これが彼の画業の中心を占めているようだ。また、若き日々の作品から晩年にいたるまで、その変化が乏しいように見えることも特徴の一つに上げられる。そうはいっても、あちこちに模索の跡は見られ、例えばキューブを想起させるものがあったり、ルソーのようなフォーブ風のものが⇒
ヴェネツィア
2025/07/21 12:11

⇒見られたりもする。代表作を1点というのも難しい気がする、そんな画家である。文才もあり、時に詩的な表現を発している。「よい画はその周囲をよい匂いで染める。―中略―人間の美しい魂のにおいさ、それが人類の持つ最高の宝である。」や「現実は精巧に出来た造られた夢である」など。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
よこみちけいこ・作。お話も絵もリアリズムそのもので、ファンタジックな要素はほとんどない。しいて言えば、最初に小鳥が発見されたのが薔薇の花びらの中だったので「ばらのことり」と表題が付されたことくらい。迷い込んで来た小鳥は、ふうことお父さんの介護の甲斐あって無事に飛び立って行く。絵も人間が五等身であったり、猫が多少擬人化されたタッチで描かれるが、リアルを大きく逸脱するものではない。読み聞かせだと、「良かったね」で終わってしまうのだろうか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和17(1942)年7月「新日本文學全集」第14巻月報。太宰33歳。タイトルの「小照」は、昨今ではあまり見かけない言葉だが、小さな肖像画といったくらいの意味。改造社のM君から、井伏鱒二について何か書くようにとの依頼。断りきれずに、はからずも引き受けてしまう。かつて井伏に「もう書くなよ」と言われて「もう書きません」と答えていながら書くのだから、それは書きにくい。そんな中から捻り出した苦肉の策がこれ。うまくすり抜けたものだ。太宰は末尾で「これは、下手な文章であった」などと語っているが、内心ではほっと⇒
ヴェネツィア
2025/07/20 16:56

⇒しているのではないだろうか。ともかく、うまくいって良かった。なお、今回の雑文は言い訳がましくもなく、その点でも成功か。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の長谷川清之氏は、元日大芸術学部デザイン学科教授。本書はノルウェーの民家の調査報告書だが、内容的には一般向き。1.風土と歴史、2.農場と建物。ここでは、建築構造と細部、およびその特質がが紹介される。3.各地の民家。この部分が中核を成す。調査対象は、北は北極圏に属するAltaから、最南端のKristiansandまで、ノルウェーのほぼ全域をカヴァーする。すべて木造建築である。全体を通観しての印象は、気候が厳しそうだということと、家屋から偲ばれる生活はけっして豊かそうではないことだ。
ヴェネツィア
2025/07/20 16:43

この造りでノルウェーの冬を越していたのだから、それは実に耐え忍ぶというに近いものだっただろう。しかも、ノルウェーの冬は長い。それに、よくこれだけ各地に伝統的な民家が保存されていたことにも感心する。あるいは、これらの民家は比較的最近まで現役だったということだろうか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
クリスティの戯曲。法廷を舞台に検察側と弁護側が熾烈な闘いを繰り広げる。殺人事件で、被害者はそれ相応に裕福な婦人。被疑者は、明るい青年(レナード)。弁護士のロバーツ卿とレナードを軸に描いていくので、マイヤーズ検事他の検察側の証人は基本的に敵役を担う。戯曲とあって、登場人物が少ないので、推理を立てやすいというメリットも。真相は、読者にもローマイン(レナードの妻)の2度目の召喚のあたりでわかる。予想通りではあっても、残念な気分にはならない。ただ、最後のエピソードはいらないのではないかと思う。むしろ、余計な⇒
ヴェネツィア
2025/07/21 05:11

nightowlさん、マレーネ・ディートリッヒとは、そんなに古い映画でしたか。

ヴェネツィア
2025/07/21 05:12

sleepyさんからもお薦めですか。探して見てみようと思います。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
五味太郎・作。一人の猟師が獲物を求めてサバンナをあちこちと歩き回る様子を描いたもの。言葉はほとんどない。せいぜい1ページに一言くらい。絵は木版画だろうか。モノクロームの強い描線。猟師がなんだか盗賊っぽいところがいい。一方の隠れている動物たちの飄々とした感じも面白い。読み聞かせ(子どもたちが自分で読んだ場合でも)では、子どもたちが隠れた動物を探すというお楽しみが待っている。子ども園などだと大騒ぎになりそうだ。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和14(1939)年5月「帝国大学新聞」。太宰30歳。冒頭、太宰は「私は、これから書こうとする小説、または、過去に於いて書いた小説の意図、願望、その苦心をあまり言いたくない」のだと語る。中には、例えば川端康成、あるいは佐藤春夫のように批評家としても活躍し、そしてその分野でも一流であった作家たちもいた。しかし、太宰はほとんど批評めいたものを残してはいない。それは、自身の作品のみならず、他の作家の作品についてもそうだ。その意味では、太宰は終生を通して、徹頭徹尾創作者であり続けたのだろう。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
シリーズ第1巻は「開化のかたち」と題され、日本近代の初期洋風建築が取り上げられている。①教会堂=黒崎教会や大浦天主堂等が登場するが、やや珍しいものとして 京都河原町に建てられた聖公会の会堂である聖ヨハネ教会がある(現在は明治村に移築)。②コロニアル・スタイル=長崎のグラバー邸が名高いが、旧西郷従道邸(上目黒→明治村)そして、これぞコロニアルという神戸の旧ハンター住宅がひときわ目を引く。③産業建築=嚆矢は札幌製糖会社第二工場だろう。よくぞ残ったと快哉。④開拓使の遺産=札幌農学校、札幌時計台、旧北海道庁庁舎⇒
ヴェネツィア
2025/07/19 14:17

⇒豊平館と、これらも比較的よく残っている上に北海道の風情に大きく寄与しているだろう。⑤擬洋風=旧山形県立済生館病院本館、旧開智学校、見附学校(磐田市)、第五十九銀行本店(現・青森銀行記念館)、水街道小学校など、こちらは随分ユニークな建物が多い。ヨーロッパやアメリカからやってきた設計者によるものもあるが、ほとんど見様見真似で日本の大工たちが建てたものもある。それにしてもよくやったものだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初版は2005年なので、もう20年も前のものであり、したがって研究内容はもはや最先端とはいかないものもあるだろうが、本書は研究の先端を紹介するものではなく、それに向かう姿勢を語るものなので、全く古びた感じはない。ここには文系、理系の研究者が14人登場する。研究内容や、研究方法は当然それぞれ違い、語り方も様々なのだが、共通するのは「研究する」ことの楽しみである。篇中で最も刺激的、かつ指針が明瞭に示されていると思えたのは、巻頭の池谷裕二氏の「薬の開発のために脳をきわめる」である。冒頭に「2人のヒッチコック」⇒
ヴェネツィア
2025/07/19 11:15

⇒を例に挙げ、「ミュラー・リエル錯視」へと進んで行く。そこから論を展開していくのだが、眼目は脳の平行処理である。まさに目からウロコなのだが、とっつきやすさ、わかりやすさは群を抜いている。そして、最後に再びヒッチコックに戻り、「真理の探求」へと誘ってゆく。見事な展開と結論である。この人は研究者としてはもちろん、教育者としても超一流かと思う。彼の元からはさぞ優秀な研究者が何人も育っていったことだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
やぎ たみこ・作。おじさんから贈られたぬいぐるみの「ほげちゃん」。すっかりゆうちゃん(推定年齢2歳)のお気に入り。ある日、家族でお出かけすることになって、ほげちゃんは猫のムウとお留守番。ほげちゃんは、日ごろの憤懣が爆発して大暴れ…というお話。絵は基本的にはリアリズム。そして、一番のポイントは、ちょっと奇妙な造型のほげちゃん。どうやら水色のクマらしいのだが、一般的な美意識からすれば、あまりカワイイとは言い難い。おそらくはそこがいいのだろう。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和22(1947)年11月「朝日新聞」。太宰38歳。イエスが十字架に架けられた時に着用していた下着は縫い目がなく、全部そのままに織ったものであったとの記述は「ヨハネによる福音書」第19章に見られるエピソードだが、他の福音書(マルコ、ルカ、マタイ)にはその記述はない。太宰はそれを引き合いに出して、妻に「もしも死なねばならぬ時が来たならば、縫い目なしの下着は望まぬ。せめてキャラコのパンツ一つを作ってはかせてくれまいか」と頼むのである。見方によっては、何とも不遜な言動なのであるが、また見方によれば⇒
ヴェネツィア
2025/07/18 17:03

⇒この時、遠からぬ自死を思っていたのかも知れない。太宰の死はこの7ヶ月後なのだが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
元和6(1620)年、徳川二代将軍秀忠の息女、和子(まさこ)が後水尾天皇の女御となるために入内。その華麗な行列を描いた屏風絵。行列は二条城を発し、内裏に向かうのだが、この屏風では、同時に周縁に京の町を描き、洛中洛外図屏風にもなっている。和子の入内は京の町の全てを巻き込む一大イベントであったか。少なくても、屏風絵はそう語っている。右隻、左隻から成り、各隻は縦155.5cm、横361.4cmのサイズである。全体が金地着色であるために、まあ何とも絢爛豪華である。また、細部にわたるまで実に丁寧に描き込まれており⇒
ヴェネツィア
2025/07/18 16:52

⇒あたかも細密画のような様相を呈している。全部で何人の人物が描かれているのかはわからないが、数百人はいるのではないか(ひょっとすると千人?)。しきも、一人一人がこれまた丁寧に描 き分けられる凝りよう。京の寺社は言うに及ばず、四条河原の女歌舞伎や下鴨社の相撲・軽業興行、上賀茂社の競馬、祇園会の山鉾巡行など、およそ目出度いもののオンパレード。見ていて飽きることがない。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
遠野遥のデビュー作。文芸賞を受賞。少年時代の回想から始まる。最初は性同一性障害かとも思われたが、現在時を読むとそうではないことがわかる。性的にはむしろノーマルか。ただし、女装願望は強い。ウィッグを購入し、メイクに精進する姿は女性として認められたい、しかも美しい女になりたいとの強い志向の現れだろう。ただし、けっして女性になりたいわけではない。そこが「私」の最も屈折したところである。したがって、それはナルシズムの変形であるとも言えるかも知れない。また、彼にはつくねという女友だちがいるにはいるが、幼少時から⇒
ヴェネツィア
2025/07/18 12:11

⇒今にいたるまでずっと孤独である。もっとも、孤独であることは彼に特別な影を落としているようにも見えない。そもそも本質的に社会や他者との紐帯が薄く、また求めてもいないのだろう。もし、接点を持つとすれば、そこには女装というバリアが必要であるのかも知れない。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
敬愛する田中優子先生が語る蔦屋重三郎。「編集」をコードに彼の事績を読み解いて行く。蔦屋重三郎の名での刊行は吉原細見『籬の花』が最初であった。この吉原をめぐる出版は、たくさんの出版人や文化人が蠢いていた。筆頭は福内鬼外(=風来山人、こと平賀源内)だろうか。ちなみに彼自身はゲイだったのだが。さて、蔦屋重三郎の一番の功績は何だろうか。実はこれが一番とは言えないほどに江戸文化への貢献は大きいのである。歌麿を売り出したこと、写楽を発掘して一世を風靡したこと、馬琴と十辺舎一九を世に送り出したこと…。まだまだあるのだ。
ヴェネツィア
2025/07/18 08:29

蔦屋重三郎は、まさに江戸の文化が生んだ、そして新たな江戸の文化を生み出していった世紀の怪人ともいうべき出版人であった。大河ドラマ「べらぼう」(私は見たことがないが)のお蔭で蔦屋重三郎ブーム。本書もこの流れに乗って多くの人に読まれるといいのだが。ただし、新書にしてはかなり専門的である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
香山美子・文、柿本幸造・絵。お話は昔話の「わらしべ長者」からインスパイアされたか。また、アンデルセン童話にも「父さんのすることにまちがいはない」があり(ただし、これは次第に価値の低そうなものになってゆくのだが)、あるいはこちらからかも知れない。うさぎさんが作った「どうぞのいす」に最初はろばのどんぐりが、それを食べたくまさんがハチミツをと、次々に交換していくお話。絵は暖色系が支配的で、画面全体のトーンは常に明るい。スリリングな要素はどこにもないけれど、子どもたちは安心して楽しめるか。
めぐ
2025/07/18 10:06

息子(とっくに成人)が幼稚園児だった時に、幼稚園のお遊戯会でこれをやりましたよ。そんな思い出を持つ読者の方が多いのかもしれませんね。

ヴェネツィア
2025/07/18 11:57

めぐさん、たしかに幼稚園で子どもたちが演じるのに向いていそうです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和14(1939)年6月「月刊文藝」。太宰30歳。太宰にしてはのどかで平和な一日である。「春昼」は春の季語でもあり、また泉鏡花に同名の小説がある。おそらく太宰の意識にもこれらはあっただろうと思う。また、「サクラの満開の日と、生まれた日と、こんなにピツタリ合ふなんて、なんだか、怪しい」と言っているが、この時、太宰には西行の「願わくば花のもとにて春死なんその如月の望月のころ」は思い浮かばなかっただろうか。この日は家族そろって楽しく過ごしていたので、そんな思念も回らなかったのかもしれない。
ヴェネツィア
2025/07/17 16:20

珍しく文体も明るいが、描かれている世界もまたタイトルの「春昼」に相応しく明るく、光に満ちて晴朗である。結びの蜜蜂の羽音は俳諧であるよりは詩的名情調を喚起する。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
現代アメリカを代表する画家、アンドリュー・ワイエス。彼が1971年から1985年までの15年間にわたって描き続けた絵。主題はすべてワイエスの隣人のヘルガ・テストーフである。技法はテンペラ、ドライブラッシュ、水彩、鉛筆画。表紙はテンペラ画の代表作ともいうべき「編んだ髪」(1979年)。髪の表現もそうだが、セーターの編み目にいたるまで細密に描かれた(スーパー)リアリズム画である。油絵具ではなく、テンペラの特質を実によく発揮していると言って良い。また、絵はヘルガの内質をも浮かび上がらせるようだ。深い思索を⇒
ヴェネツィア
2025/07/17 12:53

⇒そこに見るからである。それはヘルガ自身のであろうか、あるいはワイエスのであろうか。ドライブラッシュでは「ページボーイ」(1980年)が目に留まる。こちらは衣服は半ば影になっているだけ、一層に顔とその内的な表情にウエイトがかかる。しかも、顔は左半分が影に、右側には光があたり、そのことで思索をさらに深めているようだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
深町秋生は初読。実は古書店で深緑野分と間違えて購入してしまったのです。本書はどうやら人気の八神瑛子シリーズの第4弾のよう。ただ、いきなりここから読んでもなんら支障は無さそうだった。全編を貫くのは、法も警察組織の論理も超越したヴァイオレンス。主人公の八神はもちろん、いわゆる悪役も含めて相当に荒っぽい。この人は何度か大藪春彦賞の候補になっているようだが、まさにそのようなタイプの作品である。また、あれこれとサスペンスの要 素も持っていて、その意味でも楽しめるかも知れない。私は初対面だったが、これまでに八神瑛子⇒
ヴェネツィア
2025/07/17 10:52

⇒のシリーズを読んでいれば、なお楽しみも大きかったかもしれない。私の場合は間違えて読むことになったのだが、まあそれなりに。出版社が幻冬舎というのも、これまた肯ける。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
なとりちづ・作。こぐまえんのねんちょうはなぐみの6人はゆめこせんせいとお散歩に。町にはいろんな人たちがいて、いろんなお仕事をしている。みんなは大工さんを見ては大工さんに、パン屋さんに行ってはパン屋さんに、それから花屋さん、電車の運転士さん、消防士さんに憧れて将来は自分たちも、と思う。でも、最後はやっぱりこぐまえんのせんせいがいい、というお話。2018年の出版なのだが、絵のタッチはなんとなくレトロ感が。子どもたちの服のせいだろうか。あるいはヘアスタイルが古い?園の感じはとってもよく再現されていると思う。
Johnnycake
2025/07/17 17:34

うちの娘たちに子供の頃大人になったら何になりたい?と聞いたら長女と三女は当たり障りのない何かだったんですが、次女が「蝋燭職人」と言ったのでズッコケました。後からナーサリーライムに蝋燭職人の出てくる歌があるというのを知りました。大人になった今、娘たちはそれぞれ当時希望したものとは全然違う仕事をしています…。

ヴェネツィア
2025/07/17 19:01

蝋燭職人とは意外な職種ですね。私も結局は子供の時に思っていなかった職種に就きました。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和19(1944)年10月「東京新聞」。太宰35歳。太宰は日本には「純真」などという概念はなかったという。おおかたアメリカあたりからやってきた言葉ではないかと。そして、「純真のどこが尊いのか」と述べる。確かに「純真」は、大人が子どもにかくあれかしとの願望を勝手に押しつけ、自らもその幻影に捉えられているだけかも知れない。そして、「人間は、子供の時から、どうしたつて悲しい思ひをしなければならぬものだ」と結ぶ。なんだか、しみじみと悲しい語りである。
純真
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
第4巻。ここでようやくローラたちインガルス一家は、終の住処となるシルヴァー・レイクの近くドゥ・スメット(サウス・ダコタ州)にとたどり着く。思えば長い道のりだった。母親のキャロラインと姉のメアリーはほっとしているが、ローラの本心はもっと西の西部の果てまで行きたかったようだ。ドゥ・スメットの町が建設されていく様は、まさに興隆期そのものであり、それはインガルス家にとってもそうだった。クリスマスの場面では、それはほんとうにささやかなものなのだが、ローラたちも、そして私たち読書も幸福感に包まれる。そして、⇒
美登
2025/07/16 16:51

こんにちは。この後『長い冬』から結婚後についても何冊か続いていますが、もしまだ未読でしたらぜひ。

ヴェネツィア
2025/07/16 17:05

美登さん、ありがとうございます。続巻がありましたか。福音館のこのシリーズではここまでのようだったので、変だなとは思ったのです。情報感謝!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
山田章博のファンタジー・イラストレーション集。「あとがき」によれば、この時点までで(2006年)彼は四半世紀にわたって、描き続けてきたとのこと。そうすると、今ではもうかれこれ半世紀を迎えようとしている。私はこうしたジャンルには疎いので、現代のファンタジー・アートがどのようなものなのかはわからないのだが、これを見る限りでは十分に現代的なのではないかと思うのだが。全体として見れば、男たちはみんな(一部の例外を除いて)筋骨たくましく強そうだ。その点では女たち も負けてはいない。ただ、女たちの方はエロティシズム⇒
ヴェネツィア
2025/07/16 13:46

⇒匂わせつつ、しかしけっして過剰にはならず、可愛さの中に包みこんでいる風である。背後にはたくさんの物語がありそうだ。「ナウシカ」、「ニーベルンゲンの歌」、「三国志」まだまだイメージの源泉はあるのだろうが、そのいずれもが山田章博の絵に収斂しているところはさすがに、である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
蔵冨千鶴子・文、柿本幸造・絵。パン屋さんに迷い込んだどんくまさんが、くまサイズのパンを焼いたり、ウサギ型のパンを焼いたり…というお話。終始、明るく幸せモード全開なのだが、ここまで来るとなんだか能天気感も漂う。およそスリルやハラハラドキドキがないのだ。こんなのでいいのかなあと、ふと心配になる。それでも10冊をはるかに越える人気シリーズ。絵も暖色系の(というか、ひたすら暖色の)暖かモードに徹する。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和14(1939)年5月「愛と美について」。太宰30歳。「私はどんな小説を書いたらいいのだろう」に始まり、Kとのことを語り始める。ここでの作品の文体は、私小説風のそれでもなく、かといってまた純然たる創作風のそれ(例えば『女生徒』のような)でもない。したがって、Kは実在の存在なのかも知れないが、どうも架空の人格なのではないかという気がする。プロットの展開もまた、どっち付かずの印象を免れない。「私」と一緒に心中行に出かけたようでもあり、またそうでもないようななのである。「私」の「死ぬ」云々の言動も⇒
ヴェネツィア
2025/07/15 16:57

⇒妙に軽く、切迫感がない。「悪魔」や「十字架」といった素材もなんだかわざとらしいばかりだ。幕切れだけは小説らしく結ぶのではあるが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
一般社団法人 日本果樹種苗協会の監修。日本の果物について、かなりいろんなことがわかる。果物そのものとは日々お付き合いがあるわけだが、こうして改めて総覧すると、知らないことが随分たくさん、というよりほとんど何も知らないに等しいことがよくわかる。例えばびわだが、迂闊にも私は一種類しかないのかと思っていたが、実は普通に市場に出回っているだけでも15種類を数え、希少種はさらに13種もあるようだ。もっと馴染みのリンゴにしても、千秋やさんさ、夏緑、紅ロマンをはじめ、まだまだ聞いたこともないものがたくさん。⇒
ヴェネツィア
2025/07/15 14:37

⇒今、出盛りのスイカにしてもしかり。ランキングではリンゴが2位、スイカは3位である。ちなみに1位は温州みかん。一世帯あたりの消費金額(都市別)では山形市がトップで、以下福島市、長野市、盛岡市、甲府市と続く。北の人ほど果物の消費が多いのである。何にせよ図鑑の類は見ていて楽しい。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
いわむら かずお・作。ロダンの「人」は考える。それなら、「かんがえる」というくらいだからカエルが考えてもいいじゃないか、という発想から生まれた(たぶん)のがこのシリーズ。4コマ漫画の連作といったスタイルをとる。なかなか人気のよう で、既に何冊かが出ている。そうなんだけれど、私にはこれの何が面白いのかさっぱりわからない。頭が硬くなってる?童心を完全に喪失している?単にウマが合わないだけ?でも、子どもたちは楽しいのだろうな、やっぱり。
Hong Kong @新潮部2025
2025/07/16 07:06

ヴェネチアさん、私が読んだのは、随分昔なので、再読して今の自分を確かめたい?気もします。ですが、読みたい本が山積みですので、本の方からひょっこりやってこない限りは、読まないと思います。アハッ。

ヴェネツィア
2025/07/16 08:33

kanさんはシリーズ全巻購入ですか。よほどウマが合ったのですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
施主ジョゼフ・エッテドキ、建築家エヴァ・ジリクナのコンビによる何店舗かのジョゼフ・ショップはいずれもロンドンにあって、異彩を放っている。とは言っても、けっして奇抜なデザインを売り物にしているわけではなく、一見したところでは、むしろ普通のブティックに見えるかもしれない。これらに先行するのがケンゾーのブティックなのであるが、ここにはジリクナの創意が詰まっている。最もわかりやすいのは店内に配された曲線を活かした階段だろう。それは同時に木の温もりをも表出しており、店内に暖かみをもたらしている。
ヴェネツィア
2025/07/14 17:23

また、細部にも様々な意匠の上での工夫が凝らされてもいる。これを典型的に示すのがジョーズ・カフェである。金属の輝きを持つクロームなのだが、ここでもやはり曲線として用いることで独特のフォルムを形成するのである。ジョゼフが、新しく開くブティックのことごとくをジリクナに任せるのも当然かと思う。なお、ジョゼフはモロッコの、ジリクナはチェコ出身の移民である。そしてブティックはすべてロンドン。これこそが真の都会である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
プロローグはミステリー然として始まる。たしかにミステリーには違いないのだが、犯人探しといった種類のそれではない。元事件記者のみちる(本作の語り手でもある)の渾身の取材によって事件の全貌が次第に明らかになってゆく。そこには井口という相棒がいて、みちるは何度も救われるのだが。物語の場もいたってリージョナルな中で展開するのだが、会話文が基本的には北九州の方言で語られることもあって、その作品世界の狭さは作品の欠点とはならないで済んでいる。また、様々な形で残る男尊女卑の気風が、作家にこの作品を書か せる原動力⇒
アキ・ラメーテ
2025/07/15 15:58

Envyという店名、東京の美容院や大阪のホストクラブ等がありました。「羨ましがられる存在に!」みたいな意味なんでしょうか……。お店ではなくEnvyというバンドもいるようですね。

ヴェネツィア
2025/07/15 17:53

アキ・ラメーテさん、実際に使っているお店もあるのですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ヨーロッパ各国のサイン&ファサードを600点も集めた本。解説や分析はなく、ただ只管に商店等のファサードや看板が並ぶ。そこだけを写真に収めるものだから、周縁との関係がわからず、したがって国や町による違いがあまりないように見える。それでも、おのずと特質はあるもので、しいて言えば、ロンドンのそれらはインパクトはあるものの、いささかセンスに欠けるように思われる。小規模な商店の部で傑出するのは「コスチューム・ハウス」(ベルリン)、「シスリー」(パリ)あたりか。また、私はあまり好きではないが表紙写真はブリュッセルの⇒
ヴェネツィア
2025/07/14 08:58

⇒H&M。その他でいいと思ったのは、レストランの「グライフェン・バイセル」(ウィーン)、リヨンのメトロ入口、ロッテルダムのアーケードなど。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
どい かや 作。シリーズの第1巻。双子のチリとチリリが自転車で森を抜けてどんどん走って行く。たどり着いたのは素敵なホテル。お話というほどのものはなくて、もっぱら絵が語る絵本。チリとチリリと2人が必要なわけではないが、これも絵の都合上か、もしくは『ぐりとぐら』への連想から。パステルカラーで丁寧に描かれた絵。 チリとチリリは人間というよりも妖精のようだ。森の動物たちとチリとチリリが溶け合い、なんとなく幸せな気分が揺曳する。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
アクセル・ハッケは初読。本書と同じくミヒャエル・ゾーヴァの挿絵をを付した本を何冊か上梓している。おそらくは、それらのいずれもが多かれ少なかれファンタジーの領域の作品であると思われる。本書におけるキー・ワードは想像力だろう。作中の王様が語り手の「僕」に求めるのもそれである。そして、それは同時に読者に求められるものでもある。王様はこの世界の日常に近接したところに住んでいる。そこは誕生と成長が逆転した世界なのだが、そのことは実は本質的な問題なのではない。私たちがその世界を想像できなくなったことことが問題⇒
ヴェネツィア
2025/07/13 16:30

⇒なのである。これは、私たちのすぐ隣に、あるいは私たちの内に存在するもう一つの世界の物語である。ミヒャエル・ゾーヴァのちょっとルネ・マグリットを思わせるムードある挿絵もこの作品に大いに寄与している。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和17(1942)年4月「婦人公論」。太宰33歳。前年12月8日の太平洋戦争開戦の日の1日を太宰の(とは書いてないが)妻の一人称語りで記す。子どももいる主婦なので、いささか薹が立ってはいるが、かつての『女生徒』を思わせないでもない。自分自身の感慨として書かずに妻に仮託したのは、やはり開戦を礼賛してしまう照れ臭さゆえであろう。ただ最初に紀元二千七百年(百年後)のことを長々と書いた意図はよくわからない。太宰の本心が開戦を良しとしなかったことの現れなのだろうか。もっとも、それらの条件を割り引いても⇒
Hiroshi
2025/07/16 07:17

松本健一『日本の失敗』に本書が出てきます。「彼は弱さに徹することによって、強さや勇ましさや美しさに同化することを拒んだだけである。そのことによって、国体イデオロギーの絶対化による聖戦を信じなかった」とか、「『12月8日』という作品も時流に対する少々の挨拶だが、その弱さに徹した挨拶によって、太宰は精神的鎖国としての国体イデオロギーや日本の世界史をみごとに無化してしまった」(福田恆存)とか。

ヴェネツィア
2025/07/16 10:30

Hiroshiさん、情報をありがとうございます。福田恆存の論はもっともらしくもあり、また後知恵的なところもありそうです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
第5巻は骨と筋肉である。人間の身体の骨は206本。意外に少ないような気もする。そこに500もの筋肉エンジンが付随するらしい。宇宙空間から帰還した宇宙飛行士らは、皆等しく筋肉がやせ衰え、壁を伝いながらかろうじて100歩を歩ける程度になってしまうそうだ。彼らは宇宙空間で日々鍛錬を繰り返していたにもかかわらずである。ことほど左様に人間の骨と筋肉は、この地球環境の1Gに適応しているということなのだろう。筋肉の構造図を見、またそれを動かす化学反応の解説を読むにつけ、その細密さ・精密さにはあらためて驚嘆する。
ヴェネツィア
2025/07/13 14:05

私はこれまで、この広い宇宙に高等生命が地球以外にも存在しないはずがないと思っていた。だけど、このシリーズを読んでいると、ひょっとして我々は宇宙の孤児であるのかも知れないと思い始めている。

jjm
2025/07/27 09:22

こんにちは。私もいろいろな情報を興味本位で追ってきて、その度にフラフラ考えは変わってきたのですが、今はこの宇宙に知的生命体は必ず存在する、でも距離や寿命の制約で出会うことはない=実質人類は宇宙の孤児、と考えるようになりました。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ジョン・ヘア 作、椎名かおる 文。これは本来は言葉のない絵だけの絵本だったのではないだろうか。ショーン・タンなどにも言葉のない絵本はあるのだから、もしそうだったとするならば、言葉を付けるのは余計なことではないか。むしろ、それぞれの想像を促す試みだったのだろうから。さて、本書の内容だが、遠足で月に行って、1人だけ取り残されそうになる。その間に月世界人との遭遇などもあって…というお話。絵は基本的にはリアリズム。もちろん、月世界人以外はということだけれど。もう一つ、帰りの宇宙船内の様子はまるでバスだ。
Johnnycake
2025/07/13 10:48

ヴェネツィアさん、オーストラリアのサイトにはこの本は文のない絵だけの絵本だとありました。This wordless edition of John Hare's moving and imaginative space story allows children to use their own words to describe the action, as the school trip to the Moon has an unexpected outcome.

ヴェネツィア
2025/07/13 11:53

Johnnycakeさん、ありがとうございます。そうではないかと思いました。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和21(1946)年4月「文化展望」。太宰37歳。この時点から自身の過去の15年間を回想する。この度は書き方こそ穏やかであるものの、またしても原稿の文字を何とか埋めようとの作為が目立つ。戦前、戦中を振り返って何か書いて欲しいという依頼を受けてしまったものの、困った挙句の所行だろう。3箇所にもわたって自身の過去の作品から引用している。それも、結構長々と。そして、とうとう結びまでが引用であり(後略)とは、またなんと無責任なこと。ほんとうに困ったお人だ。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ARCHITECTURE IN DETAILシリーズの第1巻を飾るのはローズ・クリケット競技場、マウンドスタンドである。設計はマイケル・ホプキンズ&パートナーズ。1987年に完成。テントを張った屋根は大きなクルーザーのセイルのように見える。それが青空に屹立している様は実に爽快感があり、無条件に美しい。徹底して機能美が追求されてもいるのだろうが、アーケードやピッチにはクラシックな趣きを残してもいる。変形4層の観客席も整然とした佇まいを見せており、満席でも雑然とした感を抱かせない。⇒
みあ
2025/07/12 21:03

さすが、ヴェネツィアさん。素晴らしく美しいレビューだと思います。

ヴェネツィア
2025/07/13 10:28

みあさん、それはありがとうございます。たまにはこういうのも。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初期の短篇を5篇収録する。いずれも、異なった趣きを持った作品であり、有吉のその後の多彩な作品群を象徴するかのようである。表題作「江口の里」は世阿弥の謡曲「江口」を俤に、カトリックのグノー司祭と信徒たち、また信徒たちと芸者のさと子、そしてまた司祭とさと子とをそれぞれ対比させながら描き出すという面白い試みの一篇である。カトリック司祭の磊落さと おおらかさが微笑ましい。「海鳴り」もまた若い編集者の冴子と老境にいる元大蔵大臣の一木翁、冴子と婚約者の卓也といった対比から成り、先の「江口の里」と似た構造を持つ。⇒
ヴェネツィア
2025/07/12 16:41

⇒これまた冴子の描かれ方は秀逸であり、後の長編への発展の萌芽を感じさせる。もう1編注目に値するのは「人形浄瑠璃」である。浄瑠璃の世界の「芸」を見事に描き上げた作品。同時に浄瑠璃の世界の狭さや現在も巧みに表現して見せた。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
今まで知らなかったことが悔やまれる芸術家。フンデルトヴァッサーは1928年ウィーン生まれ。最初は画家としてスタートを切る。極めてカラフルな絵で、同時にクリムトを彷彿とさせるようなウィーンの香りの高いもの。この頃から既に後の建築への志向も伺える。その後は様々なことに手を染めているが、やがて建築模型を造り始める。そうして、ついに建築医フンデルトヴァッサーの誕生である。最初に手がけたローゼンタール社陶磁器工場あたりはまだ部分的な装飾にのみ個性を付け加えるという程度であったが、それがやがては建物全体に及ぶように⇒
いっこ
2025/07/12 12:48

夢洲のごみ焼却場見学、なかなか面白いですよ。

ヴェネツィア
2025/07/12 17:52

いっこさんは行かれましたか。私は写真で見ただけですが、夜景も含めてとっても素敵ですね。ぜひ見てみたいものです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
パンどろぼうシリーズの1冊。今回は謎のフランスパンとの対決。最後は和解し、仲良くパンまつりでお店を開く。フランスパンが突然正体を現し「ねこだ!」というシーンは、な急展開を楽しむところなのかも知れないが、私には面白みよりも、いい加減さにしか思えない。その後の展開もネコvsネズミ(パンどろぼうの正体)の構図も、クリームパンで撃退するところも、その気分が消えないまま。絵はいつものタッチ。どうも私にはこのシリーズの良さがわからない。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
石崎等氏は近代文学の研究者。一方の中山繁信氏は建築家。そんなお二人のコラボレーションで生まれたのが本書。夏目漱石は、予科を終えて専門課程に進む際に、当初は建築科を志望しようとしていたらしい。結局彼は英文科に進むのだが、都市空間や建築に対する関心とセンスを生涯にわたって持ち続けたようだ。本書は、そんな漱石の実生活の空間、そしてまた小説の中で描かれる建物や空間を再現するという珍しい試みである。漱石作品の引用も的確なら解説部分も興味深く語られる。そして、なにより絵が雄弁にこれらを補強する。どのページもなんとも⇒
ヴェネツィア
2025/07/11 17:42

⇒ノスタルジックな味わいに富んでいる。お茶の水界隈の俯瞰図があり、また妹尾河童ばりの天井から眺めた室内図があったりと、アングルも工夫が凝らされている。作品理解の一助にも大いになりそうだ。漱石を愛する人には強推薦!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和16(1941)年1月「日本映画」。太宰32歳。太宰と映画の付き合いを語ったものだが、太宰にとっての映画はタイトルに言うように「弱者の糧」であるようだ。彼は映画にけっして芸術を求めたりはしない。太宰にとって、それは只管に娯楽であり、悲しい時や不安でならない時に思いっきり泣くことによって得られるカタルシスを求めての映画鑑賞である。したがって、彼はただただ無邪気に、荒唐無稽を受け入れて映画を見るのである。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
恵泉女学園の創立者、河井道の生涯を辿った評伝小説。恵泉女学園中学・高校の卒業生でもある柚木麻子が共感を込めて描く。恵泉女学園には関係のない読者(私ももちろんそうなのだが)の心にも強く響く。道の生涯は、恵泉と共にあったばかりではなく、明治から第二次大戦後にまで及ぶ女性解放の歴史を先陣切って歩んだものでもあ った。この評伝に登場する綺羅星のごとき女性たちがそれを証してもいる。津田梅子、大山捨松、広岡浅子、平塚らいてう、神近市子、山川菊栄から村岡花子、石井桃子にいたるまで実に錚々たる顔ぶれのオンパレードである。
ヴェネツィア
2025/07/11 16:37

本書は、その性質上からも基本的には河井道の行動の軌跡を忠実にたどっているものと思われる。あとがきにはフィクションであると断ってはいるが、有島武郎の亡霊との場面以外は大きな虚構はなされていないのではないだろうか。なお、肝心の場面に時々亡き有島はもう一人の道であり、道の良心のせめぎ合いを表出しているのである。柚木麻子の熱意がダイレクトに伝わる胸熱小説。お薦め。

ヴェネツィア
2025/07/11 16:48

アメリカでも、この小説に登場するセブン・シスターズの名門校ヴァッサー女子大が共学になり、ラドクリフはハーヴァードに吸収された。日本では、恵泉女学園大学や京都のノートルダム女子大が募集停止に追い込まれ、武庫川女子大学などは共学に転換など女子大の苦難が続いている。もはや女子大の使命は終わったのだろうか。私はそうは思わないのだが、これも世の趨勢か。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
たかはしひろゆき・作。物語の舞台はチロヌップ(ウルップ島。チロヌップ=アイヌ語でキツネ)。老漁師夫妻とキツネの一家の物語。平和な島で、キツネにとっても楽園であったはずが、密猟者にとっても宝の島であった。そんな密猟者に殺されていくキツネたちを強い哀惜をこめて描く。絵はモノクロームに時々パステルカラーを交えた柔らかなタッチのもの。声高に主張するわけではないが、静かに切々と動物愛護を訴える。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年9月「東西」。太宰31歳。太宰の妻が秩序なくいっぱい植えたために失敗したという6坪の庭での植物たちの会話を記す。太宰にしては全く毒がなく、全体の調子はいたって明るい。軽快なタッチの小説である。太宰本人が言うようにルナールばりの南仏風小品。へちまのくだりでの太宰夫婦の会話もいたって平和。こんな太宰もある、というタイプの珍しい小説だ。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の石田潤一郎氏は、滋賀県立大学環境科学部助教授(当時)、近代建築史専攻。写真も特に記載がないので、著者本人によるものと思われる。それぞれの建物の、最も特徴的な(もしくは意匠として優れた)部分が写真に収められているのだろうが、やはり全景も欲しかったように思う。さて、巻頭は三条通にある日本銀行京都支店。辰野金吾・長野宇平治の設計である(明治40年)。次いでは烏丸の山口銀行京 都支店で、こちらも辰野片岡建築事務所によるもの(大正5年)。この後に登場する京都府庁舎を含めて、京都の町中には明治・大正期の建築が⇒
ヴェネツィア
2025/07/10 16:50

⇒たくさんあって、これらを見るために京都を訪れる価値が十分にある。他にも京都府立図書館やヴォーリズの下村正太郎邸、府立一中に二中、歌舞練場など。本書では、大阪、神戸、西宮の近代建築が多数登場する。いずれもクラシックな佇まいで、その石の重厚感にしばし圧倒される。大阪では、どういうわけか中之島公会堂がない。私は中之島のあのあたりから、フェスティバルホールにかけ ての界隈が大阪で一番好きなのだが。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
「マザーグース」から48篇を収録する。1冊にしては、かなりの充実度。だが、この絵本の特質は絵がすべて刺繍で表現されていること。刺繍の技法を全く知らないのだが、布製の貼り絵のようなところに、スティッチを施したもの。他にも何人かの刺繍絵本作家はいるようだ。絵柄は限りなく明るく晴朗である。中間色を活かして、色を 抑えながら躍動感もある。鷲津名都江の訳も軽快。篇中では「ハバードおばさん」が、文も絵も楽しい。
ゆうママ
2025/07/15 23:34

こんばんは!ヴネツィアさんのレビューにて、素敵な刺繍絵本のご紹介に出会い、早速手にしました。佳きひとときを、ありがとうございます!

宵待草
2025/07/23 10:08

ヴェネツィアさん 『暑中お見舞い申し上げます!』 毎日お暑いですね!☀️😵💦 体調は大丈夫ですか? ご紹介頂き、漸く既読し、先ほど拙いレビューを記載しました。 素敵な刺繍絵本をご紹介下さり、感謝して居ます!🍀 此れから更に厳しい暑さですが、お互いに水分補給を確り、酷暑を乗り切りたいと思います!💫 宵待草

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和14(1939)年12月「文藝日本」。太宰30歳。三鷹に引っ越した早々、百姓風俗の変な女に薔薇を7本売りつけられてしまう。私(この場合は太宰だろう)は、それが偽物と知りつつ、卑屈な弱さから4円で買ってしまう。そして、それを小説に書いていたら、また別の男が押し売りにやってくる。今度はなんとか買わされないで済んだものの、後味の悪い思いは消えない。妻からは「四円が痛かったなど、下品なことは、これから、おっしゃらないように」と言われてお終い。今の貨幣価値にして、4000円くらいのものだろうか。
ヴェネツィア
2025/07/09 17:09

⇒昨今の手がこんだ上に高額を騙し取られる詐欺に比べれば可愛いものだが、太宰はやはり侮られる自分が不甲斐なくも悔しかったことであろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
本書は、千葉工業大学建築都市環境学科ブータン伝統住居実測調査団21人+ブータン王国建設省の3人による第1回調査報告書である。ブータンに赴く前から国内で測量等の準備を徹底して行い、ブータンに向かう。第1回は2009年9月12日から9月19日まで。ブータンの民家建築は版築と木造の折衷が基本である。今回は、まず民家の構造調査から。バベサ、チャンジジ、シャリおよび首都パロの伝統民家が対象である。パロのそれはさすがに別格なのだが、他は地域による違いが思ったよりも顕著なようだ。中ではシャリ地区の民家が最も立派で⇒
ヴェネツィア
2025/07/09 10:59

⇒あり、私たちがイメージするブータンの伝統民家そのものである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
人気シリーズの5冊目。今回は図書館が改装工事をはじめたので、サムとサラは屋根裏部屋に新しいお家を作ることに。様々な意匠の家を作ってはみたものの、やはり元のお家が恋しい。そうこうするうちに、改装工事も終わって、目出度く帰還…というお話。絵はいつものように、フィギュアを写真撮影したかのようなタッチのもの。今回の眼目は、サムとサラが作った世界の家。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年6月「東京朝日新聞」。太宰31歳。「長興先生」とあるのは、「長興善郎」のことだろうか。文藝時評での長興先生の指摘に対して、太宰が新人作家たちを代表する形で反論(弁明)を試みたもの。自分たちはけっして自信を持つことができないのだと太宰は言う。しかし、そのことを克服しようとは思わないのだと。むしろ、その「自信のなさ」を大切にしたいのだと。「卑屈の克服からでは無しに、卑屈の素直な肯定の中から、前例の無い見事な花の咲くことを、私は祈念しています」と結ぶ。見事な論法である。前例の無い⇒
ヴェネツィア
2025/07/08 18:11

⇒環境の中にあって(人はすべからくそうなのだが)、そこに生み出される芸術は、前例の無いものでなければ、それは芸術たり得ないのであるから。太宰は、そのことを強く自覚していたのだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻は、人体最大のスーパー臓器、肝臓である。直径わずか数十ミクロンの肝細胞が、およそ二五〇〇億個集まったものが肝臓だそうである。これだけで、もう気が遠くなるような話だ。肝臓の模型が掲げられているが、それはまさに大樹のごときもの。その肝臓の役割はといえば「命のコントロールセンター」であり、「栄養素がここで人間化される」のである。肝臓を人工物に例えるならば「壮大な化学工場」であり、二五〇〇億個の肝細胞は五〇〇以上の機能を持つそうだ。こんなものを、もし人工的に作るとすれば(できないのだが)巨大な工場どころか⇒
ヴェネツィア
2025/07/08 16:07

⇒工業地帯のすべての工場を動員しても肝臓1個分の機能さえも果たせそうもない。かくして、読者はまたしても、生命の神秘に打たれることになる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
アガサ・クリスティの戯曲。本作は1952年の初演以来、2万回以上の公演を重ねる人気劇であるらしい。大雪に閉じ込められたマンクスウェル山荘が物語の舞台。登場人物はわずかに8人だけ。そこで起こった殺人事件とその解決を描く。いわば典型的なクローズドサークルの劇である。この日は、この山荘のオープニングの日。若い経営者夫妻と5人のいわくありげな客。そして警官が1人。この中に犯人がいるはずだし、第二の殺人も起こりそうだ。そうしたサスペンスの中で劇が展開していくのだが、その割にはのんびりとしたムードも漂う。また、⇒
nightowl
2025/07/09 22:28

https://natalie.mu/stage/news/631595 9月の上演では新訳を用いるようです。同じご夫婦のコンビによる翻訳の「検察側の証人」も最近俳優座劇場で上演されたので、戯曲についても文章(?)同様新訳が出版されてほしいものです。

ヴェネツィア
2025/07/10 04:58

nightowlさん、新訳では「民宿」ではなさそうですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
子どもを描いた浮世絵を集めたもの。本書では歌川国芳のものが多いが、北斎、歌麿、広重のものなどもあり、多くの絵師たちが子どもを題材に描いていたことがわかる。構図としては、二人あるいは三人と少人数を描いたものもあるが、一枚の画面に多くの子どもを配したものが多い。また、「子ども遊びづくし」などのように、図鑑化した「尽くし絵」もよく見られる。さらには、「ごっこ絵」というか「見立て絵」というか、「おさな遊日本橋行列之図」なども。いずれにしても、こんなに子どもの絵が多いのは世界的にも珍しいのではないだろうか。
ヴェネツィア
2025/07/08 07:06

また、風俗画として見るならば、およそ江戸期の子どもの遊びという遊びが描きつくされた感がある。江戸時代は、中層の都市江戸町人階級の子どもたちにとっては(大人たちにとっても)毎日が楽しかったにちがいない。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
長 新太・作。ページをめくる度に意表を衝く展開の連続。「でもね この くれよんは」→次のページは「こんなに おおきいのです」。このページの絵はネコと並んだ同サイズのクレヨン。ひげの濃い胴長の親父めいたネコが秀逸。絵では、ゾウがライオンにおこられているところもいい。お話はナンセンスに徹しているのだけれど、絵も含めてどのページも長新太が満載。展開の発想が子どもの持つ大胆さにぴったり呼応する。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和16(1941)年12月「都新聞」。太宰33歳。内容からすれば、太宰の状態のいい時のようだ。少なくても、前向きで向上心も示している。それとわからないくらいにさりげなく聖書の引用があったりもする。その一方で「赤心」などと書いており、当局に対しても挑戦的な態度を見せていない。また、かといって厭世観にとらわれてもいず、自己嫌悪や自己に対する拘泥もない。太宰にしては珍しいエッセイということになりそうだ。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
巻頭の円陣闇丸の挿絵を見ると、すわボーイズ・ラブならぬ爺チャンズ・ラブのお話かと早とちりしそうだが、国政と源二郎(ともに73歳)二人の幼なじみの、ちょっと噛み合わない友情物語。生まれた地域こそ(荒川と隅田川に挟まれた、典型的な東京下町)ごく近くだが、国政は定年退職した元銀行員、一方の源二郎の方は現役のつまみ簪職人。生き方も、これまでの境遇も大きく違う。稀代のストーリー・テラー 三浦しをんの真価を発揮した作品。ただし、多分にライトノベル風である。爺ちゃんたちを主人公にしたライトノベルも珍しいのだが。
ヴェネツィア
2025/07/07 16:47

⇒二人は風貌もまた対照的なのだが、彼らに源二郎の弟子の徹平と、その恋人のマミが絡んでコミカルな人情劇を繰り広げる。国政の手紙のくだりはちょっとしんみりとさせるし、また結婚式のシー ンは、とっても面白く読める。

ヴェネツィア
2025/07/07 16:52

物語の舞台となったY町は、架空の町なようなモデルがあるようななのだが、モデルを探してみるとすれば、墨田区柳原か。荒川の対岸は堀切だし、当たらずといえども、概ねこのあたりだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ル・コルビュジエの「小さな家」にはじまって、アルヴァ・アールトの「コエタロ」やフランク・ロイド・ライトの「落水荘」など、20世紀を代表する名だたる個人住宅を巡る、なんとも贅沢きわまりない旅。案内するのは中村好文。細部にまでわたる、それぞれの建築的な工夫を写真・図解入りで解説する。ここにあるのは、いずれもが個人の住宅なので、見た目の華やかさよりも、実際の居住空間としての機能性をその機能美とともに追求する。それでいて、さすがにそれぞれの住宅はきわめて個性的だ。「小さな家」や「落水荘」は他でも紹介されることが⇒
すぶたのまるやき
2025/07/07 14:10

懐かしい。何十年も前に、入門編として先生に紹介された本です。リートフェルトはデザイン論の歴史の中で出てくる有名な方。革命的なデザインを確立した人としてデ・スタイルとして有名です。オランダデザインと言えばデ・ステイルで、モンドリアンのアートなら見たことあると思いますよ。

ヴェネツィア
2025/07/07 17:30

すぶたのまるやきさん、やはりリートフェルトはこの世界では超有名人でしたか。私はこの分野は全くの素人で、ライトヤコルビュジエはともかく、アルヴァ・アールトを知ったのもそんなに前のことではありませんでした。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
韓国の絵本。ヒョン ドク・文、チョウ ミエ・絵。ノマ(推定4歳児くらいの男の子)が一人でダンボール製の機関車を作る過程を描いた。したがって、お話というほどのものはない。絵は背景を描かず、ノマとその制作物だけを徹底したリアリズムで描写する。ノマやおかあさんの雰囲気は見事に韓国風。ただ絵本としては絵が出来すぎていて、想像の余地が入り込む隙がないかも知れない。そういう意味では、ヘタウマ系とは逆だ。また、ノマが天才児だとしても、いくらなんでも機関車の出来が良すぎるのではないか。その意味でもリアリティを欠くか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年9月「月刊文章」。太宰31歳。自作について得々と語る、などというのは太宰が最も嫌うことだろう。それはまさに「恥」にほかならないからだ。実際、含羞の作家、太宰治には似合わない。おそらく、これまた自作を語れとの依頼原稿だったのだろう。さすがに、ここでは開き直ることなく真面目に語っている。「私はいつでも、言いたいことは、作品の中で言っている。他に言いたいことは無い」は、太宰に限らず、すべての作家に当てはまるはずである。語る方法がこれしかなかったからこそ、こんな風に語ったのだから。⇒
ヴェネツィア
2025/07/06 17:27

⇒『女の決闘』を上梓した後くらいにこれが書かれたようだが、表題作、「走れメロス」、「駆け込み訴え」などの人気作を含むこの作品集は太宰自身期するものがあったのだろう。この文章にも余裕を感じさせるのは、その故か。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
13篇の中・短篇を収録した作品集。篇中では、「深淵をあとに歓喜して」がスタージョン賞を、「オープン・ロードの聖母様」がネビュラ賞を受賞し、作品集全体ではフィリップ・K・ディック賞を受賞するなど、人気と評価の高さをうかがわせる。いずれもがハードなそれではなく、ファンタジックなタイプのSFということになるだろうか。その意味でもディック賞は相応しそうだ。サラ・ピンスカーは1977年生まれなので、かなり先端の作品群であり、内容的にも先鋭な感覚を閃かせている。篇中では「いずれすべては海の中に」の持つ、近未来的な⇒
ヴェネツィア
2025/07/06 17:04

⇒ディストピア感に一番この作家の特徴が現れていそうに思われる。それは、ポール・オースターやコーマック・マッカーシーのそれのような厳しさを突きつけては来ないのだが、ある種また別の寂寥感を漂わせる。それを過去に投影した「深淵をあとに歓喜して」もなかなかに捨てがたい魅力を持っている。

ヴェネツィア
2025/07/06 17:33

この類の作品は翻訳が良くないと、全く楽しめないのだが、本書の訳者、市田泉氏の誠実でいて、軽快さも合わせ持った訳文は実にありがたかった。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
文と構成はピエルドメニコ・バッカラリオとヤコポ・オリヴィエーリの2人、絵はマルコ・ソーマ。名前からは、どうやら全員がイタリア人だろう。さて、本書はタイトルに掲げるように「魔法道具の大図鑑」なのだが、ここに集められたのは神話や伝説、あるいはファンタジー文学に登場する魔法道具の数々である。魔法の館の16の部屋に貯蔵された魔法道具が210。実にワクワクする魅惑の魔法部屋。さあ、扉を開けて入ってみよう。最初の書斎には「はてしない物語」が、次なる玄関の間には「ドロシーの小さな銀の靴」。言うまでもなく、⇒
まゆこ
2025/07/07 17:32

ヴェネツィアさん、こちら読ませていただきました。とても楽しい読書でした。いつもありがとうございます☆

ヴェネツィア
2025/07/09 09:01

まゆこさんのお気に入りは『はてしない物語』の初版でしたか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
むらやまけいこ・文、ふくだしょうすけ・絵。鳩のくうちゃんと、こうしのめめちゃんは大の仲良し。毎日まきばで遊んでいます。春も夏も秋も…でも冬がやって来ると、めめちゃんはもうまきばに出ていけません。やがて、次の春がやってきて、くうちゃんとめめちゃんは、再び一緒に。絵は子どもの描くようなタッチの水彩画を、プロフェッショナルに仕上げたもの。一番の違いはやはり構図だろうか。最後のシーンで、再会しためめちゃんはぐーんと大きくなっているところが見どころ。子どもたちも当然気がつくだろう。「あーっ!」という声があがる。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和12(1937)年12月「文藝」。太宰28歳。よくこれで編集部が文句を言わなかったものである。末尾に太宰自身が書いている。「約束の枚数に達してので、ペンを置き、なしの皮をむきながら、にがりきって、思うことには、『こんなのじゃ、仕様がない』。」苦りきっているのは、太宰よりもむしろ編集部だろうに。最初から最後まで、なんとか枚数を埋めることしか念頭にないようだ。こんなことになるのなら(太宰自身にも半ば予想されたはずだ)引き受けなければいいのに。しかも、太宰にはこの類の原稿が結構あるのだ。
あ 
2025/07/07 18:08

江口寿史は原稿落として雲隠れした後、週刊少年ジャンプの編集長に呼び出され、引導を渡されたそうです。あの最終回は、私には面白かったんですけど、webで探しても出てこなかった。

ヴェネツィア
2025/07/09 11:00

あさん、太宰の場合は許されたばかりか、ほとんど何のお咎めもなかったようです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
表題作を含めて9つの短篇を収録。「老妓抄」は、タイトルに取られるだけあって、篇中ではやはり岡本かの子を代表する1篇だろう。今では老妓となったその子と、発明家を目指す柚木、そこにその子の養子であるみち子が絡む人物構成で物語は進行する。柚木の初志は、ぬるま湯のような自身の環境から次第に緩んで来るのであり、そこに彼は焦りをも感じているのだが、出奔するという以外に打つ手がない。一方のその子はといえば常に泰然自若、世の人情の機微を知り尽くしたかの様子が崩れることがない。末尾の短歌がそんな彼女の心情を鮮やかに語る。⇒
ヴェネツィア
2025/07/05 13:51

⇒「年々にわが悲しみは深くして いよよ華やぐいのちなりけり」。終わることのない、しかし実に鮮やかな結びである。他に注目するのは「家靈」か。こちらは老彫金師と、どぜう店「いのち」を継ぐことになった、若いくめ子とを描く。岡本かの子は、こうした市井の男女を描くのがまことに巧みな作家である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
シリーズ第1巻は「祭礼」である。巻頭は村上島之丞の「蝦夷島奇観」による18世紀のイヨマンテが紹介され、それに続いて旭川近文のカムイイヨマンテの克明な写真記録が登場する。以下にも二風谷のイヨマンテ他の写真が掲載されているが、どうやらそれぞれのイヨマンテには微妙な違いが あるようだ。イヨマンテすなわち「イ」(熊の魂)を「オマンテ」(神の国へ送り返す)儀式である。このことの持つ意味については、姫田忠義氏の巻頭言に詳述されている。氏は言う「イヨマンテは、表面的な綺麗事、美辞麗句の世界のものではない⇒
ヴェネツィア
2025/07/05 10:45

⇒生身の人間が、生身の動物と痛烈にかかわり、いわば生命と生命とがぶつかり合うところに発する、深く痛切な人間文化の典型なのである」と。熊を殺す残酷な儀式といった感傷からは、遥かに高みにある認識だと思う。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ロジャー・デュボアザン 作。この人はスイス生まれで(名前からすればフランス語圏だろう)アメリカに移住して活躍した絵本作家。生涯に100冊を超える絵本を残した。これは、そんな彼の最後の1冊。スイートピーさん夫妻の農場にいる動物たちが、次々にやって来て、それぞれに自分だけにしかできない得意技を語る。でも、ワニのクロッカスにはそれが何も無い。ところが、ある日…というお話。絵は幾分か擬人化されてはいるものの、フォルムは基本的にはリアリズム。だけど、色彩は思いっきり奔放にはじける。楽しい絵本。
yomineko@鬼畜ヴィタリにゃん🎄🎅🎄
2025/07/06 06:50

ヴェネツィアさん、おはようございます😊読みたい本に登録させて頂きました📚もう1冊「ワニのクロッカスおおよわり」も出て来ましたのでこちらも!!!🐊🐊🐊

ヴェネツィア
2025/07/07 12:47

yominekoさん、おはようございます。続編も楽しそうですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
原題は"Pappan och havet"(スウェーデン語、パパと海)。邦題だとムーミンパパだけが海へ行ったかのようだが、ムーミンとパパ、ママ、そしてミイがみんなで連れ立って島に移り住んだのである。小野寺百合子訳は初めてではないが、山室静訳に慣れ親しんだ身としては、この人の訳文がどうも今一つしっくりとこない。さて、彼らは灯台のある島に移住するのだが、モランもまた後を追ってやってくる。そのモランのせいではないのだが、この島で彼らはあわや命を落としそうなほどの身の危険にさらされることになる。⇒
ヴェネツィア
2025/07/04 17:22

⇒ムーミンのシリーズの絵だけを見ていると、ついつい明るく陽気なものを思いがちだが、ヤンソンはそんな風には描かない。この作家の思惟と想像力には常に危機が胚胎するのだろう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和19(1944)年3月「新若人」。太宰35歳。太宰は「玉砕」という言葉をあえて避けて「散華」を用いた。言葉の捉えようにもよるが、玉砕が政府(軍部)によって美化された死(全滅死)であるとすれば、散華はより個人的であり、若くして華と散らねばならなかったことを悼む気持ちが込められているだろう。ここには二人の青年の死が語られている。結核で命を落とした三井君とアッツ島で散華した三田君の死である。タイトルからしても、よりウエイトが置かれているのは、三田君の散華である。太宰はその三田君からの手紙の一節を⇒
ヴェネツィア
2025/07/04 17:00

⇒再三引用するばかりか、結びにまで用いている。「お元家ですか。遠い空から御伺いします。無事、任地に着きました。大いなる文学のために死んで下さい。自分も死にます、この戦争のために」というのがそれである。文学(詩)を志していた三田君は、戦争のために散華しなければならなかった。美化するしかなかっただろう。太宰にできることはそれだけだったのだから。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
編著者の湯本豪一氏は、川崎市市民ミュージアムの学芸員。本書は「怪綺談絵詞」、「土佐お化け草紙」、「ばけもの絵巻」、「蕪村妖怪絵巻」を収める。これらはいずれも江戸期〜明治初期に成立した妖怪絵巻である。それぞれに特徴があって、大いに楽しめる。最初の「怪綺談絵詞」は、集中で最もカラフル。詞書も丁寧だ。珍しい妖怪として、ヲロシヤの人魂、ヘランダの泣夷坊、イギリスの蟻などが登場する国際派である。虎にゃあにゃあもあまり他では聞かない、カワイイ命名の妖怪。なお、ここの轆轤首は、首が身体本体から遊離するタイプ。⇒
きゃれら
2025/07/04 09:36

湯本豪一記念三次もののけミュージアムに行ったことがあります。広島県三次市はほかにあまり見所ないですが、ワインは美味しいので、行ったことなければぜひ。https://miyoshi-mononoke.jp

ヴェネツィア
2025/07/04 17:42

きゃれらさん、私も三次もののけミュージアムに行ったことがあります。奥田元宋・小由女美術館にも行き、ワインとピオーネをお土産にもらって帰りました。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
岡野かおる子・文、遠藤てるよ・絵。初版は1977年刊行の古い絵本。ミドリが公園のくずかごに捨ててあった、きれいな傘を拾う。これが不思議な傘で、開くと幻想世界(とはいっても内容は日常的なもの)がミドリの前に現出する。最後には、この傘は本来の持ち主の女の子の元に…というお話。他愛ない幻想譚で、最後もなんだかあっけなく終わるので、子どもたちにはあるいは不満が残るかも知れない。絵は線の細い(影の薄いという感じもする)水彩画で、お話とはよく合っているだろう。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和15(1940)年6月「満州生活必需品会社機関誌」らしいのだが、初出誌不詳とも。太宰31歳。叙述は「満州のみなさま」に宛てた書簡体形式をとっている。タイトルの三月三十日は南京国民政府(いわゆる王兆銘政権。日本の傀儡政権とされる)の成立した日。太宰がことさらにこの日を選んで、満州の人々に語りかける本心はいかがなものであったかと思う。彼の地の人々を気にかけている風に語ってはいるが、あまり心が籠もっているようには見えない。荷風の引用なども見方によっては随分シニカルだ。表層の言葉が真意を裏切っている⇒
ヴェネツィア
2025/07/03 17:05

⇒ように思えるのである。結びの一文「私の三人の知人は、心から満州を愛し、素知らぬ振りして満州に住み、全人類を貫く『愛と真実』の表現に苦闘している」にいたっては、ことに「素知らぬ振りして」あたりに本心がほの見えていそうである。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
早見和真は初読。いかにも本屋大賞候補作という風情。エンターテイメント小説としては一応の水準にあるだろう。高校野球を描いているのだが、焦点があてられているのは、球児ではなく、タイトルからも明らかなように、その母親である。そこが本書のミソ。中学野球の時代は神奈川の有力チームのエースを張った航太郎は、希望学園高校に進学。したがって、主な舞台となるのは羽曳野市。大阪とはいっても、北大阪(淀川右岸)出身の私もよく知らない町である。まして、神奈川からやって来たのなら、そこはもはや異郷である。高校の野球部とそれを⇒
ヴェネツィア
2025/07/04 09:29

アルプス席は、甲子園球場の応援席ですね。

marsan
2025/07/12 14:01

ナイスありがとうございます😊

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
この巻の主役は消化器官の胃と腸である。これまで、胃は心臓に次いで単純な筋肉器官かと思っていたのだが、それは全くの誤解であった。胃壁の細胞図を見ると、結構複雑そうだし、何よりもその働きたるや凄まじいばかりである。胃の壁細胞はPH2という強い塩酸を吹き出すらしい。これでは、ほとんど危険物である。この酸は胃の中に食物とともに入ってくる細菌を殺し、繊維の多い食物をやわらかくし、タンパク質を分解する働きを成す。その合図を送る役目を果たすのは1個の細胞であるらしい。もはや、神秘ともいうべき領域である。⇒
ヴェネツィア
2025/07/03 14:02

⇒小腸もまた素晴らしく複雑な機能を持っている。なにしろ、ここで栄養を吸収しなければならないのだから。これを読んでいると、人間の身体はなんと精密な構造と機能を持っていることかと思う。真に奇跡的との言葉がけっして大袈裟ではない。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
マーガレット・ワイズ・ブラウン 文、レナード・ワイスガード 絵。グラスにとってたいせつなこと、スプーンにとってたいせつなこと、ひなぎくにとってたいせつなこと…それぞれにとって一番たいせつなことは何かを語っていく。それは、そのものの本質を明かすこと。最後は「あなたはあなた」で終わるが、これこそが作者の言いたかったことだろう。それをダイレクトに言ってしまうのは絵本として、とても残念なのだが、胸に迫ってはくる。絵も絶妙のコンビネーションで、絵本を作り上げる。シンプルだが力強く、絵画としても優れる。
宵待草
2025/07/03 14:30

ヴェネツィアさん こんにちは! マーガレット・ワイズ・ブラウンは、好きな児童文学者の一人です!💕 此の『たいせつなこと』と『おやすみなさい おつきさま』は蔵書しています。 登録以前からの蔵書で、レビューは掲載していませんが、共読絵本が一冊加わり、嬉しくレビューを拝読しました!💫 暑くなって来ましたので、お互いに体調に留意したいと思います!🍀 7月もどうぞ、宜しくお願い致します!✨ 宵待草

ヴェネツィア
2025/07/03 15:37

宵待草さん、こんにちは。しばらくぶりの共読本ですね。こちらこそ7月もどうぞよろしくお願いします。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和22(1947)年1月「猿面冠者」(現代文学選23)。この選集では「猿面冠者」、「ダス・ゲマイネ」、「二十世紀旗手」、「新ハムレット」を収録していたのだが、太宰が書いているのはもっぱら「新ハムレット」のことのみ。太宰によれば「クローヂヤスに依つて近代惡といふものの描写をもくろんだ」のだが、発表当時から文壇の大半は、クローヂヤスの惡を見逃したばかりか、正宗白鳥にいたっては、作者が、同情しているとまで曲解される始末。『晩年』の刊行からは実に11年もの間があいているのだが、太宰はよほど悔しく思って⇒
ヴェネツィア
2025/07/02 17:14

⇒いたのだろう。ほんとうは自分の作品の意図など解説したくはなかったはずである。それこそ太宰の嫌う野暮の極みなのだが、それでもこんなことを書くほどに心外だったのだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ミック・ジャクソンは初読。イギリスの作家。本書は10の短篇を収録。いずれもがイギリスらしいユーモア(面白い、可笑しいという意味ではなく、その語本来の意味でのhumour。)に彩られた作品。見事なまでに10作のそれぞれが違った味わいを持っている。配列にはどこまでの配慮がなされているのかよく分からないが、少なくとも巻頭の「ピアース姉妹」は、やはりこの位置が指定されていただろう。最初にちょっと読者の度肝を抜いてやろうという、作者の企みであるように思われる。「訳者あとがき」で、田内志文は「境界線」と指摘して⇒
ヴェネツィア
2025/07/02 16:47

⇒いるが、それは確かにこの短篇集全体の核心を言い当てたものだろう。10篇のいずれもそれぞれに面白いのだが、しいて好みの1篇を挙げるなら「川を渡る」か。なお、デイヴィッド・ロバーツの絵もいい感じだ。10編を読み終わって(あるいは1作読むごとに)表紙の絵を見ると、ここでもまたそ のユーモアに触れることができる。

ヴェネツィア
2025/07/02 16:54

他の方たちの感想を読みながらあらためて振り返ってみると、あれもこれも捨てがたくなってくる。ことに印象深いのは「ピアース姉妹」、「蝶の修理屋」、「隠者求む」、「宇宙人にさらわれた」、「もはや跡形もなく」。先ほどは間違えて「川を渡る」をベストに挙げていたが、「もはや跡形もなく」に訂正します。お薦め!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
江戸の人たちは信心深いといえば、まあそうだ。ただし、どこまでが信仰心で、どこからがそれに名を借りたお祭り騒ぎや遊興であったのかは微妙なところだ。本書は浮世絵を手掛かりに、そうした江戸庶民たちの信仰の事情を探ろうという試み。まずは、遊行の宗教者や門付け芸能者の多いこと。西鶴をはじめとした文学作品にも多数登場する。次いでは、江戸のあちこちで寺社がらみの年中行事の多いこと。それだけ江戸市中には神社仏閣も多かったのだ。ことに多いのが「伊勢屋稲荷に犬の○○」と言われるように稲荷社だろう。また、庶民信仰は⇒
ヴェネツィア
2025/07/02 12:19

⇒江戸の中に限らない。成田山、江之島弁財天、大山詣から果ては伊勢参宮から金毘羅詣へと出かけてゆく。伊勢参宮などは、まさに人生の一大イベントである。

ヴェネツィア
2025/07/02 12:22

江戸時代に生まれ合わせるなら、やっぱり江戸に限ると思わせる。世界有数の、いやおそらくは当代世界では一番の都市であっただろう。パリもロンドンも全く及ばないくらいの。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
初出は昭和9(1934)年7月「番鳥」。太宰25歳。『晩年』(1936年)に収録される。主人公の男はドストエフスキー、メリメ、ポーなどにも造型の深い文学者。ただし、故郷の人たちの間での評判はすこぶる悪い。そんな彼が起死回生の行動として選んだのは小説を書くことだった。そんな彼が今しも書きつつあるのが「風のたより」。その中にはかつて書いた「鶴」が含まれ、作中作が二重に入れ子構造として組み込まれている。なんだか複雑な構造をもっているのである。そして、これらを含むこの作品のタイトルが『猿面冠者』。⇒
ヴェネツィア
2025/07/02 09:56

太宰はそれを墓標であると語るが、作品集『晩年』のみを残せば十分との思いであったか。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
松居直・文、長新太・絵。信号機ぴかくんの1日を描く。ただ、この日は忙し過ぎたのか、ぴかくんが目を回してしまって町は大混乱…というお話。お話自体にはどこといって目新しいところや、面白いところはなさそうだ。となると、この絵本の生命はひとえに長新太の絵にかかっている。いつもながらのお惚け風味の絵。でも、個々の絵は(例えば白バイや郵便車など)それぞれに特徴がよく出ている。群衆の描写も上手い。ただ一つ気になるのは、ぴかくんという命名。「ピカ」という言葉は、ヒロシマでは原爆を象徴するものだ。とりわけ被爆者の人たち⇒
T. Tokunaga
2025/07/02 17:56

ヴェネツィアさん、そこはわたしの認識不足でした。お詫びいたします。

ヴェネツィア
2025/07/02 18:01

今では認知度が低くなりましたが、大江健三郎が『ヒロシマ・ノート』と題していたのも同じ理由からです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
野﨑まどは初読。小説に『小説』というタイトルを付すのだが、これこそが真の小説だとの矜持の表れか、あるいは小説の本質とは何かを明らかにするという意気込みと、その自信を持っての解答がこれなのだろうか。見渡したところ、なかなかに評判がいいようなのだが、何が読者を引き付けるのだろうか。読者に徹する内海集司への共感か。あるいは、この破綻とも見える構成がファンタジックなものとして歓迎されているのだろうか。物語は、途中までは、基本的にはリアルな世界として展開する。もっとも、集司が邸の地下で不思議な少女に遭遇するという⇒
りょうけん
2025/07/01 18:02

いつも良い感想文をありがとうございます。 しばらくぶりな否定的な感想,でしたら まあいいですよね。 僕は毎回絶賛否定的感想でございます。特にそういう風に書こう と最初から思っているわけではないのですが,気が付くと悪口ばかり書いているのでした…🐌。

ヴェネツィア
2025/07/01 18:36

りょうけんさん、読んでみないとわかりませんものね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『世界名画の謎《作品編》』と対を成す。著者のロバート・カミングはクリスティーズの会長を務める美術研究者。タイトルには「謎」を謳っているが、別段謎解きを試みているわけではない。名画を取り上げて、それぞれの特質を作家ごとに解説した もの。ランプール兄弟の「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」(1415年)にはじまり、最後はポロックの「ブルー・ボールズ」(1952年)まで。各画家に1点ずつなのだが、ファン・アイクの「ヘントの祭壇画」など、まさに代表作と思えるものがある一方で、ブリューゲルでは「視覚の寓意」が選ばれ⇒
ヴェネツィア
2025/07/01 07:50

⇒ているなど、選択の意図がよくわからないものも多い。なお、ミケランジェロはシスティーナ礼拝堂なのだが、洗浄前の写真。こんなに違うのかとあらためて驚嘆。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレいまえよしとも・文、ちょうしんた・絵。「なんだったかな」と思い出しながら、次々といろんな動物たちが登場する。最初はカバ、そしてライオン、さらにはゾウといった風に。最後にようやくたどり着いたのが黒ヒョウ。でも、最終ページのオマケのような「わらべうた」がどうしてここにあるのかわからない。絵は小学生の描いたようなタッチに見せかけたプロフェッショナルな絵。太いマジックで縁取られた動物のフォルムが実に大胆だ。
が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2011/11/30(5137日経過)
記録初日
2011/04/07(5374日経過)
読んだ本
8499冊(1日平均1.58冊)
読んだページ
1885428ページ(1日平均350ページ)
感想・レビュー
8409件(投稿率98.9%)
本棚
62棚
性別
職業
専門職
自己紹介

2011年4月からの参加で、15年目にはいりました。一番よく読んでいるのは日本文学、次いでは翻訳文学です。読むジャンルの幅は広い(半ばは意識的にそうしています)のですが、何でも手当たり次第に読むというわけではありません。特に誇れるものはありませんが、連続読書日数は初日から5263 日(2025年9月2日現在)、冊数は8098冊になりました。胃癌で入院中も、海外旅行中も毎日読んできました。さて、どこまで伸ばせることやら。

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