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2024年5月の読書メーターまとめ

ヴェネツィア
読んだ本
78
読んだページ
13574ページ
感想・レビュー
78
ナイス
39428ナイス

2024年5月に読んだ本
78

2024年5月のお気に入り登録
25

  • Erina K
  • うさぴょん
  • 情児
  • メロン
  • 🈳
  • ななもん
  • えみ
  • 山田
  • kokemaro
  • ゴリ人
  • ぴくみゅう
  • あ 
  • アメヲトコ
  • ちゃんかな
  • 飼い猫泥棒
  • Sato19601027
  • もりそば
  • どりーむとら   本を読み深めたい
  • そうぺい
  • ドッケン
  • 橘 実来
  • ẞume
  • 魅乃乎minoco19860125
  • 鮫島英一
  • じゃんケンシロウ

2024年5月のお気に入られ登録
26

  • Erina K
  • うさぴょん
  • 情児
  • メロン
  • 🈳
  • ななもん
  • えみ
  • 山田
  • kokemaro
  • ゴリ人
  • ⚓️☄️👾🔫🎲
  • ぴくみゅう
  • あ 
  • アメヲトコ
  • ちゃんかな
  • 飼い猫泥棒
  • Sato19601027
  • もりそば
  • どりーむとら   本を読み深めたい
  • そうぺい
  • ドッケン
  • 橘 実来
  • ẞume
  • 魅乃乎minoco19860125
  • 鮫島英一
  • じゃんケンシロウ

2024年5月にナイスが最も多かった感想・レビュー

ヴェネツィア
一穂ミチは初読。6つの短篇から成る作品集。全体としては、フィクションを作りすぎている感が否めないが、そうした中にあって、巻頭の「ネオンテトラ」は最も自然体。これに続く「魔王の帰還」と「ピクニック」はは過剰フィクションの典型だが、読後感は悪くない。「花うた」はダニエル・キースの「アルジャーノンに花束を」を典拠とした一種の本歌取り。主題も自ずと似ている。1篇をとるなら「愛を適量」か。ただし、好みは分かれそうだ。最後の「式日」は、巻頭と呼応させているのだが、内容的にはやや空転気味か。
nebosuke_wombat
2024/05/07 12:28

『魔王の帰還』はコミカライズもされているので人気なのかな、と。人気なのでコミカライズなのか、コミカライズされたので知名度が高い🟰人気なのかはわからないですが……

ヴェネツィア
2024/05/07 14:53

nebosukeさん、どうやらその相乗効果のようです。

が「ナイス!」と言っています。

2024年5月にナイスが最も多かったつぶやき

ヴェネツィア

5月は再び入院と手術が待っています。今月はいっそうに読書空間を楽しみたいものです。☆2024年4月の読書メーター 読んだ本の数:71冊 読んだページ数:13051ページ ナイス数:35920ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/157091/summary/monthly/2024/4

5月は再び入院と手術が待っています。今月はいっそうに読書空間を楽しみたいものです。☆2024年4月の読書メーター 読んだ本の数:71冊 読んだページ数:13051ページ ナイス数:35920ナイス  ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/157091/summary/monthly/2024/4
ぴなもん
2024/05/04 09:16

再手術されるんですね。私も、大腸ですが同じような進行度で、術後は読書・運動・睡眠・食事の素材などに気をつけてきて、もうすぐ5年経過します。ヴェネツィアさんなら、大丈夫です。今後とも本のレビュー楽しみにしています🍀

ヴェネツィア
2024/05/04 10:54

ぴなもんさんは大腸ですか。それもやっかいだったでしょうね。私もなんとか乗り切りたいです。

が「ナイス!」と言っています。

2024年5月の感想・レビュー一覧
78

ヴェネツィア
黒瀬珂瀾の第4歌集。この人はこの歌集ではじめて知ったのだが(そもそも私が知っている現代歌人は少ない)読売歌壇の選者を務めているようで、どうやらかなり名のある歌人、かつ実力派のようだ。また、裏表紙のプロフィールによれば春日井建に師事していたとある。ただ、この歌集を読む限りではその片鱗があまり見られない。「剱いま晩夏にかすみゆく午後のおまへは雨を知って死ぬ蝉」他1、2首くらいか。むしろ、ここではアララギ系かとも思われるような我が子を詠んだ歌が目立つし秀歌も多いように思われる。
ヴェネツィア
2024/05/31 17:12

例えば次のような1首。「麦茶呑みくだしてかあ、と息をつく乳児よ人となれ少しづつ」。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
文語詩未定稿の1篇。基本的には五・七調の定型詩。物語的な要素を持つ詩である。冒頭は「洪積の台のはてなる 一ひらの赤き粘土地」と、幾分『春と修羅』を思わせないでもない叙景に始まるのだが、そこに米屋五助と教諭白藤の二人が登場する。いかにもこの続きが展開しそうなのだが、詩はここで終わっている。やはり未完とすべきだろう。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
文の乾栄里子さんも、絵の西村敏雄さんも、ともにテキスタイルのデザイナー出身の絵本作家。お話は床屋のバルバルさんのところにライオンやワニなど様々な動物たちがやってくるというもの。人動一体の床屋さんなのだ。絵は水彩絵の具を濃く塗ったもの(?)かと思われる。背景を含めた絵の感じは日本的ではなく西欧っぽいもの。ほのぼの系の微笑ましい絵本。なお、バルバルさんのお店の看板に「どうぶつの」と書き加えたのは、どうやらおさるくんだった模様。
ヴェネツィア
2024/05/31 07:55

yominekoさん、Bon dia!

yomineko
2024/05/31 07:58

Oh, moltes gràcies✨✨✨

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
今回は半沢直樹のシリーズとはいささか趣きを異にする。主人公は100年続いた足袋製造業の老舗こはぜ屋の経営者、宮沢と社員たちである。そして、もう一点の新機軸は長距離走のレースであり、足袋屋がマラソンシューズの製造に挑戦するというものである。その取り合わせの妙が面白くもあり、彼らが経験せざるを得なかった艱難辛苦が読みどころである。敵役は主にメインバンクの銀行マンたちであるが、それ自体はさほど強大ではない。むしろ、新らしい業態に挑戦することそのものが彼らの前に立ちはだかる壁である。展開はなかなかにスリリングで⇒
ヴェネツィア
2024/05/30 16:58

⇒あり、疾走する文体のスピード感も軽快だ。もっとも、池井戸作品は既に大いなるマンネリに踏み込んでおり、お決まりのパターンがここでも繰り返される。それでも楽しめるのだから、まあ良しとしよう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
芥川賞作家の青山七恵の文、絵はボローニャ絵本原画展国際イラストレーション賞の刀根里衣。なんとも強力なチームである。本書は英語版でアンナ・ローディナーの訳(どういうわけか表記はことさらに小さく注意して見ないとわからない)。月と月の光に寄せた讃歌なのだが、宇宙飛行士が月に着陸するなど、絵本としては現代的な要素とファンタジックなそれとが巧みに混淆されている。絵は、月の光の淡い黄色と地球の青を基調にした美麗なもの。たしかにこのサイズが必要だろう。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
作者(絵と文)のジビュレ・フォン・オルファースはプロイセンの人。第1次大戦中に亡くなっているようなので、本書は古典的な部類に属する絵本。お話というほどのものがあるわけではないが、大地が春の陽光に目覚め、夏を迎え、やがて秋、冬と循環する季節の巡りを詩情豊かに描いたもの。絵本としての生命はむしろ絵にこそあるだろう。パステルカラーで描かれる大地の精霊たち(それは幼児の姿をとっている)の姿が、生物も無生物も生きてあることの喜びを静謐のうちに語るのである。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
書肆侃侃房のこのシリーズは新鋭の歌人たちをより広く世に出すものだと思っていたら、なんと岡井隆。今は亡き塚本邦雄と戦後歌壇を牽引した歌壇の最重鎮である。その岡井も本歌集出版の5年後に亡くなっており、それは確かに一つの時代の終わりを告げるものだった。この歌集には、友人の訃報に接して詠んだもの、また自らが受けた手術の前後を詠んだものが多く収められている。「旧友がひそやかに逝きし二十日のちわが鼠径部にメスあてられつ」。岡井隆の歌は前衛と称されつつも、かくの如き自然体で詠まれた歌も多い。否、むしろそれこそが岡井隆。
moyse_n
2024/05/30 11:44

宵待草さんとkaoruさんがうらやましいです(^^)。医師を辞められてから勤務した京都精華大学の同僚だった上野千鶴子とウマが合ったようで、上野の「発情装置」(筑摩書房)の中に《男歌の快楽(けらく)》という岡井へのオマージュの章があり、その章だけ何度も読みました。

宵待草
2024/05/30 12:07

ヴェネツィアさん、kaoruさん、moyse-nさん こんにちは! kaoruさん、、、岡井隆さんからの、貴重なご指導を受講されて、本当に良かったですね!🍀 現在受講中の『鎌倉時代仏師列伝』の、講義も『朝日カルチャーセンター』です。 とても充実した内容の講義を展開して居ますよね!✨ moyse-nさん、、、上野千鶴子著『発情装置』📝させて頂きますね!💫 読書メーターへ登録して、間も無く4年を経ますが、此の様にお話が拡がっていく事も、読書メーターの魅力ですね!🌟 有り難うございます!🙋 宵待草

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
文語詩未定稿の1篇。七音を基調とした定型詩だが、しばしば破調を伴う。さて、そもそもここでいう「師」とは誰のことだろうか。またその師は何故に「鶯をな驚かし給ひそ」と語るのか。結びはさらに意味を了解するのが困難である。「講の主催者 その葉を師に参らせよといふ すなはち更三葉をとつて 重ねて地にしき置けるに 師受用して座しましき」というのであるから。これらの光景はすべて幻想なのであろうか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
着想はとっても興味深いのだが、アートというよりも大半は実用的な目的のもとに描かれた解剖図等である。もっとも、中にはミケランジェロの筋肉図などもあるにはあるのだが。一方、医学史をこういったビジュアルな形で俯瞰するものはあまり類書がないかもしれない。ただし、編年体で編集されてはいない。また、おそらくは貴重な図版も含まれているのだろうが、じっくりと眺めるにはいささかグロテスクでもある。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
宗教学者、中沢新一のバルセロナ紀行。もっとも、内容は紀行というよりは、思索エッセイ in バルセロナといった趣き。ピカソにはじまり、オーウェル、ミロ、ガウディ、カザルスに想いを馳せ、その間にゴシック地区やランブラスなどを徘徊しつつ、ピタゴラス以来の秘数3への瞑想を混入させる。モンセラに行ってからも相変わらず。ここではワーグナーの『パルシファル』を連想しつつ、やがて戦う修道僧ロヨラとイエズス会に及ぶ。もちろん秘数3はここでも頭の隅から離れることはない。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
「えほんらんど」シリーズの1冊であり、絵本のコーナーにあったが、どう見ても絵本というよりは画集。各ページに短い詩の断片のようなものが付されている。絵はシュールレアリスム系統かと思われ、しいて言えば、あの時間の止まったような空間はポール・デルヴォーに似ているかと思う。もっとも、絵のタッチはまたアンリ・ルソーに似てもいる。そうはいっても、この画家独自の空間を構成している。いずれも美しくも妖しい絵。ただし、読み聞かせには全く向かないだろう。
玄趣亭
2024/05/29 10:16

ヴェネツィア様。落田洋子は八〇年代頃かなり人気があった画家・イラストレーターです。本の表紙、レコード・ジャケットなどによく落田さんの絵が用いられていました。確かにアンリ・ルソーを思わせる雰囲気がありますね。私はそれにレメディオス・バロの絵を連想しました。絵本の存在は知りませんでしたが、『風の祝祭』(美術出版社)という画集を持っています。まだご健在かと思いますが、最近あまり絵をお見かけする機会が無いのが残念です。

ヴェネツィア
2024/05/29 14:44

玄趣亭さん、たしかにレメディオス・バロにも似ていますね。今ではもう第一線を退いたのでしょうかね。私は今回の絵本が初めての出会いでした。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
2つの時計が交錯する。一つは耕耘部の円い柱時計。それは青じろい美しい盤面ダイアルの時計である。そしてもう一つは新参の赤シャツの若い農夫の腕時計。午前八時五分、午前十二時、午后零時五十分、そして最後が午后六時十五分。二つの時計の不一致は現実の彼らの生活には何ら支障はなさそうだ。しかし、その不一致はそこに奇妙に歪んだ空間を現出させる。たったそれだけのことなのだが、なにかしら不思議な小説である。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
本書は松村由利子の第4歌集にあたるが、石垣島移住後の歌群が収録されている。彼女はかつて20年にわたって新聞記者として働いたようだが、歌集にも社会的関心の高さが随所に表れている。例えば巻頭歌「時に応じて断ち落とされるパンの耳沖縄という耳の焦げ色」。彼女の詠う沖縄は、歴史的・社会的な意味合いばかりではない。例えば「左右より歌声湧きて谺せり島の神々ついに現れ」のような神の島、沖縄も詠うのである。用いられる言葉はいずれも平易だが、歌の訴求力は高い。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者のトミー・デ・パオラはアメリカ在住の絵本作家。イタリア系のカトリックの人だと思われる。絵本の宗教的背景にはフランチェスコ会のイメージが濃厚である。パオラは、この絵本を描くにあたって、初期ルネサンスを綿密に調査したようだ。パステル画なので、油絵やテンペラ画のような深みや輝きには欠けるが、フォルムは背景を含めてルネサンス色で埋め尽くされている。最後に描かれる奇跡もさりげなく天国への誘いを語る。キリスト教系の子ども園の読み聞かせには最適か。
ヴェネツィア
2024/05/28 08:00

yominekoさん、おはようございます。yominekoさんにはお薦めの絵本です。

yomineko
2024/05/28 08:34

そうですか!ありがとうございます(#^.^#)

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
それほど大きな事件が起こるわけでもないにもかかわらず、これだけの分量を一気に読ませることができるのは、ひとえに作品の持つ強固なリアリティによるものだと思われる。物語の中軸を成すのは主人公の優真、および彼の周辺の目加田夫妻らの葛藤である。ただし、母親の亜紀はこの圏外にいる。亜紀にとって子どもたちは、自己の目先の欲望の前には邪魔でしかない。そして、その亜紀もまた母親からネグレクトされていた。まさに負の連鎖なのだが、それを描く作家には危険も伴うだろう。おそらく桐野夏生はそれを承知の上であえてこの作品に⇒
きゃる
2024/05/28 12:54

その閉塞感をなんとかしようと思う人が増えてくれれば、と祈るように思っています、壊れてしまった心を治すより、壊さない方がよほど楽だと気づいて欲しいですね

ヴェネツィア
2024/05/28 15:29

きゃるさん、たしかに壊れた心の修復は困難であるばかりか、できるのかどうかもわかりません。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
チロル地方の古い家々の壁には、聖書や聖人をはじめ、様々な絵が描かれているものが多い。本書はそうした壁絵を追ったものだが、高尚な題材や比較的高度な技術を持ったものが中心に取り上げられている。もちろん、実際には素朴な絵柄も多いし、題材も様々である。また、範囲もチロル(オーストリア西部)に限らず、スイスのエンガティン地方(ここにはスグラフィットという別の技法のものもある)、イタリア北部の南チロルなどでも見ることができる。ちなみに、これらの地域はカトリックの領分である。最もアクセスしやすそうなのは、⇒
ヴェネツィア
2024/05/27 17:02

⇒インスブルック(オーストリア)から、シュトバイタール・バーン(準山岳トラムのような鉄道)でアプローチできるシュトバイタール(タールは谷の意)の村々だと思う。旅行先としてもかなりお薦めの地域である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ウェールズの古伝承群『マビノギオン』の「マース」が、この物語の重要な典拠として踏まえられているようだ。『マビノギオン』は元々はウェールズ語で語り伝えられていたであろうし、現代的な感覚からは整然としたものでもなかっただろう。しかも、日本語訳になると、ひじょうにわかりにくいものになってしまう。世界に入り込む以前に意味をとることにさえ困難が生じるほどである。さらにはイングランドとウェールズとの力関係や身分差までが加わって、一層に煩雑なものとなった。したがって、アリスン、ロジャ、グゥインの三者のありようも今一つ⇒
ヴェネツィア
2024/05/27 20:07

Koningさん、ゲール語ではありませんでしたか。ご教示感謝!訂正します。

ヴェネツィア
2024/05/27 20:10

帽子を編みますさんはこの作品の大ファンなんでしたね。私は残念ながら良さがわかりませんでした。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
芭蕉の恋の句と同じくらい珍しい賢治の恋の詩。ただし、恋のお相手が住んでいるのは「ポプラの群にかこまれて 鐘塔白き秋の館」と、なんだか岩手とはほど遠そうな、北欧かロシアを思わせる風景。どうやら幻想の恋人であるようだ。それでも「かしこにひとの四年居て」というのだから、彼女は実在していたのだろうか。最後の「いとゞくるほしき」という慨嘆からは、所詮はかなわぬ恋であるような。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
谷口智則・作(文と絵)。くつ職人のとうちゃんとぼくのお話。とうちゃんはお客の求めに応じてどんなくつでもつくる。チーターさんには、はやくはしれるくつ、しろくまさんにはこおりのうえでもつめたくないくつ、といった具合に。ぼくがほしかったのは、そらをとべるくつ。絵は荒い地のキャンパスに絵の具を濃く塗り重ねる手法。力強く、デザイン的にもいい感じだ。ハイライトは最後の2ページに。空色のくつのぼくと、とうちゃん。暖かい気持ちになる絵本。絵の力が大きいか。
yomineko
2024/05/27 07:55

ヴェネツィアさん、おはようございます😊ゴリラ大好きです🦍読みたい本に登録させて頂きました📚

ヴェネツィア
2024/05/27 08:00

yominekoさん、おはようございます。寡黙な中にも愛嬌のあるゴリラです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
高崎卓馬・作、黒井健・絵。お話は小学校の教室で(絵のイメージは3年生か4年生くらい)自由に絵を描く時に、一人の男の子が画用紙を真っ黒に塗りつぶしはじめ、その後もひたすらに真っ黒の絵を描き続け…というもの。最後に種明かしがなされるのだが、実際にその大きさの絵が提示されるのならインパクトがありそうだが、残念ながら絵本の中でしか展開しないので、今一つ強さに欠けるか。絵は基本的にはリアリズムで、最後の種明かし以降は見栄えがする。ただ、こうした手法だと何度もの再読に耐えるだろうか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
著者の広河隆一氏はフォトジャーナリスト。チェルノブイリの原発事故が起こったのは1986年4月26日のことであった。広河が最初にチェルノブイリに入ったのが翌年の12月。相当な危険を冒しての取材だったと思われる。当地にいた人たちとは違って、その危険を十分に熟知していたであろうから。本書ではベラルーシ(圧倒的に被害を受けたのがここで、計353村)、ウクライナ(100村)、ロシア(5村)の総計458の村を取材し、写真に収めている。いずれも廃墟と化しているが、中には帰村して人々の住む村もある。
ヴェネツィア
2024/05/26 17:10

途轍もない労作だと思うが、ただそのほとんどは無人の廃墟となった村の光景であるゆえに、写真で伝わるものは残念ながら少ないように思われる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
『サクリファイス」の続編。今回の舞台は自転車乗りの憧れの極点ツール・ド・フランスである。舞台が大きくなった分、誓(主人公)も一層スケール・アップしている。そして、このレースを通しても誓の更なる成長が見られて、読者としての共感もいや増す。マイヨー・ジョーヌは私たち共通の憧憬と化すのである。また、全編の随所にナショナリズムがほの見えるが、これくらいなら可愛いもの。チームのエースのミッコ、そして新鋭のニコラ。登場する選手たちはいずれも個性が横溢し、とっても好もしい。
ヴェネツィア
2024/05/26 08:02

この爽やかな熱血についついハマって、続編の『サヴァイヴ』も発注することに。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
文語詩未定稿の1篇。七・五調の定型・叙景詩。詩人はおそらく村の広場の片隅に居るのだろう。そこから幾分か下ったところの県道を今しも青竹色のトラックが砂塵を撒き上げて通過する。広場の栗の木陰では相撲を取る子どもたち。詩としての生命は、ひとえに「鳥獣戯画のかたちして」の比喩にありそうだ。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
事件の叙述よりも、その後に重点が置かれた変則的なミステリー。起こったことは一つであったはずなのだが、事件が残した影は各人各様に違っている。弁護士、徳下の求めに応じて語られ、しだいに明らかになってゆく事件の真相と、隠されていた裏面。それは事実関係においてもそうであるし、さらにはそれをいかに受容するかといった心理的側面に大きく影を落とす。物語を推進させていくのは、いずみと小梢との確執、というよりはいずみの自意識の動きである。私たち読者は、それに寄り添いながら、ついに事件の全容を知ることになる。
ヴェネツィア
2024/05/25 17:03

独特の構成によるサスペンスの提示の仕方が実に巧みである。エンターテインメント小説としては第1級。なお、チャイコフスキーの『白鳥の湖』の構造を核とする手法、および極限状態に投げ込むことで、本質をあらわにしてゆく手法(これはある意味では常套的だが)は上手い。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
強い表象を主張するようなタイトルである。題して『禽眼圖』。禽は猛禽類、あるいは禽獣の禽である。すなわち、鳥のことだが、この字体からは獰猛なそれを連想する。圖 もまた、あえて旧字体である。歌は塚本邦雄を思わせないでもない。例えば「灯の下にとりどりのパン集まりて神の十指のごとく黄昏」。ただし、爛熟に向かうには若い。往往にして自意識が表層に浮かび出てしまうのである。そうはいっても、同世代の中では抜きんでた存在ではないかと思われる。本書は第2歌集のようだが、今後はどんな風に展開していくのだろうか。
ヴェネツィア
2024/05/25 16:48

「半身を窓より出して風を受く君はいつの世の水夫であったか」など、引用したくなる歌は多数。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
同じ作者シルヴァスタインの『ぼくを探しに』に比べると、絵も文章もずっと饒舌(は言い過ぎか。ただ、シルヴァスタインにしては)である。それにしても前作が倉橋由美子の訳、今回が村上春樹訳と、この人の絵本は作家たちの感性をことのほか刺激するようだ。さて、お話はとってもせつない。りんごの木の無償の愛といってしまえばそれまでだが、それにしても哀切なまでの美しさが読者にせまって来る。そして、絵のシンプルさは、この場合それをかえって際立たせる効果を持っているようだ。
Himeko is not cat
2024/05/25 20:04

ヴェネツィアさんのレビューを読んで気になり、外出のついでに図書館で読んできました!悲しくて辛くなりました。私も含めて、人間にはこういうとこがある!人生って死ぬまで修行ですね…

ヴェネツィア
2024/05/25 20:32

Himekoさん、人間の持つ宿業なのでしょう。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
文語詩未定稿の1篇。五・七調の定型をとる。タイトルは「幻想」だが、それを具体的に示唆するのは、第3聯の「むらさきの暗き火は燃え そがなかに水うち汲める 母の像恍とうかべり」くらいか。もっとも、末尾の表現「紫の焔は消えて 室のうちにはかにくらし」からは、この情景全体が幻想であったともとれる。詩の統体は何かの象徴とも解せるが、だとすれば、それは賢治の心の内に胚胎する鬱勃たる情念か。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
作者(絵と文)はニューヨーク在住の絵本作家ジャネット・ウィンター。お話は、戦争の惨禍に見舞われたバスラ(イラク)の町の図書館員であったアリア・ムハンマド・バクルさんが、せっせと自宅に本を避難させて守ったというもの。絵は絵本らしいタッチではあるものの、顔や表情など基本的にはリアリズムのタッチで描かれる。もっとも、絵本とはいうものの、どちらかといえば絵と文で語られるドキュメンタリーといった趣きである。
MIHOLO
2024/05/25 10:39

ヴェネツィアさん。この本を児童に読み聞かせする時に、大体ここの図書室の3倍の本を移動させたんだよ!と説明すると、もれなくエーーー!と声が上がります(笑)

ヴェネツィア
2024/05/25 11:44

MIHOLOさん、なるほど。そういう風に言わないと伝わらないでしょうね。読み聞かせの達人ならでは。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
石井崇のアンダルシア画文集の秋・冬編。この巻では絵も文も食に比較的ページが割かれている。中でもハイライトは、やはりマタンサだろう。現在では村人たちの大いなる楽しみと化しているが、かつては冬を越せない(エサが不足するため)ので、その前にブタを屠り、そのあらゆる部分をソーセージにするなりして貯蔵した。まさに牧畜・肉食民族の知恵である。ちょうど、私たちの祖先ががクジラをそうしたように。今ではよく知られるハモン・セラーノなども本来はその名残である。その他にも数々のお料理が紹介されているが、これらはレストランで⇒
ヴェネツィア
2024/05/24 16:52

⇒というよりは、やはり村のバールで地ワインとともに賞味したいものである。スペインに行きたくなること必定。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
アンダルシア(フェレイローラ村)在住の画家、石井崇の画文集。いつもながら絵は抒情に満ち、限りなく旅情を誘う。もう30年くらい前の本なのだが、この地域は今もそれほど変わっていないのではないかと思う。あるいは、思いたいのかもしれない。実際はスペインやヨーロッパ各地からの移住者が増え(実際に石井崇自身もその一人だ)よく言えばよりコスモポリタンに、そして悪くすれば地域の特性が薄められたりしているかもしれない。村の一日は平穏に暮れてゆき、夕べにはバールに集う。そんなアンダルシアの日常が詩情あふれる筆致で描かれる。
ヴェネツィア
2024/05/24 08:19

この人の描くアンダルシアの画文集を読んで(眺めて)いると、いつも激しくこの地に行きたくなる。時間の流れ方が違うようなのだ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
リージョナルな地域を(主に大阪市内の各所)詠みつつ、それがリージョナルにとどまらない昇華性を持つ歌群が散りばめれる。「枯れた葉が散りしく靭公園の誰もが空をみている夕べ」。また、「あとがき」によれば歌人は、命も危ぶまれるほどの重篤な状態にあったらしいが、歌は運命を従容と受容するかのように抒情に揺曳する。「枯葉からにおいくる土そんなふうに自分の不安に気付いておりぬ」。歌はいずれも日常から摘み取られた一見ささやかな風にも見えるが、そこにさりげない抒情が漂う。
ヴェネツィア
2024/05/24 08:09

作者は初読の知らない人だが、同郷のよしみで点数が甘くなったかも。時に歌に散見する大阪の言葉も好ましい。「なんやそれ、君は笑えり青空にさくらが充ちて怖がるわれを」。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
登場する人物たちは、主人公の神名を含めてことごとく通常の道徳観からは大きく逸脱している。妻帯者の医師、真司、同窓の(現在はMR)ハセオ、同じく同窓の友人、美穂。彼らには性のモラルは通じない。もっとも、神名はイラストレーターであり、表現者である分だけ断罪を幾分かは免れるかもしれない。私は基本的には神名に感情移入しつつ、彼女の視点から読んだが、この自堕落な不道徳は許せない、もしくはついていけないという読者もありそうだ。主題的には、29歳という年齢が抱える現在と将来への漠然とした煩悶が描かれたのだと思われる。
ヴェネツィア
2024/05/23 17:20

ハセオは、現在仕事の関係で富山に居住するが、彼を含めて登場人物たちが主に活動する世界は狭い京都の、そのまた一部であり、それは彼らの狭く濃密な関係性とも呼応しているだろう。私にはなじみ深い地だが、他の地域の人たちにとっては、これまた違和感があるかもしれない。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
文語詩未定稿の1篇。わずか3行。しかも、なかなかに難解な詩である。冒頭は「月光の鉛のなかに」と詠い出されるが、月光の表現として鉛色をあてるのはこの詩くらいか。異世界的な陰鬱さを感じさせる始まりである。第2行「みどりなる犀は落ち臥し」と続くが、鉛に対するにみどりが配される。しかも、それは犀の形容としてである。ここで詩は早くもシュールレアリスティックな響きを帯びることになる。最後は「松の影これを覆へり」と収まったような、依然不穏な気配が続くように結ばれる。
ヴェネツィア
2024/05/23 17:33

ミサさん、ワザとではなく感謝です。

毒兎真暗ミサ【副長】
2024/05/23 17:57

……謹んでお受けいたします😅

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
本書は千葉聡の第5歌集である。むしろ、これが彼のデビュー作だと言われる方が納得がいきそうだ。良く言えば、未だ初々しさを全く失わず、また見方を変えればアマチュアっぽさを大いに残すからである。歌からは、千葉は高校の国語の教員であり、バスケットボール部の副顧問を務めていることがうかがい知れる。ほとんどの歌はその中での千葉の実体験に根ざしたものである。詠みぶりは、いたってストレートで、いわば直情的である。「永遠のアマチュア歌人」と冠したくなるような。歌にも、おそらくは行動にもいたるところに若さが散見する歌集。
宵待草
2024/05/23 08:28

ヴェネツィアさん おはようございます。 其の後の御加減は如何ですか? 寒暖差があり、暑く成って来ましたので、十分にご自愛お願いします!💫 歌人:千葉聡さんの短歌への、読み込まれた考察を拝読しました!🍀 何時も、学びを頂くレビューを有り難うございます!🙋 今日も穏やかな、良きひと日で在ります様に!✨ 宵待草

ヴェネツィア
2024/05/23 08:41

宵待草さん、いつもお心にかけていただきありがとうございます。宵待草さんなら千葉聡をどう読まれるのでしょう。いつかご感想を。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレスズキコージ作(絵と文)。もっとも、文というほどのものもなく、ひたすらに「きゅうりさん そっちへいったら あぶないよ ねずみがでるから」のセリフが、道端にいる様々な動物たちからきゅうりに警告される。合計9回。そして、結局は最後にネズミに遭遇するというもの。絵は油絵の具を用いた極めて強いタッチのもの。ページを追うごとに、きゅうりさんの装備が充実してゆく。何のためかはわからない。全体としては、ナンセンスを通り越して、もうほとんどジュールの世界に踏み込んでいるといった印象。2才から4才むきとあるのだが⇒
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
「模倣だったりパロディだったり珍解釈だったりする」パスティーシュ短篇が16篇。元版は太宰や漱石、鷗外からアンデルセン、ベケットにいたるまで、これまた様々。ただし、副題にあるアリスは登場しない。原話の趣きを一番残していたのは「夢一夜」(もちろん「夢十夜」のパロディ)か。いずれの作品も、書いている作家本人は大いに楽しんだ様子。ただ、読者の側としてはそこまで楽しめるかは、やや疑問である。作家仲間の間ではウケるかも知れない。私が面白いと思ったのは、先の「夢一夜」と「国際動物作家会議」くらいか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
文語詩未定稿の1篇。七・五調の定型詩であり、この詩の持つ駆けるようなリズムと、雪の中を疾駆する子どもたちの様子から、童謡風の趣きを持つ。一貫してスピード感があり、しかも最後は「一列遠くうすれ行く」で結ばれており、可視性もまた高い。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
角田房子の歴史ルポルタージュ。閔妃暗殺については、なんとなく知っているつもりになっていたが、本書を読むにつれて自分の知識や了解事項の浅薄さに愛想が尽きそうになる。本書は閔妃の誕生から、暗殺、そしてその後の対応に至るまで丁寧に掘り起こし、忠実な再現に努めている。しかも、作家的感性と想像力を駆使することで、立体的に、また臨場感を持って描き出すことに成功している。例えば、決行当時の壮子たちの空転したヒロイズムなどの描写は見事である。これをどのように評価するかはともかく、韓国・朝鮮を知る上では必読の書かと思う。
ヴェネツィア
2024/05/21 16:43

これまで認識が欠如していたことの一つに、日清戦争時の前半の戦場が朝鮮半島であったことなどもあるが、よく知らなかったことはこのことに留まらない。若き日の与謝野鉄幹の行動などもそうだ。浪漫主義の危うさを感じる。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
やはり文語詩未定稿の1篇。これまた感想を書くのにやっかいだ。形式は破調のない七・五調の定型詩。一方、意味も主題もわかりにくい。冒頭の群属は群庁の属吏ということだろうか。伊原忠右エ門とはいうけれど、名のある人物とも思えない。科頭は無帽ということだろうか。最後は「天狗巣病にはあらねども あまりにしげきこずゑかな」と歌謡風に結ばれるのだが、この詠嘆が何に呼応してのものであるのか、これまたよくわからない。しいて言えば、冒頭の郡属伊原忠右エ門(人事)に対する自然か。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
未完とおぼしき童話。起承転結でいえば、その転のあたりで中断している。先の展開はあるのだろうか。物語の要素としては、発展の余地があまりまさそうに見える。赤狐と仔牛の物語として書き始めたものの、後が続かなくなったのだろうか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレ本書は3度目の芥川賞候補作。タイトルもなんだか意味不明だが、これは「あらばしり」を含めて読めばわかる。昨今の純文学作品にしては難解さは全くないのだが、登場人物とプロット展開はユニークである。そもそも登場するのは、高校生の「ぼく」(語り手でもある)と、大阪弁を駆使する妙に博識の謎のオヤジの2人だけなのである。プロットは小津久足(江戸期・松阪の文人。小津安二郎の祖父)の幻の著作を巡って、栃木のいたってリージョナルな郷土史をあれこれと探索するというもの。設定が地味なわりには読んで面白く、それなりにスリリング。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
<刑事オリヴァー&ピア>シリーズ第5弾。今回はドイツ(ヘッセン州)の風力発電を巡っての事件を核に物語が展開する。推進しようとする側も内部に事情を抱えており、一方の反対派もまた一枚岩ではない。そのあたりの様々な思惑と、オリヴァーの個人的な問題とが綯い交ぜになって描かれてゆくのだが、今回はそれがやや煩雑に過ぎたのではないだろうか。ことにオリヴァーの個人的な事情は、刑事のそうした私的な側面を描いても来たシリーズのこれまでの延長上にあり、それが読者をひきつけてもきたのだが、今回はいささかうんざりもさせられた。
ヴェネツィア
2024/05/20 19:50

クランボンさん、ドイツは原発廃止を決めていて、今その方向で進んでいます。風車については私も今は意見保留状態です。もちろん、原発よりはずっといいとは思っていますが。

クラムボン
2024/05/20 19:52

私のコメントは、意見と言うものではなく、愚痴に近いものです。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
もちろん、ここでいう「車」は人力車のこと。ハーシュは車夫である。最後はこれで終わったのか、あるいは未完なのか判然としない結びである。物語自体も途中で行き合わせた子どもを乗せてテレピン油の工場に行くというだけのもの。あえて淡々と描かれる自然主義小説風の作品といえば、まあそうだ。
ネギっ子gen
2024/05/19 11:23

ヴェネツィアさん、マイド細カクテ申シ訳アリマセン。“生き合わせた”ですが、この表記では、「ここまで生きてきたから、ようやく子供に会うことにできた」という風に読まれる可能性があります。ここは、通常表記の“行き合わせた”のほうが適切と愚考しますが如何でしょうか?

ヴェネツィア
2024/05/19 12:09

ネギっ子さん、いつもご指摘ありがとうございます。またやってしまいました。即刻訂正いたします。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ネタバレこれまでに読んできた池井戸潤とは大いに違っている。まずは政治の世界を舞台にしたこと、そして何より決定的なのは、親子が入れ替わるという荒唐無稽な策に出たことである。しかも、あろうことか、それはCIAが開発し、某製薬会社の陰謀であったというのである。物語自体は面白くないことはないが、それは私たち読者が池井戸の作品に求めているものとは違うのではないだろうか。しかも、展開も結末もなんだか陳腐な感が否めない。俗な言い方をすれば、池井戸もヤキが回ったか、といったところ。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
文語詩未定稿の1篇。五・七・七・七・五・七・五・七・八と、基本は定型だが最後に破調。これが大いに効いている。明示されてはいないが、季節は初夏だろうか。あるいは逆に冬であるかもしれない。雲の隙間からの光と風へと寄せられた讃歌。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
ルクレツィア・ボルジア(表紙絵)のことを考えていたら本書をふと思い出して再読。洋の東西から集められた史上に名高い悪女たちが順不同に12人。とはいっても、東洋からは則天武后ただ一人。初出誌は不明だが、澁澤一流の衒学趣味が全く顔を出さないことからすれば、一般向けの読み物として書かれたようだ。現代なら企画そのものにクレームが付きかねない。もっとも、悪女とじゃいうものの、むしろ歴史と体制とに翻弄された哀れな女性たちともいえるのであり(言えない人もいるが)、彼女たちの数奇な一生を反芻するよすがとしたい。
玄趣亭
2024/05/18 18:09

ヴェネツィア様。本書は『東西不思議物語』に次いで河出文庫から二番目に出た澁澤龍彦の著書です。当時書店でバイトしていたのでよく覚えているのですが、ヴェネツィア様が言うとおり読みやすくとっつきやすい澁澤本ということで随分話題になり売れた記憶があります。おそらく本書をきっかけに、河出文庫は澁澤龍彦の文庫化を次々と進めていき、八十年代ちょっとした澁澤ブームが起きました。澁澤自身文庫化による再評価の動きに驚いたことを書いていた記憶があります。そういう意味では澁澤の一連の著作の中、本書には独特の印象を持っています。

ヴェネツィア
2024/05/18 18:38

玄趣亭さん、そうでしたか。まあ、ライトな澁澤ですよね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
山田詠美の比較的近作(とはいっても2011年)に属する長編。本格ゲイ小説である。中心を構成するのは夢生と漱太郎の二人だが、それ以外にも重信など何人かが登場する。漱太郎のイメージ造型の背後にはチェザーレ・ボルジアが垣間見える。それは、もちろん貴恵子をルクレツィアと重ねるからでもあるのだが。また、漱太郎と夢生とは何かと対照的に描かれている。奔放で自由な漱太郎と、保守的で地に足を着けた夢生。また、この二人とは微妙な距離にある圭子の配置も絶妙。実に上手い小説である。山田詠美ならではの愛に対する達観が見事。
ヴェネツィア
2024/05/17 13:19

みあさん、言われてみれば、と思っていただけましたか?

みあ
2024/05/17 13:27

はい、思いました。チェーザレはルクレツィアの夫を殺しているわけですから。漱太郎もチェーザレもサディストとも考えられますしね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
これも文語詩未定稿の1篇。五・七調の定型詩である。ここでいう「きみ」は同性の友人ともとれるし、賢治が想いを寄せる女性ともとれるが、私の解釈は前者。その場合の俤には『論語』の「有朋自遠方来、不亦楽乎」がありそうだ。また、前半だけなら王維の『送元二使安西』などもかすめるか。後半はぐっと浪漫的な響きを帯びる。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
若き日のドン・ウィンズロウの作品。初々しい探偵ニール・ケアリーのシリーズ第2弾。今度はスケールをさらに大きく構えて、香港から四川省の奥地まで。物語中盤の九龍寨城の場面が構成上の大きな転換点になっている。それまでの前半部は、いささか調子に乗り過ぎではというくらいに徹底した「動」。後半は文革を体験的に描き、こちらは「静」。最後の峨眉山で再び「動」に転じ、最後は静かに結ぶといった構成。この間、リ・ランの動向は矛盾だらけに見えるが、最後に種明かしがなされる。このあたりは、良くも悪しくも若書き感が見られるところ。
MGM0133
2024/11/14 17:49

ヴェネツィアさん、第2弾も読んでらっしゃるのですね!本作を読み終えてから、改めて本感想を熟読させていただきます!

ヴェネツィア
2024/11/14 17:56

卍部長 さんの感想を待っています。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
文語詩未定稿の1篇。感想を書く上では最難関の1篇でもあるだろう。わずかに3行。詩の冒頭は「くもにつらなるでこぼこがらす」(7音・7音)。続いて「杜のかなたを赤き電車のせはしき往来」(7音・7音・8音)と、ここで破調。そもそも7音だけが続くのも定型詩としては異例か。そして最後の行「べつ甲めがねのメフェスト」(8音・4音)と、大きくリズムを崩す。言葉に注目するなら、最初の「でこぼこがらす」からして諧謔気味である。結びの「メフェスト」はまたシニカルな相貌を帯びる。トータルには賢治の詩的(私的)つぶやきか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
本書もまた釧路を舞台にした物語。町も閉塞感が漂うし、登場人物たちもことごとく鬱屈を抱えている。そして、町にも人にも出口が見えない。そうした中で唯一、無垢ゆえに孤高を保っているのが純香である。そうはいっても、彼女の孤高は自立してのそれではなく、あくまでも林原の庇護があってはじめて成り立つものである。小説の構成は緊密といえばそうだが、あまりにも世界が狭すぎるだろう。もっとも、それこそが釧路なのであるのかも知れない。主要な登場人物は二組の男女で、共に美形なのだが、全ては濃霧の中に埋没してゆくかのごとくである。
ヴェネツィア
2024/05/15 12:04

この人の書く小説はいつもそうなのだが、限りなく暗いムードが全体を貫流する。表現は実に上手く、例えば「怜子は林原を抱きながら今日一度きりの繋がりを覚り、これから先自分に訪れる長い長い余生を思った」―あたかも『金閣寺』(三島)の末尾の一文の陰画のごとくである。

ヴェネツィア
2024/05/15 12:13

ポール・ボウルズ『シェルタリング・スカイ』を俤として背後に置くのは、心憎いまでの演出である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
淡々とした語りに潜む残酷さと、軽妙でコミカルなタッチとが同居した童話。もっとも、この残酷さは子どもの持つ、ある種イノセントなそれであるかもしれない。一方、語りのコミカルさは全編に及ぶが、最も代表的なのは狸の唱える念仏様の「なまねこ、なまねこ。」であろう。また、ここには3者の死が語られているが、そこにはいささかも悲壮感はない。そうは語られないものの、それは節理として受け止められているかのようだ。いずれにしても、やや珍しいタッチの賢治童話だ。
ヴェネツィア
2024/05/15 07:17

中村さん、『洞熊学校を卒業した三人』は絵本でしたか。

中村です
2024/05/15 07:35

はい、私が読んだのはミキハウスから出た絵本でした。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
タイトルのフレップは赤い実、トリップは黒い実。いずれもツンドラ地帯の灌木であるらしい。本書は北原白秋の樺太紀行である。横浜から船で津軽海峡、宗谷海峡を抜け一気に樺太の安別へ。樺太はその当時は日本の領土であったので、白秋は旅行団の一行とともにソ連国境のすぐ近くまで行ったのである。文章は軽快といえばそうなのだが、この一行は白秋を含めて最初からずっとお酒を飲んでばかりであり、あまりにも軽薄な感が否めない。中国服に身を包んだ白秋の写真が挿入されているが、これまた小太りで変に俗っぽい。私の白秋観とは大いに違うのだ。
ヴェネツィア
2024/05/14 17:00

それでもさすがに随所で詠まれた詩や童謡は白秋らしい格調を保っている。なお、紀行のハイライトはやはり最後の海豹島のくだり。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
6つの短篇を収録。共通のテーマは著者自ら語っているように「再会」。この作品集も、巻頭の「いいものあげる」と巻末の「再会」が呼応し、そのテーマを強調する構成になっている。語りと内容は、いつもの重松清。ここでも田舎回りのドサ芝居のスタイルである。これはけっして貶しているのではなく、これこそが重松の"味わい"なのである。第2話の「ホラ吹きおじさん」には、その要素がやや薄いが、いずれの作品も小学校(あるいは主人公の小学生時代)がキー・コードになっている。読者にとっても懐旧の物語でもあるのだ。最後の1文は上手い。
ヴェネツィア
2024/05/14 06:30

6つの作品でどれを採るかは読者によって好みが分かれそうだ。もっとも、いずれをとっても本質は似ているのだが。それでも、あえて選ぶなら「永遠」か。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
完成度の高い童話作品。ただし、内容は残酷さを内に秘めたホラーテイスト。賢治童話のいい点は、教訓めいた視点や語り口がないこと。この作品でも、ややもするとそうした傾向に流れそうだが、賢治は教訓ではなく大衆(ネズミたち)の心に内在するささやかな"悪"を見据えている。もちろん、それはクねずみの中にも同等にあったのだが。また、執行者が無邪気な子ネコたちであるところが秀逸。
山川欣伸(やまかわよしのぶ)
2024/06/24 09:32

クねずみは確かに賢治童話らしい残酷な一面を持った作品ですね。しかし教訓めいた語り口はなく、ネズミたちの内なる"悪"の一端を冷静に描いているところが見事です。

ヴェネツィア
2024/06/24 10:21

山川欣伸さん、古い童話作品はややもすると教訓がちらつきますが、賢治には全くそれがありませんね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
作者のネミロフスキーは、一家がロシアからフランスに亡命してきたユダヤ人である。彼女は、フランスで細々と作家活動を行っていたのだが、ドイツのフランス侵攻後、アウシュビッツに送られ、そこで命を落とす。本書は、そんな彼女が娘に託したトランクの中にあった原稿である。大部の小説だが(本来は、さらに3章が加わるはずだった)、その筆致は精緻を極める。そして、それでいて大作の風格を併せ持っている。ことに、第1章「6月の嵐」は、ドイツ軍のパリ侵攻に伴って南へと逃げてゆく群衆を描くのだが、そこではペリカン一家をはじめとした⇒
ヴェネツィア
2024/05/13 15:57

⇒複数の集団を、それぞれの視点から描き出す手法をとっている。そのことによってこそ描き出せた「大脱出」(エクソダス)であったと思う。すさまじいまでの混乱である。続く「ドルチェ」では、ドイツ軍占領下のビュシーをアダージョで語ってゆく。第1章とはある意味で対照的なのだが、静かな中に内包された悲劇がいくつか起こることになる。トルストイの『戦争と平和』に比肩されるが、それ以上の小説だろう。

ヴェネツィア
2024/05/13 16:05

【ガーディアン必読1000冊】408/1000。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
イーハトーブ童話の1篇。内容からは、これがイーハトーブ世界の初期の物語であることが想像される。そうすると、ブドリはいわばイーハトーブ建国の英雄の一人といった位置づけだろうか。イーハトーブは賢治の造語だが、語感の背景に岩手を内包する理想郷である。それは私たちにも強い憧憬と郷愁とを運んでくる。そして、これまた賢治自身の姿に由来する、クーボー大博士やイーハトーヴ火山局技師ペンネンナームといった登場人物たちの何と魅力的なことか。イーハトーブのために身をささげるブドリの最後は、美しくはあるが、そこにまた物語と⇒
山川欣伸(やまかわよしのぶ)
2024/05/23 19:19

ブドリの最期は悲しいながらも、生命の輝きを讃えるものだと感じます。賢治の想像力の豊かさと人間愛に満ちた作品だと思います。

ヴェネツィア
2024/05/23 19:32

学生時代に初めて読んだ時に比べると冷静、客観的に読めました。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
5万年前(ローレンツ説)のある日、ジャッカルが旧石器時代人の集団の後を追ってきた。この日がヒトとイヌの出会いの日であった。犬の起源はジャッカル説とオオカミ説があるが、ローレンツはオオカミ系統もあるとしつつ、ジャッカルをより有力なものとする。ローレンツによれば、それ以来ヒトと犬との付き合いは5万年。たしかに、これほど人間と親密になれた動物はいないだろう。一方のネコは、これまたローレンツによれば、家畜化されつつ、これほどに野生を残すものはないという。確かにウチのネコは衰えたとはいえ、今も狩りのチャンスを日々⇒
洋書好きな読書モンガー
2024/05/13 09:45

この本は昔読んだ。人類は10種の動物を家畜化したが犬以外の動物は農耕が始まってから。群れを作らない動物、縄張りを主張する動物は家畜化し難い。ネコの祖先山猫は家畜化しにくい動物に当たる。最近のDNA解析でネコは1匹の祖先から世界中に広まった、犬は4系統のグループに分けられるそうだ。世界のあっちこっちで犬になった事を表している。ネコの野生:農耕が始まって食糧倉庫で鼠を狩る番猫として放し飼されて来たから。犬は狼との交雑が家畜化された後も起こって色んな性格があるのでは無いか。と私は思っている。犬もネコも好きだ。

ヴェネツィア
2024/05/13 11:55

洋書好きな読書モンガーさん、コメントありがとうございます。私もイヌ、ネコともに好きで、両方を飼っています。ローレンツも、もちろんそうでした。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
文語詩未定稿の1篇。詩の冒頭は、参集した人々が「酸き胡瓜を噛み」黄色の濁り酒を酌み交わす場面を描く。次のくだりで、ここにいる人々は「賦役」に駆り出された後にここに 集合したことが示される。そして、主催者であり、同時にこの村の代表者が権左エ門であることも。続く「われはさながらわれにもあらず 稲の品種をもの云へば 或いはペルシャにあるこゝちなり」は酩酊か。第2連の「面むくみしつ弱き子」は賢治の姿であろうか。最後は「楢また檜の暗き林」を背景に「ほだのけむり」が包んでゆく。何とも難解な詩だ。
ヴェネツィア
2024/05/12 06:04

詩のタイトルは『饗宴』だが、大勢が集まっているはずなのに、そこは奇妙なまでに静かで、タイトルのイメージを裏切るものである。ムードは沈潜である。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
第17回(2005年)日本ファンタジーノベル大賞受賞作。日本からは半ば独立し、19世紀初頭のテクノロジーでストップした江戸。ちょうどアメリカ各地に点在するアーミッシュのようなものだろう。なお、江戸国は江戸シティだけではなく、近郊の農村部も含むようだ。ただ、金春屋ゴメスを設定するためだけに無理矢理にSF構想をとってはいるが、物語内容からすれば、無茶をしているだけと見えかねない。また、鬼赤痢が物語の核をなしているが、これまたそのアイディアはともかく、あちこちに無理が多いか。面白くなくはないが、もの足りない⇒
ヴェネツィア
2024/05/11 14:35

⇒感もまた否めない。主人公の辰次郎に今一つ魅力が足りないのも欠点だろう。かといって、ゴメスはそれを背負うほどの存在でもない。なお、松吉の本名ピエールもフランス名であり、英語名ならピーターだろう。そうした細部にも目を届かせたいもの。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
賢治童話としての体裁は整っているが、未だ主題提示のあり方が直接的なところから、初期の習作的なものではないかと思う。ひたすらに善良なベゴ石は、『雨ニモマケズ』を思わせるが、誰からも認められずバカにされていたのが、ある日突然に他者、それも特別に権威のある東京帝国大学校地質学教室に認められるという構想である。物語構造が単純すぎるばかりか、いささか権威主義的でもあるだろう。賢治の秘められた願望の投影でもあっただろうか。
えか
2024/05/11 09:18

いつか、こうやって、自分の作品も…。そんな、想いもこもっているのかも知れませんね。ある意味、世に埋もれている、表現者たち全員の願望、或いは、シンデレラストーリーも含んだ願望充足の原型に近いのかも知れません。

ヴェネツィア
2024/05/11 10:56

えかさん、これがいつ書かれたのか知らないのですが、賢治の密かな淡い願望があるのかも知れません。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
高校を卒業したばかりの平野勇気18歳の手記の形式をとる。物語の場は三重県の最奥にある神去村である。林業を題材にした小説も珍しい。この村は林業しか産業がない。産業だけではなく、何にもない。そんなところで始まる勇気のビルドゥングスロマンである。大きな事件は何も起こらない。最大のイベントは48年に1度という神去の大祭である。実らないけれど、ロマンスも少しはある。一方、小説としてのリアリティは大いにある。そこに行くことはないだろうが、どこかにこんな世界があることを確かなものとして信じることができる。いい小説。
ヴェネツィア
2024/05/10 11:44

ヨキが町で生まれていたら、というくだりがある。おそらく彼は全くその真価を発揮できなかっただろう。適所というのはわからないものだ。また、「このつれなさがたまらない」という勇気の恋心もいいなあ。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
これも珍しい宮沢賢治の法廷小説。敏腕検事に対するのは保守系政党の議員、もしくはそれに連なる役人。文体も賢治の童話のそれとは全く違う。語り手の被告が自ら次第に追い詰められてゆく様がスリリングに展開する。ただ、結末はよくわからない。そして、賢治がこれを書いた動機も不明である。
ヴェネツィア
2024/05/10 08:17

間違えて感想を消してしまいました。ナイスをいただいた方、ごめんなさい。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
タイトル通りに幕末の動乱期を描く。ただし、ここで焦点をあてられているのは暗殺者たちである。「桜田門外の変」にはじまって「最後の攘夷志士」まで12篇。文体は昂揚感を極力抑えた筆致であり、むしろ淡々と語られる。それだけに事実の持つ重みが増すようだ。暗殺者の大半は知らない人物(多くは歴史の中に埋もれていったのだろう)なのだが、狙われる側は大老の井伊直弼をはじめ、桂小五郎など周知の人物が大半である。生き残った者たちの多くは明治の世で元勲として活躍した。意外だったのが、若き日の伊藤博文と井上馨である。
drago @竜王戦観戦中。
2024/05/10 15:27

こんにちは。 司馬先生は、生き残って明治政府に貢献した人物よりも、維新のために散っていった精鋭たちを高く評価する傾向にありますね。 特に、井上馨をこき下ろす記述には苦笑してしまいました…。(^^;

ヴェネツィア
2024/05/10 15:45

dragoさん、本書はそうした傾向にあるようですね。ここでは井上馨も伊藤博文も散々ですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
珍しい賢治の戯曲。バナナン大将、特務曹長、曹長、兵士らが登場。幕開けはベケットの『ゴドー』を思わせないでもないが、そうした前衛劇からは遠く、いわばナンセンス劇のようなもの。飢餓に苦しむ兵士たちがバナナン大将の数々の勲章、そして挙句にはエポレットもすべて食べてしまうというもの。最後はめでたく終わるが、兵士たちの抱える現状を戯画化しつつ、強く風刺した作品かと思われる。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
近藤史恵は初読。自転車のロードレースの世界を描く珍しいミステリー。日本ではあまり知られることはないが、ヨーロッパでは自転車選手はサッカー選手に匹敵するほどの人気。もちろん、トゥール・ドゥ・フランンスやジロ・ディタリアをはじめとしたレースも熱狂的に観戦されている。本書の舞台は日本でのそれだが、レースとその前後の選手たちの動きは臨場感に溢れている。当然、スピード感が横溢する文体が要求されるが、近藤史恵は見事にそれに答えている。自転車レースは心理戦でもあるのだが、これまたその複雑さが巧みに表出されている。
ヴェネツィア
2024/05/07 20:44

しかし、それらにも増して本書が優れているのは、結末で2転3転するエース石尾の秘められた真実であり、それを明らかにしていく白石の探偵としての葛藤とサスペンスである。

ヴェネツィア
2024/05/07 20:47

なお、タイトルの『サクリファイス』は二重のヒネリが効いていて、これまた見事!

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
文語詩未定稿の中の1篇。意味のとりにくい詩である。冒頭「恋のはじめのおとなひは かの青春に来りけり」これは主述もはっきりとして、よくわかる表現。ところが、これに続くくだりは「おなじき第二神来は 蒼き上着にありにけり」主語が神来にもかかわらず、蒼き上着にありというのであり、通常の理解では了解し難い。そして「その第三は諸人の 栄誉のなかに来りけり」これには主語が欠落しているし、結句「いまおゝその四愛憐は 何たるぼろの中に来しぞも」と、これまた主述が整合せず、飛躍と見るにも無理がありそうだ。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
一穂ミチは初読。6つの短篇から成る作品集。全体としては、フィクションを作りすぎている感が否めないが、そうした中にあって、巻頭の「ネオンテトラ」は最も自然体。これに続く「魔王の帰還」と「ピクニック」はは過剰フィクションの典型だが、読後感は悪くない。「花うた」はダニエル・キースの「アルジャーノンに花束を」を典拠とした一種の本歌取り。主題も自ずと似ている。1篇をとるなら「愛を適量」か。ただし、好みは分かれそうだ。最後の「式日」は、巻頭と呼応させているのだが、内容的にはやや空転気味か。
nebosuke_wombat
2024/05/07 12:28

『魔王の帰還』はコミカライズもされているので人気なのかな、と。人気なのでコミカライズなのか、コミカライズされたので知名度が高い🟰人気なのかはわからないですが……

ヴェネツィア
2024/05/07 14:53

nebosukeさん、どうやらその相乗効果のようです。

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ヴェネツィア
一応は完結した童話であり、蜂雀が私にペムペルとネリの悲話を語るという構成もそれを物語る。しかし、その一方で中心素材たる黄色いトマトの役割も、またお話自体も存外にあっけないものであり、推敲の余地を大いに残すように思われる。また、蜂雀、ペムペルとネリといった、いかにも賢治童話らしい設定がなされているが、これまた賢治童話を彩り、世界を広げてゆくオノマトペや比喩には乏しく、その意味でも改稿されるはずであったのではと思わせる。  
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
本作はキングの30作目の長編にあたるそうなのだが、依然として創作意欲も構想力も全く衰えることがないようだ。物語は下巻に入って、一層にスピードを上げていく。ノーマンの足音が次第に近づいてくるからである。このあたりのスリリングな展開はキングの練達の業の冴えを如実に示している。ノーマンはやがて常軌を逸し始め、そのことはまた単に精神的なものだけにとどまらず、身体にまで及んでくる。上巻では幻想の領域に踏み込むことに抵抗もあったが、ここに来るとそれはむしろ自然なこととして受け止めている。リアルと幻想とが互いに⇒
ヴェネツィア
2024/05/05 16:33

⇒輻輳しあい、増幅された効果がそこに生み出されるのである。精神の深層に響くホラーともいうべきか。エンディングは後日譚がやや長すぎるような気もするが、最後は見事に余韻を残して締めくくられている。

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ヴェネツィア
文語詩未定稿の1篇。わずかに4行。1連目は「甘藍の球」の緑、「青ぞら」「白雲の房」と爽やかなイメージの色彩が溢れる。それはまた生の謳歌でもあろうか。ところが、これを受ける第2連は「呑屋より二人の馬丁 よろめきてあらはれ出づる」であり、大いに物語的な予兆を孕むものの、一転して人生的であり、しかも侘しさを表象する。詩はどこに向かうのか、それともこの対比で完結しているのか。
が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
タイトルはヒロインの名前のローズであるとともに、ローズ・マダー(茜色)は彼女が逃げた先の街で指輪との交換によって手に入れた絵のシンボル・カラーである。終始緊張感を失わないプロット進行は、ここでも健在でありスティーヴン・キングの本領発揮といったところ。また、警官の夫ノーマンのレイシストぶり、ミソジニストぶりはあまりにも板についており、ここでも人物造型の上手さが物語そのものの構造を支えている。ただ、リアリズム小説のつもりで読んでいたが、終盤で幻想が混入してきて、いささか戸惑うことに。
ヴェネツィア
2024/05/04 17:06

上巻の最後になって幻想が前面に出てきたために下巻の展開がよめなくなった。また、絵の持つ魔的な力ははたして必要なのかも疑問である。キングはどのように収束させていくのだろうか。

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ヴェネツィア
未完かと思われる童話。もっとも「村長さんも丁度役場から帰った処でうしろの方から来ましたがその大トランクを見てにが笑ひをしました」で終わっているので不十分な感は残るが、これで完結と見ることもできる。文体で最も特徴的なのは、作中の要所要所で(こんなことは実にまれです。)が繰り返されること。これは東北地方で子どもたちが車座になって昔話を聞く時に発せられる間投詞ではないかと思われる。さて、内容だが、試験にも失敗したのだか成功したのだかわからない平太。建築家としては失敗し上京。ここでもはかばかしい成果を⇒
ヴェネツィア
2024/05/04 15:27

ミサさん、妹のトシには関心を持っていましたが、弟の清六はこれまでほとんど注意を向けていませんでした。

毒兎真暗ミサ【副長】
2024/05/04 15:35

その辞世の句は『いてふの実』のように光に満ちていて、きっと弟さんを案じていたんだろうな……という作品でした。タイトルを忘れてしまって💧古書館に来週行くので確認してみます。

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ヴェネツィア
北歐のオーロラ、クリスマスマーケット、モンサンミッシェル、リオのカーニバル、平渓天燈祭、プリンスエドワード島と6つのパックツアーに一人で参加。益田ミリさんの旅の記録。それで一番美しかったのは、列車の窓から眺めたフィヨルドだそうである。私はミリさんとはおそらく旅の指向性が違うのだろう。これらの6つの旅はいずれも行ったことがないところばかり。そもそもパックツアーに行ったのも一度だけ(中国上海とその近郊の旅が8泊・全食事付で5万円台だった)。それはともかく、旅のエッセイとしてはミリさんらしく、軽快で楽しい。
ヴェネツィア
2024/05/03 19:07

私が今までに行った中でお薦めはサン・ジミニャーノ、オルティゼイ、アルル、ロカマドゥール、オビドスあたりか。アジアではバリ島。

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ヴェネツィア
表題の「看痾」は見慣れない言葉だ。「看」はともかく「痾」は、あるいはこれが初見か。「病」とほぼ同義であるようだ。そうすると、この詩は妹のトシを詠ったものなのだろうか。だとすれば、『永訣の朝』に先行するものということになる。「故しらに人はなほ疾み」とあって、詩の中では特定されてはいないのだが。冒頭の「七月はさやに来れど」は末尾の「さびしくも掃き浄めらる」と呼応し、強い寂寥感さらには絶望の想いを秘めているようにも見える。
松本直哉
2024/05/02 17:19

宿痾という熟語でこの漢字を知っていましたが、あまり見かけない字ですね

ヴェネツィア
2024/05/02 17:21

松本直哉さん、そうでしたね。宿痾は確かにこの字でした。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
オースターは一筋縄ではいかない作家である。これまでに読んだ作品でも『最後の物たちの国で』、『ムーン・パレス』、『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』そして、この『ミスター・ヴァーティゴ』を並べると、文体も(原文を読んでいないので推測だが)構想も全く別人かと思うくらいに違っている。本書は、そうしたオースターの作品群の中にあって、最も寓話的な要素が多そうだ。ただし、それ(典型的なのはウォルトの空中浮遊)がこの作品の中核を成すかといえば、必ずしもそうではない。物語は晩年のウォルトの回想録のスタイルをとって⇒
ヴェネツィア
2024/05/02 16:52

⇒いるが、そこに現れる現実は時として厳しくも苦い。ここでの典型例は第1部の終結部のK・K・Kによる残虐な襲撃、そして第2部のやはり終結部での師イェフーディの死がそうである。いずれも理不尽な暴力によるものであり、そこにアメリカの裏面の現実の投影を見ることも可能である。

ヴェネツィア
2024/05/02 16:56

ポール・オースター追悼。急遽本棚から未読の本書を探し出して。なお、これまでに読んだオースターの作品では『最後の物たちの国で』が私には最も強い印象を残した。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
「小説新潮」連載時は『ガラスのコルセット』だったものを改題したようだが、『クローゼット』よりも連載時のタイトルの方がいいような気がする。もっとも『クローゼット』は物語全体のキー・コードになっているのではあるが。プロットは芳と纏子それぞれの過去のトラウマを巧みに交錯させていくものであり、その解消へと踏み出してゆく物語である。単線的でないところが千早茜の練達の業だろう。また、18世紀あたりから現代にいたる服飾史が全体を貫流するもう一つのテーマである。これまた調査力と、物語に活かしていく力量とが発揮されている。
tess
2024/06/19 18:41

私も芳の発言に違和感をおぼえましたが彼はまだ自分が何者なのかも知らない軽薄な若者だったのではと思いました。

ヴェネツィア
2024/06/19 19:00

tessさんは優しいですね。

が「ナイス!」と言っています。
ヴェネツィア
奇妙な印象を残す童話である。あるいは、まだ推敲するつもりがあった未完成原稿であるのかもしれない。しかし、私と老人との邂逅にはじまり、老人が雁の童子の伝承を語るという構成を見るとこれで完結しているようでもある。最も違和感を覚えるのは伝承の末尾で、唐突に童子が須利耶に別れを告げる場面である。そして、その理由付けが「この絵ができてから王さまは殺されわたくしどもはいっしょに出家したのでしたが敵王がきて寺を焼くとき二日ほど俗服を着きてかくれているうちわたくしは恋人があって⇒
ヴェネツィア
2024/05/01 07:10

⇒このまま出家にかえるのをやめようかと思ったのです」などと、意味の了解が困難なものであり、賢治の文体もまた乱れを見せている。さらには、伝承のはじめの殺生戒も結びを持たないし、あれやこれや考えると、やはり結論的には未完と考えるのである。

ヴェネツィア
2024/05/01 16:47

みあさん、ご指摘ありがとうございます。ルビの消し忘れでした。

が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2011/11/30(4768日経過)
記録初日
2011/04/07(5005日経過)
読んだ本
7098冊(1日平均1.42冊)
読んだページ
1698800ページ(1日平均339ページ)
感想・レビュー
7008件(投稿率98.7%)
本棚
57棚
性別
職業
専門職
自己紹介

2011年4月からの参加で、14年目にはいりました。一番よく読んでいるのは日本文学、次いでは翻訳文学です。読むジャンルの幅は広い(半ばは意識的にそうしています)のですが、何でも手当たり次第に読むというわけではありません。特に誇れるものはありませんが、連続読書日数は初日から4969日(2024年11月12日現在)、冊数は6988冊になりました。胃癌で入院中も、海外旅行中も毎日読んできました。さて、どこまで伸ばせることやら。

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